2017 初春企画
ボーディングブリッジを越えて
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その年の春、自社養成のパイロット訓練生に採用された新人たちは、2ヶ月間の基礎研修を終えて、様々な配属先へと別れていった。 同期が次に揃うのは、来年の春。 パイロットとしての訓練が始まるのはそこからだ。 それまでは、配属された現場で精一杯がんばるしかない。 この間の『修行』も当然評価の対象であるし、そうでなくとも、様々な現場を知ることはとても大切なことだとわかっているから。 さて、ここに1人の新入社員がいる。 彼は、今期240倍の倍率を突破した12名のパイロット訓練生の中でも、筆記・様々な適性・面接などの多岐に渡った採用試験のすべてでトップの成績を修めたのだが、パイロット訓練生としては珍しく、グランドスタッフに配属となった。 そもそも『グランドスタッフ』というのは、整備士なども含めた『空港で働くスタッフ』のことだったが、最近では主にカウンターやゲートなどで直接乗客と関わる仕事のことを指す言葉になっている。 つまり、接客業務の地上職ということだ。 今までのパイロット訓練生は運航や整備、営業などに配属されるのが常だったのだが、何故彼がグランドスタッフに配属されたのかについて、随分後になって『この頃からすでにマスコット化を見据えられていたのでは』という説が浮上したが、それは考え過ぎと言うものだろう。 パイロットの訓練は厳しく、チェックアウトしなくてはいけない関門は数え切れないほどあり、アメリカでの小型機操縦訓練が始まってから後は、一度でもフェイル (不合格) すれば再試験のチャンスなく、そこでパイロットへの道が完全に絶たれることもある。 今までにも採用試験トップ通過者が途中でフェイルしたことは少なからずあるし、社としても採用試験の結果を入社後に参照する事はない。 すべてはこれからの出来次第…なのだ。 つまり、この訓練生が数年後に必ずパイロットになれるという保証はどこにもなく、むしろ、フェイルした後を考えてグランドスタッフへ配属した…と言う見方の方が、まだ現実的かもしれない。 そもそも『見た目で決めたんじゃないの』…と言うのが大多数の意見だったのだ。 ただ、訓練教官がこの人事に関わっていたことは、誰も知らない。 ジャパン・スカイウェイズのグランドスタッフの制服は、デザイン的にはキャビンクルーとよく似ているのだが、クルーのシャツの色が『白藍』と『灰桜』なのに対して、グランドスタッフは『白群』という空色に近いブルーのみで、女性のスカーフは小さくまとめられるように二回りほど小さなものだ。 ネクタイは、シャツよりも鮮やかな、瑠璃色となっている。 キャビンクルーがほぼ100%女性なのと同じく、グランドスタッフも女子率は高く、90%が女性だ。 男性もいるにはいるが、パイ訓が配属されたことは今までなかったので、グランドスタッフたちはみな、どんな人物が現れるのか、それはそれは興味津々で待っていた。 |
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パイ訓の『彼』が国際線ターミナルに配属されてきて、2ヶ月と少しが過ぎた。 グランドの制服がよく似合う彼――ネクタイよりもスカーフの方が似合うんじゃないかと陰で言われていたが――は、朗らかで優しく、すぐに人気者になった。 仕事の覚えも早く、同じ失敗を繰り返すことはないし、さすがにパイ訓だけあって、何より判断力に優れていた。 また、瞬時の判断だけでなく、その上に柔軟な対応力も持ち合わせていた。 彼が配属されて間もない頃、ゲート付近で騒ぎが起こった。 旅の高揚感からか、少々羽目を外した若者たちの小競り合いだったのだが、その中へと止めに入った彼は、『お客様は神様だろうが。神様相手に意見するんじゃねえ』と突っかかられて、『それでは、他の神様のためにも、お静かに願えませんでしょうか?』とにこやかに切り返して相手の毒気を抜いてしまったのは、その後『伝説』になったくらいだ。 そんな彼だから、このままここにいても十分に能力を発揮できそうで、現場の先輩たちは、いずれ彼を見送らなくてはいけないことをとても残念に――いっそフェイルして戻ってきて欲しいと思うスタッフも少なからずいたが――感じていた。 そう、彼はとても優秀だった。 ただ一つの弱点を除いて。 ある日のことだ。 その日は朝一番から、エンジンの不調により引き返してきた便で滑走路が一時閉鎖になったり、他社の発券システムのトラブルでターミナル内はざわついていて、少々混乱もしていた。 