2017 バレンタイン企画

チョコと小豆と飛行機と

〜バレンタインフライト214便〜





 大都会東京の中でも『超』がつくと言われる高級住宅地のほど近くに、こぢんまりとしたたたずまいの和菓子店がある。

 まもなく創業100年を迎えて老舗の仲間入りかというところだが、店舗はここ、創業の地の一軒のみ。

 材料を吟味し尽くし、熟練の技で作り出される和菓子の逸品は味も見た目も定評があり、文人墨客の贔屓も多いのだが、『自らの手で作れる分だけを商いしろ』という先々代の遺言を頑なに守り、店を広げていない。

 年に一度ほど、都内のデパートの物産展に出店するのだが、連日売り切れになる人気ぶりだ。

 なので毎度、デパート側からは常設出店を持ち掛けられるが、毎度丁重にお断りしている。


 そんな和菓子店の3代目当主の目下の悩みは一人息子――4代目の行く末だ。

 職人として頑固一徹の彼は、それ故に、継ぐ者がいなければ自分の代で店をたたんでもいいと思っている。 

 中途半端な継承は、職人気質が許さない。
 いや、何よりもご贔屓筋に申し訳ない。

 その、悩みの種である息子は30になった。

 高校卒業と同時に一旦は店に入り修行を始めたのだが、1年ほど経った頃、『もっと広い世界が見てみたい』と、出て行った。

 そして、10年ちょっとの年月を経て戻って来て半年程が経ったところだ。

 家を離れていたその間に彼が何をしていたかと言うと、まずは京都の老舗菓子店の門を叩き修行して、さらに欧州に渡り、フランスやベルギーの有名菓子店を渡り歩き、ついには国際大会でグランプリを獲得してしまったのだ。

 チョコレート職人――ショコラティエとして。


 当主は父親として、純粋に息子の活躍を喜んだ。息子には息子の道がある。
 しかも他業種ではなく、分野は違えど同じ菓子職人になってくれたのだ。
 このまま生家に戻らなくても、それはそれで良かった。

 のだが。

 何故か息子は帰ってきた。しかも跡を継ぐと言い出した。

 もちろん職に困ったわけではない。
 彼の腕は引く手あまただったし、独立するなら投資をしてやろうと言ってくれる人もいたのに。

 帰ってきた息子に、当主は言った。

『チョコ職人が和菓子屋で何が出来るってんだ』
『あのな、ショコラティエと言ってくれ』 
『そう言う問題じゃねえや』


 息子はなんと、チョコだけの世界にも満足できず、チョコと和菓子の融合を目指すと言い出したのだ。

『心配すんな。じいさんや親父の業績をぶっ潰そうとは思ってねえから。今までの美味い和菓子も守りつつ、俺は俺の理想の和菓子を創るってんだから問題ねえだろ』

『何言ってんだっ。俺はチョコ大福なんて認めねえぞっ』

 それは正確には本心ではない。
 チョコ大福だろうがミカン大福だろうが、美味ければ有りだと常々思っている。

 ただ、誰でも考えそうなモノを、わざわざお前がここへ帰って来てまで作る必要があるのかと言いたいのだ。


『その頭が堅いってんだよ。チョコ大福だって、誰が作るより美味けりゃ結果オーライだろ?』

 そんなことはわかっている。

 誰にも創れないものを創るのと同じくらい、誰にでも作れるものを誰よりも美味しく作るのも難しいことなのだと。

 息子の腕は認めている。きっとそれなりのものを作るだろう。

 ならば良いのかといえば、そうはいかない。

 これは商売なのだ。
 人の口に入り、何度でも食べたいと思ってもらえないと駄目なのだ。
 目新しさや奇抜さだけでは成り立たない。

 しかし、そんな親心も知らず、息子は家業を手伝いながらも、厨房に籠もりきりで創作和菓子――当主はまだ和菓子とは認めていないが――の試作に没頭していた。

 試行錯誤を繰り返しているようだが、未だ店頭に出せるものは出来ていないのか、一向に完成品にお目にかかれない。

 このままでは、和菓子屋も息子――畑野宗太というのだが――の腕も、中途半端に終わらせる事になりはしないかと、当主は不安で仕方がなかった。


                    ☆★☆


「こんにちは」

「あ、奥様、いかがなさいました。御用でしたら伺わせていただきましたのに」 

 麗らかな陽気になりそうな朝。

 店頭に現れたのは、この界隈では有名な名家の奥様で、その当主は高名な国際政治学者だ。

 いつも、来客をもてなすための和菓子をご用命いただく超お得意様で、常は電話で注文を受けて配達をしている。

「いえ、今日はチョコレートの和菓子を見せていただこうかと思って」
「は?」

 思わず間抜けな声を出してしまった。

 どうして奥様がご存知なのか。
 自分でさえ、まだ目にしていない、息子の怪しげなチョコ和菓子のことを…。


「先日息子さんが、配達の時に試作品を下さったの。主人も私も美味しく頂いたのですけれど、孫がことのほか喜んで」

 コロコロと朗らかに笑う様も、さすがに代々続く名家の一族を取り仕切る奥様の貫禄を見せるが、こちらはそれどころではない。

 まさか、そんなことになっていたとは。

「あ! いらっしゃいませ!」

 声を聞きつけて宗太が厨房から出てきた。

 ひょろりと背だけが高く伸びたてっぺんには、店の屋号が染め抜かれた手ぬぐいがきりりと巻かれているが、その細い身体には黒いギャルソンエプロンが巻かれていて、見た目からして『和洋融合』の出で立ちだ。


「こんにちは。先日いただいた…ほら、オレンジリキュールのチョコ羊羹。とても美味しかったわ」

「ありがとうございます!」

 オレンジリキュールのチョコ羊羹と聞いて、当主は脱力している。
 いつの間に、なんてものを作っているのだと。

「あの時、他にも試作されるってお話だったから、見せていただきにきたの」

「ありがとうございます。ちょうど2つばかり仕上げに入りましたので、お試しいただけますか?」

「喜んで」


 勝手なことをしやがって…とは思ったものの、この、口の肥えたご贔屓様に敢えて持って行ったということは、息子としては満足の行くものだったのかしれない…と、思ってしまうのは、親バカが過ぎるだろうか。

