恋・爛漫

〜冬の章〜





 そして、残された俺は、笠永くんの手によって強引に彼の部屋へ移動させられて、今度は彼のベッドに押し込まれたんだ。

「まったく…。ちさとさんは無防備すぎですっ。兄さんだけじゃなくて、行利にまで抱かれて…」

 何?

「なんだよ、そんな覚えないぞ…」

 布団から目だけを出してそう訴えると、笠永くんは俺をジロッと睨んだ。

 …結構怖いかも…。

「昨夜、兄さんが帰ってきたとき、ちさとさんはリビングのソファーで行利に抱かれて眠っていたんですっ」 

「嘘…」

 そう呟いた俺に、笠永くんはわざとらしいため息で答えた。

「残念ですが、証拠が残ってます」

「証拠って?」

「母さんがね、『あんまり幸せそうな顔してるものだから』って、デジカメに撮ってるんですよ。二人の姿をね」

 …ひ。お母さん、何てことぉぉぉ…。 

「とにかく、反省して下さいね」
「なんで?」

 咄嗟に言い返して、しまった…と思ったんだけど、怒るかと思った笠永くんは、意外なことに悲しそうな顔をした。

「僕は…ちさとさんが好きです。誰にも渡したくない。行利にも、兄さんにも…」

 そんな、行利はともかく、隆幻さんまで…。

 そっと見上げると、笠永くんは俺の額に手を当て、前髪をそっと掻き上げた。

 ゆっくりと近寄ってくる彼の端正な顔…。
 やがて、俺の額に温かいものが落ちてきた。

「ちさとさん…」

 布団ごとギュッと抱きしめられる。
 そうされると…俺の中一杯に、言いようのない安堵感が広がる。

 それはもちろん、隆幻さんにも感じるものなんだけれど、それだけじゃなくて、なんだか胸がキュッと締め付けられるような奇妙な感じも一緒にやって来て…。

 思わず笠永くんの首筋に顔を埋めれば、彼は俺ごと抱きしめていた布団を持ち上げて、俺の隣に潜り込んできた。

 今度は身体をそのまま抱きしめられる。

 全身を包む暖かな感触に、俺はまたいつしか眠りに落ちていた…。









 次に俺が目を覚ましたとき、陽は薄ぼんやりしたオレンジ色で、西の空低くに降り始めていた。

 とりあえず熱いシャワーを浴びて、服に着替えると、俺はまだ倦怠感の残るからだをそのまま床に降ろし、さっきまで寝ていたベッドを背もたれにしてホッと息をつく。

 笠永くんはそんな俺の隣に腰を下ろし、俺の肩を抱いてポツポツ語り始めた。


「笠永家は、代々紫雲院を守ってきた家なんです。 先代の住職はなくなった父でした。父が亡くなったとき、跡取りである兄はまだ15歳。当然後を継ぐには幼すぎて、紫雲院はそのまま門を閉ざし続けました。 だから、正確にいうと、門を閉ざしてきたのではなく、閉ざさざるを得なかったのです」


 ジッと見つめる俺の目を、彼はしっかりと見て穏やかに微笑むと、また話を継ぐ。

「兄は大学院を出ると、研究と紫雲院の守りを両立させていました。その間も紫雲院を公開しなかったのは、兄の手がそこまで回らなかったのと、大手旅行会社の『誤解』のせいでいた」

 誤解…?

 ああ、そう言えば、初めてあったとき、隆幻さんは確かそんなことを言っていたっけ。

 ここは何もない小さな寺なのに…って。

「秘仏や秘宝、壮大な庭園…それらを期待して「捕らぬタヌキの皮算用」を繰り返す会社は、真面目に相手をすればするほどつけあがる。だからすべてを閉ざしました。もっとも、兄が研究のためにアメリカへ渡ってしまったのも大きな原因ではありましたけど…」

 そうか、ついこの前まで隆幻さんは3年も日本を離れていただもんな…。

 でも…待てよ。じゃあ、紫雲院の鐘をついていたのは…。

「なぁ、笠永くん…」
「なんですか?ちさとさん」

 彼は俺の肩を嬉しそうに抱き寄せる。

「紫雲院の鐘をついていたのは、誰?」
「ああ、あれは、母ですよ」

 へ?お母さんが。

「たまには僕もやってましたけどね…」

 そ、そうだったんだ…。
 音色を聞き分けられて、当然…か。

「うちと紫雲院の間には広い竹林があるでしょう? あれも全部うちの敷地なんです。竹林を抜けて紫雲院へ行けるので、今度一緒に行きましょう。なかなかいい散歩コースですから」

