逢いたい…
葵と悟が恋人同士になったばかりの頃のお話です。
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(あ、悟…) 水曜日の朝、いつものように僕は、412号室の面々…祐介、涼太、陽司…と寮の食堂へやって来た。 その時に見かけた悟の後ろ姿。 もう、朝食を終えたのだろう。数人の2年生と話をしながら食堂を出ていくところだった。 悟は朝に強いって聞いた。 噂によると、守先輩と二人で、早朝ジョギングをしているらしい。 僕はというと…。 自慢じゃないけど朝には弱い。 目覚まし一回で起きられるんだけど、その目覚ましをぎりぎりにかけておくから後が大変なんだ。 由紀と一緒に住んでいた頃は、いつも由紀が起こしてくれたんだけど、母さんが入院して栗山先生と二人暮らしになってからは結構大変だった。 先生は、僕より朝に弱いんだ。 それでも朝ご飯はきっちり食べようとするから、最初は遅刻ぎりぎり…ってことが何度か…。 だから、僕は栗山先生を起こさなきゃっていう使命感から、ほんの少し、朝に強くなった。 寮へ入ってからは、早起きの祐介が起こしてくれるせいか、結構余裕を持って朝の支度が出来るし、朝ご飯だってゆっくり食べてる。 けれど、そんな僕たちよりもさらに悟の朝は早いんだ…。 「葵?」 「…え?」 「どうしたんだよ、ぼんやりして」 「冷めちまうぞ」 僕はいつの間にか、悟が出ていった扉の方をボーッと眺めていたんだ…。 「うん。ごめん」 そう言って僕は朝ご飯に専念しようとする。 でも…。 今日はどれくらい、悟の姿が見られるのかな…? 僕は悟が好き。 悟も僕のことが好きって言ってくれる。 でも、僕たちのことは多分、誰も知らない。 昇先輩と守先輩…くらいかな? 噂にはなってるって聞いた。 それは別に『あの二人はラブラブだ』って言うのじゃなくて、『悟先輩は奈月が気になるらしい』とか、『悟先輩が変わったのは奈月の影響らしい』とか、そんな程度のものだ。 守先輩によると、それは『悟も葵も、誰か一人のものになるって言うのは許されない立場なんだ』ってことらしい。 僕の立場はどうあれ、確かに悟は生徒指揮者って言う立場だから、みんながそれを求めるのかも知れない。 実際、ついこの間までの悟はそうだったらしいから。 誰にでも優しくて、誰とも一線を画していた悟…。 光安先生の片腕で、誰よりも頼りになる先輩、生徒指揮者として管弦楽部に君臨する桐生悟は、みんなのもの…。 だから、僕は、なかなか人前で悟に声をかけられない。 部活中の急用でも、祐介に伝言を頼んでしまったりする。 普通にすればいいと思うんだけど、何だか妙にまわりを意識してしまってダメなんだ…。 二人きりの時は、大丈夫なのに…。 でも、僕たちが二人きりになれる時間は、週1回のピアノレッスン以外ではすっごく少ない。 一日に一度も顔を見られない日もある。 寮の部屋は、僕が4階で悟は3階。教室は、僕が3階で悟が2階。 同じ建物の中なのに、階が違うだけでまったくすれ違ってしまう。 だからチャンスは部活だけ。 でも、昨日なんか、僕はずっと管楽器のセクション練習に出ていて、悟は中学生の弦楽器を指導していて…。 悟が寮へ帰った後も、僕は中学生の管楽器の居残り練習につき合っていたから、夕食の時間もすれ違って…。 結局一度も悟の顔を見なかった。 そんな日は結構あるんだ…。 ちょっと……ううん、 かなり……ううん、 すっごく……寂しいかも……。 でも、今朝はチラッとでも後ろ姿が見られたし…。よかったじゃんか…。 そんな風に自分を慰めながら、校舎の階段を上がる。 ちょうど、2年の教室がある2階を通り過ぎようとしたとき、廊下の奥から声がした。 「悟―!」 