天空神話〜金糸雀
後日談
「真白き花咲く」





 その手紙が悠風と翔凛の元にもたらされたのは、最初の手紙を手にしてからさらに三ヶ月後のことだった。

 やはり巡回警備兵が大切に持ち帰ったそれは、漣基と朱那の二人の筆によるもので、今度は西の砂漠の向こう側からのものだ。


「よかった。無事に砂漠を越えたようだね」

 翔凛の言葉に、悠風も『あそこが一番の難所だからな。まずは一安心だ』と同意をする。

 だが。


「となると、いよいよ国境越えだな」

 翔凛の肩を抱いたまま、手紙を覗き込んでいた悠風の言葉にはやはり不安が滲む。

 悠風は国境はおろか、西の砂漠を越えたこともない。

 すぐ上の兄――前宰相の乱によって命を落とした第二王子――は、一度だけ砂漠を越えたことがあるのだが、三兄弟の中でも最も体力と武力に長けた彼でさえ、相当に過酷だったと悠風に漏らしたくらいなのだ。

 だが、漣基たちの目的はさらにまだ遙かに遠いところにある。


「国境から創雲郷のあったところまではどれくらいかかるんだ?」

 悠風の問いに、翔凛が軽く首を傾ける。


「そうだね…。僕の場合は途中から民が合流して大勢での移動だったからかなり時間がかかったけど、漣基たちは旅慣れてるし、馬での移動だから、途中で何も障害がなければ半年かからずに行けるかもしれない」

「何の障害もなければ…か」


 そう。それが一番問題なのだ。

 恐らく創雲郷周辺の地形がかなり変化しているであろうことは、その後度々もたらされてきた多くの情報で想像がついている。


「うん。それに、都は創雲郷からまだ先だし、その間の道も残ってるかどうかもわからないし…」


 予測がつかない。
 これ以上不安なものはない…が、悠風と翔凛にできることは、この地で一行の無事を祈ることしかない。


「きっと、大丈夫だよ」

 そう囁く悠風に優しく抱き寄せられ、翔凛もまた『そうだね…』と呟くと、その肩にそっと頭を乗せて目を閉じた。





 その後、漣基たちからの便りは途絶えたのだが、いくつか季節が巡った後…。


「悠風! 漣基たちから手紙だよ!」

 王の執務室に駆け込んできた翔凛の頬は紅潮している。

 それだけで悠風にはわかる。
 きっといい便りに違いないと。


 任期を終えて戻ってきた国境警備兵たちによって届けられた便りには、悠風の予想通り、嬉しい知らせが記されていた。


「戻ってきたんだ…」

 まだ国境を越えたばかりで、西の砂漠という難所は残っているが、確かに一行はこの国へ戻って来たのだ。

 四人とも元気だと記されている。

 大きな病気や怪我などはなかったと書かれているそれを見て、『小さな病気や怪我はあったのかなあ…』などと漏らしてしまうあたり、いかに常から一行のことが気がかりであったのか知れようと言うものだ。

 そして、その便りには続きがあった。

 それこそが、翔凛がずっと知りたかったこと。
 九歳で創雲郷を後にしてからおよそ九年。
 思い出さない日はなかった、故国のこと。



『創雲郷と、そして都の辺りを見てきた。本当に何も無かった。人も建物も道も。だが、花が咲いていた。母上と姉上が愛した、とても清楚な真白い花が、都にも郷にも一面に咲いていた。朱那がそこで歌ってくれたんだ。きっと、みな喜んだと思う』



 ほとんど記憶にない母、芙蓉が愛した白い花とは、鈴瑠がいつも母の墓に供えてくれていたものに違いない。

 墓を訪れるたび、鈴瑠は母の思い出を語ってくれた。母が、どれだけ美しく慈愛に満ちた人であったかを。


「翔凛…」

 隣で一緒に便りを読んでいた悠風が、少し震えた肩を、優しく抱き寄せた。



 長い便りの締めくくりには、往路はとにかく目的があったためかなり急いだが、帰り道は竜瑠の街や静泉溜の街を訪ねながらゆっくり戻ってくると書かれていて、翔凛と悠風は安堵の息をつく。
 旅を楽しめる状況になったのだと思うと、それだけで嬉しい。

