「君が欲しい」〜岳志と陽日の『初めて』





「気取ったところでバレバレなんだよぉ。こんな時間にこんなところにつっ立ってんだ。どうせそう言う目的なんだろ〜」

「違いますっ。僕は…っ」

「いいからいいから。で、いくらなんだ? お前くらいの器量だったらいくらでも出すぜぇ」

「僕は人を待ってるだけですっ、離して下さい!」

「だから、俺が遊んでやろうっつってんじゃねえか」

「やだっ、触るなっ」


 深夜の繁華街の片隅。
 酔っぱらいに絡まれることにはもう慣れた。
 最初は戸惑ったけれど、扱いにもそれなりにコツがあるのだと掴んでからは、それなりに対処出来るようにはなっていたのだが。

 夏になると気分も開放的になるのか、夜の街は遅くまで人気が絶えず、こんな輩の数も増えてくる。

 それにしても今夜のヤツはしつこい。
 ただの酔っぱらいなのだろうが、粘着質もいいところだ。

 しかも、優男のクセに妙に馬鹿力で、陽日は掴まれた腕に痛みを感じ、久しぶりに慣れない頃の恐怖感を思い出した。


 ――どうしよう…助けて…岳志さんっ。


 近づく酒臭い息に身を捩り、顔を伏せたその時。

「兄さん。悪いけど、その子、俺の連れなんだ。遠慮してくれないか?」

 穏やかな言葉遣いではあるけれど、その中に怒気を孕んだ低い声が、陽日の耳に届いた。
 同時に、掴まれていた腕が解放される。


「なにを〜? ああ〜? 横取りしようってのかよぉ、おいっ」

「とんでもない。本当にこの子は俺の連れなんだ。俺がここで待たせてたんだ」

「やかましいっ。こいつは俺が先に見つけたんだっ」

 酔っぱらいにはどんな道理も通用しない。 だが、ここまで酔っぱらっていると慣れたものにとっては逆に扱いやすい。


「あんたみたいなオヤジに用はないんだよ。とっとと消えな」

 煽るように笑ってやると、酔っぱらいは赤い顔をさらに火照らせて、怒りにまかせて殴りかかってくる。

「てめえっ」
「おっと」

 ピアノ弾きという職業ながら、すでに夜の街に馴染んだ男は軽い仕草で身をかわし、殴りかかってきた酔っぱらいはその目標を失って、滑稽なほど簡単に道ばたに転がり込む。


「さ、行くぞ。陽日」
「うんっ」

 これ以上ここに用はない。
 酔っぱらいが立ち直る前に逃げるが勝ち…だ。


「待たせてごめんな」
「ううん、そんなの僕こそもう少し時間を考えてお店を出ればよかったんだから」

 かなり怖い思いをしたのだろうに、陽日は笑顔を岳志に向けてくる。
 その笑顔にまだ若干の緊張が残っているのを見て取り、岳志はその華奢な身体をグッと抱き寄せた。

 その時。

「…いてっ」

 それは小さな声だったけれど、もちろん岳志は聞き逃さなかった。

「…おい、陽日?」

 立ち止まり、Tシャツの半袖から覗く細い腕を取ると…。

「…くっそう…。一発殴ってやればよかった」

 その言葉はもちろん、100mほど後方に転がしてきた酔っぱらいのオヤジに向けられたものだ。

「あ、こんなの平気だよ。ただの内出血だからすぐ治るって」

 だが、岳志は陽日の言葉をまるで聞いていない風でまた呟いた。

「俺の陽日にこんな怪我させやがって…」
「た…岳志さん…?」
 



 初夏のころ、二人が陽日の小さなアパートで一緒に暮らし始めて――きっかけは陽日の風邪だった――季節は真夏に移り変わっていた。

 陽日は相変わらず真面目に深夜喫茶での仕事をこなし、岳志もまた、相変わらずラウンジでのピアノ弾きを続けているのだが、変わったのは岳志の評判…だ。


『妙に真面目になったね、あいつ』

 ラウンジの常連は口を揃えてそんなことを言う。

 何かというとつっかかってきた、腕は立つけれど生意気なピアノ弾きは、ここのところの人当たりが至極柔らかくなり、客の評判も上々なのだ。

 そんな岳志が、時折思い詰めたようなため息をつくのはここ一月ばかりのこと。

 客との軽口の合間、ふとした隙間に漏れる息はどこか辛そうな色を孕んでいて、ラウンジの花たちは『岳志、どこか具合でも悪いんじゃないの? お医者、紹介してあげようか?』などと親身になって心配までしてくれる。

