小さな逸話集


「新宰相誕生秘話」
〜朱那、罠にはまる?〜




 俺の名は李鳳(りほう)。十八歳の新米武官だ。

 十五で成年して、すぐに王宮内の武術訓練所に入った。 

 そして二年の訓練を経て十七歳で無事武官に任ぜられ、一年の間、さらに実践を兼ねた訓練を積むために静泉瑠の街に駐留し、この後も数年は各地を転任するはず…だったのだが、つい先日、都から帰還命令が来た。

 王宮の配属になったからだ。

 たった一年で王宮に戻れることは滅多にない。

 けれど、俺の場合、一番上の兄上が――梨舜というのだけれど――漣基様付きの上級武官なので、そのおかげで戻ってこれたってわけだ。

 ただし、単純に幸運を喜ぶわけにはいかないようなんだ。

 兄上には何かお考えがあるようで…。

 ともかく俺は、都へ戻るべく赴任先を出立したのだが、その頃王宮内で一騒動起こっていたなんて、その時の俺には知る由もなかった。



                    
  


 漣基様が、旅芸人だった 僕を王宮に引き取って下さったのが十五の時。

 それからほどなく、僕は漣基様にお願いして、旅のお供をさせていただき、二年を過ごし、翔凛様の戴冠式の時に戻ってから二年が経った。

 僕は先日十九になり、今では王宮内で各省の大臣方のお手伝いをしながら日々を過ごしている。

 大臣方の中には、『気むずかしい』と、他の大臣方から煙たがれる方もいらっしゃるけれど、僕にはどの方もお優しくて、僕はたくさんのことを学び、ほんの少しだけれど、翔凛様のお手伝いもさせていただけるようになってきた。

 漣基様は相変わらず国中を飛び回っておられて、王宮をお空けになることも多々あるけれど、遠くへのお出かけは年に一度。

 あとは長くても十日から二十日くらいのお出かけで、お帰りになった時はその倍以上の時間を僕と過ごして下さる。

 その時にはたくさん愛していただいて、僕は信じられないくらい幸せな日々を過ごしているんだ。

 本当に、こんなに幸せでいいのかな…って思うくらい。


 そんな風に、ぬるま湯の幸せに浸かっていた僕に、ある日、雷が落ちたような衝撃がやって来た。



 その日は朝から快晴。

 ここ暫く曇りや雨が続いていたから、久しぶりの晴天に、僕はうーんと伸びをして、今日も頑張ろうと私室を出たんだけれど、そこでばったり出会ったのは悠風様だった。


「やあ、朱那。おはよう」

「おはようございます、悠風様!今日はいいお天気ですね」

 言うと、悠風様は茶目っ気たっぷりに肩を竦ませられた。

「久しぶりの晴天に女官たちが張り切っていてね。早々に寝室を追い出されたよ」

 なるほど。お掃除とかお洗濯とかあるからなあ。

「それは大変でしたね」

「だろう? 翔凛もさっさと追い出されて、今日はいつもより半刻も早く執務に入ったよ」

 それはまた…。華蘭さんたちも、容赦ないんだから。

「ところで朱那。朝餉は済んだか?」

「はい、済みましたが」

「では、すまないがちょっと同行してくれ」

 悠風様は柔らかくそう言って、僕の肩を抱いて歩き始めた。
 
 もしかして、待っていて下さったんだろうか。

 漣基様ほどではないけれど、悠風様もお背が高い。

 翔凛様と僕は同じくらいで、漣基様と悠風様を見上げているような状態なので、翔凛様はいつも『ちょっと悔しいよね』なんて仰る。

 そんなご様子もお可愛らしいのだけど。


「あの、どちらへ?」

「翔凛が呼んでいるんだ」

「えっ?」

 驚いた。翔凛様のお呼びということはよくあるけれど、もしかしてわざわざ悠風様がお迎えに来て下さったということは、大切なご用?

