君の愛を奏でて

「あの時のメリークリスマス」

『君愛1』のバスケ部のお話はこちらから
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「涼ちゃん!」

 街中が一斉にクリスマス模様になった師走の掛かり。

 聞き覚えのある声――だが、自分のことをそう呼ぶ唯一の人間の声ではない――が、廊下に響き渡ったのと同時に、この病院の医師である中沢涼太の両足にパジャマ姿の男の子がしがみついた。


「こらっ、中沢先生って呼ばないとダメでしょう?」

 見下ろしてみれば、張り付いているのは担当している小1の入院患者。

 明日の検査をクリアできればめでたく退院…というところまで回復している所為か、ヒマを持て余して走り回っては看護師たちに追いかけられている…という状況だ。

 その後ろを慌てて追ってきたらしき母親が頭を下げた。


「先生、本当にすみません」

「いや、別に構いませんが」

 笑いながら応え、しゃがんで目線を合わせると、腕白坊主はニコッと笑って爆弾発言を落とした。

「だってぇ、秋園センセが中沢センセのこと、涼ちゃんって呼んでるんだもん」


 ――なんだって〜!?


 表面に出さないよう、こっそり…しかしがっつり驚いてみる。

 院内では、貴史は必ず『中沢先生』と呼んでいるのに。

 …いや、もしかしたら。

 昨日の夕方。リハビリ科の前でばったり会った貴史と、ほんの少し立ち話をしたとき…。

 あの時、周囲に誰もいないと思っていたから、当たり前のように『中沢先生』と呼んだ貴史に、『誰もいないんだから、いつもの通りに呼べよ』と迫ってしまったような気が…。

 アレを聞かれていたのだとしたら、迂闊だった。

 あの後貴史が可愛い顔で『先生、ダメですっ』…な〜んて抵抗してくれなければ、あのまま現場でキスまでしていたかも知れない。

 …いや、していただろう。多分…というより、絶対。

 だが、そんなものを目撃された日には…。


 ――とにかく気をつけよう…。


 内心でひっそりと、しかし固くそう誓い、涼太はまた改めて目線を合わせると、腕白坊主の頭を優しく撫でた。

「先生はね、秋園先生と仲良しなんだ。だから、そう呼んだりすることもあるんだ」

「ふうん。おともだちなの?」

「そう。ずっと同じ学校に行ってたんだよ」

「あら、では秋園先生も聖陵ご出身で?」

「ええ、彼は一年下なんですが、ずっと同じ部活だったものですから、特に親しいんですよ」

 口を挟んできた母親にも笑顔で応え、涼太は立ち上がると小さな手をとり、母親に手渡す。


「もしかして、管弦楽部ですか?」

「いえいえ、私たちはバスケ部でした」

『聖陵』と聞けば『管弦楽部』…と出てくるのは、涼太たちが在学していた頃と変わらない。

 だが、バスケ部も一応花形なのだ。今も昔も。


「バスケ? かっこいい〜! 僕も退院したらバスケやる!」

「ああ、そうだな。元気になって、いっぱいバスケしような」

「うん! 僕も中沢センセの学校に行って、バスケするんだ!」

「あらあら、先生の学校は入るのが難しいのよ? たくさん勉強しなくちゃ」

「え〜。勉強、やだあ〜」

 途端に顔色を変え、弱った表情を見せたことに、涼太も母親も思わず笑ってしまう。


「そう言えば、初瀬先生はアメリカへ行ってしまわれたんですねえ」

 おそらく聖陵繋がりで思い出したのだろう、残念そうにいう母親に涼太はまた内心で小さく笑ってしまう。

 見事なガタイに、それに見合った精悍な顔つきをした気鋭の小児科医は、それだけでも十分に人気だというのに、おまけに趣味がフルートと来ては、まだ若い母親連中が放っておくはずはないのだ。

 院内コンサートでその腕前を披露した時には、見かけによらない甘くて繊細な音色にノックアウトされた女性たち――患者の母親も看護師も職員も――の間で密かに黄色い悲鳴が飛び交っていた。

