第7幕「Crystal Snow〜六花の季節」

【2】





 夕方。
 寮食での打ち上げを終えて、僕は帰省の準備中。

 和真は明後日の完全退寮まで残って、閉寮を見届ける翼ちゃんと一緒に帰るんだそう。

 桂は明日の午後の飛行機でオーストリアへ帰省。
 年末年始くらい帰ってきなさいって、由紀おばさまに言われたんだって。

 直也は明日の昼の飛行機で熊本へ帰る。

 僕も本当は、明後日くらいに帰りたかったんだ。

 だって、明日の桐生家は、クリスマスパーティで大勢の人が入れ替わり立ち替わりやってくるから。

 僕はそんなのが大の苦手。

 多分、挨拶だけしたら部屋へ戻ってていいって、グランマは言ってくれると思うんだけど…。

 あ、そうだ。キッチンに入り込んで佳代子さんのお手伝いしてよっと。




「渉」
「お疲れ」

 直也と桂がやってきた。

 終演の直後は、2人ともそれぞれやらなきゃいけないことが多くて、ゆっくり話ができなかったんだ。

「直也も桂も、お疲れさま」

 2人の告白のあと、僕たちは、だからといって何が変わったというわけではない。

 夏頃からと同じ、優しくて甘い台詞や柔らかく触れてくる手にも変わりはない。

 だた、受け取る僕が変わったと言うだけで。

 だって、意識するのとしないのでは、全然受け取り方が変わってしまうのは仕方のないこと。

 かなり恥ずかしくて、いつもドキドキしてしまうんだけど、でも嫌な感じは全然しない。

 それほどまでに、僕は、直也と桂を近い存在として受け入れている。


「渉、さいこーにかっこよかった」

 直也が頭を抱きかかえて撫でてくれる。

「隣で見てて、見惚れちゃったよ」

 桂が僕の頬をつつく。

 こんなじゃれ合いも、今はまだ、心地が良いばかり。

 でも…、やっぱり不安になる。これがいつまで続くんだろうって。

 ずっとこのままでは、ダメ、なのかな…。


「直也も桂も、練習の成果バッチリだったね。僕、すごく合わせやすかったよ」

 2人の感性は、やっぱり超高校級だった。
 プロでさえ手こずる場面でも、揺るぎない自信で堂々と弾ききる。

「そう?」
「嬉しいな、渉にそう言ってもらえると」

 ニコニコしている2人に、僕は聞いてみた。

「ね、2人とも、卒業したらどうするの?」

 2人とも、音楽に進むと勝手に思ってるんだけど。

 少なくとも桂は、お父さんも音楽家だし。

 ただ、直也はお父さんが政治家だから、もしかして継がなきゃいけないんだろうか…とも思ったんだけど。

「僕は一応国立の文系。できれば東大」

 ああ、直也はやっぱり、お父さんの跡を継ぐことを考えてるのかな。

「俺は帰るつもり。あっちで音楽の勉強続けようと思ってる」

 桂は思った通りだった。

 どっちにしろ、2人とも目標をすでに持っていて…。

「渉は?」
「やっぱり向こうへ帰って音楽院か?」

 …何にも決めてないって。

 黙ってしまった僕に、直也がとんでもないことを言いだした。

「一緒に東大、行く?」
「おい、なんで直也と一緒だよ」

 いや、一緒かどうかじゃなくて、なんで僕が東大…。

「やだよ」
「なんで?」
「僕、勉強嫌いだもん」

 それは本当、勉強は好きじゃない。
 今はやらなきゃいけないからやってるけど、好きじゃない。
 何か目的があったら、多分頑張ると思うんだけど、目標もない勉強は絶対無理。


