羽野くんの管弦楽部観察日記 10
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〜10〜 「俺たち的フトコロ事情」 |
「げ」 やばいぞ、これは。 「どうした?羽野」 茅野がのぞき込んでくる。 「や、なんでもねぇ」 慌てて財布を閉じる俺。 「はは〜ん、お前、今月ピンチだろ?」 今月もへったくれもあるかっ。俺は万年ピンチだっ。…けど。 「ま、まさかっ」 財布を大急ぎでポケットに入れた俺に、茅野はニヤッと笑って間合いを詰めてきた。 「この前ちょっと買いすぎたもんな」(*) 「う…」 痛いところをつかれて絶句した俺に、茅野は今度はわざとらしいほどにっこり笑って言った。 「奢ってやるよ、何にする?」 「い、いいってっ」 「遠慮すんなって、ほら」 逃げようとする俺の首根っこを、茅野は遠慮なくひっつかむ。 ここは放課後の音楽ホール。 もうすぐ始まる部活を前に、俺と茅野は自販機の前にいた。 茅野は勝手知ったるなんとやら…で、俺の好みのコーヒーをさっさと買ってしまう。 「ほら」 「……さんきゅ」 く〜、同級生に恵んでもらうようになっちゃおしまいだな…。 今度電話でお袋に泣きついてみようかな…。 それにしても……。 「な、茅野。お前、小遣いっていくらくらいもらってんの?」 そういえば、けっこういつもお大名な金遣いの茅野。 ちょっとむかついたから、思いっきりストレートに聞いてやった。 「たいしたことねーって」 「いいから教えろ」 ちなみに茅野の親父さんは大手商社のニューヨーク支社長だ。 「プリペイド1万、あと小遣いの基本給は1万だな」 なんだ、その基本給ってのは。それにしても合計2万ももらってやがるなんて。 「あとは必要に応じて追加融資だ」 「融資ってことは、返すのか? 翌月の小遣いから引かれるとか」 「まさか。もらったっきりだ」 こ、こいつ…。だいたい、それは融資って言わねぇだろーがっ。 「お前、ちょっと甘やかされ過ぎじゃねぇの」 「そんなことないって。だってさ、自宅を離れての寮生活。親としてはちょっと多めの金をもたせて不自由させないように…って思うじゃんか、普通は」 …じゃあ、うちの親って普通じゃねぇのか? 「それにさ、うちの家族はみんなアメリカ行っちゃってるし、俺は日用生活雑貨も全部自分で買わなくちゃなんねぇんだぜ」 …あ、そうか。それはそれで面倒だよな。 ま、確かに俺たちのフトコロ具合ってのは、寮生活ならではの経済活動だよな。 聖陵はご存じの通り全校生徒の9割が寮生だ。 寮生は学費の他に寮費ってのを払っていて、それには朝飯と晩飯が含まれている。 でも昼飯は違うんだ。 昼は僅かとはいえ通学の生徒もいるし、先生も職員もたくさんいる。 だから昼は校舎の方の食堂しか開いてない。そこで食券買って食わなきゃなんないんだ。 基本的に寮の食堂は昼は休み。病気なんかで登校してない生徒にだけ、昼飯作ってくれるんだ。 というわけで一番デカイ出費は昼飯代だ。 けど、昼飯代に関してはさっき茅野が言った『プリペイドカード』って方法もあって、あらかじめ保護者が学校に通知した金額のプリペイドカードが教務課から発行されて、それで自販機を除く校内でのすべての買い物が出来るようになっている。 俺も普通の小遣いの他に月額7000円のカードを親からもらってるけど、昼飯の他に間食したりするとあっという間になくなっちまう。 なんてったって食べ盛りの男子高校生。 寮食も学食もご飯は美味くて量も多いけど、やっぱり腹の減るときはある。 特に、部活で絞られた後とか夜更かししちまったときとか…そうそう、2時間目の終わりあたりもキケンな時間帯だよな。 そんな時の間食代はほんと、バカにならない。 