 そんなとき、岳志の答はいつも同じだ。

『さんきゅ。でも大丈夫だから』

 そう、具合が悪いというわけではないことは、本人が一番よくわかっている。
 むしろ体調的には絶好調だ。
 元気すぎて…困ったことになっているのだ。





 知り合ってから僅か1週間目に岳志は陽日のアパートに転がり込んだ。

 元はと言えば、陽日が風邪をこじらせてしまったために『看病する』という名目だったのだが、そもそも岳志は夜の街のお姉さん方の部屋を転々としているような根無し草な生活だったから、陽日の風邪が癒えてからも、居心地がよくて居座っているうちに『同居』と言うことになってしまったのだ。

 いや、『同居』に持ち込んだ…と言った方が当たっているかもしれない。

 もちろん岳志の方が遥かに稼ぎはいいから、家賃は全部出すと言ったのだが、陽日はうんと言わなかった。
 二人で住むのなら、半分ずつ…といって譲らなかったのだ。

 そして、始めた二人暮らしは想像以上に心地よく、ささくれだっていた岳志の感情をいつの間にか凪いだものにし、恋人同士でもお互いこんなに思いやりあえる生活はないんじゃないかと岳志は酷く浮かれた。 

 恋人同士。

 自分たちは同性だ。
 友人と言うにしては歳が離れている所為か、連れだって歩けばたいがい兄弟だと思われることがほとんどで、もちろん『恋人同士』だとは誰も思わない。

 だが、岳志の気持ちは急速に育っていった。

 生活のあらゆる場面で見せてくれる陽日の暖かくて優しい表情は、岳志の中にしっかりと根を下ろし、岳志はいつしか陽日をずっと目で追うようになった。

 そしてある明け方、ふと目覚めた時に隣ですやすやと眠っている陽日を目にして…。

 軽く閉じられた艶やかな唇に、吸い寄せられように触れていた。
 己の唇で。

 それが自覚の始まりで、同時に岳志の苦悩の出発点になった。

 陽日に触れたい、抱きしめたい、キスしたい、そして……。

 だが陽日は男の子だ。
 しかも自分にとても信頼を寄せてくれている。
 そんな陽日にこの感情が知れてしまったら…。

 同居は解消…いや、それだけではすまないだろう。
 自分はその『信頼』をも永遠に失ってしまうに違いない。
 そんなことになるくらいなら、何もかもに我慢を重ねている方がまだましだ……そう思った。


 だがそんな考えも甘いことにすぐ気付かされた。

 膨れ上がってしまったこの気持ちを抱えたまま陽日の側で暮らすことは拷問に近い。

 無造作にシャツを脱ぐ陽日。
 無防備なあどけない表情で眠る陽日。
 嬉しいことがあると無邪気に絡みついてくる陽日の身体。

 何もかもが、辛い。

 こんなに辛いのならいっそのこと離れてしまおうか…などと考えてはみるのだが、そんなことはすでに想像もつかない。
 陽日と共に生きていく自分。その姿しか、すでに想像できないのだ。

 眠れない日が続き、ため息は増えていく一方だった。
                      





『俺の陽日に……』

 それは完全に呟きだったから、一瞬陽日は都合のいい聞き違えかとおもったのだが。

 だが、確かに岳志はそう言った。

 もし本当にそう思っていてくれるのならば、どんなに嬉しいだろう。
 自分が岳志を欲しているように、岳志もまた自分を欲してくれているのだとしたら。

『風邪で気弱になっているところを優しくしてもらって、ほだされただけなんじゃないのぉ』

 同居を始めた時、深夜喫茶の常連さんたちはこんなことを言って陽日をからかった。

 けれど、風邪が治って岳志が出ていこうとした時、なんだかんだと理由をつけて引き留めたのは自分なのだと陽日は思っている。

 生まれてからこの春に独立するまで、大勢の子供・職員と共に賑やかな児童福祉施設で暮らした陽日にとって、社会に出て一番辛かったのは、働くことでも自炊でもなく『一人暮らし』だったから。

