君の愛を奏でて 2
番外編
『ストロベリー・トライアングル』
in Summer Vacation
後編
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一人になって、改めてゆっくり見回した初瀬くんの部屋。 ぼくが持ってるのの倍くらいCDがある。 あ。これ、栗山先生のだ。奈月先輩が一緒に吹いた『あの』CMソングが入ってる。 ぼくのはジャケットにサイン入りなんだ。もちろん栗山先生の。 今年のゴールデンウィークの合宿は、先生はもうウィーンに行っちゃって聖陵には来てくれなかったんだけど、奈月先輩情報によると、クリスマスの定演の前にはまた練習を見に来てくれるかもしれないんだって。 楽しみだなあ。 初瀬くんは、先生に会うの初めてだから、きっと喜ぶと思うなあ。 …あれ? 写真立てがひっくり返ってる。 パタンと伏せられた格好になってるそれを、ぼくはその時、転けているんだと思ったんだ。 そうでなかったことは、すぐにわかったんだけど。 だって。 起こしてみたその写真立ての中で笑っているのは――ぼく、だったんだ。 どうして? 「…先輩」 びっくりして写真立てを掴んだままのぼくに背中に、初瀬くんの低い声がかかった。 「初瀬くん…」 初瀬くんは、静かな足取りでやってくると、片膝をついてぼくに並んだ。 「すみません…先輩を驚かせちゃいけないと思って、伏せてたんです」 「…この人…」 ぼく…だと最初は思った。 でも、違う。ぼくよりちょっと髪が長くて……ちょっと大人っぽい。 「これは僕の…」 初瀬くんがぼくの手から写真立てを受け取る。 この人は初瀬くんの…? ぼくが、隣の初瀬くんを見上げて、初瀬くんもまたぼくをじっと見つめたとき、階段の下からお母さんの声がした。 『英彦、お電話よ』 言いながら、階段を上がってくる足音。 「あ、うん」 初瀬くんは写真立てを――今度はちゃんと立てて――戻すと、ドアを開けて廊下へ出た。 『誰?』 『管弦楽部の浅井さんから』 …え? 先輩…? 閉じたドアの向こうから小さく聞こえてきた会話に、ぼくは思わず聞き耳を立ててしまった。 『管弦楽部の浅井さん』は浅井先輩だけ。 でも先輩、今、合宿中のはずで…。 「あ、どうも、こんにちは」 初瀬くんは子機を耳に当てた状態で部屋に戻ってきて、後ろ手にドアを閉めながら話を始めた。 「はい…いえ…。あ、藤原先輩なら、今ここにいらっしゃいますよ」 え? ぼく? 「ええと、遊びに来て下さってるんですけど。…はい、代わります」 ほんとに、ぼく? ほんとに、浅井先輩? 「先輩、浅井先輩が聞きたいことがあるそうです」 子機を差し出されて、ぼくは思わず初瀬くんを見上げてしまった。 初瀬くんは、ちょっと首を傾げて、それからにっこり笑うとぼくの手に子機を握らせてくれた。 ぼくはゴクッと一つ、唾を飲み込んでから声を出した。 「…あの、お電話代わりました」 先輩は、やっぱり合宿中で、電話は軽井沢学舎からだった。 なんでも中等部の管楽器パートのことで聞きたい事があったんだけど、3年生の谷川先輩が修学旅行中だから、僕のうちに掛けてくれたみたいなんだ。 でも、ぼくのうち、誰も出なかったから、今度は初瀬くんに…ってことみたいで。 …っていうのを説明してくれたのは、実は途中で電話を代わった奈月先輩。 最初は浅井先輩だったんだけど、なんだか不機嫌で、さっさと奈月先輩に代わっちゃったんだ。 …なんか、ちょっと悲しい…。 浅井先輩、1学期の最初の頃も、今みたいに「ちょっとご機嫌悪いかな」…ってことが時々あったんだけど、夏休みに入る前はもう大丈夫だったし、それに、一緒に「花のワルツ」でコンサートにも出たし…。 あれからぼくと先輩はちょっと仲良しさんで、ぼく、楽しかったんだけどな…。 今、電話で話した浅井先輩は、またちょっとご機嫌ななめな先輩になってた。 どうしてだろ…。 ぼく、何にもしてない…よね? 『じゃあ、また2学期に学校でね』 奈月先輩はいつもと同じ、優しくて明るい声でそう言った。 ぼくもできるだけ明るい声で返事をして電話を切ったんだけど、通話終了のボタンを押した途端、ため息がでちゃった。 「先輩?」 そんなぼくの顔を、初瀬くんが心配そうに覗き込んでくる。 「あ、ううん、なんでもないよ」 そう、何でもないんだけど…。 ぼくは子機を初瀬くんに返して、そして…。 目に入ったのはあの写真。 ぼくにそっくりの……。 「僕の、兄、です」 初瀬くんが、優しい声で、言った。 「え? お兄さん?」 初瀬くんって一人っ子じゃなかったんだ。 それにしても、似てないし、初瀬くんより年下に見えるし…。 