2010年お正月企画

君の愛を奏でて

「僕と彼との微妙な関係」
【後編】




「僕も京都へ行くよ、司と一緒に」

 演奏旅行先の香港から帰った日、もう1泊お世話になることになっている珠生の家の、この前までと同じ部屋で、アニーが僕にそう言った。


「へ?」

「あ、心配しなくて大丈夫。ちゃんとホテルも押さえてあるから。面倒は掛けないから安心して?」

「や、そんなことじゃなくって」

 いきなりだから驚いたんだ。急に京都に行くだなんて、フットワーク軽いなあって。


「日本へ来たからには京都へ行かなくちゃ」

「…あー。まあ、それには賛同するけど」

 ほんとの日本は京都にある…って、京都人はたいがいそう思ってる。
 だから、京都を見ずに、日本を語るべからずってこと。
 そう言う点ではプライド高いんだ、京都人って。


「だろ? それに、新幹線にも乗りたいし、晴れてたら富士山も見えるし〜」

 ワクワク語るアニーの顔は、どう見ても観光客そのもの。
 …そうだな。アニーが日本にいるのも、あと2年ちょっとだし。


「だったらさ。ホテルキャンセルすれば? せっかくなんだから、うちに泊まればいいよ」

「え。そんなの悪いよ。ただでさえお正月でいろいろ忙しいだろうし、突然行ったら迷惑になるよ」

 アニーは慌てて、顔の前でぶんぶん手を振った。

「ううん、平気平気。お正月なんて、観光地はかき入れ時だから、土産物屋やってる僕んちは、正月休みなんてあってないようなものだし。それに両親も兄ちゃんもお客さんには慣れてるから」

「いや、でも…」

「大丈夫だって。今から電話して聞いてみるけど、大歓迎してくれると思うよ」

「…ほんとに?」

「うん、間違いなく…ね」


 そうなんだ。実はうちの父さん、音楽大好き人間で、一番好きなのはジャズなんだけど、その次はクラシック。

 楽器はドラムだのギターだのベースだの、色々と持ってる割にはどれもまともに弾けなくって、その分僕に期待を掛けた…ってところもある。

 で、クラシック好きの父さんとしては、当然のように『オーボエ奏者のアーネスト・ハース』はよく知っていて、その彼が聖陵に留学してきて息子と同級になったって知った時の驚きようったら。