後はまぁ…購買で文房具買ったり、本や雑誌を買ったり…ってとこかな。 家が金持ち…ってヤツは余裕があるからゲーセンなんかにも行ってるみたいだけど、俺には無理。 だって、7000円のカードの他に俺がもらってる一ヶ月の小遣いって、高校生にもなって3000円なんだぜ! これって聖陵生の中ではダントツで最低ランクじゃねぇかと思う。きっと中坊だってもっともらってるに決まってる。 もちろん、俺の場合はシャンプーとか洗剤とか歯ブラシなんていう生活必需品は全部親が送ってくれるけど、はっきり言ってこれでやっていくのはキツイ。 幸か不幸か、部活が忙しすぎて校外へ遊びに行くヒマなんて皆無だけど、それでもキツイ。 でもさ、うちは両親共に公務員(小学校の教師なんだ)だから、これ以上の無茶は言えねぇんだよな。 実際学費と寮費だけで手一杯のはずだしな。それも実は半分はじいちゃんが助けてくれてるって噂もあるくらいだし…。 ま、とにかく庶民のお子さまにはキツイってことだ。 「それにしても、やっぱりお前、もらいすぎ」 ジロッと睨むと、何故だか茅野は嬉しそうに俺の頭をパフパフ叩く。 どういうリアクションだ、いったい。 お、奈月と浅井が来た。 目が合うと奈月はいつもにこっと笑う。めっちゃ可愛い。でも奈月はすぐに笑顔を引っ込めて小首を傾げた。それでもやっぱ可愛い。 「どしたの? 羽野くん」 え? 「なんか深刻そうな顔してるぞ、お前」 浅井まで同調してくる。 「おう、こいつちょっと月末的経済危機なんだ」 茅野がそういうと2人はそろって納得いったように頷きやがった。 くそっ、いらねぇこといいやがって。お前らもあっさり納得するなっての。 よ〜し、こうなったら、こいつらの実状も暴いてやる。 「なあ、ちょっとリサーチに協力しろよ」 「リサーチ?」 「おう。聖陵生の経済活動についてのリサーチだ。一ヶ月の小遣いっていくらもらってるのか教えてくれ」 「…それ、まさか生徒会のトトカルチョとかじゃないよね?」 疑わしそうな目で奈月が見る。 可哀相に。生徒会トトカルチョの度にネタにされてっから疑心暗鬼になってやがる。 「もちろん大丈夫だ。純粋に統計取ってるだけだから」 …純粋に『興味だけ』なんだけどな。 「ふぅん。ならいいけど…。ね、祐介はいくらもらってる?」 「カードと現金でそれぞれ1万円」 …こいつもか。 「そんなにもらって余らない?」 奈月が首を傾げた。『そんなにもらって』ってことは、奈月はそんなにもらってないってことか? 「余るのかよ、浅井」 茅野が目を丸くしてる。 「いいや、余らない」 「そういえば、祐介最近よく食べるから」 お、成長期か。まだ伸びる気かよ、こいつめ。 「それにしても、1万円も食べてないよね? それにあんまり使ってるところ見ないけど」 「現金の分はなるべく使わずに貯めてる」 さりげなく出たこの一言には俺も茅野も奈月も絶句した。 貯金してるのかよ、こいつっ。ったく、高校生にあるまじき行為だぜ。 「なんか欲しいものあるんだ? 祐介」 奈月が可愛い顔で尋ねると、浅井のヤツ、真顔でいいやがった。 「いや、僕の欲しいもの…じゃなくて、誰かにプレゼントをあげたいときにさ、必要だろ?」 おお〜! こいつがこんなフェミニストだとは思わなかったぜ。これも『恋しい奈月』故だろうか? 隣では茅野が『ム○クの叫び』をやっている。 そんなアホ茅野を横目でチラッと見て、浅井はまた穏やかにいう。 「プレゼントって本当は自分で稼いだお金じゃないと意味ないと思うけどさ、聖陵はバイト禁止だし、第一そんな暇ないし」 「祐介、偉い〜」 奈月が背伸びして浅井の頭を撫でる振りをすると、浅井は照れくさそうに『よせよ』なんていっちゃって…。 