禁じられた裏山の日々

〜君の愛を奏でて〜
高校1年の彼ら。




 裏山の奥の、ずっとまた奥。

 中等部の生徒会長をやっていた頃、一度だけ茶室の視察に来たことがあって、このあたりまで来る生徒がいないことはよくわかっている。

 茶道部の部活は週2回で、その時ばかりは生徒もくるが、それさえ避ければ人気は皆無。

 今日も、何の気配もしないことを確かめて、大きな木の根本に腰を下ろす。

 ブレザーの内ポケットからおもむろにブツを取りだし、ちょっと慣れた手つきでシュッと火をつける。

 深く吸い込むのはあまり好きではない。だから口先だけで燻らせる。

 携帯灰皿なんてものはきっと誰も持っていないだろう。そんなものが見つかろうものなら、言い逃れができないから。

 けれど、山の中で火の不始末をやらかすようなバカは、ここの生徒にはいないから、お世話になるのはもっぱら飲み物の缶だ。

 現にこうして片手にもっているのはお気に入りのブラック珈琲缶。

 コツは、1〜2cm飲み残して消火剤にすることだ。

 ブラック珈琲は、ある程度匂いも取ってくれるので一石二鳥だろう。

 そして、完全消火の後、吸い殻はこっそりと焼却炉へ、缶は洗って資源ゴミへ。

 これが正しい名門校の生徒の姿だ。
 喫煙の事実はさておいて。


 今日はたまたま1人だが、現在の連れモク仲間は同室のあいつだ。

 部活の先輩に『絶賛片想い中』で、ストレスが溜まりまくっているらしく、ここのところ裏山への出動回数が増えている。


『あんまり吸うと、匂いでばれるぞ』

 と、言ってはみたものの、片想いで出動回数が増えるのなら自分も同じだな…と、自嘲するしかない。

 そして、自嘲ついでにフーッと煙を吐き出して…。 


「お。誰かと思えば、珍しい」

 いきなり背後から掛かった声に飛び上がった。

 何の気配もさせずにここまで接近するとは何者だ!…と思って振り返ってみれば、そこにいたのはよく知った顔だった。


「…先輩…」

「いやー、驚いたな。お前がタバコ吸うなんて、寮生活も5年目だけど、3番目くらいに驚いた出来事だぞ。 ああ、チクるなんて野暮な真似はしないから、安心しろ」

 本人の申告通り、こういう現場を押さえて、畏れながらと教師に申し出るようなタイプの先輩で無いことは確かだが。


「なにせ、俺も同罪だからな」

 と、笑いながら隣に腰かけると、やはりその手には缶があり、ブレザーの内ポケットからは、現在あまり生徒の間では流行っていない銘柄の――良く言えば『渋い』、悪く言えば『オヤジくさい』――タバコが現れた。