 そう言えば、どこから仕入れたのか、『あの奈月葵さんの直弟子なんですって』なんて情報も出回っていた。

 確かにお互い超多忙の身をやりくりして、英彦は未だに葵の元へレッスンに通っているらしいから、直弟子というのも強ち間違いではないのだが。


「ええ、あちらで2年間勉強することになりまして」

「残念ですわ…。でもさらに立派なお医者様になって帰ってこられるんですよねえ」

「そうですね。私たちも期待しているところです」

 にこやかに返したところで、院内用の携帯電話が震えた。

 そうだ。今日は来客の約束があるのだった。

「あ、すみません、お引き留めしてしまって」

「いえ、大丈夫ですよ。では明日の検査の前にまた様子を見に行きますので」

 暗に、その時間には脱走せずに病室に居て欲しいと匂わせれば、それはしっかり伝わったのだろう、苦笑した母親は、息子のおでこをちょっと小突いて、「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。



  



「すまん、祐介。待たせたな」

「いや、急患だったって、さっき看護師さんが教えてくれたし…。それより夜勤明けに悪いな」

 そう。少し前に夜勤は明けていたのだが、その直後に救急車が到着して、そのままその処置に参加していたのだ。

 その処置室からロッカールームへ向かう途中、腕白坊主に掴まっていたというわけなのだが。


「いいや、全然。かえってこの方がいいさ。休み明けの出勤前なんて、俺のテンション、地の底だからな」

 あははと笑っては見せるが、やはり夜勤明けの疲れは見える。
 だが、お互いの予定を合わせるのも大変なのだ。現に…。

「それよりお前だって忙しいだろう? 休みなんてほぼ無いに等しいんじゃないか?」

 日曜の朝しか学校から出てくる時間がないというのは、常からタイトなスケジュールで動いている証拠だ。

「いや、24日に定演が終わったら、一応学校は休みだからな」

「って言ったって、その他もろもろの用事も山積みだろ? 直人もそうだったからな」

「光安先生はさらに忙しくなってるぞ」

「ってことは、もしかして第1校舎の建て替え決定か?」

「ああ。外観の重厚さはそのままに、中身はハイテク満載ってヤツだな」

「相変わらず金持ちだな、聖陵は」

「院長がやり手なんでね」

 会うのは久しぶりだが、会話を交わすと昔と変わらず弾むやりとりに、思わず顔を見合わせて吹き出したところで祐介は大判の封筒を取り出した。
 
 これが来訪の目的だ。

「これなんだが。よろしく頼む」

 封筒の中身はカルテだ。

 受け取り、ドイツ語でびっしりと書かれたそれに目を通して、涼太は少し目を瞠る。


「…主にアレルギーと…感染症と……免疫力が低そうだな」

 若干弱いとは聞いていたが、思っていた以上に立派な病歴だ。

「ああ、だが12、3の頃から少しずつ丈夫になっていると思う。向こうの主治医も、今の状態なら寮生活は可能だろうとは言ってるんだが、姉貴がなかなか納得しなくてなあ」

「まあ、母親はだいたいそう言うもんさ。…けど…そうだな。特に深刻というわけでもないな…。聖陵は医療のサポートも万全だし、これならいけるんじゃないか。もし何かあったら俺が面倒見るし」

