秘密の春休み
【後編〜東吾クンの秘密】





 翌朝。
 一応午前中に目は覚めたのだが、いったい昨夜はいつ眠ったのか定かではない。

 夜明けを見た覚えはないから、きっとそれまでには眠りについたのだろう。

 意識を飛ばしてしまった東吾を抱いて、シャワーを浴びたのが多分2時頃。
 結局バスルームでもただではすまなくて、さらにぐったりしてしまった東吾を抱えて出てきたのは3時頃だっただろうか?

 二人してくちゃくちゃに汚してしまったシーツをひっぺがし、でも、東吾が『替えのシーツなんてどこにあるか知らない』なんて言うものだから、仕方なく上掛けの布団と肌掛け布団の間に潜り込んだ。

 でも、お互いの体温で寒いことなんて全然なかった。

 そのあとは、夢も見ずに眠ったような気がする。

 目が覚めたきっかけは、東吾が腕の中でモゾモゾと動いたからだ。



「陽司、そろそろ起きよ」

 見上げてくる瞳が昨日までに比べて艶っぽいように思えるのは都合のいい思いこみだろうか。

「ん。そうだな。ご両親帰って来るもんな」

 もう、こうなったらコワイものなんてない。
 いきなりカミングアウトするつもりもないけれど、でも腹だけはさらにしっかりと括れた。
 万一ばれても大丈夫。自分が、東吾を守る…から。

「ん」

 陽司の言葉に頷いて、身体を起こそうとした東吾に、陽司はそっと手を貸した。

「ごめんな。辛くない? 俺、最初から飛ばしちまったし」

 言われた瞬間、東吾はドカンと火を噴いた。
 かなり…いや、相当に恥ずかしかった昨夜のあれこれを一気に思い出してしまう。

「そ、そんなのへーきだってっ。ほらっ」

 元気が取り柄!とばかりにガバッと起きあがって見せる。もちろん9割は照れ隠しだ。
 だが。

「…っつー…」

 やっぱりテニスで使う筋肉と、アノ時に使う筋肉は違うようだ。
 ついでに何だか関節もガクガクだし。

「東吾っ」

 慌てて抱きかかえると、東吾は安心したようにクタッと力を抜いた。

「ごめん。今度からちゃんと手加減するから」

 その言葉に無言で見上げてくる東吾の瞳はなんだかとっっても疑わしげだけれど。



                   ☆ .。.:*・゜



「あ、この人、うちの親父が何年か前に写真集撮ったことある」
「え、そうなんだ」

 遅めの朝食と早めの昼食を合わせてたっぷりと摂った(なにしろ激しい運動の後なのでお腹はペコペコだったりする)二人は、両親の帰りを待つ間、ホームシアターで舞台中継を見ていた。

 
 日本有数の人気劇団の昨年末の公演を録画したもので、演目はオリジナルのミュージカル。
 それに主演している看板女優を、陽司はよく覚えていた。

 数年前、父親が一年を掛けて作り上げたこの女優の写真集が、このジャンルのものとしては驚異の売り上げを記録して当時かなり話題になったからだ。

 女優の年齢は30±1。これからますます輝きを増して活躍するであろう彼女は当然独身で、周囲は放ってはおかないのだが、そのくせ浮いた噂は皆無なのだと教えてくれたのは、一時期マジでこの女優にはまっていた陽司の兄だ。
  
 そして、父親はその写真集の撮影を通して、女優が籍を置く劇団の主宰者――『鬼才』と評判の演出家でもある――と意気投合し、以降、相変わらず『飲み友達』として親交を深めているのだと母から聞いたことがある。

 それに関しては、陽司にしてみれば『ゲージュツカっていう種類の変人同士、気があったんだろ』…程度の感想だったのだが。


「親父が公演のチケットもらったからって、家族でも何回か見に行ったんだ。俺、こう言うのってあんまり興味なかったんだけど、この劇団のは何だか面白くてさ、珍しく『また行ってもいいなあ』なんて思ったんだ。おまけにここの看板女優、めっちゃ綺麗だし、それに…」

 楽しげに語っていた陽司が唐突に黙り込んだ。

「…陽司?」

 肩寄せ合って座る大きなソファーの上、不審に思った東吾が伺ってみれば、陽司は何やら真剣に考え込んでいる。

「うー、思い出せない」
「何を?」
「誰かに似てるんだよ」
「は?」
「この主演女優、誰かに…」
「…ふーん」
「すごくよく知ってる誰かに似てるような気が…」
「そ、そんなはずないじゃん」
「いや、絶対…」

 陽司がその『誰か』の後ろ姿を捕まえようとしたとき…。

『ただいま〜』

 リビングのドア方向から男性の声がした。
 深くて艶のあるバリトン。かなりの美声だ。

「あ、帰ってきた」
 
 東吾が立ち上がってドアへ走る。
 もちろん陽司も立ち上がり、慌てて服装の乱れにチェックを入れる。
 
「遅くなってすまなかったね、東吾」

 声と一緒にその姿がぼんやりとスモークガラスの向こうに見えた。

 ――来たっ。

 どんなに強面の組長が現れても絶対びびらないからなっ。


 勝手に決意を固めて、陽司はドアを見据えた。

 ――…あれ?
 
