Op.3
終幕 「薔薇の騎士」

【最終回】





 入学したばかりの時も、2年になった時も、それなりに忙しかったとは思うんだけど、最高学年ってのは、その比じゃないと思い知ったのは、新学年が始まってすぐのこと。

 特に管弦楽部はオーディションもあるし、先輩に引っ張られるままについていけばよかった去年までとは違い、下に控える5学年を引っ張って行かなくちゃいけないってのは、相当に責任の重いことだ。

 でも、去年悟たちが僕を引っ張っていってくれたように、今年は僕たちが頑張って、さらにいい演奏ができる管弦楽部にしていきたいな…って思ってる。


 もちろん、今年も管弦楽部は新入生を迎えた。

 高校の『正真正銘』の新入生の中には、管楽器の子はいなくて弦楽器の子ばっかりだったんだけど、その代わり、フルートパートは中学の新入生に双子ちゃんを迎えたんだ。

 そもそも、この学校自体、双子の入学というのは珍しいことらしいんだけど、それがまた、揃って管弦楽部に入部で、しかも2人ともフルートってことで、結構注目されているんだ。

 しかも、2人ともめちゃくちゃ素直で可愛いしね。

 2人がくっついてる姿なんか、まるで動物園の白熊の赤ちゃんがじゃれてるみたいなんだ。

 藤原くんなんて、やっと念願の(?)小さな後輩ができて大喜び。

 もちろん、初瀬くんも初めての後輩を可愛がってるみたいで、それは当然高等部の僕たちも同じで。

 というわけで、中高各4人ずつの計8人という、いつにない大所帯になったフルートパートは、でもやっぱり和気藹々と新学年をスタートさせた。

 でも、この時の僕はまだ知らなかったんだ。

 この双子ちゃんと、僕との間にちょっとした『縁』があることなんて。




 さて、高校3年生になったってことは、つまり受験生になったってことでもある。

 高校受験の時は、そもそも京都の公立高校へ進学するつもりだったので、特にこれといった受験勉強はしてなくて、年末になっていきなり聖陵を受けることになってからも、やっぱり特別な用意はしなかったので、あんまり『受験生だった』という記憶はない。

 でも、今回はそうはいかない。

 や、学科は多分推薦が受けられると思うし、フルートの実技もその他の筆記もあんまり心配してないけど、問題はピアノの試験だっ。

 唯一にして最大の難関…というピアノに立ち向かう僕を教えてくれるのは、今年も陽子先生。

 相変わらず優しくて厳しくて、熱の入ったレッスンなんだけど、去年と違うことが一つ。

 悟が入学したピアノ科の、先輩になる陽子先生は現在3年生。

 ということで、先生が大学での悟たちの様子を教えてくれるんだ。

 もちろん、学年が違うから、講義なんかで一緒になることはないんだけど、構内で出会ったりすることはよくあるらしいし、何より陽子先生曰く、『彼らは目立つから、噂はしょっちゅう耳に入ってくるのよね』…ということらしい。


 そりゃあ目立つよね。

 3人とも見栄えがいいし、3人とも入試の実技試験ではそれぞれの専攻でTOPの成績だったらしいし。

 おまけに3人のお祖父さんは前学長で、お母さんは現在ピアノ科の主任教授。お父さんはOBの中でもっとも成功している人。

 話題にするなって言う方が無理だよね。


 そんな悟たちは、当然…とはいいたくないんだけど、すでに女の子たちに追いかけ回されてるらしく、『違う意味で疲れてるわねえ』と言った陽子先生の言葉に、僕は心配になってたりして。

 僕も毎晩悟の携帯に電話を掛けていて、色んな話は聞いてるんだけど、悟はそう言うことは一言も言わないから、こっちから『大丈夫?』なんて聞くのも変な感じだし。

 でも、大学での毎日はやっぱり楽しいみたいで、たくさん音楽の勉強ができて嬉しそう。

 激変した生活のリズムが掴めたら、車の免許を取りに行くって言ってたっけ。

 僕が夏休みに入る時には迎えに来てくれるって言ってたから、それも楽しみ。

 早く夏休みにならないかなあ…なんて思うんだけど、その前に、黄金週間合宿もあるし、夏のコンサートもあるし、まだまだやらなきゃいけないことがたくさんあって、毎日があっと言う間に過ぎていく。




