君の愛を奏でて 2

『Happy Happy Strawberry』

【5】
最終回




「あ、でも、あの、奈月先輩のことは…」

 恥ずかしいことに、いつの間にかお膝抱っこ状態になっていた僕は、あんまり幸せすぎて、大事なことを忘れてたことに気がついた!

「葵?」

「はい。わけがあって恋人のフリをしてもらってるって聞きました」

「…あ。そうだった」

 …もしかして、先輩もコロッと忘れてた…とか?

「葵に、どこまで聞いてる?」

「ええと、詳しいことはなんにも聞いてないです」

「そうか…」

 ちょっと考えてから、先輩は僕の目を見た。

「あのな」

「は、はい」

 大事な話だ…と、直感した僕は、思わず背筋を伸ばした。

 相変わらず先輩の膝の上…だけど。

 そして、先輩は真剣な目で言った。

「卒業して、ある人に手渡すまで、葵を守りたいんだ」

「守る…ですか?」


 奈月先輩は、精神的には強い人だと思うんだけど、でも、今まで僕が聞いただけでもたくさんの苦労をしてきてるし、それにあの通り、華奢でとんでもない美人さんだから、そう言う意味で危険も多いんじゃないかな…ってことは、僕にもわかる。


「そう。それには、これが一番手っ取り早くて効果的なんだ。上手い具合に、みんな勝手に誤解してくれてるしな」

 …えと、その誤解を僕もしてたわけだから、これが一番効果的なのは、よ〜くわかったりして…。

 でも、『ある人』…って?

「あの…それって、もしかして奈月先輩には他に恋人がいるってこと…ですか?」

 偽装じゃなくて、本当の。

 僕の疑問に、先輩は頷いた。

「そう言うことになるな。ただ、いろいろあって、あんまり大っぴらにはできないんだ。まあ、だからこそ僕がその代わりに…って言うところもあるんだけどな」

「そう、ですか」

 奈月先輩の、人には言えない恋人…。

 気になるけれど、今は聞いちゃいけないんだと感じたから、これ以上は聞けない。

 でも、奈月先輩は辛いんじゃないかな…。言えないなんて…。


「うん。だから、卒業までは、僕はこのまま、表向きは葵の恋人でいるつもり。でも…」

 不意に、先輩の声が柔らかくなった。

「僕が好きなのは…」

 先輩の目が僕をジッと捉えて、僕はと言えば、すっごく恥ずかしいのに目が離せなく…。


「…目を、閉じて」

 息がかかるほど間近で囁かれて、僕は呪文にかかったように目を閉じた。

 先輩の体温が、もっと近くなって、温かい息が触れたあと、柔らかいものが僕の唇を包んだ。

 …これって……もしかして……もしかしなくても………キ、ス?!

 あんまりびっくりして、思わずパニックになりそうだったんだけど、先輩はそれを察したのか、優しいけれどしっかりとまた抱きしめてくれて、僕を少しだけ落ち着かせてくれる。

 唇はそのまま包まれて、少し動いたあと、『ちゅっ』…なんて、めちゃくちゃ恥ずかしい音を立てて離れていった。

 そして、僕は抱きしめられたままで。

「あのさ…」

 ほっぺ同士が触れたままで、先輩の声がいつもより深く、低く聞こえてくる。

「は、い」

「誰かに『あき』って呼ばれたことある?」

「な、い…です」

 僕のこと、苗字で呼ばない友達はみんな、『彰久』って呼ぶから。

「じゃあ……あき…って呼んでいいか?」

「…は、い…」

 なんだか僕はぼんやりしてしまっていて、よくわからずに返事をしちゃったんだけど。

「…僕だけの…だから」

 そう呟かれて、なんだかとんでもないことになっちゃった気が…。


「でも、葵のことがあるから…大っぴらにできなくて、ごめんな」

 って、もしかして先輩っ、僕のこと、大っぴらにする気だったのっ?

