11(最終回)



 退院から半月が過ぎて、香平が地上勤務に就く日が来た。

 退院4日目には、一度顔を出して挨拶はしたのだけれど、ほんの30分程度では会える面子はほんの少しだから、皆がこの日を心待ちにしていたのだが、香平の勤務先はオペレーションセンターではなくて、客室訓練センターになった。

 それは、華の提案だった。
 ぜひ新人訓練の補助をして欲しいと言うことなのだが、その裏には、華のある想いがあった。

『オペセンにいると、イヤでもクルーたちと顔を合わせなきゃいけないじゃない? 香平くんの性格だと多分、焦るんじゃないかと思うのよね。それに、訓練センターにいれば、空き時間を自分の訓練にも使えるし、私や『お母さん』もいつもいるから、手伝うこともできるからね』

 そう言ってくれた華に、信隆は『やっぱり華さんには永遠に敵わないな』…と、ありがたく申し出を受けることにした。

 もちろん、香平には『焦るから』と言うところだけは伏せてあるが。

 それでも、オペセンでの地上勤務はスーツだが、訓練センター勤務は制服なので、久しぶりに袖を通した制服――しかもすべて新調されていた――に、香平は涙を滲ませてしまい、側にいた信隆に抱きしめられて大慌てに慌てた。

 その様子をニコニコと『お母さん』が見ていたからだ。

 その日から香平は、月曜日から金曜日の午前中を病院でのリハビリに、13時から17時まで訓練センター勤務と言う、社会人になってから経験したことのない規則正しい生活に入り、それに合わせて信隆も『いつもの』状況に戻った。

 スケジュールは当然すれ違うが、それでも信隆は、審査・査察教官と言う立場でよかったなと感じている。

 以前のように国際線だけに乗っていた時と違い、国内線の審査・査察も約半分を占めているから、日本にいない日は格段に減っている。

 だから、香平が国際線乗務に戻っても、まだスケジュールはあわせやすいと言うわけだ。

 2人共国際線だったら、それこそ一度すれ違うと合わせるのは至難の業になるから。




「もうね、休憩時間なんて、囲まれちゃって身動き取れない感じよ?」

 ニコニコと『お母さん』が言う。

 香平が訓練センター勤務になって3週間ほど過ぎた頃。
 ちょうど香平の勤務が終わる少し前にフランクフルトから帰着した信隆は、訓練センターまで香平を迎えに来たのだが、訓練が少し押しているとのことで、『お母さん』がお茶を煎れてくれて久しぶりにゆっくりと話をしている時のことだ。


「囲まれて…ですか?」

「そうなの。訓練生たちにしてみれば、ヘッドハンティングでやってきた若きチーフパーサーはもう憧れの的なのよね。しかもあの見かけで、優しくて穏やかでしょ? オン、オフ問わず、相談持ちかける訓練生の多いこと」

 うふふと思わせ振りに笑い、信隆の『無言なのにこれでもかと言うくらいわかりやすいリアクション』をたっぷり堪能して、『お母さん』は穏やかに言った。

「そろそろね、中原くん自身の訓練も始めようかと思うの」

「えっ、そうなんですか?」

 思わず腰が浮いた。

「今日、お医者さまの診断書が出たのよ。あなたはまだ空の上だったから、後から中原くんから報告があると思うけれど」

 やっとのこの日がきたと、信隆は胸を熱くする。
 香平もさぞかし喜んでいることだろう。

「とにかく、基本動作に問題がないかどうかの確認に尽きるわね。その他のことは心配してないから。それとエマージェンシー訓練は華ちゃんにお願いしようと思うの。今や、ここでエマ訓やらせたら一番怖い教官って評判だから」

 やっぱりうふふと嬉しそうに笑って、教官として帰ってきたかつての教え子の活躍を喜ぶ。

 そう、最終的には緊急避難訓練に尽きる。これがクリアできないと、シップに乗ることはできない。
 例え他の全てが優秀であっても。


「よろしくお願いします。普段の生活でも、ほぼ違和感のない状態まで来ていますので、心配はないと思うんですが」

 ただ、やはり無理は禁物だと、信隆は気持ちを引き締める。
 今まで以上に無理のないようにしてやらねばならないと。

 そんな信隆に爆弾発言が落ちてきた。

「あら、じゃあお風呂もひとりで入れるようになったのかしら?」

 嬉しそうに、しかも悪戯っ子の微笑みで言われ、信隆ともあろうものが固まった。

 一体どこから漏れたのか。

 香平でないことだけは確かで、そうなれば他はと言えば、同じマンションの住人しか考えられない。

 だいたい、パイロットから客室訓練センターに話が漏れることは今まで無かったのだ。

 客室訓練部と乗員訓練部は完全に別れているし、現役パイロットと客室訓練センターの教官は基本的に接点がないから。

 ただ、この春から乗員室77課と客室訓練部はツーカーだ。 
 そう、牛島夫妻がいるからだ。

 それでも心当たりはないのだが、やはり1番怪しいラインは、『雪哉→うっしー→華→お母さん』だろう。

 最近の女王様は、自分がネタにされそうになった時にはあっさり下僕を裏切って、身代わりの人身御供に差し出してしまうと言う裏技を覚えてしまったのだ。

 ちなみに、腕が治ろうが治るまいが、『一緒にお風呂』はすでにデフォルトなのだが。


「ほんと、都築くんは相変わらず甘えん坊ね」

 堪えきれない笑いでお腹を押さえる『お母さん』に、やっぱり客室訓練部はコワい…と、頭を抱えたとき。 

「あ!」

 小さく声がした。聞き違えようのない、愛しい香平の声だ。

「お帰りなさい!」 
「ただいま、香平」

 チョコも瞬時に溶け落ちそうな甘い声で応えると、『お母さん』が吹き出した。
 そして、香平の後ろでも笑い声が上がる。

「やだ〜、もう、なんて声出してんの〜」

 そう、華がいた。
 これはもう、『華→うっしー→雪哉』で、きっと明日には敬一郎に冷やかされるに違いない。

「そう言う声は、日が落ちてから高機能マットレスの上で出しなさいっての」

 笑いながら容赦なく背中を張り飛ばされて、そう言えば『ノンノン→華』のラインも超怪しいなと、思いついてしまった信隆だった。




「…っ」

 落としそうになるのを慌てて左手で受け止める。
 その様子をジッと見つめるのは華だ。

『お母さん』は、香平の様子を一通り確認して、後を華に託してアシスタントパーサーのファーストクラス訓練に行った。

 漸く男性クルーの生え抜き一期生がファーストクラス訓練にまで上がって来たのだ。
 ファーストクラス資格を取ることが出来れば、チーフパーサー昇格候補名簿に名前が載り、順次訓練に投入されることになる。
 信隆はもちろん、香平にとっても嬉しいことこの上ない。

 入院中もずっと連絡を取っていた健太郎は、そんな国際線クルーたちの状況を逐一詳細に報告してくれていて、おかげで『浦島太郎』状態にならずに済んでいる。

 現在も男性クルー6名が国際線OJT中で、彼らが国際線クルーに昇格すれば、香平のチームにも男性クルーが乗る機会が増えることになるはずで、そう思うとやはり早く復帰したいと、少々気も焦っていた。


「痛む?」
「いえ、痛みはないんです。まったく」

 香平が苦労しているのはワインの瓶の扱いだ。

 今までは難なく出来ていたのに、瓶の底を持って傾ける…という動作がスムーズに行かない。
『注ぐ体勢』が保てないのだ。ソムリエナイフは難なく使えたのに。

「ただ、何となく引き攣れて動かなくて…」

 思わずため息を落としてしまった香平の肩を、華がポンッと軽く叩く。

「痛くないんなら大丈夫よ。そのうち出来るようになるわ」
「でも…」

 そう、『そのうち』ではダメなのだ。
 香平はともかく、早く現場に復帰したい一心だ。

 訓練補助の勤務だった頃には焦りは禁物だと思っていたが、こうして訓練を始めてしまえば、やはり『早く』という気持ちは表に出てきてしまう。

 そして、それは当然、華には手に取るようにわかる。

「左手でも練習してみる?」
「え? 利き手でない方を使うんですか?」

 考えもしなかったことだ。
 それこそ使い物になるまでには時間がかかるだろう。

「使うって言うか…。まあ最終的に両方使えたら便利には違いないんだけど、使えない方の手で練習するには訳があってね」

 華がボトルを取り上げる。

「私も右利きだけど、左でやると…」

 当然上手く行かない。

「ね、ダメダメなんだけど、どこがダメで上手くいかないのかなとか、右手はきっとここを上手く使ってるんだなとか、思いつかなかったことがわかるのよ。つまり、まっさらな状態で試せるってわけ」