「…先輩がタバコ吸うなんて、僕だってこの学校に来て4年目にして2番目くらいの驚きですよ」

「お。それはすごいな。俺は3番目の驚きだけど、お前は2番目の驚きなんだ。ってことは、俺の方が偉いってことか」

 あははと笑いながら、恰幅のいい一年上の先輩はタバコに火をつける。

 片手の缶が、抹茶ミルクなのがこの人らしくて面白い。

 そう言えば、部活の無い日とは言え、茶道部員がここへ来ることは十分あり得る話なのだ。 

 しかも、この人は、茶室の鍵の管理者なのだから。


「それはそうと、お前、タバコなんて吸って、同室の『彼女』に怒られないのか? タバコなんて、キス一発でばれちまうだろうに」

 深く吸い込んで、吐き出して、うーんと伸びをする様子はあまりにも堂々としていて、制服を着ていなければ、多分誰にも見咎められないだろうという感じすらする。


「残念ながら、キスをするような間柄じゃありません」

「…ええっ?!」

「…なんでそんなに驚くんですか」

「だってさー、みんな言ってるぞ? あの二人、絶対デキてるって」

 それは知っている。
 知っているし、できることなら自分もそうありたい。

 だが事実は違うのだ。とても不本意ながら。


「あのですね、人生そう甘くはないんですよ、先輩」

 いったい何年生きてるってんだ…と、自分でも突っ込んでみたいところだが。

「いやー、だってさー、お前ともあろうものが落とせてないって、なんだかなー」

 呆れているのか感心しているのか分からない様子で、しきりに首を捻られ、何だか情けなくなってきた。


「で、この先の展望はどうなんだ?」

 うりうり…と肘でつつかれたところで、いい結果など出やしない。

「かなりキビシイですね」

「マジ?」

「認めたくはないんですが」

「うーん、確かに人生思い通りにいかないもんだなあ。お前ほど優等生でルックスもいいってヤツそうそういないのになあ」

 って、嬉しそうに言われても説得力はない。

「ま、挫折を知らないで大人になると、ろくなことはないらしいからな。特に恋愛関係は今のうちに苦労しておいたら、この後でっかい幸せがくるかもよ?」

 他のヤツらに言われたら、もしかして大いにムカツクのかもしれないが、この人に言われても苦笑するしかないのは、この大らかな先輩の『人徳』なのだろう。

「先輩〜、随分無責任なこと言ってくれますね。で、その『でっかい幸せ』の根拠は何なんですか?」

 尋ねながら、火をつけてからまだほとんど口にしていないタバコを、左手の缶の中にポトリと落とす。

 もったいないとは思わない。好きで吸っているわけではないのだから。

「じゃあさ、その『絶望的』って言う根拠は?」

 ニッと笑いながら、興味津々を隠しもせずに尋ねられ、やはりこの人には敵わないなと思ってしまう。

「多分……あいつには、他に想い人がいます」

 だから、きっと素直に吐いてしまったのだろう。
 誰にも言えなかったことを。

「…そっか。そりゃキツイな」

「でしょう?」

 相手に好きな人がいるのといないのとでは、片想いの重さも変わってこようというものだ。片想いには違いないけれど。


「で、そっちは片想いじゃないのか?」

「……多分、両想い、でしょう」

 そう。あの子の『想い』を受け入れないヤツなんて、いやしない。

 たとえそれが、学校中でもっとも『恋愛から遠い』と言われている、あの『鉄壁ガード』のカタブツであったとしても。

「…ってことは、相手は悟か」

 ………。

「…先輩…いったいどういう推理ですか、それは」

 無茶苦茶ですね…と言ってみたものの、一瞬絶句してしまったのがまずかったのだろう。こちらの問いには答えもせずに、『そうかー、やっぱりなー』なんて、納得しているではないか。

「や、あいつ、最近雰囲気変わったじゃない? なんか妙な色気も出てきたしさ。こりゃ何かあったなあとは思ってたんだけど、そうか、そう言うことだったのか。いやー、色恋沙汰ってのはコワイもんだよなあ」

 コワイと言いながらワクワクしている先輩の方がよっぽどコワイんですが…、なんてことはさすがに言えない――言ったところでこの先輩は笑うだけだろう――が。


「…やけに納得してますね…」

 ジロッと横目で恨めしげな視線を流したら、人望厚き先輩は目を丸くした。

「…ん? ああ。悪い悪い。お前の片想いの話だったんだよな」

 吸い終わったタバコを缶に落として始末をしたその手で、バンバンと背中を叩かれて、小さくむせてしまった。

「ま、人生どこで大逆転がやってくるかわからないんだしさ、最後まで諦めんなよ? お前だって、悟に負けないくらい『いい男』なんだからさ」

「…どーも」


 負けないくらい『いい男』でも、片想いじゃ意味がない。

 この際、『いい男』でなくていいから両想いになりたいのだが、それはきっと、誰しもが考えることだろう。

 何にもいらない、君だけが欲しい…なんて。

 ただ、確かに諦めたらそこで終わりなのだろうことは、想像がつく。

 諦めてしまえば、もう未来はない。どんな形であろうとも。

 諦めない…というパワーも相当に大変なものではあるけれど、こと、この件に関しては、悔いだけは残したくないから、思い続けるしかないだろう。

 届く日を願って。

 でも、届かなかったら……?