 ニッコリと笑う笠永くん。

「うん…連れてって…」
「二人で…行きましょうね」
「う…ん」

 俺が少し躊躇いながらもそう返事すると、視線を合わせたまま笠永くんの手が、俺の手を探ってきて、触れた指をそっと絡め取る。

「ちさとさん…」 

 体温と一緒に吐息が近づいて…。

 思わず目を閉じた俺の脳裏に、紫雲院の『枯山水』がよぎる。
 ずっとこの目で見たいと願ってきたものが、こんなにも近くにあっただなんて…。

 …ん?

 ってことは、隆幻さんは初めてあったときから、俺のことを知っていたはず…。

 少なくとも、名刺を渡した瞬間には、俺が誰であるか…。



 …そ・ん・な…。



「そうだったんだっ!」


 俺は思わず大声を上げて両腕を突っ張った。
 間近にあった笠永くんの体が、押し戻される。

「ちさとさんっ?」

「紫雲院が…こんなにも簡単に門を開けてくれたのは、隆幻さんが俺が『誰か』を知っていたからなんだな…」

「ちさとさん…」

「俺…今の今まで、紫雲院の門が開いたのは、俺の想いが伝わったからなんだと思いこんでた…。 けど、そうじゃなかったんだ。俺が、『海塚千里』でなかったら……、お母さんが俺のことを隆幻さんに話してなかったら…、紫雲院の門は開いてなかったんだ…」

 言葉にすると、無性に悲しい。

「ちさとさんっ、それは違…っ」

「笠永くんと知り合っていなかったら、門は…開いてなかった…」 

 思いもかけなかった『事実』に、やたらめったら悲しくって、悔しくって、俺は思わず立ち上がり、そのまま駆けだした。

 階段を駆け下り、廊下を抜け、玄関で靴を履くのももどかしく…。

 誰かが後ろで呼んだような気がしたけれど、そんなものに構うヒマもなく、俺は、走った。









 俺はいつのまにか通い慣れた紫雲院の門前に来ていた。

 もう日も暮れてすっかり暗い。
 この辺りは外灯もないし…。

 俺はぼんやりと、閉ざされた門を背に、足を抱えて座り込む。

 …寒いや…。

 コートも何も着ないで飛び出してきちゃったんだ。相変わらず間抜けだな…俺って…。







「ちさとさんっ」

 どれくらいたっただろうか、闇の中からよく知った声が俺を呼んだ。

 笠永くん…?

 ぼんやりと見上げようとしたんだけど、瞼が重くて開かないんだ。

「ああ…こんなに冷えて…」 

 その声と同時に、俺はふわりと温かいものに包まれた。

「ちさとさん…」

 ギュッと抱きしめてるのは、笠永くんの腕、かな?

「ちさとさん…お願い…信じて…自分のこと…それに、兄のことも」

 耳に囁き込まれる、追いつめられた彼の声。

「紫雲院の門を開けたのは、ちさとさんの名前じゃない。ちさとさんの思い…だから」

 笠永くん…。

「お願いだから…こんなに…好きだから…信じて…」

 好き…?
 本当に?
 最初にあった時と変わらなく?
 そして、これからも……。

 その、言葉にならない想いの思わぬ重さに、俺は思わず笠永くんを抱き返した。

 すると、それに応えるように、彼も俺の身体を抱きしめる。

 そして…。

「初めてあなたを見たときから、ずっと…。そしてこれからも…ずっとずっと…」

 笠永くん…。

「ちさと…」

 温かい息が頬を掠めて…

「ちさとだけが……好き……」

 ……やがて、俺の息に…

「ゆき……」



 ぎぃぃぃぃ…。



 ?ぎぃ?



