羽野くんの管弦楽部観察日記 1〜5


〜1〜



 俺の名前は羽野幸喜(はの・こうき)。聖陵学院高校の1年だ。
 ついでに言うと、部活は管弦楽部。トランペットの次席奏者だ。
 もちろん中学の時から管弦楽部にいて、それなりにがんばってる。 

 で、俺はどっちかってーと寡黙な方だと自分では思ってる。
 そのせいか、みんなが俺に相談を持ち込む。 
 もちろん俺は『黙っててくれよ』って頼まれなくても、黙ってる。
 いちいち他人のことを人に触れて回る趣味はない。 
 けど、人間観察は好きだ。
 特に俺の周りはおもしろい奴がいて楽しいから。

 高校に入学して一番目を引いたのはやっぱりあいつだった。
 外部受験でやって来た『満点小僧』の奈月葵だ。
 クラスは隣。寮の部屋も隣。
 朝、食堂なんかで顔を合わせると、ニコッと笑って『おはよ。羽野くん』なんて言う。
 可愛い。こんな可愛い男が本当にいるんだ。
 美形が多いと言われているこの学校の中でも、こいつはちょっと別格かもしんない。

 で、その隣にいつも張り付いてるのが、俺たちの中学からの悪友、浅井祐介だ。
 だいたい、こいつはおかしい。いや、この春からおかしいんだ。
 まず、目つき。奈月を見る目が怪しい。
 あれはどう見ても『愛しい者』を見る目つきだ。

 浅井ぃ…、俺、お前だけはこの乱れた校風の中でもノーマルを貫き通してくれると思ってたのに…。
 だいたい今までだってそのルックスぶら下げてんのに何にもなかったじゃねえか。

 麻生と1、2を争う美少年だった中2の頃までだってさ、さんざん上級生からちょっかいかけられてもちっとも動じなかったじゃねえか。

 その後、うっとりするようなハンサムになったって下級生を引っかけるようなマネしなかったしさぁ。
 やっぱ、美青年・美少年には甘い罠が待ってんのかなぁ。

 俺、この顔でよかったな…。
 え? 俺がどんな顔かって?

 そうだな。強いて言えば、ほら、高○留美子が書くマンガでさ、後ろでわらわらしてるその他大勢。あの中に『へのへのもへじ』ってヤツ、よくいるじゃん。あんな感じかな?

 あ、もちろん俺、ノーマルだからな。
 





〜2〜



 今日、部活の帰り道、俺はホールに忘れ物をしたことに気がついて、一人で取りに戻った。
 おかげでエライものに遭遇してしまった。


『あんっ』

 …あんー?

『やんっ』

 …やんー?

 だだだ、だれの声だ。この甘ったるい鼻にかかった声…。

『こら、動いちゃダメだろ』

 わわわ…。これは…ま、守先輩の声っ!
 まさか、俺はとんでもないところに来てしまった…?

『いや、せんぱい…そんなとこぉ…』

 そ、そんなとこって…。ど、どんなとこだぁぁ…。

『イヤ…? 嘘ばっかり…』

 やばい…早くこの場を立ち去らねばっ!
 けど、俺の足は凍り付いたように動かない。

『ガタン』

 うわっ、こっちに来るっ?!

「あれぇ? 羽野じゃないか、何やってんの」

守先輩はネクタイを外してて、カッターのボタンは上から4つ目まで開いてて…。

 いえっ、おおお、俺、のぞき見お邪魔する気は…っ。
 言い訳しようとしたその時、守先輩は、フッと髪をかき上げて…。
 その仕種…色っぽすぎる…。 

「きゃっ」

 俺の姿を見つけて、小さな悲鳴を上げて先輩の後ろに隠れたのは…。
 おいっ、中1のヴァイオリンの子じゃねーかっ。

 せせせ、先輩っ、そそそ、それは犯罪だろーっ!

大丈夫。羽野だよ」

 先輩はこれでもかってくらい、優しい顔と声で後ろのチビに声をかけた。
 ちょっと待って。何でだと大丈夫なんだよぉ。

『ちゅっ』

 ちゅっ…? ちゅっ…って…、今、俺の頬で音がしたぞ…。

「口止め料な」

 そう言って、守先輩はチビの肩を抱いて行ってしまった…。
 先輩ぃぃ…俺…ノーマルなんですけどぉぉ…。
 口止め料なら、キスより、購買のメロンパンの方がいいよぉ…(涙)。






〜3〜


 今日、昼飯時の学食で珍しいヤツと一緒になった。
 学院No.1アイドルの奈月だ。

「あれ? 奈月じゃん。今日は練習室へは行かないのか?」
 奈月はいつも、昼休みのほとんどを音楽ホールの練習室で過ごしているらしい。
 練習しているのだ。
 すごいヤツ…。あれだけ出来るのに、まだ吹くか…って感じだ。