 いずれにしてもこれから先は国内のことだから、不安はない。
 あるとすれば西の砂漠のことだけだ。
 そこさえ越えてくれれば、すぐにまた、会える。



 ところが。

 一行は本当にゆっくりと戻ってきた。

 恐らく悠風の退位と翔凛の即位が国内外に知らされなければ、まだまだのんびりしていたに違いないと思われるほどに。



 悠風の即位から二年。
 つまり漣基たちが西方への旅に出てから二年が経ち、翔凛が即位することになった。

 翔凛は、せめてあと数年…と悠風の留意につとめたのだが、もとより自分が王座に着くことを本意としていなかった悠風の決意は固く、譲位は行われることになった。

 だが、翔凛のあとに立つべき王太子がなく、そのことが翔凛の気がかりではあったのだが、悠風は『お前が長生きをすればすむことだ』などと言ってあまり真剣には取り合ってくれず、この件は『王国最大の懸案事項』として、この後五年に渡って翔凛を悩ませることになる。




                   ☆ .。.:*・゜




 二年前に悠風の戴冠式が行われた日と同じように晴れ渡った空の下、翔凛の戴冠式が行われた。

 悠風から譲位を受ける翔凛の傍らには漣基が付き添い、その隣には朱那の姿がある。


 二人は一昨日、やっと戻ってきた。

 もちろん梨舜も楊按も無事な姿を見せてくれて、王宮を喜びに包んだ。

 昨日は、戴冠式に差し支えないかとの侍従たちの心配を余所に――それでも侍従たちも心得たものなのだが――一日中旅の話を聞いて過ごし、軽い興奮状態から眠れなくなり、悠風に強引に眠らされてしまう…などという羽目に陥ったのだが、それでも一行の無事帰還は翔凛にとって何よりの即位の祝いになったことには違いない。


 だが、納得のいかないことが一つ。



『漣基さまがお戻りです!』

 一昨日の夜、侍従の先触れに続いて姿を現した漣基。
 相変わらず精悍で、さらに逞しさを増していた。

 そして、付き従う梨舜も楊按も変わらず元気そうで…。

 だが、漣基が手を引いているあの美人はいったい誰?

 すらりと伸びた手足は細くしなやかで、絹糸のような少し長めの髪に縁取られた白磁の肌に絶妙のバランスで整った造形。

 出迎えた侍従や女官たちが声もなく見惚れてしまうほどの美人に、だが悠風は『…ああ!』と得心いったと言わんばかりの声をあげ、『これは凄いな』と小さく呟いた。


『悠風さま! 翔凛さま!』

 美人が満面の笑みで二人の名を呼ぶ。

 こんなに美しい声をもつ人物と言えば、翔凛には一つしか心当たりがない。 いや、二年前の別れ際に泣きながら漣基を引き留める声しか聞いていないのだから、それも不確かではあるのだが。

 それにしても、彼は自分より頭一つ以上小さかったはずだ。


『ただいま戻りました!』

 目の前に立ち、美人が言う。

『お帰り、朱那』

 悠風が笑顔でそう応えた。

『…しゅ、な?』

 やはり、朱那、なのだ。


『…う、嘘っ! どうして朱那の視線が僕と同じなわけっ?!』

 翔凛の焦った声に、広間中が笑いに包まれた。




 その夜。漣基たちの無事帰還を祝い、そして戴冠式の前祝いとばかりに開かれた宴の席は盛大に盛り上がっていたのだが、翔凛に請われて朱那が歌い始めた瞬間に水を打ったような静けさが訪れた。

