「412号室の3悪人」





「葵、手紙だよ」

 部活から戻ってきた涼太が、ドアを開けるなり言った。

「あ、ごめん。そう言えば今日は郵便箱のチェック忘れてたよ」

『さんきゅ』と小さく言って、葵は手紙を受け取った。
『奈月葵様』と書かれた文字に見覚えがある。
 裏を返すと…。
『大野由紀』とあった。

(やっぱり)
 葵は嬉しそうにはさみを取った。


「嬉しそうだな、葵」

 こんな可愛らしい表情をする葵を、祐介が見逃すわけがない。
 なにしろ、いつも葵を見ているのだから。

「うん。多分写真だと思うんだ」

 封筒の厚みをもう一度確かめて、慎重にはさみを入れて封を切る。
 写真と聞いて、涼太と陽司も寄ってくる。

「もしかして、舞妓さんやってるお姉さんのか?」

 どういう訳か、『葵の姉は舞妓さん』と言う誤った認識はすっかり定着していた。
 確かに母は舞妓だったが、姉はもともといない。
 わざわざ訂正する気もない葵であったが。


 16歳の女の子らしい、けれど祇園の舞妓らしくはない、かわいい犬のキャラクター柄の封筒を開けると、数枚の写真がでてきた。

 初めて見る、幼なじみ・由紀の『菊千代』となった晴れ姿。
 店出しの日のものだろう、黒い着物にだらりの帯の正装が、由紀をいつもより少し粋に、大人っぽく見せている。

「見せて見せて!」

 涼太と陽司が争うように取り上げる。二人は写真に興味を示していたが、祐介は写真を見る葵の表情を見つめていた。

(本当に嬉しそうに笑ってる…)

 それを見ただけで、祐介の顔も自然と綻んでいた。

 取り上げられた写真はあとでゆっくり見るとして、葵は封筒から便箋を取り出した。


『葵さま その後いかがお過ごしですか? 私は毎日、お稽古とお座敷で、てんてこ舞いです』


 可愛らしい丸っこい字で綴られた由紀の近況を、葵はゆっくりと楽しんでいた。

「おおおっ、めっちゃかわいいぞ」
「粋だなぁ。でもさ舞妓さんてもっと華やかな着物着てないか? ふつー」

 葵は手紙から顔を上げずに答えた。

「んー、店出しの日は黒の正装って決まってるんだ」
「みせだし?」

 初めて祐介が口を挟んだ。
 葵が顔を上げる。

「うん、デビューのこと」
「へぇぇ」

 3人ともが同じように感心して見せた。
 葵と知り合わなければ、多分一生知ることのない言葉だったろう。

「普段の舞妓姿の写真も入ってるんじゃない?」

 そう言って、葵は再び手紙に目を落とした。

「おおっ、あるある。やっぱこっちだなー、かわいいなー」
「今度紹介してくれよ」

 お調子者の二人組である。

「いいよ、二、三十万あればなんとかなるだろうし」

 こともなげに葵が言う。

「はぃぃ〜?」

 目が点、とはこのことか。

「だって、舞妓をお座敷に呼ぶんでしょ?」

 葵がにっこりと微笑む。
 その笑顔だけでとろけているお調子者たちだった。


「あれ? こっちの写真は違う子だなぁ」

 いつの間にか写真を取り上げていた祐介が言った。

「僕はこっちの方が好みだな。めちゃめちゃ可愛い」
「え?! どれどれ?」

 やっぱり懲りていない二人組である。

(友達の写真でも入れてるのかな?)

 葵はそう思いながら、便りの続きに目を通していた。


『そうそう、去年の秋のおさらい会の写真を同封します。お師匠さんから預かりました。遅くなってごめんなさいって。葵くんのおかげで舞台に穴を開けなくてすんで、本当に助かったって、何度も何度も言ってはったよ』


(そういえば去年、急病人がでてピンチヒッター引き受けたっけ…。実際、中3にもなって『女舞』は恥ずかしかったよなー)

 たった半年ほど前の出来事が、とても遠く感じられて、現在の『男子寮の住人』という自分の立場とのあまりのギャップに、一人、笑いが漏れた。


『葵の藤娘、ほんとにきれいだったね。菊千代ねえさんも参った! かな』


(よく言うよ。…そういや『藤娘』踊ったんだよな…)

 ぼんやりと半年前の記憶を辿る葵の耳に、祐介の一言が飛び込んできた。

「これって『藤娘』とか言う踊りの格好じゃないのかな? ほら、藤の花が…」

 唐突に登場、噂の『藤娘』。

(はぃぃ〜?)