 予想とまったく違うこの話は、まさに目から鱗…だ。

「出来ていたはずだって思ったままだと、何処に問題があるのか気づき難い…ってのは、実は『お母さん』から教えてもらったことでね」

 華が肩を竦める。

「人間ってね、上手く行ってる時には基本を忘れがちなのよ。私もそれでたくさん失敗してきたわ」

「教官が…ですか?」

 まさか…な、話だ。
 誰に聞いても、華は『伝説の人』で、こうして教えを乞うていても、確かにそれは事実なのだと身を以て知っている。

「そうよ。失敗なしに成長する人間なんていないから。でも、それで凹んでいる時に『お母さん』が色んな事教えてくれたわけ。…だから、今度はそれを伝えていかなくちゃいけないわね。ここへ戻ってきて、そう思うようになったわ」

 華の言葉に、きっとそれは自分も同じなのだと思った。

 こうして、迷い、悩んだ時に差し伸べられた手を、今度は自分が誰かに差し出せるように。
 後に続くクルーたちに、何かひとつでもしっかりと伝えられるように。

 でも、まずは今教えてもらったように、『出来ていたはずなのに』という思いを棄てて、まっさらになってみようと思った。

「ありがとうございます」

 晴れやかにそう言った香平に、華は優しく微笑む。

「確かに技術は必要だけれど、やっぱり一番大切なのは、命を守ると言う気概と、安心してもらえる笑顔よ。その点、香平くんは満点なんだから、自信持って」

 華にそう言い切られると、きっとそうだと思えてしまう。
 これもきっと、見習うべき点だ。

『お母さん』、華、香澄、ノンノン、そして信隆…と、たくさんのお手本があって、香平は自分は本当に恵まれていると嬉しくなる。

 雪哉がいつも、『良いキャプテンたちに恵まれて、幸せなんだ』と言っているように。


「…って、今日は時間押したら文句が出るわね」

 華が腕の時計を見て言った。

「あ、いつもすみません。訓練生のクラスだけでもお忙しいのに」

 香平が恐縮すると、華は『違うのよ』…と手を振った。

「そうじゃなくてね、うるさいヤツが『お迎えに行く』って、さっきメール寄越してきたから。待たせるとまたブーブーうるさいし」

「え?」

 うるさいヤツとは誰のことだろうかと首を捻る。

 うっしーかなとも思ったけれど、あの人は『うるさい』と言うことはこれっぽっちもなさそうだ。
 奥さんのお尻に、ぺったんこに敷かれていることだし。

 うっしーだけを知っていた頃はそうは思わなかったのだが、こうして華と親しくなってしまうと、むしろ『女王様と下僕』は、雪哉と自分ではなくて、こっちじゃないかなと思えてしまうくらいだ。
 うっしーはきっと『下僕上等!』とか言いそうだけれど。

 だが、香平の疑問符に応えることなく、華は尋ねてきた。
 そこそこ真剣な面持ちで。

「どう? のぶちゃんはパートナーとして」

 一緒に暮らし始めてすでに2ヶ月近くが経った。

 その間、香平は甘やかされてばかりで、あんなに甘々な人だとは思ってもみなかったのに、さらに信じられないことに、ベタベタひっつくのが好きなようで、家の中でちょっとでも香平の姿が見えないと探し回る有様だ。

 その様子は、子供の頃に飼っていた仔犬が、香平の姿が見えないと探し回っていたことに重なって可笑しくなるけれど、でもそんなことを言ってしまったら大変な事になるだろうから、当然黙っている。

「寂しがり屋の甘えん坊です」

 もっとクールで大人な人だと思い込んで――いや、オンではやっぱりそうだけれど――勝手に畏怖の心を育てていただけなのだけれど、オフでのちょっとアブナイあの人は、とても人間味に溢れた可愛らしい人だった。

 それも、やっぱり言えないから黙っているけれど。

「やっぱりね〜!」

 華は大喜びだ。

「やっと、本性を曝せる相手に出会えたってことよ。香平くん、責任とって、最後までよろしくね?」

「いえ、僕の方こそ、最後までよろしくお願いします…なんです」

 にこ…と笑えば、『やだ〜、可愛い〜!』と抱きしめられてしまった。
 と、華のポケットでスマホが震えた。

「ほら来た。まだ終わらないのかって催促よ、きっと」

 片目を瞑って取りだしたそれにザッと目を通し、『ねっ』と香平に画面を向ける。

 そこには、『時間押してますよ。あんまり無理させないで下さいね』と、ある。差出人は、信隆。

「あの、これ…」
「さっさと香平くんを返せってことよ」
「ええっ!?」

『牛島教官に向かって何てことを!』…と、思ったが、華はまったく気にしていない。

 どころか。

「『今夜は返さないわ…』とか返事したら、どうなっちゃうんだろ」

『お仕置きかな〜』…なんて、ワクワクしているではないか。

「あ、あのっ、ありがとうございました!」

「はい、お疲れさま。土日ゆっくり休んで、月曜からまたがんばろうね」

「はいっ、よろしくお願いします!」

「のぶちゃんに、『公休だからって、がっつくな。夜はほどほどに』って、メールしとこ」

「わああっ」

 慌てて止めようとしたら、『ウソウソ』と、笑ってまた画面を見せてくれた。


『もう終わったから、寂しがり屋の甘えん坊は大人しく待ってなさい』


「…教官…、これ…」
「えへへ、もう送っちゃったし〜」

 何て事を…と、香平は頭を抱えたのだが。

「あ、ごめ〜ん。もしかして煽っちゃったかしら?」

 確信犯は、笑いを堪えるかのように美しく口元を引き結んで肩を震わせていて、香平は『今夜の覚悟』を決めたのであった。




 離れていた3日間の出来事を報告しあって、ゆっくり食事を楽しんだ2人は、灯りを落としたリビングで、窓の外に広がる夜景を眺めながらもたれ合っている。

 敬一郎と雪哉がそうしているのと同じ様に、リビングには窓に向けたソファーも置いてある。

 漸く感覚の戻ってきた右肩に、抱き寄せてくれる信隆の温もりが沁みてきて、気を抜けばこのまま眠ってしまいそうだ。

 遠くに離発着するシップの航空灯が見える。

 あと1時間もすれば、雪哉が帰ってくる。

 今日から3日間国内線乗務で、その後2日間の公休の次は久しぶりに『来栖親子』でロンドンへ飛ぶのだが、ダブル・キャプテンの片割れがうっしーなので、どんなフライトになるのか、報告が楽しみだ。

 雪哉は香平をコックピットでのネタに差し出す気満々だけれど。 

 24時間空港の羽田の空から、航空灯が見えなくなることはない。
 また一機、どこかの空へと飛んでいくシップの灯りが遠ざかる。


「香平が教官CPになる頃には、俺はもう降りてるかも知れないな」

 ぽつんと言った信隆に、香平がその肩に乗せていた頭を上げた。

「え? どういうことですか?」

 信隆の口から『降りる』という言葉が出るとは夢にも思わなくて、香平は驚きに目を見開く。

 けれど、信隆は前を向いたままで静かに言葉を継いだ。

「香澄が、ノンノンが乗務に完全復帰するのを待って、降りるって言いだしたんだ。訓練部に移るって」

 ずっと戦友だった同期の現役引退宣言がもたらした衝撃はあまりに大きかった。

 そして、香平もまた、『そんな…』と言ったきり絶句した。

 健太郎共々、移籍してきた頃から可愛がってもらってきた。
 美人なくせに男前で、厳しいが温かい教官チーフパーサーはチーム外のクルーからも慕われて、必要だと感じれば機長にもはっきりと進言するその姿勢で、パイロットからの信頼も絶大だ。