 ほんと、母さんとお兄ちゃんが呆れるくらい舞い上がってたらしい。

 でも、知らないんだ。父さんも母さんもお兄ちゃんも。
 僕と、その『アーネスト・ハース』が親友だなんて。

 単なる同級生としか認識してないから、『話、したことあるのか?』とか『サインってもらえるもんか?』なんて、真顔で聞いてくるし。

 僕も『卒業までには頼んでみるよ』なんて返したからなあ。
 …って、まだ頼んでないんだけど。


 だからきっと、連れて帰ったら腰抜かすと思うんだ。

 面白そうだから、誰って言わずに、『管弦楽部の友達連れて行く』って言っちゃおうかな。
 それでも、うちの家族は歓待してくれると思うし。

 で、僕の提案にアニーが大喜びしてる。


「司の家に行けるなんて〜!」

 そんなに喜ばれると、なんだかくすぐったいんだけど…。




 演奏旅行に行く前、僕はここで、アニーに告白された。

 だからって、もちろん、ハイそうですか…なんて言えるわけ無くて、『急がない』っていうアニーの言葉を真に受けることにして、僕は旅行中も考えることをやめていた。

 アニーも、いつもと変わらなく接してくれていて、だから特に何かが変わった…ってことはなかった…ように思う。
 いつもと同じように、いつも一緒にいて。

 本番前には、緊張して堅くなってる僕をずっと抱きしめていてくれたんだけど、それは今までと同じ。

 夏のコンサートで初めてコンマスに座った僕が、頭が真っ白になるほどガチガチになっていたのを、励まして、解してくれて以来、本番前はいつもそう。

 だから、この2泊3日の演奏旅行は、いつもの『僕たち』だったんだ。

 だから、このままでもいいんじゃないか…って、思ったりもして。

 だいたい、こんなのはきっと、長続きしないだろう。
 アニーはまた、新しい恋を見つけるんじゃないかなって、僕は思ってる。

 もし、続いたとしても、アニーは卒業したらドイツへ帰る。それは本人もはっきり言ってることだから。

 だったらきっと、そこで終わり。
 でも、期限付きの恋…って、僕的には虚しい。

 同級生たちは、檻の中だからこそ、こんな恋でも楽しいんだ…なんて言う。檻から出たら終わるからこそ、のめりこめるんだって。

 でも、葵ちゃんと悟先輩は違う。
 二人を見てたら思うんだ。状況も条件も、関係ないって。
 本物は、本物なんだって。

 けれど、その『本物』になるのはきっと、難しい。
 いくつもの壁を乗り越えなきゃいけない。
 それも、一人ではなく、二人で。
 どちらかがギブアップしたら、もう後はない。
 まして、最初から終わりが見えてたら、がんばることなんてできない…。

 僕にはそんなの……無理だ。


 って、ぐるぐる考えつつも、両親に、『親友を連れて行ってもいい?』って連絡したら、思った通り大歓迎ってことで、何か食べたいものないか…とか、見に行きたいところがあれば連れて行ってあげるから…とか、かなりワクワクしてるみたいで。

 でも、親友ってだけじゃなくて、告白されたなんて知ったら、腰抜かすどころじゃないだろうなあ。


 いや、それはさておいて。

 そんなわけで、僕は急遽、アニーを連れて帰省することになった。

 葵ちゃんから、『一緒に帰ろ?』って誘われてたんだけど、あっちはもれなく悟先輩がついてくるし、お邪魔虫にはなりなくないから――悟先輩ってば、僕の前では遠慮無く葵ちゃんといちゃついちゃうし――僕は一人で帰ろうと思ってたので、ちょうどいいと言えばそうなんだけど。

 12月30日なんて、もう指定席は取れないよって言ったんだけど、アニーは『グリーン車なら空いてる列車もあるよ』って、僕の普通車指定をさっさとキャンセルして二人分をグリーン車で取り直した。

 グリーン車なんて、なんて贅沢な…って思ったんだけど、アニーは事も無げに、『だって僕は15歳から稼いでたんだから』って言った。

 稼ぐばっかりで使う暇がなかったから、ほとんど貯金になってるらしい。
 貯まってたおかげで、日本にも来て、学費も払えてるんだけどね…って、笑ってたけど。

 そう言えば葵ちゃんが言ってたっけ。
 アニーのワンステージのギャラって、日本円にしたら3桁の万円になるって…。

 …なんだか、今更ながら、住む世界の差が身に沁みるなあ。

 ま、住む世界が一緒になることはないんだから……いいか。



                 



 夏休み以来の京都。

 やっぱり底冷えしてて、骨がきしみそうなほど寒いけど、京都の空気はやっぱり違う。
 東京より、澄んでる気がする。

 そう思うのは、まだ東京に慣れていないから…なんだろうけど。


「アニー、寒くない?」

 降り立った新幹線のホームは風が吹き抜けて、体感温度はさらに低いって感じ。

 東京から2時間半の旅は、初めて乗った新幹線と、澄み切った青空に全容をすっきりと見せてくれた富士山に、興奮しまくりのアニーのおかげであっという間だった。


「全然。ドイツの冬なんて、こんなもんじゃないよ」

「え、ドイツってそんなに寒いの?」

「場所にもよるけれどね。僕の家は都会にあるからそうでもないけれど、おばあちゃんのいるところは、冬はずっと雪に閉ざされてるよ」

「そうなんだ」

 京都は寒いけど、雪はほとんど降らない。降ったらニュースになるくらいだから。


「そう。でも暖炉のある部屋はすごく暖かいんだ」

「暖炉? すごい、かっこいい〜」

「司にも見せたいな。おばあちゃんちの暖炉」

「え…?」

「いつか、見に行こう」

「…うん、そうだね…」



『いつか』

 遠い未来を指すその言葉に、僕はこの前からちょっと敏感。
 考えないようにしてるんだけど…。 



                