「そう言ってもらえると助かる。お前が主治医になってくれるなら、姉貴も安心するだろう」

「ああ。お任せ下さいって伝えといてくれ」

 ポンッと肩を叩けば、20年を越えるつき合いの親友は、ホッとしたように力を抜いた。

「しかし、ついに甥っ子が聖陵受験か」

「まさか本気で来るとは思ってなかったんだがなあ」

「入試の勝算は?」

「体調さえ崩さなければ楽勝だろう。実は、向こうの学校のレベルがいまいちわからなかったんで、夏の里帰り中に全国模試受けさせたんだが、6位だった」

「全国で?」

「そう」

「そりゃすごいな」

「だろう? 葵が中3の時、全国9位だったらしいからな」

 その言葉に涼太が大きく目を見開く。

「葵よりデキがいいってか? 恐ろしいな」

「それがなあ、勉強だけじゃないんだな、これが」

「ということは、あっちの方も…」

「ああ。葵が『育て方に気をつけないといけないね』って言うくらいにはな」

 さらに恐るべき話を聞かされて、涼太は思わず腕を組んで唸った。

『あの』葵以上に、すべてにおいて出来が良い子とは。恐ろしすぎる。

 しかも。

「そうそう、甥っ子、葵にそっくりなんだって?」

 見た目がまったく同じだと聞いたのだ。

「誰に聞いた?」

「陽司」

「やっぱりな。夏のコンサートを聴きに来てて、その時陽司とばったり会ったんだ。もう大騒ぎだったぞ」

 話だけで、ヤツの騒ぎっぷりが目に浮かぶ。

「あいつ、一瞬高校時代にタイムスリップしたかと思ったって言ってたぞ。森澤先輩なんて、『あれ、実は守の子じゃなくて、奈月の子なんだ』とか、マジ顔で言ったらしいし」

 涼太が笑いながら言うと、祐介の視線が泳いだ。

「……いや…実はな…」

 途端に声を潜められて、涼太は思わず身を縮める。まさか…。

「…葵もそう言ってるんだ」

「…え…?」

 まさか、自分の子だと?

「ま、身に覚えはないらしいけどな」

 ……。

「お〜ま〜え〜は〜」

 うっかりひっかかりそうになった自分が恨めしい。

「あはは、悪い悪い。けど、みんなそう言うもんだから、こっちもついついネタにしてしまうんだよな。まあ、外見だけは確かに高校の頃の葵に生き写しだからな」

 言葉の端っこが引っかかった。

「だけ?…ってことは中身は違うのか?」

 ついさっき、『あっちの方』――つまりこの場合は音楽的才能――も、葵にそっくりだと聞いたばかりなのだが。

「ああ、かなり『ガラスの心臓』に育ってしまったようなんだ」

 そう言うことか。
 つまり、それが葵の言うところの『育て方に気をつけないといけないね』…ということに繋がるのかも知れない。


「へ〜。そうなんだ。そりゃ葵と大違いだな。ま、あの『ナイロンザイルの神経』と比べたら誰でも『ガラス』になれそうだけど」

 そう。単に図太いだけの、ガチガチの『鋼の神経』ではないのだ。
 葵は、しなやかだけれど決して切れはしない…と、もちろん誉めているつもりなのだが。

「その発言、葵に知れたらぶっ飛ばされるぞ」

「何でだよ。お前も言ってたじゃん。葵の心臓には毛が生えてるって」

「それは事実だ」

「ほらみろ」

「しかも剛毛だ」

「やっぱりな」

 な〜んて、これと言って意味のないじゃれたやりとりも相変わらずで、お互い激務で疲れていたはずなのに、すっかり気分が軽い。


「しかし、叔父と甥が同じ学校ってのは窮屈だぞ。お互いに」

「お。まさに、経験者は語る…ってヤツだな」

 事実だけに、混ぜ返されても肩を竦めるしかないけれど。

「しかも葵が心配するくらいなら、なおさらお前に責任がかかってくるんじゃないか?」

 叔父として教師として、二重の責任を背負う事になるだろうと心配してみれば、祐介もまた、肩を竦めて見せたのだが。

「ところがな、葵のヤツ酷いんだ。あんな繊細な子は、祐介くらい鈍い人に育ててもらったらちょうどいいんじゃないか…なんて言いやがって」

「ひでー言われようだな。ま、同意はするけど」

「なんだと〜」

 祐介は良い意味で鈍いところがある…と、葵がいつも言っているのを涼太ももちろん知っている。
 そして、その事が大いなる包容力に繋がっているのもまたみんなが知っていること。
 むろん本人に『鈍い』という自覚はないが。


