15万記念夏祭り

送り火〜それぞれの想い〜



  

*千里*

 今日は8月16日。

 暑い盛りで観光客の少ない京都だけど、今日だけは業界で言う『特異日』だ。

 それは、今夜灯される『大文字』…正式には『五山の送り火』って言うんだけど…の為だ。

 もちろんこれは、旧盆の精霊送りの行事であって、観光イベントじゃあない。
 けれど、この雄大な炎のページェントを、地元の人たちはもちろん、観光客も楽しみにしている。 

 で、俺が今身を置く旅行業界も、今日は大忙しというわけだ。

 ただ、今日は自分がメインの添乗はない。
 そんなことしてたら支社に何人人がいても足らないので、今日のツアーだけはどれも出発地の支社から添乗員がついてくる。

 俺たちは、アシスタントとして一人でたくさんのツアーをサポートするわけだ。
 俺は7つのツアーをサポート…っていう過酷な状況で・・・。 

 ただありがたいのは、出発地からの添乗員のおかげで、俺たち京都支社の人間は、だいたい送り火の点火時刻の前に放免となることだ。
 その時刻にはだいたいどのツアーも宿にチェックインしているからね。

 だから、今夜は約束したんだ…。

 俺がつい一昨日まで、夏休みを取って帰省していたから、二人に会うのも久しぶりで…

「海塚くん!!」

 今夜の楽しいパーティを思い浮かべていた俺を、同期の華子ちゃんの声が現実に引き戻した。

「な、なに?」
「緊急連絡!広島発のAコース、途中病人が出ていったん引き返したそうよ」
「えー?!」
「到着は3時間遅れですって」

 嘘だろ〜。

「で、大至急Rホテルに連絡入れて!夕食時間の変更よ」
「わかったっ」

 俺は速攻で広島発Aコースが宿泊する予定のRホテルへ連絡を入れる。

 3時間遅れってことは…。
 夕食は「送り火鑑賞」のあと…。

 ってことは、もしかしたら、俺は約束の時間に帰れない…?

 さいてー。

 幸いRホテルは夕食時間の変更に応じてくれた。
 あとは、広島支社の添乗員が俺を帰してくれるかどうか…。

 ま、これは仕事だからな…。
 遊びに行きたいから帰りたいなんて、口が裂けても言えることじゃない…。

 俺は、がっかりする二人の声が聴きたくなくて、携帯からメールを打った。

『ごめん。トラブル発生。今夜は多分間に合わない。また連絡する』

 これを笠永くんと行利、それぞれの携帯に、わざわざ別々に送る。
 そうしないとあの二人、もめるんだ。
 僕のは『CC』だったとか、同じ『TO』にしても、あっちのメルアドが先に載ってたとか…。

 ま、二人ともかわいいもんだけど…。

「千里!行くぞ!!」

 2年先輩の吉見さんが俺を呼んだ。

「はい!」

 俺は空元気な返事をして、吉見さんの後を追った。




*行範*

 僕は朝から浮き足立っている。
 今夜、久しぶりにちさとさんに会えるからだ。

「行範、ビールはこれで足りるかしら?」

 母さんも、久しぶりにちさとさんが来るとあって、朝から張り切って料理をしている。

「買ってこようか?」
「お願い」

 今夜は五山の送り火。
 うちは東山の中腹にあるから、一番メインとなる『大文字』は見えない。
 ほとんど真横にあるようなものだからね。

 けれど、『左大文字』『舟形』『鳥居』はよく見えるから、毎年お客さんがやってくる。

 今年のメインゲストはもちろん、ちさとさん。

 他のお客さんたちは応接間のテラスから見てもらうとして、ちさとさんだけは僕の部屋へ呼ぼう。

 僕の部屋は3階だから、もっとよく見える。
 部屋を真っ暗にして二人っきりで静かに…。

 って、妄想に浸っていた僕を、いきなり携帯の着メロが呼び戻してくれた。

 でも、この着メロはちさとさん!

