2006バレンタイン企画

「はじめての、ちゅう。」




 まったく、甥っ子っていうのはどうしてこんなに可愛いんだろうな。

 もちろん、初めての子供に俺の姉貴夫婦もメロメロで、当然の如くジジババとなった俺の両親も初孫を前にメロメロのデロデロで。

 でも俺は実際に生まれてくるまではかなり冷静だったんだ。
 一緒に遊んでやろう…とかは思ってたけど。

 でも実際に生まれてきて、顔を見たらもうそれどころじゃなかった。

 寝ても起きても可愛い。

 さすがに大泣きされるとちょっと困るけど、でも泣き顔も捨て難かったりして。


 甥っ子が生まれた夏、俺は高校3年生で受験を控えた身だったが、正直言って大学受験はかなり楽勝だったし、体調さえ崩さなければ現役合格間違いないだろうと周囲からも太鼓判を押されていたから、かなり甥っ子との時間を取って、一緒に過ごした。

 それまで女の子たちともそれなりに遊んでたし、部活にも力を入れてたけれど、部活は夏の大会を最後に引退で、女の子とのデートは甥っ子との楽しい時間の前に色褪せてしまい、応対するのも面倒になって結局全ての女の子たちと精算することになり、俺はますます甥っ子にのめり込んでいった。


「な、姉貴ー。こいつ、赤ん坊のクセに指長いよな。将来はピアニストだな」

「当たり前でしょ。椅子に座れるようになったら英才教育始めるんだから、あんたも協力しなさいよ」

「もちろん。俺、こいつの明るい未来のためならなんだってするって」

「ふふっ、それにしてもあんたがこんなに子煩悩だとは思わなかったわね」


 いや、多分俺は、自分の子には厳しいんじゃないかと思う。
 甥っ子だからこそ、無責任に愛情だけ注げる…ってとこあるよな。

 夏に生まれた甥っ子は、その後もスクスクと育っていき、正月が過ぎる頃には『俺』って個体を認識するようになり始めて、すっかり懐くようになっていた。

 こうなるともう、更に可愛い。

 姉貴は出産後3ヶ月目にはもう、ピアニストとして仕事を再開したので、その度に甥っ子は実家に預けられるから、俺と甥っ子の絆はますます深まり…。

 大学の実技試験を間近に控えた2月のある日。
 その日も俺は、甥っ子と遊んでいた。

 そこへ、ばあば(俺にとっては母親だが、何しろ全ての基準が甥っ子仕様なので)がやって来た。


「郵便受けが一杯で困るわ。今年もよ、もう」

 何のことだと思ったら、ばあばの手には一杯の紙包み。

「なんだよ、それ」

「いやあね、今日はバレンタインデーでしょ、もう」

 あ、なるほどね。

「はい、ちゃんとお返ししなきゃダメよ」

 そんな面倒くさいこと、今までしたことないんだけど。


 ばあばは一杯の紙包みをおいて、買い物にいってしまった。
 そこへ甥っ子怪獣がはいずりながら近寄っていき、積み上がった箱に一撃を食らわせて破壊!

『だあだあ』と大喜びの甥っ子は、手近な包みを引きちぎり始めた。

 赤ん坊のくせに結構器用だ。ぐちゃぐちゃに包装を破き、振り回して箱を崩壊させたら中身が飛び出した。

 色んな形をしたチョコがあたりに散らばる。


「あ、おい、待てってば。お前はまだチョコなんか食っちゃダメだろう」

 手近なチョコを小さな手で掴み、口に持っていこうとした甥っ子からチョコを奪い返すと、甥っ子は火がついたように泣き出した。


「あー、おい、泣くなってば」

 俺は慌てて甥っ子を抱き上げて背中をトントンしてみたんだが、取り上げられたのがよほど気に入らなかったようで、一向に泣きやんでくれない。


「困ったな…」

 仕方なく俺は、さっき取り上げたチョコを甥っ子に渡した。

「こら、ダメだって」

 やっぱり口に持っていこうとしたから、俺は咄嗟にそのチョコを銜えてしまった。

 すると、何故か甥っ子は大はしゃぎを始めた。

 ほんとに赤ん坊って、何を喜ぶかわかったもんじゃない。
 まあ、そんなところが面白いんだけど。

 結局俺はそのチョコを食べる羽目になり、甥っ子は次から次へと俺の口にチョコを運び始め…。


「うー」

 もう勘弁してくれよー。俺はそんなに甘い物好きじゃないんだー。

 もうとってもじゃなく食えなくて、チョコを半分銜えたままで呻いた俺を、甥っ子はキョトンをした可愛い瞳で見上げてきた。

 次の瞬間。


「ふがっ」

 甥っ子が、俺の口から半分飛び出してるチョコに食いついた!