「うん。今日は3時まで点検だから…」 

 そっか。今日はホールの点検日だったな。
 音楽ホールは、大ホールの他に小ホールとか完全防音の練習室がいっぱいあって、結構複雑な構造になってる。
 だからスプリンクラーなんかの設備の点検が他の場所より頻繁に行われてるんだ。
 というわけで、ホールは3時まで使用禁止。だから奈月がここにいるってワケだ。
 でも、見渡すと、なんだか奈月の周りは人口密度が高いような気がする。
 隣にいるのは、もちろん浅井だ。


「あれ? …え? 奈月、何食ってんの?!」

 俺は奈月の昼飯を見て驚いた。
 隣の浅井がキョトンとしている。
 側にいた人間も、『え?』っという顔をして、奈月の前に置かれた器を覗き込む。

 だがそこにあるのは何の変哲もない『きつねうどん』。
 けど、奈月には俺の真意が伝わったようだ。
 奈月がニコリと笑う。

 実は、俺と奈月の間には意外な接点があった。
 俺はお袋が京都育ちなもんだから、関東で生まれ育ったにもかかわらず、味覚が『関西』なんだ。 
 だから、学食のおばちゃんには悪いけど、関東風のうどんなんて食えやしない。
 ダシは濃いばっかりでうまみがなくってさ。
 蕎麦は断然こっちの方がうまいのにな。
 奈月も、こっちへ来てから、それだけは困ったと思った…って言ってたんだ。
 なにしろ京都の人間はうどんが好きだからな。
 しかし、なのに何故、そんなものを食ってる…?

「羽野くん、これから?」 
「あ、うん、そうだけど」
「じゃ、これ貸してあげるから、きつねうどんにしなよ」

 そう言って奈月は制服のポケットから小さなプラスチック容器を取りだした。
 俺の掌に乗せられた小さなそれは…。
 おおっ、これは京都の『七味』じゃないかっ!
 うちにあったのと同じだ! 懐かしい〜。

「送ってもらったんだ」
 奈月が嬉しそうに言う。

 そうなんだ。京都の『七味』は特殊なんだ。なにせ『山椒』が入ってる。
 これは、大阪にも神戸にもなくって、ホントに京都だけらしい。

「たくさん入れたらちょっと関西風になったよ」 

 奈月は周りに配慮してか、小さな小さな声で、俺の耳に、俺だけに聞こえるように『ナイショ』ポーズでそう言った。
 当然、身体が密着する。
 その瞬間…俺は浅井に睨まれた。
 だからぁ、俺はノーマルなんだってばぁぁ…。

 それから数日後、なぜか学食の『七味』の隣に、京都の『七味』が並べて置いてあった。

 どうも正式採用らしい。
 学食のおばちゃんたちは『京都の七味』とは言わずに、『葵ちゃんの七味』って呼んでいる。

 恐るべし、奈月葵。






〜4〜



 俺、今朝からウキウキドキドキしてる。
 何故って?
 実は今日、初合奏なんだ。
 曲は夏のコンサートでやる、『ドヴォルザーク作曲:交響曲第8番』だ。

 俺は今年始めてメインメンバーになった。
 それだけでも十分に嬉しいんだけれど、この『交響曲第8番』は、俺たちペット吹きにとっては憧れの曲なんだ。
 聞いたことある人はわかる思うんだけど、第4楽章の冒頭は、トランペット2本のソロなんだ。
 これがまた、めちゃめちゃかっこいい。
 ただ…そのかわりっていうか…ハズしたときには格好悪いことこの上ないんだけど…。

 俺と首席の先輩は死にものぐるいで練習してきたんだけど、でも、合奏ではきっと、緊張するんだろうな…。ああ、もう掌に汗が…。
 

 合奏直前の時間、それぞれパートに別れて練習していた部員たちが、ホールの舞台に集まり出す。

 おっと、奈月と浅井もやって来た。
 そういや、浅井も今年始めてメインメンバーになったんだよな…。
 元生徒会長でも緊張とかするのかな…。人前で話したりするのは全然何ともなさそうだったけど。
 いつも平然として、慌てたり驚いたりするところなんて見たことないもんな。

 奈月は…。ちらっと盗み見たところでは、こっちも平然としている。
 …だよな。奈月は、こと演奏に関しては、ナイロンザイルのような神経の持ち主だ…って、浅井が言ってたもんな…。

 もしかして緊張してるのって、俺だけ?
 うっ、盗み見ていた目が、奈月とあってしまった。
 奈月がにっこり笑って近寄ってくる。

「緊張するね」

 …? は? 奈月、今、なんて?

「な、奈月でも緊張とかするんだ…」

 おいっ、俺っ、声が裏返ってるぞっ。

「当たり前じゃない。ほら、掌なんかじっとり…」

 奈月の掌が、トランペットを持つ俺の手の甲に触れた。
 確かにしっとりとしていて…気持ちいい…。

 ボーッとなった瞬間、浅井がジロッと睨み付けてきた。
 だからっ、俺は…。

「羽野くんのトランペット、いい音だよね。僕、好きだな、羽野くんの音」

 ええっ?! ほっほほほほ…
「ホントにっ」

 奈月はにっこり笑って『うん』って言った。
 やっほー! 奈月に誉めてもらったんだ! 自信もって頑張って吹くぞー!!
 小躍りしている俺に、隣にいたクラリネットの茅野が耳打ちをする。

「羽野…。奈月はやめとけ。ライバルが多すぎる」

 ば、バカやろー!俺は浅井と張り合う気はないぞ!!
 ……じゃなくって、俺はノーマルだってーのっ!!