「やあ」

 だが、そこへ現れたのは、とても「ヤの筋」の人には見えない、どちらかというとかなりダンディで紳士なオジサンだった。

 ラフだが仕立ての良さそうなシャツにお洒落なパンツ。
 どちらかというと、陽司の父親と同じく、芸術系の匂いがする。
 違和感があるとしたら、高校生の息子がいる割には年齢が高いよう思えること…くらいか。

 オジサマの瞳が陽司を捉えた。
 視線はとても柔らかい。

「は、初めましてっ。お邪魔してますっ」
「父さん、彼がテニス部の後輩で…」
「早坂陽司くん…だね」

 は?

 いきなり名前を口にされて、東吾が驚きに目を見開く。
 あらかじめ名前を知らせておいたという覚えは全くない。
 だから陽司の『俺の名前、話しててくれたの?』という視線にも、プルプルと首を振って否定するしかない。
 父親が持っている陽司の情報は、『テニス部の後輩』…これだけのはずだ。

「東吾がいつもお世話になってありがとう」

「あ、いえ、とんでもありません。俺の方こそ、先輩にはいつも迷惑ばっかり掛けてて…」

「東吾が去年の年末にお邪魔していたのが、まさか早坂先生のお宅だったとは思わなかったよ。まったく世間は狭いねえ」

 父親はジャケットを脱ぎながら、舞台中継が流れ続ける大型スクリーンの前へ進んだ。

「父さん、陽司のお父さんを知ってるの?」

 陽司の疑問を東吾が口にしてくれた。
 東吾が話してなかったのなら、知れているはずはないのだから。

「もちろん。いろいろお世話になったし、その後もずっと懇意にしてもらっているよ。今回のことは先生から連絡をいただいていたんだ。うちの息子が今夜お邪魔しているそうで…ってね」

 ということは、父親は自分より先に東吾の家庭のことを知っていた…ということだ。
 なんだかムカツク。
 いや、むかついている場合ではない。
 どうして自分の父親が…。
 
 謎は深まるばかりだが、大型スクリーンの画面が舞台からスタジオに切り替わった瞬間、あっさりと謎は解けた。

 画面の中でアナウンサーにインタビューされているのは、まさに今、目の前にいるこのダンディなオジサマなのだから。

「…こ、これ」

 陽司が絶句すると、東吾はバツの悪そうな顔を見せた。

「ええと、ごめん。うちの父さん、この劇団の主宰者なんだ」

「えーーーーーーーーーーーー!」

「ヤ」のつく自由業のおっさんが現れても驚かない覚悟は出来ていたけれど、こんなフェイントにはどうしようもない。 

「このビルも5階までは稽古場や小ホールになってて、そこから上は劇団員の宿舎になってるんだ。正面玄関は結構派手だからすぐにわかるんだけど、昨日は裏から入ったし…」

 なるほど、それならあのセキュリティにも頷ける。
 この劇団にはTVなどで活躍する人気俳優も多いのだから。


 ――もしかして東吾は、だから学校では家庭の話をしなかったのかな?


 陽司はふと思いついた。
 親が芸能関係だとわかると、いろいろ面倒もありそうだから。





 東吾の父親は、さすがに陽司の父親とウマが合うだけのことはあって、気さくで陽気な人柄だった。

 東吾曰く、稽古場では『鬼演出家』らしいのだが、家庭に戻るとたちまち子煩悩な父親の顔になって、一人息子を甘やかしまくるらしい。

『年をとってから出来た一粒種だから可愛さも余計でね』

 そういって笑う東吾の父と、陽司もあっという間にうち解けて、それこそ陽の高いうちから早くも宴会モードになりつつあったとき、ついに東吾の母親が帰ってきた。



「東吾ちゃーん、お待たせ〜!」

 まるで歌うように華やかな声。

 そして、陽司は今度こそ腰を抜かした。

 現れたのは、ノーメイクだというのにこれでもかと言うほど華やかな容貌を振りまく超美人。
 いわれなくてもわかる。職業は『女優』。
 一時期、兄の部屋に溢れるポスターをイヤと言うほどみていたから間違いない。
 そう、つい先ほどまで大型スクリーンの中で主演を張っていた、目の前にいる演出家が主宰する人気劇団の看板女優だ。

