2001年バレンタイン番外編
2月14日狂想曲
〜教師と生徒、仁義なき闘い〜
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「おっはよー、葵―!!」 派手に音をたてて格子戸を開け、俺、佐倉豊(さくら・ゆたか)は叫ぶ。叫んだ息は真っ白だ。 今朝もめっちゃ寒い。 底冷えの京都の冬の中でも、今が一番寒い時期だ。 なのに、むかつくことに、うちの中学はコートを着ることが認められてない。 こんなの人権を無視した規則だと思うが、もうすぐ卒業だからと我慢して、とにかく制服の下にいっぱい着込む。 ブレザーの下はカッターシャツ。 うちの中学は男子は薄いブルー、女子は薄いピンクのシャツだ。 で、どちらもなぜか襟だけが白い。 そう、かなりキュートなシャツだ。 女子は可愛くっていいかもしれないが、俺たち男子…特に中3にもなると、ちょっと恥ずかしい。 だって、似合わねぇもん。 白い襟にパステルブルーのシャツだぜ。 「おはよー、豊」 おっと、似合うヤツもいた。 つま先をトントンと土間につき、かかとに指を突っ込んで一生懸命スニーカーを履いてるのは、ガキの頃からの俺の親友、奈月葵、3月生まれだからまだ14歳だ。 一度、女子がふざけてピンクのシャツを葵に着せたことがある。 女どもは黙ってしまった。 自分たちより可愛かったからだ。 「お待たせ」 葵はお気に入りのリュックを担いでニコッと笑う。 どんなに寝起きの悪い朝でも、この笑顔一発で俺の元気は回復する。 俺がこうやって葵を迎えに来るのは毎朝のこと。 帰りももちろん一緒だ。 「あれ? 先生は」 葵が鍵をかけるのを見て、俺は訊ねた。 「朝から会議やって。1時間くらい前に行っちゃったよ」 「んじゃ、俺が来るまで鍵掛けとかなきゃだめじゃんか」 俺がムッとして言うと、葵はぺろっと舌を出した。 「ごめん。でも…そんなに心配しなくても、もう大丈夫やって」 「ばか、油断すんなよ」 葵は中1の時に誘拐されたことがある。 酷い怪我をさせられて帰ってきた。 その事が原因で半年間学校を休んだ葵を、今でもクラスメイト達は全員で守っている。 もちろん、本当のことを知っているのは、俺とか、葵と一緒に育てられてきた由紀とか、あと何人かしかいない。 ほとんどのヤツが、葵の長期欠席は病気が理由だと信じている。 だからみんなが葵をいたわる。 優しくて可愛い葵を。 けれど、俺が心配するのはその身体ではなくて、周りの状況だ。 また同じことが起こらないとも限らない。 だから、葵を一人きりにするようなことは絶対にしない。 今、葵と一緒に暮らしてる栗山先生は、ここらあたりではちょっとした名家の次男坊で、昔は有名なフルーティストだったらしい。 なのに、今はなぜか公立中学の音楽教諭で、俺たちの担任だ。 葵の母さんと幼なじみだったことから、あの事件以来一緒に暮らしている。 その葵の母さんは――もう、めちゃめちゃ綺麗な芸妓さんだったが――先月亡くなった。 1年以上の闘病生活で、葵自身にも覚悟が出来ていたとは言え、たった一人の肉親をなくしてさぞ落ち込んだり泣いたりするだろうと思っていたんだけど、結局葵は、一度も人前で涙を見せなかった。 けれど、ニコッと笑ったその目が、散々泣いた跡を残していたことを、俺は見逃さなかった。 葵は俺が守る。そう決めた瞬間だった。 なのに…。 「どうしたん? 豊」 葵が覗き込んできた。 「え? いや、別に…」 「豊が考え事って珍しいやん」 …どういう意味だよ…。 そう反撃しようと思ったとき、後ろから声がかかった。 「葵ちゃーん」 げ、司だ。 「ちょっと、お兄ちゃんってば、なんで僕を置いて行くん?」 そりゃお前、葵と二人で歩きたいからに決まってるじゃねーか。 