「いって〜」

 数日前からほんの少し覗きはじめてきた甥っ子の前歯の威力は思ったより凄くて、噛みつかれた拍子に俺の唇がちょっと切れた。

 しかも俺の口の中で半分溶け掛けていたチョコは、甥っ子の口もチョコまみれにしてしまい、俺は慌てたんだけど…。


「ちゃ〜!」

 甥っ子は同じくチョコまみれになったであろう俺の口を見て大喜びの挙げ句、『ちゅうぅぅ』と言いながら、俺の口に吸い付いてきた。

「いや〜ん!」

 そこへ妙な叫び声をあげて、姉貴が乱入してきた。

「涼太のファーストキスが〜!」

 はあ? なんだそりゃ。



                   ☆ .。.:*・゜



「ねえねえ、直人」

「なんだ、昇」

「直人のファーストキスっていつ?」


 消灯1時間前の直人の私室。
 唐突な質問に、直人は飲みかけのコーヒーを危うく吹き出すところだった。


「…おい、いきなり何を言い出すかと思ったら…」

「いいから教えて」

 お願いモード炸裂だが、これは素直に答えてもいいものか。

「お前なあ、そんなこと聞いてどうするんだ。それで不機嫌になられても責任もてないぞ」

「大丈夫だって。僕だって、直人のファーストキスの相手が僕だなんてこれっぽっちも思ってないから」

 どうせ『そう言うこと』には不自由はなかったのであろう直人の過去を思えば、もしかしたら彼のファーストキスは自分が生まれる前の話かもしれない…とまで思えるのだから、昇はこの件に関しては本当に拘ってなく、単なる興味で聞いているのだ。

 だが、ニコッと微笑み付きでそう言われても、はいそうですか…と、大の大人がホイホイ喋る気になるようなものではないのも事実だ。


「どうしてそんなことを知りたいんだ?」

「あのね、今までのバレンタインの思い出話とかしてたら、葵のファーストキスの相手が栗山先生だってわかってね、悟が微妙に落ち込んでるんだ。 で、それが面白かったから、あっちこっちでファーストキス体験を聞いて回ってるってわけ」

「面白いってなあ…」

 悪魔のような弟である。

 葵のファーストキスの相手が栗山だというのは確かに面白い話ではあるが。


「だからね、教えてv」

 再度せがまれて、直人は仕方なく口を開いた。

「…確か中2だったと思うな。相手は同級生だ」

「付き合ってたの?」

「一応な。付き合ってくれって言われて、まあいいか…って付き合ってみたんだが、2回目のデートでいきなり目を閉じて口を突き出された」

「で、いただいたってわけ?」

「そりゃまあな。女の子に恥をかかすわけにいかないだろう?」

「またまた〜、上手いこといっちゃって〜。…で、その後、その人とは続いたの?」

「いや。3回目のデートでいきなり家に連れて行かれてな。挙げ句に服を脱ぎ始めたから速攻で逃げた」

「うわ、凄いね、積極的〜。でも、さすがに逃げたんだ?」

「そりゃそうだろう。その時は興味より恐怖が先に立ったぞ」

 あれ以来、女はコワイ生き物だと言う認識が直人のどこかに根付いてしまっているのも事実だ。


「さ、私の話だけ聞いて、昇が話さないのはフェアじゃないだろう? 昇のも聞きたいな」

 手を取り、軽く引っ張るだけで昇はすんなりと直人の腕の中に納まってくる。

 その腕の中から昇が上目遣いに見上げてきた。


「…えっとさ、相手は直人じゃないんだけど、それでも聞きたい?」

 直人の表情が僅かに曇る。

 これはちょっとショックかもしれない。多分、昇のファーストキスの相手は自分じゃないかな…などと思い込んでいただけに。

「…そこまで聞かされて、知らずにはいられないだろう?」

 まあ、幼稚園のみよちゃん…なんてのもカウントに入るんだとしたら、それはそれで構わないけれど。

「うーん、結構驚くかも?」

「…なんだって?」

 直人の眉間に皺が寄る。

「だってさ、ちょっと禁断の香りがしたりして」

「おい、相手は誰なんだ?!」

 思わず詰め寄った直人に、ニタッと笑った昇が言った。


「守」

 ………。

「……おい」

「だから、守なんだってば、僕のファーストキスの相手は。ちなみに悟の相手も守だよ」

 こいつら、兄弟でいったい何をやってるんだ。

「心配しなくても5歳くらいの頃の話だから〜」

 きゃたた…と、昇は悪びれなく笑うが、5歳にもなって兄弟でキスはないだろう…と、普通なら思う。


「だってさ、守が言ったんだよ。キスは世界共通のゴアイサツだから、上手に出来ないとバカにされるんだって。『だからぼくがれくちゃーしてあげるよ』…なんて言って、ちゅう〜って」


