ACT.4

〜真っ白な誕生日〜

後編


 


 室内に入り込んでくる明るい日差しに、貴史はぼんやりと目を開けた。

 朝の光で目覚めるのが好きな涼太は、部屋のカーテンを遮光にしていない。

 おかげでベージュを基調とした東向きの部屋の中は、まるで春のような光が溢れている。

(あれ…? ここ…)

 みたことのない部屋。

 少し広めのベッドに横になっているのは自分一人だ。

 体を起こして辺りを見回すと、ドアの横のラックにサイズの違う聖陵の制服が2着かかっている。 

 そして、勉強机の横には見覚えのあるスポーツバッグ。

(もしかして…ここ、涼ちゃんの…)

 いつの間にこの部屋へ来たのか、貴史には覚えがない。

 確か、昨夜はソファーで…。

 みると、サイドテーブルの上に自分の私服が丁寧にたたまれて置いてある。

 貴史はパジャマを脱ぎ、急いでそれを身につけるとそろっとドアを開いた。

 階下から物音がする。
 どうやら食器が触れる音のようだ。

 足音を立てないように静かに階段を下り、リビングへのドアを開けると奥のダイニングキッチンに涼太の姿があった。

 その姿を見て、貴史はやっと安心する。

「涼ちゃん…おはよう…」

 なんだかその言葉が酷く気恥ずかしい。



『おはようございます、先輩!』



 今まで幾度となく掛けてきた言葉と同じはずなのに。

 小さな声だったが、涼太はすぐに気がつき、貴史に歩み寄ってくる。

「おはよう、貴史。よく眠れたか?」

 聞くまでもなく熟睡であったことはわかっているのだが。

「うん。すごく気持ちよかった。温かくて…」
「そっか…」

 言葉の最後が消える。

 僅かに触れるだけの優しいバードキスでも、朝日の中だとやはりなんだか恥ずかしい。

 それでも離れ難くて、何度か啄んで漸く離れる。

「座って待ってろ。もうすぐ紅茶ができるから」
「あ、僕も何か手伝うよ」
「大丈夫。もうほとんどできてるから」

 そう言って涼太は貴史をダイニングの椅子に座らせる。

「ごめんね、僕、寝坊だから…」

「貴史は、日曜の朝飯食いっぱぐれるタイプだろ?」

「うん、日曜日は部屋中誰も目覚まし掛けないから、全員で寝過ごしちゃう」

「ちゃんと食わなきゃダメだぞ」

 涼太が色とりどりのサラダが乗ったボールを運んで来た。  

「好き嫌いなかったよな」

「うん、大丈夫…。わ〜、すごいね、美味しそう…」

「お袋のヤツ、野菜庫いっぱいに野菜詰めて『全部食べなさい』って置き手紙おいていってんだぜ。まったく…」  

 明るいダイニングキッチン。何でもない会話が楽しくて、貴史は幸せそうに笑う。

 と、その時…。


『ピンポ〜ン』 


 中沢家のインターフォンはピアノを弾いていても聞こえるようにかなり大きな音に設定してある。

「うわ、なんだよ、朝っぱらから」

 涼太がインターフォンの受話器を取り、「はい?」と返事をするのだが…。

「あれ?」
「どうしたの?」
「返事がない…。ちょっと見てくる」

 涼太がリビングを抜け、廊下から玄関へいくと、何故かかかっているはずの鍵が開いていて、そこにはある人物が…。

「よう」
「な、直人っ!」

 腰が抜けるほど驚くと言うことは、一生のうち何度もあるものではないが、今はまさに涼太にとってはその時のようだ。

 そこにいたのは、光安直人。
 聖陵学院の教諭、涼太の担任、そして…叔父だ。

「何をそんなに驚く。昨日まで毎日顔を会わせてたじゃないか」

 そう言う問題ではない。そう思うのだが、涼太は二の句が継げずにいる。

 だが直人はそんな涼太は気にも止めず、用件を告げた。

「心配だから一回は様子を見に行ってくれって姉さんに頼まれてさ」

 そして、上がり込んできた。

 まずい、奥には貴史がいる。これ以上弱みを握られては敵わない。

「だ、大丈夫だってばっ」

「お前、友達連れてきてるんだって? クラスのヤツか? バスケ部のヤツか?」

「どっちにしたってまずいだろっ。俺たちの関係、校内では内緒だろーがっ」

 慌てふためいている涼太には気がつかない。
 直人がそんなヘマをやらかすはずがないことを。

 一方貴史は、様子を見に出た涼太が戻ってこないばかりか、玄関先が騒がしくなったのを不審に思い、そっと様子を伺いに出てきていた。

(お客さんかなぁ…)