 ぐるぐると考えが回っている当主をよそに、2人は盛り上がっている。


「では、明日の午後、お届けにあがります」
「よろしくお願いしますね」

 奥様は満足して、にこやかにお帰りになった。


「お前…俺に黙って…」

「あー、悪い。先に親父に試食してもらうとさ、ちょっと先入観入るかなと思ってさ」

 悪びれもなくそう言うと、今更ながら『試食お願いします』と、件のオレンジリキュールのチョコ羊羹を差し出して頭を下げてきた。


「…ちっ」

 面白くない。が、頭を下げてきた以上は試食しないのも大人気ないと、恐る恐る小さく切ったそれを口に運んだ。


「…。」
「どう?」
「…ふん、まあまあだな。悪くはねえ」

 と、言いつつも、表情は『美味いじゃねえか、この野郎!』と物語っている。

「うん、俺も良い線いったなって思ってる」

 だからこそ、お得意様に持って行くような真似をしたのだろうけれど。
 けれどやっぱり、美味いだけじゃ駄目だ。

「お前、これをいくらで出す気だ? 結構材料費かかってんじゃねえのか?」

 国際大会グランプリの肩書きを持つショコラティエが使うからにはカカオもリキュールも半端なく良いもののはずだ。

 しかもこの店の餡は昔から『小豆色のダイヤ』と言われるほどの高級小豆を使っている。


「そこなんだよな。質を落とさずに、もうちっとコスト下げねえと買ってもらえねえからな」

 値段が高くても、買ってくれる人はいる。
 だが宗太は、みんなの口に入るものが作りたい。

『ハレの日の和菓子』も良いけれど、『いつもの和菓子』になりたいのだ。


「…まあ、自覚してんなら俺が口を挟むこっちゃねえけどな…」

 いつの間にか、親の助力無しに本当に独りで立ち上がっていた息子に、嬉しいけれど、ちょっと寂しい。


「ってさ、来栖先生んちって、孫いたんだ? 随分前に一人息子さんが半年で嫁さんに逃げられちゃったってのはご近所さんから聞いたことあるけどさ」

 非常に出来の良い、しかもイケメンだと評判の一人息子だが、その姿を見たという話はあまり聞かない。  

 宗太が子供の頃には、『来栖の若様』と言えば『末は博士か大臣か』と噂されていたが、そちらへ進んでいるという話も聞かず、まさに謎の人なのだ。


「あれはな、息子さんが仕事人間で嫁さんをかまってやらなかったのが原因だったって、もっぱらの噂だったけどな」

「へ〜、何やってる人?」

 同業とその関係以外の仕事にはあまり関心のない宗太だが、家庭を顧みないほどの仕事とはいったい…という興味は沸く。

「確か、パイロットだとか…」
「すげ、旅客機?」

 パイロットと聞けば話は別だ。
 宗太も一時、パイロットには憧れた。
 幼稚園の頃の話で、その年頃の『男の子の夢』と言えば、大概スポーツ選手かパイロットだったが。


「や、わかんねえけど、ジャスカとかって言ってたな」

「お〜、業界最大手じゃんよ。俺、フランスから帰ってきたとき乗ったって」

 男性CAがまたイケメンで、みんな親切で、長いフライトでも乗り心地良かったなと思い出した。

「そんなにパイロットってのは忙しいもんか?」

「や、忙しいってよりは、不規則だろ? 羽田なんて、365日24時間飛んでんじゃん。それに、定年退職するまでずっと試験と審査が続いて大変だってのは聞いたことあるな」

「そりゃ辛ぇ話だな。まあ、何にしても、あのお嫁さんじゃ来栖のお家は切り盛りできなかったろうから、結果オーライだったんじゃないかって、母さん言ってたぞ」

 宗太の家でも、ご近所づきあいはもっぱら母の役目だ。

「んじゃ、再婚したのか」

「いや、ご養子さんもらったらしい。分家筋からもらったんだろう。目に入れても痛くない可愛がりようだって話だ」

 その孫も、どんな人物なのか今のところまったく謎だけれど、あの溺愛ぶりからするとまだ小さい子供なのだろうと、周辺は勝手に憶測している。

「へ〜、そうなんだ。じゃあ、その子が未来の当主様ってわけか」
「だろうな」
「まあ、上手くいってんなら言うことないよな」
「そうだな。…ま、いずれにしてもよそさまの話だ」
「だよな」

 とにかく、その『未来の当主様』がたいそう喜んでくれたと言うのだから、これはもう、『俺のチョコ和菓子の最初のファン』と勝手に認定してモチベーションを上げて行くぞ…と、宗太は頭の手ぬぐいを締め直した。


 
 
 
 


 それから少し経ち、和菓子屋の店先には創作チョコ和菓子がいくつか並んだ。

 その翌日。
 今にも降り出しそうな曇天の午後、一人のお客がやってきた。
 ご常連ではない。初めてのお客だ。


「いらっしゃいませ」
「あ、こんにちは」

 見た目に似合った可愛い声で、ちょっと気後れ気味に入ってきたのは可愛い坊や。

 見ようによっては女の子でも通りそうだが、声は可愛いと言っても女子のものではないし、服装は明らかに男子だ。

 年の頃は高校生くらいか。
 百歩譲っても大学生――ただし未成年――だろう。

 可愛いなあと思いつつ見守っていると、坊やは創作チョコ和菓子に目を留めた。

「あ、これ…」

「これ、チョコの和菓子で、出来立ての新作なんです。もしよろしければ試食していただけませんか?」

「え、いいんですか?」

 とたんに輝いた目があまりに可愛くて、思わず宗太の顔も綻ぶ。

「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」

 きちんと礼を言いつつ、小さな可愛い手で大事そうに受け取る様は育ちの良さを伺わせた。

「いただきます」

 そう言って口に入れた後、坊やの目は更に輝いた。

「わあっ、めっちゃ美味しい!」

 思わず普段のリアクションが出たのだろう様子は、本当に美味しいと感じてくれたからなのだろうと、宗太は喜びを隠せない。

「これ、チョコの練り切りで、隠し味に干し柿使ってます。それと、こっちは…」

 もう一つ試食しながら、宗太の説明を熱心に聞いていた坊やは、思わぬ質問を返してきた。

「小豆に合うカカオの産地とか比率って、やっぱりあるんですか?」

「と言うよりは、使いたいカカオの産地と比率で小豆を炊く糖度を変えてますね。あと、温度管理の試行錯誤を繰り返してます。チョコレートは温度が命ですけど、他の素材と組み合わせた時の適温を掴むのはもう、繰り返し試すしかないなと」

 説明に聞き入る様子からしても、これはかなりチョコのことを知っているなと宗太は思い、当たり前のことを聞いてみた。

「もしかして、チョコ…」
「大好きです!」

 三度のご飯よりチョコが好きと続けられて、それからしばらくチョコ談義に花が咲いた。



「え、あそこで修行されてたんですか?」
「ええ、3年半ほどいました」

 パリの有名菓子店にいた事を話せば、『僕、本店に行ったことあります』と言われ、少し驚いた。

 今時、子供でも海外には行くけれど、あそこはかなりの高級店で、値段もそれなりだから。

 しかも、坊やはその店のほとんどのチョコを食べ尽くしていて、商品名で話が通じてしまい、さらに打ち解けて話は弾んだ。


「あ、降ってきちゃった」

 曇天がついに雨天になった。

「わあ、ごめんね。引き止めちゃったから」

「いえ、こちらこそ長々とお邪魔してすみませんでした」

 話し込んでいる間、一人常連客がやってきて、贈答用だと言って買い物をしていった。

 その人物は、来栖家に出入りしている政治家の秘書だったが、その間、坊やは背中を向けて、チョコ以外の商品が並ぶ棚を眺めていた。

 買い物を済ませた秘書氏は、その華奢な背中をちらりと見て、ほんの少し、首を傾げて出て行ったが。


「あの、これ、数ありますか?」
「いくつご入り用ですか?」
「ええと…15個くらい」

 小さめだが、濃厚なので1つ食べれば相当満足できるものを、かなりの数を言われて宗太はまた少し驚いた。

 まさかひとりで食べるわけではないだろうけれど。
 しかも、1つ300円だ。

「はい、大丈夫です。すぐに包みますね」

 記念すべき、初めての『完売御礼』だ。

「お願いします」
「お家、どのあたり?」
「住んでるのは品川の方なんです」

 遠くはないが、わざわざ来てくれたとも思えない。

 まだ、宣伝や営業といった類のアクションを起こしていないし、試食をお願いしたのは、来栖家を始めとする高級住宅街のお得意様数軒だけだから。

 ただ、三度のご飯よりチョコが好き…と言う彼が、通りすがった…と言うのも偶然が過ぎるような気もするが。

 いずれにしても、またきて欲しいと、宗太は言葉にして彼に伝えた。

 雨の中、帰って行った坊やは、宗太の言葉に『またきます』と返してくれた通りに、それからたびたび現れるようになり、宗太は彼を可愛いがり、彼も宗太に懐いてくれた。

 一人っ子の宗太は、こんな弟が欲しかったなと思うようになっていった。



                    ☆★☆



 宗太の創作チョコ和菓子は、当初こそ苦戦したものの、口コミで評判がじわじわと広がり、まだ個数に制限はかけているものの、ほぼ連日売り切れるまでになってきた。

 これなら、作れる限界まで個数を増やしてもいけそうな気配だ

 それもこれも、あの坊やが来てくれてからのこと。

 彼は、おそらく『自分用』であろう分だけを買っていく日もあれば、初めて来た日のようにたくさん買っていく日もあった。


 そしてこの日も、坊やは来てくれた。

「最近、『職場で差し入れがあって、すごく美味しかったから』って訪ねてきてくれるお客さんが増えたんだ」

「わあ、良かったですね」

 当初、苦戦していると言う話を坊やにはしていたから、彼は、我がことのように喜んでくれた。

「一口食べたらもう、忘れられない味なんですよ」

「お、それって最高のほめ言葉!」

 嬉しくて、坊やの頭を思わず撫でてしまったが、彼はそれにもにこ…と、笑んでくれた。



 