 恐るべし守。チビの頃から兄たちを相手に腕を磨いていたということか。


「でもさ、何が悔しいって、守はそれがファーストキスじゃないってところだよね」

 ということは、守はそれ以前に体験済みということか。
 恐るべき幼稚園児。


「なんと守の相手は年上なんだよ。守は当時幼稚舎の年長で、相手は初等科の2年生。ほんと、守ってあの頃から無節操って言うか、可愛いけりゃいいって言うか」

「可愛かったのか?」

 直人先生、突っ込みどころがずれているようなんですが。

「うん。当時の初等科のアイドルだったんだ。中等科に上がった頃にはモデルやってたもんね」

「まさか、幼稚舎の頃からつきあってたとか言わないだろうな」

 守ならやりかねないが。

「ううん。『つきあって』って言われたらしいんだけど、守が『ゴメンナサイ』した。自分の可愛らしさを鼻に掛けてるような子はヤなんだって」

 何が『つきあって』だ。何が『ゴメンナサイ』だ。ガキのクセにクソ生意気な。


「お前はそんなことなかっただろうな、昇」

 昇ならクソ生意気でも可愛いだろうが、それでも『つきあって』だの『ゴメンナサイ』だのやって欲しくはない。
 年下の可愛い恋人にはずっと純情でいて欲しい…と思うのは、大人の我が儘な夢なのだ。


「僕? 僕は大丈夫だよ。だって僕がアイドルだったもんね。僕にちょっかいだそうもんなら、上級生のお姉さまたちが黙ってなかったもん」

 …血は争えないとはこのことか。

 思わずこめかみを押さえた直人に、昇が『そうそう。とっておきの話があった』と、手を打った。


「直人の大事な甥っ子の中沢涼太クンだけどさ。彼のファーストキスの相手って、誰だか知ってる?」

 母親同士が親友で、ほんの赤ん坊の頃はよく遊んだらしい中沢涼太。
 しかし彼は昇たち兄弟が幼稚舎に上がる頃、父親の仕事の関係で数年間渡米してしまい、その後聖陵へ入学してきたものの、学年も部活も違うからほとんど接点がなかった。
 交流が再開したのは、一昨年の葵の件があってからだ。


「知ってるのか? 昇」

「うん、葵に聞いた。『多分先生も知ってると思うよ〜』なんて言ってたよ」

 ということは。


「…もしかして、1年の秋園か?」

「うわ、あったり〜! やっぱり知ってたんだ、直人」

「ああ、涼太の家に秋園が泊まりに来ているところを様子を見に行ったことがあるんだ。まあ、その前からもしかしたら…とは思ってたけどな」

「ふうん、そうなんだ。そう言えば、去年の夏祭りの時に涼太が連れて行ってた友達って、もしかして秋園だったの?」

「ああ、そうらしいな。あの時は会えなかったが、後からそう聞いた」

「そっか〜。でも、いいよねえ。現在進行形の恋人が、ファーストキスの相手ってさ。まさに純愛って感じ?」

「まあな」

 そう言うカップルは、そうそうはいないものだが。

「でもな、今が一番幸せなら、昔のことはどうでもいいんじゃないか? 昇…」

 甘く囁かれて、昇はギュッと直人にしがみつく。

 昔のことに蓋をしようなんて、大人の方便には違いないが、でも確かに今が一番幸せだから、それでいいんだと納得してしまう。

 ただ、今より明日をもっともっと幸せにしたいと願ってはいるが。


「じゃあ、今日のメインイベントね」

 そっと直人の腕から抜け出して昇が取り出したのは、シックなブラウンの包装紙で丁寧に包まれた小さな箱。


「はい。愛する直人先生に僕からの贈り物」

 ニコッと微笑めばギュッと抱きしめられて『ありがとう』と優しい声が耳に埋められる。

 熱い腕の中がとてつもなく居心地がよくて、このままずっとこうしていたい。

 が、そうもいかない。
 こうしていると身体はやばくなる一方で、おまけにここは校内だ。


「ね、食べてよ」

 だから、仕方なく身体を起こして気持ちを整える。

「そうだな」

 小さな包みを丁寧に開けると中から可愛らしいチョコが顔を出した。

「昇…」

 少し危険な色を瞳に湛えて直人が小さなチョコをつまんだ。
 そして昇の口へと持ってくる。

「銜えて」

 その瞳から目が離せないまま、言われるままに小さく口を開けると、甘いチョコが差し入れられた。 

 半分だけそれを唇に挟むと、直人の大きな掌が昇の華奢な首の後ろにそっと添えられて……。


「…んっ」

 溶けるチョコより甘い、甘いキス。




「あは、直人ってばチョコまみれ…」

 チョコと一緒に口の中を甘くかき回されて、ぼんやりとした瞳のままで、昇がふわっと笑った。その表情は、赤ん坊のように無防備で…。

「そう言う昇だって…」


 その時唐突に直人は思い出した!

 17年前の今日、口をチョコまみれにして笑っていた赤ん坊の顔を。


『いや〜ん! 涼太のファーストキスが〜!』

 いや、これは不可抗力だってば。

『現在進行形の恋人が、ファーストキスの相手ってさ。まさに純愛って感じ?』


 …相手は赤ん坊だ。黙っていればわかるまい…。永遠に。



END

君の愛を奏でて 目次へ君の愛を奏でて2 目次へ
Novels TOP
HOME