天空神話
番外:現世編
『凛 風 恋 話』
物心がついたときには、もう僕の側には悠史(はるふみ)がいた。 それよりも、悠史が僕の側にいない…と言う記憶の方がそもそも、ない。 それくらい、僕たちはいつも一緒にいた。 たった1日違いで同じ病院に生まれ落ち、新生児室では隣同士のベビーベッドに寝かされて、おまけに母さんたちが4人部屋の病室で意気投合してしまったものだから、僕たちはこの世に生を受けたその日から『オトモダチ』だったんだ。 僕たちの家は自転車で軽く行き来の出来る距離。 『親友』となってしまった母さんたちは僕たちを同じ幼稚園に入れた。 ――ぼく、おとなになったら、しょうまとケッコンするんだ! そんな悠史の、チビならではの戯れ言も、母さんたちには『ほんと、仲良くていいわね〜』なんて無責任に受けるばかりで、僕だって『ケッコン』の意味なんて知らなかったから、無邪気に『うん、ぼくも、はるふみとケッコンする〜』なんて言ってたけど、もちろん『ケッコン』の正しい意味を知ってからはそんなこと言ってない。 悠史はいつまでもその『冗談』を繰り返し使っていたけれど。 その後、学区が同じだから、当然同じ小学校に上がり、中学もずっと一緒。 悠史はずっと僕の側にいて、二人で一緒にたくさんの経験をしながら大きくなり、誰よりも僕のことをわかってくれる無二の親友になった。 そして、最初の岐路になるはずだった高校受験も結局僕たちは同じ学校を選び、進学した。 なんの不思議もなく、悠史が側にいて当たり前だった毎日に変化が起きたのはいつの頃だったろうか? 中学の後半。 高校進学を真剣に考えなくてはいけなくなった頃だろうか。 僕は小学校の後半からすでに『遺跡』だとか『発掘』だとかいう言葉に興味をもち、特にK大の阪本教授が発見して一躍有名になった大陸の遺跡には、親でさえ呆れるほどの関心を示していた。 そして、教授の著書の冒頭にあった、『高山病になるほどの高地ではないと言うのに、何故か何処よりも天に近いような気がするあの場所は…』という文章に心を掴まれて、いつか絶対に行ってみたいと願うようになり、考古学を志した 悠史はと言うと、何故か――どこにきっかけがあったのか、ずっと一緒にいたにも関わらず僕には未だにわからないけれど――薬草だとかハーブだとか、とにかく効能を持つ植物に興味を持ち、それこそ親も首を傾げる傾倒ぶりだった。 こうして早くから将来の希望をそれぞれ胸に抱いていた僕たちは、当然大学進学を視野に入れて高校選びをした。 僕はK大文学部の考古学研究室を目指すため、文系の受験に向いた進学校を。 そして悠史は…。 本来ならば薬学部を目指すために、それに見合った進学校を選ぶべきなのに、悠史は何故か、僕と同じ高校へ行くと言いだしたんだ。 当然周囲は驚き、中学の担任などは、何度も悠史の家に足を運んで説得を繰り返した。 いくら同じ国立大とは言っても、理系を目指すならそれなりの準備があるんだから…と。 けれど、悠史はガンとして聞き入れなかった。 そして、親や先生と同じように…ううん、それ以上に心配している僕に向かって言ったんだ。 『基礎学力に関してはどこへ行っても同じだろう? そこから先は、自分の努力だから、みんなに心配してもらうことなんてない。それよりも……』 その先の言葉は、とてもじゃないけれど、親や先生には言えないものだった。 『それよりも……翔真と離れたくないんだ…』 その言葉を、僕は最初、どう受け止めていいのかわからなかった。 確かに悠史は、誰よりも近い、最も大切な親友で、それはもちろんこれからも変わりない。 だから、たとえ学校が離れたとしても、そんなことで僕らの友情が薄らいでしまうなんて事、全然考えられなかった。 むしろ、その程度のことで僕らの仲が希薄になってしまうなんて、そんな風に思う悠史の方が間違っているとすら思ったんだ。 けれど悠史は『離れていたくない』を繰り返すばかりで、とうとう自分の意志を通した。 結局僕らは同じ高校へ進学したんだ。 そして僕は、それを『単なる悠史の我が儘』として処理し、相変わらず『今まで通り』の『いつも一緒』の生活が続くと思っていたんだけれど…。 悠史は高校に入ってから少しずつ変わっていった。 