 いや、しかし、この人は確か…独身のはず。
 しかも、まだ30歳くらいのはずで…。

 ということは、もしかして『お姉さん』?
 いや、確か東吾は一人っ子のはず。


 だが、ぐるぐると忙しなく考えを巡らせていた陽司に、美人はにっこり微笑むと、あっさりと答えをくれた。

「初めまして。東吾の母です」

 と。

 呆然と振り返った陽司に、東吾はちょっと肩を竦めて見せた。

 その時陽司は、さっき捕まえ損ねていた『誰か』の後ろ姿を、今度こそはっきりと捕まえた。

 ノーメイクの女優は、昨夜自分がこの腕に抱いていた人に、とてもとても、よく似ていた。



                   ☆ .。.:*・゜



「本当に、東吾には可哀相なことをしてしまって…」

 リビングにはコーヒーの香りが満ちている。
 淹れたのは『演出家』で、『女優』は一切家事をしないらしい。

「東吾がお腹に出来たとき、劇団は旗揚げ間近だったの」

 座る姿も美しい女優は、コーヒーカップをソーサーに戻す仕草も優雅だ。

「もちろん妊娠がわかった時点ですぐに籍を入れたんだがね、漸く老舗劇団から独立して、多額の借金を抱えての旗揚げ公演目前という劇団で、演出家が研究生に手を出したとあってはスキャンダルになる…と判断されて、劇団事務局サイドは私たちのことを伏せてしまったんだ。ところが東吾を産んで間もなく、彼女はCMをきっかけに一躍売れっ子になってしまってね。結局彼女のプロフィールは独身のままにされてしまった」

 演出家は空になった女優のカップに新しいコーヒーを注ぐ。

「年をサバ読んでることもばれちゃうしね」

 東吾の言葉に、『そうそう、それだ』…と陽司は内心で派手に頷いた。
 東吾は現在17歳。女優が実の母だというのなら、いくら何でも『30歳』ってことはないはずだから。

「あら、失礼ね、東吾。公式プロフィールはもともと年齢非公開よ。みんなが勝手に30歳くらいだろうって決めてるだけだもの。私が進んでサバ読んでるわけじゃないわ」

 …じゃあ、いったいいくつなんですか?

 …とは、とてもじゃないけど聞けないが。
 

「そうそう。年末には東吾がお世話になってごめんなさいね」

 にっこり微笑む姿はやっぱり母子よく似ていて。

「あ、いえ、とんでもないです」

「早坂先生にはすぐにお礼のお電話をさせていただいたんだけど、肝心の陽司くんにお礼が遅くなって申し訳なかったわ」


 …は?
 ということは、あのクソオヤジ、東吾の正体を知ってて俺に言わなかったってことか。
 くっそう…。底意地の悪いオヤジだぜ…。 帰ったら覚えてろよ…。


 思わず拳を握りしめる陽司だが、そんな様子に気がついているのかいないのか、女優は優雅に話を続けた。

「東吾は小さいときから劇団のみんなに育てられたようなものだったわ。でも年末は大阪公演中で誰もいなかったの。だから2〜3日寮に残る…って言ってたのに、陽司くんに誘ってもらえたおかげで寂しい思いをせずにすんだのね、東吾」

「べっ、別に寂しいなんて言ってないじゃんっ」

 抱き寄せられ、慌てて腕を突っ張る東吾に、『やっぱり寂しかったんだ…』と、陽司はわからないようにこっそりと笑った。





 やはり東吾は誰にも言えなかったのだ。自分の家庭の秘密を。

 もちろん彼の両親は、可愛い一人息子に不要な負担を背負わせることをとても苦しく感じていて。

 そして、そんな東吾の負担を軽くしてくれたのが同級生の『桐生守くん』だったのだと、陽司に話してくれた。


「守くんには本当にお世話になったわ」
「そうだよなあ」

 女優と演出家は、遠い目をしてほうっとため息をついた。


 …ここでも『桐生守』の存在は圧倒的のようである。


 けれど陽司には、これでなんとなくわかったような気がした。

『親友』…と言う言葉だけでは説明がつかないとかんじられるほど寄り添っているように見える守と東吾。

『恋愛感情』などという類のものを、お互いにまったく持ち合わせていない二人の、あまりにも親密な『寄り添い』の意味が。


 こんなにも美しくて優しい母親を、人前で『母』と呼んではいけない東吾。
 きっとその本当の寂しさが、守にはわかったのだろう。


 でも、これからはもう、守に頼ることはないのだ。
 これからは、自分が東吾の側にいるのだから。
 ずっと。
 いつまでも。


「陽司くん、これからも東吾のこと、よろしくね」

 ほら、『お母さん』だってそう言ってるし、『お父さん』だって隣で嬉しそうに頷いてるし。


 その夜、劇団ビルの最上階は、深夜まで笑い声が絶えなかった。



Game Set & Happy End


テニス部! おかげさまで完結ですv
君愛続編では、ちょっと大人になった二人も登場するかもしれません。
その時には、またぜひ可愛がってやって下さいね〜(^_^)ノ""

君の愛を奏でて〜目次へ* *テニス部!目次へ*
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