七生くんの『日々是好日』


第1話
「七生、聖陵に入る」



 俺、遠山七生(とおやま・ななお)。15歳。

 小学生の頃からコントラバス弾いてる。

 ジャズ好きの伯父さんが、勢いでコンバス買ったはいいんだけど、独学じゃ全然弾けなくて、でも習いに行く気もなくって、結局実家の蔵に放置していたのを当時小学校5年の俺が見つけた…ってのがそもそものきっかけ。

 で、俺は真面目に習いに行ったおかげで中学では吹奏楽部でガンガン弾いてたんだけど、物足らなくなった。

 そう、オーケストラで弾きたいと思ったんだ。

 で、最初に目指したのが音楽高校だったんだけど、親父が反対した。

 音高行って、もし途中で気が変わったり、実力が追いつかなくなった時、進路の修正が利かない…ってんだ。

 だから、普通科高校へ行って、オケやれって。
 で、高校3年間で気が変わらなくて実力が届くようなら音大へ行けってんだ。

 でもさ、そんな高校…って思ったら、あった。
 
 聖陵学院だ。


 ここはもう、クラシック音楽やってる小中学生には『聖地』みたいなところで、小学生の時点で音大目指すことに決めてるヤツは、まず目標にする。

 でも、敷居は高い。

 偏差値が高いのもあるけれど、それに比例して学費も高い。寮費もいる。
 
 しかも管弦楽部に入ろうと思ったら、試演会ってのがあって、そこで入部できるラインかどうかが判断されるってんだ。

 ちなみに試演会に出なくていいのは打楽器だけ。

 打楽器は、フリーで入部できるらしい。
 でも、半年後の正式入部に残れるのはわずか…ってことみたいで。


 ま、いずれにしても俺は、中学入学の時点で『聖陵』って選択肢は考えもしてなかったので、試演会とかそういうのはあくまでも後から聞いた話だ。



 で、ここからが俺の話。

 高校から聖陵行って管弦楽部に入るのは、中学とは比べものにならないくらい大変だって知ったのは、漠然と『いいな、聖陵』って思い始めて中学の担任に相談した3年の春。

 担任も、自分の生徒から聖陵へ進学したのが今までひとりもいないから、一から資料集めて情報収集してくれたんだけど、結構な進学校へたくさんの生徒を送り出した実績のある担任ですら、『遠山〜、これ大変だぞ』って青くなったくらい、聖陵への道のりは困難だった。


 まず学科試験。
 高校は全体で25人しか枠がない。
 そのうち音楽推薦はだいたい5〜6人。例年の倍率は15〜20倍。

 俺、常に学年で10番以内だから、それなりに自信はあったんだけど、そんな俺でも数字を聞いただけで気が遠くなった。

 更に実技試験と楽典の試験。
 ピアノの試験がないくらいで、あとは音大受験とほとんど同じメニューだ。

 で、これも、例年だとコンバスの希望者は10人くらいいて、合格者数は0〜1人。
 2人以上入れた年は、ここ10年ではない。

 でも、ちょっと幸いなのは、聖陵の試験が音高の二次試験より前にあること。

 つまり、落ちてもまだ、音楽への進路は残される。

 聖陵に落ちて、音高行くヤツ結構いるらしいし、音高側も、実力はあるのに高い偏差値に阻まれてしまった人材を拾えるってことで。

 でも、せっかく実技で通れたのに、学科で落ちるのはマジ恥ずかしいから、ここは踏ん張りどころ…って事だよな。

 俺の場合は、親父から『音高はダメ』って言われてることもあるし。

 ともかく、厳しい道のりだってのはわかって、でも受けずに諦めるのはイヤだったからとりあえず頑張った。



                    ☆★☆



 面接と実技と楽典の試験の当日、聖陵に集まったのは 93 人もの受験生。

 コンバスは11人もいた。

 俺はもちろん、実技の自信はあったけど、他の受験生の演奏は聴けないから、11人の中でどれくらいだったのかはわからなくて、それは凄く不安だった。


 楽典に関してはもう、ここで合格ラインを下回るヤツは普通はいない。

 それは音大でも音高でもそう。
 楽典の試験は満点とって当たり前…って世界だ。


 そして最後に面接。

 ここで俺は、初めて浅井先生に会った。

 あ、もちろん実技試験の時も先生は当然いたし、定演も聴きに行ってたから、勝手に『知って』はいたけれど、面と向かって、しかも話をしたのは初めてで。

 間近で見る先生は、マジで男前で、もっと厳しい人なのかと思ってたんだけど、話し方も優しいし、緊張でガチガチになってる受験生を冗談で笑わせてくれるような気配りまでしてくれる人で、その時俺は、やっぱり何が何でもここへ来たいって思ったんだ。



                     ☆★☆



 で。
 桜並木の下を、俺は念願の聖陵学院の制服に身を包んで歩いている。


 結局、音楽推薦の合格者は、実技試験が9人。
 その内コンバスは俺を含めて2人。

 学科試験合格者は5人になって、コンバスは俺ひとり…だった。

 あまりの倍率の高さに諦めかかってた両親は、とにかく喜んでくれて、しかも音楽推薦だから、学費も寮費も半額で、ま、とりあえず親孝行できたかな…って感じだ。


 そうそう、合格発表の直後に、コンバスの師匠――プロオケの奏者なんだけど――から、意外な事実を知らされた。

 赤坂良昭の孫が、一般入試で入ったらしいって。

 赤坂良昭って言ったら、クラシック知らなくったって名前は知ってるってくらい有名な指揮者で、その孫って言ったら、チェリストの桐生守の子供で…ってところまでは、音大目指す弦楽器奏者には『当たり前』の常識なんだけど、それが浅井先生の甥っ子だってのは、師匠に聞いて初めて知ったことだった。

 なんでも、浅井先生のお姉さんが、桐生守の奥さんらしい。

 師匠によると、業界では誰でも知ってるって話だった。


 浅井先生の指導力の高さってのはすでに定評があって、音高や音大から引き抜きの話は絶えないらしい。
 
 その上、桐生家の天才プレーヤーたちとは聖陵時代からの懇意の間柄で、しかも姻戚関係。

 日本の音楽教育の中で、その影響力ってのは絶大なんだ…って師匠は言ってた。


 ま、とにかく俺はそんな先生の元で音楽できる幸せにワクワクしながら正門をくぐったわけだけど。


「あ、もしかして遠山七生くん?」

 初めて見る顔が俺に声を掛けた。同じ高等部の制服で学年章も同じ。

「あ、はい、そうですけど」

 誰?

「はじめまして、僕、川北凪(かわきた・なぎ)です。聖陵学院へようこそ」

 人懐こい笑顔で名乗られた名前には聞き覚えがあった。

「もしかして、同室…の?」

 浅井先生から聞いてたんだ、同室者の名前。
 中等部で副部長やってたヤツらしい。
 そう言えば正門近くで待っててくれてるって話だったっけ。

「そう。これからよろしく」

 この先ずっと、俺の親友となる川北凪との出会いだった。


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*『日々是好日』…一般的には『ひびこれこうじつ』と読まれていますが、
正しくは『にちにちこれこうにち』と読むのだそうです。
 でも、読み難いので、ここでは『ひびこれこうじつ』と読ませて頂くことにします。
意味は、『毎日いい日だ〜!』ってことなんですが、
実はものすごく深い意味のある『禅語』らしいです。
ご興味お有りでしたら、ぜひ調べてみて下さい(丸投げ!)


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