「あいつは訓練にはそれは熱心なんだけど、審査とか査察が嫌いでね。訓練はそりゃもう容赦がなくて、鬼教官丸出しなくせに、『泣きながら必死で頑張ってきた子を落とすとか、そういうのヤだ』って言って、審査をしたがらないんだ。根はドSだけど、そういうところは優しいんだ、あいつ」

 言葉に信頼と友情が滲む。

「だから、上級CPになるのは早かったくせに、教官CPの資格は先延ばししまくって、37になってやっと取ったって有様だ。でも、その頃から、引退の時期を探ってたらしい。で、そうこうしてるうちに尊敬する華さんが帰ってきて、これはもう、華さんの元へ行くしかないって思ったところでノンノンの産休が重なったってわけだ」

 香澄が『私の後継者』と公言して憚らないノンノンが結婚する時、『ノンノンが退職するようなことがあったら七代祟るからね』…と、昌晴は脅されていて、それだけ期待されているノンノンが誇らしいけど、小野さんめっちゃコワいし…と、昌晴が苦笑いしたのは雪哉だけが知っている話だが。


「藤木さんが抜けた穴はあまりに大きいですからね」

『そうなんだ』…と、答えて信隆はしばらく遠い目のまま、何やら物思いに沈んでいたが、やがて香平の肩を抱く手に力を込めて、言った。

「で、ノンノンが乗務に完全復帰したら、自分は降りると決めたらしい」

 信隆に話したということは、決意は固いということだろう。けれど香平は聞かずにいられなかった。

「引き留め…ました?」

 だが、信隆は緩く首を振った。

「止めなかったよ。『俺が止めたって、香澄は翻さないんだろ?』って言ったら、『当たり前じゃないの、私の人生なんだから』って返ってきた」

 その後、『信隆は、香平くんに『次』を譲るまで降りたらダメだよ。あの子は信隆の背中を追って、きっといつか追いつくから』と言われたのだが、それは今は言わないでおこうと思っている。


『いつか、香平くんが『Rainbow Wing』になって、うちのミーくんがそれをがっちり補佐する頃になったら、私と信隆が訓練部や乗員部のドンになってるわね。あ、華さんは『神』だけど、『お母さん』はもしかして退職しちゃってるのかなあ…』

 そう言って、しんみりと寂しげに笑った香澄の肩を労るように叩けば、『なに雰囲気出してんのよ』と、笑われてしまった。

 ちなみに、『うちのミーくん』というのは、ペットの猫ではなくて、『うちのチームの三浦健太郎』の略だ。

 それを初めて聞いた時、香平と雪哉は息が出来なくなるほど笑い転げてしまったのだが、『大型犬』の健太郎には内緒だ。

 香平は、小さく息をついた。

「…なんか、あまりにも小野さんらしくて、言葉がない…です」

「だよな。ほんと、カッコつけやがって」

「でも、信隆さんは降りたらダメですよ。僕は信隆さんの背中を追ってるんですから」

 まさに、香澄に言われたこと、そのものを告げられて、信隆は目を見開く。 

「いつまでも、一緒に飛んで下さい」

 そう言って、肩にもたれてくる温もりを抱きしめて、信隆はその耳に静かに告げる。

「そうだな、ずっと一緒…だな」

 共に空を飛び続け、香平を見守り、最期の時まで愛していこうと、信隆は改めて誓う。

 そしていつの日にかきっと、ネームプレートに戴く『Rainbow Wing』の冠を譲る日が来ると信じて。

「香平…」

 囁くように呼ぶ声は、艶めいて濡れている。

 重ねた唇を深く結びながら、抱きしめて、そのままそっと押し倒して覆い被さる。

「ここ…で?」

 言葉が少し掠れてしまって、香平は頬を紅くした。

「ベッドまで我慢できないんだ…」

 信隆の声も欲望に掠れていて、その手は香平の素肌を弄り始め、あっという間に煽られる香平はあえかな声を漏らす。

 明日は休日。

 愛しい人の身体に溺れる夜は、きっと幸せな夢にまみれて眠りに落ちるに違いない。




 復帰第一便は、香平が普段乗務していた路線の中でもっとも飛行時間の短いホノルル便になった。

 怪我を負った路線でもあるが、香平はそんなことは気にしていなかった。

 そう、乱気流は何処でも発生するし、空はどこまでも一繋がりなのだから。


 そして、現在ノンノンが産休中で、一緒に乗務できる上級チーフパーサーがいない香平たちのチームだから…ということで、信隆が久しぶりに通常乗務でサポートすることになった。

 香平にとっては嬉しい反面、緊張も…と言ったところだ。

 なにしろ久しぶりの乗務であるし、信隆とは想いが通じあってから初めて一緒のフライトなのだから。

 ただ、健太郎のチームの上級チーフパーサーの香澄は信隆に、『あんたみたいな面倒な束縛野郎が一緒に乗ったら香平くんが思うように動けないに決まってるから、サポート乗務、私に寄越しなさいよ』と迫ったらしいけれど。


 ショウアップした香平は、その時オペセンにいた全員から、スタンディング・オベーションで迎えられた。

『待ってました!』とか『お帰りなさい!』と、たくさんの声を掛けられ、泣き出してしまう女性クルーの姿もあって、香平までうっかり涙ぐんでしまったその肩を、当たり前のように信隆が抱いてくるのでかなり焦ったのだが、焦っているのは自分だけで、何故か周囲もまったく気にしていない――というよりは、優しく見守られている感がありありの様子で、自分がいない3ヶ月の間にいったい何がどう認識されているのだろうかと、もの凄く不安になったが、ここでそれを確かめる術はないので、取りあえず向こうへ着いたら信隆に詰め寄ってみるしかないと諦める。 

 プリ・ブリーフィングは、本日の客室責任者である信隆が仕切ってくれるので、香平は自分の事に専念させてもらえたが、次からはそうはいかないと、気を引き締めた。 

 なにより、こうして信隆が仕切るプリ・ブリーフィングを経験できる機会はあまりないので――審査・査察の時には客室担当ではないのでクルーにカウントされないから――余す所なく自分の中に留めておきたいと、信隆の一挙手一投足、言葉の端々に至るまで必死で頭に叩き込んだ。

 それは大変な作業だけれど、それすら幸せだと思った。
 こうして、現場に戻ってくることができて。

 そして、復帰第一便のコックピットクルーは…。


                    ☆ .。.:*・゜


 シップは順調に巡航高度に到達し、これと言った雲のない太平洋上を、平和なフライトが始まった。

 ベルトサインが消えると同時にキャビンではウェルカムドリンクのサービスと機内食のサービスが続けて行われる。
 深夜便なので、サービスは早め進行だ。

 コックピットのインターフォンが鳴った。

『R1、中原です。伺って宜しいですか?』

 久しぶりに聞く、インターフォンを通した香平の声に、嬉しくなる。

 ほどなく香平がやってきた。

「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ。キャビンはどうだ?」
「はい、順調です」

 にこやかに告げる香平を、機長が気遣う。

「中原は大丈夫だったか? 離陸のGがショルダーハーネスにかかったと思うが」

「お気遣いいただいてありがとうございます。全く問題なかったので、ホッとしています」

 応える笑顔に機長もまたホッとした笑顔を返す。

「そうか、そりゃ何よりだ。このあとも無理すんなよ」
「はい、ありがとうございます。気をつけます」

 乗務復帰の挨拶に行った時も、キャビン・ブリーフィングの時も、そして今また気遣ってくれたキャプテンに、香平は申し訳ないなと思いながらも幸せで、本当にここへ移ってきて良かったなと胸を熱くしている。

