君の愛を奏でて3

『浅井先生は今日も大変』

〜後編〜




 翌年の春。

 奇しくも誕生は悟と同じ4月10日。

 悟の復学の翌日に、悟の新しい一歩を応援するかのように、新しい命は生まれてきた。


 1年前、悟の突然の難病発症に、周囲は狼狽えた。

 けれど悟は、高校卒業からほんの数年の間に驚くほど強くなっていた。

 周囲が狼狽える中、一番冷静だったのは、本人だったかもしれない。

 悟が一番に考えたのは、自分が葵をこれからも護って行くにはどうすればいいかと言うこと。

 切り替えは早かった。

 何が何でも治して、ピアニストが駄目なら指揮者を目指す。
 必ず音楽の世界に戻る…と。

 投薬とリハビリの毎日に、必死で立ち向かう悟の姿を見て、守が祐介に言った言葉は今でも心に深く残っている。


『護るものがある男って、強くなるもんだな』と。


 後にたったひとつだけ、悟は祐介に愚痴を言った。

『唯一の心残りは、葵のデビュー前に発病してしまったこと…かな』


 葵のデビューは悟の伴奏で…と、早くから決まっていた。

 当然当人たちもそのつもりでいたから、悟だけでなく葵にとってもこれ以上ないほどの心残りであっただろう事は想像に難くない。


 そんな悟が半年に及ぶ入院生活を終え、自宅に戻ってからほんの1ヶ月ほど後に、さやかの妊娠が判明して、2人は入籍することになった。

 そして、それからも続いた懸命のリハビリの後、4月に指揮科へ転科・復学することが決まった。

 その時に生まれたのが渉だった。

 渉は生まれたときから綺麗な赤ん坊だったが、退院する頃にはもうすっかり葵の面影を宿していた。

 ツアー中のたった2日間の休養日にアメリカから初孫の誕生に駆けつけた良昭は、『守の子じゃなかったっけ?』などと真顔で言ったくらいだ。



「なんか、凄いよね。僕によく似てるこの子が、祐介の血をひいてるなんて」

 葵の言葉を聞きながら、2人並んで、すやすやと眠る赤ん坊を飽きることなく見守れば、身体の奥から深い感慨がこみ上げる。

 実らなかった初恋だったけれど、もっと深い繋がりが、この小さな命の中に流れていることが、奇跡のように思えてならなかった。


 そういえばその後、渉を見に来た森澤東吾が、『一瞬、浅井の子を奈月が産んだのかと思った』なんて口を滑らせたら、何故かさやかが大喜びしたことがあった。

 隣では悟と守が脱力していたけれど。 



 それから2年後の3月。
 弟の英が生まれた。

 今度はどういうわけか、悟によく似た端正な目鼻立ちで、またしても周囲を驚かせた。

 小さい渉と、成長の早い英は、学年こそ1年違いだが、年齢はほぼ2才離れている。

 が、幼稚園に上がる頃にはすでに見た目は並んでいて、彼らが家族でドイツへ渡る頃にはすでに英の方が大きかった。

 渉が小学校へ上がり、英が年長になる、春のことだった。


 その後、約9年の間、祐介は年に一度程度しか彼らに会うことは出来なかった。

 だが、そのわずかの機会にも、いつも渉は祐介に懐いてくれた。
 別れ際にはいつも、泣いてしまうくらいに。



                    ☆★☆ 



 渉の誕生から1年後、守と昇は卒業し、昇もデビューを果たした後に、桐生家を出て直人との同居を始めた。

 そして漸く、待ちに待った、彰久の卒業と入学があり、祐介と彰久は同じ場所でまた学べることになった。

 タイムスケジュールは全く違っても、同じ構内にいて、しかも高校時代とは違う開放的な環境で、やっと恋人同士らしい日常が送れて幸せを満喫する日々を、さやかも喜んでくれた。

 それからさらに1年後、葵が卒業するはずだったのだが、悟が院に残ると決めた途端に自分も残ると言い出して、早くから院への進学を決めていた祐介と、結局それからまた2年を一緒に過ごした。