 雪哉が初めてそれを食べたのは、10日に一度は行っている、来栖本家でのことだった。

「チョコ羊羹…」

 お父さんお母さんとは呼んでいるが、戸籍上は祖父母に当たる人たちと3人並んで、どうみても『羊羹』の出で立ちだが、オレンジの輪切りが乗っかっているそれを、ジッと見つめる。


「なんでもチョコレート職人さんの世界大会で優勝されたそうなんですよ」

「だからと言って羊羹にする事はなかろうに」

 2人のやり取りを聞きつつ、恐る恐る匂いを嗅いでいる雪哉も、『冒険心は大切だけどなあ』…と、懐疑的だ。

 だが、せっかく試して欲しいと持ってきたのだから、ここは腹を括って…と、口に運んだ。

「お…」
「まあ…」
「うわ、めっちゃ美味しい!」

 舌触りは紛れもなく滑らかな羊羹だが、遅れて口中に広がるのは華やかなオレンジの風味とほんのり残る洋酒の香り。

 それを包み込むカカオと小豆は、確かにどちらも主役なのだが、がっちりとタッグを組んでいる。

「伊達に世界一というわけではないと言うことだな」
「ですわね」

 雪哉も激しく頷いている。

「まだまだ新しいチョコ和菓子を試作しているって言うことだから、見に行ってくるわね。雪ちゃん、楽しみにしててね」

「はい!」

 嬉しそうな雪哉に相好を崩す2人の様子はもう、来栖家の日常の光景だ。

 そしてその後、雪哉自身が来栖家への行き帰りに店へ通うようになり、ロングフライトや出社スタンバイ時の差し入れに買っているうちに、クルーたちの評判になった。


『さすがゆっきーの推しチョコだけあって、超美味!』と、女性陣だけでなく、男性クルーとパイロットたちにも好評で、『強面、実はスイーツ男子』の浦沢機長はもちろんのこと、甘いものが苦手なうっしーまでもが『これならいける』と雪哉に店の場所を尋ねたくらいで。



                    ☆★☆



 ある日、来栖家から自宅へ帰る途中のこと。

 雪哉が店へいくと、見覚えのある後ろ姿と、知らない後ろ姿の2人組が店内にいた。

 そう言えば、初めて来たときには来栖家に出入りしている政治家の秘書が途中で入ってきたので、思わず背を向けて隠れてしまった。

 2度ほど挨拶をした程度だったのに、何故か秘書氏はすっかり雪哉を気に入ってしまったらしく、来る度に雪哉への土産をおいて行くので少し困っている。


 ――うわっ、やっぱり! 

 見送られて出てくる2人組のうち、ひとりは見覚えのある後ろ姿の通り、雪哉の天敵(?)、『広報部企画課のほのぼの系やり手課長』だった。

 なんでここに…と思った端から思いついた。
 もしかしたら、原因は自分かもしれないと。

 最近、クルーたちからも『お店に行ってみた』と言う話を聞くようになったし、遥花からも『あそこ、普通の和菓子も激ウマな名店って聞いたから、チョコ和菓子だけじゃなくてノーマル和菓子もいっぱい買って来ちゃったんだけど、マジウマだった』と、報告を受けたところだ。

 クルーから広報の耳に入っていたとすれば、ここで出会ってしまっては、また何がしかの陰謀に巻き込まれかねない。

 雪哉は慌てて建物の陰に隠れたが、幸いほのぼの系課長たちは反対の方向へと去っていった。

 それを見届けて店内に入れば、いつも笑顔で迎えてくれる宗太が、一層輝いた笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃーい!」

「こんにちは」

「聞いて聞いて! ジャスカのパリ便のファーストクラスに採用してもらえることになったんだ!」

「え、そうなんですか?」

 何かの商談が持ち込まれたのでは…とは思っていたが、予想以上の話だ。

「なんかね、パイロットさんがCAさんの差し入れにしてくれて、評判が立ったらしいんだ。ほら、前に言ってたじゃん? もらって食べたら美味しかったって来てくれる人増えたって。あれってもしかしてCAさんとかだったのかもな〜」

 立ち居振る舞いや言葉遣いが美しい人が多くて、どういう職業の人なのかなと、宗太は思っていたのだ。

「でさ、親父もやっと、人様の目にとめてもらえるようになったなって、褒めてくれてさ」

「わあっ、やりましたね!」

 ショーケース越しにハイタッチで、喜びあう。

 雪哉は、自分が力になれたのだと内心でも歓声をあげた。

 こんなに美味しいお菓子を作る人と知り合いになれて、しかもその新しいスタートを応援できたことは、この上なく嬉しい。


「昔からご贔屓にして下さってるお客様の息子さんがパイロットさんだって聞いてたんだけど、何度か贈答用のご注文をいただいて配達したことあったから、もしかしてその方かなと思って聞いたらさ、確かにそうだって」

 息子さんと聞いて、敬一郎と間違われているだろうことに、雪哉は気づいた。

 社員はみな、社外の人と話をするときには『弊社のパイロット』と言う。
 対外的には職位をつけないのが『普通』だ。

 みな一律に『パイロット』とか『操縦士』と言う括りで、必要な場合にだけ、『機長』『副操縦士』の区別をつける。

 その所為もあるのかないのかはわからないけれど、宗太が敬一郎の方だと思っているのは確かだ。

 だが、それは雪哉にとっては幸いな間違いだった。

 敬一郎の父、来栖慎一郎は著名な政治学者だが、この界隈で『来栖家』と言えば、誰もが知っている永く続く名家として知られていて、それはもう、当代が有名無名に関わらず厳然とした事実なのだ。

 雪哉は、敬一郎の籍に入ったときにはまだ、来栖本家がどれほどの家なのか理解できていなかった。

 そもそも『家庭』と言うものを知らないまま成長し、『名家』と言うものがあることを知ったのは、高校に入ってからだ。

『そう言う家』に生まれ育った同級生たちの様々な話を耳にして、大変だなあとは思っていたが、自分にはまるっきり無縁の話だった。
 
 これまでもこれからも。

 そしてその考えは来栖姓になった時にも変わらなくて、自分は敬一郎の籍に入っただけなのだから、表に出ることなくひっそりとしていればそれでやり過ごせると思っていたし、親孝行は精一杯したいけれど、『家』に関わることはないし、しないともと決めていた。

 この店で秘書氏に遭遇したときに思わず背中を向けて隠れてしまったのも、『お父さん』の仕事関係の人に関わってはいけないと自分で自分の意識に刷り込んでいるからだ。

 だから、気にかけて欲しくないのに。

 自分の名前は『来栖』だけれど、『来栖家』の人間ではない。

 100年近い付き合いだというこの店でも未だに『来栖です』と言えないでいるのは、それ故…だ。


「ね」

 声を掛けられて、雪哉はつい沈んでしまった物思いから浮上した。

「あ、はい!」

「羽田発のパリ便って、1日1便で、ファーストクラスは満席でも8つって聞いてさ、一応一ヶ月間の期間限定ってことで、それなら店の方やりながらでもなんとかなるなって思ったんだけど、ファーストクラスって連日満席とかあるのかなあ」

 宗太はエコノミークラスにしか乗ったことがないから、庶民には無縁の空間だということくらいしか知らないから、様子もよくわからない。

 雪哉も機材としての仕様は当然わかっているし、サービスの内容も把握はしているが、ファーストクラスは未経験ゾーンだ。 

 ちなみにビジネスクラスも自社便では未経験だが。

「パリ便は満席でない方が珍しいと思いますよ」

 雪哉がパリ便に乗務するのはだいたい3〜4ヶ月に1度だが、仲の良いキャビンクルーは大概毎日誰かが乗務しているし、香平からもパリ便のファーストクラスはいつでもほぼ満席だから忙しいと聞いている。


