薄暗い部屋の中でそいつは4年もの間眠り続けていた‥‥
「藤原く〜ん、見つかった〜?」
部屋の外から美少女と見紛う可愛らしい少年の声が呼び掛ける。
そして部屋の中では小さな少年が何やら探し物をしているらしい。
ピョコンと顔をあげると、まだあどけない顔の少年が入口に向かって声をかけた。
「見つかりました〜、先輩」
「わ…真っ暗じゃない、ちゃんと電気付けなきゃダメだよ」
と言い部屋の明かりをつける。
「あ、でも見つかりました」
と探し物を目の前に掲げてみせる。
「でも転んで手に怪我でもしたら大変でしょ」
先輩と呼ばれた少年が「めっ!」と言うように顔を顰めてみせるが、如何せん可愛らしい顔の為に全く恐くはない。
それにしても、凄いモノの量だね〜と部屋の中を見回しているとある一点で視線が止まった。
「藤原くん、アレ見て」
そう言って指差す方向を見ると、そこには古ぼけたマヌケ面のクマのぬいぐるみがあった。
「なんでこんな所にクマのぬいぐるみがあるんでしょうね?」 「うん」
と言いながら吸い寄せられるように二人はクマの前に立っていた。
「誰のだろうね、これ。‥クス‥祐介に持って行ってあげたいな〜」
「浅井先輩にですか?」
「ここだけの話だよ、ああ見えてね祐介ってばお姉さんから貰ったクマのぬいぐるみをときどき抱いて寝ているんだよ」
うふふ‥と微笑みながら少年は耳打ちした。
(ええ?! まさか信じられない。あの男らしくてかっこよくて大人な浅井先輩がクマのぬいぐるみを抱いて寝ている?!!)
「内緒だからねv」
とウィンクをされて藤原くんと呼ばれた少年はカクカクと壊れた人形のように頷いた。
「さ、帰ろう」
とクマに背を向け歩き出した時‥‥
『もし‥‥』
と小さな声がした。
「え?」
「先輩何か言いましたか?」
「ううん、今の藤原くんじゃないんだ?」
「じゃ、じゃぁ‥‥」
「う〜ん‥また何かに憑かれちゃったかなぁ」
「え゛!! そ、それじゃぁ今のはやっぱり‥‥お、お、お」
「おばけかも‥」
「ひぃ〜!!」
顔面蒼白の藤原くんは涙目で先輩の腕にしがみついた。
『いや、もしお坊っちゃん方。私はお化けではありません。こっちです』
「え?」
と振り向くとそこにいるのは先ほどの古ぼけたクマ。
「ま、まさかこのクマが喋ったんじゃないですよね」
ほとんど泣きながら藤原くんが誰にともなく聞く。
『いえいえ、そのまさかですよ。小さい方のお坊っちゃん』
「ひっ‥」
「お化けじゃなくてもぬいぐるみのクマが喋ること事態充分不自然な気がするけど?」
『まぁ、細かいことは気にしないで』
(気にするって‥!!)