 そして、オーディションも終わり、本格的に管弦楽部の新体制がスタートしてちょっと落ち着いた頃。とある情報が学院内を駆けめぐった。

 発信源は、なんと事務課。

 普段の僕たちにはあんまり縁のないところなんだけど、そこの事務のお姉さんが『光安先生が、扶養家族の申請をした』って誰かに漏らしたのが一気に広がったんだ。

 僕は、学校の中の制度って全然知らなかったんだけど、教職員には『扶養家族手当』って言うのがあるらしくて、家族が増えたらちゃんと申請しなきゃいけないんだって。

 先生と昇は、普段は一緒に住んでないけれど、ちゃんと入籍は済んでて、昇の苗字も変わった。

 ただ、大学では『通称』として、今までのままで通すらしいし、多分、卒業してからも、演奏活動は旧姓のままになるんじゃないか…って守が言ってた。

 そうそう。昇の大学の学費は光安先生が出したんだって香奈子先生に聞いた。

 光安先生も、何もかも一度に香奈子先生から取り上げるつもりはないようなんだけど、これから少しずつ、色んなことが光安先生の方へ移って行くんだろうなあ…。


 ってわけで、校内は『先生が結婚っ?!』とか『カリスマ教師、ついに年貢の納め時か!』とかで大騒ぎ。

 当然、先生に一番近い生徒である祐介の元には問い合わせ殺到って感じなんだけど、初日に起こった『OB騒動』の時と同じく、祐介は『いや、何にも聞いてないけど』で通した。

 ちなみに『OB騒動』のその後では、先輩方に『指輪? 見間違えじゃないですか? 校内では見たことありませんよ』って、ばっさり斬って捨ててたし。





 噂が広まった日の放課後。

 音楽ホール内はいつになくざわついている。

 話題はもちろん、先生のこと。

 やっぱり『春休み中に結婚したんじゃないか』って見方が大勢。

 ま、それが正解ではあるんだけれど。

 そうそう。院長先生なら絶対知ってるはず…と、院長室に特攻を掛けたヤツらまでいたんだけど、残念ながら院長先生は昨日から出張でお留守。帰りは明日の午後らしい。

 ちなみに翼ちゃん――残念ながら、今年は教科担当だけで、担任ではない――は、数学の授業のあと、『先生は光安先生と仲いいんだから、なんか聞いてるでしょ?』って詰め寄られてた。