 家に戻っても灯りはついていない。
 迎えてくれるのは静まり返った暗くて寒々しい部屋。

『ただいま』と言っても『お帰り』と言ってくれる人のいない生活は、思っていた以上に陽日を打ちのめしていた。

 だから、岳志がいてくれて嬉しかった。

 優しい笑顔で自分を見つめてくれる大人の男性。
 春以来ずっと張りつめていたものが、すうっと溶けていくような気がした。

 確かにそんな状況を『ほだされた』と言われてしまえば返す言葉がないかもしれない。

 それでも陽日は、岳志の側にいたかった。

 自分は何にも出来なくて何にも持っていない、まだ子供だから、いつか岳志が飽きて離れていく日が来るとはわかっているのだけれど、でも、せめてその日までは一緒にいたかった。

 そして、『その日』ができるだけ遠いといいな…と願っていた。

 しかし、陽日も気がついてはいたのだ。
 ここのところ岳志に『ため息』が多いことを。

 自分との生活に気詰まりに思っているのかも知れないし、もう子供の相手はたくさんだと感じているのかも知れない。
 
 それに今までの岳志は色々なところを転々としていて、これと言って決まった相手をもたなかったと聞いている。

 岳志が『自由を愛する』タイプの人間ならば、一所にいられる期間は限られるのではないか。
 
 そして別れの日はもうすぐそこまで来ているのではないだろうか…と、陽日もまた、隠れてため息をついているのである。




                    
「陽日、早く帰って手当しよう」

 今度は陽日の腕に触れないよう、岳志はそっと肩を抱いた。

「あ、ほんとに大丈夫だから…」

「いいから」

 普段の岳志に強引なところは少ない。

 出会ったばかりの頃はもっと押しの強い人かと思っていたのだが、一緒に暮らしてみると、随分細やかに気がつく人なのだと陽日は感じていた。

 そして、それに甘えるのはとても気持ちのいいことで…。



 歩いて十五分ほどで二人のアパートに辿り着く。

 岳志は帰るなり陽日の手当を始めた。
 幸い消炎の貼り薬は買い置きがある。自身、時折痛む右手を抱えているから。


「…あの、ごめんなさい…」

「…どうして謝るんだ?」

 手当を終え、小さく言った陽日に、岳志は不思議そうな顔をしてみせる。

「だって、面倒かけてしまって…」

「…おい、何言ってんだよ。何が面倒なんだ? そもそも陽日がこんな目にあったのは、俺が時間に遅れたからじゃないか」

 どうやら岳志は本気で言っているらしく、陽日はさらに申し訳なさを募らせる。

「そんな…! 岳志さんの所為なんかじゃないって!」

 しかし、その陽日の言葉を、岳志はあまり聞いてはいなかった。

「…仕事、辞めたらどうだ?」

 唐突にこんなことを言ってのける。

「…え?」

「贅沢さえしなきゃ、俺の稼ぎで二人十分暮らせるから、陽日は仕事を辞めてもいいんだ」

「…ちょ、ちょっと待って! どうしていきなりそんな話に…」

「俺、仕事がんばるからさ」

「だから、ちょっと待ってって !僕が岳志さんに養ってもらうなんて、そんなのおかしいよ!」

 陽日の言葉に、岳志が眉をひそめた。

「…おかしい?」

 そして陽日もまた難しい顔つきで岳志の言葉に深く頷く。

「うん。おかしいでしょう? 岳志さんが赤の他人の僕を養うなんて、そんなの理由がないよ。だいたい、こうやって一緒にいてもらえるだけでも申し訳ないのに……」

 言葉の最後は消え入りそうだった。…だが。

「赤の他人……だって?」 

 岳志が低く唸った。まるで酔っぱらいを威嚇するときのような、そんな、声。

「…た、岳志さん?」

「陽日はそんな風に思ってたのかっ? 俺のことをっ」

 そうではない。
 陽日は『岳志にとって自分は赤の他人だ』と言いたかったのだ。だがもちろん、岳志にしてみればそんなもの『同じこと』だ。


「そ、そうじゃなくて…」

「俺は陽日が大切だっ。誰よりも、何よりもっ」

