はのっちの屈辱
(または、剛しっかりしなさい!)

by しいさま





 それは、いろいろあった聖陵祭も終わってはや一ヶ月、中間試験も済んで、通常の学校生活ってやつが戻って来た頃のことだった。

 俺、羽野幸喜は、放課後の部活でしぼられた後、月曜日だったんで6時から宮下先生にピアノを一時間みっちりみてもらってから、レッスンを奈月とバトンタッチして、待っててくれた茅野とふたりで、いつものように寮への道をのんびり歩いていた。


「週明け早々からなんかくたびれちまったぜ」

俺がぼやくと、

「まだ、課題もあるしな。ま、晩飯食ったら元気も出るさ」

茅野が能天気に返す。

「それにしても日が暮れるの早くなったよな。まだ7時過ぎだけど、もっと遅い時間みたいな気がする。」

「はのく〜ん、ふたりの夜は長いほうがいいじゃ〜ん」

「あ、こら茅野!擦り寄るな!抱きつくな!離せ!」

 人気のないのをいいことに、これまたいつものセクハラまがいのじゃれつき攻撃をはじめた茅野をなんとかかわそうとしているところに、突然大きな影が立ちふさがった。

「おい、嫌がってるじゃねぇか!やめろ!」

 いきなり大声でどなられて、思わず立ちすくむ。

 次の瞬間俺が見たのは、腹に一発お見舞いされて声もなく前のめりに倒れてゆく茅野の姿だった。

(茅野!)

 心では叫んでたけど、実際には声なんかでなかった。

 身体も動かなかった。

 呆然と立ちすくんだままの俺を尻目に、そいつは昏倒している茅野を近くの木の陰に引きずりこみ、ころがすと頭を軽く蹴った。


「あんまり早くお目覚めでも困るんで、念のため、な。」

 常緑のその木の下は月の光も外灯の明るさも届いていなくて、暗闇に溶け込んだ動かない茅野はまるでいないみたいだった。

 後から思い返せば、そいつが俺から離れていた隙に逃げるなりすりゃ良かったんだけど、そのときはそんなことは考えつきもしなかった。

 ただただ想定外の展開にショックを受け、現実を受け入れられずに固まっていた俺のところに戻ってくると、

「おまえ、羽野だよな?」とそいつは聞いた。

 目の前に立たれると思った以上にでかいやつで、俺がへっぴり腰になりながら反射的にうなずくと、そいつはにやりと笑って、今度は俺に当身を食らわせた。

 俺は、何もできないまま意識を失った。



                   ☆ .。.:*・゜



(う…ん なんかくすぐったい… 重いし… やめろよ、茅野… )

 誰かが俺の体を押さえつけて首元をくすぐっている。

 こんな風に俺の身体にじゃれるようないたずらをかますやつは、当然茅野に違いない。

 ところが不意に、腹を殴られて崩れ落ちる茅野の姿がフラッシュバックして、いきなり俺は覚醒した。

(こ、こいつ、茅野じゃないっ!)

「うわぁっ」

 身体は、冷たくて硬いものの上で、二の腕と太ももを効率よく押さえられ、でかいやつに体重をかけられてて、全然動けない。

 首を振るのがせいぜいだ。

 おまけに首や胸が妙にスースーする…俺どんな格好してんだ?

 部屋はうす暗くて、扉にはめ込まれたすりガラスから入ってくる通路の明かりを背負ったそいつの顔は良く見えなかったけど、にやりと笑ったのはわかった。

「もう、お目覚めかい?まぁ、寝てようが起きてようが、やることは同じだがな。 もう、限界だぜ。いっただき!」

 そいつは、いきなり俺の顔の脇に顔を伏せると頬をすり合わせ、(髭がちくちくした!)次に耳たぶをかじった!

 俺がぞおっと身震いしたのは言うまでもない。

 それなのに何を勘違いしたのかそいつは「おっ、感度いいじゃん…って、やっぱりもう食われちゃってんのかぁ、あの煩いひっつき虫によぉ…」なんて言いやがった。

 く、食うって、耳から食うのか?食ったらなくなっちゃうじゃんか!ていうか、うまいのか?じゃなくて痛いだろ!


