私立聖陵学院・茶道部!

ちょっとしたSS。

祥太郎先生の呟き。





 爽やかに晴れ上がり、心地よい風が吹く中、ゆっくりと坂道を上っていく人物がいる。

 彼が目指しているのは、顧問をやっている茶道部の茶室。

 彼の名は館林祥太郎。
 ここ、名門私立校・聖陵学院の、『見かけは優しげだが、実はやり手』と噂の院長である。

 だが彼が顧問として部活に顔を出すのは1ヶ月ぶりのことだ。

 院長として多忙を極める彼は、部活に顔を見せることもままならない。

 だが、部長で高等部2年の坂枝俊次、同じ学年で剣道部と密かに掛け持ちしている加賀谷賢、そして高等部1年の綾徳院桐哉の3人が、週2回の部活をきちんと行っていてくれるので、心配のタネはなにもない。

 しかし、そんな多忙な彼が、他の教師の誰にも譲らずに茶道部の顧問を続けているのには、実はわけがあった。

 彼はこの学院の一期生なのだが、茶道部の一期生でもあるのだ。

 茶道部は開学と同時にできた部で、今や看板となっている管弦楽部は学校創立2年目の創部だから、歴史だけ見ればもっと偉そうにできるはずなのだが、初代部長がこの上なくいい加減なヤツだった呪いなのか、その後もただひっそりと存在してきたのだ。

 部員ゼロという年もある。
 だがいつしか『跡継ぎ』が現れて、茶室と道具類は大切に受け継がれてきたのだ。

 だから、彼はこれからもずっと見守っていこうと思っている。



 茶道部は、創部当時も今のように3人の部員だったのだが、彼が茶道部に入った理由はごく単純なものだった。

 祖母の実家が老舗の茶問屋で、その影響から小学校に上がる頃にはすでに茶道に――というよりは、抹茶に――親しんでいたからだ。

 そんな状況は、現部長の坂枝と似ているかもしれない。彼の実家は老舗の茶問屋なのだ。


 そういえば、初代部長は剣道部と掛け持ちをしていた。

 その点では加賀谷と似ている。
 ただ、当時はまだスポーツ推薦の制度はなかったから、おおっぴらに掛け持ちできたのだが。


 そして、もう一人の部員は、同室で、誰よりも大切だった『親友』。

 綾徳院桐哉のように、小柄で可愛らしくて優しくて。誰からも愛された、今でいうところの『アイドル』…。


 彼は遠い目で坂の上を見上げる。茶室はもうすぐだ。



「あ! 先生!」

『待合い』の辺りを竹箒で掃除していた桐哉が、満面の笑顔で迎えてくれた。

『あ! 祥太郎、遅いよ!』

 ――智雪……?

 ふと、目眩を覚えた。
 愛らしい笑顔に笑顔が重なり、『あの頃』の幻影が過ぎったような気がして。

 15の夏、『また二学期にね』と言って笑顔で手を振り、そして二度と戻ってこなかった『親友』の、眩しいほどの煌めき…。



「先生?」

 目を見開いて立ちすくんでしまった彼を、桐哉が不安げに見つめる。

「先生、お疲れなんじゃないですか?」

 気遣わしげに尋ねてきたのは、加賀谷だ。


『お前、疲れてるんじゃないか? 無理するなよ?』

 そうだ。春之は、普段はいい加減なくせに、こう言うときだけ部長風を吹かせて、やたらに気遣ってくれるヤツだった。

 知力・体力・時の運にルックス…と、すべてを持ち合わせた、天から二物も三物も与えられたようなヤツで――父親を早くに亡くしていたという点では苦労したようだったが――結局その後はと言えば、指揮者の赤坂良昭に並んで『OB2大出世頭』になりやがった。

 この春、長年の説得を実らせて理事会に引きずり込んだ結果は上々だったが――なかなかに『狸』な理事共の数人が、あっさりとヤツに追随したから――まあその後は好き勝手やってくれて、『嫌がる俺を理事会に引っ張り込んだお前が悪い』と平然と宣いやがったのだ。