〜5〜


 今日は土曜日。
 練習は1時から6時までだ。
 はっきり言って、キツイ。
 1時から2時まで、トランペットだけのパート練習。
 2時から3時30分まで管楽器だけの分奏。
 30分休憩して4時からは全体合奏って言うスケジュールだ。

 管楽器だけの練習は、だいたい、いつも3年生の先輩が交代で指導する。
 時々、光安先生が来る。
 でも、悟先輩はこの時間、いつも弦楽器や中学生組の練習を見ているから、メインメンバーの管楽器練習には来ないんだ。
 なのに、今日は悟先輩が来た。

 定員30人の管楽器専用部屋。
 防音の重い扉を、重そうでもなくスッと開けて入ってきた先輩は、片手にスコアと指揮棒をまとめて持っていて…。

 う〜ん、この人は何でこんなにかっこいいんだろう…。
 その姿を認めて、部屋がざわざわと騒がしくなる。

「お、悟、珍しいな。お前がここに来るなんて」

 2年のホルン吹きの先輩が声を掛けた。

「たまには悟の意見を聞いておきたいと思ってな」

 悟先輩の返事を待たずに、横から3年の先輩が言う。

「ということなので、よろしく」

 いつもと同じ、柔らかい表情の悟先輩は、そう言いながら譜面台にスコアを乗せて管楽器の面々を一通り見渡す。
 
 そうなんだ、この人は、初めてあった中2の時からそうだった。
 いつも優しい顔と声。
 静かで、自分の感情なんて絶対出さないで…。

 な・の・に…。
 見渡している途中のある一点で、悟先輩がふと微笑んだ。
 照れたように…………。
 悟先輩が、照れる…?


 先輩も浅井と同じく、この春から何だか変だ。
 表情が、なんて言うか…こう、豊富になったって言うか…。

 おまけに、ストイックだった感じがちょっと取れて、男の色気みたいなものが滲んできて…。

 この人ホントに高校生?って感じなんだ。

 それに、近寄りがたい雰囲気も少し削がれてきたもんだから、下級生のカワイコちゃん連中はもう、あからさまに悟先輩にメロメロ。

 それだけじゃない、高3の先輩方の中にも悟先輩によろめいてる人がいるらしい。

 あと1年もしないうちに社会復帰しなきゃなんないっていうのに、今頃からノーマル踏み外してどうすんだよ、まったく。

 …俺、思うんだけど、悟先輩たち兄弟や、奈月や浅井や麻生みたいなのがいるから、みんなおかしくなるんだよな。

 みんながみんな、俺みたいにフツーのヤツだったら、間違いは絶対起こらないにきまってんだ。

 練習中の悟先輩はいつもと同じだった。
 冷静で、的確な指導。
 順調に時間は過ぎて、やっと30分の休憩に入った。
 やれやれ、疲れたぜ。


「羽野〜、何か飲みに行こう〜」

 トロンボーンの岡本がしなだれかかってきた。
 わかった、わかったからもたれるなっ。

「こら、重いじゃね〜か」

 もつれ合いながら廊下の角を曲がると……。

 何台か並んでいる自販機の前に、悟先輩と……奈月だ。
 肩がくっつきそうなほどひっついて、スコアを覗き込んでいる。

 ああ、奈月が質問してるんだな、きっと。
 悟先輩が、それは優しい顔をして笑った。
 奈月も見上げて笑い返す。

 で…。

 スコアが奈月の手から悟先輩の手に返されるときに、一瞬触れた手を…。

 手を、っ…た。
 え? 嘘? マジ?

「羽野くぅ〜ん」

 背後から『子泣き爺』のごとく覆い被さってきたのは、クラリネットの茅野だ。

「いいもの見ちゃったねぇぇ。どう?羨ましい〜?」

 バ、バカヤロっ。ンなもん見て、何が羨ましいんだーーーーーっ!

「それとも、妬いちゃう?」

 アホぬかせー!
 何で俺が悟先輩に妬かなきゃいけないんだっ。
 ン? 待てよ? 奈月に妬くのかな?

 ……………はっっっ!!! ちがーーーう!!
 俺はノーマルだぁぁぁぁぁぁ!!!! 



 

*スコア…総譜。オーケストラのすべてのパートが書いてある楽譜。


このページのどこかに羽野くんが遊びに来ています。
『へのへのもへじ』の正体が知りたいあなたは探してねv
ヒントは『葵くんの大好物』

☆ .。.:*・゜

2001.4月から「桃の国日記」にて不定期連載中のものを1〜5までまとめました。
若干の加筆修正が入っています。
「6+スペシャル」もUPしています。

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