「おい、渉」

 桂が凄んだ。

「な、なにっ?」
「勉強嫌いで、なんで前期期末も後期中間もダントツ一番なんだ?」

 直也にも凄まれた。

「き、嫌いだけどやってるもん」

 だって、森澤先生に『首位奪還!』って言われたし。

 ゆうちゃんにも、『入ったときは一番だったのになあ…』なんて寂しそうに言われちゃったから、これはもう、やるしかないって。

 そんな風にごちゃごちゃ騒いでいるうちに、約束の時間になってしまった。

 グランマが、迎えに来てくれるんだ。
 多分、定演も聴いてたんじゃないかな…。

「じゃあ、僕、行くね」
「ああ、また来年な」

 直也が僕を抱きしめる。

「風邪ひくなよ」

 横から桂に引っ張られてまた抱きしめられる。

 2人とも…温かい…。

「ほんと、今年も最後まで暑苦しかったね、NKコンビ」

 僕の隣で和真が呆れてみてる。

「和真も元気でね」
「うん、渉もね。またメールするよ」
「うん、待ってる」

 いろんなことがあって、今年が終わろうとしている。

 学年末まではまだ3ヶ月。
 その間に僕は、何が出来るんだろう…。
 


                   ☆ .。.:*・゜



 迎えに来てくれたグランマが運転する車の中で、僕はいつの間にかうとうとし始めていた。

「…ゆっくりお休みなさい」

 子守歌のようなグランマの声と、優しく頭を撫でてくれる手。

 身体は疲れ切っていて、休もうとしている。
 でも、頭のどこかが冴え冴えとして、ぐっすりとは眠れない。


『僕は一応国立の文系。できれば東大』
『俺は帰るつもり。あっちで音楽の勉強続けようと思ってる』

 直也と桂の言葉が頭の中をよぎる。

 自分から振っておきながら、この会話で僕は、考えないようにと蓋をしていた不安に向き合う羽目になった。

 直也も桂も、卒業後のことをきちんと考えてる。

 僕は何にも決めてない。日本に残るのか、ドイツへ戻るのか…も。

 どちらにしても、僕たちに残された時間は、あと2年と3ヶ月ほど。

 この『ゆりかご』の時間が過ぎたら、多分、それで、終わる。
 たとえこの2年3ヶ月が『本気』でも。

 僕はますます、何もかもが決められなくなっていく。

『何』が好きで、どうしたいのか。
『誰』が好きで、どうしたいのか。

 こんな自分は、もう、嫌なのに…。


                    ☆★☆


 パパの実家へ帰ってきて、置いていた携帯の電源を入れると、葵ちゃんからのメールが入っていた。


『渉、今日はお疲れ様。
 楽しい演奏だったよ。会わずに帰ってごめんね。
 だって、祐介ってば、騒ぎになるから絶対顔出すなって言うんだもん。
 あ、僕以外に誰が来てたかは、また今度会ったときにね。
 演奏の出来については今さら僕が言うまでもないけれど、ともかく僕は嬉しかった。
 僕たちが精一杯頑張っていたあの頃と同じ熱気の中に、今渉がいるんだと思うと、なんだか泣けてきちゃうくらいだった。
 渉は賢いから、色々考えてしまうこともあると思うけど、今は難しいことは何も考えずに、祐介や大切な仲間たちと過ごす時間を大切にして欲しいなと思ってる。
 音楽でも、他のことでも。
 今、こうだと決めてしまわなくてはいけないことなんて、何にもないから。
 そうそう、浅井のお父さんが、『息子の指揮で孫がコンチェルトをやるなんて、もう思い残すことはない』って泣いてたよ。
 いつも可愛がってくれてるグランパに、お返しができて良かったね。
 また暫く会えないと思うけれど、風邪ひかないようにね。
 Merry Christmas!  Aoi Kiryu 』