 疑問符を浮かべた瞬間、俺は仰向けに、笠永くんはそんな俺に覆い被さるように、ひっくり返った。

 なぜだか門が開いたらしい…。



「おや。これは申し訳ない。よもや人がおいでとは思いませんでした」

 それは紛れもなくあの時、そう、俺と隆幻さんの出会いの時のセリフで…。

「嘘ばっかりっ、わかっててやったんでしょうっ」

 笠永くんは俺の身体に乗っかったままで、抗議の声をあげる。

「いやだなぁ、行範は。そんな風に人を疑ってはいけないと言ったろう?地獄に堕ちちゃうよ」

 わざとらしく穏やかに笑ってから、隆幻さんは続けた。

「それにしても、仏の門前で堂々とラブシーンとは、最近の若い子は怖いもの知らずだね」









 そして、すっかり冷えてしまった俺たちは、紫雲院の書院で温かいお茶を淹れてもらって暖をとっている。

 俺の横にはピッタリと笠永くんが座って、正面にいる隆幻さんを視線で牽制している。

 そんな弟の姿に、クスッと笑いを漏らして、墨染めの衣の隆幻さんは語った。

 うん、スーツもかっこいいけど、俺はやっぱりこっちの方が好き。


「初めてあったときは、よもや君があんな形で現れるとは夢にも思っていなかったから、さすがにすぐに君だとはわからなかったんだが、とにかく私はいい子に巡り会えたなと思って喜んだ。 そして、名刺を渡されたときに、私は…そうだな…紫雲院の本尊に感謝を捧げたよ」

 そうだったんだ…。

「君が誰であろうと、そんなことはこの件には関係ない。 君の想いが門を開けたことに変わりはないのだから、これからも紫雲院と外界を結ぶ橋渡しを頼むよ、ちさとくん」

「あ、はいっ!」

 俺は我ながら単純だなぁと思いながらも、元気よく返事をしてしまう。

 それにしても、すっかり『ゆきのりくん』が影を潜めて『ちさとくん』にすり替わってしまった…。

 そりゃあ、まぁ、弟と同じ名前じゃ呼びにくいかもしれないけどさぁ…。 

 そう思ってチラッと笠永くんを見れば、彼はまだ心配そうな顔で俺を見ていた。

「そりゃあ僕だって、ちさとさんから紫雲院の話をチラッと聞いたときには、ちさとさんの役に立てればいいのにと思いましたよ。でも、今回ばかりは出来なかった。絶対出来なかった」

『絶対』って言葉にやたら力を込める笠永くん。
 
 どうして? そんなに…。

「はは〜ん」

 隆幻さんがニヤッと笑う。
 なんだ?

「兄さんがちさとさんを見たら、一目で気に入ってしまうことぐらいわかってた。それなのに、誰がわざわざ紹介なんかするもんかっ」

 は、はいいぃ〜?
 隆幻さんが俺、を?

「ふふん、少しは学習したようだな、行範」

「あったりまえだっ。だいたい兄さんは十も年上のクセに、昔から僕のものを横取りしてばっかりなんだからっ」

 え? 隆幻さんってそんな人だったの…?

 ジト目で睨んだ俺に、隆幻さんはしれっと答える。

「ああ、ちさとくん。そんなに深刻ならなくていいよ。ちょっとした兄弟の微笑ましいじゃれあいだ」

「何が微笑ましいじゃれあいなもんかっ、いつも僕の好きなおやつに限って横取りするんだからっ」

 …って何?
 俺っておやつ?

「ふ〜ん、俺、笠永兄弟のおやつってワケ?」
「え…?」

 固まる笠永くん。

「あ〜あ、行範のヤツ、ちさとくんを怒らせた〜」

 鼻歌混じりに、それはそれは嬉しそうに隆幻さんは言う。
 
「失礼なヤツだよな、行範って。 な、ちさとくん、こんなガキは放って置いて私のところへ来ないか?」

「は?」

「伝説の懐に抱かれて、紫雲院で二人、仲良く暮らそう」

 隆幻さんは、ズズッと膝を寄せてきて、それはそれは慣れた手つきで俺の肩を抱いてきた。


 ああ…、伝説の隠れ寺、俺の聖域、紫雲院の住職が…。

「ちさとくん…」

 ため息混じりの甘い声で俺を誘惑するなんて…。


「兄さんっ!! 今日という今日は…っ」

「なんだ?」

「決着を着けさせてもらうからねっ」

「望むところだっ」


 …ああ、もう勝手にやっちゃって。

 派手な兄弟喧嘩を後目に、俺はこそっとその場を後にした。 

 ほんっとに、仏様の目の前で、罰当たりな人たち…。



〜冬の章〜
END


2002.3.10 UP


50000GETのまつさまからいただきましたリクエストです。

さて、『天然』ちさとちゃんも少しずつ目覚めてきたようですが…。
周りはさらに人が増えて、三つ巴どころか4○の危険が…?(笑)

ワタクシ的には『お兄さん』がお気に入りですv
みなさんはいかがでしょうか?

まつさま、リクエストありがとうございました(*^_^*)

短編集目次書庫入口

HOME