 だが、ヤツが嫌がる理由もわかっていた。
 ここには、未だに智雪の思い出がたくさん残っているのだろうから…。


 そう思うと、自分はずっと、ここで『思い出』の中に囚われたまま生きているのかも知れないな…と、彼は内心でだけ、自嘲の笑みを漏らす。


「…あ、ああ、すまないね。ちょっと思い出したことがあって」

「お忙しいのにすみません」

「いや、ここへ来るのが何よりの息抜きなんだよ」


 迎えに出てきた坂枝の肩をポンッと叩き、彼はいつものように優しく微笑んで見せた。



                   ☆ .。.:*・゜



 らしくない先生の様子に、俺は僅かに首を傾げる。

 疲れている…というわけでもなさそうで、その目はやたらと遠くを見ているようで。

 一通りのお点前をすませ、久々に先生を囲んで談笑したあと、加賀谷と桐哉は仲良く山を下りていった。

 本人たちは完璧に隠し通しているつもりなのだろうが、はっきり言って、お互いを見る視線すら、ラブラブモード垂れ流し状態で、見ていて微笑ましいやらアホくさいやら…と言ったところだ。

 ということは、当然、見かけに寄らず百戦錬磨らしい先生にはバレバレだろうと思うのだけれど、当の先生はそれらしき顔は一切見せずに終始にこやかだった。

 もちろん、校則で校内恋愛が禁止されているわけではないので――男子校で公に禁止するわけにいかないよな――こういうことにいちいち目くじらを立てる先生は皆無なのだが、それでも『院長』という立場としては、ほぼ全寮制に近いこの状況下での規律を守るためには、目を瞑るというわけにいかない部分もあるんじゃないかなあ…なんて思うわけだ。

 現に先生は今、下っていく二人の背中に、小さなため息を落としたのだ。


「先生?」

「ん? 何かな、坂枝くん」

「けしからん!…とか、言います?」

 誰が聞いているわけでもないのに、俺は何故だか少し小さな声で尋ねる。
 すると、先生もまた、密かな笑いを漏らした。


「…なんのことかな…なんて、しらばっくれるのもありかな?」

「見て見ぬ振り…ってことですか?」

 それも確かに『手』ではあるし、一番楽な解決法だけれど…。

 だが、先生は『いや、それは大人の詭弁だね』…と、苦笑して、華奢な先生より随分と体格の良い俺の肩をふわっと抱いて、コホンと一つ、咳払いをした。


「例えば、この、寮という閉鎖された社会の中で6年ないし3年を過ごす間に、友情や尊敬だったはずのものが、いつしかそれと違う特別な感情に移って行ったとしても、それを『気の迷い』だとか『一時の衝動』だと決め付けることは、私にはできないんだよ」

「先生…」

「周りがどう思おうと、その時、その本人にとっては、それが真実の思いだということを、幸か不幸か、私は身を以て知ってしまっているからね」


 柔らかく、けれどどこか寂しげに告げた先生に、俺は言葉を失った。

 先生は、忘れていないんだ。

 かつて、先生が俺たちの年頃だった時に、この場所で感じ取り、積み上げた、たくさんの『想い』を。



 かつて先生がまだ一教師で、大勢の生徒たちと直に交わっていた頃を知っているOBたちは、誰もが先生のことを、『最高の先生』と評する。

 けれど、先生は院長になってから教科を担当していなくて、当然生徒との接点も少なくなる。今、先生と深く接することができるのは、生徒会の面々と俺たち茶道部くらいのものだろう。

 だから、俺は知っている。
 先生が、どれほど懐の深い人なのかということを。
 たった一度、会話を交わしただけで、生徒の心を掴んでしまえる人だということを。

 俺が、そうだったから。


 けれど、大勢の生徒はそんな先生の本当の姿を知らないままだ。
 これって、もったいないよな…。

 …でも。

 今の聖陵には、先生のかつての教え子がたくさん教師として戻ってきていて、先生の『志』はきっと受け継がれているのだと思う。

 そうして、ここの歴史は積み上げられて行くんだな…と、俺は、開学以来ずっと大切に守られてきた茶室を見上げた。



「先生」

「ん?」


『幸か不幸か』

 先生はそう言った。


「不幸…でした……か?」

 恐る恐る尋ねた俺に、先生は鮮やかに微笑んだ。

「とんでもない。この上なく、幸せなことだったと思っているよ」


 その綺麗な笑顔に安堵しつつも、『幸せ』の後に続いた言葉が過去形だったことに、俺は酷く胸が騒いだ。



おわり

というわけで。
祥太郎センセの回想のあれこれは、
いずれ『まりちゃん』の方でお披露目になるかと思うのですが、
『構想10年、実にならず』という可能性もなきにしもあらずで、
ちょっとコワイです(おい)
とりあえず、がんばります〜。

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