こんな日は、普段なら大したことのない事象も大きなトラブルに繋がる可能性があるから、カウンターやゲートのグランドスタッフたちは、いつもよりもさらに気を張っていた。 それは当然、パイ訓の彼も同じだった。 そして、ターミナル内が少し落ち着いてきた頃、それは起こった。 『111番ゲートです。11時45分発パリ行きに搭乗されていないお客様がいらっしゃいます。至急探して下さい』 彼が左耳に装着しているイヤホンから、焦りを押さえた口調で情報が飛び込んできた。 ゲートに現れないのは、フランス系の氏名の神様――いや、男性客だ。 まもなく定刻で、現れないのはその乗客だけ。 受託手荷物はすでに搭載されているので、もしこのまま見つからなければ、荷物を下ろさなくてはいけない。 それは、決して『親切』だけではなく、持ち主が乗っていない荷物は『不審物』の可能性があるからだ。 そして、荷物を下ろすと言うことは、それだけで大きな時間のロスになる。 彼は、英語と日本語で繰り返し呼びかけながらその乗客を探した。 背格好などがわかっていればそれに超したことはないが、そのような情報は当然ながら、ない。 年齢は34歳だそうだが、正直欧米人の年齢は見た目ではまったく判断できないので、これも大して有益な情報とはいえない。 ないよりはましだが。 ちなみにパイ訓の彼も、東洋人――実は少々欧州混じりだが――にありがちな『年齢不詳』だ。 22歳なのだが、運転免許証がないと飲酒できない。 未成年だと思われてしまうからだ。 探し続ける彼の声に、ふと、大柄な赤毛の男性が振り返り、目が合った。 氏名を確認すると、まさに探していた乗客だった。 出発時刻になっていることを告げると彼は驚いた顔で腕時計を確認して、慌てた様子で『Sorry』と繰り返す。 ともかく一刻も早くゲートまで連れて行かねばならない。 『お客様、いらっしゃいました。お連れします』 手にしたトランシーバーで連絡し、『こちらです』と、踵を返した瞬間。 「うわっ」 彼は盛大に躓いた。 そう、彼の唯一の弱点は、すぐに躓いて――しかも何もないところで――時にはすっころんでしまうことなのだ。 そして大概、通りかかった『神様』に抱きかかえられたりして助けられている。 『Oh!』 そして今日もまた、赤毛の大柄な神様…いや、お客様が、躓いた彼を背後から抱えて転倒を防いでくれた。 「…Thank you …so much」 内心で『やばっ、またやっちゃった』と思いつつ、見上げてそう言うと、神様は少々頬を赤くして『Welcome』と言いながら、なぜかそのまま彼を小脇に抱え上げて走り出した。 彼は小柄だ。そしてとても可愛い。 神様たちから『Cute』だとか『Sweet』と呼ばれるくらいに。 ともかくも、急がなくてはいけないのに一向に下ろしてもらえず、仕方なく抱え上げられたままゲートまで誘導して、無事に機内へ…というところで、問題が発生した。 大柄な赤毛の神様は、あろうことかそのまま『彼』をつれて乗り込もうとしたのだ。 周囲のスタッフは当然慌てて止めに入り、彼はもがいてその手から逃れようとし、その騒ぎでさらに出発が遅れることになってしまった。 神様の言い分はこうだった。 『あまりにCuteで可愛いBabyだったので、連れて帰りたかった』 そのぶっ飛び発言に、スタッフたちはみな、『気持ちはわからんでもないけど、お土産のぬいぐるみじゃないんだから』と、がっくり肩を落として疲れまくったのだった。 ちなみに、パイ訓の彼が後に、実際にキャラクターになってターミナルのあちらこちらに並ぼうとは、その時の誰も、当然予想だにしなかったことだが。 そして、その騒ぎの様子は機内でやきもきしていたキャビンクルーたちの耳にも入っていた。 行き先はパリ。シャルル・ド・ゴール空港だ。 彼を連れて行こうとした神様は、機内ではとても大人しく、降機するときには『騒がせてしまってすまかった』と素直に謝り、クルーたちから『またのご搭乗をお待ちしております』と、笑顔で見送られた。 ☆★☆ さて、そのパリでの定宿では、キャビンクルーたちが本日のフライトを振り返っていた。 「ってさ、今日のあの可愛い坊や」 「ああ、拉致られて連れて行かれそうになったグランドスタッフ見習いの子? めっちゃ可愛いかったよね」 一応グランドスタッフとしての研修も終えた正式なスタッフなのだが、どこへいっても『見習い扱い』なのは、彼の見た目の可愛らしさ所以だ。 本人はそれについて、多少の不満はあるが、とりあえずまだ一人前だとは自分でも思っていないので大人しくしているところだ。 「あの子、グランドで人気者らしいね。