「え。そうなんだ? あ、そう言えばフランス行ったことあるよね」

 修行していた高級チョコレート店の話で盛り上がったのはつい数ヶ月前の話だ。

「あ、はい」
「もしかして、ファーストクラスに乗ったこと…」

 あの店のチョコを食べ尽くしているくらいだから、もしかしたらとんでもないお家のお坊ちゃまで、旅行は当然ファーストクラス…なんて、宗太は妄想してしまったのだが。

「そんな〜、滅相もないです。一度も座ったことないですよ」

 あははと笑う姿は本当に『まさか』と言う感がありありだ。

「じゃあ、もしかして飛行機好き?」
「はい! チョコと飛行機は大好きです!」

 紛れもない真実だ。
 好きなものを3つ挙げろと言われれば、『飛行機とチョコと卵』になる。

 そう言ったら、敬一郎が『俺は? 入ってないのか?』と真顔で聞いてきて、隣で信隆が笑いすぎて呼吸困難を起こしたことがあったけれど。


「あ、じゃあ、ファーストクラスのチョコ和菓子は飛行機型にしちゃおうかなあ」

「え〜、それ、ちょっとファーストクラスの感じじゃない気が…」

 チャイルドミールなら大歓迎だろうけれど。

「だよなあ」

 やりとりに声を上げて笑いあったところで、新しいチョコ和菓子が出てきた。

「えと、新作にかかっててさ、落雁を芯にしてトリュフ作ってみたんだけど」

「わああ、美味しそう〜」

「試してみてくれない」

「やった〜!」

 店に出すにはまだまだ改良が必要だけれど、自分の独り善がりな方向性へ走らないようにするためにも、宗太にとって雪哉の意見はいまや貴重なものになっている。

「どう?」

「ん〜、チョコと落雁の食感がもう少し違っても…」

「あ、やっぱり? なんか似たり寄ったりの口当たりになっちゃってるなあって思ってはいたんだけど」

「チョコのしなやかさと落雁のほろほろ感がそれぞれ際立ってもいいかなって気がします」

「なるほど、とろんと溶けたチョコの下からほろっと落雁が崩れるって感じだな」

「そうそう、それ美味しそうです!」

「OK、やってみるよ」

 今日もチョコ談義は尽きそうにない。


 

 

「ただいま〜」
「おう。ご苦労さん」

 宗太が配達を終えて帰ってきた。

「来栖先生んとこに配達行ってきたんだけどさ、差し入れに使ってくれてたのは息子さんじゃなくて、お孫さんなんだって」

 例の『ファーストクラス採用』の話を伝え、礼を言うと、奥様から返ってきたのは『それ、孫の方なのよ』という、意外な言葉だった。


「お孫さんだぁ? まだ子供なんじゃねえのか?」

「それが、お孫さんもパイロットなんだって」

「あ〜、ご養子さんだから、それもアリか。で、その方が差し入れに使ってくれてたってか?」

「だって」

 どんな人なのだろうと、宗太は思う。

 試作のチョコ羊羹を気に入ってくれて、その後、他のチョコ和菓子も含めて何度か注文をいただいて配達した。

 贈答用も幾度かあったから、きっと差し入れに使ってもらった分ではないかと思っている。

 それほどまでに気に入ってくれたのなら、1度でいいから直接感想を聞いてみたい。

 そう思ったとき、ふと、あの可愛い坊やが脳裏に浮かんだ。

 あの坊やも、差し入れだとは一言も言っていないが、同じものをまとめて買っていくし、ひとりで食べられる数ではないので、シェアしているには違いないはずだ。

 どんな人たちと食べているのだろうか。

「なあ、宗太」

「なに?」

「ほら、最近1番のご贔屓さんのあの可愛い坊やだけどさ、住んでんのどこって言ってたっけ」

「品川の方って言ってたけど?」

「…そうか、じゃあやっぱり違うな」

「なに?」

「や、もしかしてあの坊やが来栖先生んちのお孫さんじゃねえかなあって」

「え〜。パイロットだぜ? 坊やはどう多めに見ても、ハタチ未満じゃん」

 パイロットと聞く前で、まだ勝手に『子供』だと憶測していたときならともかく。

「まあ、確かにな…」

 だいたいあの坊やが来栖家の孫なら、そうと言ってくれるはずだから。

 とにかく、『来栖家の孫』には、直接会ってちゃんとお礼が言いたいと、宗太は思っていた。 





 宗太はジャスカの本社に出向いていた。 

 専門的な部署でファーストクラス搭載の細かな打ち合わせをするためだ。

 この後には、ファーストクラスのミールを試食して、全体的なバランスを確認することになっている。

 航空機に生菓子を載せるのは、思っていた以上にたくさんの制約やハードルがあって驚いたが、ジャスカ側も宗太の『譲れない部分』をきちんと汲み取ってくれて、話し合いは前向きに進んでいた。


「そうそう、新作に取りかかられていらっしゃるとか」

 担当者氏からそう言われ、宗太は目を見開いた。

『新作』の話をしているのは、家族とご近所のお得意様数軒と『あの可愛い坊や』だけだからだ。

 坊やとは未だにお互いの名前を知らないが、店にいれば会えるし、一度だけさりげなく話を持って行こうとしたが、さらっと他の話に流れてしまい、それ以上お客様のことを根掘り葉掘り聞き出すわけにもいかず、そのままだ。

 どうして新作のことを知っているのかを問おうとしたのだが、その前に担当者氏は話を継いだ。

「実は1便限りのバレンタインフライトというのを企画していまして、そのフライトのサプライズに新作をご提供いただけないかと」

「えっ」

「もちろんフライト後にはお店に出していただけますし、フライトは新作をご宣伝いただける機会にもなろうかと考えます。弊社といたしましても、ファーストクラス搭載の前宣伝にもなりますので、前向きにお考えいただけませんでしょうか」

 さらに嬉しい申し出を受けて、取りあえず出所の詮索はさて置いて、その内容を尋ねた。

「それは、もう、大変ありがたいお話ですが。…あの、そのバレンタインフライトというのは、どういうことをされるのでしょうか?」

 一般的な男子の傾向として、宗太も乗り物としての飛行機は好きだが、内情にはあまり詳しくはない。

 どちらかと言うと、乗るよりも離着陸を見ている方が楽しい。


「バレンタインのサービスというのは毎年行っているのですが、ゲートでチョコレートをお配りするとか、機内のドリンクサービスにチョコレートをおつけする…と言った程度のことだったんです。ですが、今年は少し充実させまして、フライトそのものを企画にしてしまおうということになりました」

「と、言いますと」

「老若男女、恋人、夫婦、親子、友人など、関係を問わず、大切な方と乗っていただいて、プレゼントを交換しあったり、特別なお食事とデザートを楽しんでいただいて、思い出話をしていただいたり…などと、色々イベントを考えております。到着地での2泊3日のツアーを併せたパッケージ旅行の貸し切りフライトになりますので、お客様も企画フライトとして募集させていただきます」

「つまり、そのために乗る…ということでしょうか」

「おっしゃるとおりです。ですので、畑野さんにもぜひご搭乗いただきまして、機内でお話をいただければと思うのですが」

 提供するだけでなく、企画そのものにがっつりと組むと言う話に、宗太は驚きつつも楽しそうだと感じていた。

 厨房に籠もって作り続けるだけでなく、食べてくれる人と積極的に関わっていきたいし、チョコレートや和菓子の魅力を発信し続けたいと常々思っていたから。

 ただ…。

「私が、話を、ですか?」

「はい。今までのご経験や創作チョコ和菓子への想いなど、ご自由に熱く語っていただけるとありがたいです」

「あ〜、人様の前でお話しするのは苦手なんですが」

 コミュニケーション能力は低くないと思っているが、不特定多数の前で話すことは、経験もないから想像がつかないし、上手にできるとは思えない。


「いやいや、チョコレートを語る畑野さんは熱くてお話も楽しいと申しておりましたよ?」

「え? あの、どなたが…」

「先日お店にお邪魔させていただきました広報と企画や、まあ、あとはその…」

 ごにょごにょと誤魔化した風の語尾にツッコミを入れようかと思ったところで、突然話が変わった。


「ところで、弊社パイロットの来栖のことはご存じと伺っておりますが」

「あ、もちろんです。来栖様には創業当時からずっとご贔屓にしていただいています。ジャスカさんにお声がけいただきましたのも、来栖様のお孫さんが職場で差し入れして下さったのがきっかけだと伺いました。ただ、残念ながら直接お目に掛かったことはないんです」

