第5幕「Autumn Leaf〜紅葉の季節」

【1】





 聖陵祭が終わると、3日間の休みを挟んで後期がはじまる。

 始まってすぐに行われるのは、高等部の生徒会選挙。
 各部の部長なんかも交代する。

 今、管弦楽部の部長は打楽器の里山先輩。

 進学先は僕のパパたちが出た音大らしい。

 試験はもう少し先だけど、当然学科推薦は受けられて、実力もまったく問題ないって話で、本人含め、誰も心配してないそうなんだけど、ここにひとり、この世の終わりのような顔をしている友達がいる。

 チェロパートの同級生、凪。

 全然知らなかったんだけど、凪と里山先輩はつきあってるそうなんだ。
 凪が中2の終わり頃からって聞いた。

 情報元は凪本人。

 ここのところふさぎ込むようになってて、心配してたんだけど、ある日パートリーダーの坂上先輩から、何か悩んでるようだから相談に乗ってやってって言われて、話をしたのがきっかけだった。


 凪は、先輩が卒業したらこの恋は終わってしまうと思っている。

 でも、先輩は、待ってるから同じ大学へおいでって言ってくれるんだそう。

『じゃあ、よかったじゃない』って言ったんだけど、凪にとってそれはそんな単純な問題じゃなかった。

 そもそも凪は、ご両親から『音楽は高校まで』って言われてるそうで、大学は普通の所へ行って欲しいって言われてるそうなんだ。

 凪本人も、『でもどうしても音大行きたいから行かせて下さい』って言えるほどの技量も情熱もないって言う。

 だから、『ここで終わってしまう恋なんだ』って。
 それがどうしようもなく悲しくて切なくて。


 気持ちはよくわかるんだ。不安で仕方がないのも。
 でも、追いかけていけない。


「同じ大学でないと、気持ちは続かないものなのかなあ」って僕は言ったんだけど、『距離と環境って言うのは、埋めようのない溝になっていくんだ』って。

 それもよくわかる気がする。
 距離が遠くなってしまったり、環境が変わってしまったりしたら、よほど2人の気持ちがしっかりしていないとダメになっていくことが多いかもしれない。

 でも…。
 諦めるのは最後でもいいんじゃないかな。

 今ここに、確かに2人の気持ちが見えているのなら、それを繋ぐ努力をしていけば。

 今もう見失っちゃってるなら、ちょっとダメかもしれないけど。

 って言ったら、凪は悲しそうな顔ながらも、先輩と話をしてみるって言った。

 上手くいくといいなあ。


 ここはゆりかごみたいなことろだって、葵ちゃんに聞いたことがある。

 大切にはぐくまれて、自由に生きて、泣いて、笑って、恋をして。

 だから外の世界へ出たときに、いくつかの価値観は壊れてしまう。

 でも、その時残ったものは、本物だって。

 僕の周りには、その『本物』の見本がいる。

 昇ちゃんと直人先生がそうだし、それに、ゆうちゃんも…。

 僕はゆうちゃんが大好きで、ゆうちゃんに会いたくてここへ来たけど、ゆうちゃんには大切な人がいる。

 やっぱりここの後輩だった人。同じ管弦楽部で、同じフルートパートで。

 大学も同じだったけど卒業後2人の道は別々になった。

 ゆうちゃんは教師としてここへ戻ってきた。
 あの人は、昇くんがソロ・コンサートマスターを務めるオーケストラの首席フルート奏者になった。 もちろんソロ活動もしてる。

 国内外問わず演奏会が続く日々で、僕のグランパもよく自分のツアーに連れ出しちゃったりしてる。

 だから多分、会える日は少ないんじゃないかなあと思う。

 でも2人は、いつも信じ合って支え合って、幸せそうで…。

 葵ちゃんは、『あの2人がここに至るまで、一番大変だったのは僕なんだよ』って言って笑ってるけど。


 …葵ちゃんも、恋をしたのかなあ。この温かいゆりかごで。

 そして、その相手は…?



 後日、凪がちょっと吹っ切れたような顔で僕に報告してくれた。

『先輩が卒業しても、いけるとこまで頑張ってみることにしたよ。もし、ダメになったら、その時は大声で泣くから、渉、慰めてね』って。

 凪、きっと…大丈夫。



                   ☆ .。.:*・゜



 そして、やっと凪が元気を取り戻したチェロパートの練習で、ある日中学生たちが聞いてきた。

「渉先輩、ドヴォルザークのチェロコンチェルト、弾けますか?」って。

「そりゃ渉なら弾けるだろうって」

 高2の先輩が横から返事をしてくれたんだけど。

「ええと、まあ、とりあえず弾けはするけど…ってレベルで…」
「聞いてみたいです! お願いします!」

 中学生たちは、CDでしか聞いたことがないそうで、生の音でぜひ聞いてみたいって言うんだ。

 なので僕は、1楽章の有名な一節をザッと弾いてみたんだけど…。

「渉、もしかして暗譜してる?」

 凪が聞いてきた。

「あ、うん。一応暗譜はしてある」
「って、もしかして3楽章全部か?」

 身を乗り出してきたのは坂上先輩。

「あ、はい。とりあえずは全部」
「すっげえ…」

 誰かか呟いた。

 で、これがとんでもないことになっちゃったんだ!



