羽野くんの管弦楽部観察日記 14

〜お仕置き部屋の怪しい住人たち〜





 俺、羽野幸喜。高校2年だ。管弦楽部でトランペット吹いてる。…って何回言ったっけ。

 ま、そんなことどうでもいいや。

 ええと、今日はオケの楽器の話だ。
 俺はトランペットだから『管楽器』。昇先輩はヴァイオリンで『弦楽器』。
 ここまではよく知られている楽器だと思う。

 そしてもうひとつ。
 オケにかかせない楽器がある。それが今回のテーマ『打楽器』だ。

 表現としては『管打楽器』というように、管楽器と一くくりにされやすいんだけど、打楽器ってのはこれで立派に一つのファミリーなんだ。
 なにせ扱う楽器の数が多いからな。

 普通、交響曲ってーとベートーヴェンあたりがもっとも一般的に知られているけれど、この辺りの時代では打楽器っていうとティンパニしか登場しない。

 ティンパニって知ってる?
 ほら、お椀に皮張ったような太鼓あるだろ? 色はだいたい真鍮かな?

 曲によって違うけど、2台から4台使うことが一般的だ。
 ちなみに音程は、皮の張り具合で変えている。

 中1の頃、茅野のやつが『なあなあ、俺、ティンパニって1台でオクターブ全部出るもんだと思ってたけど違うんだな』なんて、訳の分かんないこといったんで、なんだそりゃ…って聞いたら、やつってば、ダーツの的みたいに中心から外へ向かって環状に音程が変わって行くんだと思ってたらしい。

 つまり、叩く場所によって音程が違うってわけだ。んなアホな。
 
 念押ししとくけど、ティンパニは、1台につき一つの音程しかでない。
 だから楽章によって調子が変わったりしたらその都度チューニングしなくちゃなんねえってことだ。

 結構大変な楽器だよな。ティンパニも。

 そうそう、ティンパニを叩く「ばち」は「マレット」って言うんだけど、これも先の丸い部分の素材や固さがいろいろあって、それによって音色が変わるから、一人で何組も持ってるのが普通だったりする。「マレットおたく」ってのもいるくらい、奥の深い世界…らしい。


 で、時代が新しくなっていくと、編成の大きな曲だと打楽器も多種必要になってくる。

 ティンパニの他に、大太鼓、シンバル、トライアングル…数えだしたらキリがないくらいだ。

 特殊な例を挙げると、有名なところでラベルの『ボレロ』に登場する「銅鑼」とか、ベルリオーズの『幻想交響曲』の「チャイム」なんてとこだろうか。

 そうそう、ドヴォルザークの『謝肉祭』ではラストの方でタンバリンが大活躍。

 タンバリンってーと、幼稚園のお遊戯用みたいに思う奴多いけど、侮るなかれ、この曲のタンバリンはただ叩くだけじゃなくて、めちゃめちゃ早いしリズムは複雑だしでものすごく難しいから、『タンバリン・コンチェルト』なんて裏名で呼んじゃったりするくらいだ。

 ちなみに本物のタンバリンって高いんだぜ。何てったって『万単位』だからな。

 ってことで、一度に7〜8人も打楽器奏者が必要な大曲も多いんだけど、やっぱり打楽器の花形と言えばティンパニかなあ。
 
 シンバル命ってヤツもいるけどさ。

 あと、ティンパニ以外の打楽器は特殊な効果を狙って使用することが多いので、一曲中の出番が極端に少ないこともよくある。

 例えば有名なのがドヴォルザークの『新世界より』。

 あの中で、4楽章に一発だけシンバルが入るところがある。
 しかもとても静かに…だ。

 ほんとに一発だけなんだけど、なにせ長い交響曲の最後の方だろ? ずっと出番を待ち続けてぼんやりしちまって、いざ出番ってところでうっかり落としちまった…って、笑えねえ笑い話がほんとにあるんだ。

 ま、うちの打楽器の連中は「その一発」に命かけてっから、絶対に落とすことないけどな。

 ってわけで、こっからは我らが聖陵学院管弦楽部の打楽器ファミリーの話だ。


                   ☆ .。.:*・゜


 中1が管弦楽部に入るには、入試に合格した後、入学式までの間に行われる入部テストを受けなきゃならない。

 弦楽器はそれなりに人数がいるから結構入りやすいんだけど(でも、その後の練習で脱落するヤツは多い。練習はきついし時間は拘束されるしな)、管楽器は一つのパートについて、学年に1〜2人しか入部させないからものすごく狭き門になる。