それまでも、僕たちはべったり一緒だったんだけれど、高校になって、お互いの……というか、僕の行動範囲が広がり、交際範囲が広がるに連れ、悠史の行動範囲はむしろ狭くなっていった。 いつも僕の側にいる。 それは、クラスメイトたちに『お前っていつも保護者付きだよな』って笑われるくらいあからさまなもので…。 悠史は背が高くて見栄えもいいから、女子たちからも注目の的で、下校途中で待ち伏せされてコクられるなんてこともしょっちゅうだったけど、そんなのもすべて鮮やかに無視をして、先に行く僕を追いかけてくる。 誰だって、そんな状況は変だと思うはずだ。 そりゃあ僕だって、悠史に彼女が出来て僕から離れていくとしたら、ちょっと…いや、かなり寂しい思いをするとは思うんだけれど、でも、今まで一緒にいられたからって、これからもずっと一緒にいるわけにはいかないんだから。 子供だった僕たちも、いずれは大人になってそれぞれの道を行かなくちゃいけないんだから。 でも、友情だけはそのままずっと大切に守っていける。 そう思った僕は、悠史の目を覚まさせようとした。 僕への度を超えた干渉と過保護。 それらを何とかしないと、僕たちに『健全なこれから』は訪れない。 そう思いこんで。 それから僕は、教室の出入り口で待っている悠史の姿を見つけると、窓から飛び出して置き去りにして帰ったり、悪友たちと寄り道してわざと下校ルートを変えたり…。 けれど、悠史はそんな日には、例え夜遅くなっても必ず僕の家に現れて、言った。 『離れていたくないんだ』…と。 そしてその言葉が重ねられていくに従い、悠史のスキンシップは過剰になっていった。 ことあるごとに僕に触れようとする。 最初は偶然のようだった指先の触れ合いが、いつの間にか肩を抱かれるようになり、そのうちに足や腰にも悠史の掌は伸びてきた。 気配にふと顔を上げてみれば、あいつの息が頬に触れそうなほど近くにあったり…。 こんなの『友達』じゃない。 『親友同士』がやることじゃない。 いつしか僕は、悠史の行動に恐れを感じるようになり、逃げた。 逃げきれる先はどこにもなかったけれど、それでも毎日逃げた。 どうしてあいつがこんなにも僕一人に執着するのか。 触れてくるあの手はいったいなんなのか。 その意味がわからなくて、ただ、怖かった。 そうして高校生活も2年が過ぎ、3年になって生活のすべてが大学受験に向けて切り替わってもなお、悠史の執着と僕の恐れは変わらなくて、僕の抱くストレスはやがて、僕の生活そのものに影を落とし始め、僕はついに…爆発した。 いつものように逃げ込んだ僕の部屋。 けれど悠史はやっぱりすぐに追いついてきて、いつもと同じように『離れていたくないんだ』と繰り返した。 そんな悠史に、僕は手当たり次第に物を投げ、思いつく限りの悪態をついたんだ。 『離れていたくない』って何なんだよ。 どうして僕にこだわるんだよ。 僕に何をしろって言うんだよ。 けれど、疲れ果てて僕の身体が崩れ落ちるまで悠史は、飛んでくる物も、突き刺さる言葉も、黙って受け止めていた。 「なんで…なんでだよ…どうしてだよ…」 泣いているのか怒っているのか、自分でもわからないほど掠れた声で、僕は崩れ落ちたまま呟く。 やがて、ふわっと全身が包み込まれた。 悠史の体温がすぐ側にあって。 けれど、その距離に『いつものような恐れ』を感じる前に、悠史の口から言葉が零れた。 『翔真のこと、好きなんだ…』 それは、真っ直ぐ僕の中に落ちて。 『好きで、好きで…』 まるで祈りの言葉のように繰り返されて。 『大好きで…たまらない…』 悠史の心の内をすべて、僕に伝えた。 ☆ .。.:*・゜ その夜、僕は夢を見た。 悠史の口から落ちた言葉を何度も反芻し、なぜか昨日までの苛々が嘘のように急速に薄れつつあることに気付き、今度はその意味を知るのが怖くて、逃げるように潜り込んだベッドの中。 いつの間にか寝入ってしまった僕は、それは暖かい腕に包まれて、言い様のないほど幸せな気持ちの中を漂っていて。 身体の芯に、覚えのない疲労と疼きを感じたけれど、何故かそれすら嬉しくて、僕は、僕を優しく抱き寄せる胸に縋り、幸福の吐息をついている。 やがて暗かった僕の周りにほんのりと光が灯った。 