 ………イヤな予感がする…。

 とっくに走り回っているだろうちさとさんからこの時間にメールってことは…。

 恐る恐るメールを開いて見れば…。

『ごめん。トラブル発生。今夜は多分間に合わない。また連絡する』

 嘘…。

 はっきり言って、気分はマリアナ海溝だ。

 でも…。社会人の彼の負担になるようなマネは絶対出来ない。
 ただでさえ、自分が学生であることがマイナス点なのに…。

 僕は送られてきたメールをしばらく見つめてから、返信メールを打った。

『大変ですね。うちは大丈夫ですから、遅くなってもかまいませんよ。もちろん送り火に間に合わなくても、美味しい料理と冷えたビールはちさとさんを待っています』

 どうか、僕の気持ちが届きますようにと願いながら、僕は送信ボタンを押した。





*行利*

「おばちゃん、おはよう!」

 僕がそう言って勝手口を勝手に開けて入っていくと、おばちゃん(九州にいる僕の母さんのお姉さん。ついでに言うと、行範兄ちゃんのお母さんだ)はもうすでにいくつかの料理を仕上げていた。

「あら、行利。今日はずいぶん早いのね」

 僕は夏休みになっても九州へ帰らず、ずっと京都にいる。
 だって大義名分はあるからね。

 そう。中3の僕は、立派な受験生だ。
 絶対行範兄ちゃんと同じ大学へ行こうと思っている僕は、高校も私立のいいところを狙っている。

 もちろん、行範兄ちゃんと同じ大学へ行くのは、行範兄ちゃんに負けたくないからだ。 

「いつもは昼頃にならないと現れないのに」

 おばちゃんはクスクス笑いながら、僕のために紅茶を淹れてくれる。

「おばちゃん、すごい料理の数だね」
「そう?でも毎年きれいになくなるのよ」
「そりゃ、おばちゃんの料理、美味しいもん」

 でもよく見ると…。

「千里さんの好きなものばっかり…?」

 僕が呟くと、おばちゃんはコロコロと笑った。

「あら、ばれたかしら」

 千里さんはすでに笠永家のアイドルだ。
 でもおばちゃんは僕のライバルじゃない。

 僕のライバルはただ一人……いや、もしかしたらもう一人もかなりアヤシイけど、それは敢えて無視するとして……行範兄ちゃんだ。  
 
 僕としては対等に戦えているつもりなんだけど、最近なんだか雰囲気がおかしい。

 千里さんは相変わらず僕と行範兄ちゃんに対等に接してくれるけど、でも、なんだかその視線はいつも行範兄ちゃんを捜しているようで…。  

 う…やだ…そんなの…。
 
 慌てて頭を振ると、シャツのポケットで携帯が鳴った。
 千里さんの着メロだ。

 でも、この時間にメール?
 仕事中の千里さんからのメールって、なんだかイヤな予感が…。

 僕は重い指でボタンを押した。

『ごめん。トラブル発生。今夜は多分間に合わない。また連絡する』

 がぁぁぁぁん…。

 久しぶりだったのに…。
 でも、ここでわがまま言うと絶対にマイナスポイントだ。
 ただでさえ僕は8つも年下なせいで、ソンしてるんだから。

 ホントは『やだっ、来てっ、絶対来てっ』って打ちたいところを、グッと堪えて僕は返信メールを打ち始める。

『お仕事大変ですね。どんなに遅くなっても僕はいますから、できれば来て下さい。あ、でも、慌ててきたらアブナイですよ』

 最後のは本心。
 だって、千里さん、おっちょこちょいなんだもん。






*千里*

「海塚さん、今日は本当にご迷惑をお掛けしました」

 広島支社の原田さんが頭を下げてきた。

 トラブって3時間遅れとなったAコースの添乗をしてきた人だ。

「いえ、とんでもありません。でも、よかったですね。予定が全部消化できて」
「ええ、ほんとうにおかげさまです」

 時刻は7時50分。
 ツアーのお客様たちはもうホテルの宴会場で送り火の点火を待ちわびている。

 夕食は9時になってしまったから、きっとお腹は空いてるだろうけど、そんなことも気にならないくらい会場は盛り上がっているんだ。

「海塚さん、ここはもう大丈夫ですから、どうぞ上がって下さい」

 原田さんがにこやかにそう言ってくれた。
 けど…。

「いや、でも」
「いえ、遅くなったおかげ…といっちゃなんですが、夜の自由行動が先回しになったでしょ?ですから、夕食後に出掛けられる方も少ないと思いますから」