小っこくて可愛くて優しいって」 そう言う情報はどこからともなくオペレーションセンターにも流れてくる。 「そうなんだ。確かに人当たりも優しげだったね」 だが…。 「知ってる? あれ、なんとパイ訓なんだって。しかも東大卒」 肝心かつ重要な情報はこっちだ。 「え〜! あのちっこい坊やがパイ訓!?」 そう、パイ訓についての固定観念があるのも事実だ。 キャビンクルーとは正反対の『それなりにむさ苦しい男の世界』だから。 「パイ訓の地上職がグランドスタッフって初めてじゃない?」 「だよねえ、聞いたことないし」 そう、初めてだ。 「ってことは、来年の春から訓練開始ですか?」 「だと思うよ。よっぽど上がつかえてなきゃね」 パイロット訓練生は、年に一度の自社養成採用だけでなく、航大卒の採用も年に幾度かある。 一度に訓練できる人数は限られているので、上の期でもたもたしている訓練生がいると、しわ寄せは次の期に来てしまい、幾人かは訓練待機となる。 そして当然その間も、地上職として働かなくてはいけない。 「なんか、一発でフェイルしそうな気が…」 人は見かけによらない…とは言うものの、彼の華奢な可愛らしさは、確かに頼りなげにも見える。 「ま、そうなったら今度こそ正式にグランドスタッフじゃない?」 「そっちの方があってそうな気がする」 「私もそう思います〜」 「いっそのこと、キャビンクルーもありじゃない?」 「いいねえ、それ。男子クルーって、1番若くて29でしょ? 次の世代いないもんね」 何千人もいるキャビンクルーの中の、10人に満たない男性クルーは全員イケメン揃いではあるものの、正直なところ、『ピチピチ』はもういない。 「男子の定期採用って、何度上申しても、もみ消す『お偉いさん』がいるって噂だし」 「なにそれ。キャビンは男のやる仕事じゃないってこと?」 「ハラスメントですよね、それも」 「その『お偉いさん』って、都築くんに『降りて訓練業務に専念しろ』ってしつこく迫ってる常務だよ、きっと」 「なにそれ。現場に口出すなっての、あのハゲ」 いや、ハゲが悪いのではない。 彼女たちも、愛すべきハゲとそうでないハゲはちゃんと区別している。 男はハゲてからが真の魅力だ…と力説するクルーもいるくらいだ。 …それはさておき。 「もしかして、それって都築くんに言い寄って振られた腹いせかもよ」 「ああ、そんな話あったよね。あの常務って、何かと評判の悪い人だし、セクハラまがいの現場見ちゃったってクルーも何人かいたからね」 「うっそー! 都築さんに言い寄るなんて100年早いっ…てか、彼より美形しか許さないっ」 「いやいや、都築くんにセクハラだなんて、良い度胸してるじゃん。彼、そのうちトップに上り詰めるからさ、その時に手痛いしっぺ返し食らっても知らないんだから」 「いいじゃん、ザマーミロだよ」 国外だと言いたい放題だ。女子の集団を敵に回すと本当に恐ろしい。 だが、それがある意味ガス抜きのストレス解消になり、帰りのフライトでも目一杯頑張れるのだが。 「ま、都築くんの件はさておくとして、あのグランドの可愛い子ちゃんが無事に副操縦士になれたとしても…」 「国際線に乗務出来るようになるには最速でも5年はかかるでしょ」 「ですよねえ」 副操縦士に昇格できても、それからまだ、国際線への道のりは最低でも1年以上かかるのが常だとは、キャビンクルーたちも知っている。 自分たちもまた、国内線で経験を積んでから、世界の空へ羽ばたいているから。 「でもさ、5年も経ったら27でしょ? さすがにあんなに可愛い子ちゃんではいないよね、きっと」 「だねー。ちょっともったいないけど」 可愛い男子は目の保養だから。 「でも、めっちゃイケメンになるかもしれませんよ〜」 「いや〜、でもちびっ子だしなあ」 「あはは、ホントだ〜」 しかし、現実に対してはシビアなのだ。 |
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「な〜んてことを、つらつらと思い出してたわけよ」 乗務20年目の教官チーフパーサーが、雪哉と同期入社のクルーに語っている。 雪哉がグランドスタッフを経験していることは、今や大概のクルーの知るところだが、当時のことを本人が語らないので、詳細を知るものは少ない。 「ゆっきーって、その頃からあんまり…」 「変わってない変わってない。ぜーんぜん変わってない。ってか、一層可愛いっていうか、可愛さ100倍っていうか」 「しかも、一発フェイルどころか超天才だったわけですしね」 大方の期待(?)を裏切って、雪哉が史上最速で副操縦士になったことについては、グランドスタッフたちも当時、『あの不動くんが? マジで?』