〜サイトオープン3周年記念〜

君の愛を奏でて

『月の夜、君が招きし…』

後編





「お…おい? 葵?」

 突然に、何の脈絡もなく、まるで吸い込まれるように自然に腕の中に収まってきた葵に、守は驚いて声をかけた。

 けれど、華奢な外見に似合わない力強さでしがみつかれ、驚きながらも抱き返す。何といっても、目に入れても痛くないほど可愛がっている大切な弟なのだから。

 普段は誰かさんがうるさいから、じゃれ合う程度の接触しかできないが、なかなかどうして、こんな風に熱のこもった抱擁も格別だ。


 が、ふと上げた視線の先には…。


「おいっ、悟っ、その目つきはなんだっ」

 長男の瞳が、とんでもなく凶悪な光を放っていた。

「……いい度胸じゃないか、守…」

 当然のように、声まで凶悪だ。

「何言ってんだよ、これは葵が…」

 これ幸いと抱きしめ返していることは棚に上げ、とりあえず先にしがみついてきたのは葵なのだからとばかりに反論しようとしたのだが…。


 腕の中の葵が、ふと身じろいだ。

「あおい…?」

 守の問いかけに、葵は甘えるような仕草でその胸に頬をあわせ、うっとりと呟いた。


「兄上…」


 それはとても小さな呟きだったが、当然3人とも聞き漏らさなかった。



「ちょっと、兄上って何さ。守は兄上ってガラじゃないじゃん」

 昇のツッコミはやっぱり微妙にポイントがずれているようだが。


「兄上もへったくれもないっ、守っ、いつまで葵を抱きしめてる気だっ」

 悟も似たようなものだが。


「いいじゃんか〜、俺だって葵の『兄上』なんだぜ。抱きしめる権利ぐらい…」

 守も…。

 だが言葉の途中で、ふわっと守が顔を伏せた。しかも葵の首筋に。

 こうなったらもう、悟も実力行使だ。


「おいっ、昇っ、葵から守をひっぺがせっ」

 自分は葵の肩に手をかけてそう言うと…。


「って、悟…、そんなこと言ってる場合じゃなさそうだけど…」

「え?」


 昇の瞳が、妙に真剣みを帯びて熱く抱き合う二人を見ていた。


「…見て、守も…」

 いつの間にか守もまた、うっとりとした表情で葵を抱きしめている。



「「…逢いたかった…」」



 それは二人の口から同時に漏れ出た言葉…。


 何かがおかしい…。


 そう思ったときにはもう、あたりはぼんやりと霧のようなものに包まれていて、悟も昇も、その瞳を閉じていた。



             



「いや、俺には憑依していない。俺は最後まで自分の意識も持っていたからな」

 朝を迎えて、最初に目覚めたのは守だった。

 そして、まだ眠っている葵を、今度こそは悟が抱きかかえていて、3人は昨夜起こった不思議な出来事について検証をしていた。


「でも、守だって顔つき変わってたよ」

「ああ、俺自身に何かが憑いたって感じはなかったんだけど、葵から何かが流れ込んできたんだ」

「何か?」

 固く抱き合う二人の姿を思い出したのか、悟が不機嫌そうに問う。

「葵が『兄上』ってしがみついてきたときに、葵の中からいろんな情報が伝わってきた」

「情報?」

 昨夜の不思議な現象とは、あまり似つかわしくない単語だ。

「例えば、葵の中にいる誰か…は、名前を『なりあき』ということや、そいつに『兄上』と呼ばれた俺は『ただあき』って名前だってことなんかさ」

「…ひぇ〜、そんなことまでわかっちゃうんだ〜」

 自分の目で見た事以外には何も感じることのなかった昇が、二つの拳をカワイコちゃん風に口元に当てて怯えてみせる。

 だが実際にはそれほど怖い思いをしたという感じは持ってはいなかった。
 抱き合う二人がとても幸せそうにみえたから。


「あいつはその『兄上』ってのにものすごく会いたがってる。けれど、その『兄上』がいったいどこにいるのかわからないんだ。 けど、俺が感じるに、その『兄上』ってのはもうすでに生まれ変わってる。だから俺には憑依がなかったんだ。生まれ変わっていたら、その魂はもうその身体の中にいて、そこらをうろついてることはないからな」


