4.10〜Satoru’s Birthday!!
〜The first birthday〜
悟、満1歳の誕生日。
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「あら、少し目立つようになってきた?」 桜も満開を過ぎたある春の日。 訪ねてきた親友に、香奈子は嬉しそうにそう言った。 「ここのところ急にね。まだ4ヶ月近くもあるのに」 問われた親友は、幸せそうに笑って、少し前へ突きだしてきたお腹をさする。 「予定日、7月よね?」 「うん、7月の末。あーあ、残念だわ。あと半年早かったらなあ」 勧められたリビングのソファーに慎重に腰を下ろしながら、心底残念そうにため息をつく親友に、香奈子が首を傾げる。 「え? 早かったら、何?」 「だって、あと半年早くこの子が出来てたら、あなたのおチビちゃんたちと同じ学年になれたのに〜」 そう言ってにこやかに見つめる先には3人の赤ん坊。 「ああ、そう言えばそうよね。でも、守とは1年も違わないんだもの。同じ学年も同然よ」 そう言って笑う香奈子の傍らにはベビーベッドが置いてある。 中ですやすや眠るのは、香奈子の三男である守。今日でちょうど生後半年になる。 眠る前には酷くくずるのだが、一旦寝てしまうとあまり起きないので『楽な子』と言っていい方だろう。 寝汗でほんの少し濡れている髪は天然の茶色だが、今は閉じられていて見ることの出来ない瞳も同じ茶色をしている。 「ま、でも同じ学年でない方がいいのかもね」 「あら、どうして?」 「だって、うちの子の方が出来が悪かったらイヤだもの。同じ学年だったらどうしても比べてしまうじゃない。例えば同じ学校を受験してこっちだけ落ちても悲しいし〜」 だが言葉とは裏腹に、愛おしげにお腹を撫でる様子は幸せそのもの…といった感じだ。 「やあねえ。それを言うならその反対だってあり得るのよ?」 そう言って香奈子が笑うと、それもそうね…と優子も明るく笑い声を上げる。 今日、訪ねてきた中沢優子――旧姓・光安優子――は香奈子にとって音大時代からのライバルであり、また無二の親友でもある。 学生時代は『私、結婚なんかしない』と宣言していたのだが、卒業直後のある日突然、『この人と結婚することにした』と言って香奈子に紹介した相手は5つ年上の司法修士生だった。 『どうしてまた急に』 驚いて思わず問うてしまった香奈子に、優子はあっけらかんと答えたのだ。 『だって、香奈子のこと、赤坂くんに取られちゃったんだもん』…と。 香奈子が、後輩であり父の愛弟子である赤坂良昭と婚約したのはまだ在学中のことだった。 引き合わされたのは良昭が高校を卒業した春のこと。 18の良昭とはたちになったばかりの香奈子は、初対面の時からまるで姉弟のようにうち解けたのだが、その所為か、はたまた若さの所以か、結婚してからも成熟した夫婦の関係は築けずにいて、その結果が今の状況――髪の色が違う3人の男の子が香奈子の元にいる――だ。 まさに『修羅場の最中』だった時には良昭の不実を激しく詰り、香奈子には『どうしてあなたが引き取る必要があるの?!』と詰め寄った優子だが、実際に引き取られてきた二人の赤ん坊を見て、最初にとろけてしまったのもまた、優子だった。 『この子たち、私が引き取るわ!』 冗談ではなく真顔でそう言った優子に、香奈子は『何言ってんの』と笑い飛ばして見せたのだが、実際生まれたばかりの実子・悟を抱えた状態でいきなり突入することになった『3人の子育て』を全面的に支えてくれることになった優子には――猛反対を押し切った手前、実母には頼れなかったから――今もって世話になりっぱなしで感謝の言葉もないほどだ。 