Op.2 第3幕 「Finale. Allegro moderato」

【9】
最終回





「元気でね」

「葵もね」

「とりあえず、落ち着いたら連絡しろよ」

「うん、浅井ももうすぐ部長なんだからがんばってね」

「そんなのまだわかんないじゃないか」

「あはは、決まってるって。ねえ、みんな」

 隆也の言葉に周囲がうんうんと頷く。

「ともかく…」

 隆也は集まった同級生たちをぐるりと見渡し、そしてニコッと微笑んだ。

「みんな、本当にありがとう。僕、ここへ来て、みんなに会えてほんとに良かったよ」

 その言葉に、羽野が鼻を啜った。

「やだなあ。今生の別れじゃないんだから、笑って見送ってよ」

「だって、九州は遠いじゃん…」

「そんなことないって。そうだ、茅野と一緒に遊びにおいでよ」

「お。それいいな」

「ななな、なんで俺が茅野と一緒に…!」

 真っ赤になって怒る羽野に、周囲が笑いに包まれる。

 その様子を見て満足げに頷くと、隆也は葵に向き直って意味深に笑った。


「じゃあ、最後に記念の品でももらっていくかな」

 その言葉に全員が首を傾げたとき…。


『ちゅっ』


 派手な音を立てて、葵の唇が奪われた。

 一瞬の静寂。そして。


「た〜か〜や〜〜〜〜〜〜〜!」

「あはは! じゃあみんな、元気でね〜!」

 拳を握る葵から逃れるように、隆也は教職員駐車場へ向かって走り出した。

 そこには院長と光安直人が待っていて、隆也を母の元まで送り届けることになっている。





 ややあって、光安がハンドルを握る車が、来客用の門から静かに滑り出た。

 その様子を、少し離れたところから、守が…そして、悟と昇が見つめていた。


「俺は、男なのに…。好きなヤツの一人も守ってやれないなんて…っ」

 真横に立つ樹に拳を当て、守が低く呟いた。

 昇は、そんな守の反対側の手を握りしめ、悟は肩を抱きしめて、その震える全身から放つ、どこへもやりようのない、痛いほどの慟哭を受け止める。


 ――本当なら追っていきたい。
 ――卒業したら迎えに行くぞ…と、言いたかった。

 けれど隆也は『違う道』を選んだのだ。だから追ってはいけない…。


「お前はしっかりと麻生を守りきったよ」

 悟がその肩をゆっくりとさすりながら言う。

「そうだよ。あいつの男としてのプライドを守ったじゃないか」

 昇もまた、握った手を軽く振りながら言った。


「それに、守は隆也への『想い』も守りきったよ」

「…葵」

 いつの間に来ていたのか、葵が守の背中にペタッと張り付いた。


 ――そして、隆也の『想い』もきっと、守られたに違いないんだ。


 葵はそう思った。

 だが、それは言葉にしてはいけない気がして、ただ、黙って守の背に張り付いていた。



                   ☆ .。.:*・゜



 聖陵祭の翌日。僕たち4人は聖陵祭の代休で桐生家へ帰ってきた。

 たった二日間の休みだから、今まで3人とも帰ってきたことはなかったらしいんだけど――特に去年は僕が祐介んちへ逃げて行っちゃったり、倒れちゃったりしちゃったし――今年は守の事もあって、とりあえず誰にも遠慮のいらないところでゆっくりしようってことになったんだ。

 でも…。

 学校から家までの道も――僕は3人とは別に学校をでて、途中の駅で合流したんだけど――家へ帰ってからも、守は人一倍元気に騒ぐんだ。

 それが僕たちに心配かけまいとする守の心遣いであるのが痛いほどわかって、僕たちはいたたまれない思いに苛まれる。


 そしてその夜、守に電話を掛けてきたのは、なんとあのセシリアさんだった。

 取り次いだのは香奈子先生。

 悟から聞いた話によると、香奈子先生は夏休み以降に起こった色々を、すでにだいたい把握しているらしい。

 情報源は、赤坂先生らしいんだけど…。

 やだな…。セシリアさん、いったい何の用なんだろう…。



                  ☆ .。.:*・゜



『よう、オバサン。残念だったな、思い通りにならなくて』

『やあねえ、随分いきなりなご挨拶ね』

 そうは言うものの、守の態度に不快を感じでいる風ではまったくない。

『だいたいね、あの会社のことはもともとあった話なんだから、そう言う意味ではこちらの思い通りになったのよ。お生憎様』

『んじゃ、何の用だよ』

 わざわざ遠い海外からご苦労なこった…と、守は見えない相手に肩を竦めてみせる。

『そうつっかからないの。せっかく謝ってあげようと思ってかけてるのにー』

『はあっ?』

 どういう風の吹き回しか。もしかして裏でもあるんじゃないだろうかと守が訝しむのも無理はないだろう。


『何よ。なんでそんなに驚くのよ。失礼ね、まったく。誰に似たのかしら』

『あんたじゃねーの?』

『あら、私を母と認めるのね』

『何言ってんだよ。俺のイヤでダメなところは全部あんたに似てるってことにしておいてやるよ…って言ってるんだ。嬉しいだろ? 今さら親子関係突きつけてくるくらいなんだからさ』