 ただ、管楽器については事前に先生のスカウトがかかってるから、実際はあんまし関係ねえんだけど。

 で、特殊な例が打楽器ファミリーなんだ。

 打楽器に関しては、まったくフリーで入部を受け付けるんだ。事前テストなしってことだ。

 どうしてかってーと、まず中学入学時点で打楽器のまともな経験者がほとんどいないってことだ。
 
 たまに小学生ブラスバンドとか、鼓笛隊の経験者もいるんだけど、実際その経験はオケではほとんど使えない。

 演奏レベルの次元が違うから…って言ってもいいだろうな。

 かえって中途半端な経験を持ってると、一から矯正しなきゃならない事態になったりすることもあるらしく、それくらいなら「まっさら」な方がいいって話も聞いたことがある。

 それに光安先生曰く、日本では小学生にちゃんとした打楽器を教える体制はほぼ皆無らしいし。

 ってわけで、打楽器奏者に関しては、ゼロからのスタートってことになるんだ。


 そして、今年の春もたくさんの中1が打楽器奏者候補生としてやってきた。

 ただし、中1の1学期間は仮入部とされて、オーディションもない代わりに部員にもカウントされない。

 たくさん入れて、ビシバシ教える。
 残るのは、やる気があって、センスのあるヤツだけ。

 去年は18人仮入部して、2人残った。
 いい方だ。ゼロって年も無くはないから。 

 でも、おかげで残ったヤツと言えば、そりゃもうすごい。
 中2に上がる頃には大学オケでも通用するくらいの『遣い手』になってやがるんだ。

 2学期の正式入部の頃にはもうすっかり『打楽器ファミリー』の顔してるしな。

 え? どんな顔って?
 そりゃ『この一発に命かけてます』って顔じゃん。

 で、今日は俺、そんなやつらの部屋へやって来た。

 打楽器は音が大きいし、大型の楽器もあるから専用室があるんだ。

 現在総勢8名の『打楽器ファミリー』は全体合奏以外はだいたいそこにたむろしてる。 

 寮へは寝に帰るだけ…ってやつらばっかりで、勉強も飯食うのもこの部屋らしい。

 ほんとは練習室内の飲食は禁止なんだけど、ま、それに関しては他のやつらも全然守ってねえし。
 
 そのあたり、聖陵の生徒って立ち回りが上手いんだよな。ばれないようにやるからさ。





 さて、打楽器部屋に到着だ。
 ここは通称『お仕置き部屋』っていうんだ。

 なんでかってーと、『びしっ、ばしっ』って叩く音が部屋中に絶え間なく響いているかららしい。

 8年くらい上の先輩がつけたらしいんだけど、ちょっと…いやかなり、ネーミングセンスに難あり…だよな。

 そうそう、そん時は確か『展覧会の絵』って曲やってて、その中でムチを使うところがあったらしくて、それの練習中だったそうだ。

 誰がムチをやるかでもめたとかいう話も伝わってる。みんなやりたがったんだそうだ。

 なんでムチなんてやりたいかな。

 茅野にそのこと言ったら、あのバカ『そりゃあムチなんてある意味オトコのロマンだからな』なんてわけわかんないこと言ってやがったっけ。

 でもさ、ムチって女王さまの持ち物だよなあ? 

 あ? もしかして茅野ってマゾっ? うわっ、サイテー。



 さて、分厚い防音ドアの前に立つと、『ノック無用。勝手に入れ』って張り紙がある。

 ノックしても無駄って事だ。絶対聞こえないに決まってる。

 俺は指示通り、勝手に入る。
 実は入るのは初めてだったりするんだけど…。

 ドアを開けた瞬間、俺は固まった。けど、すぐに気を取り直して慌てて入って後ろ手にドアを閉める。

 こんな音、表に垂れ流したら大迷惑だ!
 いや、けっして汚い音とかじゃないんだ。だって聖陵の打楽器パートって、プロオケから『手伝いに来て〜』っていわれるくらいなんだから。

 ただ、なんて言うか…。音の洪水ってーか…。

 ティンパニ、シンバル、トライアングル、タンバリン…などなどなど、色んな音がぐちゃまぜになって混沌としてるんだ。

 みんな、よくこの洪水の中で自分の音が聞こえるよな…。



 俺は結構広い室内を見渡す。

 防音2重窓の下で、高3の先輩がひたすら腕立て伏せをやっている。
 …打楽器奏者は腕の筋力が命だもんな…。

 そこから少し離れたところでは中2のヤツがティンパニに向かっている。

 メトロノームで速度120をキープしながら延々一つの音を叩いている。
 …打楽器奏者はリズム感が命だもんな…。

 で、その向かいでは、高1がシンバルをすり合わせてブツブツ言ってる。
 …『この音じゃない…。こんな音じゃなくて…もっと…もっと…』…ってか? 
 そりゃ確かに『ただぶつけただけ』なんていう汚い音って聞くに耐えないもんな。

 それにしてもこいつら…。


 うわっ、あれなんだっ?!