「キャプテン、ドリンクはいかがなさいますか?」
「あ、俺はコーヒー。ミルクだけ入れてくれ」
「了解しました」

 にこやかにそう応え、雪哉とハイタッチをして、失礼しますと言って出て行った香平に、機長が首を傾げる。

 本日のコ・パイ、雪哉の返事を聞かずに出て行ったからだ。

 けれど、雪哉もその事に違和感を感じていない様子で、『中原CP、生き生きしてますね』…と、同級生の復帰を喜んでいる。

 そんな様子の雪哉に、『そうか、聞かなくてもパイナップルジュースだとわかってるんだ!』…と、納得したのだが。

 それからほんの1、2分後、香平がトレイにカップを2つ乗せてやってきた。

 まずキャプテンに渡し、そして雪哉に渡してすぐに退室する。

 キャビンはまだミールサービス真っ只中で、ホノルル線は特にリゾート路線ならではのサービスが多いから忙しい。

 コックピットの世話は、手を離せない時を除いて、通常は客室責任者の仕事なので今日の場合は信隆がやるべきなのだが、信隆は香平をコックピットに行かせた。

 ちょっとした息抜きだ。
 初っ端から全力疾走している様子に、ところどころで違うことをさせて、肩の力が抜けるように仕向けようと考えたのだ。

 けれど結局香平はさっさと戻って来て、ビジネスクラスのサービスに勤しんでいる。

 その様子は、シップに…キャビンに居られることに感じているのであろう幸福感に溢れていて、信隆のみならず、アシスタントパーサーやクルーたちも、そんな香平の様子に幸せを感じている。

 そんな幸せなフライトなのだが、やっぱり懸念が『乗って』いた。

 どうやって情報を手に入れたのか、香平の『追っかけ』が約2名、ビジネスクラスに乗っていて、香平の姿を見るなり『お帰りなさい』と涙ぐんだのだ。

 香平もまた可愛い笑顔で『ご心配おかけしました』なんて愛想良く対応していて、信隆は、自分の顧客も乗っている――久しぶりの通常乗務の所為か、張り切ったおばさま方が3名も『ニコニコ』と最前列に陣取っている――ことなど棚に上げて、帰着したらお仕置きだな…なんて思いながら、香平の『追っかけ』に向かってこれでもかと言うくらい『思わせぶり』な微笑みを贈って、相手を惑わせてみた。

 そう、有象無象は排除すべし!…なのである。

 もちろん、お客様をないがしろにする気など毛頭ない。
 乗客あってのエアラインだ。

 だから、香平の…ではなく、自分の『追っかけ』にしてしまえばいいことだ。自分なら、お客様を大切にしつつ、『適切にあしらえる』から。

『適当に』ではなくて、『適切に』…だ。  

 ちなみに本日のおばさま方はみんな、企業経営者の奥方様で、信隆の『追っかけ』歴10年以上と言う筋金入りだ。

 皆様、『都築くんをみているだけで幸せなの』とおっしゃるありがたいお客様で、信隆の成長を見守って来たのは自分たちだという相当な自負もお持ちだ。

 最近では『中原くんも良い子だわね』と、可愛がっていただけそうな予感だが、こちら様がご贔屓にして下さるのは全く差し支えない。
 何しろ、節操ある奥様方でいらっしゃるので。




 ホノルル線はミールサービスが終わればほとんどの乗客が眠りにつく。

 そうなったら、すぐにでも休憩を取らせようと信隆は思うのだが、そんな香平の挙動に少し不審な点があったことに、信隆は気がついていた。

 コックピットに『お伺い』に行って戻ってきた香平は、そのトレイに湯気の上がるカップを2つ乗せて、そしてまたコックピットへと向かったのだ。

 一体何を乗せて行ったのだろうか。

 ――まさか、ホット・パイナップルジュース?

 信隆が首を傾げた。

 その頃コックピットでは、湯気が立ち上るカップを雪哉が小さな手で大切そうに持っていて、嬉しそうに中を覗き込んでいる。

 普通、パイナップルジュースから湯気は上がらない。

「雪哉…」
「はい」
「なんでお前、そんなもん飲んでんだ?」

 そう、雪哉の手には、薫り高いブラック珈琲。

「中原CPにリクエストしてたんですよ。一緒に乗ることがあったらコーヒーにしてって」

「なんで? 雪哉はジュースじゃないのか? この路線のパイナップルジュース、大好きだろ?」

「え〜、どうしてキャプテンまでパイナップルジュースのこと、ご存じなんですか?」

 確かに雪哉はパイナップルジュースが好きだ。
 いや、搭載しているジュースはどれも美味しくて大好きには違いない。

「どうしてって、知らんヤツはもぐりだろ。ってか、コーヒー飲んでる雪哉とか、俺イヤだ」

「何を訳わかんないこと言ってるんですか、キャプテン。それ、偏見ですよ」

 カップにちょっと口を付けて、横目でキャプテンを見れば、『ほら』と手が伸びてきた。

「それ、俺に寄越せ。成敗してくれるっ」

 そう、本日の機長は、『人類の敵を成敗しまくる』大橋機長だ。

「ヤですよ〜。せっかくコックピットでコーヒー飲むって夢叶えたのに〜」
「なんだ? 夢だったのか?」

 大橋機長が目を丸くする。

「そうですよ。だって、カッコ良いじゃないですか、パイロットっぽくって」

 口を尖らせると、機長は途端に破顔一笑した。

「そうかそうか、夢だったのか。可愛いなあ、雪哉は」

「って、ぐりぐりしちゃダメですよ、こぼれますってば」

「わかるぞ、それ。お子ちゃまって、大人の飲物に憧れるもんだ。なあ」

「お子ちゃまじゃないですってば〜」

「でも苦いだろ? 無理すんな、ほら、寄越せ」

 どうあっても取り上げる気のようだ。

「あのですね、キャプテン。僕、こう見えてもコーヒーは好きで、しかもブラック派なんです」

「ええっ?! ってことは、ジュース好きは『世を忍ぶ仮の姿』なのかっ?」

 そんな大層なもののハズがない。
 いや、そもそも周りが勝手に雪哉のイメージを作っているだけだ。
 可愛いお子ちゃま、でも天才…と、そのギャップを楽しんでいるわけで。


「いえ、ジュースも大好きです。特にこの路線のパイナップルジュースと、シンガポール路線のドラゴンフルーツジュースはすっごく好きですよ」

 そう言った雪哉に、機長は心底ホッとしたように零した。

「も〜、脅かすなよ〜。アイドル・ゆっきーの反乱かと思ったぞ〜」

「あ、それ面白そうですね、『コ・パイのゆっきーの乱』って」

 いっそのこと、アイドル卒業だ。

 けれど、その思惑はあっさりと見抜かれた。

「何っ? 脱アイドルとか、世間が許しても俺は許さんぞ」

「え〜、そんな事仰いますけど、僕ももうすぐ30ですよ。アイドルって歳じゃないじゃないですか」

「おいおい、雪哉は機長になってもアイドルだぞ?」

「はい〜?」

 アイドル機長なんて、カッコ悪い。雪哉の基準では。
 カリスマ機長ならともかく。


「俺、広報に言っといたもんね。雪哉が機長になったら、キャラも『キャプテン・ゆっきー』に昇格させろよ』って」

「キャプテ〜ン! 何てことを〜!」

 また、あの『スッポンの広報』の『地獄耳』に余計なことを…と、雪哉ががっくりうなだれる。

 そこへ、更なる衝撃の事実がもたらされた。

「雪哉が機長になるの、77課の機長はみんな楽しみで心待ちにしてるんだぞ? 雪哉と組んで、ダブル・キャプテンでコ・パイ・デューティーやりたいってさ」

 まさかの話に雪哉が青ざめる。
 この場合の『ダブル・キャプテン』とはマルチ編成の事ではなく、シングル編成での『ダブル・キャプテン』――つまり、コ・パイがいないと言うことだ。