 語る守はいつになく真面目な顔をしている。

 釣られて悟も真面目に返す。なにしろ『憑依』されたのは大切な大切な葵なのだから。


「じゃあ、葵に憑依したっていう、その…」

「『なりあき』か? そいつは未だに彷徨ってるんだと思う」

「ってことは…」

「そう、すでに生まれ変わっているヤツと、彷徨い続けているヤツ…。会うのは…難しいだろうな」

「…そんなぁ、可哀相だよ」


 確かに昨夜の出来事は不気味だったのだが、『会いたくても会えない二人』というのがあまりに哀しくて、昇の蒼い瞳が潤む。

「可哀相だが俺たちにはどうしようもない。その『ただあき』って名前の『兄上』が、いったい何処のどいつに生まれ変わったかなんて、俺たちには確かめようがないんだからな」


 3人が沈黙してしまったとき、悟の腕の中で、葵が目を開けた。



             



 心の真ん中に、何だかぽっかりと穴が開いたような、哀しい目覚め。



 それが、僕が迎えた紫雲院での二度目の朝の感想。 

 僕を覗き込むのは、またしても心配そうな3人の瞳で、そして僕をしっかりと抱きしめているのはやっぱり悟。

 暖かい悟の腕の中にいると、身体の真ん中に居座る虚ろな寂しさもだんだんと塞がってくる。



「ぼく…」

 漸く出た声は、何だか掠れていた。

「葵…もう大丈夫だからな」

 その優しい声に、僕は思わずしがみつく。
 何もかも預けられる、大好きな悟に。



 その後、だるい身体をどうにか起こした僕は、僕が眠っている間に3人が交わした会話を教えてもらい、そしてふと気づいた。


「ね、隆幻さんに相談してみない?」

 僕は、僕の中に入ってきた彼――なりあき――は、きっとここ紫雲院に縁のある人に違いないと思った。

 紫雲院が本山でも末寺でもなく、しかも檀家もまったくないわけは、ここが『高貴な人の隠れ寺』だったからなのだと隆幻さんは言っていた。

 もしかすると、その『高貴な人』こそが彼なのかもしれないから。



                     



「そうですか。そんなことが…」


 朝食の席で、僕たちは昨夜の出来事を隆幻さんに聞いてもらった。

 そして、その話を聞いた隆幻さんが語って聞かせてくれたのは、ずっと昔、大人の権力争いに巻き込まれて命を落としたという哀しい兄弟の物語だったんだ。





 京の都がまだ政治の中心だったころ。

 時の権力者にはたくさんの妻子いた。

 ところが、跡継ぎであるはずの正妻の子が殺されてしまう。

 犯人として捉えられたのは側室の一人。

 その側室が生んだ腹違いの弟も共に捉えられ、幽閉されてしまったそうだ。

 その幽閉された場所と言うのが、ここ――そう、紫雲院だったんだ。

 彼はここで断罪の日を待ち、そして、逝った。
 



「紫雲院を守る住職には代々このように語り継がれて来ました。ですが、この兄弟は二人とも年若く、政の表舞台に立つ以前にこの世を去っているようで、その存在は歴史に埋もれてしまい、仔細は定かではありません。ただ、『奥の院』の調査を行えば、なにか詳しい文献が見つかるのではないかとは思うのですが…」


 隆幻さんの言葉の中にはなかったけれど、二人はとても仲がよい兄弟だったんじゃないだろうか。

 だから、弟にとって、断罪の日…それはきっと大好きな兄の元に旅立てる時だったんだ。
 
 そして、望みは叶った。

 だからきっと、僕の中に入ってきたのは弟の方。

 けれど、それほどまでに会いたかった兄に、まだ会えていないんだ、彼は。

 こんなにも長い時が流れているというのに。



「そうですか。兄の方は生まれ変わっているのですか…。そして、弟は未だに…。それはまた、不憫な…」

 隆幻さんが哀しげに吐息をついた。



 彼はまだ、これからも、ここで探し続けるというのだろうか。

『兄上』を。



 …僕にはわかる。
 きっと彼らの間には、兄弟としての親愛以上の気持ちがあったはず。

『誰よりも愛しい人』だったに違いないんだ…。

 僕らと同じように…。



                     