 …要するに俺はパニクっていた。


 そいつは大混乱している俺の耳たぶから、つーっと唇を滑らせて首をたどり、喉元に音を立てて吸い付いた。

「いたっ」思わず声を上げてしまうほどの痛みがあってちょっと怖くなった。

 こいつ、なにしようとしてるんだ?

 も、もしかしてこいつ…

 そのとき、パシイッと小気味のよい音が響き、それから俺の上のやつがいきなりずっしり重くなった。

 そして、やつの頭の上からひょっこり見知った顔が顔を出した。

 同じクラスで、柔道部最軽量級の丸山だった。

 縦横でかくて強面のイメージの強い柔道部だが、丸山はガッチリしてても身長は俺と変わらないし、真面目で気さくな性格と人好きのする笑顔で誰とでも仲良くなれるやつだ。

 どうやらここは柔道部の部室らしい。

 部屋続きの用具室で居残りで備品チェックをしていたんだそうな丸山は、手に持っていた竹刀をどこかに片付けてくると(柔道部の練習中、コーチは竹刀を持っているらしい。なんに使うのかな。)、唇に人差し指を立てて、安心させるようににっこり笑って見せ、手際よく俺の上のやつを気をつけの姿勢にさせてから片側だけ持ち上げてくれて、俺はなんとか重いやつの下から逃れることができたんだ。

「大丈夫?とりあえずここから出よう。歩ける?」

 丸山は、辺りを見回して床に落ちていたネクタイを回収し、俺のはだけているシャツの前を合わせてくれて、俺はのろのろとボタンをかけながら脱出した。



 外の空気を吸うと、だいぶ気分が良くなった。

 寮へと戻る道すがら、丸山から聞いたところによると、あいつは柔道部の3年生で、聖陵祭の演劇コンクールのときに俺に目をつけたらしい。

 俺たちの演目は『美女と野獣』。
 おれは不本意ながらベル役をやらせていただいたんだけど。

「可愛かったよなぁ…。野獣やったのって同室のやつなんだって?キスなんかしやがって許せねぇ!嫌がってたしなぁ…まだ落ちちゃぁいないよな?絶対俺のものにしてやるぅぅ…あの可愛い声で啼かせてやるぅぅ…」とかなんとか度々盛り上がってたんだそうだ。


「根は悪い人じゃないんだけど…。どうも思い込んだら一直線に突っ走っちゃうタイプみたいで…。」

 丸山が言うんだから、まぁそうなんだろうけど。

 でも!来年はヒロイン役なんて断固拒否だ!

 全く、俺はノーマルだって言ってるのに、何なんだよ。
 
 憤慨しているうちに調子の戻ってきた俺に安心したのか、

「なぁ、いつも『ノーマルだ』って言ってるけど、あれって本心か?」なんて聞いてきた。

「もちろん!」と俺が力をこめて頷くと、

「よかったぁ!俺もなんだ。聖陵って校内恋愛が当たり前みたいじゃん?柔道部でも、俺は小柄なのに、階級の違う大きな先輩の寝技の相手させられて、耳に息を吹きかけられたりとか、なんか笑えない冗談多くてさ、困っちゃうよな?」

「ま、幸せな人に意見する気はないけど、俺はノーマルなんだから、ほっといてくれ、って感じ?」

「そうそう。やぁ、うれしいな。同士発見だな。」丸山はニコニコしている。

「ん。これからもよろしくな。」

 俺たちはすっかり意気投合した。


 その下で茅野が倒れているはずの木が見えてくると、俺は急に心配になった。

 俺より先に殴られた茅野のことを丸山に簡単に説明しながら、だんだん早足になる。

 その足音に気づいたのか、木の下の影から声がかかった。

「羽野くん!よかった!」

 奈月の声だ。隣で顔を上げたのは悟先輩だな。

 ピアノのレッスン終わったんだな。

「茅野は?」

 丸山と木の下に飛び込むと、憔悴した様子で茅野が座り込んでいた。

 が、俺の顔を見るなり、飛び上がるように立ち上がった。

「羽野っ。無事だったかっ。」

 そっか。俺より先にダウンさせられちまったから、何にも知らないんだよな。

「俺は大丈夫。丸山が助けてくれたんだ。」

 茅野は隣の丸山に目を移すと、なぜか胡乱な目付きでにらんでいた。

「とりあえず、2人とも無事でよかったよ。葵が、そこに誰か居る!って言ったときもすぐには信じられなかったんだけれど、本当に人が倒れていて、しかもそれが茅野だとわかったときは本当にびっくりしたよ。 その上、目を覚ますなり、羽野はどこ!?って。見回して辺りに僕たちしか居ないとわかったとたん真っ青になって座り込んでしまうし。」