「それはそうと、お前の愛しいあきちゃんは元気か?」

「ああ、おかげさまで…と言いたいところなんだが、北米ツアーに出て3週間目だ。電話とメールは頻繁なんだが、顔色を見てないからなんとも言えないな」

 そろそろ疲れでも出ている頃ではなかろうかと、このところ気が気ではないのだが、如何せん、帰国までまだ10日もある。

「そりゃお寂しいことで……って、もしかして葵の親父さんのツアーか?」

「そう。本当は葵が行くはずだったんだけど、悟先輩の東欧ツアーと重なったんだ」

「なるほど。そうなると葵は悟先輩の方へ行くし……」

「しわ寄せは、あきに来るってことだ」

「藤原も赤坂先生のお気に入りだからなあ」

 2年ほど前に葵と共演した演奏会を聴きに行って以来会っていないが、あの時も葵や貴史と同様で『こいつも全然年取らないなー』と思ったものだ。


「で、こっちのことはいいとして、秋園は元気にしてるか?」

「ああ、もうばっちり。年一の検査も先月無事パスした」

「そうか。もう随分経つけれど、あの時はこっちの寿命まで縮まりそうだったからな」


 祐介自身が特に親しかったわけではないけれど、彼――秋園貴史は、親友・涼太の恋人で、その心臓のタイムリミットが近いと聞かされた時には、本当に言葉を無くした。

 それは、卒業して1年と少し――大学2年の秋の頃だった。



                     



 俺が聖陵を卒業した翌年。

 かろうじて卒業した貴史は――それは途方もない本人の頑張りと、周囲の協力があってこそだったのだが――大学へ進むことなく、そのまま入院生活に入り、そんな貴史を俺は、隣接する医学部の校舎から毎日訪ねていた。

 それから半年ほどの間に病状はさらに悪化し、残す手だては一つとなった頃…。



「ねえ、涼ちゃん」

 透けるほど白い表情を真っ直ぐ天井に向けたまま、小さな声で俺を呼ぶ貴史。

「ん? なんだ?」

 冷たい手をそっと握るが、握り返してくる手に力はない。

「人は死んだらどこに行くんだろう」

「…ばか。縁起でもないこと言うな」

「僕ね、思うんだけど、死んだらみんな…仏教の人も、キリスト教の人も、イスラム教の人も…あと何があったっけ……そうそう、ヒンズー教の人とか…どんな宗教の人でも、みんな同じところへ行くんじゃないかなあって思うんだ」

「…貴史…」

「あっちはね、天国とか極楽浄土とかに別れてなくて、ただ、みんなが仲良く思い出話してるんだよ」


 遠い目で、天井を通り越したさらにその先――ずっとずっと高いところ――を、見つめているかのような気配に俺は少なからず動揺する。
 気付かれないように。


「だからね。涼ちゃんも、誰かに伝言があるなら僕が聞いてってあげるよ」

「そんな必要ないさ。俺もお前のあとについてくから」

 やっとこっちを向いた貴史の額を小さく小突くと、困ったように眉を寄せた。

「…涼ちゃん。それダメだってば。そんなことしたら、僕、祟っちゃうからね」

「あはは。残念でした。俺も死んでるんだから祟れないよ」

「もう〜、涼ちゃんってば…」

「怒ってもダメだ。とにかく、祟るより俺にあとを追わせないようにすることだ」

 本音を言えば、あとをついていく気などさらさらなかった。
 そんなことよりも、絶対に、貴史をこちらへ留めるつもりだった。

 諦めさせたりしない。絶対に助かる。そう信じて。



                     



 結局、タイムリミットぎりぎりのところで僕はアメリカへ渡ることができ、見知らぬ人からの命を引き継いだ。

 でも、その時の僕は、命を長らえたことを喜ぶよりも、僕が受け継いだ心臓の、かつての持ち主が失ってしまった命の事ばかりを考えてしまい、手術はこれ以上なく成功で、最大の懸念だった拒絶反応さえ乗り切ったというのに、術後の回復は思わしくなかった。