 その後、祐介は大学院で指揮法と教育学を修め、母校に教員として就職した。

 当時はまだ一介の音楽教諭で、光安直人の補佐として管弦楽部に関わった。

 1年目からすでに誕生日もバレンタインも机の上はプレゼントや手紙だらけで、それを見て『戻ってきたんだなあ』と妙な感慨に浸ったものだ。

 院に行っていたので、聖陵に在校していた当時の後輩はすべて卒業していた。

 2年先に着任していた同級生の陽司と篤人は、自分たちの在校時を知る面子がまだ高3にいて、やりにくい場面もあったと言っていたから、その点では良かったのだろう。 

 そして、教員としては先輩になる陽司と篤人のアドバイスは、祐介に取ってこれ以上なくありがたいものだった。

 1年目はまだ担任をもたせてもらえないので、忙しいなりに時間はあったから、大学4年になっていた彰久との暮らしはそのままだった。

 
 2年目。
 担任を持つとさすがに忙しさは増した。

 だがその年には大学院1年目で留学コースに推薦された彰久がウィーンへ渡り、栗山に師事することになった。

 離ればなれの1年を送ることになるのを機に、聖陵の最寄り駅前にあるマンションに引っ越した。
 
 一緒に暮らし始めて4年と少し。
 離れるのは辛いと思っていたのだが、お互いに忙しすぎて、振り返ってみればあっという間の1年だったと、2人して笑いあったものだ。
 
 それでも我慢できるのはやはり、1年までだと痛感したが。


 3年目、大学院2年の夏に彰久が国際コンクールを獲り、デビューしたのだが、そのルックスと優しい性格もあって、あっという間に人気奏者の仲間入りをしてしまい、同じ家に住まいながらも、すれ違う日々が始まった。
 
 けれど、それくらいで揺らぐ2人ではもうなかった。


 そしてこの年、聖陵は全寮制に移行した。

 ベテラン教師の間からは、『中途半端に通学生がいるよりも管理がしやすくなった』と歓迎されたのだが、確かに、2年目で初めて担任を持ったときに思った。

 クラスに5人程度の通学生と言うのは、何かにつけて意外と面倒なのだ。日々の管理の色々が。

 連絡1つとっても、全員が寮にいると、一度にスムーズに伝わるし、確認も楽だ。

 医療関係との連絡の体制は確立されているので、夜中の急病などは判断さえ誤らなければ不安はない。

 だがそう言う事態になった場合は、ベテラン教師が主に指示を出すので、若手の教師はそれを見て、経験を積んでいくと言うことになる。


 男子校なので、それなりに喧嘩もあるし、落ちこぼれた問題児もいるけれど、そんなものは自分が在校していた頃からあって、慣れたもの。

 困ったのは、生徒に告白されまくったことだ。

 それなりに柔らかく断り続けるのもストレスだったが、1番大変だったのは、思い詰めた生徒に準備室でいきなり服を脱がれたことだろう。

 陽司と篤人も、生徒の告白には苦労していたが、『お前のが1番陰湿だなあ』と言われてぐったりしたものだ。

 いっそのこと、教師の誰かと噂になるってのはどうだろうなんて突飛なアイディアまで出る始末で、あの時のことは未だに何かと言ってはネタにされている。

 件の生徒は、ありがたいことにすっかり社会復帰して、今や霞ヶ関のエリート官僚だ。
 少し恐ろしい気もするが。


 4年目の9月の一件も、二度と勘弁してほしい出来事だった。

 台風が接近し、夕刻から暴風域に入るという直撃状態になり、午前で授業を切り上げて全員を寮に入れたはずなのに、行方不明が2人いて、裏山を大捜索する羽目になったのだ。

 20代の若手教師が総出で捜索した結果、無事に保護――子猫3匹ともども――したのだが、暴風雨の中の捜索で教師に怪我人多数が出で、未だにあの一件は何かと言うと話題になる。 


 そして、着任から5年目、直人が院長になったのを機に管弦楽部の顧問を引き継いだ。

 顧問になると、忙しさは倍増した。

 彰久が国内ツアーや海外公演に行っている間は自宅にも戻らず、ほぼ校内に留まる毎日で、徒歩15分の場所に自宅があるにも関わらず、校内の教職員寮に部屋を持たせてもらえたくらいだった。