 僕が急に背筋を伸ばすと、悠風様は、『緊張することはないよ』と笑って下さった。


 そして、悠風様に伴われてお訪ねした翔凛様の執務室。

 やっぱり何だか緊張している僕に、翔凛様はにっこり笑って、『おはよう。今日はいい天気だね』と仰った後、同じような口調で仰った。

「朱那に、宰相就任をお願いしたい」

「…は?」

 母国語なのによくわからなくて、思わず間抜けな返事をしてしまった。

 でも、よく考えてもなんの事だかさっぱりわからなくて。

「あの」

「ん?」

「申しわけありません。よくわからなかったんですが…」

 正直にそう言うと、悠風様が吹き出され、翔凛様は大笑いなさった。

 あああ、大失態だ…。
 と、僕が頭を抱えそうになった時。


「朱那。君に、この国の宰相になって欲しいんだよ」

 最小? 一番小さいってこと?
 え、でも翔凛様の方がお可愛いらしいのに。
 あ、でも翔凛様は国王様だから一番小さいってわけには…。


「この二年、君の働きや、学んで来たことをずっと見てきた。その上で、君になら任せられると確信してのことだ。大臣たちも全員異論はないと言っている」

「異論どころか、ぜひ朱那に…ってみんな言ってるからな」

 僕の目の前で、翔凛様と悠風様が、うんうんと嬉しそうに頷きあっておられて、それはもう仲睦まじいご様子で…。


「で、どうかな? 朱那」

 ええと。

「あ、あの、さいしょう…って」

 もしかして、最小じゃなくて、宰相?

「宰相というのは、王を補佐し、大臣を束ねて政を行う者のことだ」

 あああ、やっぱり〜。
 …いや、やっぱりじゃなくてっ。

「とんでもありませんっ」

 僕みたいなのが、そんな大それた事をできるわけがないじゃないですかっ。

「ぼ、僕はまだ、たったの十九ですっ」

 違う違う、そんなことが言いたいんじゃなくてっ。

「僕は十五の歳に宰相になったよ」

「そ、それは翔凛様にその才がお有りになったからですっ」

「朱那にもあると言ってるんだけど」

「ありませんっ」

「あはは、そんなにきっぱり否定しなくても」

 あははじゃないですっ。

 第一、これは才があるとかないとかの問題じゃない。


「僕は、生まれも親もわからない、低い身分の出です。たまたま漣基様に拾っていただいたおかげで今のような暮らしをさせていただいておりますが、そもそも王宮などに上がれる身分では…」

「朱那」

 翔凛様が、少しきつい口調で僕の言葉を遮られた。

「確かに、僕も悠風も…漣基も、統治する側の家系に生まれた人間だ。でも、たとえそう言う家に生まれた人間でも、その力と心構えがなければ上に立つべきではないと思っているし、逆に、生まれや身分に関わらず、才や力のある人間は登用すべきと思っている」

 …それはわかります。

「でも…っ」

「いい? 朱那。国を治めるに相応しいのは、その時々の国情をもっとも理解し、的確に対処できる人間なんだ。僕だって、今は精一杯がんばっているけれど、もしその努力が及ばなくなったら、即座に王位を降りるつもりでいる。必要なのは、生まれでも育ちでもない。才と心と努力だ」

 翔凛様が立ち上がられて、ゆっくりと僕に近づいて来られた。

 そして僕の両肩に手を置き、にっこりと――惚れ惚れするような愛らしい笑顔で必殺の一撃を落とされた。

「君ならできる」

 この大きな国の大変なお役目を、このちっぽけな僕が?

「だからね、朱那。頼むよ」

 まさか。とんでもない。絶対無理。あり得ない。

「翔凛様…」

「ん?」

「お許し下さいっ」

 僕は膝も折らずに、後ろも見ずに、駆けだした。



                    
 


「しかし朱那も頑固だねー」

「まあ、わかっていたけれどな」

 一発で承諾するはずはないと思っていたけれど、ああまで頑ななのは計算外で、これは説得にかなりかかるなと、知らずため息が漏れる。

 しかし、宰相の座はすでに半年も空いている。

 翔凛の後に宰相に就いた式展省大臣の陽明が、半年前に病で職を辞したからだ。

 そもそも陽明自身、『朱那を宰相に育てたい』という翔凛と悠風の考えに賛同して、それまでの間、繋ぎとして頑張ってくれていたのだが、さすがに病には勝てず、やむなくの辞職だった。

 そして、その後の朱那はと言えば、『できません。あり得ません』の一点張り。

「こうなったら最後の手段かなあ」

 翔凛の瞳が鋭く光る。

「…まさか、やるのか?」

 悠風が声を潜めた。

「仕方ないじゃない。僕の性には合わないけど、優しい朱那には堪えると思うしね」

「オニ…と言いたいところだけれど、国のためだ、仕方ない。華蘭を呼んで準備を頼もう」

「うん、お願い」

「了解」

 翔凛の額に小さく口づけを落とし、悠風は華蘭を呼んだ。



                    