「えっ、あのっ、いえっ、どのみち大っぴらはちょっと…」

 思わず、それはやめて下さい…と、半分涙目になっちゃって訴えてみれば、先輩の表情が明らかに曇った。


「…嫌か? 僕とそう言う仲だって知られるのは」

 それはこっちの台詞ですってば〜。

「…ち、違いますっ。そうじゃなくて、こ、困るからっ」

「どうして」

「…どうして…って…」


 だって、ただでさえ、学校の『看板部活』と言われている華やかな管弦楽部の中にいて、しかもその中でも最も華やかと言われている――中にいる僕にはそれが当たり前だからよくわからないんだけど――フルートパートにいて、浅井先輩だとか奈月先輩だとか…ともかく有名な先輩に仲良くしてもらってるから、結構妬まれてるんだ。

 もちろん、仲の良い友達はそんなことないんだけど、よく知らない同級生や先輩たちからは、わざと聞こえるように嫌みを言われることなんて、しょっちゅうだから。

 でも、そんなこと先輩に言うわけにいかない…。

「僕に言えないことか?」

「…あ、ええと…」

 先輩の大きな手のひらが僕の両肩をしっかり掴んで、間近で視線がきっちり合わされてしまうと、僕はもう、目を逸らすこともできなくて。

「出来ることなら、全部知っておきたいんだ。お前の身の回りのこと」

 だから、話して…と、これ以上ないほど思い詰めた目で言われてしまって、僕は結局、白状させられてしまうことになって。

 でも、先輩は僕の話を聞いたあと、柔らかい声で言ってくれた。


「大丈夫。これからはずっと、僕が守るから」

 …って。



                   ☆ .。.:*・゜



「謝りは、しない」

「…当然です。先輩に謝られるようなことは、なにもありません」


 高3と中2。

 学年こそ大きく離れているものの、その見た目はほぼ互角で、しかも中2の英彦はその態度すらひけを取らないほどに堂々としている。

 しかし、祐介もここで怯んではいられないのだ。

 今までの、自分の不甲斐なさを認め、この先の道を自信を持って進むためには。

 二人は、夕食時と言う、最も音楽ホールの空いている時間を選んで、いつもの練習室で向き合っていた。


「ただ…礼は言いたいと思ってる」

「…え?」

「僕が気がつかないでいた間、初瀬がずっと、守っていてくれたから」

「先輩……」


 4つも下の自分に、真摯な表情で頭を下げる祐介の姿を一瞬眩しげに見つめて、英彦は一つ深呼吸をしてから一枚の写真を取り出した。


「これ…は?」

 見せられた写真に、よく知る顔を見て、祐介が目を見開く。

 しかし、よく似ているがやはり違う。自分の恋人の方がずっと健康的だ。
 写真の人は、透き通るほどに儚い。


「僕の兄、です。生きていれば、今年高2になっています」

「亡くなった…のか」

「はい。もう3年になります」

 写真に向かって、見たことのないほど優しげに微笑みかけると、英彦はそれを大切にしまい込んだ。

「僕が最初に、藤原先輩に惹かれた理由はこれです」

「そう、か」

 彰久に、兄の面影を見たのだろう。

 そしてきっと、それは次第に姿を変えて……。


「でも、やっぱり僕は、弟にしかなれませんでした」

「初瀬…」

 悲しそうではないけれど、寂しそうではあるその顔に、掛ける言葉をなくして祐介も視線を落とす。

 そしてほんの暫く、それぞれの感傷に沈んでいたのだが…。


「ところで先輩」

「ん?」

 いつも通りのトーンで掛けられた声に視線を上げてみれば、そこにはやっぱりいつも通りの英彦がいて。


「卒業までは、奈月先輩との『偽装恋人』は続けられるんですよね?」

「周りが騙されてくれる限りはな」

「じゃあ、その間、藤原先輩とのことは大っぴらにできないわけですよね」

「…ああ、まあそうなってしまう…な」

 彰久には本当に悪いと思うのだけれど、彼自身も大っぴらにして欲しくないと願っているようなので、暫くは甘えさせてもらうことになりそうだ。