初瀬くんは写真を優しい目で見つめ、やっぱり優しい声で言った。 「3つ上で…、生きていたら今年高校1年生になります」 ――生きていたら。 その言葉はズキンと僕の胸を刺した。 「これは、ちょうど今の藤原先輩と同じ、中学2年の時の兄で…」 初瀬くんは小さく息を吸った。 「最後の写真…です」 ぼくと同じ…中学2年…。 ぼくは、なんて言ったらいいかわからなくて、写真を見つめる初瀬くんの横顔を、ただ、見ているだけで…。 あ…もしかして…。 そっか…。だから初瀬くんのお母さんは、昨日会ったときあんな風にぼくを見つめたんだ。 そして、今日もあんな風にずっと側にいて、『これからも遊びに来てね』って言ったんだ。 「…せんぱい…」 いつの間にか、初瀬くんがぼくを見つめていた。 これでわかった。 入学式の日。初めてあったぼくを、初瀬くんがなんとも言えない顔で見下ろしていたわけも。あんなにもぼくのことを気に掛けて、大切に扱ってくれていたわけも。 きみは、ぼくの中にお兄さんを見ていたんだね。 初瀬くんの大きな手がぼくの肩に触れた。 「お兄さん、なんて言う名前?」 そう聞くと、初瀬くんは切れ長の目を柔らかい形に細めて、小さく『ゆみひこ…』と呟いた。 その声に、ぼくの胸はキュッと縮んだ。 哀しいくらい、優しい声。 「…いい、よ」 そう言っただけで初瀬くんには何のことかわかったみたいで、もう一度『ゆみひこ』と呟くと、ぼくをギュッと抱きしめた。 いいよ…、初瀬くん。 きっと、きみのお兄さんはとっても素敵な人だったんだね。 こんなにお子さまで頼りないぼくでは代わりにもならないと思うけれど、でも、きみがこうしていたいのなら、ぼくはきみの好きなだけ、こうしていてあげる。 ![]() 初瀬くんの、ぼくとは比べものにならないほどしっかりした身体の中に抱き込まれて、どれくらいの時間が経ったんだろう。 ぼくを抱きしめたまま、初瀬くんが小さな声で話し始めた。 「最初は、顔が似ているだけだと思ったんです。でも…」 大きくて温かい手がぼくの髪を優しく撫でる。 「一緒にいるうちに、優しいところも可愛いところも危なっかしいところも、本当によく似ていて、目が離せなくなった…」 …危なっかしいは余計だと思うけど。 「お兄さんのこと、大好きだったんだね」 抱きしめられたままだったから、ちゃんと顔を見て言えなかったんだけど、初瀬くんはまたぼくをギュッと強く抱きしめて、ぼくの耳に小さく『はい』と囁いた。 そんな初瀬くんがとっても可愛く思えて、ぼくも初瀬くんにしがみついた。 「先輩……」 大丈夫だよ、初瀬くん。 きみの気が済むまで、ぼくはここにいてあげるから。 その後、ぼくは初瀬くんから、お兄さんが病気でなくなったこととか、やっぱりフルートが好きで、二人で一生懸命練習したことなんかを聞いた。 初瀬くん、これからぼくたち、お兄さんの分まで練習がんばろうね。 「本当に、また来てちょうだいね」 そう言って、お手製のケーキを手渡してくれたお母さんに、ぼくは元気良く『はい! またお邪魔します!』と答えて――お母さんがすごく喜んでくれて、嬉しかった――ぼくは、どうしても送っていくという初瀬くんと、自転車で15分の道のりを話ながら歩いてゆっくりと帰った。 初瀬弓彦さん――亡くなったのは、今のぼくと同じ、中学2年生の時だったと初瀬くんは言った。 写真の中であんなにも幸せそうに微笑んでいた人が…、ぼくにとてもよく似た人が…、もうこの世にいないなんて、そのことがとても辛くて、ぼくは浅井先輩の『不機嫌』をすっかり忘れてしまったんだ。 ![]() 夏休みが終わり、2学期が始まった。 ぼくと初瀬くんは最寄りの駅が同じだから、一緒に登校した。 学校まで、電車で1時間15分ほどの距離をずっと話をしながら来て、学校の正門に着いたとき、そこでばったり浅井先輩に出会ってしまった。 そして、ぼくに向けられたのは、あの電話の時と同じ感じの、何だか不機嫌な視線。 隣にいた奈月先輩がぼくに気がついて、浅井先輩を肘で小突いた。 途端にぼくから視線を逸らす先輩。 奈月先輩が明るい声で、『藤原くん、初瀬くん、元気だった? この前は急にごめんね』って声を掛けてくれてなかったら、僕は泣いてたかもしれない。 「こんにちは、奈月先輩、浅井先輩」 言いながら、初瀬くんがぼくの肩をギュッと抱いた。 突然のことにびっくりして見上げると、初瀬くんは今まで見たことがないくらい真剣な――ちょっと怖い顔で浅井先輩を見つめていた。 ぼくにはもう、何が何だかわかんない…。 奈月先輩が呆れたようにため息を、ついた。 |
END |
初瀬英彦、宣戦布告か?(笑)