2003年お正月企画
花のワルツ
後編
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それからボクたちは手近にあったファーストフードのお店に入った。 結構混んでいて、そのほとんどが高校生か大学生…って感じ。 たまにボクくらいのもいるけれど。 寮生活で慣れているせいか、混んだお店の中でもさっさと席を見つけられるのが聖陵生の特徴…って言ったのは、中3の紺野先輩だったっけ。 案の定、寮生活も4年目の終わり…っていう浅井先輩は、さっさと空いた席を見つけてボクを座らせると『何にする?』って聞いてくれた。 「えっと…」 ボクはこう言うとき、迷っちゃう方なんだけど…。 でも、先輩を待たせちゃいけないし…。でも、コーヒーは飲めないし…。 「あ、ココアにします」 「OK。ちょっと待ってて」 先輩はボクを残してカウンターの方へ行った。 背が高いから、ここからでもよく見える。 それに…やっぱりかっこいいや。 「お待たせ」 たいして待ってもいないのに、先輩はそう言ってボクの目の前にほかほかのココアを差し出した。 「あ、ありがとうございます」 ボクはそう言ってココアを受け取ると、ごそごそとポケットから財布をとりだした。 すると先輩は…。 「ちょっと待った」 「え?」 「まさか、払います…なんていうんじゃないよな」 …その、まさかなんだけど…。 ボクが財布を握りしめたままで先輩を見上げると、先輩はちょっと肩をすくめてから笑ったんだ。 「先輩に恥かかすなって」 え…と。それは…。 「…ええっと…あの、じゃあ…い、いただきます」 「どうぞ」 気の利いたお礼も言えないボクなのに、先輩はにっこり微笑んで…。 ボクはまた心臓のドキドキをイヤってくらい自覚して、苦しくなってくる。 なのに。 「美味しい?」 のぞき込まれて、間近でまた微笑まれて、ボクは危うくココアを吹き出しそうになった。 「んぐっ」 慌てて飲み込むと、今度はむせそうになって、先輩が背中をさすってくれた。 …うわあ。 「こら、慌てなくたっていいから、ゆっくり飲めよ」 「は、はいっ」 飛び出しそうになる心臓を必死で宥めながら、ボクはなんとかココアに意識を集中しようと頑張る。 ちらっと横目で見ると、先輩は…コーヒーだ。しかも真っ黒。ブラックってやつかな? ボク、お砂糖とミルクをいれても、苦くて飲めないや…。 高校生になったら…、先輩くらいになったら、飲めるのかな? 「今日はちゃんと着てるな」 「え?」 カップをおいて、ボクを見た先輩の言葉の意味が分からなくて、ボクはじっと先輩を見つめてしまう。 「お前いつも薄着だから、風邪ひかないかなって心配してたんだ。きょうはちゃんと着込んでるみたいだから安心したよ。…まあ、お母さんが一緒だからな」 …いつもって? いつもボクを見ててくれたの? 風邪ひかないかって心配してくれてたの? えっと、なんだか、すごく…嬉しいかも…。 「それにしても藤原のお母さんって、若くて綺麗だよな」 は? そうかな? でも、でも…全然歳が違うのにこんな言い方しちゃダメなんだけど…。 「先輩のお姉さんもすっごく綺麗ですっ」 力一杯そう言うと、先輩はプッと吹きだした。 「まあな、見た目はオンナらしくていいかもしれないけど、中身ときたら、オトコから『男前』って言われるくらいだからな」 そ、そうなんだ…。 「会社の男性陣なんか、姉貴の半歩下がって歩く…って噂だし」 「え? お姉さん、女子大生じゃないんですか?」 だって、お母さんそう言ったし。 すると、先輩は肩肘をテーブルについて頬杖をつくと、にやって笑った。 「若く見えるからな、姉貴のヤツ。でも、僕より10歳上の26歳だよ」 「ええー!」 10歳も違うんだ〜。 ボクは先輩の隣の綺麗な人が『お姉さん』だったって聞いただけで、何故かすごく楽に話せるようになっていて、 「最初、先輩を見つけたとき、お母さんが『先輩の彼女はきっと女子大生ね』って言ったから、ボク、てっきりそうだと思って」 …なんて言っちゃったんだ。 