 見ると壁際に『少年ジャ☆プ』が積み上がっている。

 読んでるのかって? 
 違うって。中3のヤツが小太鼓のバチで、積み上げたジャ☆プを叩いてるんだ! 壁向かって黙々と。

 そっか、小太鼓連打されたらうるさくってかなわねえよな。その点、雑誌だと音が殺せていいんだけど…。

 それにしても、一番上のジ☆ンプの表紙、ボロボロじゃん…。


 けど、こいつら、俺が入ってきたのに誰も気がつかないってどうよ?

 俺、そんなに影薄いかっ?



 って、見渡したけど、俺が用のあるヤツがいない。

 首席奏者の橋本は同級生で、『叩くもの』に関してはなんでもござれの天才型奏者で、光安センセも『打楽器のことはあいつに任せておけばいいからな』と全幅の信頼を置いてるってヤツなんだ。
 
 おいー。確かにここにいるって聞いてきたのにー。ってか、あいつがこの部屋にいないのは授業中か寮に帰ってなきゃいけない時間帯だけだって話だったのにー。

 どうしよう、このままじゃ頼まれごとが…と思ったら、部屋の隅で何かが動いた。

 ビブラフォン(鉄琴)の下に何かがいる…。
 そっと近づいていって覗いてみたら…。


「は、橋本っ」

 そこには俺が探し求めていた首席の姿があった。体育用のジャージ姿であぐらをかいて譜読みの真っ最中だ。

「あれ、羽野じゃん。どうしたんだ、珍しいなこんなとこに」

 や、俺だって好きこのんでこんな変態部屋なんかに来たくなかったんだけど。

「奈月に頼まれごとしてきたんだ。あいつ今、弦楽器との折衝で手が放せなくて」

 それにしても、この状態はいったいなんだ?

 ビブラフォンの下には座布団が何枚か敷かれていて、枕と毛布が隅っこにつくねてある。

 その脇には何故か小さなちゃぶ台まであって、その上には湯飲みと急須。 一応勉強もしてるらしく、教科書の束。

 …おい。洗濯物がたたんで置いてあるってのはどう言うことだ…。


「なに、これ…」

 奈月に頼まれた用事も何もかも彼方に飛んでって、思わずこの信じられない現況を指さしてみれば、橋本はケロッとした顔で『ん? ここ、俺の巣』なんて言いやがった。

「それにしても嬉しいな〜。羽野が俺んとこに来てくれるなんてさー」

 そうだ、用事があったんだ。

「や、伝言なんだけどさ」

「せっかく来てくれたんだから、二人で愛の巣作ろうぜv」

 ……。

「はい〜?」

 おいっ、ちょっと待てっ、今の笑えねえ冗談はいったいなんだっ?!

「いつもさー、茅野に邪魔されてなかなか近づけなかったんだよなー」

 ななな、なんですとっ?!

「ちょっと狭いけどさ、ビブラフォンの下って案外住み易いぜ。マリンバの下もオススメだけどさ、ちょっと天井高が中途半端なのなー」 

 誰が住み易さの話をしてるんだっ! 
 天井が高かろうが低かろうが、俺はこんな所に住みたくないっ。


「さ、おいで」

 おいでじゃね〜!

 手首を掴まれてジタバタしながら、俺が『そうだっ、ここには他のやつらもいるじゃないかっ』と思い出して助けを求めようと振り返ってみれば…。

 高3の先輩は片手腕立て伏せのまま、中2のヤツはティンパニ一発振り下ろしたまま、高1のヤツはシンバルをすり合わせて、中3のヤツはジャ☆プに向き合ったまま、顔だけこっちを向いていて…。


 おい! どうしてそこで視線を逸らすっ!


「ん〜、羽野ってば、ほっぺすべすべ〜」

 ぎゃ〜! やめろ〜! 俺はノーマルだ〜〜〜〜〜〜〜!!

 ってか、茅野のバカ〜! とっとと助けに来い〜!



めでたしめでたし。


注1)文中の『展覧会の絵』はラヴェル編曲のオケ版のことですv
注2)『展覧会の絵』のムチは本当は板ムチであって、女王さまムチではありません。
注3)文中の打楽器ファミリーの行為(少年ジ☆ンプなど)はすべて実話です。
注4)すべての打楽器奏者がこのように変な人ばっかというわけではありません。私の知り合いはみんなこんなのですが。

 

(2005.7.1〜8に月夜の掲示板で連載したものをまとめました)


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