小さな逸話集


「最強の男?」
〜策士、策に溺れるの巻〜
「戴冠式の夜に…。」の後日談




「え? 采雲の薬?」

「そう。昨夜もらったのを飲ませたら、朝にはすっきり。頭痛もなし」

「あれだけ酔っぱらっていたのにか?」

「凄いでしょ。さすが采雲、国一番の薬師」


 昨夜、三刻以上に渡って行われた翔凛即位の祝宴の席で、その主役が随分いい具合に出来上がっていたのを遠くから見ていた漣基が、翌朝の、やけにすっきりした翔凛の様子を不思議に思い、悠風に尋ねてきたのだ。

「…悠風」

「なに?」

「お前、妙に顔がにやけてないか?」

「…え? そ、そんなことないでしょう」

 咄嗟に『滅相もない』…という顔を取り繕ってみたものの、自分よりも人生経験の豊富な漣基には通用しなかったようだ。

「…何かあったんだろう…」

 ジッと見下ろされて、悠風は言葉に詰まった。

「ええっと…」



                    



「は? 昨夜の薬でございますか?」

「ああ。今夜も祝宴だろう? だからそれに備えてだな…」

「それは構いませんが…」

「あ、そうそう、漣基も欲しいって言ってるから、もう一つ余分に…」

「漣基様がですか? 漣基様は相当お強いはずですよ? 薬の必要は…」

「いや、朱那のためなんだそうだ」


 三日前、二年に渡る長旅を終えて、漣基、梨舜、按陽と共に帰国した朱那は、背も伸びて、それはそれは美人に育っていた。

 しかし、元が小さくて、よもや成年とは思えない外見だったがため、驚くほど成長したとは言っても、漸く翔凛と同じくらいになった…という程度なのだが。 

 その朱那のため…と言われれば、断る理由もなく、采雲は『わかりました』と頷いた。


「では、調合いたしまして、後ほどお届けに参ります」

「すまないな、忙しいのに」

「いえ、とんでもございません」



                     



 采雲の部屋を出て、悠風はホッと一つ、息をついた。

 漣基に昨夜のことを白状させられて、翔凛に黙っていてやるから、自分の分ももらってこいと脅された言われたのだ。

「ほんっとに、漣基も容赦ないんだから」

 あの調子じゃあ今夜大変だな、朱那も可哀相に…なんて、一応思ってはみるが、やはりその顔はにやけていたのだった。



 そして、二日目の祝宴の時がやって来た。

 昨夜同様――いやそれ以上の賑わいで、大広間は活気に溢れている。

 そんな大広間の中央辺りでは、昨夜、翔凛にちょっかいをかけて悠風から特大の釘を刺されていた南の国の王太子が、性懲りもなく、今夜は朱那にちょっかいを掛けている。

 そこへ、当然の如く、颯爽と現れたのは漣基。

 もちろん朱那を救出するためだ。

 しかし、いざ間近に来てみると、少し離れた所から伺っていた時の感じとはちょっとばかり様子が違う。

 なんと、王太子がヘロヘロに酔わされているではないか。


「あ、漣基様。采雲様のお薬をお持ちではないですか?」

 傍らに立った漣基を見上げて朱那が言う。

「あ、ああ、持っているが…」

 何故知っているのだ…と訝しんでみれば。

「采雲様が、漣基様にお薬をお渡してあるので、気持ちが悪くなったら飲みなさいって」

 それはまた、ありがたいと言うべきか、お節介なと言うべきか。

「いただいていいですか?」

「ああ、それはもちろん…」

 朱那のためにもらってきたのだから、もちろん構わないのだが、肝心の朱那にはこれっぽっちも酔った様子がない。

「すみません」

 ニコッと笑って朱那は、包みを受け取ると、『王太子様、お口を開けて下さいねー』と、優しくも可愛らしい声で言って、貴重な薬をあろうことか王太子の口に放り込んだ。

 そして、杯から水を流し込み…。


「はい、ごっくんして下さいねー」

ごっくん

「………く〜く〜く〜」

「…こ、これは…」


 話が違うではないか。

 確か悠風の証言によると、この薬は妖しい方向に効くはずなのだ。

 いや、ここで王太子にとろけられても困るのだが。


「わあ、凄い。さすが采雲様のお薬ですね、速攻だあ」

 喜ぶ朱那の目前で、王太子はあっと言う間に夢の中に落ち、ぱたりと伏せたその身体を、慌てて駆けつけた侍従たちが、すたこらさっさと運んでいった。


「朱那…」

「漣基様、ありがとうございます」

「いや、それはいいんだが、お前は…」

「は? 僕、ですか?」

「かなり飲んでいたと思うんだが…」

 少し距離を置き、しっかりと見張っていたのだ。
 良い頃合いになったら、寝室へとさらって行くために。


「はい! 祝宴のお酒は本当に美味しいですね。それに王宮のお酒はさすがに上等で、嬉しくって、ついついたくさんいただいてしまいました」

 と、にこにこと笑う朱那の傍らには、これでもかという数の酒瓶が…。


「…もしかして、お前…強い…とか?」

 旅の途中でも、一行は滅多に酒の類を口にしなかった。

 それなりに、危険も伴うからだ。

 だから、知らなかったと言えばそれまでなのだが…。


「はい。お酒に弱いなんて、旅芸人としては命取りですから、物心ついた頃から仕込まれていました」

 微笑んで言い切った可愛い朱那に、漣基は『そうだ、この子は見かけによらず逞しいのだった…』と、がっくりと脱力したのだった。



                     



 それから少し後。

 やっぱり今夜も寄ってたかって酔い潰された翔凛を抱えて、悠風がワクワクした面もちで私室に戻って来た。

 もちろん、すべてを心得ている華蘭は、白湯を置いてそっとその場を辞し、柔らかい蝋燭の光に照らされた寝室は二人きりになって…。


「さ、翔凛。今夜もちゃんと薬飲んでおこうな」

「うにゅ〜」

 今夜も可愛い。可愛いからやっぱり口移しで飲ませてやろう。

「ほら、翔凛、あーんして」


『あーん』

『ごっくん』

 …後……。

『ぱたり』

『くーくーくー』


「…え? ちょっと、翔凛?」

 素直に薬を飲んでくれたのはいいが、翔凛は、三つも数えないうちに、悠風の腕の中で、これでもかというくらい平和な顔で寝息を立て始めてしまったではないか。


「…どういうこと…?」

 今夜もあんなことやこんなことやあれやこれやそれやを楽しもうと思っていたのに〜!



                     



 悠風の絶叫がその寝室にこだましていた頃、王宮内で最も美しい庭に面した、質素な設えの、だが居心地の良い部屋――采雲が王宮に滞在している時のために、漣基が王の頃から用意されている――では、静かにお茶を飲みながら、采雲が穏やかな含み笑いを漏らしていた。


 ――翔凛様も、今宵はゆっくりとお休みであろう…。


 若き新王の教育係にして国一番の薬師。

 そして東方天空信仰における最高位の僧、采雲。

 もしかすると――いや、もしかしなくても、この国で最強なのは、彼なのかも知れない。


ちゃんちゃん♪



2008年発行 同人誌御予約お礼小説
2013.10.12 サイトUP