 そう言われればそうなんだけど。

「また明日、よろしくお願いします」

 相変わらずニコニコと言ってくれる原田さんに、俺は思いっきり感謝した。

「では、お言葉に甘えて上がらせていただきます」
「お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」

 宴会場へ入っていく原田さんの背中を見送って、俺はエレベーターへ走る。

 時計はすでに8時2分前。
 ここから笠永くんの家へは、普段ならタクシーで10分かからないはず。

 けれど、今夜は市内の至る所で交通規制がかかってるから…。
 20分はかかるかも…。

 やっぱ、間に合わない…。

 ホテルの正面玄関へ急いでいた俺の足が急に重くなる。

 せめて連絡を取ろう…。
 そう思って携帯を引っぱり出すと…。

 そうだ、メールが2通、着信してたんだ。わかっていたんだけど、忙しいさなかで読むことが出来なかったんだ。

 きっと、笠永くんと行利だ…。怒ってるかな…。

 そう思って恐る恐るメールを開ける。

『大変ですね。うちは大丈夫ですから、遅くなってもかまいませんよ。もちろん送り火に間に合わなくても、美味しい料理と冷えたビールはちさとさんを待っています』

『お仕事大変ですね。どんなに遅くなっても僕はいますから、できれば来て下さい。あ、でも、慌ててきたらアブナイですよ』

 …こいつら…。

 なんだか急に涙腺が緩んだ。

 俺は、重くなっていた足が急に軽くなったことに、我ながら現金なヤツ、と思いつつ、ホテルの玄関に横付けされたタクシーに乗り込んだ。

 行き先を告げてシートに身を沈め、握ってきた携帯でメールを打つ。

『遅くなってごめん。今から行くから』

 ここまで打って、手が止まった。
 これで送ろうかと思ったんだけど…。

 俺はもう一度、キーを押して続きを打った。

『待っていて』

「お客さん、ほらチラッと見えるよ」
「え?ホントに?」

 運転手さんに言われて窓の外を見る。

 流れる景色の向こう、街路樹の隙間から、オレンジ色がチラチラと見えた。

「お客さん、これからデート?」

 鼻歌でも歌うような調子で運転手さんが聞いてくる。

「えっと・・・」
「ははっ、その様子じゃデート間違いなし!」
「そっかな・・・」
「よっしゃ〜、それなら交通規制を避けて、とっておきの抜け道行ったるで〜」
「うわ〜、ありがと〜」 

 俺を乗せたタクシーは、俺が一番安心できる場所へ向かってスピードを上げた。


END


2001.8.16 UP


千里の「京都・五山の送り火」案内

 祇園祭が終わったあと、京都の夏・最大の行事と言えば、「五山の送り火」なんだ。

 8月16日午後8時に東山如意ヶ嶽(にょいがたけ)の 「大文字」に点火、
その後30分の間に松ヶ崎西山・東山の「妙・法」、西賀茂船山の「船形」、
金閣寺付近大北山の「左大文字」、嵯峨仙翁寺山の「鳥居形」に次々と点火され、京都盆地をぐるりと囲んだ形で、山肌に大きな炎の文字や形が浮かび上がる、とても壮大な行事だ。

 現在は一般的に「旧盆の精霊送りの行事」と捉えられているんだけど、その起源は定かでなく、『大文字』の創始者は平安初期の弘法大師(空海)とも室町中期の足利義政とも言われているんだ。

 その他の四山はそれぞれ始まった時期も、始めた人も違うらしい。
 それに、江戸時代後期には「一」とか「蛇」とか「い」とかもあったらしい。
 もちろん「見たことある」って人に会ったことはないけどね(笑)

 もちろん規模が一番大きいのは「大文字」で、京都市内の至る所から見ることが出来る。
 ただし、笠永くんちは近すぎて見えない(笑)
 もも♪さんはどこで見るのかな?

 もも♪:子供の頃はね、家の2階から「大文字」「舟形」「妙・法」が見えてたんだけど警察や郵便局がデカイ建物作っちゃったからもう見えないの〜。だから加茂川まで歩いて行って、堤防で見てるv

 ふぅん、前は民家からも見えてたんだ。

 あ、みなさん。送り火は年に1回しか点火されないけど、昼間に見る緑に囲まれた「大文字」もなかなか綺麗だから、京都にお越しの節は、ぜひ目を留めて下さいね。
 

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