「へぇ〜、さすが祐介って何でも知ってんだな」
「さすがは学年トップ」
「残念でした。今は葵がトップです」

 祐介にとって、順位なんかどうでもいい。
 今、気になるのは写真の可愛い子。

(う〜ん、今は葵一筋なんだけどなぁ…)

 どうしてこの子がそんなに気になるのか…。
『自分は浮気性ではないハズなのに…』
 ちょっと不安になる祐介だった。

 そして、首をかしげる祐介に、葵は恐る恐る目をやる…。

(も、もしかして…。やばい、な…。早く取り上げなきゃ…)

 とにもかくにも、『藤娘』の正体がバレては一大事。
 こんな恥ずかしい姿がバレたらこの先の学校生活は真っ暗だ。

「み…見せて…」

『今はとにかく取り返すことだっ!』と写真を取り上げようとした葵に、最後の審判が下った。


「これって…もしかして…」

 祐介が葵を見た。確信をもって嬉しそうに。
 そう、自分に自信を持ってしまった祐介だった。


(由紀のばかぁぁぁぁぁぁぁ!)
 葵の声は、もちろん京都には届いていない。


 さて、ルームメイトの役得で、思わぬ艶姿を拝ませてもらった陽司と涼太は、嬉々として吹聴してまわろうとしたのだが、『そんなことをしたら絶交してやる』と脅されて涙を呑んだ。

 反対に祐介は『こんな可愛い姿、誰にも見せるもんか』とちゃっかり写真をいただいてしまったのだった。(葵には『燃やしておいてやる』と言って、実は写真は生徒手帳の中だったりする)



                    ☆ .。.:*・゜



「あれ? 葵はまだ帰ってないのか?」

 消灯30分前、地下の大浴場から戻った涼太と陽司は、机に向かい、参考書をひろげる祐介に声を掛けた。

 祐介は無言で目線をやる。
 ドアの向こう、微かに聞こえる水音。

「なんだ、またシャワーか」
「ついさっき、練習室から帰ってきたところなんだ」

 祐介は顔を上げずに説明する。

「葵のヤツ、ここんとこ練習室に入り浸りだな」

 言いながら、涼太も参考書を手に取る。

「コンサートは目前だし、ピアノのレッスンの方も大変そうだからね」

 そう言いながら、おもしろくない祐介だった。

 コンサートの練習と言えば伴奏は悟だし、ピアノレッスンと言えば先生は悟だし。

 しかし実際の葵はと言えば、コンサートの伴奏はまだ1回も合わせていないし、レッスンの方は週1回だ。
 練習室にいる時間のほとんどは、たった一人での練習である。それは祐介にも解ってはいたが。


「おまけに首席奏者様とくれば、勉強してるヒマもないってか」

 陽司も負けじと参考書に目を落とす。
 目前に迫った一学期期末試験に、祐介がかける意気込みは、同室の涼太と陽司にも少なからず影響を及ぼしていた。

 涼太は常に10番台、陽司も中間で20番台というかなりいい成績ではあったが、何しろ同室が学年のワン・ツーだ。影響されないはずがない。

 だが…。

「そういえば、中間以降に葵が机に向かってるとこって見たことないよな」

 涼太が思いあたったようにいった。
 確か葵は『奨学生だから成績は落とせない』と言っていたはずだが。

 中間ではかろうじてトップをキープした。
 しかし、次は…。

『こんな状態で大丈夫なんだろうか?』

 3人は口にこそしなかったが、同じ危惧を抱いていた。

「今夜も、シャワーがすんだらすぐ寝ちゃうのかなぁ」

 3人が、消灯後もスタンドの明かりで勉強しているにもかかわらず、葵は練習で精根尽き果てるのか、シャワーを浴びたらバタンキューなのである。


 ここ聖陵学院の寮は、地下に大浴場があるほか、各部屋にシャワールームと洗面室がついている。
 大浴場の方は消灯30分前にクローズとなるが、シャワーは24時間OKなので、つい勉強に熱が入ったり(?)して、入浴し損ねた生徒には非常にありがたいものだった。

 ただし、みんな湯船が大好きな日本人。シャワーより広い風呂の方がいいに決まっている。


「そういえば、俺、葵と一緒に風呂に入ったことない」
 陽司が呟いた。

「俺だって」
 涼太も言う。

「僕だって」
 祐介までが…言う。



☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆



 葵という、かけがえのない、愛しい友人ができて3ヶ月。

 入学初日から目立ちまくって、全校生徒の興味を一身に集める可愛らしいルームメイトは、だからといって何を隠すわけでなく、いつも自然にありのままを見せてくれているんだと思う、412号室の3人ではあった。