「わ! 昇くん、立ってるじゃないの!」 優子のために紅茶を淹れていた香奈子が、その声に笑いながら振り返る。 「ふふっ、それだけじゃないのよ」 「え?」 「ほら、見てて」 微笑む香奈子からもう一度、昇に目を転じてみれば、ローテーブルに掴まって立ち上がっていた昇は、ヨロヨロながらも一歩、二歩…と伝い歩いたのだ。 「…歩いてる…」 「でしょう? びっくりしたわ。立ち上がったのもほんの1週間ほど前なのよ」 「だってだって! 昇くんって、まだ9ヶ月じゃないの」 3ヶ月違いでこの世に生を受けた、父親だけ一緒の3人の兄弟たち。 次男の昇は少し暗めの金髪をふわふわと揺らしながら、立ち上がったままご機嫌でテーブルを叩いている。 「標準よりも随分発育がいいって言われたの」 嬉しそうに語る香奈子の表情はどう見ても『実母のそれ』だ。 「そうよねぇ。悟くんの方がなんだか小さいような気がするもの…」 立ち上がる昇の横に、ちょこんと座っている黒髪の赤ん坊は、本日満1歳の誕生日を迎えたというのに、見る限りではまだまだ立ち上がる気配はなさそうだ。 きょとんと来客を見つめる瞳が真っ黒に潤んでいて愛くるしいことこの上ない。 1歳未満の赤ん坊の3ヶ月差は非常に大きいはずなのだが、この二人に関してはそうとも言い切れず、優子は不思議そうに首を傾ける。 「やっぱり西洋の血と東洋の血の違いなのかしら?」 「どうかしらねえ」 「あ、でもシャロンより香奈子の方が背は高いわよね」 昇の生母の名を出して言ってみれば、香奈子は『それはそうなんだけど』と首を傾げる。 「でも、シャロンのお父様が凄く背の高い方だから…」 そこまで言って曖昧に言葉を切った香奈子に、優子は眉を顰めた。 「…まだなんか言ってくるの?」 「ん〜、こっちにはもう何にも。とりあえずホッとしてるんじゃないの」 「ギューム家に東洋人の血が混じるなんて…って叫いてたものね、あちらの一族のみなさんは」 元お貴族様は大変だ…と、優子が呟くと、香奈子は小さく肩を竦めてみせる。 「シャロンもそのあたりがわかってるからこそ、昇を私に渡したのよね…」 もとより『ヨシアキのことはつまみ食い』と公言して憚らないシャロンだが、名家の跡取り娘という立場をまったく放棄して、若さに任せて自由奔放に振る舞った結果がここにいる金髪の天使だ。 「でも…シャロンが生んでくれて、本当によかった…」 香奈子の小さな呟きに、優子もまた、頷く。 「本当よね。あのままだったら…」 だが、無邪気にはしゃぐ本人を前にして、その言葉も最後までは口にできない。 もしかすると、生まれて来ることができなかったかもしれない、小さな命。 昇はローテーブルから手を離し、一歩踏み出そうとしたものの見事にバランスを崩して悟の隣に転がった。 「…ふ…ぇ」 柔らかいラグマットの上、痛くはなかったはずだが驚いたのだろう。見る間に蒼い瞳に涙が盛り上がった。 「ちゃい、ちゃい」 そんな昇の頭を、悟が小さな手であやすように撫でる。 途端に涙は引っ込んで、昇は転がったままでまた、はしゃぎ声を上げ始めた。 「あらー、ちいちゃくても悟くんはちゃんとお兄ちゃんなのね。えらいわ〜」 言いながら抱き上げると、悟は特にぐずるでもなく、素直に膝に乗せられる。そして、小さなあくびをした。 「ねえ、香奈子、演奏活動休止するってほんと?」 背中をさすると力を抜いてクタッともたれかかってきた悟を横抱きにして、本格的に寝かしつけながら優子が尋ねた。 「うん。だってこの状態じゃあねえ」 視線を巡らす先には、3人の赤ん坊。 