「じゃあ、藤原先輩の『偽装恋人』は僕が引き受けますからご安心を」

 英彦が、ニヤリ…と、今まで見せたことのない不遜な笑いを漏らして言った。

「…おい、初瀬…」

 まさかこう来るとは思っていなかった。

 けれど、頭の端を『自業自得』だとか『因果応報』なんて四文字熟語が過ぎって行って、絶句するしかない祐介だった。



                   ☆ .。.:*・゜



「何だか初瀬くん、逞しくなったね〜。一皮剥けたって感じ?」

 数日後、消灯点呼前の123号室で、感心しきりの様子で葵が言った。

 見た目も懐も大きいけれど、でもその中身はかなり繊細だった彼は、何だか中身も剛胆になってきた様な気がすると、感じるのだ。


「…まあな」

『ね?』と、同意を求められた祐介も、悔しいが事実には違いないので認めざるを得ない。

 そして。

「で、どこまで進んだ?」

 唐突に、しかもこれでもかと言うくらいウキウキと聞かれて、祐介はガックリと脱力した。

「どこまで…って。…キス、だけだけど」

 他の誰かに聞かれたのなら『なんのことだ』としらばっくれるところだが、葵にはいろいろと面倒を掛けた手前、誤魔化すのも悪い気がして、少し小さな声で正直に答えてみる。

 まあ、葵が相手では誤魔化すのは至難の業だろうけれど。

「え。…意外と奥手なんだね、祐介ってば」

「奥手ってなあ…。まだたった3日だぞ? その3日でそれ以上手出しするなんて、ケダモノじゃないか」

「え〜、そうかなあ」

 成就したのが3日前なだけで、自覚の有る無しはともかくとして、お互いの想いはずっと前から在ったのだから、別にいいんじゃないのかなあ…なんて、葵が首を傾げる。


「オトコは恋したらちょっとくらいケダモノっぽい方がいいような気もするけどな〜」

 無責任に、しかも脳天気に言ってみれば、祐介はスッと目を眇めて葵を見つめた。

「もしかして、悟先輩って、ケダモノなわけ?」

 見た目はこれでもかというくらいノーブルではあるけれど、まあ、人は見かけによらないとも言うし、葵に関しては、ムキになったり焦ってみたり、感情の起伏の激しいところを見せてもらってきたから、案外…とは思えるが。


「…えっと、まあ、時々…ね」

 ちょっと目を泳がせている葵を見ると……そうなのだろう。

 そして、以前ならそんな葵の様子に、チリチリと焦げるような痛みを覚えたものだけれど、今はもう、微笑ましいとしか感じられない。

 それほどまでに、自分たちの友情は昇華してきたということなのだろう。

 失恋したあの日から、そうなりたいと、切ないほど望んだ通りに。


「や、僕たちのことはどうでもいいってば。今話してるのは祐介と藤原くんのことだろ?」

 いきなり立ち直ったかと思うと、葵はもうワクワクしている様子で、祐介は『はぐらせられなかったか…』と、わざとらしく一つ、ため息をつく。

 そして。

「いや、だってなあ…」

「だって?」

「なんか、柔らかすぎて、抱き潰してしまいそうなんだ」

 抱きしめただけでも腕の中で壊れてしまいそうで怖かったのだ、実際。

「あらま」

 そんなに柔らかいのなら、自分も真正面から思いっきり抱きしめてみたいと思った葵に、祐介が剣呑な目を向ける。

「おい、葵」

「なに」

「まさか、抱きしめてみようとか思ってないだろうな」

「…ぎくっ」

「あー! やっぱりっ! ダメだからなっ」

「なんでさー、減るもんじゃなし〜」

「減るっ」

「え〜、狭量なオトコは嫌われるよ〜」

「なんだと〜!」

「きゃ〜! ケダモノ〜!」



 祐介が、彰久から『僕の気持ち、中1の終わりには気がついてたって奈月先輩が…』とか、英彦から『奈月先輩にはまだ片想いですって告白しました』などの証言を得て、何もかも葵の掌の上で転がされていたのだと気付いたのは、それからまだ少し後のことだった。