 このままでいれば、早晩自分は何もかも投げ出して陽日の前から逃げ出さなくてはならないかもしれない。
 この気持ちはとうに限界を超えているのだから。


 ――ならば言ってしまえ。何もかも無くすくらいならば、この気持ちをぶつけてしまえ。『赤の他人』だなんて言わせない。


 岳志の中で、そんな声がした。

「陽日…っ!」

 だが、言葉より先に腕が伸びた。華奢な身体を思い切り抱きしめる。

「俺はお前が好きだ…」

 腕の中で陽日が小さく震えた。だが構わずに続ける。

「離れたくない。離したくない。俺の腕の中で、ずっと守ってやりたい…」

「……岳志、さん……」

 陽日のその声は震えている。それは何を意味するのか。拒絶…か。


 長い沈黙。


 そして、何も言わない陽日に岳志が最悪の覚悟を決めたとき、所在なく下がっていた細い腕が動いた。

 がっしりとした岳志の身体にギュッと巻き付く。

「…まさひ…?」
「…岳志さん…っ、岳志さん……っ」

 胸元に押しつけている陽日の顔。吐く息が熱い。
 そして、岳志のシャツが熱いもので濡れ始めた。


「…陽日っ、ごめんっ」

 それが涙だと気付き、岳志は慌てて陽日の身体を放す。
 激情に任せてとんでもないことをした。
 自分の気持ちをぶつけることばかり考えていて、陽日の気持ちをまったく計ってやらなかった。

 だが、そんな岳志の混乱を余所に、陽日は自分から岳志にしがみついてきた。

「岳志さん…っ」

 繰り返し、名前を呼ぶ。

「…陽日…ごめんな。びっくりしただろ…?」

 しがみついてくる陽日に、『手痛い拒絶』だけは免れたのかも知れない…と、岳志は今度は少し穏やかな気持ちで陽日を抱きしめる。

 そんな柔らかい抱擁の中で、陽日が漸く言葉を紡いだ。

「…うん…びっくりした」
「…ごめん」
「…違う!」
「陽日?」
「そうじゃなくて、そうじゃなくて…!」

 大きな瞳からまたボロボロと涙がこぼれ落ちる。

 もうこうなってしまってはかける言葉もなくて、岳志はただ陽日を優しく抱きしめるしかない。

 そうして少しの間、その肩や頭を柔らかく撫でていると、漸く涙が納まったのか、蚊の鳴くような声で陽日が呟いた。

「…嬉しい…」

 もちろんその一言を岳志が聞き逃すはずはなく…。

「…陽日…」

「岳志さんが、そんな風に思ってくれてたなんて…」

 今度の言葉ははっきりと聞こえた。

「…いや、じゃないのか? 陽日」
「どうして?」
「…え、だって…」
「僕だって、岳志さんのこと、好き、なのに」
「…まさひ……」

 そんなこと、考えもしなかった。「まさか」の可能性など皆無だと思っていたから。

「だから、岳志さんが僕のこと好きって言ってくれたなんて、信じられなくて…」

「信じろっ」

 思わず声を荒げてしまう。

「頼むから信じてくれっ。いい加減な気持ちじゃないんだ。ちゃんと考えて、何度も考えて、陽日も俺も男だけど、でも……」

 端から見れば、大の大人が何を必死になって言い募っているのかと、滑稽にすら見えるだろう。
 だが岳志にはそんなことどうでもいいことだった。
 滑稽だろうが情けなかろうが、とにかく陽日を離さないためならば何だってする。

 そして、陽日はそんな岳志の気持ちを正しく汲み取ってくれた。
 潤んだ瞳で岳志を見上げ、小さく『うん』と頷く。

「…ありがとう、岳志さん…」

 その言葉をきいた瞬間、岳志は何を思う間もなく、陽日に口づけていた。






                   
「陽日…離してくれよ…」

「どうして?」

「どうして…って、お前も男なんだからわかるだろ?」

「…わかるよ」

「じゃあ…」

「わかってるから、離さないの」

「…陽日……」

 我を忘れて口づけを繰り返しているうちに、当然のように熱くなってしまった身体の変化を陽日に気付かれた。慌てて身体を離そうとしたのだが、そんな岳志に陽日はしがみついてきたのだ。 