 もうすぐ迎えの車が来る。

 帰り支度をすっかり整えた僕たち、昇と守は縁側で隆幻さんと話し込んでいて、僕と悟は庭の中にひっそりと佇む四阿の中で並んで座っている。

 紫雲院の庭は、僕たちを迎えた一昨日と変わりなく、ひっそりとしていて…。



「ねえ、悟。僕たち、生まれ変わっても一緒にいられるといいね」
「ん? もちろんそのつもりだけど」

 事も無げに言って、悟は僕の肩をしっかりと抱いた。

 どうか彼らが、再び巡り会う日がやって来ますように…。

 心からそう願って、僕は紫雲院を後にした。



                     



「じゃあ、葵、元気でなぁ」
「うん、由紀もな」
「今度会うのはきっとあっちで…やね」
「そうなりそうだね」
「そうそう、これ、浅井くんと子猫ちゃんに渡してくれへん?」
「何?」
「浅井くんの大好きな『ちご餅』や。子猫ちゃんも「美味しい」て言うてはったしな」
「わあ〜、二人とも喜ぶよ」


 蒸し暑さと喧噪に包まれた新幹線ホーム。

 由紀は、お座敷の時間にはまだ早いというのに、舞妓の姿で見送りに来てくれた。

 周りは遠慮のないカメラが取り囲んでいるのだけれど、すっかり慣れたもので、由紀はそんなこと気にも止めていない。



「悟さん、昇さん、守さん。これからも葵のこと、よろしゅうお頼申します」

 優雅な仕草で由紀が膝を折る。

「もちろんです」

 当然だとばかりに悟。

「まかせて」

 僕の頭をかき混ぜながら昇。

 そして、守は…。

「由紀ちゃんも幸せにな」

 ウィンク付きでそう言われて、由紀は舞妓の化粧をしていてもわかるほど、頬を染めた。

「…おおきに。幸せになります」

 その言葉に僕たちは、ヒューヒューと冷やかしの口笛を贈る。


 こうして由紀が舞妓の姿でいるのを見るのはこれが最後になるだろう。
 だからこそ、由紀はこの姿で見送りに来てくれたに違いない。

 そう思い、僕はその姿をしっかりとこの目に焼き付けて置こうと、ジッと由紀を見つめた。

 その視線に気がついたのか、由紀が――由紀の視線ではなく、菊千代の瞳で僕を見返してきた。

 そして微笑む。僕の母さんによく似た、『祇園一の売れっ妓』の婉然とした微笑み…。


 由紀が『菊千代』でなくなってしまうのは本当に惜しいけれど、でも、由紀が見つけた由紀の幸せへの道を精一杯応援してあげたい。

 本当に遠くへお嫁に行ってしまうけれど、でも、相手が相手だからね。
 心配はないよ、由紀。







 新幹線が、静かに京都駅のホームから滑り出る。

 遠ざかる『菊千代』の姿。

 そして僕は、こうしてまた『時』は容赦なく進んで行くのだと覚える。

 紫雲院でひっそりと、時を耐える『彼』を思い出しながら…。




 ちなみに、不思議な体験をした翌朝、4人で抱き合い、ギュッと固まるように眠っていた僕らの姿を、様子を見に来た由紀がこっそりデジカメに収めてコレクションにしていた事を知ったのは、彼女が海を越えてお嫁に行ってしまった後のことだった。



END

「斉昭(なりあき)」と「忠昭(ただあき)」の物語は、短編集にございますv
『水鏡〜紅葉の記憶』というお話です、よろしければ覗いてやって下さいvv

この『月の夜』の続編もありますが、どちらを先に読んでいただいても大丈夫だと思います。

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