「今はまだいいとして、この子たちがそれぞれ自力歩行を始めたら、もう戦争状態だと思うのよね。それに、せめてこの子たちが小学校に上がるまでは側にいてやりたいし」 「…ってことは、大学の話も断るの?」 この春、香奈子が母校の講師に招聘されたことを挙げ、優子が心配そうな声で訊ねる。 「うん、お断りしたわ」 「…はあぁ…もったいないわねえ」 音楽大学の…ましてピアノ科の講師ともなれば、希望者は多いが需要は少ない。 望んでなれるものではないだけに、この選択は優子にとっても残念極まりないものだ。 「まあね。でも、この子たちの手が少し離れたら、その時にはまた出来ることを探そうと思ってるから」 今一番大切なのは、この子たちの側にいてやること。 どの子にも、幸せになって欲しいから。 そんな香奈子の内なる願いが聞こえたのか、優子もまた、自分のお腹をそっとさすって、『そうね』と静かに頷いた。 「ところで、直人くんは? 元気? がんばってる?」 ほんの少ししんみりしかけた場を和ませるかのように、殊更明るく尋ねた香奈子に、だが、優子は大げさなほどのため息をついてみせた。 「元気も元気。全然違う方向にがんばってくれてるから、うちの母、泣いてるわよ」 「…どういうこと?」 優子の弟・直人は高校3年に進学したばかりだ。 幼い頃から優子と共にピアノを学んで、優秀だった姉の更に上を行く才能が、周囲からも注目を集めている。 「だって高校3年よ? 受験まであと1年もないんだから、学校へ行ってる以外の時間はずっと練習していても足りないくらいだっていうのに、あいつってばまだ部活やってんの!」 「…それはまた…」 直人くんらしいわね、と呟いた香奈子を、優子はジロリと一睨みしてみせる。 「春の大会で大負けすりゃあよかったのに、あろうことか大会新記録よ」 「あら〜かっこいいわねえ〜」 「冗談じゃないわよ。 陸上部の顧問も直人が音大受験だってわかってるクセに、引退をひきのばしてるのよ。 エースだとかなんだとかおだてちゃって」 おだてに乗るあいつもあいつだけどね…とむくれる優子はそれでもどこか少し誇らしげに見える。つまりは『自慢の弟』なのだ。 「でも、今のところ受験に差し支えるほどではないんでしょう?」 香奈子は大学に入るまで直人と同じ師匠に師事していたのだが、今でも親密に交流しているその師匠から、直人の状態が切羽詰まっているなどとは聞いたことがない。 むしろ、聞かされるのは相変わらず、『あの子は凄いよね』という賞賛の言葉ばかりだ。 「だからよ。先生が放任だから、余計につけあがるのよ、あいつ。まあ、最悪でも部活は夏には絶対引退だし、それから焦ればいいのよ。いい気味だわ」 言いたい放題言って少しはすっきりしたのか、優子はふう…と一つ息を吐いたのだが、急にまた思い出したように、そうそう、おまけにね…と、何かイケナイことを告げるように声を潜めた。 その口振りに、香奈子も何事かと思わず身を低くしてしまう。だが。 「女の子が家の前で待ち伏せしてたり、電話がひっきりなしだったりしてねぇ」 気に入らない…とばかりに、姉の顔で眉を顰める優子に、香奈子はクスクスと忍び笑いで答えるしかない。 「やっぱり直人くん、もてるわねえ。あれだけの面構えだもの。背も高いし」 「確かに面構えはいいかもしれないけど、あんな愛想なしのどこがいいのかしら。 母親や姉と口をきくと『減る』とで思ってるのよ、きっと。 人がせっかく心配してあげてるってのに、『うるさいな、ぎゃあぎゃあ騒がなくてもわかってるよ』な〜んて言うのよ。 ったく、一人で大きくなったような顔しちゃって」 「ふふっ、そう言う子に限って外では女の子に優しいのよ、きっと」 「やだ、最低〜!」 