 静かにそろっとドアを開け、目だけ出して覗いてみる。

 すると、そこには思いもかけない人の姿が…。

「先生っ!」

 大好きな元担任の姿に、貴史は喜んでしっぽを振らんばかりの勢いで駆け寄ってきた。

 慌てたのは当然涼太だ。

「貴史っ」
 
 その言葉に、気付かない振りをして、直人は貴史に柔らかく微笑みかける。

「なんだ、秋園じゃないか」
「せんせい〜!!」

 今年は直人が高校の担任になり、教科担当も外れているため、こうした形で会うのは夏以来なのだ。

「元気そうだな? どうだ調子は?」
「はい! おかげさまで元気です!」
「そうか、よかったな」

 そう言うと、直人は涼太にチラッと視線を流す。

 まるで『なんだ、こう言うことなのか』と言わんばかりだ。

 涼太が再び言葉につまると、代わりに貴史が元気な声をあげる。

「でも、先生どうしてここに…?」

 疑問はもっともだ。

「ん? ああ、実はな…」
「なおとっ!!」

 何かを言おうとした直人の言葉を遮ったのは、もちろん涼太だ。
 だがそれは大いなる墓穴を掘ったようで…。

「なおと…?」

 生徒が面と向かって教師の名を呼び捨てにするようなことはそうはない。

「涼ちゃん…?」

 そしてその呟きもまた、大いなる墓穴を掘っているのだ。
 普通、後輩は先輩を『○○ちゃん』などとは呼ばない。




 そんな2人の様子を見て、直人はクスッと笑みを漏らす。

 直人にはわかっていたのだ。今日この日、中沢家の客が誰であるか、などと。

 気付いたのはこの夏。貴史が夏合宿中に軽い発作を起こし、入院したときのことだ。

 連絡を受け、直人が貴史の病室を訪れたとき、貴史の母と交わした会話…。




 
『バスケ部の先輩で、中沢涼太さんとおっしゃる方が、とても貴史によくしてくださるんです…。貴史もとても慕っていまして…。絶対に転校したくないと言い張るのは、中沢さんがいらっしゃるからではないかと思うんです』

 これでピンと来ない方がおかしい。
 そして直人はこう言った。

『中沢は現在私が担任ですのでよく知っていますが…。彼は貴史くんの治療の妨げになりますか?』

 だが、貴史の母は優しく首を横に振った。

『いえ、とんでもありません。中沢さんは貴史にとって何よりのよりどころのようです。それを無理に引き離してよい結果が出るとは思えません。私は、貴史に高校卒業までまっとうさせてやりたいのです…。せめて、あと4年…幸せに…』

 そこで涙を零した貴史の母の姿に、直人は貴史の病状が進んでいることを察した。

 そして、彼の『これから』に涼太の存在が絶対に必要であると言うことも…。








「え? それって…もしかして、叔父と甥とかいう関係…?」

『こいつの母親が私の姉だ』と、直人から端的に説明を受けた貴史は、普通ならすぐに理解できるであろうことも何度か反芻して噛みしめる。

「そういうことになるな」 

 直人は朝食をとる2人を前にして、コーヒーだけを飲んでいる。


「で、お前たちはどういう関係なんだ?」
「ぶっ」
「あー、りょ…先輩ってば〜」

 吹き出した涼太に貴史が慌ててティッシュを差し出す。

「な〜お〜と〜」

「何を気にしてる? お前たちはバスケ部の先輩後輩って関係だろうが」

「なら聞くなよっ」

「ちょっと聞いてみただけだ。…秋園、食べ終わったのならこっちへ来い。ピアノを弾いてやるから」

「えっ? 先生、ホントにっ?!」  
 
 貴史は喜色満面で立ち上がる。だが…。

「…でも、先生、どうして僕がピアノ好きって知ってるんですか?」

「ん? いつも夜の音楽室でこいつのピアノを聞いてるのはお前だろう」

 視線で涼太を示し、直人はニヤッと笑う。

(ひ〜、ばれてる〜)

 涼太も貴史も内心で『○×△の叫び』という某名画と化しているのだが、直人はお構いなしだ。

「あ、でも、後片づけ…」
「そんなもの、涼太にやらせておけ。さ、弾くぞ」

 噴火している涼太を残し、2人がリビングへ行ってしまう。

 やがて聞こえてくるのは貴史の好きな曲ばかり。 

 しかも、現役で音楽に携わっている大人は、さすがに音色も表現力も涼太とは格段の差がある。

(くそ〜、直人のヤツ、いつか仕返ししてやる〜)

 そして曲の合間に聞こえてくるのは楽しそうな貴史の笑い声。

(貴史も貴史だっ。ピアノさえ聞けたら、別に俺でなくってもいいのかよっ)

