恋・爛漫

〜秋の章〜

最終回




 身体を包む暖かさと、額に乗っかるひんやりとした感触に、俺はホワッと目を開けた。

 ここ…何処だろう…。少なくとも俺の部屋じゃなさそうだけど…。

 そっか、フカフカの布団にくるまれてるんだ…。
 気持ちいいや…。
 俺がもう一度目を閉じようとしたとき…。

「ちさとさん…?」

 間近で声がした。
 誰…?

「ん…。笠永…くん…?」

 灯りはぼんやりと灯っているだけなので、顔はよくわからない。

「よかった…。熱、高かったんですよ」

 そう言うと、俺の額のもの…どうやら濡れたタオルらしい…を取り上げた。

「ここ、何処?」

 俺がそう言うと、額の上にまたタオルが帰ってきた。
 ひんやりしていい感じ…。  

「ここ、僕の部屋です」

 ふぅん…僕の…。

「えーーーーー!」
「あっ、起きちゃダメですっ」

 ああ…クラクラするぅ…。
 俺はそのままパタンと布団に突っ伏した。

「ほら、急に飛び起きたりしちゃダメでしょう」

 笠永くんは、身を捩ってひっくり返ってしまった俺を抱きかかえてきた。

「ちゃんと上向かなきゃ、タオルが乗せられませんよ」

 片手が俺の首の下に入り、残った方の手が肩をグッと抱き寄せる。

 こいつ…結構いい体つきじゃんか…。

 見た目はすごくスレンダーで…って言うよりむしろ、華奢な感じすらするのに、今俺を抱えている腕は、決して太いわけではないのに何故か、安心して身体を預けられような…。

『クスッ』 

 ク、クスッ…?

 俺が笠永くんを見上げると、彼は嬉しそうに笑った。

「ちさとさん…華奢なんですね」

 う…。それは、言われたくはないぞ…。

「悪かった…な」

 口では抵抗して見るけれど、俺の身体は熱にやられているのか、笠永くんに預けたきりだ。

「悪いことなんてあるもんですか・・・」

 いい感じですよ…と、耳元で囁かれた。

 どういう意味だぁ?

「スーツにうまく隠れてたわけですね」

 悔しいけど、俺には、笠永くんのその言葉の意味がよくわかってる。  

 俺はスーツを着ると、ちょっとした体格に見えるんだ。 
 着太り…って言うのではなくて…、なんかこう、がっちりしてるように見えるんだ。
 だから俺は自分のスーツ姿が好きだ。

 その反対に、ラフな格好をすると、とたんに貧相な体つきが露わになってしまう。
 だから真夏でも絶対Tシャツ1枚なんて格好にはならない。
 多少暑くても、コットンシャツやポロシャツっていう『襟付き』を着てるんだ。

 けど、今年実際に体験した京都の夏は酷かった
 俺が京都に配属になって赴任してきたのは7月。まさに灼熱地獄の始まりだった。
 Tシャツでも暑い中を、きっちり『襟付き』を着ていたおかげで…かなり痩せた。
 さらに貧相になったってワケだ。

 そうそう、集合時間に現れないお客さんを捜して、炎天下を走り回って目を回したこともあったっけ。もちろん仕事中だからスーツだ。
 あの日のスーツは、たった一日でクリーニング行きだったなぁ…。

 …って、そう言えば今夜の俺のスーツも、ぐしゃぐしゃのゲテゲテ…のハズだ。
 ま、あんまりいいもの着てないからいっけど…。

 ん?じゃ、俺は今、何を着てるわけだ?少なくとも、あの泥だらけのスーツのまま、布団に入ってるわけはないし…。

 俺は、ふらつく頭をどうにか捩って、自分の首から下を確認した。

 パステルブルーの…パジャマだ。
 さらっとして、熱い体に気持ちいい…。

「あの…さ、」
「なんですか?苦しい?」

 なんだか笠永くんの声が優しくて…。

「着替えさせてくれたの?」

 小さな声でそう聞くと、彼はにっこり頷いた。

「スーツはクリーニングに出してます。ちゃんと濡れた身体も拭いてから着替えてますから大丈夫だと思いますよ」

 身体まで拭いてくれたのか…って…。
 え?