 悟先輩は、それ以上根掘り葉掘り聞くようなことはせずに、寮へとみんなを促した。

 俺を真ん中に両脇に茅野と奈月が並んで寮への道を上る。

 丸山は少し離れて悟先輩と上がってくる。部室でのこと聞かれてるのかも。

 でも、3人で歩いてると、さっきのあの体験がうそのように、いつもの雰囲気が戻ってきたように思えて、ぶすっと黙り込んだままの茅野はほっといて、俺は奈月に小さな声で話しかけた。

「なぁ、奈月。実はちょっと気になってることがあるんだけど…。」

「ん?なに?」

 奈月は陽だまりみたいな笑顔を向けて、いつものようにほっとさせてくれる。

 俺はついつい気を許して口にしてしまった。

「この世に吸血鬼っていると思うか?」

「へ?」

 あ、めっずらし〜。すげー間抜け顔。じゃなくて。

「吸血鬼ってさ、暗闇の中で活動して、人の喉元に牙を立てて血をすするって言うだろ?」

「うんうん、血をすすられた人も吸血鬼になっちゃって、また誰かの血をすすって…って増殖するんだよね〜。不老不死でみんな若い姿のままなんでしょ?もしかしてこの世の人の大部分は吸血鬼ってこともありえるかも…なぁんて?」

「え。じゃぁ、うちの学校にもそ知らぬ顔して混ざってるかも?」

「えぇっ。もしかして、いたの?」

「んー。俺さっきさ。喉元に咬みつかれたと思うんだよな。ちょっと痛かったし。もしかして血を吸われちまったのかな…と。」

 俺は立ち止まって、シャツの襟元を開いて咬みつかれたあたりを示して見せた。

 夜道だからたいした明るさではないんだけど、奈月も立ち止まってのぞきこんで…。


「あらら、これは…。」

 なんだよ。言いよどむなよ。よっぽどなんか悪いことなのか?

「とりあえず出血はしてないし、血を吸われた風でもないよ。」

 そりゃ良かった…。
 けど、その笑いをこらえてる顔はなんなんだ?

 そのとき、俺と奈月が立ち止まっていたことに気づいた茅野が、行き過ぎた分を戻ってきて、のぞきこんだ。

「どうしたんだ?って、羽野、それ何だよ!?」

 いきなりいきり立った茅野に腕をとられ、ぐいぐい引っ張られて転びそうになりながら寮へ向かい、一気に310室までなだれ込んだ。




「お前いったい何されたんだよ。ほんとに大丈夫なのかよ?」

茅野はすっかりキレちまってた。

「大丈夫だって。だから、落ち着いてくれよ。手、離せよ。」

「大丈夫なわけないだろ!キスマークなんかつけて! くっそう、俺が消毒してやる!」

 これが、世に言うキスマーク?
 吸血鬼じゃなかったんだ!てか、こいつなんでわかるんだ?
 それに、消毒って何のことだ?オキシドールはしみるからいやだぞ。

 茅野はいきなりベッドに俺を押し倒すと手足を押さえ込んだ。

「茅野!」

 見上げた茅野の顔は、見た事がないくらい怒っていて、悲しそうで、思いつめていた。

 その顔が俺の顔の脇に下りてきて、触れた瞬間、あいつに触れられたときの感触が急によみがえり、俺は硬直し、次に暴れだした。

「いやだ!やめろっ!茅野っ!」

 暴れるうちに自由になった右手で茅野の頬をたたくと、ひるんだ隙にベッドの上から逃げ出した。

「羽野くん!茅野くん!入るよ!」

 奈月の声がして部屋のドアが開いた。

 入ってきたのは丸山だった。

「ねぇ、思い出すのもいやなこととか、触れられるのもつらいことってあるよね? お互いのために、今夜はこれ以上、あのことを話すのはやめようよ。 話したくなったら、いやでも聞かされることになるんだし。 それより、寮食がしまる前に夕食食べちゃおうよ。おなかすいてるだろ?」