 そうなのだ。宗太は未だに会えずにいる。

『偶然ばったり』を狙って、生和菓子だけの時にも来栖家への配達は全部自分が行っているのだけれど。


「ああ、そうでしたね」
「は?」

 またしても意味不明な言葉に思えたが、続く担当者氏の言葉は宗太を驚かせた。

「実は来栖も今回は企画に参加しておりまして、乗務もいたします」

「えっ、そうなんですか?」

「はい。何しろ彼は社内きっての無類のチョコ好きでして、バレンタインともなりますと、彼専用の受付箱が登場するくらいなんですよ」

「それは、凄いですね」

 パイロットなんて、ただでさえモテるだろうにと、単純に男子として羨ましい。

「ええ、とにかく弊社のクルーの中でもダントツの人気者で、羽田以外の勤務地でも、社長のフルネームはうろ覚えでも彼のフルネームはバッチリ言えるという社員がいる始末です」

 あははと笑う担当者氏だが、一緒に笑っていいものか、ちょっと迷う。

 だが、ここで宗太はもしかして…と思った。

 父親には『まさか』と言ったけれど、『無類のチョコ好き』な『来栖家の孫』とは、やっぱりあの坊やなのではないだろうかと。

 そうなれば、すべてが繋がる。
『新作』を知っているのも、『飛行機大好き』も。


「あの、おいくつくらいの方なんでしょうか?」

 パイロットになれる年齢がいくつなのかはよく知らないが、仮に二十歳を幾つか過ぎたくらいなら、あり得る話だと思った。

 だが。

「確か次の誕生日で31歳だったかと思います」

 返ってきた言葉に、やっぱり違ったかと、内心で肩を落とす。

「あ〜、私、同い年です」

 まさかあの可愛い坊やが自分と同じ30歳だなんて、あり得ないにもほどがある。

「あ、そうでしたか。…いや、ただ彼は…」

「何か?」

「いえ、フライトから帰着いたしましたら、来栖からもご挨拶させていただきますので、その時にでも…」

 どうやら笑いを堪えているようなのだが、何がツボったのかわからない。

 年齢だろうか。それとも…。 


 その後、バレンタインフライトの打ち合わせもあり、宗太は忙しい毎日を送った。

 だが。 

 サプライズ提供の『落雁トリュフ』も納得のいくものができたから、試して欲しいし、バレンタインフライトの報告もしたかったのに、坊やが突然現れなくなった。

 今まで10日に一度――長くても2週間に一度は来てくれたのに、もう2ヶ月ほど顔を見ていない。

 このまま会えなくなってしまったらどうしようと、宗太は堪らなく不安になった。

 こんなことなら、名前だけでもちゃんと聞いておけばよかったと激しく後悔したが、まさに後の祭り…だった。


 



 バレンタインフライトの日がやってきた。

 少し雲が分厚いが、フライトには影響のない程度で、関わってきたスタッフたちを安心させた。

 ここまで頑張ってきて、飛べない…なんて悲しすぎる。
 ただ、万が一の荒天に備えた準備も抜かりはないが。

 フライトは幸いなことに、発売当日にソールドアウトになる好調ぶりで、『いつの間にか姿を消していた若きカリスマショコラティエ』が、実家の和菓子店で新たなるチャレンジを始めていたことを知ったファンや関係者からも注目された。


「国内線は久しぶりだから、ちょっと緊張かも」

「香平が?」

「短時間のフライトって時間に余裕がなくって」

「あー、まあそうかも。特に今日は離陸で揺れそうだから、オーパイに入るまで時間掛かるかもだし、そうなるとサービスの時間、削られちゃうよね」


 出来るだけ早く機体を安定させてオートパイロットに切り替えることは、どのパイロットも心掛けているし、腕の見せ所でもあるのだが、焦りは禁物だ。


「そう、そこなんだ。特にイベントフライトの時はやらなきゃいけないこと一杯あるから」

 今日のバレンタインフライトは、香平がチーフパーサーだ。

 普段は国際線を飛んでいて、国内線を飛ぶのは出社スタンバイ起用で国内線人員が足らなくなった時くらいしかないが、それは滅多にない。

 だが、イベントフライトでは結構な確率で引っ張り出される。

 それもこれも、香平はすでに『看板チーフパーサー』だから…だ。

 以前の信隆と同じ立ち位置だが、相変わらず本人にその自覚はない。

 自宅から一緒に出勤する道すがら、香平は本日の手順を頭の中でおさらいしている。

 雪哉は機内アナウンスを担当する以外は、いつもとやることは一緒なので、イベントフライトだからといって特に確認事項はない。

 安全快適に、定刻に飛び、定刻に降りるだけだ。

 だが、キャビンクルーたちはそうはいかない。

 普段はやらないサービスもあるし、イベントは詰め込まれているから、シミュレーションは何度も念入りにやったと聞いている。

 今日のクルーたちは普段のチーム編成を越えて、男女半々の混成で特別チームが組まれたのだが、日々あちらこちらを飛んでいるので、事前に全員が集まれることはないから、そのあたりのとりまとめもチーフパーサーの腕にかかっていると言っていいだろう。

 その点で香平は『個』の能力が高いだけでなく、統率力にも優れていて――やはり本人に自覚はなく、天然でやってのけているようだが――だからこそ、『看板チーフパーサー』だからと言うだけでなく、特別なフライトの時には声が掛かるのだと、雪哉は先輩たちから聞いている。


「そうそう、一昨日、お菓子の試食させてもらったんだ」 

「えっ、マジで?!」

「うん、ツアー内容に告知してる生菓子2つとサプライズの『落雁トリュフ』も。めっちゃ美味しかったよ」

「えーっ、香平ずるい! 僕まだ食べてないのに〜!」

 あのあと『落雁トリュフ』がどう進化したのか、ものすごく気になっていたのだ。


「ごめんごめん。雪哉、しばらく大変だったもんね」

 笑いながら『よしよし』と頭を撫でてくる香平に、雪哉はいつもより盛大にぷうっと膨れてみせる。

 チョコの恨みはオソロシイのだ。

「そうだよ〜。一生懸命頑張ってたのに〜」

 雪哉は乗務満5年を迎えて、年に1度の定期訓練と審査を受けていた。
 例年1週間程度の日程だが、5年ごとの訓練と審査はさらに厳しく、2週間もあって、それを無事クリアした後の2週間は、羽田を離れて関西空港から飛んでいたのだ。

 さらにその後には長期休暇もあって、ここ暫く宗太の店に行くことができなくて、悶々としていたのだ。

 だが、今日はやっと食べられる――当然オートパイロット中のおやつにリクエストしている――し、企画から関わって『新作』をリークした以上は、腹を括って『来栖雪哉』として挨拶しようと思っている。

 年の頃も『雪ちゃんと同じくらいのはずよ』とお母さんから聞いているし、きちんと話をして、黙っていたことを詫びて、できることならばちゃんと友達になりたい。

 ともかく、このバレンタインフライトを成功させるために、出来るだけサービス時間を削らなくてすむように、安全かつ速やかに運航することを心掛けねば…と、雪哉は気持ちを引き締めた。


                     ☆★☆


 バレンタインフライトは、777の中でも最も座席数の少ない機材で運航された。

 できるだけゆとりをもったツアーにしたいからだ。
 その分、お値段は割高だが。

 雪哉が香平に語った通り、雲は分厚く、巡航に入るまで相当揺れたが、機長もまた、出来るだけサービス時間を確保するために、安全を確保した上で『揺れるけれど最も短時間で雲を突っ切るルート』を選び、キャビン・ブリーフィングで香平たちクルーにも伝えられていたから、混乱なく極めて順調にオートパイロットに入り、ベルトサインが消えた。

 最初のイベントは、ウエルカムサービスとして『まずは美味しいチョコ和菓子でホッと一息』…ということで、一つ目のチョコ和菓子がほうじ茶と共に供されることになっている。


 香平たちが準備を整えた頃、機内アナウンスが始まった。

『ジャパン・スカイウェイズ沖縄行きにご搭乗のみなさま、こんにちは』

 めったに着ない一張羅のスーツ姿で最前列の1Gに座っていた宗太は、ハッと顔を上げた。


『本日は、バレンタインフライト214便にご参加いただきまして、ありがとうございます』

 マイクを通していても、この声にはとてもとても聞き覚えがある。

 いつもよりちょっとよそ行きの声だけれど、あの可愛い坊やの可愛い声だ。


『操縦室より、副操縦士の来栖がご案内申し上げます』


 やっぱりあの坊やが来栖先生んちの孫だったのだと、思わず顔が綻んだ。

 ――や、待てよ…。…おい…あれが30かよ〜!!!