 そんな頃。
 涼ちゃんが冬休みに入ってすぐ、またロサンジェルスへ来てくれた。

 手術の時も飛んで来てくれたんだけど、手術が成功し、僕の無事を確かめたあと、大学で大事な試験があって、また飛んで帰ったんだ。

 僕は麻酔がまだ覚めてなかったからその時は会えなくて…。



「メリークリスマス!」

 涼ちゃんが、クリスマスカラーの包みをかかえて病室に入ってきた。

 手術の時には会えなかったから、顔を見るのは1ヶ月ぶり。


「おや? 貴史君はどうしたのかな? やけに暗いじゃないか。顔色は良いのに」

 身体だけはすでに新しい心臓に馴染み始めていて、僕の頬には赤みが差すようになり、少しずつ体力が回復していくのももちろん自覚していたんだけれど、心だけがそれについていけず、不安定に荒れたり沈んだりする自分を、僕は完全に持て余していた。


「ん? どうしたんだ?」

 ベッドに腰かけ、僕の肩を優しく抱いてくれる涼ちゃん。

 その優しさに、急に何もかも投げ出したくなって、僕は言ってしまった。

「だって、僕のために、心臓を取られちゃった人がいるんだよ?」

 それはわかっていたことなのに。

 僕はそのために、危険だと言われた長時間のフライトを乗り切って、アメリカへ渡ったのに。


「僕の所為で…僕が心臓を待っていたから…」

 肩を震わせた僕を、涼ちゃんがギュッと抱きしめてくれて。

 この時の、涼ちゃんの言葉を僕は一生忘れない。


「じゃあ、ちゃんと預かっててやろう」

「…え?」

「貴史。前に俺に言ったこと覚えてるか?」

 僕の目をしっかり捉えて、涼ちゃんは微笑んだ。

「死んだらみんな、同じところに行くんじゃないかって言ってただろう? 天国も極楽もなく、みんなが仲良くしてるんだって」

「…涼ちゃん」

「だったらさ。お前もいつか、この心臓の元の持ち主に会えるってわけだ。その時に、『ありがとう。あなたのおかげで助かりました』…って、ちゃんと返してあげればいいんじゃないか。それまで大切に大切に預かっておくことが、お前のやるべきことじゃないか?」

 大切に預かる。

「俺も一緒に、大切にするから」

 その言葉は、涼ちゃんが僕にくれた、最高のクリスマスプレゼントだった。

「いつか、一緒に、ありがとうって言おう」

 僕は、暖かい腕の中に抱きしめられて、ただ、何度も、壊れたように頷いた。



                     



 それから僕は3年遅れで大学に進学し、今は涼ちゃんと同じ病院で理学療法士として働いている。

 ちなみに、『通勤が楽だから』…なんて、とってつけたような理由で、病院から徒歩10分くらいのところにあるマンションで涼ちゃんと2人で暮らしてる。

 お母さんは、何だか気が付いてるっぽいんだけど、黙って見守っててくれるから、僕も甘えてしまってるんだ。 


「ごめんな、貴史。今年もイブには休めそうもない」

 夜勤明けで帰宅してきた涼ちゃんが、心底申し訳なさそうに言う。

「何言ってるの。定時に終われる僕と違って、涼ちゃんは大変なんだから、気を遣わないで。僕が気にしてるのは、働き過ぎの涼ちゃんの身体だけだから」

 ご多分に漏れず、大学病院の勤務医はどの科も激務だ。

 特に涼ちゃんが勤務する小児科は、深夜の急患も多くて、休みの日に呼び出されることも日常茶飯事。

 しかも、初瀬先生が抜けた後任が年明けまで来なくて、人手不足でさらに激務に拍車がかかってる状態なんだ。


「あ、そうだ。管弦楽部の定演のチケットって、今年もお願いしていいかなあ」

 毎年楽しみにしてるんだ。
 でも、チケットは昔も今もプラチナチケット。
 OBだからって簡単に手に入るものじゃなくて、僕だって普通ならとっても手に入るものじゃないんだけど…。