 葵は儚げな感じもあるところから、最初は神経質かとも思われていたのだが、意外にも無頓着なところも多く、周囲に気を遣わせない子だというのもわかってきた。

 確かに、祐介の第1印象である『桜の花の精』のように、華やかで優しい。
 そしてそれ以上に、おおらかで素直で、芯の強い人間像を周囲に印象づけていたのだが…。



 しかし! 本日ただ今、3人の脳裏をかすめた一つの疑問。

 あまりにも日常的すぎて、あまりにもアホくさいことに突然気がついてしまったのだ。

『葵が風呂に入らない』

 そう、3人とも、葵が大浴場へ行ったのを見たことがないのだった。

 そう言えば、入学当初は、
『葵、風呂行こうぜ』と言うと、必ず、
『今日はやめとく。シャワーにするね』と言う返事だったような気がする。


「どうしてだろ…」
 涼太の声に陽司が茶化す。

「お、お前、声震えてるぞ」
 陽司もである。

「もしかして恥ずかしいのかな?」
 自分で言って、赤くなってりゃ世話のない祐介である。



「そういえば、葵ってシャツ脱がないよな」

 はて、そう言われてみれば、と涼太と祐介も思い当たる。

 朝、パジャマから制服に着替えるときも、体育で着替えるときも、いつのまにかきっちり着替えは済んでいて、葵は肌を見せたことがない、と思う。

「どうしてだろ…」

 いったん不審に思ってしまうと、疑惑はむくむくと持ち上がってくる。
 確かに入浴しようと思えば全身裸にならざるを得ないが、上半身でさえ見せないとなると…。

「もしかして…」

 言った陽司自身が言葉に詰まる。

「なに?」
「なんだよ、言えよ」

 祐介と涼太に詰め寄られる。

「…葵、女の子だとか…」
「は?」
「へ?」

 一瞬3人の脳裏に『藤娘』が舞った。
 そして緊張感のないしばしの沈黙のあと、


「ぶわっはっはっ! お、お前よくもそんなこと考えつくよな!」

 涼太は自分のベッドに、参考書共々突っ伏して、涙まで流している。

「何を言うかと思えば…」
 祐介はこめかみを押さえている。

「少女マンガの読み過ぎだぜっ」

 涼太の涙は止まらない。
 思わず祐介が口を挟んだ。

「抱きしめた感触は女じゃなかったぞ」


 再び訪れる間抜けな沈黙…。 


「ちょっとまて祐介、お前、女を抱きしめたことあるのか」

 マジな顔を上げた涼太の涙はピタッと止まっている。

「え? いや…あの…」

「祐介、何をうろたえてる。涼太も何を間抜けなこと言ってるんだ」

 陽司の声のトーンが下がる。

「祐介…葵を抱きしめたことが、あるのか…?」


(げ……まずい…)

 他のことならいつでも準備OKと言う祐介のポーカーフェイスも、こと葵がらみとなると全く発揮できない。

「抜け駆けだな…そりゃ…」
 2人の冷たい視線が突き刺さる。

「ち、違う…。入寮初日に抱き上げただろっ?あれっ、あれのことだっ!」
「ふ〜ん…」 

2人の目はますます細くなる。

「だ、だからっ、あんまり軽いんで、こんな男いるのかなってっ……えっ?」
「あっ…!」
「うっ…!」




「あー、気持ちよかった」

 沈黙を破るようにシャワールームのドアが開いて、葵が髪を拭き拭き現れた。
 すでにしっかりパジャマを着込んでいる。

 3人の視線が集中した。
 彼らの頭の中にはあの『藤娘』。
 あまりに可憐すぎたのだ。

「今日暑かったね。おまけに体育でマット運動なんかさせられて汗びっしょり。あーさっぱりしたー」

(確かに華奢だ。骨もそんなに太そうではない。でも、まさか…。)