『ときにお坊っちゃん方、今たしかアサイとかユウスケとか仰ってませんでしたかな?』
「え…ええ」
『それはもしや浅井祐介様のことではないですか?』
「クマさん祐介の事を知っているの」
『もちろんでございます。何を隠そう私は4年前まで祐介坊ちゃんの持ち物だったのです』
「ええ〜〜?!」
「でも、祐介のクマがなんでこんな所にいるの?」
『話せば長くなりますが‥‥‥聞きたいですか?』
「ん〜長くなるならいいやv」
先輩はあっさりと返し、藤原くん戻ろうと後輩の肩を抱き出口に向かった。
『ちょ、ちょっと待ってください』
「まだ何か?」
『祐介坊ちゃんはさぞかしご立派にお育ちでしょうねぇ‥』
「はい、それはもうハンサムで男らしくて背も高くて凄く優しいです」
藤原くんの方がポッと頬を赤らめて応えた。
『いまではご立派になられた祐介坊ちゃんも、最初から背が高く男らしかったわけではありません。どちらかと言えば昔の坊ちゃんは可憐な美少女のようでした。あんな事さえなければ今も可憐にお育ちになったかもしれません』
「あんなこと?」
『知りたくないですか?愛らしく可憐な美少女のような坊ちゃんに何が起こったか‥‥』
ゴクリ‥‥
((知りたい‥‥))
少年達はお互いに目を合わせ頷いた。
『ではお聞かせしましょう。あ、申し遅れました私クマ五郎と申します』
☆★☆
あれはまだ祐介坊ちゃんが中等部に入学したばかりの頃でしたか‥‥
かなりのお姉さんっ子だった坊ちゃんは寮生活に馴染めずに、いつも沈みがちで過ごしておりました。
そんな坊ちゃんは憂いを含んだ薄幸の美少女のようで周りの先輩方からは注目の的でした。
ま、ご本人は全く気付いていないようでしたが。
今となってはもうどうでもいいことですが、これに気付いていれば後に起こるあの不幸な出来事も回避できたかも知れません。
それに残念ながら坊ちゃんのお父様は母校の悪しき習慣についてきちんと話しておかなかったのでしょうね。
その日も坊ちゃんは部活が終わった後で寮の裏の林の近くで家に帰りたいと一人泣いておりました。
と、その時です。坊ちゃんに忍び寄る大きな影が‥‥‥
「君、どうしたの?迷子にでもなったかな?」
坊ちゃんが驚いて振り返るとそこには、ハンサムではないけれど太い眉に優し気な目許の大きな体躯の高等部の先輩が立っていたのです。
「ヒック‥ま、迷子じゃありません、ぼく‥寂しくって‥‥ヒク‥」
と涙で潤んだ瞳で見上げる坊ちゃんは凶悪的に愛らしく坊ちゃんに自覚があれば、この大柄な先輩が頬を赤らめていたのに気付いていたでしょう。
おまけに鼻息が荒く、少し前屈みなのも‥‥‥
しかし、まだまだお子さまな坊ちゃんがそんなことに気付くわけもなく
「そ、そうかぁホームシックになっちゃたのか」
とニカっと笑ってクシャクシャと髪を撫でる先輩を見てポーっと見つめていたのです。
この時、坊ちゃんはこの先輩に見蕩れていたのではなくこんなことを考えていました。
(わぁ〜‥この人笑った顔が、クマ太郎にそっくり‥‥)
クマ太郎さんというのは私より先輩で、坊ちゃんの一番のお気に入りのクマのぬいぐるみのことです。
坊ちゃんは寮に入る時にクマ太郎さんを連れて来たかったのですが、身体が大きく坊ちゃんの肩ぐらいまであるのでお母様とお姉様に止められて泣く泣く私を連れて来たのです。
「クマた‥‥」
「え? 俺の名前知ってるの?」
「え?」
「聞き間違いか? 俺、熊田太郎っていうんだ。君は?」
「浅井祐介‥です」 (うわ〜‥名前もクマ太郎とそっくりだぁ)
「祐介君か。祐介君、今は親から離れて寂しいかもしれないけど、友達を作って慣れれば寮生活も楽しいぞ。俺でよかったら何でも相談にのるから、ね!」
「‥‥はい」 (やっぱりこの人、クマ太郎に似ているなぁ‥)
以来、このお気に入りのクマ太郎さんにそっくりの先輩に、坊ちゃんが心を許すのはそう時間はかかりませんでした。
坊ちゃんは、クマ太郎‥もとい熊田先輩を見かけると、嬉しそうに駆け寄り、その日あったことなどを取り留めもなく話していました。
それはまるで坊ちゃんがまだお家にいる時にお母様やお姉様、二人がお留守の時にはクマ太郎さんにお話していたのと同じ様に。
そして、それが毎日になり、いつもポワワンと見上げはにかみがちに微笑む坊ちゃんに熊田先輩が
(も、もしや脈ありか?!)