 要は、雪哉を機長席に座らせて、自分は副操縦士業務(コ・パイ・デューティー)を担当すると言うことで、雪哉にとってはとんでもない事だ。

 ダブル・キャプテンの場合、機長席に座るのはセニョリティの高い方と決まっているのだ。よほどの理由がない限り。

「…キャプテン〜、冗談でもそんな恐ろしいこと言わないで下さいよ〜」

 けれど、大橋機長は『冗談なはずないじゃん』とウキウキ顔だ。

「浦沢機長なんか、『雪哉が機長になるまで絶対頑張る』って宣言してるぞ。浦沢機長の定年と雪哉の昇格はギリギリってとこだからな」

「そんな無茶な〜! 僕まだ4年目のペーペーですよ。機長なんて、遠い彼方じゃないですかぁ」

 それに、万が一浦沢機長の定年までに昇格が実現したとしても、よりによって、査察機長の浦沢機長をライト・シートに従えて、レフト・シートで指揮を取るなど、考えただけで畏れ多すぎて恐ろしい。


「心配すんなって、雪哉なら今機長になってもしっかりやっていけるくらいだ」

 茶化すでもなく、かなり真面目にそう言われて、雪哉は『ホノルル線って、何でホラー絡みになるわけ?』…と、青ざめている。

 その時、キャビンからのインターフォンが鳴った。

「はい、コックピット、来栖です」

『L1、都築です。伺って宜しいですか?』

 キャプテンが『おっけー』と、ひらがなの発音で答えるのを確認して、雪哉が『どうぞ』と返答する。

 そう言えば、香平よりもっと久しぶりだ。信隆の声をインターフォン越しに聞くのも。

 キャビン・ブリーフィングの時にも、担当ドア――L1――を告げる信隆の姿を見て、やっぱりこの人は審査の時よりこっちの方が生き生きしているなあと思ったものだ。

 すぐにノックがあった。
 またキャプテンを確認して解錠すると、信隆が入ってきた。

 その手には、小さなトレイとコップ。
 中身は黄金色のパイナップルジュース…だ。

「中原CPが上級CPの申し送りに背いて来栖副操縦士にコーヒーを運んだと聞いたものですから、追加に来ました」

 にこやかに言う信隆に、大橋機長が速攻で反応する。

「なにっ、雪哉の夢に加担した中原の所業はやっぱり謀反だったのかっ。さすが下僕、女王様には忠実だが、上級CPに反旗を翻すとはいい度胸してやがる〜」

「キャプテン、ご安心下さい。中原CPにはちゃんと言い聞かせて、きっつ〜いお仕置きしておきますから」

 あまりにコワい信隆の微笑みを目の当たりにして、香平に同情するのと同時に、『女王様と下僕』がこんなところまで浸透しているとは…と、またしてもがっくり肩を落としている雪哉の手から空になったコーヒーのカップを取り上げて、信隆はパイナップルジュースを手渡す。

「雪哉のホノルル線最大の楽しみはパイナップルジュースだろ?」

 決まり過ぎているウィンクと共にそう言われて、雪哉は素直に礼を言う。
 コーヒーも好きだけれど、やっぱりホノルル線に乗ったからには、これなのだ。

「向こうに着いたら、コナ・コーヒーごちそうして上げるから」
「えっ、ホントですか?! 僕、バニラマカダミアが良いです!」

 有名なフレーバーコーヒーを上げると、信隆は大きく美しい手で雪哉の頭を撫でて微笑んだ。

「はい。了解しました」

 そして、大橋機長に話しかける。

「そう言えば、雪哉の機内アナウンスを久しぶりに聞きましたけれど、相変わらず大橋キャプテンはアナウンスは苦手でいらっしゃるんですね」

 信隆に言われ、大橋機長は意外なことを――雪哉にとって…だが――言った。 

「綺麗な日本語は難しいんだよ。ってか、性に合わねぇからな」

「大橋キャプテンの美しい英語を聞かせていただけないのは残念です。せっかくのクィーンズ・イングリッシュですのに」

「英語の前の日本語で木っ端みじんの台無しだぞ?」

 あははと2人で笑い合い、信隆はコックピットから退室していった。

 信隆が残していった謎の言葉に、雪哉が首をひねる。

「あの〜、キャプテン」

「ん?」

「ええと、管制との交信を聞いてても、キャプテンは発音綺麗だなぁとは思ってたんですが…」

 機内アナウンスを苦手とする機長の多くは、英語の発音に自信がないという人も多い。英会話そのものは出来て当たり前だけれど。

「もしかしてキャプテン、英語、得意なんですか…?」 

 アナウンスをやりたがらないのは、英語の所為だと勝手に思い込んできた。現に先ほどの『おっけー』は完全に『ひらがな』だった。

「得意って訳じゃないけどさ、少なくとも日本語よりは自由だな」
「ええっ、そうなんですかっ?」

 母国語より自由と言うことは、間違いなく『ネイティブ』に操れるということだ。

「俺、生まれてすぐに親の仕事の都合でイギリス行ってさ、帰って来たのが高校に入る前なんだ。で、帰ってからの日本語の師匠が父方のジィさんでさ。これがもう、チャキチャキの下町っ子だったわけ。で、こんな日本語になったわけだ。これでもオンでは修正かけつつ喋ってるけどさ、修正かけてこれだからな。アナウンスで丁寧語を話そうなんてしたら、ストレスで胃に穴が開いちまうぜ」

 豪快に笑ってそう言う機長に、雪哉は『そうだったんですか』と驚いた後、『ある噂』を思い出した。

「あの〜、キャプテン。ひとつ質問なんですが」

「おう、なんだ?」

「キャプテンの奥さんがブロンド美人って噂を聞いたことがあるんですが…」

『世界一怖いかーちゃん』と公言して憚らない『その人』は、勝手に下町の肝っ玉母さんだと思い込んでいたのだが。

「ああ、イギリスにいた頃の幼なじみなんだ。大学卒業してから、親の反対押し切って追っかけて来やがったんだけど、航大入学前に『デキ』ちゃってさ。でも航大は寮生活だろ? 卒業して、ここに就職するまでずっとかーちゃんに家計と子育て任せっきりになっちまって、そんで頭上がんない訳よ」

 話を聞けば『なるほど』すぎるのだが、それにしてもこの人が『デキ婚』だと言うのが意外過ぎて、『ほえ…』なんて間抜けな声を出してしまえば、大橋機長は『お子ちゃまには刺激が強すぎたか?』…なんて、笑いながら雪哉の頭を撫でてくる。

 そう言えば、いつだったか信隆が『大橋キャプテンの『俺の華ちゃん』は定番ネタだから』…と笑っていたのだが、その時はなんとなく聞き流してしまっていたけれど、事情を良く聞いてみれば、うっしーと華が出会うより前に大橋機長は結婚しているわけだから、確かに『ネタ』なわけだ。

「あ! もしかして!」

「なんだぁ? びっくりするじゃねえか。どうした、雪哉」

「この前、小野さんとか岡林さんが騒いでたんですけど」

 国際線と国内線、それぞれの『女帝CP』の名を上げてみれば、大橋機長が『何かあったのか?』と訝しむ。

「有名なハーフの3姉妹のモデルさんがいて、その人たちがバラエティ番組で『パパはジャスカのパイロットで〜す』って言ったとかで、『パパは誰だ!?』って騒ぎになってるって…」

 まさか大橋機長の娘たちがモデルとは思い難いが、奥さんがイギリス人と言うことは娘たちはハーフの筈で…と、思い至ったのだ。

「ああ…それな…。も〜、あいつら、いいカッコしたいときだけ『パパはパイロット』ってのを使いやがるんだ。あっちゃこっちゃで言いふらすんじゃねぇって言い聞かせてんのに、ったく〜」

 やっぱりそうだったんだと目を見開き、これはやっぱり女帝様たちに報告すべきなんだろうかと考える。

 いや、誰かひとり、そう遥花の耳にでも入れておけばいいかも知れないけれど。

「でもさ〜、あいつら一人前以上に自分で稼いでやがるから、親の言うことなんか聞きゃしねぇんだ。っとに、雪哉みたいな素直で可愛い息子が欲しかったぜ」

 自分の方が果たしてどれだけ素直なのかはわからないが、それでもいつもそう言ってもらえるのは嬉しくて、ちょっと照れてしまうとまたいつものように頭を撫でられて、やっぱりそれも嬉しい。