END

あとがき

おかげさまで、引っ張りに引っ張った苺組も一応のゴールインと相成りました。
今まで、やきもきしつつ応援して下さって、本当にありがとうございました。

で、今後の二人ですが。
約一年後に夏休みを利用して、
二人で祐介のおばあちゃんのお家へ行くようです。
そこで何が起こるのか(*^m^*)
いつか書こうとおもっていますので、気長に待っていただけますと幸いです☆

というわけで。
やっぱりなんだか初瀬くんの方が『いい男』のような気がしてならないワタクシでございました(笑)

↓後日談もどうぞv

☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆.。.:*・゜♪゜・*:.。.☆

「後日談」〜横笛部隊の密かな憂鬱



「奈月先輩、ちょっと相談したいことがあるんですけど」

 そう言って、部活が終わったときに声を掛けてきたのは、同じ高等部フルートパートの2年生、紺野くんと1年生の谷川くん。

 半月ほど前、同じように僕に声を掛けてきた二人は、そりゃあ深刻そうな顔をしていたんだけれど、今日はちょっと違う。

 なんだか、心なしか顔が紅いような…。

 でもって、前回と違って、二人の相談内容に思い当たることのない僕は、二人を練習室に促して…。




「え? 藤原くん?」

 今回もなんと、二人の相談は、藤原くんのことだった。

「はい、この前は、奈月先輩と浅井先輩のおかげで藤原も元気を取り戻してよかったなあと思ってたんですけど…」

 言って、ちらりと隣の谷川くんを見る、紺野くん。

「…あ〜、ええと、その、デスね。何と言いマスか…」

 今度は谷川くんが紺野くんをチラリと見返す。

 まるで、どちらが先に言い出すかで、お互いを牽制し合ってる感じなんだけど。


「…どしたの?」

 不審に思いつつも、この前のような深刻さは感じられないことにちょっと安心しつつ、僕がもう一度先を促すと、二人はまた顔を見合わせて、やっと口を開いた。

 ちょっと恥ずかしそうに。


「なんかこう、危険な感じなんですよ。やたら可愛くて笑顔を振りまいてて」

「今まで『オコサマには興味ねえ』なんて言ってた連中まで、ちょっかい掛けそうな勢いで、ちょっと心配なんデス」

 …なるほどね…。

 確かに体中から幸せオーラ垂れ流しで、ただでさえ可愛いのが、これでもかって言うくらい愛くるしくて、僕もそのうち、祐介の目を盗んで正面からハグしちゃおうと目論んでいるくらいのもので…。


 あ〜…でもこれは祐介に…報告しなきゃならないだろうなあ。


 そうそう。
 祐介が、『藤原くんが僕たちと仲が良い所為でやっかまれたり妬まれたりしてるらしい』って情報を仕入れてきて心配してたけど、僕が後輩たちから得た情報によると、ちょっと違うんだよなあ。

 ま、確かにそんなこともなくはないらしいんだけど、そう言うのはごく少数派らしくて、どちらかというと、藤原くんにちょっかい掛けるのは、『藤原くん本人の気が引きたいから』とか『構って欲しいから』ってことらしい。

 つまれアレだよ。
 小学生が、好きな子苛めちゃうっての。あのレベル。

 だから、『警戒』するにも、ちょっと方向性が違うってわけ。

 でも祐介ってば、今幸せの絶頂で藤原くんしか見えてないから、周囲の複雑な反応にまで気が回ってないんだろうなあ〜。

『僕が守る』なんてエラそーに宣言してたクセにさあ。

 ったくもう〜。まとまったらまとまったで、また面倒なことに…。



「奈月先輩?」

「あ〜うん。祐介に相談してみるよ」

 余計面倒なことになりそうな気がしないでもないけれど。

「すみません。よろしくお願いします」

「うん……任せて」

 本当は任せられたくないのだけれど、仕方がないや、もう。

 でも。

 祐介に相談するより、初瀬くんに相談した方が建設的で有益かも……なんてね。


 
END

というわけで、やっぱり初瀬くんの方が頼りに……(以下同文)


君の愛を奏でて 目次へ君の愛を奏でて2 目次へ
Novels Top
HOME