あ〜あ、勝手に二人の世界を作ってろっての。 こっちの事情はそれどころじゃねぇんだ。 明日、昼飯が食える食えねぇか…って瀬戸際だもんな。 「でさ、奈月は?」 「え? 僕?」 奈月は『う〜ん』と一唸りしたんだけど、そのあとのセリフがとんでもなかった。 「…よくわかんない」 わかんない〜? これには茅野も俺もかなり驚いた。 わかんないっつったって、奈月ほどの頭脳の持ち主が『いくら使ったのか計算できない』なんてことないだろうし、金銭感覚皆無…って感じも見受けられないし…。 けど、浅井の反応は違った。全然驚いてない。 「ああ、ほら、葵は栗山先生のCDに参加してる印税もあるし、モデルの契約料もあるからな。 な、葵」 スッとフォローに入った感じ。 「あ、うん」 …ふぅん。 「「なるほどねぇ」」 俺と茅野がハモる。 …けどさ。 「あ、時間だ」 浅井が腕時計を見て言った。 慌ててホールの舞台へ向かう俺たち。もちろん、遅刻厳禁だからな、管弦楽部は。 でも…なんだか今の浅井のフォローって、ちっとも説明になってないような…。上手くちょろまかされただけ…って気がするんだけど…。 …まさか、噂に聞く『幻の無制限プリペイド』を持ってる…とかじゃねぇよな。 俺は一生懸命頭の中を整理しようとしたんだけど、すでに舞台上ではチューニング体勢に入っていて、それ以上考えることができなくなっちまった…。 ☆ .。.:*・゜ 合奏が始まる。 昇先輩が立ち上がってオーボエからAを拾ってる。 そう言えば、昇先輩って人はそのお人形みたいな見かけのせいか『財布出してものを買う』って行為があんまり似合わねぇ感じだよな。 でも実際は『え〜、もっと負けてよぉ』なんてやっちゃう人なんだけど…。 ま、お願いされた方は100%『い、いいよ』って言っちまうらしい。 なんだかわかるけどな、それ。 昇先輩の向かいでは、守先輩が真剣な表情で調弦を始めている。 この人は…金なんて使わなくても生きて行けそうな感じ。 だって、みんなが貢いでくれるしなぁ。 あ、『ヒモ』とはちょっと違う。『ヒモ』ってのは自分は金持ってなくて『養ってもらう』って感じだけど、先輩の場合は、自分でも金持ってるんだけど、勝手に周りが貢いでくれる…そんな感じだ。 天性のジゴロかホストってとこか。 この前なんて、中3のカワイコちゃんが『超豪華重箱3段重ね手作り弁当』なんて差し入れしてたけど、寮生のクセにどこであんなもん作ってるんだろ? まさか食堂のおばちゃんが荷担してんじゃねぇだろうな。 おばちゃんたち、普段からこっそりプリンとか作って貢いでる…って噂だし。 …いいなぁ。男前って。 俺もこんな『へのへのもへじ』じゃなくて、奈月や先輩たちみたいだったら『はらへった〜』なんて苦労なかったのかも〜。く〜、情けね〜。 あれ? チューニングが済んで、静かになったステージ。指揮台に上がったのは悟先輩だ。 「職員会議が長引いているので、先生が来られるまで僕が代わりを務めます。…では、4楽章の頭から、まず金管だけで最初の和音を」 そう言って、スコアをめくる悟先輩。 うーん。悟先輩の経済活動ってのも興味あるよなぁ。だって想像つかねぇもん。 まず『今月ピンチ!』なんてこと、絶対ねぇだろうな。なにせ、悟先輩ときたら『全身是自制心』みたいな人だから、『無駄遣い』なんて言葉、一生無縁っぽい。 そう言えば、いつだったか学食で昇先輩が『悟ぅ、カード貸して〜』なんて言ってたことあったっけ。 そん時の悟先輩って『なんだ、またか、昇』な〜んて言って、呆れながらも渡してたよな。 ほんと、こう言うとき兄弟がいるっていいよなぁ。 「…おいっ、羽野っ、羽野ってばっ」 次席の先輩から脇腹をつつかれて、俺はハッと我に返った。 