 3人はその考えに捕らわれて、完璧に動きを失っていた。

 頭からバスタオルをはずした葵は、まわりの異様な雰囲気に気がついた。

「なに? どうしたの?」

 目に入ったのは、怖いほど真剣に自分を見つめる3人の6つの眼。
 葵は思わずビビッて後ずさる。

「ど、どうしたんだよ、3人とも…」




 最初に低い声で口を開いたのは、言い出しっぺの陽司だった。 

「葵…脱いでくれ…」

「おっ、お前いきなり何を!」

 さすがの涼太もあわてている。が、誰も止めようとはしない。
 葵は目を見開いたまま固まっている。

「頼む! 脱いでくれ! でないと寝られない!」

 どこまでも直情型の陽司であった。

「な、何言ってんだ! 葵、誤解しないでくれ!ただ、お前の体が気になって!……あ」

 泥沼の涼太である。



 ストンッと葵が床にしりもちをついた。
 それまで黙っていた祐介があわてて駆け寄る。

「葵っ、大丈夫か!」

 向き直って怒鳴る。

「お前らっ、葵を怖がらせてどうするんだっ」

 思わず葵を抱きしめる。


「ごめん…。怖かったろ」

 祐介の仕種に、涼太と陽司がゴクッと喉を鳴らした。

「祐介…どう…?」

 葵の抱き心地を尋ねているのか。

「ばかっ、葵は…」
「何の、こと…?」

 祐介の腕の中、不安げに見上げた葵が、やっと口を開いた。

(こんなこと誰が説明するってんだ!)
 祐介は内心で唇をかんだ。



                   ☆ .。.:*・゜



「きゃははははは!」

 葵が祐介のベッドに突っ伏して、涙を流しながら笑っている。
 向かいの涼太のベッドには、ばつの悪そうな3人組。

「ひぃ〜、おかしすぎるぅ〜、どうしたらそんなこと思いつくわけ〜」
 葵の笑いは納まらない。

「だって…」

 口を尖らせた陽司に、葵が悪戯そうに微笑んで突っ込む。

「要は僕と一緒にお風呂に入りたいってこと?」
「うっ…」

 3人共が言葉に詰まる。
『うふっ』と笑って葵が上目遣いに3人を見た。

「でもだめだよ。僕がお風呂に入らないのはね…」

 葵の声のトーンがグッと下がった。
 3人の緊張が一気に高まる。
 葵の眼が鋭く光った…。

「背中一面に、『観音様の彫り物』があるからなんだ」

 一瞬の沈黙…。空気が凍り付く。

「……ええっ!!?」

「きゃっはははははっ! あー、もうダメっ、おかしすぎるぅ〜!」
「………」

 一瞬でも騙された自分が恨めしい3人であった。

 しかし、もとはと言えば変なことを言い出した自分たちが悪いのである。
 うなだれる3人を見て葵はいつもの綻ぶような笑顔を浮かべた。

「ごめんごめん。そんなに気になるんだったら見せて上げるよ」

 葵はパジャマのボタンに手をかけた。

「ただし、上半身だけだよ。疑惑を晴らすならそれで充分だろ?」

 一つはずして顔を上げると、さっきまでうなだれていたはずの、向かいの3人がじっとこちらを凝視している。
 なんだか急に、自分で脱ぐのが恥ずかしくなった。
 第一、全部脱いで背中まで見せる気はもとよりないが。


「脱がせて」
 思わず口走ってしまった。

「えええええっ!」

 3人は恐慌状態である。と同時にチラッと『あとの2人さえいなければ』と思う不逞の輩でもあったが。

「ぬ、脱がすってどうやって…」

 誰の声だかわからないくらい上擦っている。

(しょうがないなぁ)と思いつつ、葵は3人に指図をする。一番上のボタンはもう開いている。

「祐介が第2ボタン、涼太が第3ボタン、陽司が第4ボタン、僕が一番下、ね。同時にいくよ」

 ベッドに腰掛ける葵に、3人が恐る恐る手を伸ばす。
 3人共が(全部一人ではずしたい)と思っていても、そんなこと葵の知ったことではない。

「せーのっ」

 葵の号令がかかった時、3人は勢い余って葵をベッドに押し倒してしまった。
 華奢な葵を組み敷く、ケダモノ高校生3人組と言ったところか。

「うわっ!」

 叫んだ瞬間、部屋のドアが開いた。


「まだ起きてるー?」

 無邪気な声…、冷ややかな沈黙…、のち…。


「ご、ごめん! 邪魔してっ!」

 声の主は誰だかわからない。ドアは乱暴に閉められた。
 4人は揃って生唾を飲んだ。





 翌日の朝食時間。
 昨夜の出来事は『412号室の乱交騒ぎ』というタイトルまで付けられて、しっかり全寮生に知れ渡っていた。

 今日の放課後は、悟のレッスンだ。
 にっこりと微笑む悟が怖い、葵であった。
 
 そして期末の成績は、ついに祐介がトップに返り咲いた。

 ただし、葵も同点1位。
 費やした勉強時間とのギャップを考えて、深くため息をつく祐介だった。




20000Hits記念 「412号室の3悪人」 END


今さらですが、この物語はフィクションです(笑)。
踊りの流派が異なる事については、目をつぶってやって下さいませ。

*君の愛を奏でて〜目次へ*