『いいや、何にも』って、翼ちゃんは答えてたけど、僕としては翼ちゃんは知ってるとみた。

 だって翼ちゃんってば、ポーカーフェイス、全然ダメなんだもんね。





「どうした。何を騒いでる」

 いつものように、よく通るバリトンがホールに響いた。

 騒ぎの主の登場だ。

 いつもなら、先生の一声でシンと静まるホールなんだけど、今日は一層ざわついた。

「先生」

 立ち上がって言ったのは、もちろん我らが管弦楽部の生徒最高責任者、浅井祐介さまさまだ。

「なんだ?」

「みんなが、先生に質問があるそうです」

 その言葉に周囲がまた別の意味でざわついた。

 みんな、てっきり祐介が先生に質問してくれるものだと思ってたんだろう。

『え〜、先輩が聞いてくれるんじゃないの〜』だとか、『浅井、お前聞けよ』とか、ヒソヒソと聞こえてくる。

「質問?」

「はい」

 先生がみんなをぐるっと見回して……目が合ってしまった。

「じゃあ、奈月、代表してお前から聞こう」

 え。何で僕。

 って、わざわざ僕を指名したってのには何かわけでも…。

 うーんうーん。

 他の生徒だったらなんて聞くだろう。
 やっぱり『先生、結婚したって本当ですか?』…かなあ。

 ってことは。

「あのー、先生が扶養家族の申請をされたって噂があるんですけど」

 周囲が息を詰めた。


 奇妙な沈黙があたりを支配したその時。

 先生がニッコリと笑った。

「ああ、養子をもらったんだ」

 その瞬間、ホールに流れた空気をなんて表現したらいいんだろう。

 がっくりというか、脱力というか、パンパンに膨らんでいた風船ガムが破裂して顔に張り付いたと言うか。

 ともかく、僕の質問は正解だったらしい。

 先生としては、『結婚したのか』と聞かれて、Noとは言いたくない。
 けれど、Yesとも言えない。

 だったら、噂の本体を原文通りに聞いてしまえばいいってことで。


「せんせー、それって小さい子ですか?」

 茅野くんが聞いた。

 養子と言えば、やっぱり想像するのは小さい子供…かな。

 けれど先生は、晴れやかな笑顔で堂々言ってのけたんだ。

「いや、高校を卒業したての18歳だ」

 誰かが『え…?』…と呟いた。


 まさか。まさか。まさか。


 だれも口にはしていないけれど、ホール中を静かに『まさか』の嵐が吹き荒れる中。


「跳ねっ返りのヴァイオリニストをもらったんだ。近いうちに紹介するよ」


 一同、沈黙。のち…。



 蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのは言うまでもない。


 とりあえず、その日の合奏は、みんな妙にテンションが高くて、音程は上擦るわ、テンポは走るわ…で、大変だった。

 コンマスの司がいくら押さえようとしても、管楽器リーダーの僕がいくら留めようとしても、なんかもう『行っちゃえ!』って感じの『ご祝儀演奏』。

 いつもなら厳しい指導の声を飛ばす先生も、今日ばかりは苦笑して、指揮を振っていた。


 で。

 部活が終わって、みんなそれぞれに、『あれって絶対昇先輩のことだよなあ』とか『マジだったんだ…』とか、興奮醒めやらぬ様子で解散していったあと――もちろん僕にも『な、昇先輩の事だよな』なんて『確認』もあったんだけど、とりあえず笑って誤魔化した――僕はコソッと先生に近づいた。


「せんせー」

「ん? どうした?」

「跳ねっ返りのヴァイオリニストがセンセの部屋で膨れてるので、宥めて下さいねー」

「…来てるのか?」

「運悪く、舞台袖にいたみたいです」

 慌てるかと思いきや…。

「…やっぱりな」

 え? やっぱりって?

「守を見かけたからな。もしかして…と思ったんだ」

「え。守も来てるんですか?」

 知らなかった!

「多分、守だけじゃないと思うぞ」

 僕を見下ろしてそう言った、新婚ほやほやの先生は、『さてどうやって昇のご機嫌を取ろうか』…な〜んて、顔が緩みまくってる。

 でも、僕も、僕も顔が崩壊しそう…。

「2階席にいるんじゃないか?」

「行ってみますっ!」

 僕は駆けだした。

 一段飛ばしで階段をぶっちぎり、2階のロビーへ辿り着いたとき…。


「葵!」

 そこにいたのは、私服姿も決まってる…。

「悟!」

 新学年が始まって、まだたったの3週間ほど。

 電話で毎晩声も聞いてる。

 なのに、こんなに胸が苦しい。

 駆けてきたスピードそのままに、僕は悟の胸に飛び込んだ。


「痛っ」

「大丈夫かっ?」

 勢い余って、頬に、悟が胸につけている『入校許可証』の端っこが突き刺さった。

「あ、うん大丈夫」

 部活動などの指導や補助を委託されてるOBは、門のところで許可証をもらって入校することができる。

 もちろん、悟たちはその『指導OB』に登録されているので、ちゃんと印刷された写真入りの許可証を持っているわけで…。


「赤くなってる」

 僕の頬を親指でなぞる悟は本当に心配そう。

「平気だってば」

 ほんと、過保護なんだから。

 にっこり笑ってみせると、悟もホッとしたように笑った。

「大騒ぎだったみたいだな」

「そう。大変だったんだから〜」

 今日一日、持ちきりだったんだよ…と、教えれば、『昇の反応が楽しみだな』なんて笑ってる。

「守は? 守も来てるんでしょ?」

「ああ、でも来るなりチェロパートに掴まって、拉致されていった」

 守が拉致!

「チェロパートは、首席以下第4奏者までが一度に卒業してしまったからな、不安でしかたないらしい」

「うん、そうなんだ。首席・次席が高2ってのもあるしね」

「そもそも葵の学年はチェロが極端に少ないからな」

「そうなんだ。たったの3人だもんね。でもみんながんばって2年生を支えてくれてるよ」

 僕の同級生のチェロ奏者たちは、物静かで優しい子ばっかりなんだ。
 
 引っ張っていくのには向いていないかもしれないけど、まとめ役としては適任で、2年以下はかなりの大所帯であるパートの、心の拠り所…みたいになっている。


「で、今日の悟のご用は?」

「葵の顔を見に来たんだ。ついでにちょっと中学生の指導もしてきた」

「あ〜、指導OBのクセに、『ついで』だって〜、酷いんだ〜」

 と言いつつも嬉しそうであろう僕の顔に、悟の顔が近づいてきて…。

 え、ちょっと待った、ここで…?