 父さんが駅まで迎えに来てくれるって言ったんだけど、年末の京都駅周辺は大混雑。

 しかもアニーが、電車に乗りたいって言うもんだから、地下鉄と京阪を乗り継いでうちへ帰ることにした。

 ま、それで良かったかも。
 父さんに、駅で腰抜かされても困るし。




 京都・東山。
 祇園四条駅で降りてから、いつもなら家まで歩いて7〜8分ってところなんだけど、観光客や買い物客で混雑が始まっていて、15分もかかった。

 でも、その道沿いは、これでもかって言うくらい京都の雰囲気満点だから、アニーはもう大興奮。

「来て良かった」って、15分の間に100回くらい言ったかも。

 で、案の定、家に着いてみれば、父さんが派手に腰を抜かした。

 これでもかってくらい綺麗な日本語で挨拶をするアニーを前に、『ようこそ』って言いかけて茫然自失。

 母さんはと言えば、よもやの金髪碧眼の登場に、一瞬唖然。
 でも、5秒くらいで蘇った。さすが、お茶屋の娘。祇園の女は強い。


 その後、幽体離脱から戻ってきた父さんと、ハンサムなドイツ人の登場にめろめろの母さんと、『俺、英語ダメ!』って逃げ腰だったものの、アニーが完璧に日本語を話すのでホッとしたお兄ちゃんは、アニーを文字通り大歓迎してくれて、のっけからハイテンション。

 こんなので、お正月の間、持つんだろうかって感じ。

 夕飯の席では父さんが、実は僕が聖陵に入る前からアニーのファンだったのだと告白して、アニーを喜ばせてた。



 そうして、やっと落ち着いた、30日の深夜。
 坪庭に面した客間でアニーがしみじみと呟いた。

「嬉しいな」

「そんなに嬉しい?」

 帰ってすぐ、この客間に案内したら、坪庭に感激しちゃって暫く写真撮りまくりだったんだ。

 こんなに喜んでくれるんなら、こっちとしても連れてきた甲斐が……

「だって、お父さんを味方に付けたも同然じゃない」

 へ? 味方? なんだそれ。坪庭のことじゃなくて? 
 味方って、そもそもアニーに敵っている?

「…どういうこと?」

「ん? まだわからなくてもいいよ」

「え〜、なんで〜」

「そのうち、わかる時が来るから。…ね」


 …また…だ。

『そのうち』って言う、確証の無い未来。
 今までこんな些細な言葉、気にしたこともないのに。


「…アニー…」

「司は何にも心配しなくていいから」

 額にふわっとキスが落ちてきた。



                



 葵ちゃんと悟先輩は、僕たちより2時間くらい早く帰ってたみたいで、お土産もって、『ただいま』って言いに来た…ってお兄ちゃんに聞いた。

 で、31日、大晦日の夕方。

 由紀姉ちゃんが、お座敷の合間にわざわざ時間を取って戻ってきてくれると聞いて、僕とアニーは、葵ちゃんの家へ行った。

 なんでも、僕が外国人のお客を連れてきた…って聞いたらしくて、舞妓姿を見せてくれるためらしい。

 想像通り、アニーは由紀姉ちゃんの舞妓姿に、「これぞ日本」って、感激のあまり目を潤ませる始末。

 いろいろと由紀姉ちゃんを質問攻めにして、由紀姉ちゃんも、そんなものは慣れっこで、随分話が弾んだ。

 そして、和服の歴史に話が及んだ時、去年、直衣を着た…ってアニーが言いだした。

 そう、聖陵祭で源氏物語をやった時のことだ。

 そしたらその瞬間、悟先輩の顔色が変わった。

 そりゃそうだ。艶姿十二単だもんね。

 その点、僕と葵ちゃんは堂々の直衣姿だから、誰に見られても恥ずかしくない。
 自分で言うのもなんだけど、かなりいけてたと思う。
 葵ちゃんの美少年ぶりには負けるけど。

 で、焦る悟先輩をよそに、僕と葵ちゃんはベラベラ喋るわ、葵ちゃんのデジカメからは消去されたデータが、アニーのデジカメにはしっかり残ってたり。

 由紀姉ちゃんは、悟先輩と浅井先輩の十二単姿を見て、『負けた…』って呟いてた。

 祇園の人気ナンバー1舞妓に『勝ってしまった』先輩――身長180cmの藤壺の宮――は、脱力し果ててたけど。


 そんな風に楽しく過ごした後、僕たちは京都の年越し行事の中でもっとも有名なものの一つに挙げられる、八坂神社の『をけら詣り』に行くことにした。

『をけら詣り』ってのは、簡単に言っちゃうと、『八坂神社の御神火を、火縄に移していただいて帰る』って行事。

 持って帰った御神火は、神棚の灯明に灯したり、お雑煮を炊く火種にしたりするんだけど、もちろん今は、そんな家庭はほとんどない。
 うちは神棚があるからお灯明にはしてるけど。