 華やかな旋律の中に、どこか切なさを漂わせるその歌は、異国の言葉なので詩の意味はよくわからない。

 けれど、朱那の中から溢れ出る優しさが魂の芯まで染み込んでくる。

 大臣や武官、文官たちだけでなく、侍従や女官たちも仕事の手を止めて聴き入る中、ふと隣にいる翔凛の肩が震えたような気がして悠風はそっと伺い見る。

 翔凛は、真っ直ぐに朱那を見つめたまま静かに涙を流していた。




 ――鈴瑠…。

 朱那の歌うそれは、創雲郷で、鈴瑠が小さな声で口ずさんでいたあの歌…だ。


『綺麗な歌だね』
『でしょう?』
『父上にも聞かせてあげようよ』

 そう言うと鈴瑠は、『本当は、歌は苦手なんです』…と、頬を染めて俯いてしまった。


 この平安は永遠だと疑いもなく信じ、故国の未来も、愛する人たちの行く末も知らなかった頃の、優しい思い出…。




 悠風の暖かい掌が翔凛の肩を抱いた。
 何も言わず、ただ、包み込む。

 そんな二人を、漣基は穏やかな瞳で見守っていた。

 そして、愛する朱那に目を転じてみれば、麗しい瞳に困惑の色を浮かべている。
 こちらを真っ直ぐに見たまま涙を零している翔凛に狼狽えているのだろう。

 そんな朱那に、漣基は『大丈夫、続けて』と優しく目で促し、朱那は僅かに頷くと視線を上げ、また一際美しい声で歌い上げる。

 あの、真白き花の下に眠る人々へ、翔凛の想いが届くようにと祈りながら。



                   ☆ .。.:*・゜



 不思議な夢を見た。

 星々が降り注いできそうなほど晴天の夜。
 創雲郷にほど近いと思われる場所で野営をしていた真夜中に、漣基は聞いた。

 激しい雨音の中に在る、恋人たちの言葉を。

『鈴瑠、次の生も、共にあろう』
『はい…。竜翔』

 雨音は更に激しさを増し、全てを足元からさらっていきそうな轟音と共に大地が揺れ、やがて虫の音も聞こえぬほどの静けさが訪れた。


 気がつけば、傍らで眠る朱那を、守るように抱きしめていた。



『信じなさい。そして願うのです。そうすれば、結ばれし魂はまた、必ず巡り会うでしょう』

 それは翔凛から伝え聞いた鈴瑠の言葉。


 鈴瑠と竜翔は信じ、願ったに違いない。
 そしていつか、きっと巡り会う。


「朱那…。生涯を共にあろう」

 腕の中の朱那にそっと囁く。


 誓いの言葉と共に、この魂を結ぼう。
 この生も、次の生も、その次も…永遠に二人が一つでいられるように。


 深い眠りの中で幸せそうに笑む朱那を優しく抱き直し、漣基は満天の星が散りばめられた創雲郷の空に向かって小さく告げた。

「鈴瑠…。朱那に会わせてくれて、ありがとう」






 それからひと月の後、真白き花々に覆われた、かつて都があった大地で、漣基と朱那は誓約を交わした。

 何人にも侵すことのできない、最も神聖なる誓約の場に立ち会うのは梨舜と楊按。そして、この大地に眠る人々。


『生涯を共にあることを誓う』


 花々が一斉に揺れた。二人を祝福するかのように。



「真白き花咲く」
END

漣基さま、無事に脱ショタの巻でした(笑)

天空神話、最後の最後までおつき合いくださいましてありがとうございました。
『すべて完結です』…と申し上げましたが、
『そう言わずにまたエピソードでも』と仰っていただくことが多く、
本当に作者冥利に尽きるとありがたく思っております。

私はおだてられるとすぐにその気になるタイプですので(笑)、
また何か書き始めてしまうかもしれませんが、
その時にはまたおつき合いいただけますと幸いです。

とりあえず、一旦完結ということで、心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

2006.1.25 高遠もも

もうひとつどうぞv























おまけSS
「王さまたちの日常
(おうさまたちの ひにちじょう)

