第6幕「Moonlight Sonata〜月明かりの季節」
【2】
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「直也に告白された?」 「桂…」 「違う?」 咎める声でも茶化す声でもなく、ただ、静かな問い。 「…違わ…ない」 どうして桂が知っているのか。どうしてそれを僕に聞くのか。 何もかもがわからなくて、僕は固く目を閉じた。 その瞬間。 「渉っ」 桂の声と同時に腕を取られた僕は、椅子から引っ張り上げられて、大きな身体に抱き締められていた。 思わず開いた目に飛び込んできたのは部屋の天井だけで、桂の姿は見えない。 それほどまでに、きつく抱きすくめられていた。 息が、できないくらい…。 「俺、渉を誰にも渡したくないっ。直也にもっ、誰にもっ」 …え…? なん…て? 「好きなんだ、渉が」 「か……」 名前を呼ぼうとしても、呼べなかった。 声も出せないほど、抱きしめられていたから。 「ずっと渉のことを見てきた。想ってきた。好きになるのをとめられなかった」 どうして? どうして桂まで僕のこと…。 …あ、ダメだ…目の前がぼんやりしてきた…。 「渉?……渉?!」 身体が急に離されて、 でも、息が、出来ない…。 「渉っ、息してっ!」 揺すられて、背中を叩かれた衝撃で、僕はやっと息を吸い込んだ。 と、同時にまた咳き込んでしまって。 「ごめんっ、大丈夫か?」 抱きかかえて背中をさすられて、僕は少しずつ正常な呼吸を取り戻す。 「…だい、じょうぶ…」 「…ごめんな、苦しい思いさせて…」 「ううん、平気…」 心配しなくても大丈夫だからって、桂の顔を見て言おうと思ったんだけど。 目があった途端、桂の眼差しの強さに負けて、すぐにまた目を伏せてしまった。 「ごめん…」 桂がまた謝った。 「急にこんなこと言われても、びっくりするばっかりだよな」 …違う。多分、急じゃないんだ。桂も、直也も。 僕が気がつかなかっただけで…。 「…いつ…」 「え?」 「いつ、から、僕のこと…」 桂が微笑んだ。 「結構前だよ。渉が入院したときには、もう育ち始めてたかな」 …そんな、前。 …って、ここへ来て一ヶ月ちょっとだよ、それ。 「その時ははっきり意識してなかったんだ。でも、少なくとも七夕の頃にはもう、自覚してた」 …それって、僕が思ってたよりもっと、前…。 「それは、直也も同じだ」 「…桂…」 「俺も直也も、自分の気持ちの方が強いって思ってる。でも、そんなことはどうでもいいんだ。大事なのは、渉が好きで好きでたまらない…ってことだけだから」 直也も桂も、お互いの気持ち、知ってるんだ。 …そんな…。 僕は、完全に返す言葉をなくしてしまった。 桂は暫く、僕が何かを言うのを待っていたようなんだけれど…。 「直也に告白されて、返事、した?」 「…ううん、して、ない」 「『Yes』も、『No』も?」 「…うん」 「そっか…」 よかった…と桂は小さく呟いて、僕の肩に手を置いたまま、俯いた。 「…渉は…嫌…か?」 え? 「俺にこんなこと言われて、迷惑、か?」 「ううんっ、そんなこと、ないよっ」 嫌なんてことも迷惑だなんて事も、これっぽっちもない。 直也と同じで、多分、嬉しいんだと思う。 桂は顔を上げて、心底ホッとしたように、笑った。 「急がないから、ゆっくり考えてくれないか? 俺のこと」 ゆっくり…? 桂、も? 「いつか、渉も俺のことが好きになってくれたらな…って思ってる。そんな日が来るって、信じてる」 演奏してるときの真剣さとはまた違う、引き締まった桂の表情から、僕は何故か目が離せなくなった。 怖いくらいの、瞳なのに。 「なあ、もう一回、抱きしめていいか?」 声までいつもと違って、頭の中まで痺れてしまった僕は、深く考えることなく、曖昧に頷いてしまう。 「渉…」 それは、悲しいくらい切なく響いてきて…。 きゅっと抱きしめられた僕の頬に、桂の頬が触れる。 そして…。 「…やば…」 桂が小さく呟いて、大きく息を吐いた。 「…あぶね…」 桂? 僕を抱きしめていた腕を緩めて少し身体を離し、桂はもう一度息を吐く。 「なんか、このまま離せなくなりそうで、怖い」 それはほとんど独り言のような小さな声だったけど、もちろん僕に返事が出来るはずもなくて…。 「帰ろっか。和真が待ってる」 「…うん」 僕は昨日直也と無言のままあるいた寮までの道を、今日は桂と、やっぱり何も言わずに歩いた。 昨日と同じように、満月に近い月が僕たちの影を道端に落とす。 その夜もまた、僕は眠れないままだった。 2人が冗談でそんなことを言ったんじゃないっていうのは、いくら鈍い僕でもわかる。 でも、どうして僕なのかわからない。 迷惑ばっかりかけて、面倒で、気が回らなくて、何をやっても中途半端で、いいところなんてどこにもないのに、どうして寄りによって2人ともが僕にそんなことを…。 …まさか、2人で競い合ってるだけ…とか? …ううん、直也も桂もそんなんじゃない。 そんなことで、人の気持ちを弄ぶような人間ではないってことは、まだ1年にもならないつき合いだけど、わかってる。 彼らは本当に、優しい。優しくて、強い。 だから、今は本当に『本気』なんだと思う。 でも、『本物』かどうかは僕にはわからない。 もしかして、2人にもわかってないんじゃないだろうか。 ここにいる間だけの『本気』なら、そんなに悩むことないのかもしれない。 でも、僕はそんなに器用じゃない。 望みが0%でも、まだゆうちゃんへの想いを完全に断ち切れていないくらい、諦め悪いし、多分ウジウジした性格だと思うから、絶対引きずる。 ここでの3年間が終わって――ううん、卒業まで持つって言う確証もない――『じゃあね』なんて事になったら、僕はきっと立ち直れない。 それは、相手が直也でも桂でも同じだと思う。 僕は、直也と桂に、どこかに思い人がいたら寂しいなあって思った。 できたら、それが誰なのか知らないでいたいほどに。 そして、『好きだ』と言われて、確かに嬉しかった。 僕の気持ちが、同じ温度かって言われると、それはまだよくわからないけれど、でも、嬉しかったんだ。 抱きしめられた腕の中が、居心地いいと思ってしまうくらいに。 …って、ここまでぐるぐる考えて、大変なことに気がついた。 そう僕は、すでに彼らの気持ちを受け入れる前提で、悩んでるんだ。 でも、『彼ら』…って。 直也も桂も僕が好きだって言う。 でも、僕はここに、ひとりしかいない。 直也に『Yes』と言えば、桂には『No』。 桂に『Yes』と言えば、直也には『No』。 それを僕が決めなくてはいけないってこと? …そんなこと、絶対無理だ。 『ゆっくり考えて』 2人はそういった。 僕はその言葉に縋ることにした。 その『ゆっくり』がいつまでのことなのかはわからない。 僕は、その『いつか』が永遠に来なければいいと、思ってしまった。 そうすれば、直也も桂も、ずっと側にいてくれる。 それは、僕が今まで経験したことのないほど、身勝手極まりない、卑怯な考えだった。 |
END |
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