「え…っと、あの…」

 もしかして、かなり恥ずかしい姿をさらしたワケ?
 俺は発熱以外の理由で、顔をさらに熱くした。
 めちゃめちゃ恥ずかしい…。

「どうしました?大丈夫ですか?」

 笠永くんは、俺の紅くなった顔を誤解したようだ。
 ひんやりした掌を、俺の首筋にあてて熱の様子を見ている。 

「や、あの、そうじゃなくて」

 俺が慌てると、彼は安心させるような微笑みを返してくれる。

「あの…面倒かけてごめん」

 やっとそう言った俺に、笠永くんは眉を寄せた。

「とんでもないです。謝るのはこちらの方ですよ」
「え?どうして?」

 どうして俺が謝られなきゃならんのだ。

「行利がご迷惑をかけてしまって…」

 ………。
 そうだっ!行利はっ?

「行利は…?行利は大丈夫だった?」

 俺は笠永くんの腕を掴んで、引き寄せるようにして訊ねた。
 笠永くんは、柔らかかった表情を固くしてから、答えてくれた。

「…大丈夫です。きつく叱っておきました。今頃は宿舎で大人しくしてると思います」
「叱っちゃダメだって!」
「どうしてっ?!」

 怒鳴りあった後は、そのまま睨み合いになった。
 静かな睨み合いの後、先に口を開いたのは笠永くんの方だった。

「ちさとさん…。行利は…何が気にくわなかったのか知りませんが、団体行動中に勝手なことをして皆さんに迷惑をかけたんですよ。しかも…ちさとさんまで巻き込んで…」

 違う。それは違うんだ。

「笠永くん…。悪いのは行利じゃない」
「え?」
「悪いのは俺なんだ」
「どういうことですか…?」

 笠永くんは、ますます表情を固くする。
 そりゃあそうだろう。多分、彼にはまだ話が見えていないはずだから。

 でも…話してししまうわけにはいかないから…。

「俺が、行利を傷つけたから…」
「いつ、あなたが行利に何をしたっていうんですか」

 咎めるような口調…。

 そうだよな。大の大人が中学生を傷つけてしまって…。しかもそれが自分の従弟となると、怒って当然だよな。

 けれど、これだけはダメだ。絶対に言えない。
 行利をこれ以上傷つけられるわけがない。

「話してくれなければわかりません」
「話すわけにはいかない」

 また訪れる、突き刺さるような沈黙。

「ちさとさん…」

 え…?

 痛いほどの沈黙の後にやって来たのは、労るように優しい抱擁だった。

「か、さなが…くん…?」
「優しい人ですね、あなたは」

 な、なんだ?どういう展開でそうなるんだ?
 今度は俺が話を見失った…?

「行利を守ろうとしてくれるんですね」

 布団に仰向けのまま、俺は覆い被さるような形で笠永くんから抱きしめられ、耳に彼の優しい声を受け入れていた。 

「守るって…」

 笠永くんは少し身体を離し、俺の顔をジッと見た。

「行利に言われましたよ。ちさとさんは渡さないって…」

 ・・・・・・・・・・・・・。
 俺、やっぱ、熱高い…?

「行範兄ちゃんには渡さないって、生意気にもこの僕に向かって『宣戦布告』していきました」

 そしてもう一度抱きしめられる。

「僕は受けて立ちますよ。絶対負けません。絶対に…」

 俺は一つ息をした。

 うるさいほどに打つ鼓動を鎮めようとして。
 そして、耳に吹き込まれる熱い息…。

「あなたを僕のものにしてみせる」

 ・・・・・・こう言うときは…寝たもん勝ちだっ!

「くー」
「あ、こらっ、ちさとさんっ、寝ちゃダメ」

 知らねー。

「襲いますよ」

 ちょ…。

「ちょっと待てーーーーーーーーーーーーーー!」







 翌日俺は、ようやく下がった熱にホッとして笠永家を後にした。
 笠永くんのお母さんもとても優しい人で、自分の甥っ子がしでかした不始末を何度も詫びていた。

 その行利は、『手紙を書きます』と伝言を残して、2泊3日の日程を終えて九州へ帰っていったんだけど、でも、それこそこんな話をお母さんにするわけにもいかず、後のことは任せてくれって笠永くんが言うものだから、話も曖昧なまま置いてきてしまった。




