君の愛を奏でて
『Wow!Fickleness?!』
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「べ〜っ、だっ!」 「昇っ」 「直人なんて大っ嫌いっ」 「昇っっ、だから、これは…っ」 「直人がその気なら、僕だって葵と浮気してやるんだからっ!」 「おいっ!待て、昇!」 土曜の昼下がり。 久しぶりに部活のない、まったりとした午後の音楽準備室の平和をうち破ったのは、騒々しい痴話喧嘩の声。 いったい何が起こったのか。 『ちゃんとした』恋人同士になってから、昇の『やんちゃ』はすっかりなりを潜めていたはずなのだが。 「…ったく…」 まだ生徒たちがウロウロとしている校内を追いかけるわけにもいかず、直人は昇が大きな音を立てて出ていったドアを見つめて、ため息をついた。 「弁解くらいさせてくれよ…」 デスクに戻ると、足元には昇の怒りの原因が転がっていた。 触りたくもないが、借り物だ。仕方なく拾い上げて、汚れていないか丁寧に検分する。 すぐに返すべきだった。 だが、相手は直人がここへ赴任してきてから何かと世話になってきたベテラン教師だ。 悪気がないのもわかって……――いや、それどころか、これでもかというくらい気に掛けてくれているのだ。 だから無下に返すわけにもいかなくて、とりあえず『考えた振り』だけでも『誠意』を見せようと思ったのが間違いだった。 『管弦楽部一筋なのもいいことだが、家庭を持つというのもいいものだよ』 温厚な人柄で生徒たちの人気も高い定年間際の国語教師は、ここで30年以上教えてきたにも関わらず非常にまっとうな精神の持ち主で、見合い結婚だという小柄で可愛らしい奥さんと3人の男の子をもうけ、平和な家庭を築いている。 だからこそ、いい年をして未だに独身で、こうして校内に住み着いてしまっている直人にこんなお節介を持ってきたのだろう。 『音大のヴァイオリン科卒のお嬢さんでね、とても優しい人なんだ。きっと君の仕事にも理解を示してくれると思うんだが』 ――見合い写真。 正直言って、開けてもいない。 『綺麗なお嬢さん』とは聞いたが、自分の恋人が世界一可愛いと思っている幸せな男には、そんなもの馬耳東風だ。 ともかくこれは早急に――月曜の朝一で返そう。 そう決めて、直人は仕事の続きをしようとしたが、どうにもその手は進まない。 『葵と浮気してやるんだからっ!』 …まあ、相手が葵なだけマシといえばマシなのだが、それにしても…。 「…ダメだ」 やっぱり気になる。 昇とて、直人が『見合い』をしようとしていたなどと、本気で信じているわけではないだろうが、それでも傷つけたことには変わりはないだろう。 卒業まであと1年。それまでは、誰にも知られるわけにいかない二人の関係。 本気の恋だからこそこうして耐えていられるけれど、昇の不安は、直人が想像しているよりもずっと大きいのかも知れない。 抱きしめて『悪かった』と謝ろう。 直人は立ち上がり、部屋を後にした。 ☆ .。.:*・゜ 「…信じらんないっ」 せっかくの部活の休み。コンサートマスターの特権をフルに活用して、他の生徒たちを閉め出して張り切って顧問の手伝いをしていたのに。 「…美人…だったよな」 楽譜用のファイルを取り出そうと開けた引き出しの中にそれはあった。 都内の高級ホテルの名前が入った、大きくて偉そうな封筒。 邪魔だな…と思って避けようとしたとき、うっかり中身を落としてしまった。 落ちついた色合いの、上等な厚紙の中には振り袖姿の清楚な女性が微笑んでいた。 これは、どう見ても『見合い写真』。 縦にしようが横にしようが斜めにしようが逆さにしようが…『見合い写真』だ。 見た瞬間、頭にカッと血が上って、『これ何っ』…と激しい口調で詰問し、その答を聞く気もなく、どうしようもなく苛つく気持ちだけをぶつけて直人の部屋を出てきてしまった。 