知らない声が悟を呼んだ。 悟が、いる…?。 「なに?」 ああ、悟の声だ…。 でもすぐに声は遠ざかり…。 ま、いっか。声が聞けただけでも良しとしよう…。 でも、二度あることは三度ある。 この日、またまた僕は、悟の姿に接近遭遇したんだ。 4時間目の前、教室移動の時に、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下から悟の姿を見つけた。 5〜6人に囲まれて歩いている。 あっちの方は…。そっか、体育なんだ。 誰かが冗談を言ったらしい。悟も他の2年生たちと笑っている。 一日に三回も悟の姿が見られた。 これってかなりラッキーかも知れない。 これで、部活の時に会えたらもっといいんだけどな…。 午後6時、部活が終わった。 今日は全体合奏で、指揮は光安先生。 こう言うときは、悟もホールの後ろで聞いてることが多いんだけど、どうも今日は中学生組の練習につきっきりだったみたいだ。 ちょっと……ううん、 かなり……ううん、 すっごく……がっかりかも……。 「葵? 何だか元気ないけど、大丈夫か?」 楽器を片づけながら、祐介が声をかけてきた。 僕、そんなに萎れてるかな…。 「うん、大丈夫。元気だよ」 悟に会えなくて寂しかった…なんて、口が裂けても言えないからなぁ…。 フルートケースをパチン、と締めたとき、先輩が僕を呼んだ。 「奈月―! 光安先生が呼んでる!」 あらら…。きっとさっきの合奏中のことだ。 僕は長いフレーズでの息継ぎの場所を決めかねていて、いろいろ試してみたんだけど、どれも上手くいかなくて悩んでたんだ。 今日は完璧に失敗…ってところ、あったもんな。 「はい! すぐ行きます!」 僕は大きな声で返事をした。 「祐介、悪いけど先に帰ってて」 「うん…いいけど。…ついていこうか?」 「ううん、大丈夫。一人で行ってくるよ」 僕は自分の荷物を担いで、ホールを出た。 そして、光安先生の部屋に行ったんだけど…。 そこにいたのは先生ではなくて、悟だった…。 「悟…?」 僕はきっと『どうして?』って顔をしていたんだろうな。 悟は『クスッ』と笑ってから真顔になった。 「光安先生に頼まれたんだ。先生、急用で院長に呼ばれて行ったから」 そう言って悟は僕の手からフルートの楽譜を取り上げた。 「ここのところの息継ぎなんだけど」 「あ、はいっ」 ぼんやり見とれていた僕は、慌てて楽譜に目を落とす。 「ここと、ここ。2箇所のうちどちらででも息が継げるようにしておきなさいってことだ。この場所ではしないようにって」 悟が僕の楽譜に、鉛筆で息継ぎの印を入れていく。 「はい。練習しておきます」 そう言ってもう一度楽譜を確認した僕は、その楽譜をしまおうとして…。 「葵…」 悟の声が急に色を変えて…。 僕はその胸に抱きしめられていた。 体中を包む、悟の香り…。 「もう、我慢できないんだ…」 抱きしめられた身体にくぐもって聞こえる悟の呟き。 「同じ場所にいて、一度も会えない日があるなんて…」 ああ…。 「今日は何度か葵の姿をみかけた。教室移動の時とか、昼休みの学食とか…」 悟…。 「姿を見られるだけでも嬉しいと思うようにしたんだけど…」 悟も僕と同じ気持ちでいてくれたんだ…。 「少しの時間でいいんだ。毎日、顔が見たい。話がしたい。こうして…」 まわされた腕に力がこもった。 「抱きしめたい…」 僕は悟が好き。 悟も僕が…好き。 |
END
56789GETの亜希さまからいただきましたリクエストです。 リク内容は『悟と葵のラブラブ』 そういえば、ラブラブ話って案外少ないんですよね〜(笑) と言うわけで、ちょっと渋めのラブラブですが、こんな感じになりました(^^ゞ 亜希さま、リクエストありがとうございました〜v |