 そう思うと無性に怖くなるけれど、たとえ届かなくても何かを残したい。
 2人の間にしか、存在し得ない確かなものを。

 それが何なのか、今はまだわからないし、そこまで考えたくもないし。


「さて、行くか」

 ほら…と、差し伸べられた手に遠慮無く掴まり、今度は当たり障りのない雑談を交わしながら、2人は裏山をのんびりと下っていった。



                    ☆ .。.:*・゜



「ここのところ、ちょっと量が増えてるんじゃない?」

 消灯点呼1時間前の練習室で、ルームメイトである『他称・彼女』が、上目遣いに聞いてきた。

「…え?」

「あんまり野暮なことはいいたくないけど、タバコは百害あって一利なし…だよ?」

 よもや。

「…知ってたんだ?」

 ばれていたとは思わなかった。
 制服の匂い消しも万全だったはずなのに。

「そりゃわかるって。毎日こんなに近くで話してるんだから」

 と、唇でも触れてしまいそうなほど顔を寄せられて、胸の奥が大きく疼く。

「あのさ、好きで吸ってる風には思えないんだけど、どう?」

 こんなに間近で『小首傾げ』なんてやらないで欲しい。

「あ、ええと、まあ…」

 確かに好きなわけではないが…。

「じゃあ、やめようよ」

 ね…と、微笑まれて、目眩がした。

「あ、う、うん…」

 だから、返事も生返事で…。

「ちゃんとやめられたらご褒美あげるから」

 一撃必殺の笑顔を繰り出され、『イヤ』と言えるヤツがいたらお目にかかりたいものだ。

「ご褒美、何がいい?」

 そりゃあ何てったって……『君が欲しい』……の一言に尽きるのでは。

 それが言えれば苦労はないが。

「何がいいかなあ。…あ、チョコパとかどう?」

 嬉しそうに言われても、それは君の好物でしょうが…と、内心で突っ込むしかない。

「チョコパがダメなら…プリンパフェでもいいよ?」

 結局甘いモノから離れらないらしい。
 多分、その時には自分も大いに食べるつもりなのだろうが…というよりは、自分が食べるための大義名分か。


「…わかったよ。やめる」

「ほんと?」

 パッと顔を輝かされてしまえばもう、口約束…ではすまないだろう。
 
 引き出しの奥の奥には、買ったばっかりの未開封が一箱残っているけれど、これは連れモク仲間に引き取ってもらうしかない。


「えらいえらい」

 伸び上がって頭を撫で撫でされて、それがちょっと嬉しいなんて、もうかなりの重症だ。

 その手をギュッと握りしめたい衝動をどうにか堪え、照れ隠しに『よせよ』…なんて、ちょっとぶっきらぼうに頭を振ってみたりして。


                    ☆ .。.:*・゜


「な、行かねえ?」

 ライターで火をつける手振りをされたけど、連れモク仲間には首を横に振って見せた。

「やめとく」

「え? マジ?」

 どうしたよ…と、問いつめられて肩を竦める。

「ばれてたんだ、葵に」

 で、約束させられた…と告白されて、陽司は『やっぱりタバコ味のキスは不評なのか』と、方向違いの納得をして、『俺もタバコやめて願掛けしようかなあ…』なんて、まだ見ぬ『その日』を夢見て遠い目になっている。


「ま、そんなわけだから、誰か他を当たってくれ」

「とは言うけどさー。涼太はタバコ嫌いだしなあ。かといって、葵についてきてー…なんて言えねえしー」

「おい、葵を巻き込むなよ」

「わかってるって。だいたいお前にやめろって言うくらいなんだからさ、俺だって禁煙させられるに決まってる」

 満願成就に向けて、禁煙しようかな〜…なんて思っていたのはつい今し方のことなのに、何を怖れているのか、陽司くん。

「にしても、葵なんて、手に取ったことすらないんだろうなー、タバコなんてさ」

 周囲の男子高校生の中でも、もっともタバコの似合わないヤツだろう、彼は。

「いや、それがさ、吸ったことあるんだってさ」

「ええっ?! マジっ?!」

 それはまさに、あの『憧れのアイドル』が未成年喫煙で謹慎処分になって以来のショックだ。

「しかも小学生だと」

「うわっちゃー…」

 なんて早熟なおぼっちゃまなんだ。

「まあ、吸ったと言うよりは、ちょっとした好奇心で、大人の真似して銜えて火をつけてみただけ…という程度だったらしいんだけど、見つかって怒られて、押入に一日閉じこめられてご飯も抜きにされて、懲りたんだってさ」

 一番懲りたのが、1週間おやつ抜きだったこと…というのがいかにも葵らしいけれど。

「その時に、タバコの害について滾々と説教されて、以来タバコはNGらしい」

「なるほどねー。…俺もやめてみようかなあ…」

 んで、願掛けすっか…と、やっぱり思う、陽司であった。



                    ☆ .。.:*・゜



『でも、ちょっと新鮮なオドロキだった』

 やめると約束した後、葵はそう言った。

『祐介って優等生じゃん。だからタバコなんてとんでもないかと思ってた』

 ニコニコ笑いながら話す様子は大層可愛らしかったが、やはり葵の『憶測』も方向が違ったようだ。

『優等生やってるのもストレス溜まるもんね』

 いや、そもそも『量が増えた』主な原因は『片想い』なのだ。『優等生のストレス』なんかは、缶ビール一本であっさり誤魔化せてきたのだから。

 さて、こうなったらこの『片想いのストレス』を今度は何で解消しようか。

 祐介は真剣に頭を抱えたのであった。



END

というわけで、やっぱり祐介不憫な話でした(ちゃんちゃん)


2007.6.22から8日間に渡って月夜の掲示板で連載したものをまとめました。


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