その勢いのまま、第1校舎をでて、こうして音楽ホールへ向かっているのだが…。 「…はあ…」 ちょっと冷静になってみれば、昇にだってちゃんとわかってはいるのだ。 直人が本気で見合いをしようなどとはこれっぽっちも思っていないであろうことなんて。 持ち込んだのはきっと、学院内のお節介な誰か――多分、教師。 ずっと年上の優しい恋人は、ああ見えても――カリスマ教師だとか、院長より発言力が強いとか言われていようが――年長の教師にはとても丁寧で尊敬の念を持っている。 だからきっと、先輩教師に持ち込まれた物を無下に断ったりできなかったのだ。 それは、わかるのだけれど…。 「でもさ、あんなところに置いておくことないじゃんっ」 ――まあいいか。一日くらい、心配させてやろっと。 そんな風に自分を納得させ、昇はノックもせずに練習室1の重い防音ドアを開けた。 絶対いるはずだ。自分の兄と弟が。仲睦まじく。 「あーおーいー!」 殊更元気よく声を張り上げると、案の定、悟の膝の上に納まっていた葵は長い睫に縁取られた瞳を丸く見開いて迎えてくれた。 「どうしたの?昇」 「…騒々しいヤツだな…」 舌打ちして呟く長男に、次男は呆れた顔をしてみせる。 「あのさ、悟。こんな風にいきなり開けられたらどう申し開きするわけ?ま、僕としては二人の仲がばれちゃうことについては全然OKだけどさ」 「この部屋のドアをノックも無しに開けるのはお前と守くらいしかいないよ。葵だってノックしてくれるのに。…な、葵」 言って、頬に音を立ててキスをする。 「…こらっ、悟ってば…」 次男の視線などモノともせず、長男と末っ子は再び二人の世界を築き始めた。 だけど…。 ――そうはいかないよ〜ん。 「はいはいはい。今日はそこまで」 言いながら、葵の脇の下に両手を差し込み、その軽い体を悟の膝からひょいと抱き下ろす。 「なにするんだよ」 他の生徒たちが聞けば驚愕するであろう『ムッとした』悟の声色も、生まれたときからずっと一緒にいる昇にとっては怖いものでも何でもない。 「葵、いいトコ行こう」 「え?」 「おいっ、昇っ、どういうつもりだ!」 事態が掴みきれずにキョトンとしている葵の腕を、悟が強い力で引っ張り、腕に抱き込む。 「いいじゃんっ、悟はもう少ししたらレッスン始まるんだろ? じゃあちょっとくらい葵のこと貸してくれたっていいじゃんかっ。だいたい僕だって葵のおにーさまなんだからねっ」 言い切ってまた、葵の腕を掴んで引き戻す。 「あ、あのっ、昇、どこ行くの?」 腕の中で見上げてくる葵が可愛い。純粋に、弟としての愛おしさが募る。 「ふふっ、僕に任せて。いいトコに楽しいコトしに行こう?」 「おい、ちょっと待てよ」 悟は、レッスンと言ってもソルフェージュを30分受けるだけだ。 出来ることなら終わるまで引き留めて、自分もついていきたい。 だが、そんな悟のささやかな(?)願いも虚しく、昇は『じゃあね〜』とはしゃいだ様子で葵を拘束したまま、練習室1を出て行ってしまった。 はっきり言って悔しい。 悔しいが…『葵が楽しめるのならいいか…』と、長男らしく、物わかりよく送り出してやるしかない。 「…いけない、時間だ」 ソルフェージュの教師は『時間厳守』だ。 悟は慌てて、3階の講師用レッスン室へと向かった。 ☆ .。.:*・゜ きっかり30分。 優等生の悟は本日のカリキュラムも完璧にこなし、講師に丁寧に挨拶をするとレッスン室を後にした。 すると…。 「…先生?」 ドアの正面、壁にもたれて直人が立っていた。 「悟、ちょっと来い」 その声を聞きつけて顔を出してきた講師との挨拶もそこそこに、直人は悟の腕を掴み引きずっていく。 「昇と葵、どこへ行った?」 「え?」 どうしてそんなことを直人が知っているのか。 