                  ☆ .。.:*・゜



 授業が終わり、とりたてて重要な連絡事項もなく終礼もすんで、直也と桂が『喉渇いたから、お茶してから部活に行こう』というので、『じゃあ』って僕と和真が腰を上げた時。

「栗山、ちょっと」 

 教室の入り口から桂を呼んだのは、高校2年のオーボエ奏者、沢本理玖(さわもと・りく)先輩。

 首席の和真とコンビを組んでる次席奏者で、和真と並んでいると、美人姉妹…みたいになっちゃう感じの、細身ですらりとした綺麗な人。

 さりげない気配りができるって評判で、見た目の通りの物静かさだけれど、中身は意外と熱い人らしくて、この前の選挙で管弦楽部の新部長になったんだ。

 入学して暫くの間、和真の後ろに隠れてばかりだった僕にも、いつも優しく声を掛けてくれて、チェロパートの先輩以外では一番最初にまともに話せるようになった先輩なんだ。

 本当ならみんな、『沢本先輩』って呼ぶべきところなんだけど、中学入学の時、ちっちゃくてお人形さんみたいだったから、上級生がみんな『理玖ちゃん』って呼んだことから、今でもみんな苗字じゃなくて『理玖先輩』ってファーストネームで呼んでる。

 その理玖先輩に呼ばれて廊下へ出て行った桂の横顔に変化があった。

「なんかあったのかな」

 直也と和真が顔を見合わせる。

「和真じゃなくて、桂だもんな」

 直也が言うには、オーボエ奏者としてなら和真を呼ぶだろうってこと。
 つまり、部長としてコンサートマスターに用があるんじゃないかって。

 でも、もうあとちょっとで部活が始まる時間だから、わざわざ教室までって…。 

 と、その時、理玖先輩が走り去って、桂が戻ってきた


「部活、中止だって」
「え?」
「なんで?」

 僕がここへ来てから、こんなこと一度もなかった。
 予定の変更はあったけど。 中止だなんて。

「それが詳細は後でってことで、とりあえず至急全員への伝令頼むって」
「段取りは?」

 和真が身を乗り出した。

「和真は中等部管楽器。直也は高等部管楽器。弦楽器は中高共、高2の先輩たちが手分けして走ってくれてるらしい」

 桂の言葉に、和真と直也が飛び出していった。

 そして僕は…。

「あの、僕になんか手伝えること、ない?」

 和真や直也みたいな訳にはいかないけど、ちょっとでも手伝えればと思って桂に聞いてみれば、思いかけない返事が返ってきた。

「渉は…。呼びに来るまでここで待っててくれって」

 …え?

「どういう、こと?」

「だから、わかんないんだよ。俺も聞きたいとこなんだけどさ、とにかく渉についてろって」

「僕、だけ?」

「多分な」

 …なんか、あったんだろうか…。
 僕、なんかしたっけ?

 いい知れない不安に、嫌な汗が流れてきて胸がきゅうっと締め付けられる。

「渉、大丈夫。俺がついてるから」

 桂が隣に座り直して、肩をグッと抱き寄せてくれる。

 大きな手のひらで背中をさすられると、少し息が落ち着いてきたんだけど…。


 しばらくして、直也が戻ってきた。

「あっ、桂! お前何してんだよ!」

 駆けてきて僕の隣――桂の反対側――に座っていきなり僕を桂から引きはがす。

「ひとりでズルいことしてんじゃないよ」

 って僕はなぜか、直也の腕の中にしっかり囲われてるんだけど。

「あのなあ、直也。俺は渉の不安を少しでも和らげてやろうとしてたんだ」
「渉の不安? なにそれ」

 直也の問いに桂が説明した。 
 僕はここで待機ってこと。


「なんだよ、それ。どういうことだ?」
「だから俺だって聞きたいっての」
「渉…」

 気遣わしげな表情で直也が僕を覗き込む。

「心配するなって、どんな時にも僕たちがついてるからな」

 …直也…。

「うん、ありがと」

 そうだ、ひとりじゃないんだ。

 直也と桂の温かい手があるだけで、なんだか心が軽くなる。

 この前まで、こんな風には感じなかったのに、どうしてだか、2人の体温が気持ちいい。


 それから暫くして、漸く和真が帰ってきた。

「なんか、浅井先生のとこに高3の先輩が全員で押しかけてるって」
「なんだ、それ」
「何があったんだよ」

 ますます訳がわかんなくなってきたところで、次々と管弦楽部の同級生たちがやってきた。

 やっぱりみんな一様に、『何があったんだろう』って不安な顔で…。

 …あれ? 凪がいない。

「凪、知らない?」

 凪と同じクラスの友達に聞いてみると…。

「ああ、凪はさっき、坂上先輩がきて連れてった」

 え…どういうこと?

「なんかさ、『あれ? 明日じゃなかったんですか?』って凪が言ったら、先輩が『いや、準備が整ったから今日決行することにした。少しでも早いほうが良いから』…とか何とか言ってたんだけどさ…」

 謎めいた話に、みんな口々に推理を語り出したんだけど、ちっともまとまらない。

「渉の待機命令に、チェロパートの謎の行動…」

「高3の先輩方がどういう関わりなのかはわからないけれど、とりあえずチェロ絡みって感じはするな」

 そう…なんだろうか。
 じゃあ、僕だけ知らないっていうのは…どうして?

 やっぱり不安が募りだした僕の手を、ぎゅっと直也が握ってくれて、桂は背中を撫でてくれて…。

 その時、高2の先輩が駆け込んできた。

「浅井先生から連絡! 首席奏者全員、音楽準備室集合って! 首席以外はホールで待機!」


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