 燃え残った火縄を「防火のお守り」として、お祀りする人は今でも結構あるらしい。

 で、僕的にはあんな超混雑お断りなんだけど、せっかくだから、アニーには見せてあげたいと思うし。

 悟先輩は、『去年行って懲りたから』って、パス。
 と言うことは、葵ちゃんもパス。

 その気持ちは、わかる。
 踏まれに行くようなもんだし。
 芋の子を洗う混雑って、まさにこのことって感じだもんね。



                



 というわけで、その超混雑の中。

 ほんと、どこからこんなに人が沸いてくるのか…ってくらい、人がいる。多分、カウントダウンパーティのディズニーランドより混んでると思う。

 …でも、体がデカイってこういう時便利かも。
 見失わないし、押しつぶされないし。

 僕と葵ちゃんのコンビだったら、きっとぺっちゃんこに違いない。

「うわっ」
「司っ」

 案の定、人波に押されてよろけた僕を、アニーが左腕でがっちりと抱き込んだ。

「ほら、ちゃんとしがみついてて」

 右腕を取られて、高い位置にあるアニーの腰に回された…。

「僕にひっついていれば、大丈夫だからね」

「…うん」

 僕一人が寄りかかったくらいではびくともしない、がっちりとした体から伝わってくる、アニーの温もり。

 見上げれば、あちらこちらに焚かれている篝火に照らされて、キラキラ光るアニーの髪と、優しく僕を見下ろす笑顔。

 急に胸がきゅっと縮んだ。


 …って。僕ってば何をときめいて……。

 でも、こんな風に寄りかかってると、何にも心配しなくていいような、そんな気になってしまう。

 今までだって、ずっと僕は、アニーに助けられて…ううん、守られて、聖陵での毎日を送ってきた。

 そう、一番どん底だった日にも、側にいてくれたのはアニー。
 憎しみに曇ってしまった僕の目を、明るい方に向けてくれたのも、アニー。


 アニーの側にいれば、ずっと穏やかでいられるような、そんな錯覚がして…。

 移した御神火を消さないように、火縄をくるくると回しながら、この混雑すらも楽しんでいるように見えるアニーをぼんやりと見上げながら、僕はまるで、まだ飲んでもいないお屠蘇に酔ってしまったみたいに、ふわふわしていた。



                 



 明けて元旦。

 初詣に行って、おせちや百人一首で一日中盛り上がった。

 で、2日には、なんと浅井先輩がやってきた。
 1泊だけなんだけど、どうも由紀姉ちゃんが『噂の浅井くんに会いたい!』ってゴネたらしい。

 で、さすがにゴネただけあって、初対面から意気投合しちゃって、『葵に振り回された者同士、仲良くしよう』って手を握りあって慰めあってて、『なにそれ』って、葵ちゃんがむくれてた。