と、驚いたものだ。 そして当然、彼らが愛用する筆記用具は今やすべて、『コ・パイのゆっきーシリーズ』だ。 「だよねえ。…いや、それにしてもあの時のグランドの制服姿を写メってなかったのは、今更ながら痛恨の極みだなあ」 「撮ってたらお宝でしたよね」 見たかったなあ〜と、当時客室訓練センターで新人訓練中だった彼女は、男性クルーたちの制服と雪哉を重ね合わせて妄想している。 「そうよ。ぶっちゃけパイロットスーツより百万倍似合ってたし」 「いやいや、ゆっきーのパイロットスーツはもう、ただのコスプレですから」 似合わないにもほどがある…とまで言っては可哀想だが、でも似合わないものは似合わないのだ。 見方によっては可愛らしいシャツ姿はともかく、上着がダブルだと言うのが彼にとっては致命的だった。 あれは肩幅と胸板があってこそ…だから。 かつて浦沢機長が、『雪哉のシルエットに合わせて作ってやったらどうなんだろう』と進言したのだが、担当者から『以前、彼のサイズをパターン化して試作してみましたが、七五三シルエットになってしまいました』と返されて、さすがの機長も二の句が継げなかった…というのは、誰も知らない話だが。 ともかく、どうせコックピットに入れば脱ぐのだから…と、常々雪哉は自分に言い聞かせている。 しかし、『コスプレ』と言われた時には、無駄とはわかっていても、一応抗議はしておくことにはしている。 そう、今日も…。 「ひっどーい」 「「わああっ、ゆっきー!」」 振り向けば、恨めしそうな顔も可愛い雪哉がそこに居た。 「いやいや、ゆっきーはグランドでも活躍できる逸材ってことよ、ねっ」 「そうそう、武勇伝の数々はもう伝説だからっ」 武勇伝と言われて、そんなものを作った覚えは微塵もない雪哉としては、脱力するしかない。 けれど、あの頃はあの頃で、とても充実していたのは確かだ。 パイロットへの道は、まだスタートラインがやっと見えてきた程度だったけれど、ともかく入りたかった航空会社に入社できて、毎日旅客機の運航に携われて、業務外の時間も勉強続きの日々でも、それすら嬉しくて。 そして、憧れていたBoeing-777のコックピットが自分の居場所になった。 |
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今日もパイ訓の彼――不動雪哉は国際線ターミナルを走り回っている。 相変わらず日に一度は蹴躓いているような気もするが。 カウンター業務もいろいろな人と触れあえて楽しいけれど、やっぱりゲート業務の方が断然好きだ。 少しでもシップの側にいられて、見送り、迎えることができるから。 それに、搭乗するクルーたちの様子も間近に見られる。 キャプテンに、『お、可愛いグランドさんがいるな。頑張れよ』…と、頭を撫でられたときには、嬉しくて髪を洗わないで置こうかと思ったくらいだ。 担当しているフランクフルト行きのゲートが、予定の時刻に閉じられた。 いつもこんなに順調なら言うことはないのだが、そうはいかない時に、どれだけ影響を少なくできるかが重要で、それにはどれだけチームワークが大切なのかを雪哉はこの現場で学んだ。 そう、日々経験と勉強なのだ。 ボーディングブリッジを渡り、搭乗者の最終確認リストをドアの向こう側に立つチーフパーサーに渡し、グランドスタッフの仕事は機内へと引き継がれる。 グランドハンドリングのスタッフが安全を確認してドアをクローズした。 機内のチーフパーサーとブリッジ側のスタッフが、立てた親指を窓越しに両側から当てて、ドアクローズの完了を確かめ合う。 これを行って初めて、ボーディングブリッジを外すことができる 雪哉は閉じたドアに向かって深々と頭を下げて、シップの安全航行と乗客の快適な旅を祈る。 そして、いつか必ず、自分もこの扉の向こう側で仕事をするのだと、心の中で固く誓って。 『不動くん! 114番ゲートでお客様が急病の模様です! すぐに向かって下さい!』 「はい!」 ブロックアウトしてプッシュバックされていくフランクフルト行きのシップをちら…と見て、雪哉はまた視線をまっすぐに戻して駆けだした。 またちょっと蹴躓いてしまったけれど。 |
END |
2017初春企画、お召し上がりありがとうございました。
いつかは書いてみたいと思っていた雪哉の新入社員時代でした。
都築教官の『ぴちぴち』時代も書いてみたいとは思うのですが、
コワいエピソードばかりになりそうな気が…(笑)
というわけで、本年もどうぞよろしくお願い申し上げますm(__)m
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