〜翔凛の戴冠から数年後の王国〜




「国王さま、畏れながら…」

「どうした?」

 侍従の声に翔凛が顔を上げる。

「宰相の君さまのお姿が見あたりませぬ」

 そう言えば、宰相を呼びにやったのは今から一刻ほど前の話だ。随分と時間がかかっているではないか。


「どういうことだ」

 国王の執務室。翔凛と重要案件について意見を交わしていた前王・悠風が立ち上がった。

 誰よりも己を律することに長けていて、これ以上なく国事に真摯な現宰相が、周囲の者に何も知らせずに不在になることなど考えられない。


「王宮の至るところ、隈無くお探し申し上げましたが、何処にもおいでではなく…」

 膝を折ったまま、困ったように言う侍従に、翔凛が穏やかな声で訊ねる。

「他に何か心当たりは?」

 やはり翔凛も悠風と考えは同じだ。
 彼が何も告げずにいなくなることなどあり得ない。
 少なくとも『自分の意志』では。


「…それが…」

 翔凛の問いに、侍従が言葉を濁す。

「何かあるのか?」

 密かに視線を泳がせる侍従に、翔凛と悠風が顔を見合わせる。

 もしや。

「…実は、数刻ほど前に漣基さまがお戻りになられましたご様子で……」

 やっぱり。

 朱那が姿をくらませてしまう原因など、他には考えられない。そして、もちろんそれが朱那の意志ではないことも間違いない。


「拉致…だな」

 呟いた悠風に、翔凛も肩を竦めるしかない。

「それしかないね」

「ということは、この件について宰相の意見が聞けるのは少なくとも数日後ということか」

「二ヶ月ぶりだもんね、漣基が戻ってくるの」

「まあ、重要だけれど急ぎではないから、その間にこちらで詰められることは詰めておくとするか」

「そうだね」 

 ここで漣基に文句の一つでも言おうものなら、必ず返ってくるのだ。

『お前たち、朱那を働かせ過ぎだ!』…などと。

 だが仕方ない。心優しく万事に優秀な朱那は、すでにこの国の要なのだから。



「夕餉には二人揃って顔を出すように…と伝えておいて」

「…は、はいっ」

「ああ、もちろん、見つかったら…でいいからな」

 付け足された悠風の言葉に、侍従はホッとした顔を見せ――それほど、この事態の中で二人を掴まえて伝言をするのは困難だと言うことなのだろう――深く一礼をすると執務室を辞した。


「…ま、無事二人を発見できたところで、朱那が夕餉の席に着ける状態だとは思えないけどな」

 言いながら腰を抱いてくる悠風の怪しい手つきを『バチン』と一叩きし、翔凛はこぼれ落ちそうに大きな瞳で悠風を睨みあげた。


「そう言う悠風だって、晩餐の席に僕が出られなくなるようなことしたじゃないか」

「いつ?」

何のことだと言わんばかりに悠風が目を見開く。

「紗柚姫が訪ねてこられたとき!」

 紗柚(さゆ)とは北の王国の第一王女で、彼女の祖母――現皇太后――は、悠風の祖父の妹で、かつてこの国の王女だった人物である。


「ああ、あれはお前がやたらと紗柚に親切にするからだ」

「あのねー」

 紗柚姫は翔凛にとって愛する人の再従妹に当たる人間なのだ。
 しかも彼女の父は北方の国々を束ねる重要な位置にある王で、個人的心情としても、国家的立場からも無下にするわけにはいかない。

 それくらいのこと、当然悠風にはわかっているはず…なのだが。


「だいたい、紗柚が訪ねてきた目的はお前なんだぞ、翔凛」

「嘘ばっかり。之翹王(しぎおう)は悠風の退位に反対されてたじゃないか。紗柚姫を悠風に嫁がせて継嗣ができれば…」

 勢い任せでそこまで言い放ったとき、翔凛の口元は悠風のしなやかな掌に覆われた。視線が間近に迫る。


「確かに最初の目的は私だったかもしれないが、とりあえず、之翹王にとっては自分の娘を嫁がせることさえできたら相手は私でも翔凛でもどっちでもいいんだ。だが少なくとも紗柚はここへ来てお前に一目惚れした。だから…」

 翔凛の瞳が大きく見開かれる。

 ――しまった…。


「ちょっと、悠風」

 見かけからは想像できない、意外にも強い力で口を覆われていた手を振り解き、翔凛が剣呑な声で悠風を呼ぶ。


「一目惚れって…何?」

「…いや、その……」




『悠風兄さま。私、翔凛さまに嫁ぎたいの!』

 翔凛より三つ年下の、近隣諸国の中でも群を抜いて可愛らしいと評判の姫君は、初対面の席で翔凛の笑顔にやられてしまったのだ。

『初めまして、紗柚姫。遠路をようこそ』

 これ以上ないほど優しい声と微笑みでそう言った翔凛は、それこそ悠風でも改めて見惚れてしまうほどのものだったのだが、そもそもそれが気に入らなかった。

 悠風のため、そして自国のために、之翹王の機嫌を損ねるわけにいかない翔凛の心遣いだということは嫌と言うほど理解はしているのだが、それでも気に入らないものは気に入らない。