 ただ、直人がそうであったように、顧問になると、音大の受験指導を一手に担うことになるため、中等部の担任しかもたないことになった。

 中等部は受験指導がないからだが、その分父兄も気楽になるのか、祐介のクラスの父兄懇談は何故か母親が来ることが圧倒的に多い。

 全校的にも会社や病院の跡取りが多い所為か、父親が来ることが多く、陽司や篤人に聞いても、8対2で父親の方が多いというのに。

 しかも、どういう訳か、面談中に『好みのタイプ』を聞かれる事が多い。
 なんで面談で好みのタイプなんだ…と、毎回不思議で仕方がない。

 まあ、いつも『美人のフルーティストですね』と答えている。
 そうすると大概大人しくなってくれるから。

 好みが『美人のフルーティスト』だというのは、ウソではないだろう。
 失恋した相手もそうだったし、成就してラブラブ同居中の恋人もそうだし。



 教師になって、こんな風に喜びも苦労もたくさんあるが、昨年、嬉しいことがあった。

 初めて担任を持ったクラスの生徒が教師として帰ってきたのだ。

 恐らく、祐介自身も生徒だった6年間世話になり、当時からずっと尊敬している『あの先生』の元へと戻ってきたのだと思うが――担任を持っていた中2の時にその想いを打ち明けられていたから――ともかくここで教師として充実した日々を送り、そして想い人と幸せになってくれればと願っている。
 
 2人の年齢が親子ほど離れているのは気になっているが…。


 それから面白いなと思ったのは、2年前についに同級生の息子が入学してきたときだ。

 いずれはそんな日もくるだろうと思っていたが、予想外に早く――大学2年生の時の子だ――しかもそれが隆也の子だったりしたものだから、余計に面白くて不思議…だった。

 自分の甥っ子たちも、東京にいれば受験もありえたかも知れないが、もう6年もドイツに暮らしていて、こちらの学校へ戻ってくることはないだろう。

 少し残念な気もするが、親友の涼太も、叔父と甥が同じ学校にいるのは結構気を遣う…と言っていたから、まあいいかと思っている。


 さらにその年には、恩師・栗山重紀の長男もやってきた。

 隆也の妻がどんな人なのかは知らないが、栗山の妻、由紀とは何度か京都で会って、親しくしていたから、結婚した時は相当驚いた。

 なにしろ、かつての教師と教え子で、年の差夫婦もいいところで。

 いつの間に愛が育っていたんだろうかと葵に聞いたら、『こっちが聞きたいよ』と返されてしまった。

 とにかく、同じ歳にやってきた2人の『友人の子』は揃って管弦楽部入りして中1の頃から注目を集める存在になった。

 祐介にとってありがたかったのは、直也と桂の子供の頃からを知る葵から色々と情報を得ることが出来て、それを学校生活の様々な場面での指導に生かせたことだ。

 彼らのように特に個性の強い子供たちには、それなりの配慮も必要になるから。


 特に個性が強いと言えば、もうひとり。
 恩師で現在の副院長でもある松山翼の甥っ子も、同じ年に入学してきた。

 こちらは当初、あまりにも小柄で可愛らしく、全寮制男子校でやっていけるのだろうかと不安になったのだが、中身はとんでもなくしっかり者で、入学していきなりクラス委員長と生徒会執行部員になり、中2の時には本来中3が務めるはずの『役員補佐』になり、そのまま今年、圧倒的な支持を得て生徒会長になった。

 現在のところ、高等部生徒会長が中等部生徒会長に意見を聞きに来る…という有様で、教師たちすら対等に扱っているくらいだ。

 管弦楽部でも、中等部入学時にここまでオーボエという難楽器を扱える子は稀で、最初のオーディションで3番につけ、中2で次席になった。

 同じく中2で次席になった、隆也の息子ともども、管楽器の最速記録タイだったが、自分の甥っ子が中学で入学していたとしたら、おそらく中1で首席ということもあり得ただろうなあ…と、なんとなく惜しいような、いややっぱりあの子には荷が重いだろう…とも思ったり、複雑な気分だ。



 さて、明日から夏の校内合宿だ。

 管弦楽部内の統率はとれていて、活動は現在のところ順調といえるが、栗山桂・麻生直也・安藤和真を中心とした中3の優秀な子たちが高等部へ上がる来年には、中等部の弱体化が懸念されるところで、そちらの指導になんとか時間を割きたいが、どうやりくりしたものか…と、祐介は少し深いため息をつく。

 とりあえず明日も早いから、最後にメールチェックだけして休むか…と、開いたメールソフトに、義兄からのメールがあった。


『渉が来年、聖陵を受けたいと言いだした。明後日から帰省するから、相談に乗ってやってくれないか』


 いつも別れ際に見せてくれる、可愛らしい泣き顔が、目に浮かんだ。


おしまい

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