言った瞬間に、なんかまずいこと言っちゃったような気がしたんだけど…。 「あれ? …先に僕のこと見つけてたんだ。それなら声かけてくれればいいのに」 …あっちゃ〜。 「あの、えっと、その……すみません…」 「もしかして、デートだと思って気を利かせたとか」 いや、その、気を利かせたというか、見たくなかったっていうか…。 「あの、お母さんは『ご挨拶しましょう』って言ったんですけど…」 うわ〜ん、いい言い訳が思いつかない〜。 ボクがココアのカップを握りしめたまま、ぐるぐる考えていたら、先輩はまた優しい目をしてクスって笑った。 「藤原はお母さんとデートだったんだろう?」 はい〜? 「ごめんな、せっかくの休みなのにうちの姉貴が邪魔しちゃって」 「と、とんでもないですっ」 「でも、買い物に来てたんだろう?」 そう言えば…。 「あ」 「何? 何買いに来たんだ? 僕でよければつき合うけど」 ええっ? 先輩がっ? う、嬉しくて舞い上がっちゃいそうだけど、よく考えたら今日の買い物は…。 「でも、今日の買い物はお母さんでないと…」 ボクがそう言い淀むと、先輩はちょっと目を伏せた。綺麗な真っ黒の瞳が翳る。 「僕じゃダメか?」 「そ、そうじゃないんですっ。あの、今日、ボク、誕生日だから…」 仕方なくそう言うと、先輩は目を丸くして、それから、すっごく綺麗な笑顔になった。 「なんだ、今日誕生日なのか。おめでとう」 「あ、ありがとうございます」 う〜、嬉しいかもっ。 「じゃあ、デートの途中で放り出されたもの同士、これから仲良くデートしようか?」 「へ?」 「お母さんからのプレゼントはまたあとで買いに行けばいいよ。 どうせ女二人、ブランドショップなんてはまりこんだらなかなか出てこないに決まってるし。せっかく誕生日に会えたんだから、僕も藤原に何かプレゼントするよ」 は? 「……え〜〜〜〜〜〜〜!」 ボクがカップを握りしめて立ち上がると、先輩はちょっとびっくりして、それからまた、にっこり笑った。 「そんなに驚くことないだろ。さ、行こう」 結局、ボクはドキドキが一度も止まらないままに、先輩と、その…で、デートすることになっちゃったんだ。 ☆ .。.:*・゜ 暖かいお店から出てきたら、外の寒さは結構身に滲みて、ボクはマフラーに首を埋めて少しだけ震えた。 「大丈夫か?」 そんなボクに、すぐ気がついて声をかけてくれる優しい先輩。 こんな先輩といつも一緒にいられる奈月先輩がちょっと羨ましかったり…。 「はい、大丈夫です、いつもよりたくさん着てるから」 そう言うと、先輩は安心したように微笑んで、また聞いてくれた。 「何か欲しいものある?」 …先輩、ほんとにプレゼント買ってくれる気だ…。どうしよう。 「う〜ん」 急に言われても何も思いつかない。それに…。 何でもいいんだ。先輩からの…なら…。 「…そうだ。楽譜にしようか?」 歩きながら、ボクを見下ろしてくる先輩。 楽譜! それって、すごくいいかも。 「はい! それ、嬉しいです!」 ボクが先輩を見上げながら、元気にそう言うと、先輩はちょっと悪戯っぽく笑って『よし、いこう』と言って、ボクの肩をそっと押した。 表参道には立派な楽器屋さんがある。 メーカーの直営展示場だから、品物もそろっているんだ。 「さてと…あるかな」 先輩は楽譜売場の棚を見回しながら、そう呟いた。 どうも、もう曲は決まっているみたいだ。 なんだろう。ワクワクしちゃう。 「ここ。合唱譜とピアノ譜は豊富だけどな〜」 うん、やっぱり管楽器の楽譜は管楽器専門店ですよね、先輩。 「あ、あった」 先輩が嬉しそうに手に取った楽譜は、ケーラー作曲の『花のワルツ』。 花のワルツって言えば、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』の終曲が有名なんだけれど、こっちの花のワルツも、フルート吹きの間では定番の曲なんだ。 「やったことある?」 楽譜の表紙を示しながら、先輩が聞いた。 「聞いたことは何度もあるんですけど、やったことはないです。