 そんな理不尽な言いがかりをつけてみても、この苛々は治まりそうもなかった。





 そんな調子で日中を過ごし、そろそろ涼太の忍耐も本格的に切れるかという頃。

 直人はいきなり腰を上げた。

「さて、行くとするか」
「帰るのかよ」

 不機嫌な中にも期待の籠もった声で涼太が問うと、直人はこともなげに言ってのけた。

「デートだ」…と。

「ええっ?!」

 声をあげたのは2人同時。

「なんだ、失礼なヤツらだな」

 ムッとした顔でそう言ったのだが、そんなこと2人とも聞いてはいない。

「直人、恋人いるんだっ」
「当たり前だ。こんないい男を世間が放って置くわけないだろう」

 さらっと出るその言葉に、貴史は『うんうん』と頷き、涼太は『けっ』という顔を見せる。

「なら、人の邪魔せずにさっさと行けよっ」
「ほ〜。邪魔だったのか? ふ〜ん」 
「…う」

 言葉に詰まる涼太に、横から貴史が『涼ちゃんのバカ』と言わんばかりに視線を送ってくる。

「とにかく、秋園、無理するんじゃないぞ」
「あ、はい!」

 パフパフと貴史の頭を撫で、直人が玄関に向かうと2人は後ろをついてくる。

 そして、ドアを閉める直前に直人が言った。

「涼太、無茶するんじゃないぞ。わかってるな」

 そして、涼太がその意味を完全に理解する前にドアを閉じた。

(ふんっ、言われなくたって……)

 少し頬の温度が上がるのは、どうにも止められなかったが。








 そうしてまた2人きりの静かな夜が訪れる。

「貴史…行こう」

 ボディーソープの香りがほんのり立ち上る、温かい首筋に一つキスを落とし、涼太が言う。

「涼ちゃん…」

 指先をとり、ギュッと握りしめると、貴史はキュッと唇を噛んで俯いた。

 リビングの電気を消し、階段を一歩ずつ上がる。

 聞こえてくるのは廊下に佇む柱時計の時を刻む僅かな音、そして、自分たちの鼓動だけで…。





 ほんのりとサイドテーブルのスタンドだけが灯る部屋で、貴史はそっと横たえられる。

「貴史…ドキドキ言ってる…」

 胸にそっと耳をあて、涼太がそう言うと、貴史は小さな声で『大丈夫』と答えた。

 しかし、涼太はそんな貴史をそっと抱きしめたまま動きを見せない。

 どんな些細なことでも、気をつけなければならない。

 けれど、これから自分がしようとしていることは、とんでもなく貴史には負担になる。

 そう思うと、何度目かの決心も脆く崩れそうになる。

 そして、貴史は、そんな涼太の気遣いが痛いほどわかる。

 自分が普通の身体ならば、涼太に我慢を強いることなどなかったのに…。

 そう思うと、申し訳なさでまた、胸が一杯になる。

 2人がお互いの気持ちだけを思い、ただ、抱き合ったままでいると、ふいに階下の柱時計が低い音で0時を告げた。

「26日だ…。誕生日おめでとう、貴史。15歳だな」
「うん……ありがとう」

 やっと迎えた15歳。

 15歳になったら言おうと決めていたことがある。

 きっと涼太は聞いてくる。

「プレゼント、何が欲しい?」

 ほらね。 

 でも、返事はただ一つ。

「僕……涼ちゃんが欲しい」

 この夏、涼太の誕生日にはあげることができなかったものを…。







「たかふみ…」

 僅かに鼓動が早くなっただけでも、涼太は手や唇の動きを止めてしまう。

 それが焦れったくて、貴史は何度も『お願い…』と口にする。

『お願い、やめないで…』と。

 衣服を通さずに初めて触れあうお互いの肌の温もりは、貴史を安堵に導き、やがて体中を覆いつくす優しい愛撫に心ごと溶けていく。 

 

 それは初めて二人が一つになる瞬間にも変わることなく…。

「貴史…たかふみ…」

 飽くことなく幾度も自分を呼ぶ優しい声に、身も心もすべて委ねてしまえば、あとは涼太が高みまで連れていってくれるはず…。

 貴史は呟いた。

「連れていって…涼ちゃん…」



 漂うように互いの温かさを確かめ合い、思いの深さを改めてその身に刻む…。


 真夜中の街は物音一つなく、ゆっくりと、静かに流れる愛おしい時間も、何もかもすべてが白に覆われていった…。




 東の空が漸く白んで来た頃、、涼太はいつもより部屋の中が明るいことに気付く。

 怖いほどに静かな朝。

(もしかして…)

 抱きしめている温かい温もりは幸せそうに落ち着いた寝息をたてている。


 そっとベッドから抜け出すと、涼太は静かにカーテンを開ける。

 予想通り、目の前に広がるのは、登り来る朝日を真っ向から反射する一面の白。


「貴史…」

 涼太はベッドに戻り、そっと貴史を抱き上げた。

「…涼…ちゃん?」

 ぼんやりと目を開ける貴史をそのまま窓辺へ連れていく。

「ほら、見てみろよ」

 ほんの僅かの間に朝日は更に昇り、一面の白は、次第に一面の銀へと変わっていく。

 それは眩しくて、目も開けていられなほどの…。 

「………」

 貴史は言葉なくその光景をジッと見つめ、やがて小さく『綺麗』と呟いた。



「俺、今日のこと忘れない。ずっと」
 

 涼太の言葉に貴史は頷く。


「貴史、愛してる」
「…愛してる……涼ちゃん…」


 そう、誓いの言葉はいつもこう締めくくられる。


『死が2人を分かつまで』



END

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