と勘違いしてしまったとしても誰が攻めることができましょう‥‥
そして、そんな二人に周りの人間が「デキている」という認識を持ちはじめたとしても誰が攻められましょう。
何しろここは聖陵学院なのですから。
そんな周りの状況をよそに坊ちゃんは積極的に友達を作り、次第に寮生活にも慣れてゆきました。
それでも熊田先輩に毎日あったことを報告するのはかかさず、そんな後輩の姿を見兼ねた一年上の管弦楽部の守先輩がやんわりと忠告を与えてくれても天然な坊ちゃんには何のことか分からず、無邪気に懐いてくる可憐な美少女‥のような坊ちゃんに、先輩が何度壁に頭を打ち付け理性を呼び覚ましていたかなど知る由もなかったでしょう。
しかし、そんな忍耐強い熊田先輩の理性も、ある日とうとう限界点を超えてしまったのです。
それは坊ちゃんがいつもの様に先輩にその日の出来事を報告していた時でした。
そろそろひも落ちはじめるという頃「もう部屋に戻らなきゃ」と立ち上がった坊ちゃんがバランスを崩して先輩の方に倒れ込んでしまったのです。
華奢な坊ちゃんの身体を抱きとめつつ柔らかい髪の毛から立ち上る甘いシャンプーの香りに(どうやら坊ちゃんはお姉様が送って下さったストロベリーの香りのシャンプーを使っている様です)先輩はまた千切れそうな理性の糸を結び直そうと(色即是空、色即是空‥‥)とひたすら唱えていました。
が、そんな先輩をあざ笑うかのように神様は(いや坊ちゃんは)新たな試練を与えたのです。
ギュ‥‥‥
坊ちゃんは先輩に抱き着いたのです
(えぇぇぇ??? こ、これはどういうことだ?? もしかして今がチャンス?!)
と先輩がグルグル考えを巡らせている時
(えへへ、先輩ってやっぱり大きいなぁ。でも抱き心地はやっぱりクマ太郎のほうがフカフカでいいや)
お気に入りのぬいぐるみにするように先輩に頬擦りをしていた坊ちゃんがこんな事を考えていたとは先輩も夢にも思わなかったでしょう。
(やっぱり今がチャンスなんだ!)
そして先輩は、坊ちゃんの肩を掴み坊ちゃんの瞳を覗き込みついに告白を決心したのでした。
ゴクン‥‥
「ゆ、祐介くん‥‥」
ドキドキドキ‥‥‥
「はい?」
キョロンと大きな瞳で見上げて小首を傾げる。
「そのぉ‥‥俺のことす、す、す、す、す‥‥」
ドキンドキンドキン‥‥‥‥
「‥‥‥‥?」
「す‥‥き‥‥かな‥?」
バクンバクンバクン‥‥‥‥‥
もちろんこの時先輩の「好き」と坊ちゃんの「好き」には大きな開きがあったのですが、もちろん坊ちゃんは気付くはずもなく、
「はい。もちろんです」 (だって先輩クマ太郎にそっくりだもん)
ニッコリと頬を染めて見上げる坊ちゃんのさくらんぼ色の唇を見つめる先輩の理性の糸は
ブチン‥‥‥!! あっけなく切れたのでございました。
「ゆ、祐介君!!俺もす、好きだ〜〜〜〜!!」
いきなりガバッと押し倒されて大きな身体に拘束されてい身動きがとれなくなり、坊ちゃんが何が起きているのか分からないでいると、唇を突き出した先輩の顔か近付いて来たのです。
その時やっと事態を理解した坊ちゃんは身をよじって逃れようとするが、理性の糸が切れてしまった先輩の馬鹿力になすすべもなくすでに恐怖に目に涙をためた坊ちゃんの顔を見ても先輩の理性を取り戻すことはできずそれどころか逆に先輩の欲望を煽ってしまい、クマそっくりの先輩は本物のケダモノと化してしまったのです。
こうなっては坊ちゃんが使える物は管弦楽部で培った肺活量のみです。 大きく息を吸い込み‥‥
「ぎやぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
☆★☆
「それで、祐介どうなったの?」
『幸い偶然居合わせた数名の先輩方が坊ちゃんの悲鳴を聞き付けて熊田先輩は取り押さえられ、坊ちゃんは無事救出されました』
聞いていた二人はホッとした。
『しかし、坊ちゃんはその後恐怖の余り3日間寝込んでしまわれ、やっと登校して来た坊ちゃんを見た皆さんは一様に人相が変わったと申されていました。思えばあの日から坊ちゃんは大人の階段を昇りはじめたのでしょう。』
強くなりたい、早く大人の男になりたいと‥‥‥
そして私もこんな倉庫の奥に追いやられることになったんです。
と感慨深気に語るクマ五郎。
「でも先輩方が偶然居合わせて良かったですね」
『まぁ、偶然というより皆さん
"浅井祐介を見守る会"
のメンバーの方々だったので、正確には偶然という訳ではなかったんですけどね』
「え?! じゃぁ」
『ええ、皆さん物陰から見守っていた様です』
「なんでみんな最初から止めなかったの?」
『ですから、坊ちゃんが嫌がるかどうか見守っていたんです。そして坊ちゃんの悲鳴が聞こえたから止めに入ったそうです』
(本当に見守るだけかよ!!)