相手がいるし、伴奏もいるし…」 そう、この曲はフルート2重奏+ピアノ伴奏って言う形で、3人いないとダメなんだ。 でもその分、華やかで楽しい曲なんだけど。 「だからちょうどいいんだよ。デュエットの相手には事欠かないし、聖陵にはピアニストもいるし…」 え? ピアニストって? ボクが首を傾げると、先輩はニヤッと笑った。 「僕と藤原でデュエットやって…そうだな、伴奏は悟先輩にでも頼むか?」 えええええええええええ! 悟先輩っ? そ、そんな雲の上の人っ。 しかも、その悟先輩にむかって『でも』…って、何っ? あまりの恐れ多さに、ボクはブンブンと首を振る。 先輩はそんなボクを見て、声を上げて笑った。 そして…。 「じゃあ、葵に頼もう」 …ちょっと待った。 「あの」 「何?」 先輩ってば、その顔。もしかして、わかってて言ってる? 「奈月先輩って、ピアノ苦手って…」 『花のワルツ』のピアノ伴奏は、ざっと楽譜を見ただけでも、結構難しそう。 もちろん普通にピアノを習っていれば、そう大したことはないんだろうけれど、奈月先輩は確か、聖陵に入ってから初めて悟先輩にピアノを教えてもらい初めて…確かまだ…そう、年末に『やっとソナチネなんだけど、もう、全然指がついていかない〜』って、ぐったりしてたはず。 そんな奈月先輩には、ちょっとキビシイのでは…。 浅井先輩は、そう言ったボクの顔を見て、今度は真顔で言った。 「僕が伴奏してやるよ」 え? 「僕が伴奏するから、葵とデュオをやってみればいい」 奈月先輩…と、ボク? …で、伴奏が、浅井先輩? 「葵はいつもお前の事、気にかけてるし、期待もしてるし…。デュエットでもやれば、もっと仲良くなれるし色々アドバイスももらえるぞ」 そ、それは、超魅力的な話だけれど…。 でも、ボク、先輩と…浅井先輩と吹いてみたい、な。 けれど、そんなボクの心の呟きは、もちろん表に出せるはずなんてなくて。 しかも、ちょっと俯いてしまたボクの様子に、先輩はとんでもない誤解をしたんだ。 「あ、もしかしてお前、僕の伴奏を信用してないな?」 またまたハンサムな顔を、いたずらっ子の顔に変えて、先輩が笑う。 「そ、そんなことないですっ」 先輩のピアノ、ボク聞いたことないけれど、結構上手なんだってことは、奈月先輩からも聞いてる。 真面目に練習しないから、そこそこにしか弾けないけれど、その気になれば、かなりだと思うよ…って。 それに奈月先輩、ピアノのレッスンで難しいところ、浅井先輩にアドバイスしてもらってるんだって。 『些細なことで、忙しい悟先輩の手を煩わせるわけにいかないからね』 そんな風に言って、笑ってたっけ、奈月先輩。 「とにかくどんな組み合わせでやるにしても、勉強にはなるし、何より練習していて楽しい曲だからな」 …はい! 「そうですね!」 ボクはもう、いろんなことをぐちゃぐちゃ考えずに、ただ、浅井先輩と奈月先輩っていう尊敬する先輩と一緒に練習が出来る…ってことだけを楽しみにしよう。 そう思ったとき。 Pipipipipi…。 突然、先輩のコートのポケットから呼び出し音がなった。 「…プリペイド携帯って、愛想のない着信音だよな」 な〜んていいながら、先輩が電話をとる。 聖陵は、携帯電話禁止だからみんな持ってない。一応。 だけど、休暇中はこうしてプリペイドタイプのものを持ってる先輩は多いって聞いた。 「もしもし」 …お姉さんかな? 買い物終わったのかな? でもそれは、ボクと先輩の『デート』の終わりってことで…。 「ああ、葵。どうした?」 え…奈月先輩? ボクと話すときの優しい声とはまた違う雰囲気の、柔らかくて、ちょっぴり甘い話し声。 お姉さんからの電話でなかったことにホッとする間もなく、ボクの胸はまたちょっと、痛くなった。 |
END |
こうして、お話は『2002年バレンタイン企画〜優しい気持ちのスタートライン』になだれ込むのでありましたv
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