『…ま、そうよね。実際他人に優しいところはヨシアキにそっくりだわ』

 そう言って、セシリアはらしくないため息をついた。


『ヨシアキにね、怒られたのよ。「守の人生を弄ぶんじゃない」…って。そんなつもりはなかったんだけどね』

『父さんが…?』

 父がセシリアに連絡を取っていたなどと、思いも寄らなかった。


『ちょっと昔話をしてもいいかしら』

『…好きにすれば?』

 守の返事に、つれないわねえ…とぼやきながらも、満更でもない声でセシリアは話を始めた。


『あなたがお腹に出来たとき、私はとりあえず産むことだけは考えたわ。でもね、育てるつもりはなかったの。もちろん最初からカナコを頼っていたわけじゃないけれど、親戚筋に養子に出してしまえばいいと思っていたのね。 だから、あなたがお腹にいる間も私は仕事に没頭して、気遣う事もなかった。でもね、産んだ時だけは少し泣いたのよ。ああ、ちゃんと産まれてきてくれてよかった…ってね』

『…ふぅん』

 守のそれは、気のない相づちに聞こえただろうが、とりあえず内心では『初めて聞いたセシリア自身の思い』に、ある種新鮮な驚きを感じたのは事実だ。


『…ヨシアキに言われたわ。「守が産まれたとき、君が見せた涙は偽物だったのか」ってね』

 ちょっとショックだったなー…なんて言いながらも、声色に深刻さは全くない。


『これからも私は親らしいことは何もできないけれど、あなたがいずれ音楽の世界に出てくるというのなら、いくらでも力になってあげられるわ。少なくとも、アメリカのオーケストラなら一睨みで黙らせられるから。 ヨシアキはアメリカのオケは苦手みたいだけどね』

 あっけらかんと言い放ち、ケラケラと笑うセシリアに、守は『冗談抜きで自分はこいつに似てるんじゃないだろうか』と不安になる。

 まったく、素晴らしい自信だ。もっともこれくらいの自信を持っていなければ、オペラ歌手――しかも、タイトルロールを張るような――などつとまらないのだが。


『ああ、そうそう。プライス家の莫大な財産に興味を持てるようになったら電話して。いつでも大歓迎よ』

 それだけはご勘弁だ。

『生憎、金には興味なくてね』

『まあ! まだTeenのクセに何を枯れたこといってるのよ。人間、とりあえずMoneyよ、Money!」

 力説するセシリアに、なんでわざわざ国際電話でこんな話をしなくちゃいけないんだよ…と、守は激しく脱力して、「切るぞっ、後ろでみんな心配してっから!」と怒鳴る。

 すると。

『ああ、サトルとノボルにもよろしくね。そうそう! 可愛いBabyが一人増えたんですって? 弟が出来て良かったわね、マモル』

『…ちょっと待てよ。何で知ってる…』

『あら、こっちの音楽界ではすでに有名な話よ。ヨシアキの4番目のBabyは、めちゃくちゃキュートだってね。 ノボルは跳ねっ返りだけど、アオイはヤマトナデシコらしいって、すでに『Target Lock on』よ。気を付けてあげなさいね。 …あら、打ち合わせの時間だわ。じゃあまたね、マモル、愛してるわ』


 とどめに『Chu』などという嬉しくない音まで残して、セシリアは一方的にラインを切った。


 ――おい。葵は大和撫子…って、名前まで知れ渡ってるのかよ…。しかもターゲットロックオンだとお?


 悟の耳には絶対入れられないな…いや、入れておくべきなのか…と、心底疲れて振り返ってみれば…。



                   ☆ .。.:*・゜



 がっくりと疲れた様子で振り返った守に、僕は掛ける言葉がなくて、ただ立ちつくすだけ。

 それは悟も昇も同じなようで、黙って僕と一緒に見てるだけ。

 そんな僕たちに、守は苦笑しながら近づいてきて、僕の頭をポンポンと撫でた。


「なんて顔してるんだよ、葵」

「…守」

「大丈夫だってば。あのオバサンも、腹を割って話してみれば意外に面白いオバサンだぜ?」

 そう言って茶化す守に、悟が『本当に大丈夫だったのか?』って心配そうに聞いた。

 そんな悟の耳元に守が何事かを囁くと、僕たちの後ろから香奈子先生がやってきた。

「守、あなた…」

 香奈子先生も、きっとものすごく心配だったに違いな……

「随分英語が堪能になったわねえ〜」

 …センセ〜。


 香奈子先生の妙なボケに僕たちがコケていると、ふとまた香奈子先生の表情が真剣味を帯びた。

「昇」

「…え、何?」

 いきなり矛先が向いて、何事かとキョトンとした昇に、香奈子先生が投下したのは…。

「昇は英語苦手でしょう? 中間試験は大丈夫なの? これさえ克服すればあと10番は順位が上がるのに…って、担任の先生残念がってらっしゃったわよ?」

「…え…っ、ちょ、ちょっとなんで今そんな話…っ」


 慌てまくる昇に、僕たちの笑い声は止まらない。



                   ☆ .。.:*・゜



 気持ちのいい秋の夜。

 守は庭先のハンモックで気持ちよさそうに眠っている。

 その表情が安らかなので、僕たちはほんの少し安心する。



「僕、やっぱ納得いかない」

 小さな声で、ポツッと昇が漏らす。

「なんで、守がこんなことに…。誰よりも、がんばってるのに…」

 あっと言う間に鼻声になった昇の肩を、宥めるように悟がトントンと叩く。



 聖陵学院という狭い――それがすべて…という世界で、自由奔放に生きている僕たち。

 でも、一歩外の空気に触れると、僕らはあまりにも無力な、立ち向かう術を何も持たない『子供』で…。



「守にはきっと、もっともっと大きな幸せが待ってる」

 悟が、小さいけれどしっかりした声でそう言った。

「悟……」

「そう、信じよう」



 その言葉がまるで予言であったかのように僕らの記憶に蘇るのは、この時からほんの数年後のこと。



 そして、この時の僕たちは、もちろん知らない。

 ずっとずっと先の未来に、この時叶わなかった二人の想いがまた、形を変えて、今度こそ…。



END

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