 そして、俺は、いいって言うのにまたうちまで送ってきてくれた笠永くんに、またしても、しかも今度は『正式』に告白されてしまった。


 何でも彼は、俺が京都に赴任してきた7月から、俺に『目を付けて』いたんだそうだ。

 そこで、俺とよく一緒になる淑子ちゃんからいろいろと情報を集め、俺のシフトを聞いてから、自分のシフトを細工していたらしい。どうりでよく出会うはずだ。

 で、俺がなんと答えたかというと…。
 …なんとも答えようがなかった。

 だって、そんなこと…男とつき合うなんて、そんなこと今までの俺の常識には全くなかったことだから…。

 そこのところを正直に話すと、笠永くんは真剣な表情で俺に訊ねてきた。


「僕のこと…嫌いですか?」

 そんなはず…ないじゃないか。

「嫌いなもんか」

 そう言うと、彼はにっこり笑った。

「なら、いいです。これから好きになってもらいますから」

 たいした自信じゃねーの。

「ちさとさん…。抱きしめてもいいですか?」

 何を今さら…。

「少しだけだぞ」
「ありがとうございます」

 クスクス笑いながら、彼は俺の身体にそっと手をまわしてきた。

 彼の腕の中にスッポリと包まれる俺。
 なんだか、こんなに居心地いいって、反則だよな…。 




「な、俺の名前、呼んでみて」

 俺は彼の腕の中、小さな声で言ってみる。

 笠永くんは、何を勘違いしたか、そりゃあ甘い声で囁いてくれた。

「ちさと・・・」
「いや、フルネームで正式に」

 そういうと、彼は抱きしめていた俺の身体をほんの少し離し、目を見てまじめな顔で言った。

「うみづかちさとさん」

 もしかして、やっぱりこいつ…俺の名前をマジで『ちさと』だと思ってる?
 いろいろと情報を集めたにしちゃあ、お粗末じゃないか?

「笠永くんさぁ…」
「はい?」
「君、前途多難だよ」
「ええっ??!」

 どーして、どーして…としつこく食い下がる彼に、俺は『自分で考えろっ』っと怒鳴ってやった。







 そして、12月…。
 京都の町も、クリスマス一色になった。

 仏教系の幼稚園でクリスマスパーティーをやってるのを見て「らしいな」なんて思いながらも、俺は元気にやっている。

 あれから俺と笠永くんは仲の良い友人としてつき合ってる。
 友人同士のスキンシップとしては過剰ではないか、とも思える行動は多々あるものの、今のところは穏やかに日が過ぎている。
 


 そんな京都に突然のお客がやってきたのはクリスマスイブの夜のことだ。

 俺たちは…今やすっかり俺も『行きつけ』となった…あの地下のバーで、マスター主催のクリスマスパ−ティーを楽しく過ごした後、誘われるまま、笠永くんの自宅へ行った。
 あの雨の夜以来だ。


「さ、どうぞ」

 通された彼の部屋は、モノトーンのシックな色調でまとめられた大人っぽい部屋だった。

 俺の部屋の3倍くらいあって、でかいベッドに、パソコンや周辺機器が整然と並べられた大きな机、あとはオーディオくらいしか置いてない。

 この前来たときは、熱に浮かされていたから全然見ることができなかったので、俺は興味津々で彼のCDコレクションなんかを漁っていた。

「なんでも好きなのかけていいですよ」

 そう言われて俺が一枚のCDを手にしたとき…。

『コンコンッ』

 かなり元気なノックの音が響いた。

 笠永くんの方を見ると、彼はちょうどセーターを脱いで着替えようとしていたところだった。
 その目が『代わりに開けて』と訴えていたので、俺は立ってドアを開けたのだが…。