 ドアの内外の様子を伺っていた奈月と悟先輩も、一緒に行こう、と俺たちを促した。
   




 食事を終えて310室に戻ってからも、俺と茅野の間に会話は戻らなかった。

 いつもより早くベッドに入って寝たふりをしながら、俺は考えた。

 茅野も俺も当身を食らって何もできなかった。

 俺は柔道部の部室であいつにのしかかられたときも何もできなかった。

 いくら「ノーマルだ」って主張してても、圧倒的な体格の差と暴力の前には役にたたなかったってことだ。悔しいけど。

 ってことは、俺も暴力から自分で身を守れるくらいには強くならなきゃってことだよな…。


 俺はいつの間にか眠っていたらしい。






 次の日、休み時間に丸山が「大丈夫?」と話しかけてきた。

 教室からちょっと離れた階段の踊り場で、俺は思い切って相談をもちかけた。

 丸山は始めはびっくりした顔をしていたけど、にっこり笑ってOKしてくれた。



                   ☆ .。.:*・゜



 2週間もたった昼休みが終わるころ。

 丸山と並んで、急ぎ足で教室棟に向かっていた俺は、階段の上り口で待ち伏せていたらしい茅野に出くわした。

 あれ以来、茅野と俺はちょっとギクシャクしている。

 触れられると過剰反応しちまう俺に、茅野が過剰な気遣いをしてるって感じなんだけど。

 奈月や悟先輩に何か言われたのか、あのことを話題にしないように、自分にブレーキをかけてるみたいだし。


「このところ、毎日昼休み二人でどこに行ってるんだ?」

 茅野ときたら、いきなりえらく剣呑な口調で聞いてきた。

 俺と丸山は顔を見合わせてにっこり笑みを交わす。

「実はさ、丸山に護身術を習ってるんだ。」

「護身術?二人きりでか?!」

「うん。丸山ってお姉さんと一緒に小さい頃は合気道をやってたんだって。
俺よりでかくて力の強いやつに襲われても、逃げられるようになりたいと思ってさ。自分に自信がつけば、せめて助けを呼ぶ声は出せるんじゃないかと思うし。」

「そんなの…、俺が…。」

 茅野は最後まで言えなかった。あの時、俺より先にやられちゃったんだもんね。

「羽野くん、目的意識があるからすごく上達早いよ?今なら茅野くんを逆に押さえ込んじゃうかもね。」

 丸山にほめられて俺は照れ笑いした。

「羽野お前、丸山とは組み手やっても全然なんともないのか…?」

「へ?」

 茅野は何を言いたいんだ?

 丸山は平然と言い放った。

「だって、俺たちノーマルだもん!ね?羽野くん!」

「おう!」




 茅野ときたら、いまだに落ち込んでいる。

 俺としては、茅野は友達としてはとってもいいやつだと思うし…、そろそろ模型の面倒も見てやりたいんだけど…。

 せっかくのジオラマの富士山に雪ならぬ埃が積もっちまうぞ〜。



おしまい


 


今年の3月、J−GARDENの会場で、しいさまからいただきました!
ちゃんと小冊子の形にしてプレゼントして下さって、その小さな本は私の宝物になりました☆
で。
「一人で読んで下さいね」と仰られていましたものを、ご無理をお願いいたしまして、
今回お披露目させていただけることになりましたv

しいさま、本当にありがとうございました〜!


さて、ここで問題です!

丸山くんは、本当にノーマルでしょうか?(笑)

とりあえず、茅野クン。
キミはもうちょっと強くならないと、
丸山くんに出し抜かれちゃうよ〜(*^m^*)
(えっ? 丸山くんって、ノーマルじゃないのっ?)

☆ .。.:*・゜

バックで戻ってねv