「ああ、さっき祐介が来てたから、頼んでおいたよ」

「ほんと? ありがとー!」

 ありがたいことに、涼ちゃんには『管弦楽部顧問』と『院長』という、これ以上ない強力なコネが二つもあるから、僕はいつもその恩恵に与らせてもらってる。

 大学を卒業する頃までは、親友の珠生が管楽器の指導講師をやってたから、珠生がいつも都合してくれてたんだけど、現在彼は遠くフランスの空の下。

 会えないのは寂しいけれど、メールのやりとりはしょっちゅうだし、何より活躍してるのが嬉しい。


「でも26日はちゃんと休みとってるからな。お前も空けておけよ?」

 涼ちゃんが僕の肩を抱き寄せて、頬にキスをしてくれながら言った。

 12月26日。僕の誕生日。

 初めて2人だけで夜をすごしたのは、僕が中3で涼ちゃんが高1の時だった。

 あの時、どうしても…とだだをこねた僕を、涼ちゃんは壊れ物を扱うように、そっと優しく愛してくれて…。

 けれど、その後僕の病状は進んでいく一方で、日々の生活にすら、注意を要する状態になってしまい、愛し合うだとか抱き合うなんてことどころか、2人きりになるチャンスすら皆無で、本当に涼ちゃんに悪くて…。

 そして、僕たちの『二度目』は、僕の手術が成功した日から1年後のクリスマス。

 中3と高1だった、あの『初めての夜』から数えると、5年も後のことだった。



「貴史…」

 僕の名前と一緒に落ちてきたのは、涼ちゃんの、熱い熱いキス。

 で、僕はそのままベッドに押し倒されて…。

「ちょ、ちょっと待って」

「どーして?」

 どうしてって!

「涼ちゃん、夜勤明けで疲れてるのにっ」

 しかもただの夜勤明けじゃなくて、連続20時間勤務の後だ。

「何言ってんだよ。午前中から丸一日、2人揃って休みなんて3週間ぶりなんだぞ?」

 疲れたなんて言ってられるか…と、耳元に妖しく囁かれて、僕の熱も一気に上がっていく。


 何に気を遣うこともなく、思うままに愛し合えるようになってからもう何年も経つのに、未だに涼ちゃんは『いつも我慢の限界状態だ』って言う。

 それは、ずっと僕が掛けてきた心配と、強いてきた我慢の裏返し。

 だから僕は、いつでも涼ちゃんの好きなように……とは思うんだけどっ。


「あ、あの、せめてカーテン閉めようよ」

 冬の柔らかい日差しとは言え、午前10時の太陽がばっちり差し込む明るい寝室ではあまりに落ち着かない。

「却下」

「ええ〜っ」

 さらに抗議しようとする僕をものともせず、シャツのボタンがあっと言う間に外されると、露わになった胸に熱い唇が落ちてくる。

 それは、未だに残る僕の胸の縫合痕を辿り、その事に煽られた僕の動悸が早くなると、そっと耳が押し当てられる。

 まるで、僕が生きている事を確かめているかのように。

 そしていつも涼ちゃんは、ホッとしたように息をつく。

 その度に僕は心の中でそっと言うんだ。

 ありがとう…って。

 今まで支えてくれたすべての人に。
 何もかも、丸ごと愛して大切にしてくれる恋人に。
 そして、僕に未来をくれた人に。
 


END

2007.12月期間限定UP
2013.12月再UP

いずれちゃんと書かなくちゃな〜…と思っていましたバスケ部カップル!
漸くお目に掛けることができてホッとしています。
最初の設定では全然別の未来Ver.もあったんですが、
やっぱりハッピーエンドが一番です(照)

で。

ガラスの心臓の少年(笑)について、ついに連載を始めるめどが立ちました。
振り返ってみれば、大変長い日々でした(^^ゞ
葵たちが青春の日々を過ごした聖陵学院は今どうなっているのか!?
OB教師もうじゃうじゃいるようです。
お楽しみに(*^_^*)

ではではみなさま、素敵なクリスマスを!

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