「ゆきのりさんっ!!!!」

 いきなりの熱い抱擁が俺を襲う。  

「千里さん、会いたかった!」
「ゆ…行利…」

 現れたのは、紛れもなく、あの行利。
 うわぁぁ・・・身長伸びてやがるぅぅ・・・。
 たった3ヶ月だぞ・・・。

 その様子を見て、慌てて飛んできたのは笠永くんだ。

「行利っ、お前なんだって…」

 必死で俺を引き剥がそうとする。

「行範兄ちゃん、邪魔しないでよっ。僕、ゆきのりさんに会いに来たんだから」

「ゆきのりさん…って?」 

 …ついに俺の本当の名が、明らかになる日が来たようだ。


「行範兄ちゃんさぁ、知らなかったんだろ」

 行利が勝ち誇ったように言う。

「『ちさと』って書いて、『ゆきのり』って読むの」

 一瞬の沈黙…のち…。

「ええっ?!」

 笠永くんは俺をマジッと見つめて、その目だけで『本当なの』と聞いてきた。
 俺は肩を竦めてから、小さく頷く。

「あ、やだなぁ、二人とも。視線だけで会話するなんて、やめてよね」

 行利がプウッとふくれる。

 けれど、笠永くんはそんな行利にはお構いなしだ。

「だから…僕の名前をいつまで経っても呼んでくれなかったんですね」

 俺は口を尖らせた。

「だって…恥ずかしいじゃないか。こんな男前に向かって、自分の名前を呼ぶなんてさ…」
「もうっ、可愛いんだから」

 今度は笠永くんに抱きしめられた。

「あっ、行範兄ちゃんずるいっ」

 こらっ、待てっ、でかいワンコが2匹も覆い被さって来るんじゃないっ。

 で、結局その夜は、3人で飲み明かした。

 …って、行利、中学生だよな…なんて気がついたのは、次の朝だったりして…。







「さむーい」

 年が明けて正月がやってきた。
 俺は年末に休みをもらって、2日間実家へ帰ったんだけど、年始は初詣ツアーの添乗があって元旦からフル稼働だった。

 京都の夏にも閉口したけど、ここの寒さも半端じゃない。骨の髄まで冷えるって感じだ。

「お待たせ!」

 やって来たのは笠永行範と静谷行利。
 そう、そっくりさん従兄弟同士の二人連れだ。

 今日は1月4日。
 俺が忙しかったから、少し遅れの初詣だ。

 ここ、平安神宮は平安遷都1100年事業で建てられたでかい神社だ。
 歴史がまだ100年そこそこだってことはあまり知られていない。
 壮麗な造りと、壮大な朱塗りの鳥居が観光客の目を引く、観光スポットだ。
 さすがに4日目でも人は多い。

「行こうか」

 俺がそう言うと、二人は俺の両側に立つ。
 まるでボディーガードだ。
 けど、実際ちょっと恥ずかしいよな。
 こんなに綺麗な男を二人も連れて歩くのはさ…。 
 しかも、彼らは年下で・・・。

 広い境内をゆっくりと抜け、本殿で型どおりの参拝をした後、笠永くんは俺の腕にじゃれつく行利に、それはにこやかに声をかけた。

「な、行利。お前、そろそろ3学期だよな」
「そうだね」
「で、いつ帰るんだ?」

 結局行利は、2学期の終業式の後すぐに京都へやって来て、そのまま居着いていたんだ。

「どこへ?」

 行利が俺の腕をギュッと掴む。

「どこへ…って。九州に決まってるじゃないか」

 そうだよな。もうそろそろ帰らないと…。
 やっぱり帰りたくないのかな…。

「行利…」

 俺が心配そうに見ると、行利は意外にもにっこりと笑った。
 こう言う笑い方をすると、本当に従兄弟同士そっくりだ。兄弟…っていってもいいくらい。

「大丈夫だよ。もうすべて解決したから」

 その笑顔は晴れやかで、俺は心底ホッとした。

「そっかー。よかったな、行利」
「うんっ!これからもずっと千里さんと一緒にいられるよ」

 …はぃ〜?

「なんだよっそれっ。行利っ、どういう意味だ!」

 俺にしがみつく行利を引き剥がして、笠永くんが正面切った。

 その顔に突きつけられる『Vサイン』。

「僕、3学期から京都の中学生だからね」
「えーーーーーーーーーーーーっ!?」





 俺…これからどうなるんだろう…。

 初めて迎えた京都の正月。
 今年一年、俺、無事でいられますように…。

 俺はもう一度本殿に向き直り、2度手を打って、深々と頭を下げた。

 ちなみに、笠永くんは未だに俺のことを『ちさと』って呼んでいる。
 その事について、不自然さを感じなくなってきている自分が…コワイ…。



END

2001.4.16 UP

9000GETの貢様からのリクエストでした。
リクエスト内容は『京都観光案内をしていただけませんか?
ガイドさん、もしくは旅行代理店店員さんをりくえすとしたいのですが。
もちろん、ラブラブなの希望です!』ということでした。

「ラブラブ」が、いまいち踏み込めてなさそうですが(笑)
知らない間に「三つ巴」になってるしv
しかも、「秋の章」ってことは、冬や春や夏も…?

しかし、こうしてみると、「働いているリーマン」を書いたのは…。
初めてです(^^ゞ
貢様、リクエストありがとうございました(*^_^*)

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