「あ、悟先輩だ〜!」

 うわっ、見つかった! ヤバイったらありゃしない。

「行こ! 悟!」

 僕は悟の手を引っ張って駆けだした。

「あ〜! ずるいぞっ、葵!」

「そうだそうだ! 奈月は家に帰ったら独り占めできるじゃんか〜!」

「待って〜! 奈月先輩〜!」

「悟先輩〜!」


 後ろから同級生やら後輩やらの雄叫びが追い掛けてくる。

 それを振り切って、僕たちはホールを出て、小さな小道を辿り裏山へと上がっていく。





「久しぶりだな」

 ホール側の裏山には、ちょっとした岩場があって、てっぺんまで登ると結構な見晴らしだ。

 放課後の早い時間には、中学生たちが遊んでいる事が多いんだけど、間もなく夕食時間が始まる今頃は、もう人影もない。




「9月に、伴奏デビューすることになった」

 並んで座り、暮れていく空を眺めていると、いきなり、悟が言った。

「…え?」

「昇のヴァイオリンの師匠がリサイタルをするんだ。その伴奏を…って声が掛かった」

 そ、それってっ。

「それ…凄いこと…じゃないの?」

 だって、昇の師匠は日本でも有数のヴァイオリニストで、確かヴァイオリン科の主任教授だ。

 そんな人の伴奏だなんて…。

 唇をキュッと引き結んで悟が頷いた。

「最初は荷が重いと思ったんだ。けど、先生が、『伴奏の大変さを思い知る、いい機会にしてあげるよ』って仰ったから、先生がそのつもりなら、胸を借りようと思って挑戦することにした」

 悟…かっこいい…。

「凄いよ、悟。頑張って。応援してるから」

 僕まで興奮しちゃって、ちょっと声が震えたりして。

 悟が僕の手を握った。

「頑張る。できるだけ経験を積んで、葵が大学へ来るのを迎えたい」

 悟…。

「…ありがとう…悟」

 いつか、プロとして同じステージに立つ日を目指して、僕も悟に負けないようにがんばりたい。

「見てて。僕も今年一年、管弦楽部で精一杯やるから」

 少し緊張していた悟の顔が、綻び、そして、近づいてくる。

 今度こそ、暖かい唇が優しく触れて、いつの間にか肩に回っていた腕が、僕をギュッと抱きしめ…。


「あ〜! やっぱりここにいたっ」

「お取り込み中に悪いんだけどさ、退校時間だぜ、悟」

 え? もうそんな時間?

 岩場の下から見上げている、昇と守の姿に、悟は『はぁぁ〜』とため息を漏らし、『やっぱり早く来年にならないかなあ』と呟いた。

 僕も同じ気持ちだよ、悟。

 ずっとずっと、片時も離れず一緒にいたい。

 そのために、がんばろう、僕たち。


 岩場を降りて、四人でゆっくりと正門までの道を行く。

「葵、直人の部屋に、佳代子さんからの差し入れ置いてきたから、あとでもらいに行っといで」

「ほんと?! ありがと、昇!」

「お手製のチョコがけワッフルだぜ。もう、めっちゃ美味いし」

「あ、守はもう食べたんだ?」

「当然。朝から3つ食った」

 凄い、さすが甘党〜。

「しかも、それに砂糖たっぷりのカフェオレだもんね。隣で悟が『気持ち悪〜』って顔してた」

 昇が笑って報告してくれる。

「悟は食べなかったの?」

 悟は甘いのダメだもんね。しかもチョコがけはさらに苦手だし。

「僕にはちゃんと、甘味のないパンケーキを焼いてくれるんだよ、佳代子さんは」

「わあ、さすがだね、佳代子さん」

「母さんもがんばってるよ。今度葵が帰ってきたら食べさせるんだって、新作のにんじんケーキを開発中〜!」

「ええ〜!?」

 昇の言葉に僕は青くなったりして。



 新しく始まった、悟たちの日常。

 来年は、僕の姿もそこにあるはずで、その事を待ち遠しく思いながらも、でも高校最後の一年を目一杯楽しんでやるんだと、決意もしている僕だった。



END

一応これで、君愛の本編であります『四兄弟編』は完結です。

が、葵に関しましては、何故か私のPCの中に、『葵・高校3年番外編』というフォルダがありまして(笑)
チラッと出てきました、双子ちゃんと葵の一騒動とか、葵が卒業する頃のお話などを予定しています。

さらに、これから数年後には、守くんが『某さんちのお父さんにぶっ飛ばされに行く話』もあるんですが、
それはまた、別の機会に…(というか、別の場所で?)。

それと、祐介たち『苺組』や、アニーと司もなんとかしなくちゃいけませんので、またゆるゆるとがんばります。

長きに渡り、四兄弟のお話におつき合いくださいまして、本当にありがとうございました!


君の愛を奏でて2 目次へ君の愛を奏でて 目次へ