2016 七夕小話
空に願いを
『パイロットになれますように』 薄い折り紙を適当に切っただけの簡素な短冊に、丁寧に書いて笹につるす。 「なんだよ、ゆきやは今年もそれ?」 「うん」 「毎年それじゃん」 「うん」 だって、これしか願いも望みもないから。 まだ、空への想いは憧れだけで、パイロットと言う職業があることも知らなかった頃には一度だけ『おかあさんにあってみたい』と書いたことがあるが、そんな叶わぬ願いよりも、雪哉にはもう、パイロットという夢の方が大切だから。 「ゆきやがパイロットになったら、おれ、乗せてくれよな」 「うん」 見上げた狭い空の端を、雲を引きながら旅客機が高く飛んで行った。 |
『ダイバート*しなくてすみますように』 ちゃんとした厚みのある美しい短冊に、筆ペンでそう書いてつるす。 「えー、なに、この超現実的なお願いごとは」 「だって、今日の福岡便、マジでヤバいんだよ」 「え、そうなんだ?」 「うん、到着予定時刻には積乱雲モクモクで、局地的雷雨の確率80%…」 「あっちゃー」 「待機で済めば良いけどさあ」 「福岡に降りられなかったら…」 「広島かなあ」 珍しく晴天の七夕。 昼過ぎにショウアップしてみれば、大きな笹が飾られていて、すでに多くの短冊がつるされていた。 早朝便のクルーやスタッフたちが書いた短冊をつるした笹は、すでに出発ロビーに飾られて、乗客たちの願い事を受付中らしい。 出社スタンバイ中の遥花と、雪哉が今、願い事を託したこの笹も、もうすぐ運ばれて行くらしい。 「こんなに晴れて暑いのにねえ」 「だよねえ。でもこんな日がかえってコワいんだよ」 パイロットになって以来、乗っていない時でも天候の変化に敏感になった。 兎にも角にも『安全運航』。 仕事であれ、レジャーであれ、家庭の事情であれ、何にせよ誰しもが大切な用件を持って到着地を目指して搭乗する。 そんな乗客を安全に運ぶのが、雪哉たちパイロットの仕事だ。 目的地に送り届けて当たり前…なのだが、それが適わない状況は何とも辛い。 ☆★☆ ダイバートの可能性についても詳細に詰めたディスパッチを終えて、機長とシップに向かって出発ロビーを歩いていると、多くの視線が追ってくるのはいつものことで、パイロットになりたての頃は少し気恥ずかしかったりもしたが、それもすっかり慣れた。 「お」 ゲート前に飾られている笹に、機長が反応した。 「雪哉、これ見てみろ」 低い位置に下がった短冊にはたどたどしい字で『パイロットになりたい』と書いてあった。 「懐かしいなあ。俺もチビの頃、こんな事書いたっけ。雪哉は?」 「もちろん、僕の夢もパイロットでした」 「だよなあ」 言って、機長はわざわざ雪哉の帽子を取って、その小振りな頭を撫で回す。 「きゃーぷてーん。せっかく必死で寝癖直したんですよー、もー」 「いいじゃん、どうせクルクル癖毛なんだしさ。それに直してくれるのはパパだろ?」 「昨日からサンフランシスコです〜」 「なんだ。じゃあほんとに一人で直したのか?」 「そうですよ」 「じゃあ、俺が直してやろう」 「って、さらにかき回してどうするんですか〜!」 な〜んて、77課では『お約束』の展開を繰り広げていると、『あの…』と、遠慮がちな声が掛かった。 「はい。何でしょうか」 さっきまでのおちゃらけた様子はどこへやら、機長がその制服に見合った『キリッ』とした様子で振り返ると、そこには小さな男の子を連れた女性がいた。 「お忙しいところをすみません。実はこの子がパイロットさんに憧れてまして、一緒に写真撮っていただけないかと…」 こういう声は、意外とよくかかる。 こんな場合、社からは、運航に影響しない限り――つまり急いでいないときは――出来るだけ丁寧に応対するようにと指導されている。 なんと言っても相手は『お客様』なのだから。 機長と雪哉は要望に応えて笑顔でフレームに収まり、小さな手と握手をして、ゲートを通りブリッジを渡ってコックピットに入った。 ☆★☆ 間もなく搭乗が始まる。 出発準備の慌ただしい中、ふと前方を見上げれば、出発ロビーから小さな手を振るチビがいた。 さっきの子ではなかったが、機長と共にそれに応えて手を振ると、チビは満面の笑顔になった。 『パイロットになれますように』 毎年そう書いていた雪哉は、パイロットになる夢だけではなく、愛する人と家庭を持つと言う、一番最初に諦めたことまで叶ってしまった。 短冊に願いを託したチビや、一緒に写真に収まったチビ、そして満面の笑顔で手を振っているチビの願い事も叶いますように…と祈りながら、雪哉はまた、出発準備に専念するのであった。 |
あなたの願いも、かないますように。 |
*ダイバート…目的地外着陸。当初の目的地ではない空港に降りること。
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そして、その日の乗務を終えたゆっきーと、スタンバイ起用がなかった遥花ちゃんは…。 |