 でも、やっぱり由紀姉ちゃんの方が上手だったな。

 だって、『十二単姿の浅井くん、祇園の舞妓も裸足で逃げ出す美しさやったわ〜』…なんて、爆弾落とすんだもん。

 その一言で灰になった浅井先輩を、悟先輩がマジ顔で慰めてたのが可笑しかったりして。

 そうそう、夏には中3が修学旅行で京都にくるんだけど、その時には絶対、これまた『噂の藤原くん』を見に行くって、由紀姉ちゃん、張り切ってたっけ。



 そんな風に、お正月をみんなでわいわい楽しく過ごして、4日の朝。

「珠生が、寂しがってるらしい」って、アニーが一足先に帰ることになった。

 僕は、8日から学校が始まるので、7日に戻る予定なんだけど。

「3日も司と離れるのは寂しいんだけど」

 自分でもちょっとくすぐったそうに笑いながら、そう言って、アニーは僕の手を取り、坪庭に面した縁側に座った。
 気温は低いけれど、ここは陽が当たって気持ちいい。


「司…」

 あの日、珠生の家で、僕に『好きだ』と言ったのと、同じ口調。
 それだけで、僕の心臓の動きはちょっと早くなる。

「司は僕のこと、好きになれそう?」

「…アニーのことは好きだよ、最初から」

「そうじゃなくて」

 可笑しそうに小さく声を上げて笑うアニー。

 それが、ふと真顔になった。


「一つ重要なお願いがあるんだけど」

「えっ、なに?」

 真顔での『お願い』に、思わず身構えてしまう。

「2年の、寮の部屋割り。同室希望を出そう」

 …それは…。

 僕だって、アニーと一緒になりたいなって、思ってた。ずっと前から。
 でも…。

「僕は、いつでも司と一緒にいたい。司の側に、いたい」

 こんな気持ちで側にいて、大丈夫なんだろうか。
 アニーの気持ちも、僕の気持ちも…。

「ね、お願い、司」

 重ねた両手をぎゅっと握られて、僕はそこで、深く考えることを放棄してしまった。

 そして、頷いた。


「司! ありがとう!」

 嬉しい嬉しいと、体中で表現しているアニーを、僕はどこか遠くに見ていた。

 そう、頷いたものの、僕は、ちょっとぐらぐらしている。
 ううん、ちょっとどころじゃなく、ぐらぐらしている。

 ずっと、絶対の信頼を置いてきたアニー。
 でも、今の僕は、違うところのどこかで、アニーを信じ切れていない。

 僕が最後ではないかもしれない…と、思ってる。

 そして、どうして浅井先輩でなくて、僕なのか、未だにわからないから。



       



 新しい年の入寮日、ばったり出会った葵くんが、嬉しそうに僕に言った。
 
「司と『同室希望』の約束したって?」

「あれ? 情報早いですね」

 どうにか司に頷いてもらってからまだ3日。

 もしかして、司が葵くんに相談でも持ちかけたかな…と思ったら。

「うん。司に『同室希望お願い』をした連中がね、ことごとく振られたらしくて、じゃあ誰と…って詰め寄ったら、『一応アニーと約束してる』って言われたって、僕に泣きついてきたんだ」

 …なんだって?
 連中…って。ことごとくって…。
 そんなに大勢の奴らが?

 それに、『一応』って…。
 はあ……。


「ま、相手がアニーじゃ勝ち目はないか…って、ある程度は諦めてたみたいだけど?」

 内心でうなだれている僕の肩を、ポンッと一発叩いて、葵くんはにっこり笑った。

「だから心配しなくていいよ」

 いや、心配は、それだけではないんだけれど。

 けれど、葵くんはそんな僕の心の内を見透かしたように、ちょっと意味深に微笑んで、僕に向き直った。


「司のこと、よろしくね」

「はい、もちろん」

 誰よりも、大切にしますから。


 僕の答えに、葵くんは満開の笑顔で頷いた。

 そして僕は、改めて自分に誓う。

 この恋は、絶対に諦めない。
 どんな手を使ってでも、諦めないから。

 ごめんね、司。覚悟して。逃がさないから。

 でも、後悔はさせないよ。
 ずっとずっと、僕が大切に守るから。

 だからお願い。僕の手を、取って……。



     



 学校が始まって1週間目に、来年の寮の部屋割りについての調査票が配られた。

 今回だけで決まる訳じゃなくて、2月末までに、あと2回提出があるって聞いた。

 3回とも『相思相愛』で提出したら、まず間違いなく同室になれる…って言うのは、管弦楽部の先輩から聞いた話。

 アニーは、『司の分も書いて出しておくよ。約束したんだからいいよね』って、僕の調査票を、白紙のまま持って行ってしまった。

 あと2回も多分、同じだろう。 

 それでもいいかも知れない…と僕は思うことにした。

 もともとアニーは、別の世界で生きる人。

 彼の日本での高校生活が、少しでも思い出深いものになるために、僕がいる。

 …それでいいのかも知れない。

 あと2年。その先は多分……ううん、きっと、ない…だろう。



『それでほんとにいいって?』

 そう、自分の中の自分が何度も訊いてくる。

 いいはずなんてない。

 それはわかっていても、自分ではどうしようもないことだと、僕はまた、諦めのため息を漏らす。

 そして、同じ問いを繰り返す。何度も、何度も…。

 けれど行き着く先は同じ。


 ――恋じゃなければ、よかったのに……。


 また、ため息が、漏れた。


END

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