 どのキャプテンもみんな可愛がってくれて、みんな『お父さん』のようで――もちろん戸籍上の養父は『愛するパートナー』だから、『お父さん』ではない――やっぱり自分は、みんなが言うように『ファザコン』なのかも知れないなと、雪哉は思った。

 本当の親には恵まれなかったけれど、こんなにたくさんの『お父さん』がいて、幸せだな…と。 

 フライトは平和だし、香平も元気に復帰出来たことだし、あとは、これから向かうホノルルのホテルの新館に不具合が出ていなければ万々歳だ。

 もっとも、万が一の『旧館ステイ』になったら、その時は自腹で余所へ行こうと香平と約束している。

 ――あ、でも今回は都築さんが離さないよなあ。

 そうなったら、大橋機長の所に押し掛けようかなと思った。


                   ☆ .。.:*・゜


 定刻にホノルルに到着し、クルー全員で揃って入国審査を通り、ホテルへ向かうクルーバスの中でデブリーフィングをして、ホテルに到着してみれば意外な光景が待ち受けていた。

 雪哉たちが乗ってきたシップで今夜羽田に帰るクルーたちが、ロビーで香平の到着を待っていたのだ。

 みな、その手に色とりどりの『レイ』を持って。

「中原、お帰り」

 キャプテンを先頭に、次々に声と『レイ』を掛けられて、香平の瞳が一気に潤んだ。

 ありがとうございますという声が、震えている。

 そんな香平の様子を、信隆と雪哉は顔を見合わせて、幸せそうに笑い合った。
 もちろん、クルーも全員同じ気持ちに違いないけれど。


                  ☆ .。.:*・゜


 現地時間昼前に、順調にホノルルに到着した166便のクルーは、香平と信隆を除いて『ある準備』に午後から大忙しだった。

 今夜はクルー全員で香平の復帰祝いのサプライズパーティーが予定されている。
 アルコール抜きだが、酔っぱらいより盛り上がるに違いない。

 香平をレイで迎えた165便のクルーたちは、参加出来ないのをとても悔しがっていたが、16時20分がショウアップタイムなので致し方がない。

 パーティーの発案者は大橋機長で、あらかじめ予約してあるレストランでセッティングに勤しむのはクルーたち。

 信隆も当然聞かされてはいるが、信隆の『役割』は香平の『お守り』だ。


 そして信隆は当然、自分の部屋に香平をオーバーナイトバッグごと連れ込んだ。

 香平は客室乗務員になって8年目。
 今まで3ヶ月も乗らなかったことは一度もない。
 しかもそのうちの1ヶ月はベッドの上だったから、さすがに7時間のフライトはきつかった様子で、部屋に入るなり香平はベッドに座り込んだ。

「香平? 大丈夫か?」

 慌てて駆け寄ると、香平は笑顔で大丈夫ですと答えるが、それを真に受けるつもりはない。

 やはり、最初の数回は国内線乗務にすべきだったかと、信隆は少し後悔していた。

 着陸の少し前辺りから、香平に疲労の色が見え隠れし始めていたからだ。

 だが、香平にとって、知らない顔が増えている国内線クルーに混じるよりも、今まで自分がまとめてきたクルー達に囲まれている方が気が楽だろうと思っての事だ。

「少し休もう」

 夕方の集合まではまだ十分に時間があるから、少し眠らせようと思った。

 隣に座って肩を抱くと、素直に頭を預けてきて愛おしさが募る。

 だが。

「…と、その前に制服脱がなきゃだな」

 相変わらず、『脱がせる手伝い』は本当に甲斐甲斐しくやってくれる信隆だが、もちろん着せてくれない訳でもないし、場合によっては着せるのも好きなようだけれど。

 せっせとジャケットを剥ぎ、慣れた手つきでネクタイをするりと解き、これまた慣れた様子でシャツのボタンを次々と外していく。

 当然その手はベルトにも掛かるが、それまで大人しく剥かれていた香平は、やっぱりその手を遮った。

 相変わらず、明るいところで剥かれまくるのは恥ずかしいらしい。

 その様子に小さく笑って、信隆はバスルームまで行ってバスローブを取ってくる。

 本来バスローブは濡れた身体を包むバスタオルの代わりなのだが、パジャマ代わりに包み込むのも悪くない。

 すっかり包み込んで、ベルトごと引き抜いて、すべて纏めてクリーニングだ。
 このホテルはもうすっかりお馴染みの定宿なので、いちいち指定しなくても翌日の出発までにきちんと仕上げてくれるのでありがたい。

 そして、香平はと言うと、そんな信隆の動きをボンヤリと見つめている。

 いつもなら自分がやると言って聞かないのだが、これは余程疲れているなと、急いで隣に座ってゆったりと抱きしめた。


「教官…」

『ステイ中』を意識してか、オンの顔で香平は信隆を呼んだ。

「ん? どうした?」

 わかっているから、そのまま受け止めてやる。

「あの、オペセンで…」
「オペセンがどうかした?」

 みんなこの日を待っていたから、まさに『熱烈大歓迎』だったが。

「…みんな、なんか当たり前みたいな顔してて…」

「…何が?」

「あの、ほら、信隆さんが、肩とか…」

 今度はオフモードだ。
 どうやら軽く混乱しているらしい。疲れの所為かもしれない。

「ああ、俺が香平の肩を抱いたこと?」

 言われてコクンと頷いた香平の言いたいことはだいたいわかる。

「心配しなくても、カミングアウトなんかしてないから」

 ニコッと微笑んで安心させれば、香平も少し安堵した様子だ。

「…ほんと、に?」

 だが。

「ああ、ただ、俺の住所変更と香平の住所変更を一緒に届け出たら、『あれ? これ一緒じゃないの?』ってことになって、総務と客室乗員部には、一緒に住んでるのはバレてる」

 そう。それは間違いなく『確信犯』というヤツだ。

「…う、そ…」

 目眩がしてきた。

「おっと、大丈夫か? よしよし、ちょっと昼寝しような。寝てしっかり回復しておかないと、香平も今夜のみんなとのディナー、楽しみにしてただろ?」

 がっちり抱きしめて、そのままベッドに横になる。
 いや、横になると言うよりは、押さえ込んだと言った方がいいかも知れないが。

 眠ってしまっても雪哉が起こしてくれることになっているから、あとの事は何も気にせずに目を閉じればいいだけだ。

「ほら、香平、安心してお休み」

 抱き込んで額にキスを贈れば、香平は観念したように目を閉じた。




 盛り上がりまくった香平の『お帰りなさいサプライズパーティー』の後、クルーは全員、翌日の昼過ぎまでぐっすり眠って、帰りの便も気を引き締めて行こう!…と、面々はまた太平洋上を順調に飛んでいる。

 香平もすっかり元気を取り戻し、張り切っているけれど、その心の隅っこには、『帰着したら、どんな顔したらいいんだろう…』と、懸念をひとつ抱えてしまい、これから先の信隆と歩む毎日が、幸せだけれど何だか色々と心配で、でもやっぱり幸せで、複雑な気持ちだ。


 そして、その頃やっぱりコックピットでは…。

「なあ、雪哉」 
「はい」

 オートパイロットに入って間もなくのこと、キャビンではサービスが始まっていて、信隆か香平がやってくるのはもう少しだけ後だろうと思われるところで、大橋機長が少し低い声で雪哉を呼んだ。

「昨日、降りてからずっと、都築と中原がイチャイチャと目で会話してやがったんだが、あれはどういうことだ? あ?」

「あ、ええとですね、『愛の旅人・都築クラウンチーフパーサー』もついに年貢の納め時と言いますか、なんと言いますか…」

 目と目でイチャついていることに気づくなんて、キャプテンも凄いなと思いつつ答えれば、あまりにもお約束なキャプテンの反応が返ってきた。

「何だと〜! あの2人、やっぱりそう言うことだったのかっ? もしかして、一緒に住んでるってのは本当だったのかっ?!」

 いつの間にそんな話が乗員室にまで…と、思い、出所を聞いてみた。
 うっしーが喋っていないのはわかっているから。

「あの〜、その話、どこから…」

「あ? 小野チームのミーくんが、中原が退院と同時に実家を出たっつってたから、退院していきなりひとり暮らしなのかって心配したらさ、都築んところにいるらしいとか言うんだ」