とても明るいのだけれど、眩しすぎない穏やかな光。 僕は目を開けていないはずなのに、その光は僕の瞼を通り抜けて語りかけてきた。 『…よかったね…翔凛』…と。 ――翔凛。 それは僕の名前ではないのに、でも、その言葉は確かに僕に掛けられた言葉なのだと、僕は心のどこかで感じていた。 やがて光は去ったけれど、僕はまだ暖かい腕に守られていて、その指先は僕の髪を愛おしげに梳いている。 ふと、頬を暖かい雫が伝った。 そして耳に埋め込まれる、この上ない愛の言葉。 『生涯を共にあろう』 ☆ .。.:*・゜ 『いつまでも一緒にいよう』 次の日、悠史は僕にそう言った。 そして、そっと抱きしめられ、ささやかに触れあった頬を伝うもの…。 それは、夢の中で触れた雫と同じ暖かさを持っていて、僕の心をゆっくりと溶かしていく。 やがてしっとりとした感触が唇に落ちてきたけれど、それに抵抗しないことが、僕の出した答えだった。 僕たちの心は、もしかしたら生まれるずっと前からすでに結ばれていたのかも知れない。 ただ、あまりに近いところにいて、見えなかっただけで。 「はい、これ」 照れくさくて、ついぶっきらぼうに差し出してしまった小さな箱。 あまりに『それらしいもの』は、とてもじゃないけれど恥ずかしくて、結局僕が選んだのは、コンビニでも売っている、なんの変哲もない箱入りのチョコレート。 一応『冬季限定もの』にはしたんだけれど。 2月14日。 その頃は、僕ら受験生にとってはまさに正念場…ううん、もうすでにどうあがいても仕方がない…って時期で、かえって僕たちは落ち着いてすらいた。 そして、バレンタインデーなんて、もらうのが当然で、男と生まれたからには『誰かにチョコをあげる日』なんて一生来ないはずで。 けれど、僕はこの日を利用した。 悠史の優しさと思いやりを受け取るばかりで、相変わらず僕からはどんな甘い言葉も返せなくても、それでも悠史はいつも幸せそうで…。 せめて何かの理由がないと自分の思いすら素直に伝えられない、自分でも思っていた以上に不器用な僕は、コンビニで買った小さな箱に願いを託す。 悠史は胸元に突き出されたそれを、しばし呆然とながめ、そしておずおずと手を伸ばしてとり、僕を見下ろし…そして。 「ちょ…、何で泣くのっ?!」 あろうことか、悠史は『うれし涙』だといって、ボロボロと大粒の涙を零したんだ。 それを見て僕は、決めた。 大学に合格したら、その時は…。 ☆ .。.:*・゜ そして、1ヶ月後。 国立大学の前期の合格発表が済み、僕らは今、大学に通うために部屋を探しているところだ。 もちろん、二人で暮らす為の部屋。 学部は違うけれど、お互いのキャンパスは歩いて行き来できる程度の距離だから、問題はない。 本当の事を言うと、実家から絶対に通えないという距離ではないんだけれど、僕たちはどうしても二人で暮らしたくて、両方の親に頼み込んだ。 母さんたちは最初はちょっと渋ったけれど、父さんたちが、『男の子はいずれ独り立ちするんだから』って言ってくれて、結局母さんたちも『二人一緒なら安心よね』って、納得してくれたんだ。 そうそう。 合格発表の日、僕は憧れの阪本教授のところへ、ファンレターを手に突撃したんだ。 2年にならないと、研究室に出入りできないのはわかっていたけれど、どうしてもこの想いを伝えたいという思いに突き動かされて。 笑われるか、呆れられてしまうか。 きっと、そのどちらかだろうと思っていたんだけれど、教授は僕の手紙を真剣に読んでくれて、そしてニッコリと笑ってこう言ってくれたんだ。 『今度、研究室へ遊びにおいで』…って。 この春、僕と悠史は同じ大学の学生になる。 薬学部と考古学専攻。進む道は別れるけれど、結んだ心は離れない。 これからも、いつまでも、ずっと。 そして、3月14日。 世間が「ホワイトデー」というイベントで賑わっている日。 僕らは心と共に、身体も結んだ。 『ずっと一緒にいよう』 そう、固く約束をして。 |
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2003.2.14
バレンタイン企画としてUP
2005.4.11
加筆修正の上、再UP