 案の定、紗柚は翔凛にどっぷりと一目惚れしてしまい、到着した日の夕刻にはすでに悠風に『翔凛に嫁ぎたい』と仲立ちを頼みに来るような状態だったのだ。


 だから、軟禁してしまった。もちろん翔凛を…だ。

 翔凛が起きあがれなくなるほどの無体を働いて寝室に閉じこめ、『ここのところ国事が多忙でね。疲れがでたんだろう』と説明して出来るだけ会わせないようにし、帰国してから父王に『翔凛に嫁ぎたい』などと直訴されてはさらに大事なので、『翔凛には女官の中に思う相手がいて、身分違いの恋に悩んでいるところだから諦めなさい』と、泣き伏す紗柚を嘘八百で言いくるめ――ここで巻き込まれたのは華蘭だったのだが、実際彼女の美貌には説得力があった。婚約中の彼女には気の毒をしたが――どうにかこうにか諦めさせたのだ。


 もちろん、そんな経緯を翔凛は一切知らないし、らしき素振りも悠風は一切見せてこなかったのだが。




「そんなこと、初耳だけど」

 だからあの時、悠風はあんな無茶を自分に仕掛けたのかと、翔凛は漸く悟る。

 いつもはこれ以上ないほど優しく愛してくれる悠風が、人が変わったようにせめてきて、翔凛は一週間近く昼夜の区別がおぼつかないような状態にあったのだ。


「…当たり前だ。お前にそんなこと言えるわけがない」

 観念したのか、少し不機嫌な声色で悠風が応える。


「どうして?」

「どうして…って」

「僕のこと信用してないってことっ?」

「そうじゃない。お前の気持ちをどうこう言ってるんじゃないんだ。あの時のことは相手が悪すぎた」

 そう告げて、翔凛を深く抱き込む。

「北の王家の連中は一本気で、こうと決めたら翻さない。だから、どんな手を使ってでも、お前を守りたかった…」

「悠風…」

「誰にも邪魔をされたくなかったんだ。お前と私の、大切な日々を…」

 折れそうなほど抱きしめられて息が苦しかったが、それでも体中に満ちてくる悠風への愛おしさから、翔凛もまた、ある限りの力でそのしなやかな背中を抱きしめた。

「翔凛…誰にも、渡さない……」


 悠風はそのまま翔凛を抱き上げ、有無を言わさずに私室へと向かった。



                   ☆ .。.:*・゜



「…で?」

 不機嫌丸出しで漣基が問う。

 問われた侍従は可哀相に…小さくなるしかない。


「夕餉には二人揃って出てこいと言っておきながら、当の翔凛と悠風がいないとはどう言うわけだ? あ?」

 そう言う彼が左脇に大切そうに抱えているのは、午過ぎから行方知れずだった宰相の君。

 侍従や女官たちが居並ぶ手前、どうにかして漣基の腕から逃れようともがいているのだが、どうやら足元がおぼつかない様子だ。

 午前中に見せていた溌剌とした可愛らしさはすっかりなりを潜め、今やほんの少し幼さを残しながらも気怠い色気の垂れ流し状態で、目のやり場に困る。


「では、行方不明の国王さまに申し上げておいてくれ。宰相の君は明日から三日間休暇をいただきますとな」

「れ、漣基さまっ?!」

「こら、暴れるな、朱那。明日から楽しい休暇だぞ」

 言いながら、軽い体をひょいと横抱きに抱き直し、暴れる宰相の君をものともせず、漣基は夕餉の席を後にした。

 その後ろ姿は、これでもかと言うほど嬉しげで。


 ――翔凛さまも朱那さまも、どうかご無事で…。


 居合わせた侍従や女官たちが心の中でそう祈るのは、もちろん今回が初めてではない…。


END

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