「何かあったんですか?」 そういえば、今日の昇は直人の手伝いをするのだと張り切っていたはずだ。 ――ということは、アレか。 聡い悟にはすぐにわかってしまう。 アレと言えばアレだ。 『痴話喧嘩』 なんてことだ。葵は巻き込まれたわけか。 「先生…何かやったんですか?」 剣呑に変わった悟の様子に、直人は大人の余裕で肩を竦めて見せた。 「ちょっとした誤解なんだがな」」 だが、内心では十分に慌てているだろうことは、悟にもわかる。 「『葵と浮気してやるー』」 「何ですってっ?!」 学校を代表する優等生は、その一言で今まさに、教師の胸ぐらを掴まんと…。 「まて、早まるな、悟。昇がそう言ったんだ」 「どうしてですかっ?!」 「実は…」 ☆ .。.:*・゜ 「…そりゃあ先生…昇、怒りますってば」 弟の肩を持つわけではないけれど、でも、公平に見て、マズイことをしたのが直人の方だというのは明らかだ。 「だから、悪かったと思ってるって」 二人はさりげなく雑談を交わしている風を装いながら、音楽ホール内で『聞き込み』を行っていた。 昇と葵を見かけなかったか? 何か話を聞いていないか? 『何かあったんですか?』 尋ねられた生徒――もちろん管弦楽部員だが――は、みな一様に、好奇心丸出しで尋ね返してくる。 何といっても尋ね人の対象は管弦楽部を代表するアイドル二人で、探し回っているのは顧問と部長なのだ。 「いや、ちょっと練習日程のことでな」 なんて、適当に誤魔化しつつ、刑事よろしく地道な――気持ちは焦っているのだが――聞き込みの結果、彼らはついに重大な証言を得た。 「え?昇先輩と奈月ですか? そういえば、なんだか、ホテルへ行くとかなんとか…」 ――ホテルだとぉぉぉ? 聞けば、昇がヒソヒソと葵に何事か囁き、葵が頬を染めて嬉しそうに頷いたのだと言う。 その会話の端にチラッと零れたのが、聖陵の最寄り駅から都心に向かって電車で4駅。小規模だがおしゃれな外観とスマートなサービスで、最近雑誌によく取り上げられるそのホテルの名だったというのだ。 「行くぞっ、悟っ」 「はいっ」 そんな二人を、 ――なにかあったのかな? 情報提供者はキョトンとした表情で見送っていた。 この情報提供者が、管弦楽部内でも一、二を争う『ぽややん君』だったのは、直人と悟には幸いだったろう。 「ま、いっか」 情報提供者は、トランペットを構え直し、そう呟いた。 ☆ .。.:*・゜ 「昇!」 「葵!」 直人と悟が件のホテルに到着したのは、実にアイドル二人が学校を後にして2時間後のことだった。 そして、二人は到着してすぐに、ホテルの瀟洒なロビーでそれぞれの探し人を見つけたのだ。 「あれ〜?どうしたの?先生も悟も、そんなに慌てて」 のほほんとした顔で二人を迎えたのは葵だ。 「葵っ、大丈夫か?何もされなかったかっ?」 「へ?」 質問の意味がまったくわからず、呆けた顔で見上げてくる葵の様子に、悟は少なからず安堵する。 「ちぇっ、どういう意味だよ、失礼だなあ、もう」 横でふくれたのはもちろん昇だ。 「昇…」 そんな昇を、優しい声で直人が呼んだ。 「…直人…」 「昇、すまなかったな…」 そっと肩を抱き、ふわっと抱き寄せる。 想像していた抵抗はなく、昇は素直に身を寄せてきた。 「…探しに来てくれたんだ…」 どうせ自分と葵では浮気にもなりはしないだろうと、直人はタカをくくっているに違いないと思っていた。 ずっとずっと年上の恋人は、自分と違って、いつも余裕だから。 「当たり前だろう?相手が誰であれ、お前が浮気だなんて、考えただけで気が狂いそうになる」 「…ほんと?」 「…ああ」 ちなみに、ここはホテルのロビーだ。 利用客の95%が女性というこのホテル、今日も予約で一杯らしい。 キラキラと目を輝かせたご婦人やお嬢さん方が、『絵になる二人』を遠巻きに見守っている。 