「悠風!」

 呼びかけられて、悠風が執務机から顔を上げる。

「あ、漣基。お帰りなさい、いつ?」

「たった今だ。それより、大臣たちから使者が来たんだが、翔凛が籠城を決行したらしいな」

「まあね」

 そののんびりした口調に、漣基の眉が上がる。

「まあね…とはどういうことだ。朱那の問題がこじれてのことだろう?」

 漣基には逐一報告の文を送っていた。

 もちろん朱那を宰相に…という話も、漣基も承知の上の話だったのだが、その件は朱那には言っていないし、朱那が漣基に相談したりすることはないだろうとも思っていた。

 とにかく朱那は、漣基に心配をかけまいと、そればかりを思っているから。


「確かに籠もってはいるけれど、朱那が思ってるような『食断ち、不眠』の籠城じゃないよ。中には水も食料も完備されてて、ちゃんと食べてるし、眠ってる。それに華蘭と侍従が三人ついているから心配なし」

「では…」

「当たり前じゃない。一国の王が、そう簡単に身体を弱らせるわけにいかないでしょうが。本気で断食なんてやって、弱ってるところを他国に攻め込まれたりしたらどうするんだよ。翔凛はこの国の最高責任者なんだから、健康維持も大切なお務めの一つでしょ?」

「それは正論だが…。だがそれでは朱那の気持ちが…」

 朱那は、心を痛めているのだ。
 自分の所為で、翔凛が籠もってしまい、辛い日々を送る羽目になったのだと。

 もちろん、翔凛と悠風の思惑はそこにあるのだが。


「大丈夫。ちゃんと寝て、ちゃんと食べてるけど、翔凛はずっと、天空様に朱那のご加護を願う祈祷文を書いているんだから」

「朱那のご加護を…」

「そういうこと。それより漣基」

「なんだ」

「暫く朱那の側にいてあげてくれない? 朱那、今すごく揺れてるから」

 悠風の言葉に、漣基は口を引き結び、頷いた。



                    



 朱那は、漣基の顔を見るなり泣き出した。

『翔凛様が』『僕の所為で』…と、嗚咽の中で必死に言葉を繋ごうとする様子に、堪らず抱きしめた。

 そして、膝に乗せて、あやすように肩を優しく叩くこと一刻あまり。

 漸く落ち着いたのか、朱那がぽつり、ぽつりと話しはじめた。
 もちろん、漣基が水を向けてのことなのだが。


「翔凛様が仰いました。必要なのは、才と心と努力だって」

「…そうだな」

「心は…あります。僕はこの国が大好きで、この国のためのお手伝いならどんなことでもできます。努力も…厭いません。でも…」

 見上げる瞳は悲しそうで。

「僕には一番大切なものがありません」

「才…か?」

「はい」

 即答する朱那に、漣基は小さく笑いを漏らす。

 才に溢れていると周囲の誰もが認めているのに、本人だけはその自覚がないなんて。

 まあ、朱那らしいと言えばそれまでだが。


「朱那」

「はい」

「私は数年間この国を治めてきたが、私に才はあると思うか?」

「もちろんですっ」

 嬉しいほどの即答だ。

「漣基様は、才も心も努力も見事に併せ持たれていますっ」

 こうまで真っ直ぐに誉められると少々くすぐったいが。

「では、こう言うのはどうだ?」

「はい?」

「朱那の言うとおり、私には才と心と努力があるとしよう。そして、朱那にはそのうちの才が欠けているというのなら、私が側にいて、才を補う。それでどうだ?」

 朱那は目を丸くした。

「そ、それはダメです」

「どうして」

「漣基様のお手を煩わせなくてはいけないようでは、宰相などと言う重責はつとまりません」

「ならば一人でやってみるか?」

「どうしてそう言うお話になるんですかっ」

 丸くしていた目を尖らせる朱那をまたあやすように抱きしめ直し、漣基は静かに語りはじめた。

「朱那。完璧な人間などどこにもいない。翔凛だって、たった一人で政を行っているわけではないだろう? 悠風がいて、大臣たちや文官がいて翔凛を助け、武官が守り、侍従や女官が世話をしてくれるから、その責に専念できている。私の時だってそうだったし、悠風もまた然り…だ」