 一転して宗太は『ムンクの叫び』状態だ。
 絶対に免許証で確認しないと気が済まない。

 そしてやっとわかった。
 打ち合わせの時に、年齢の話で担当者氏が笑いを堪えていたわけが。

 宗太がそんなことや、今までのことをあれこれと思い出している間に、雪哉のアナウンスは『現在高度』や『速度』『到着時間』『到着地の天候』などの基本情報を告げた後、バレンタインフライトの概要に少し触れ、最後に『1番大切なこと』で締めくくった。


『ショコラティエにして和菓子の名手でもある畑野宗太さんには後ほどお話をいただきますが、まずはジャパン・スカイウェイズのクルーが惚れ込んだ創作チョコレート和菓子の逸品を、空の旅と共に大切な方とごゆっくりお楽しみ下さい』

 静かにアナウンスを聞いていた宗太は、その言葉の端々に雪哉の『チョコ愛』を再確認し、イベントフライトと言うビッグなチャンスまで与えてくれたことへの感謝で胸を一杯にした。

 そしてその想いは、フライト後半での宗太の『プチ講演会』を熱いものにして参加者たちを喜ばせ、那覇着陸までにすべてのイベントをつつがなく終えて、バレンタインフライトは大成功となった。


                     ☆★☆


 那覇で参加者たちを降ろしたシップは、復路は通常フライトになり、クルーたちは宗太やジャスカの関係者とともに羽田に帰着した。

 デブリーフィングを終えた雪哉は、ミーティングルームで待つ宗太の元へと向かった。

 機長は出発前にすでに宗太と挨拶を交わしていて、その時に雪哉が同行しなかったのは、雪哉サイドの事情を知るスタッフたちからの宗太に対する『ちょっとしたサプライズ』だ。


「失礼します」

 軽いノックの後に部屋に入った雪哉を待ち受けていたのは、いきなりの賞賛の声だった。

「うわっ、すっげえかっこいい!」
「えっ?!」

 今まで自分に向けられて発せられた事のない言葉に、思わず雪哉は辺りを見回した。

「制服姿、めっちゃかっこいいよ〜」

 面と向かって言われ、しかもこの部屋には自分と宗太しかいないことに、雪哉はもう一度首をひねる。

「ええと、あの、誰が…」
「え? ここには俺たちしかいないけど」
「まさかと思うんですけど、僕…?」
「あはは、他に誰がいるの」
「うわああああ」

 突然歓喜の声を上げた雪哉に宗太は慌てた。

「えっ、何っ、どうしたの?!」

「パイロットになって5年とちょっと…初めて制服姿がかっこいいって言ってもらえた〜!」

 思わず両手ガッツポーズで感涙にむせぶ雪哉に、宗太は驚きを隠せない。

「はい? マジで? だってめっちゃかっこいいじゃん」

「でも、みんなからずっと、似合わないとかコスプレとか言われ続けてて…」

 しかも今日は『まだマシ』と言われるシャツ姿ではなくて、ちゃんとダブルの上着を着ているのだ!

「…コスプレ」

 確かにそれも言えてるな…と、宗太はちらりと思ったが、それを今、口にするのはさすがにマズいだろうことも当然わかっている。


「いやいや、みんながどう言おうと、最高にかっこいいし」

「うう…嬉しすぎです…」

「や、こちらこそ、本当にたくさんお世話になって嬉しすぎです。ありがとうございます」

 きちんと頭を下げる宗太に、雪哉は『とんでもないです』と返した。

「僕の方こそ、いっぱい美味しい思いさせてもらって、本当にありがとうございます。それに、ファーストクラスのことも今日のことも…」

「いやいやいや、そのお礼を言うのはこっちだから」

「や、でも」

 2人で言い募って、思わず笑いが漏れた。

 そして。

「ね、同い年なんだからさ、タメ口でいこうよ。ってか、雪ちゃんって呼んでいい? 来栖の奥様がこの前『うちの雪ちゃんがね』っておっしゃったんだ。お得意様なのに失礼かもだけど、俺、できたら友達になりたいし…」

 失礼だなんてとんでもないと、雪哉は慌てて首を振り、そして神妙に告げる。


「僕の方こそ友達にして下さいってお願いしたいんだけど、その前にごめんなさいが言いたくて」

「え、なんで?」

「黙ってたこと」

「ああ、それね」

 宗太としては、今となってはもうどうでもいいことだが、どうやら訳ありのようだし、今後の為にも取りあえず聞いておいた方がいいのかな…と、口を開いた。

「えとさ、なんで教えてくれなかったの?」

「んと、養子って聞いてるでしょ?」

「うん。分家からとかって」

 そうなのだ。何故か『分家の子』と言う誤った認識が横行していて、雪哉はそのことも気に病んでいる。


「それ、違うんだ」
「あれ、そうなんだ?」

 ご近所さんもそう言っているし、第一来栖家の奥様も訂正しないから、宗太はてっきりそうだと思いこんでいた。


「元々僕は来栖家とは縁もゆかりもなくて、ただ、ここで出会って…」

 誰と…とは、聞かなくても『ここ』と言う言葉で宗太にはわかった。

「えっと、職場で跡取り息子さんと出会って、養子に…ってことかな」
「うん」

 こくんと頷く姿は、確かにパイロットの制服がコスプレに見えるほど可愛いが、その、頼りなげな表情は宗太の胸に重く落ちてきた。

 そして、2人はきっと、2人の意志で『そう』なって、来栖と言う大きな家は後からついてきたんじゃないかな…と、なんとなく思った。

「あ…、ってことは、もしかして跡継ぎさん…じゃないのかな、雪ちゃんは」

 分家から養子をもらう…つまりそれは『跡継ぎ』に入ったということて、いずれ『孫』が結婚して来栖家を繋いで行くのだと、周囲は漠然と――つまり勝手に――思い込んでいた。


「うん。全然違う…」

 雪哉は力なく首を振り、弱々しい声で、どうにか言葉を継いだ。

「…だから、僕は、名前は来栖なんだけど、でも本当の来栖じゃなくて…、だから、家の大切なこととは全然関係ないし…でも、来栖って言っちゃうと周りが……」

 なんとか上手に説明しようと思ったのだが、雪哉は『冷静に組み立てる』ことができなくなった。

 コックピットにいるときには、どんな状況でも『先』を見失うことはないのに。

 だがそれは、つい先日に『分家筆頭』の当主から聞かされた言葉の所為もある。

 それは、少しずつ人選が進んでいるらしき『来栖家の将来の継嗣選び』のことだった。


『慎一郎さんと敬一郎くんはね、雪哉くんに選ばせようと考えているみたいだよ』

 来栖家の跡取りのことなんて、自分は完全に『部外者』のはずなのに、どうしてそんなことに…と、愕然となったのだが、それを『お父さん』や敬一郎に直接尋ねる勇気はまだない。

 そう、絶対に『家』に関わってはいけないのだから。

 けれど、自分の思いとは違う方向へ物事が動き始めているのを知って、雪哉は今、自分のあるべき立場を見失いかけているのだ。

 将来、万が一不運にも自分が最後に残されることになったときには、来栖家を出た方がいいかもしれないと思い詰めるほどに。

 宗太は雪哉の言葉を黙って聞いていたが、言葉が継げなくなった雪哉の肩をぎゅっと抱いて、静かに言った。


「『雪ちゃんをこの家へ迎えられたのは、今までがんばって生きてきたことへの神様からのご褒美かもしれないわねって、主人とも話してるの』」


 それは明らかに宗太の言葉ではなくて、雪哉は驚いて、宗太を見上げた。

「…って、来栖の奥様がおっしゃってたんだ」

「え…」

「バレンタインフライトの話をさせていただいたときに、帰ってきたらお孫さんにもご挨拶させていただけることになっています…って言ったらさ、そんな話になって、これからも仲良くしてやってねって」