お前、うるせぇんだもん。 俺と違って、結構可愛い顔のこいつ、佐倉司(さくら・つかさ)は俺の弟、中学2年だ。 「おはよ、司」 葵の笑顔は司にも平等に振りまかれる。 「おはよ、葵ちゃん。はい、これ」 司がポケットから取りだしたのは深紅のリボンがついた手のひらサイズの小箱だ。 葵の手を取ってそれを乗せる。 「何?」 口ではそう訊ねているが、葵はわかっている。 今日は、2月14日だ。 そう、モテる男にとっては天国のような一日。そして、俺のような『モテないクン』には地獄の…一日だ。 そういえば、去年の今日もすさまじかった。 長期欠席中だった中学1年のこの日ですら、すごかった。 「へへっ、僕、今年の第1号やね」 葵を見て満足そうに司が笑った。 「おおきに、司」 葵は嬉しそうにそう言って、受け取ったそれを大切そうに自分のポケットに入れた。 「あのなぁ、司。お前、男やろ? なんで葵にチョコやるんだよっ」 「決まってるやんか。僕、葵ちゃんのこと大好きやもん。愛の告白して何が悪いん?」 ……こうもはっきりといってしまえる我が弟を、俺はほんの少し羨ましく思ったりする事も、なくはない…。 「けっ、女子からもらえへんからって…」 俺はそう言ってそっぽを向いたが、そんなことは…ない。 司はかなりモテる。 うちの中学のワン・ツーが、あまりにも偉大なために目立たないが、それでもチョコ獲得数はかなりのものだ。 うー、悔しい…。 俺が鬱々と歩いている間も、葵と司は笑い声を上げて前を行く。 学校まではすぐだ。 ここは街のど真ん中の中学。 周りは主に繁華街で商業地だから、生徒数はめちゃくちゃ少ない。1学年30人足らずだ。 それなのに…。 いったいどこからこんなにチョコが湧いてでるのか。 到着した学校。 すでに葵の靴箱は蓋が閉まらない状態になっている。 葵の上履きはすでに出されていて、ご丁寧に紅いリボンまで結んで、靴箱の上にちょこんと置かれていた。 俺は靴箱から覗いている箱を一つつまみ上げる。 「葵…これ、どうすんだよ」 「大丈夫。紙袋持ってきてるから」 葵はニコニコしながらチョコを手際よく紙袋に入れていく。 あらかじめ紙袋を用意しているあたりがオソロシイ気もするが…。 けれど、俺はその時、葵の表情にいつもと違うものを見た。 何か…ある。直感した。 「さて…っと。いこ、豊」 すべてを詰め終わった葵は、俺の袖を引っ張った。 「あ…ああ」 さて、教室はどうだ。 葵の席は窓側から2列目の一番前。 そう、そこの、色とりどりの箱が山積みになってる机が葵のだ。 「ふふっ…」 ……『ふふっ』……? 葵が不可解な吐息ととも見せたのは、不敵な笑い。 なんなんだ、いったい…。 「おはよ、葵」 「あ、おはよ、由紀」 やって来たのは大野由紀。 葵にとってはほとんど『姉』も同然の存在だ。 「あれ? 由紀、手ぶら?」 葵が不思議そうに首を傾ける。 そんな仕種もめちゃ似合うんだが…。 「あほ。なんで私が葵にチョコあげんならんの」 由紀は平然と葵のおでこを小突く。 「それより職員室の栗山センセの机、見た?」 由紀が悪戯っぽく目を輝かせる。 とたんに葵の眼が鋭くなった。 「もう、すごいの。『山積み』なんてもんとちゃうの。あれは段ボールがいるやろね」 「マジ?」 そう聞いたのは俺。 「今年はセンセの勝ちやわ。なにしろ、この由紀ねえさんのチョコも入ってるから」 由紀は勝ち誇ったように胸をパンっと叩く。 「うそっ、由紀ってば、センセにチョコあげたん?!」 葵が目を丸くする。 「裏切り者―!」 こうして我が校のワン・ツー……栗山センセと葵の、チョコ獲得一本勝負が始まった…。 そう、今朝からの葵の不可解な笑みの裏には、教師と生徒の仁義なき戦いが隠されていたんだ。 