「ところでその熊田先輩はどうなったのですか?」
『かなり反省していましたし、合意だと勘違いしたということもあって、2週間の謹慎と坊ちゃんの半径2m以内に近寄らないという処分で決着しました。
しかしねお坊っちゃん方、私は思うのです。あんなに可憐な美少女のような坊ちゃんに頬を染めて意味は違っていても「好き」なんて言われたら誰だって理性の糸が切れてしまうでしょう。だからといって誰が攻められましょう』
(いや、十分攻められると思うな‥)
『あんな可憐な美少女のような祐介坊ちゃんが‥‥』
とまた言いかけたクマの頭が大きな手で鷲掴みにされた。
「「あ‥‥!」」
「誰が‥‥誰が可憐な美少女だって〜〜〜!!」
とそこに立っていたのは可憐な美少女から大人の男に変ぼうを遂げた浅井祐介ご本人。
プルプルと怒りに震える手でクマ五郎を掴み、廊下へ出て手近な窓を開ける。
『ぼ、坊ちゃん。これはお懐かしゅうございます。本当にあんなに可憐だった坊ちゃんがこんなに男らしくなられて‥‥』
「黙らんか! このボケグマァ〜!! 二度と戻ってくるな〜〜!!!」
と叫びながら外に向かって大きく振りかぶりクマ五郎を投げた。
『祐介坊ちゃんまたお会いできて嬉しゅうございました、愛らしい坊ちゃん方それではご機嫌ようぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆」
お喋りなクマは相変わらず喋りながら青い空に一直線に飛んで行き一点の星になった。
肩荒く息をしながら振り返った噂の男、浅井祐介は華奢なルームメイトと後輩の肩を掴み
「いいか! あいつが言ったことは全て嘘だからな!!」と力説した。
「え? そうなの?」とルームメイトは小首を傾げて聞く
「嘘に決まってるだろ!! 大体あんなうさん臭いクマのぬいぐるみの言うことなんか信じるな!」
ほら練習に遅れるぞ! 前を歩き出す祐介に
「ふ〜ん、そうなんだ‥‥残念‥」
小悪魔の最後の呟きは聞こえなかったらしくスタスタと前を歩いていく。
そして小悪魔は祐介に聞こえないくらいの小声で純情な後輩に話し掛けた。
「あのね藤原くん。僕あのクマ五郎が一つだけ本当の事を言っているのを知っているんだ」
「え?」
「そうだv 藤原くんにいい物をあげるね」
というとニョッキリ尖った尻尾を生やした先輩は、ニッコリと微笑みながらパスケースから一枚の写真を抜き取って「はい受け取ってvv」と後輩に渡した。
「先輩、これは‥‥?」
「うふふ、浅井祐介13歳の秘蔵写真v」
「え?!」
先輩はウィンクすると尻尾をふりふり前を歩く祐介の後を追い掛けて行く。
残された可愛らしい後輩は手の中の写真を恐る恐る見つめた。
そこに写っていたのは紛れもなく可憐な美少女のよう少年浅井祐介の姿だった。
こうして、浅井祐介の不幸伝説に新たなる1ページが書き加えられた…
ちなみに、祐介の成長と共に自然消滅していた「浅井祐介を見守る会」が先日の聖陵祭で再結成された事を祐介はまだ知らない。
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