 これから『も』…と言う言葉に、宗太は盛大に引っかかっていたのだが、謎は解けた。


「ま、あのお家は確かに重いだろうけどさ、そこに愛があるならいいんじゃないの?」

 そうは言われたが、愛がたくさんあるのはわかっている。

 敬一郎はもちろんだが、お父さんもお母さんも、本当に惜しみなく愛を注いでくれている。

 だからと言って…と、雪哉の思考はいつもここで堂々巡りになってしまうのだ。

 けれど宗太は、明るい声で言葉を継いだ。

「来栖先生も奥様も、家のことなんて関係なしに雪ちゃんが愛おしいんだよ。ってか、お2人ともきっと、否応なしにお家を守る役目を背負わされてる部分があるかもだからさ、ある意味雪ちゃんの存在は救いなんじゃないかな」

 宗太に言われて、雪哉は目を見開いた。

 そんな風に考えたことなど一度もなかったし、すぐに『そうかも』と思えるわけでもないが、自分の思考とはまったく逆の考え方は、暗くなっていた視野をほんのりと照らしてくれた。


「…ええと、違ってたらゴメンだけど…、その、さ、養子ってのは、好きで一緒になったってことだろ?」

 それまでの雪哉の背景はまったくわからないけれど、社会へ出てから出会って…と言うのなら、そうではないのかな…と、宗太は想像したのだ。

 そしてもちろん…。

「…う。」

 違わない。言われたとおりだ。

 言葉に詰まって少し頬を染めた雪哉を見て、宗太は声を上げて笑った。

「あはは、好きな人んところに嫁いで来たんだから、雪ちゃんも腹括れよ」

「とっ…!?」

『ラブラブ親子』とか『親ばか&ファザコン』とか『愛の密室コックピット』とか色々と言われてきたが、『嫁いだ』と言われたのは初めてだ。


「来栖のお家に、好きな人と一緒に骨埋めりゃいいじゃん。あんだけ分家や一族がいりゃあさ、お家なんて雪ちゃんの意思に関係なく、どうとでも続いて行くって」

 そう、長く続く家というのは、その分だけ様々な人生を飲み込んでいるのだ。

 宗太は、自分が部外者だからこそ達観したようなことを無責任に言えるのだと自覚はしているが、雪哉の視野が少しでも広がって、そこからまた色々な景色を見て考えてくれればと願った。

 かつて自分も、遠い異国の地で悩んだ時や修行の最中に行き詰まった時には、先輩や友達のさり気ない言葉に救われたことが何度もあったから。

「畑野さん…」
「あ、宗太って呼んで?」

「宗太くん…」
「くん、いらないってば」

「…宗太…」
「はいよ、なあに?」

「…ありがと…」
「ふふっ、どういたしまして」

 あまりの可愛らしさに頭を撫で撫でしてしまったが、どうやら『頭撫で撫で』も慣れているようだなと宗太は内心で笑った。


「あ、さっきCAさんから、パパさんはジャスカきっての超イケメン機長さんだって聞いたんだ。今度紹介してな? ご贔屓にしていただいてるお礼も言いたいしさ」

 小さい頃から『謎の若様』だった人の正体を是非拝んでみたい。
 しかも、こんな可愛いくて良い子をもらっちゃったりして羨ましいったらないし。

「じゃあ、今度一緒に行くね」

 雪哉は笑顔でそう言ったが、実は敬一郎、雪哉が足繁く通っていると知って密かに偵察に行っていたのだが、そのことをもちろん雪哉は知らない。
 
「ってさ、しばらく来なかったけどどうしたの? 心配になってたんだけど」

「ええと、しばらく関空に行ってたりしてて」

「関空? 大阪じゃん」

「うん。関空ベースのパイロットがインフルエンザで壊滅状態になっちゃって、応援に行ってたんだ」

 会社的にはまさかの『関空パンデミック』と言う状況になり、羽田や福岡から交代で応援に駆けつけたのだが、雪哉が行った2週間の前には敬一郎が1週間出向いていたからすっかりすれ違いになった上に、帰ってきたら『万一感染していると困るので』と、5日間の自宅待機を指示され、その間に敬一郎はサンフランシスコに飛んで…と、どうしようもない状態で、やっと長期休暇に入ってからは、イチャイチャするのに忙しかったのだ。


「えっ、パイロットって、予防接種しないんだ?」

「ううん、みんなしてるんだけどね。たまにあるんだ、どうしようもなく流行っちゃうことって」

 予防接種のおかげで重症化はしないものの、ひとり強力な感染者が出てしまうと、密室業務のパイロットはヤバいのだ。

 関空の機長たちは『コ・パイのゆっきー』がやって来たと、ウハウハだったのだが。

「そっか、そりゃ大変だったよな」
「うん。僕もチョコ切れで暴れそうだった」

 もちろん他の美味しいチョコ――特に関西限定品――も食べてはいたが、今や雪哉の身体は宗太のチョコ和菓子を定期的に補給しなくてはいけなくなりつつある。

「よっしゃ、これからもじゃんじゃん試食してもらうから、よろしくな」
「わーい、やったー!」
「って、雪ちゃんやっぱり可愛いなあ」


 美味しいチョコとの出会いは、それだけでなく、宗太と言う大切な友人と『お父さん・お母さん』の想いをも、もたらせてくれた。


 …というわけで、一件落着と相成った…ようだったのだが。


「あのさ、俺さ、…実は今日、CAさんに一目惚れしちゃったんだけど」

 コホンとひとつ咳払いをして、おずおずと言い出した宗太に、雪哉は目を輝かせた。

「え、誰? 名札ちゃんと確認した?」

 今日乗っていた女性クルーは全員独身だったから、取り持っちゃおうかなとワクワクしたのだが。

「えとさ、驚かねえ?」

 ちょっと泳いだ視線に、イヤな予感が雪哉の脳裏をよぎった。

「…あー、驚きはしないと思うんだけど…」

「あのさ、ほら、チーフパーサーの人。中原さんって」

 予感が的中して、雪哉は頭を抱えた。
 こういう予感は何故か当たってしまうのだ。

「乗る前に、わざわざ控え室まで挨拶に来てくれてさ、話とかしたんだけど、彼も俺と同じ頃にパリに住んでたって話しとか、久しぶりにフランス語で話したりして盛り上がっちゃってさ。 いや、もー、めっちゃ可愛いし、なんて言うか、ほら、ほんのりしてるってか、癒し系っての?」

 言いたいことはよくわかる。
 よくわかるが…。

「あのね、彼なんだけど…」
「うん」

「彼には実は秘密が…」

「え、なに? 指輪してなかったから独身だと思い込んでたんだけど…」

「や、それもそうなんだけど、それ以上にっていうか、その〜」

「あ〜、やっぱり男って圏外だよなあ…」   

 ふつーはそうだよな…と言って萎れる宗太に、雪哉は慌てて言葉を継いだ。

「あ、そう言う話じゃなくて、ええと、彼にはその、ルシファーが憑いてて…」

「ルシファー? なにそれ」

 ゲームのキャラにいたような気がしたが。

「えっとね、…魔王」

 そう、ルシファーとは、サタンの『天使時代』の名前だ。

「はい〜?」

「別名サタンとも言うんだけど、取りあえず、彼にちょっかいかけて無事だった人はいないっていう伝説がジャスカにはあって…」

 さすがにクルーたちとオペセンの周辺ではもう、そんな命知らずは撲滅したが、未だにグランドハンドリング辺りには犠牲者が出ている状況だ。

「なに、それってマジな憑き物? それともヤバい人?」

「ええと、生きてる人」

「おいっ、生霊かよ! それ、お祓いとかしなきゃ…」

「ち、違う違う! 生身の人間!」

 慌てて言葉を遮った雪哉に、宗太は深刻に眉を寄せた。

「それって中原さんは大丈夫なわけ? ストーカーとか脅されてるとかじゃないだろうな?」

 両想いでなければ、あの束縛っぷりは確実にストーカーレベルだが。

「あー、いや、そうじゃなくて、そのー、ぶっちゃけ、ぞっこん?」

 もともと他からの秋波にはどうしようもなく鈍感な香平だが、結ばれてからはもう、一途なまでの『信隆さん大好き』がだだ漏れだ。
 本人は相変わらず隠せているつもりのようだが。