悟先輩がジッとこっちを見てる。 「4楽章の頭っ、金管の和音だけっ」 せっぱ詰まったヒソヒソ声で先輩が言う。 …え? …うわっ、しまった! ぼんやりしてた!!! 慌てて楽器を構えると、悟先輩はまるで俺の頭の中を見透かしたかのように、目だけで柔らかく微笑んで、俺に向かって合図を出した。 ひえ〜、焦ったぜ。 慌てて出した音はもちろん……あ〜あ、さいてー。 ☆ .。.:*・゜ 「お前、練習の最初にぼんやりしてたけど、大丈夫か?」 練習が終わって、疲れた身体を引きずって上がる寮への坂道。俺は心配顔の茅野に言われてしまった。 「まさか、腹減りすぎて脳味噌が溶けたとか」 …失礼なヤツめ。 それにしても…腹減ったのは事実…。ここんとこ、月末の苦境に向けて、セーブして昼飯食ってたし、おやつも我慢してたから…。 今夜と明日の朝は寮食だからしっかり食えるとして、問題は明日の昼飯だ。 プリペイドカードの残高はゼロ。次の発行まであと3日。 財布の中身は、なんと銀色の硬貨が2個ぽっきり。あ、もちろんでっかい方の硬貨じゃないぞ。 う〜。これで食えるのって、きつねうどんだけだよなぁ。 で、残り2日はどうやって生きてく? やっぱお袋に電話して『1000円でいいから送金して』って泣きついてみようかなぁ。 でも『銀行まで行ってる暇ないからあと2日くらい辛抱しなさい』とか平気でいいそうだよな、あの鬼ババは…。 とぼとぼと高校寮へ戻ってきた俺は、ふとあげた視線の中に、これでもかってくらい敏感に『プリペイド』という単語を捉えた。 ロビーの掲示板。やたらとアーティスティックで目を引く張り紙の中にその単語があった。 『モデル求むっ! 君の美しい肉体を、永遠のキャンバスに刻んでみないか? 謝礼はプリペイド3000円分。詳細は高等部美術部まで!』 しゃ、謝礼3000円? 俺の一ヶ月分の小遣いと一緒じゃねぇか! 思わず喉を鳴らして張り紙を見つめてしまった俺に、茅野がやけに不機嫌そうに呟いた。 「羽野…。まさか謝礼に釣られていく気じゃないだろうな」 「…え? …ま、まさか、そんな…」 どうしてこいつはこう鋭いんだ…。 「わかってんのか? これ、ヌードモデルだぜ」 はぃ〜? 「ぬ、ぬ〜どぉ?」 そ、そんなもん、毎晩風呂場で見飽きてるだろうに…。 なんでわざわざ3000円も出して…。 茅野は呆れ返ってる俺の肩をギュッと抱き寄せてきやがった。 「まさか、マジで美術部のヤツらのアブナイ視線の中で脱ぐ気じゃないだろうな」 「ばっ、馬鹿言うなよっ。だいたい、俺みたいなのが志願したって却下に決まってんじゃんかっ」 んっとに、俺だってそれくらいの身の程はわきまえてるってんだっ! 「…ふっ…これだから無自覚クンは…」 …なんだ? 茅野のヤツ、こめかみを押さえて肩なんか竦めやがって。 俺が不審そうに茅野を見ると、茅野は俺の視線を捉えてニヤッと笑った。 「美術部のヤツらに晒すくらいなら、俺が1万円出すから、二人っきりの部屋で脱いでみない?」 こ、こいつ………。 俺はどんなに腹が減っても金と貞操を引き替えにする気はねぇぞっ。 「なぁ、は・の・ク・ン」 ええいっ、エロい声で囁くなっ。 俺はノーマルだって言ってんだろうがっ! |
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(*)え? 俺が何にそんなに金使ってるかって? それは次回のネタな。 |
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羽野くん、焦らし技を覚えたらしい(笑) |
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