「ね、悟。センセってば結構大胆だよね」 「ああ、そうだな。まあ、制服でなくてよかったってことだな」 呆れながらも止めようとしない二人もまた、肩を竦めて見守るだけ。 「で、葵はここへ何をしに来てたわけ?」 そして、悟も自然に葵の肩を抱く。 「あ、ここね。すっごく美味しいデザートやってるカフェがあるんだ〜」 ――やっぱりそう言うオチか…。 あまりにも葵らしいと言うか、昇らしいと言うか…。だが…。 「悟は甘いもの苦手だから、一緒に来られないもんねえ」 そう言われてしまうと、返す言葉がない。でも…。 「カフェだったらコーヒーだってあるだろう? 僕は葵の行きたいところなら、どこへだってつき合うよ」 その言葉に、葵が目を輝かせて悟にしがみつく。 「ほんと?」 「ああ」 くどいようだが、ここはホテルのロビーだ。 5%の男性客の中に、知った顔がいなければいいのだが…。 ☆ .。.:*・゜ 週が明けて月曜日。 直人は始業30分前に、封筒を手に国語準備室を訪れていた。 「本当に、申し訳ありません」 丁寧に頭を下げると、先輩教師は穏やかな声で『仕方ないね』と笑った。 「このお嬢さんでは気に入らなかったかな?」 「いいえ、とんでもありません。私には過ぎたお嬢さんだと思います」 「では…」 先輩教師は目を細めた。 「もしかして、光安先生には心に決めた人がいたのだろうか」 その声が、とてもとても優しかったから。 「…私の恋人も、ヴァイオリニストなんです」 自然に言葉が出た。 「ほう。そうなのか」 「とても、優しくて可愛らしい子です。一生大切にしていきたいと思っています」 真摯な目をして語る年下のカリスマ教師に、先輩教師は一瞬目を見開き、やがてその目を糸のように細めて『そうか』と微笑んだ。 『あの子』のことはよく知っている。 教科担当には中3と高1の時にあたっただけなのだが、国語準備室ではよく話題になる。 現代文、古文、漢文…など、国語に関する成績は大概学年1番か2番だ。 特に古文に関しては、教師も驚くほどの読解力と応用力を備えている。 そのくせ英語ときたら、酷いときには順位が3桁になることもあるのだという。 彼が持つ容姿とのギャップが、教師の間でもなにかと取りざたされたものだ。 「金髪の国語学者というのも面白かったんだがなあ」 だが『あの子』はヴァイオリンにも類い希な才能を持っていて、きっとそれをこれから大きく花開かせるのだろう。 ずっと彼だけを見つめてきた、優しい年上の恋人に導かれ、見守られながら。 ――それにしても、絵になっていたなあ…。 『ロビーで抱き合う男前と金髪の美少年』 ――あの光景を題材に何か小説でも書いてみるか。 定年後の楽しみを見つけ、ベテラン教師は楽しそうに笑った。 |
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旧BBS1300GETの水城要さまのリクエストでした〜。
いただいたお題は『光安先生とケンカした昇に、葵を拉致られた悟』
要さまの頭には、
『悟と過ごしている葵の所に、昇が現れ葵を拉致って行く』
という図が浮かんだそうなんですが…。
いやあ、史上最高に苦しみました(笑)
苦しみ抜いたあげく、『食堂のおばちゃん』でお馴染みの、某Mつさまに助けを求め、
『ホテルのスィーツ』オチをいただきましたv
そして、このオチをいただいた瞬間、目の前が広がりました(笑)
Mつさま〜、ありがとうございました!
要さま、長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
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リクエストありがとうございました〜!