「どうだ?」 「ふ…。去年の5割増し」 葵が3つの紙袋を前に、満足そうに腕を組む。 昼休みには、なぜか向かいの小学校からも、おませのチビたちがやって来て、葵にチョコを渡していた。 もうすぐ下校時間。 あとは帰り道の待ち伏せ組からいくつGETするかだ…と、葵は思っているのだろうか。 「帰ろっか、豊」 葵がそう言って立ち上がったとき。 「葵ちゃーん」 げ、また司だ。 司は慌てた様子で走り込んできた。 「どうしたん?」 訊ねる葵の肩を、司はガシッと掴んだ。 並ぶと同じくらいの背格好の二人だ。 「センセが…、栗山センセがマジで告られたっ」 コクられた…? 「えーーーーーーーっ?!」 声を上げたのは、俺と葵と…ほぼ同時だった。 「だ、誰にっ」 葵が泡を食ってる。 「社会の菅沼センセに…」 ……結構お似合いかもしんねー。 菅沼センセってかなりいけてるからな…。 「真剣におつき合いいただけませんか…って」 やるじゃねーか。いいなー、そういう積極的な女って…。 「…で、センセ、なんて?」 おっと、そうだ。それを聞かなきゃ…。 「ごめんなさいって」 へ? 「なんだ…」 思わず呟いてしまった俺を、葵がジロッと睨んだ。ひぇー、こえーよー。 「栗山センセ、『僕にはもう決めた人がいますので』って…」 司の言葉に、俺と葵は顔を見合わせた。 それって、葵の母さんのこと…? 葵はキュッと唇を噛んで俯いた。 どうせ『母さんはもういないのに』って思ってるに決まってる。 けど、俺には何となくわかるんだ。 確かに葵の母さんは死んでしまったけど、栗山センセにとって、葵は、たった一つ残された………なんてーの?……そうそう、忘れ形見ってやつ。 今の栗山センセにとって、大切なのは、葵の母さんとの思い出よりも…葵自身。 でも、センセは今、その葵を……。 「葵…帰ろ…」 俺は紙袋を手に取り、一つを司に渡す。 「ほら、お前も持て」 「うん」 司も心配げに葵を見る。 ほんの一瞬の間のあと、葵が顔を上げた。 「うん。帰ろ」 可愛い笑い顔だった。 辛くても悲しくても、葵はいつもこうして無理に笑う。 けれど、その笑顔が本心の時と、作られたものの時と…、見分けられるヤツはほとんどいない。 だから俺は、葵が心配でたまらない。 3人で歩く帰り道。 狭い路地を通る度、葵を待ち伏せてる女の子がいた。 …たまに男が頬を染めて待ち伏せてたのが解せないが…。 そして、葵と栗山センセの家の前。格子の前に…。 「笙子…」 そこに所在なげに佇んでいたのは、俺たちのクラスメイト、里屋笙子(さとや・しょうこ)だった。 由紀と二人、中学の人気を二分する女子アイドルだ。 (あ、男子アイドルはもちろん葵だ) 由紀が芍薬とすれば、笙子は百合…って近所のおばちゃん達がよく言ってる。 「どうしたん?」 葵が優しい声で話しかける。 う…。やっぱここに俺たちがいるのはマズイよな…。 でも、センセが帰ってくるまでは…。 「葵…鍵かせよ」 俺と司は、先に入って待つっきゃない。 「あ、いいの。ごめんね、豊くん…。私すぐに帰るから」 笙子が柔らかい声で俺を呼び止めた。 そして葵に向き合う。手にはもちろん…。 「葵…これからも、仲良くしてな…」 頬をほんのり染めて小さな箱を差し出す。 ありゃ、手作りだな、きっと。 「うん。おおきに、笙子」 葵はそれを…受け取った。 「じゃ、また明日学校で…」 言うなり笙子は駈けていった。 …か…可愛い…。 ボーッと笙子の去っていった方を見ていた俺は、葵が鍵を開ける音で我に返った。 促されて俺と司はセンセの家に入る。 後から入ってきた葵の手には、玄関で取り込んできたのだろう、夕刊といくつかの郵便物。 葵はそのうちの一つ、一回り大きな白い封筒を取り上げ、少し乱暴に封を切った。 