「ぶっ」

 話の内容をすっ飛ばして雪哉が吹き出した。
 まさか大橋機長にまで『ミーくん』と呼ばれているとは、健太郎も夢にも思っていないだろう。

 そんな雪哉の頭を嬉しそうに撫でながら、大橋機長は話を続ける。

「でもさ、都築は確か実家通いのはずだったよなあ…って思ってたんだ。そしたらマンション買って都築も家出たっつーからさー、マジかよって思ってたんだけどさ」

 結局、事は露見する運命なのだ。

 いや、そもそも信隆に隠す気はさらさらないのだから。
 ただ、香平の気持ちを思って、触れて回らないだけで。

「ともかくっ、いい男と可愛い子ちゃんがまたくっつくとはいったいどういうことだ〜!? これは日本国の少子化に対する挑戦と受け取っていいわけだなっ」

 そう言われてしまうと、雪哉も返す言葉がない。

 自分も人口増には貢献出来なかったし、目の前の大橋機長は3人の娘をもうけてしっかり人口増に貢献していることだし。

「中原は俺も気に入ってたんだっ。うちの娘、どれかひとり押しつけてやろうと思ってたのに〜!」

 世にも恐ろしい言葉に、雪哉は『やっぱりホノルル線はホラー路線だな』と、目を泳がせる。

「だいたい、都築みたいに何処へ行ってもモテる男がわざわざひとりに決めることないだろうが〜! ええいっ、こうなったら人類の敵はみんな俺様が成敗してやるぜっ。『不幸の手紙攻撃』お見舞いしてやる〜!」

 その言葉に、雪哉は内心で『やった!』とガッツポーズだ。
 何しろ大橋機長は知る人ぞ知る『愛の守護神』で、その『不幸の手紙』は『愛の御守り』なのだから。

 ――これで都築さんと香平も幸せになれるよね、きっと。

『愛の守護神』のお墨付きを得て、きっと2人はずっと、幸せだ。


「あ、雪哉、機内アナウンスよろしくな」

 いきなり、しかも当たり前のように振ってくる大橋機長に、雪哉は至極真面目に答えた。

「キャプテン、その事についてひとつご提案が」

「ん? 何だあ?」

「僕、日本語やりますから、英語の方お願いします」

 昨日から考えていたのだ。
 あの信隆が聞くことが出来なくて残念だと言い、本人が日本語より自由だと言う程の発音を聞いてみたい。

 そう、航空管制英語ではなく、ちゃんとした言葉を。

「へ? なんだそりゃ。ダブル・アナウンスってか?」
「はい。ぜひ」

「あー、まあ英語だけなら…」
「やった! じゃ、さっそくアナウンス入れますから」

 ホノルル発羽田行き165便のアナウンスが始まった。


                   ☆ .。.:*・゜


「驚きました。まさか大橋機長がアナウンスされるとは」

 コックピットにやってきた信隆が笑いながら言う。

「雪哉に唆されたんだ〜」

「え〜、人聞きの悪いこと言わないで下さいよ〜。僕はキャプテンの発音にうっとり聞き入っちゃったんですから」

 雪哉の言葉に、信隆も同意する。

「キャビンクルーたちも、感動していました。他のクルーたちに自慢するって言ってましたから、今後のフライトでは期待されちゃうんじゃないですか?」

 嬉しそうに言う信隆に、『勘弁してくれ〜』と、大橋機長が答えたその時、カンパニーからの連絡がプリントアウトされた。

 コックピットでは受信した様々な情報やデータを印刷する事が出来て、フライトが一回終わるとそれなりの紙ゴミが出るのだが…。

 プリントされた情報を確認して、雪哉が声を上げた。

「わあ! やった〜!」
「なんだ? なにがあった?!」

 大橋機長に続いて信隆も覗き込む。

 そこには…。


『藤木副操縦士&CP夫妻に男児誕生。母子共に健康』


「お! やったな! めでたい!」

 3人、ハイタッチで喜びあう。

「そろそろかなと気になってたところだったんですけど…」

 母子共に健康との情報に信隆がホッとして、『キャビンのみんなに伝えます』と言って出て行った。

「うおっ、しまった〜!」
「わあっ、なんですかっ?」

 いきなり声を上げた大橋機長に雪哉が目を丸くする。

「都築に呪いの呪文を唱えてやろうと思っていたのに〜!」
「きゃぷてん…」

 左でジタバタ暴れる大橋機長をジト目で流し、雪哉は父親になった親友に思いを馳せる。

 生まれてきた新しい命が、みんなに愛されて健やかに育ちますようにと願いながら。

 ――抱っこしてみたいな…。

 小さな命はきっと温かくて優しいに違いない。

 そう思った時、ふと、身体を包む温もりを思い出した。 
 敬一郎に早く、会いたくなった。
  
 
END



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☆ .。.:*・゜

おまけ小咄

『祝! 中原CP、現場復帰!』

 『完結記念! 幸せになれなかった彼らの不毛な座談会 』




*祝! 中原CP、現場復帰!


「やっと復帰だよ〜」

「マジ、長かったよね〜」

「や、でもほんと、あの時は泣きそうだったよ」

「いや、お客様降りた後、泣いたよ。もうマジ泣き」

「笹尾AP、冷静に見えたけど、手が震えてたよね」

「でもさすがだなと思ったよ。救急の人を中に入れる時もしっかりしてたもんねえ」

「これもある意味『エマ訓』の賜物かなあ」

「だよ。緊急事態に直面して、どれだけ平静が保てるかってのは、クルーには大切な要素だよね」

「そう思うと、やっぱり中原CPもすごいよね。オーリックキャプテンに、絶対引き返さないでくれって、そりゃあもうすごい迫力だったもん」

「あの時すでに相当辛かったはずなんだけどね」

「息、荒かったもん…きっとものすごく痛かったんだよ…」

「でも、オーリックキャプテンも焦っただろうね」

「そりゃ、中原CPラブで追っかけてきたくらいだもん」

「…でも、もしかしなくても、失恋確定…?」

「…だね」

「ってことは、キャプテン、フリーってことで、私たちにもチャンスが巡って来るってこと?」

「そう上手いこと行くと良いけどね〜」 

「それより、失恋してもジャスカに…ってか、日本にいてくれるのかなあ」

「あ、それは絶対大丈夫」

「え、なんで?」

「そもそもキャプテンはずっと前から日本大好きだったらしいんだけど、実は『アニオタ』なのよ」

「…マジ?」

「うん。でね、中原CPに日本語習ったのも、字幕とか吹き替えなしにアニメが見たかったから…らしい」

「えーっ、信じらんないー」

「ゆっきーとカラオケ行って、『残☆な天使のテ☆ゼ』でめっちゃ盛り上がったって噂だよ」

「あ、そのネタ知ってる! ゆっきーが唯一歌える歌だ」

「え、何っ? ゆっきーもアニオタなの?!」

「ううん。大学時代に友達が『これさえマスターすればどこへ行っても通用する!』って教えてくれたのが、それだったんだって。ちなみにそのアニメのタイトル知らないのよ、ゆっきー」