 葵ちゃん、喜んでくれたんだ…。

 聞かれたくないなって思ってた気分が霧散して、なんだかホワッと身体が温かくなる。

 葵ちゃんたちも一生懸命頑張ってたんだなあ、あの舞台で。

 でも…。

『今、こうだと決めてしまわなくてはいけないことなんて、何にもないから』

 まるで葵ちゃんに見透かされたような気分になった。

 焦らなくてもいい。
 そう自分に言い聞かせた端から、僕はやっぱり焦ってる。

 考えないようにしても、身体のどこかに刺さってる。
 


                   ☆ .。.:*・゜



 そうして僕は、年末をパパの実家で過ごし、帰ってきた昇くんと直人先生も一緒で楽しい時間になった。
 昇くんは、大晦日だけ本番があっていなかったけど。

 悟くんと葵ちゃんは年越しでコンサートがあるから、定演のすぐあとに、もうアメリカへ向けて飛び立っていた。

 グランパは、毎年ニューイヤーコンサートでものすごく忙しいから、年末年始を一緒に過ごしたことは一度もない。

 その代わり、オフの時期にはいろんな所に連れてってくれるけど。

 そうそう、大晦日に和真からメールが来た。
 アニーの手紙を読んで、ひっくり返ったらしい。

 和真が在校中に必ずもう一度来るから、その時に返事が欲しいって書いてあったそうだ。

 もし、アニーに会うことがあったら、嬉しかったって伝えて…って。

 僕からもアニーに、僕の一番の親友のこと、よく頼んでおかなくっちゃ。




 年が明けてからはママの実家で過ごした。

 ちょうど、ゆうちゃんも帰ってきたんだけど、藤原さんも一緒だった。

 日本にいた幼稚園の頃にはよく遊んでもらってたんだ。

 でも、その後は本当に数えるくらいしか会ったことないんだけど、全然変わらない。 凄く綺麗な人。

 高校時代の写真を葵ちゃんに見せてもらったことがあるんだけど、その頃はどっちかというと、小さくて可愛らしい人だったのに。

 大人になってからなのかなあ。身長も葵ちゃんと同じくらいか、もしかしたら少し高いくらいだし。

 それになにより、優しい。

 引っ込み思案の僕でも、ほんの少しの時間で話が弾んでしまうくらい、気を遣ってくれて。

 そして、同じ家で数日過ごして、僕にもはっきりとわかった。
 2人がどれほど信頼し合ってるかって言うのが。

 こんな恋人同士になれたら、どれだけ幸せなんだろうって思うくらい。

 で、一緒にいて気づいたんだけど、藤原さん、ゆうちゃんのこと、『ゆうちゃん』って呼ぶんだ。

 僕と同じ。でも、なんだかちょっと違う。

 僕の『ゆうちゃん』は名前を呼んでいるだけなんだけど、藤原さんの『ゆうちゃん』は、いろんな色が入ってる気がする。

 上手く説明出来ないけれど、嬉しいとか楽しいとか悲しいとか寂しい…みたいな、いろんな色が。

 なんとなく…だけど、これが『本物』ってことなのかなあって思った。

 こんな風になりたい。でもきっと、すごく難しいことなんだ。

 自分のことも決められない僕に、『本物』を目指すなんて…。


 そうして、2人が学校近くのマンションへ戻る頃には、僕も藤原さんのことを『あーちゃん』って呼ぶようになっていた。

 グランパは『彰久くん』って呼ぶんだけど、グランマもママも『あーちゃん』って呼ぶから。

 そういえば、僕もチビの頃は 『あーちゃん』って呼んでたような気がする。

 あ、ゆうちゃんは『あき』って呼んでる。


 そうそう。
 今年のゴールデンウィークの校内合宿。 フルートの首席次席の個人指導はあーちゃんがやることになったそうだ。

 2年前からスケジュール調整して、やっと実現することになったって、言ってた。

 学校でも会えるなんて、楽しみだなあ。
 あ、直也にはまだ内緒って言われたっけ。



 こうして、日本に来たおかげで今までゆっくり会えなかった人たちと楽しい年末年始を過ごして、僕は少し浮上していた。

 身体の中にぶら下がってる錘は全然軽くはならなくて、少しずつ重みを増してる気がするけれど、それでも僕は、ちょっと元気だった。

 そして、冬休みも終わり、明日入寮って言う日に直也と桂からメールが来た。

『明日、話があるんだけど、何時頃来る?』って。

 2人とも、言葉は違っても内容はほとんど同じで、僕は、2時頃に行くつもりだと返事をした。

 そして、直也からは『3時に練習室8で待ってる』、桂からは『4時に第1合奏室にいるから』と、それぞれ返事が来た。

 2人が示し合わせているのかどうかはわからない。

 でも、ゆっくり考えてと言われてから1ヶ月ちょっと。

 僕には無いも同然の時間だったけど、2人には十分すぎるほどの時間だったんだろう。

 冬休みも終わって、2人が僕に、何かしらの返事を求めてくるのは当然…だと理解はしてる。

 でも…。
 僕は……。


 
END

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