 朱那が俯く。

「そして、王宮は民が支えてくれている。だから、王は全力で民を守る。そうして国は成り立っている。わかるな、朱那」

「…はい、わかります」

「誰も、今の朱那に完全を求めてなどいない。足りない分は、周りの助けを得て学べば良い」

 しかし朱那はやはり悲しそうに呟くばかり。

「けれど今の僕では、いくらみなさまのお助けをいただいても、とても及びません」

「そんなことはない。私は十分だと思うが?」

「そ、それは漣基様の…」

「私の?」

 朱那は頬を染めてさらに俯いてしまった。

「惚れた欲目…か?」

「れ、漣基様っ」

 見上げてきた顔をすかさず捉え、深く口づける。

「…ん…っ」 

 小さく上がる甘い息に、一気に身体が熱くなったが、まだ大切なことを言っていない。愛し合うのはその後だ。

「心配するな。たとえ周りが何も言ってくれなくなっても、私だけはいつも、必ず本当の事を言ってやるから」

「漣基様…」

「駄目だと思ったらちゃんとそう教えてやる。道を違えれば正してやる。だから、安心して進めば良い」

「…れんきさま…」

「明日、翔凛に会いに行こう…。な?」

「……はい」

「いい子だ、朱那」

 そのまま唇を塞ぎ、抱き上げて寝台へ運ぶ。

 初めて抱いた頃には抱き潰してしまいそうなほど小さかった朱那の身体も、その後しなやかに成長していったが、やはり今でも華奢で小振りなことには変わりなく、こうして抱き上げて運ぶにも、重さを感じないほどだ。

 横たえると、朱那の唇からも熱い吐息が漏れた。

 衣の裾から手を差し入れ、そっとまさぐると細い身体が小さく跳ねる。
 
 それを押さえるように乗り上げて、唇を解かないまま、衣を剥いでいく。

 現れた、白く滑らかな肌に触れると、いつも心が解放されたような気分になる。

 慣れているとは言え、広い国土を巡る日々は緊張の連続。

 だが、その緊張感あってこその無事の帰還であり、それが己の責務だと思っている。

 この国土を、翔凛や悠風に代わり、隈無く検分し、正しき方向へ導くこと。そして、随行する者たちの安全を守ること。

 遙か西方の故国で、最後まで果たせなかったことを…。




「朱那…」

 愛しているよと耳元に埋め込めば、小さな声で『僕も…』と、返ってくる。

 この声に、仕草に、心根に、癒されているのだと心底思う。

 そして、柔らかい朱那の身体は、いつでも暖かく漣基の全てを受け入れてくれる。


「大丈夫?」

 問いに、こくんと頷くのを確かめて、できるだけそっと身体を繋ぐと、細い喉から艶を帯びた声が漏れた。

 もっと聞きたくて、少しずつ動きを大きくしていくと、強くなる刺激に絶えかねたのか、細い腕がきつくしがみついてきて、それが愛おしくてさらに追いつめてしまう。

 追い上げられて、柔らかかった朱那の身体がしなり、締め付けが強くなってくると頂点は間近。

 だが…。


「…ゃ…ぁ…」

 逸らすように動きを緩めると、朱那が頭を振って涙を飛び散らせた。

「まだ駄目だよ、朱那」

 いけない大人は妖しく笑ってその細い肢体を抱きしめ直す。

「二十日ぶりなんだから、もう少しがんばってくれ」

 一瞬、朱那の身体がぎくりと震えたような気がしたが、気付かなかった振りで、漣基はその愛おしい存在をまたゆるゆると追い上げ始めた。

 甥っ子が籠城中なのも、すっかり忘れて。



                    
 


「ほんっと、一時はどうなることかと思ったよ」

 朱那の逡巡は想像より激しく、三日で折れるだろうと思っていたのに、予想より二日も籠城が伸びた。

 実は、最後の一日は漣基の所為で朱那が失神同然だったからなのだが。


「まあね」

「まあねじゃないよ。いくら僕の好きな食べ物ばかり揃えてもらってたところで一歩も外に出られないし、窓も閉じたきり。もう、窒息して死ぬかと思った」

「いや、なかなか色っぽくてよかったけど」

 五日ぶりに出てきた翔凛は、食事も睡眠も足りているはずなのに何故か妙に面やつれしていて――おそらく『お日様大好きっ子』なのに五日も陽に当たれなかった所為だろう――その妖しい色気につい、そのまま逆戻りで寝室へ連れ込みそうになったのだが、朱那との面会が先だと諦めたのだ。泣く泣く。