思わずあげてしまった大きな声に、膝の上で眠っていた悟がパチッと目を開けた。そして、見る間に顔を赤くしていく。 「…ふ、ふぎゃ〜!」 「わああ! 悟くん、ごめんごめん。驚かせちゃったねえ」 慌ててあやすものの、赤ん坊にとって安らかな眠りを妨げられた恨みは大きいのか、なかなか泣きやんではくれない。 「こらこら、悟、暴れちゃダメよ。優子おばちゃんのお腹には赤ちゃんがいるんだからね」 そう言って香奈子が悟を抱き取ると、優子は『誰がおばちゃんよ』とむくれてみせる。 「あ、そうだ」 だがいきなり立ち直ると、テーブル脇に置いていた紙袋から大きな箱を取り出した。 「ほら、悟くん。お誕生日おめでとう〜! ね、これでご機嫌直して」 箱を開けるとそこには電車の形をしたバースデーケーキがあった。 「わあ! 可愛い〜。ほら、悟見てごらん。優子おばちゃんが悟に下さったのよ。 よかったわねえ〜」 「だからおばちゃんじゃないって」 懲りずにそんな応酬をしながらも、『ありがとう、優子』『どういたしまして』と交わす言葉には自然と笑みが混じる。 「ロウソク一本ってなんだか可愛いわねえ」 「ほんとね、『特別』って感じがするわ」 いくつの誕生日も生涯にただ一度しか巡ってこない。 だがこの『満1歳』というのはまた、親にとって特別な感慨をもたらせてくれる。 『初めての誕生日』 これから何度も迎えるであろう誕生日を、それぞれに幸せな気持ちで迎えて欲しいと願いを込めて、青く小さいキャンドルに灯をともし『Happy Birthday』を歌う。 その間も守は知らん顔で眠っていて、当の悟は何が起こっているのか当然まだ理解は出来ずに、やっと涙の引いた目できょとんとケーキを眺めていた。 そして。 「なんだか切り分けるのがもったいないわね」 『電車型』という凝った造りのケーキを眺め、香奈子がナイフを入れることを一瞬躊躇ったその時。 「だ〜」 いつの間に立ち上がっていたのか、昇がその小さい手を伸ばしてきた。 「「ああっ」」 だが、大人二人の同時の叫びも、思わず出した手も間に合わなかった。 その小さな小さな手は、電車のど真ん中に大穴を開けてくれたのだ。 「「きゃ〜!」」 その叫びに、昇は『きゃっきゃっ』とはしゃいだ声を挙げ、クリームまみれの手を嬉しそうに叩いてクリームを飛び散らせる。 「タオル〜!」 香奈子と優子が大慌てでタオルだのウェットティッシュだのを引っぱり出している間にも、昇はその手で悟の頭をなで始め、ついにはその騒ぎに守が目を覚まして泣き始めた。 「あああぁ〜」 こうなるともう、どこから手を付けていいのかわからなくなる。 子育て戦争は始まったばかり。 だが、いずれこの子たちも自分の元を巣立つ日が来る。その日がいつになるのか、今はまだ想像もつかないけれど。 そしてそう遠くない将来、3人の子供たちは、自分たちの髪や瞳の色が違うことに気づき、その背後にある『大人の事情』を知ることになるだろう。 そんな彼らに、『生まれてきてよかった』と心から思えるようにしてあげたい…、香奈子は強くそう願った。 |
END
2005年にUPしました悟の誕生日SSでしたv
ワタシ的に気に入ってるのは、
『ヨシアキのことはつまみ食い』…っていう、昇きゅんの生みの母の台詞ですが、
この辺りの話も、君愛2〜Op.3あたりでしっかり書きたいなと思っています。
あ、蛇足ですが、優子さんのお腹にいる赤ちゃんはもちろん、『彼』ですねv
それにしても、優子おばちゃんも夢にも思わなかったでしょう。
よもや、愛想無しの弟が、目の前の赤ん坊に転ぶとは…(笑)
しかし。
主役は悟のはずだったのに…。