「ってか、『えっ、アニメの主題歌だったんだ』とか言ってたもん」

「…なんだそりゃ」

「……いや、いい。あれだけ優しくて楽しいイケメンだったらアニオタでも何でもいいから、ぜひジャスカに骨を埋めて欲しい」

「だよね」

「でさ、その中原CPだけど、都築教官ってば、あっという間にかっ攫ったね」

「妄想だけは果てしなく巡らせてたけど、マジでくっついちゃったよね」

「いつからだろ? 思い始めたのって」

「んー、教官は結構早かったんじゃないかと思うのよね。もしかしたら移籍してきた頃から芽はあったんじゃないかなあ」

「それ、同感。でも中原CPはちょっと後のような気がするね」

「それ。私、思ったんだけど、中原CPって、ゆっきーラブだったんじゃないかなあ」

「や、だからそのカップリングは萌え死ぬからヤバいって」 

「あの『711便フランクフルトの熱い抱擁事件』の時、中原CP、ゆっきーにしがみつかれて真っ赤だったって話だもんねえ」

「いやいや、あの2人は絶対『女王様と下僕』だし」

「ま、ともかく都築教官も中原CPも、どっちもヘンなオンナに持ってかれるくらいなら、断然こっちよ」

「だねー。それに、見てて萌えちゃうし」

「それにしても、相変わらず仕事が早いわ、教官」

「よもやの『看病休暇』にまさかの『同棲』だもんねえ」

「いや、あれはもう同棲すっ飛ばして間違いなく事実婚」

「だよね。教官も全然隠さないし〜」

「でも、ほんとに幸せそうだもんねえ」

「そうそう、見ててこっちまで嬉しくなっちゃうよね」

「ってかさ、都築教官、指輪してんの、知ってる?」

「うんうん、私もシップでちらっと見たことある」

「えっ、いつから? どの指に?」

「中原CPが退院した頃からだと思う。指は左の薬指に決まってんじゃん。他の指にしてたって、意味ないし」

「でも、それって2ヶ月近く前じゃないの? 一昨日オペセンで会った時にはしてなかったよ?」

「そうなの。オペセンではしてないの。一応中原CPに配慮してるんじゃない?」

「んじゃ、どこで?」

「シップの中、つまりお客様の前、限定」

「えーっ、それって、ストーカーの皆々様の反応が気になるんだけど」

「まともな顧客の皆さんからは、『やっと良い人見つけたのね〜。時間かかったわね〜。でも良かったわね〜』って、歓迎されてるんだけど、ストーカーさんたちはショック受けてるね」

「私、その現場、チラ見しちゃったよ。『もしかして、結婚されたんですか?』って、青ざめた顔で聞かれて、教官ってば惚れ惚れするような笑顔で『はい、良き伴侶に巡り会えました』って」

「うわ、言っちまったよ〜」

「それって、中原CPの身の安全は大丈夫なのかなあ…。ちょっと心配なんだけど」

「や、いくらなんでも相手は言わなきゃわかんないんじゃない?」

「ってかさ、中原CP見たら、かえって諦めつくかも」

「それ言えてる。どうしようもなく魅力的で有能な『同性』だもんねえ」

「や、でも教官は、身内はともかく、対ストーカーとしては相手を隠すと思うな」

「うん、中原CPを守るためにね」

「やーん、教官カッコいい〜」

「もしかして、中原CPも指輪してる?」

「してないよ、当然」

「当然って、なに?」

「だって、彼的には『ひた隠し』のつもりだからさー」

「…あの、色気ダダ漏れ状態で?」

「愛されてます…っての、滲みまくってるのに?」

「可愛いよねー、隠してるつもりなんだもん」

「ちょっと目のやり場に困るけどさ」

「え、そう? 一層美味しそうになっちゃったから、舐め回すように見ちゃうけど」

「やだ、なにそれ、めっちゃオヤジ目線〜」

「でもさ、都築教官が『結婚宣言』しちゃったら、教官のストーカーが中原CPに流れる…とかないのかなあ」

「ただでさえ中原CPのストーカーも多いのに」

「いやいや、そんなことはないと思うね」

「え、そう?」

「都築教官レベルになったらもう、結婚してるとかしてないとか、関係無いんだよ。いや、むしろ結婚してる方が美味しいのかも」

「どうして?」

「ああ、私はそれ、わかる気がする。『不倫』って言う密の味が加わるわけだ」

「そう言うこと」

「え〜、ストーカー心理ってわかんない〜」

「ま、私たちも中原CPのことはがっちり守っちゃうけどね」

「同感〜!」

「それにしても、全然隠す気ない人と必死で隠してるつもりのカップルって面白いよね」

「ふふっ、これからも楽しめそうよね〜」

「弄り甲斐があるわ〜」


 こうしてジャスカのクルーたちは、新たなる美味しいネタを得て、一層元気に空を飛ぶのでありました。



                   ☆ .。.:*・゜



*完結記念! 幸せになれなかった彼らの不毛な座談会


「あー、もう、絶対ここでなら恋ができると思ったのにー!」

「俺も〜」

「雪哉さんは来栖キャプテンのものだし、中原さんは都築教官に取られちゃうしー!」

「えっ、香平狙ってたんだ?!」

「そうですよ〜、だってめっちゃ可愛いじゃないですか〜。見かけも中身も」

「そりゃ認めるけどさ、俺、悠理は都築教官とかオーリックキャプテンとか狙ってんのかなと思ってた」

「滅相もないです。僕は教官とかキャプテンとか三浦さんみたいな美丈夫タイプはノーサンキューですよ」

「…やっぱりなー。何だか同じニオイがするなって気はしてたんだ」

「三浦さんもそうでしょ? 絶対キュートで可愛い人が好きでしょ」

「まあな。でも俺の場合は見た目でも可愛い子と釣り合うじゃん。でも悠理の場合だと『カワイコちゃん同士』でビジュアル的に百合百合しすぎて、どうかと思うけど」

「まあ見た目は確かにそうかも…ってのは認めますけど。でも僕の場合はタッパがあるからいいんです」

「確かに香平よりもちょっと高いよな」

「ええ。それに僕は都築教官と同じタイプですよ。オフでも見事にネコ被れますし」

「あー、それも、そんな気がしてたんだ〜。頭のてっぺんから足の先まで見事に被れるよな」

「ええ、特技です。すでに」

「で、相手を油断させておいて、パクッと…ってこと?」

「やだなあ三浦さん。人聞きの悪いこと言わないで下さいよ。『猫かぶり』は円満なコミュニケーションに極めて有効な手段ですよ」

「でもそれ、都築教官にはバレてるだろ?」

「そうなんですよ〜!『悠理は私と同じタイプだよな』って言われたんで、びっくりして『いつ気づかれたんですか?』って聞いたら、『そんなの採用面接の時に気づいてたって』って笑われちゃいましたよ。もー、さすがとしか言いようがないです」

「都築教官、コワすぎる…」

「なに盛り上がってんの?」

「あ、オーリックキャプテン」

「恋に破れた者同士で慰めあってるところです」

「……その話、今はまだキツいんだけど…」

「あー、まあキャプテンはわざわざ香平を追っかけてこられたわけですからねえ」

「いや、日本に来たことは後悔してないんだ。むしろ香平が移籍してくれたおかげで、僕もここへ来るきっかけがつかめたわけだし。職場としてはこっちの方が何万倍もいいからね」

「それ、言えてますね。ジャスカってほんとに居心地いい職場ですよね」

「え、他のエアラインってそんなに酷いんですか?」

「酷いとまでは言わないけどさ、悠理みたいに生え抜きでここにいるのはマジで幸せなんだぞ?」

「僕もそう思うね。コックピットもキャビンも、ついでに言うならオペセンも、みんな優秀で真面目で生き生きしてるよ、ここは」

「そっか〜、やっぱり恵まれてるんだ〜。…でも、なかなか恋人できない……」

「それより悠理、お前さっさとチーフパーサーに上がって来いよ」

「なんです? 藪から棒に。そりゃそのつもりで頑張ってますけど」

「…やぶからぼう…φ(.. )」←後から調べようとメモっているらしい。

「ロッカールームのチーフパーサーの列が今、地獄なんだよ〜!」

「え? CPのロッカーって…三浦さんと、中原さんと都築教官…ですよね?」

「そうっ。もう2人でいちゃいちゃとネクタイのチェックとかし合ちゃってさあああああ! 俺なんか目に入ってねえんだああああ!」

「…それは確かに地獄だ…」

「…ですね…」

「悠理がCPになるか、俺に可愛い子紹介するか、どっちかにしろ〜!」

「三浦さんっ、僕っ、頑張って特急でCPになります! で、必ず妨害してみせます!」

「おうっ、期待してるぜっ。ってか、可愛い子も紹介しろ〜!」

「そんなの紹介するくらいなら僕がもらいますっ」

「右に同じ!」

「「キャプテン、マジ日本語よく知ってますね…」」

「愛しい香平が先生だったからね…」

「「……」」



 以上、救いのない座談会でした。

おしまい。

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