中身を出し、さっと目を通して、大きなため息をつく。 それだけで俺にはわかった。 今日明日ぐらいに結果が来ると聞いていたせいもあるが…。 「どうやった?」 本当は聞かなくてもわかってる。 葵の成績で入れない高校なんて、ない。 「うん…。決まってしもた…」 「そうか…」 葵が京都を離れることが決まってしまった。 センセは、どうして葵を手放すんだろう…。 俺には理解が出来ない…。 「何? どうしたん」 事情を知らない司が葵の手から紙を取り上げた。 「…これって…。葵ちゃん、私立行くん?」 合格通知を見て、司が目を丸くした。 「うん」 「…聖陵…って…。東京の!?」 …正直言って、俺は葵が受験するまで、聖陵って学校をほとんど知らなかった。 そう言えばバスケやテニスが強いおぼっちゃま校だったかも…ってくらいの知識しかない。 なのに、なぜ司が知っている…? 俺はその疑問を口にした。 「あ? ああ、お兄ちゃんは知らんやろうけど…」 なんだよ、そのいい方。むかつくヤツ。 「聖陵って普通科高校なんやけど、音楽ですごく有名なんや」 なるほど、そう言うことか。司は小さいときからヴァイオリンを習ってる。 上手いかヘタかは、俺にはわかんないけど。 「うちのヴァイオリンの先生のところから、去年も3人受けたんやけど、誰も通らへんかった…」 司は小さく、すごい…と呟いた。 そして、見た目にもはっきりと肩を落とした。 「葵ちゃん、遠くへ行っちゃうんや…」 「ごめん。黙ってて」 葵は司の頭を撫でた。 「葵、もしかしてお前、誰にも言ってないんか? この事」 まさか笙子も知らないとか…。 由紀は知っている。 葵から話を聞いて驚いた俺に、『しょうがないやないの。センセと葵が決めたことなんやし』って言って、クールに受け止めてたからな…。 「…豊と由紀にしか言ってない」 ああ、やっぱり…。 「笙子は…知らないんやな」 葵は黙って頷いた。 俺は内心ため息を吐く。 笙子…泣くだろうな…。 その夜、俺と司は、センセが帰ってきてもまだ居座っていった。 って言うよりは、審判を頼まれたんだ。 そう、センセと葵の勝負の判定だ。 どちらがたくさんチョコを獲得したか。 もちろん数だけでなく、そのグレードも問われる。 数でいくと、小学生からも人気を集めた葵は、相当なものだったが、中身のグレードからいくと、やっぱり大人にはかなわないか? なにしろ葵のチョコには不○家のハートピーナツチョコも入ってるのに対して、センセのチョコは、デ○ルだのゴ○ィバだのノ○ハ○スだのと言った有名ブランドがずらり…。 「さ、豊。遠慮なく判定してくれ」 センセは余裕をかまして座椅子にふんぞり返ってる。 そうは言うけど、これは難しいぞ…。 「ところで…」 司が口を開いた。 手にはしっかりとデ○ルを握りしめている。 きっと分けてもらう腹づもりだろう。 なんてったって、司のチョコだって不○家系が多いんだから。 「センセと葵ちゃん、何を賭けて勝負してはるんですか?」 そうそう、俺もそれが聞きたい。 センセと葵が横目で牽制しあう。 「…今夜の皿洗い…」 どちらからともなく白状したその言葉に、俺と司は抱えられるだけのチョコを失敬して栗山家を後にした。 「くっそー、つまんねぇことにかり出しやがって…」 帰り道、ぼやいた俺に司が『うんうん』と頷く。 「僕、てっきり葵ちゃんの『お初』とか賭けて、真剣勝負をしてるんだと思ってたのに」 ……何だ? それ…。葵の『お初』? 訳がわかんない俺に、司はニヤッと笑った。 「お兄ちゃんって、可愛いね」 はぁっ!? 「何だよ、それっ」 掴みかかりたくても、両手にはいっぱいのチョコだ。 くそー。 「聖陵…か…」 呟いた司の目は、いつになく真剣だった…。 |
END