「あ?」

 じろりと下から見上げられ、悠風は明後日の方向に視線を逃す。

「まあ、何はともあれ、承諾してくれたんだ。よかったじゃないか」

 ともかくそれが目的だったのだから、この企みは大成功というわけだ。

「でもさ、結局漣基が説得したようなものじゃないか。なんか、籠もり損って気がする」

「そんなことないよ。仮にも一国の王を五日も籠城させたんだから、いつか朱那にも、自分にはその価値があったんだと気付く時が来るよ」

「そうあって欲しいけどね」

「大丈夫だよ。それより宰相就任式の日取りを決めないと」

「あ、そうだね。急がないと!」



                    



 兄上が俺を王宮に呼び戻したわけがわかった。

 俺はなんと、新宰相様付きの武官に任ぜられたんだ。

 武官になって二年目。ありえない破格の出世だ。

 それだけでもひっくり返るほど驚くべきことなんだけど、さらに俺が胸をときめかせたのは、その新宰相様が、憧れの朱那様だったってところだ。

 今まで遠くからそのお姿を拝することしかできなかったけれど、これからはお側近くにお仕えできるってことだ。

 こんな幸せ、あるだろうか?

 兄上から聞いたところによると、身寄りがいらっしゃらない朱那様は、御年十五の時に漣基様が王宮にお引き取りになられた。

 その後、二年に渡る漣基様の旅に、兄上、陽按殿と共に随行されてご帰国。

 さらに二年のご教育期間を経て宰相になられることとなった。

 御年十九。
 才色兼備の若き新宰相様のご就任内定が公にされて、国中が祝賀一色になっている。

 そんな折り、俺は兄上に呼ばれた。


「いいか李鳳。朱那様付きの武官は六名。わかっていると思うがお前が一番下っ端だ」

「そ、そんなことわかっています」

「ついでに言っておくが、お前以外はすべて上級武官。しかも漣基様が直々に選ばれた精鋭揃いだ」

「…えっ?」

 上級武官になろうと思えば、少なくとも勤続十年以上。

 しかも、特段の功績があって、三名以上の大臣の推薦がないとなれないという厳しいもの。

 しかも今回の人選は漣基様直々。

 つまり俺は、雲の上のような上司五人に囲まれて仕事をするって事…だよな。

 ど、どうしよう…。務まるのか? 俺に。

 おろおろする俺に、兄上は淡々と続けた。

「これから公の重責を担われる朱那様だが、まだお若く、お心優しい方であられるので、日々の私的な事柄をご相談になれる相手が必要だろうと思われる。だが、朱那様にはお年の近いご友人がいらっしゃらない」

 …なるほど。公の部分を支える人は多くても…ってことだな。

「というわけで、お前が選ばれた。むろん、漣基様のご推薦あってのことだ」

 えっ。ここで俺の登場? 
 
 漣基様のご推薦ってことは、つまり、兄上の今までの働きのおかげということ…だよなあ。
 しかも俺、武官とは名ばかり…ってこと?

 心の内が顔に出たのだろう。兄上は俺の額を小突いて笑った。

「たった二年目の新米武官に誰が期待などするものか。悔しかったら鍛錬を積んで、一日も早く、武官としても認められるようになることだな」

「…はい」

 悔しい。でも嬉しい。でも悔しいから、とにかく俺は頑張ることに決めた。




 そうして、就任式を十日後に控えた朱那様のお側に上がって三日目。

 俺は衝撃の事実を知った。

 憧れの朱那様に、恋人がいたなんて、天地がひっくり返るほど……がっくりきた。

 でもそれが漣基様だとわかった時には、やっぱり嬉しかった。

 他の方だったらきっと俺はずっとこのやるせない気持ちを引きずっていたかもしれないけれど、他でもない、相手が救国の英雄・漣基様なんだもんな。

 許せるって言うと、畏れ多いんだけど、そんな気持ちだろう。
 だって俺、兄上の次に漣基様を尊敬してるからな。

 あ、でも国王様も、前王の悠風様ももちろん尊敬してる。

 そうそう、国王様側近の芳英様も尊敬してる。

 あの方はこの国のすべての武官の憧れの人なんだ。

 先の内乱以来、空位となっている将軍位を芳英様に…という話になった時、芳英様が『人生最後の日まで翔凛様のお側仕えでいたい』と仰せになってお断りになったと聞き、俺たちはみな、まさに武官の鑑…と、感動してしまった。