「…なんだ、やっぱり決まった相手いるんだ」

 がっくり肩を落とす宗太に、雪哉は同情たっぷりに応えるしかない。

「えと、そう言うことで」
「んじゃ、しょうがないな〜」 

 案外あっさり諦められたのは、それが本日の一目惚れだったからだろう。
 そう、傷は浅い方が治りやすいのだ。

「でもさ、ジャスカの男性乗務員さんってレベル高いよなあ」
「うん、そう思う」

 もちろんそれは男性だけではない。
 クルーたちは皆、超一流の職業人だと、雪哉は誰にでも胸を張って言えると思っている。

「なんつったって、てっぺんがアレだもんなあ」
「え?」

「ファーストクラスで採用って話もらった時にさ、客室乗務員で一番偉い都築さんって人と話させてもらったんだけど、顔もスタイルも『奇跡の造形美』だし、物腰はすっげえ優雅だし、頭良いし。マジ、神降臨かと思ったよ。雪ちゃんも知ってる? 都築さん」

「あ、うん、もちろん。一緒にフライトしてるし、いつも可愛がってもらってて…」

「だろーなー。めっちゃ優しそうだし」

「…だね。うん、めっちゃ、優しい」

 確かに優しい。
 雪哉には特に優しい。
 職務以外ではいつも本当に、誰にでもとても優しい。

「さぞかしモテるんだろうなあ」

「…結婚、してるよ?」

「あ、うん、指輪してたよな。でもさ、あんな『神』みたいな人の嫁さんって、大変だよな。モテる旦那の心配もしなきゃだし」

「…あ〜」

 まさかその『神』の正体が実は『彼に憑いてる魔王』ですとは、口が裂けても言えないなと思った雪哉であったが…。


「ってか、俺、中原さんとメアド交換しちゃったよ。また、パリで働いてた頃の話とかしたいねって」

『もしかして、俺、呪われ…や、ボコられる?』…と、不安げに尋ねられ、雪哉はぱたぱたと手を振った。

「や、ヨコシマな気持ちがなかったら大丈夫。魔王には僕からも話つけておくから」

 雪哉も、香平と宗太の『パリ時代』の話は、是非聞いてみたい。

「え、魔王、知り合いなんだ?」

「ま、大先輩だし」

「もしかして、パイロット?」

「…じゃなくて、ええと、その…」

「………」

 宗太はジッと雪哉の言葉を待っている。

「神降臨?」

 ちょこんと小首を傾げて言った雪哉の可愛らしさに一瞬気を取られたが。

「………え〜っ!!!」

「というわけで、ファーストクラス搭載の件も、お世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします」

 ペコリと頭を下げる雪哉の前で、宗太の魂は抜けていったのであった。


 
END
 


2017バレンタイン企画、お召し上がりありがとうございました。

皆様にもHAPPY VALENTINE!



おまけその1

『ゆっきーの秘密』

 

「ゆっきーってば、車の運転もめっちゃ上手いって知ってた?」

「え〜! ってか運転できるんだ」

「なんかイメージわかないけどね」

「そう言えば、入社直前に免許取ったって聞いた事ある」

「今はペーパードライバーみたいだけど、アメリカで訓練中に同期と一緒に何度かドライブに行ってたらしくてさ、ハイウェイの合流とか、縦列駐車とか、凄く上手なんだって」

「空間認識力凄いってヤツだ」

「周りの速度を読むのも凄いんだって」

「相変わらず見かけによらない男前っぷりだねえ」

「でさ、ここからが本題」

「え? 運転の話じゃなかったの?」

「そう。実はゆっきーには秘密があって…」

「…え、なに?」

「ゆっきー、自転車乗れないんだよ」

「え〜! なにそれ!」

「ってか、乗ったことないらしい」

「嘘〜」

「でね、身体のバランス感覚と体幹を鍛えなくちゃいけないって、来栖キャプテンのお父さんが、ゆっきーに一輪車買ってきちゃって、現在特訓中なんだって」

「やだ〜、なにそれ、可愛い〜」

「小学生扱いだな」

「で、乗れてるの?」

「いや、本人が成果をまったく話そうとしないんで、怪しいと思う」



 後日…。


「結局ゆっきー、一輪車乗れたの?」

「や、それがまだ制覇出来てないらしいんだけど、都築教官情報によると、怖くてしがみついてくるゆっきーが可愛くて、キャプテンのお父さんがいつまでも手を離さないらしくてね。それで一向に上達しないらしい」

「…オチがゆっきーらしすぎて呆れるしかない…」

「同感…」


おしまい。


☆.。.:*・゜

おまけその2
『バレンタインフライト、その後』



「ただいまー」

「おう、お疲れだったな。どうだった? バレンタインなんちゃらってのは」

「うん、おかげさまで大盛況。感想も色々貰えたし、ベルギー行ってたときに知り合った人が乗ってたりして、めっちゃ盛り上がった」


 ついでに、一目惚れも失恋も1日で経験して、おまけに『神』の正体まで知ってしまったが。


「って、お前、沖縄行った割には焼けてねえな」
「あのな、とんぼ返りで焼ける暇あるかっての」

 スタッフたちと食事には行ったが、それも空港のすぐ側だった。
 でも、さすがに南国の空気は冬の東京とは随分違い、プチ旅行感は十分に味わえた。

 ただ、宗太が一仕事終えた開放感に浸っている間にも、雪哉たちクルーは復路の準備で忙しいのだと聞いて、見た目の華やかさからは想像できない大変な仕事なのだなと知った。


「あ、そうそう。とんでもない報告があるんだ。…ほら、これ」

 スマホを起動して画面に呼び出したのは、羽田に帰着してからミーティングルームで撮ったツーショットだ。

「おっ、これはご贔屓さんの坊やじゃねえか!」

「そうなんだよ」

「なんでえ、これはコスプレってヤツか?」

「……。」

 やっぱりコスプレなのか。

「あのさ、これ、ホンモノのパイロットなわけよ」

「坊やが?」

「そう」

「ってことは…。やっぱりあの坊やが来栖先生んちのお孫さんってことか?!」 

「そう、それ。坊やの正体は『来栖雪哉さん』で、ジャスカのパイロットってわけだ」

「ほらみろ、俺の言った通りじゃねえかよ」

「おう。びっくりだよな。だいたい、これが30に見える? ってか、再来週には31だと」

「…そりゃねぇだろ…なんかの間違いじゃねえのか?」

「や、運転免許証見せてもらった。俺とぴったりひと月違いの誕生日」

「ってことは、28日か」

「そ。さらに驚きなのが、俺が高校時代にバイトしてたコンビニの真上の学習塾で、大学の時にバイトしてたんだと」

「……おい、あそこは確か…」

「そうなんだよ、あそこは昔から『バイト講師は全員現役東大生』ってのが売りだよな」

「ひえ〜、びっくり箱みてえな坊やだな」

「坊やじゃなくて、来栖の若君だってば」

「お、そうだったな。これからは坊やって呼んじゃいけねぇな。坊っちゃま…いや、31じゃそれも失礼か」


『若君様じゃ時代劇みてぇだな』…なんて、ブツブツ言ってる父親の横で、宗太は笑いを噛み殺す。

『若君様』なんて呼んだらきっとまた、『僕はそうじゃなくて…』なんて、萎れてしまいそうだが、彼の出自なんて関係なく、来栖家の中心はすでに『雪ちゃん』だろうことは間違いないのだから、これからは折に触れて『そのこと』を吹き込んでいこうと、宗太は思っている。

 これからも色々な顔を見せて驚かせてくれそうな『雪ちゃん』との『これから』は、とんでもなく楽しそうだな…と、宗太はまたこっそり笑って、自分も新しいチョコ和菓子で彼を驚かせようと、さっそく試作に取り掛かることにした。

 ――…っと、その前に、魔王がへばりついている『彼』に『今日はありがとう』って、メールしとこ。 ついでに『次の休み、いつ?』…とか聞いちゃおっかな〜。


 さて、宗太の運命や如何に。

おしまい。

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