 本当に俺、この国のこの時代に生まれて、幸せだ。

 でも…。今はいいけれど、この国の将来はどんな風になっていくんだろう。どなたが跡を継ぐんだろう。

 翔凛様は王妃様を娶られないと聞いた。

 本当の理由はわからないけれど、市井のうわさ話では、翔凛様が漣基様同様、他国のご出身であられるから…だとか。

 つまり、次代の王にはまたこの国の人間をお立てになるつもりではないか…ということだ。
 漣基様が、悠風様に譲位されたのと同じように。

 でも俺は、その話は表向きの理由じゃないかと思っている。
 翔凛様には、どなたか思っておられる方があるに違いない。

 それがどなたなのか、俺にはさっぱりわからないけれど。
 


                    


 
 翔凛様の御代になって五年。
 俺が朱那様のお側にお仕えするようになって三年が過ぎた。

 最初の頃はお互いに慣れなくてぎこちなかったんだけど、今ではもう、朱那様は俺を大層頼りにして下さって、『李鳳は僕の一番の親友だよ』なんて、涙が出るほど嬉しいお言葉を下さるんだ。

 俺は、この先何があっても生涯朱那様にお仕えしようと決めた。

 がんばって上級武官になって、文官の勉強もして、いつか朱那様の第一の側近になってみせる。

 兄上が、漣基様にとって、そうであるように。

 そうそう。朱那様のお側に上がってから半年ほど経った時、俺はあることに気がついた。

 それは、翔凛様の『お相手』のことだ。

 俺はてっきり、女官の誰かじゃないか…なんて思ってたんだけど、大間違いだったようだ。

 翔凛様の思い人は、多分、悠風様。
 いや、多分じゃなくて絶対だろう。多分。

 翔凛様はどうやら隠していらっしゃるおつもりのようなんだが、如何せん、悠風様にその気はない。

 はっきり言って愛情垂れ流し状態で、あんなに暑苦しく愛されて翔凛様は大丈夫なんだろうか…って気がする。

 まあ、それもこれも、お側近くに上がったからわかることではあるけれど。

 ともかく、王宮はいつも優しい雰囲気に満ちていて、俺は、改めてこの仕事に就けたことに感謝した。




 そうして毎日を忙しく送っていたある春の日。

 一年と少し前に、翔凛様ご臨席の下、婚礼の式を上げた兄上と義姉上に赤子ができた。

 俺の初めての甥っ子の誕生だ。

 義姉上は翔凛様付きの女官で、名は華蘭という。

 漣基様の退位と悠風様即位の折、ちょっとした騒動に巻き込まれた義姉上を、兄上が助けたことから恋仲になり、その後、二年に及んだ漣基様の旅の間も、兄上を待ち続けてくれた、強くて優しくて美しい人だ。

 将来は柳蘭様の跡を継いで女官長になることが内定しているのだが、今は子育てに専念して欲しいという翔凛様のお心遣いで、御前を辞している。

 とは言っても、住まいは王宮内にあるから、寂しくなくていい…と、俺も思ってるけど、翔凛様も同様に思っていらっしゃるご様子だ。

 もちろん初子の誕生に兄上や義姉上の喜びは大きくて、さらに漣基様や朱那様、悠風様も大層喜んで下さって、俺も凄く嬉しく、誇らしかった。

 でも、一番喜ばれたのは翔凛様だったかも知れない。

 まさに、『目に入れても痛くない』ほどの可愛がりようで、赤子の命名の折にはなんとそのご芳名より一文字賜ったのだ。

 名は、李翔(りしょう)。

 兄上に似て元気で、義姉上に似て大層綺麗な男の子だ。


 でも、この時の俺に、まさかこの李翔が十年後立太子し、翔凛様の次の世を治めることになろうとは、思いもつかないことだった。


                      
おわり


2008年発行 同人誌掲載作
2013.10.19 サイトUP