「頼むよ、俺、マジでヤバイんだ。このままだと、ほんとに何しでかすかわかんない。だから…」

 離してくれ…と、もう一度言おうとした口を、陽日がその掌で塞いだ。

「…岳志さん…。僕もそれを望んでるって言ったら…」

 そこまで言って、陽日は自分の言葉に盛大に赤くなった。

 そして、岳志は口を塞がれたまま、目をこれでもかというくらいに見開いた。

 恥ずかしさに耐えかねたのか、陽日がふと横を向いてしまう。
 そんな陽日の顎を捉え、岳志は己の口を塞いでいた小さな掌をそっと外した。

「まさひ……」

 そして、また深く口づける。





「本当に、いいのか?」

「…何度も、聞かないで…」


 頬を染めて陽日が視線を逸らす。

 狭い部屋はいつも2組の布団を敷くと畳が見えなくなるほどなのだが、今夜は一つしか敷かれていない。

 岳志は逸る自分の身体を必死で宥めつつ、できるだけゆっくりと時間をとって事を進めていた。

 けれど端から諦めていたこの想いが成就しようとする幸運を、岳志はまだ信じ切れない思いでいる。

 だから何度も確認してしまうのだ。本当に、いいのか…と。


「じゃあ…こっちを見て、陽日」

 言うと、陽日は羞恥に染まった頬のまま、潤んだ瞳でおずおずと見上げてくる。

 夢にまでみた陽日の身体は今まさに岳志の下にあって、岳志はその華奢な身体を潰さないように、自分の体重を腕で支えながら、それでも陽日に隙間なく肌を合わせている。

 一緒に暮らし始めて着替える所など何度も見てきたのだから、今さらだとは思うのだが、それでもこうして露わになった肌に触れると改めてその艶やかさに感嘆してしまう。

 まだ成長しきっていない、少年の身体。

 僅かに過ぎる罪悪感も、陽日をこの腕に抱いた喜びにあっさりと凌駕されてしまう。


「…まさひ…」

 呟きと共に、熱い唇を陽日の首筋に落とす。

 その緩い刺激に小さく震える身体が愛おしい。

 そして、唇を離さないまま白い肌を辿る。首から肩、胸へと。

 岳志は自分では淡泊な方だとは思っているのだが、こういう夜の仕事をしていると、好むと好まざるとに関わらず女性経験はそれなりに豊富になってしまう。

 おまけに今まで抱いてきたのは自分の身体を武器に生きてきた女性ばかりだ。

 そんな『綺麗どころ』を相手にしてきて、こういう場面での扱い方も慣れているはずだったのに、何故か今、岳志の心臓は冗談のように早打ちをしている。

 何の隆起もない胸も、自分と同じ性を持つ証も、何もかもが陽日であればこそ、岳志の情欲をどうしようもなく駆り立てる。

 だが、思いのままに突っ走れば陽日には間違いなく辛い思いをさせてしまうだろう。

 どうすれば陽日の身体に負担をかけずに済むのか。

 唇で辿る所すべてを熱くして、陽日が小さく身もだえる。

 やがて岳志の熱い手のひらが陽日自身を捉えると、陽日が小さく声をあげた。そして慌てて口を塞ぐ。


「こら、陽日。口塞がないで」

 優しく笑って岳志はもう片方の手で陽日の手を外させる。

「…だって…声、でちゃう…」

「出していいから」

「…でも…あっ」

 不意をつかれてまた声が転がり出る。

 まだ十五歳の陽日にとって『そういうこと』に慣れた大人の手はあまりに巧みで、触れられただけでも全身が粟立つような感覚に襲われるというのに、欲望を育てるという明確な意図をもって嬲られたのではひとたまりもない。

「…おねが…いっ、離し…て」

 必死で身を捩るのだが、力ずくで押さえられているわけではないのに何故か逃げ出せない。

「陽日、大丈夫だから…」

「…でも…っ」

 手を伸ばし、岳志の手をなんとか外させようとその手首を捉えるのだが、まるで頂点を促すかのように緩急をつけて擦られてしまえばもう、陽日の手に力など入らない。

「おねがいっ…おねがいだから…っ。もう…」

「いっていいよ…まさひ…」

 蠱惑的な低音で囁かれ、同時に耳朶を甘く噛まれた瞬間、陽日は小さく身体を震わせて岳志の掌に熱い蜜を放った。

「…あ…」

 まだ小さく痙攣する身体を持て余し、見開いた真っ黒な瞳には見る見るうちに涙の膜が張る。

「…陽日…」

 そんな陽日が愛おしくて、岳志は横抱きにきつく抱きしめてあちこちに口づけを落とす。

 そして、濡れた掌をそっと、陽日の後ろに這わせた。

 瞬間、陽日の身体がまた大きく震え、いっぱいに溜まっていた涙がぽろりとこぼれ落ちた。

「…たけし…さ…」

「なあ、陽日。岳志…って呼んでくれよ」

 いいながらも掌は容赦なく蠢き、ピアノを弾くために鍛え上げられた指が一本、陽日の中にするりと忍び込んできた。

「…あ…あ…」

「陽日…ほら、岳志って…」

 陽日にしてみれば『それどころ』ではない。

 だが、岳志は指をもう一本増やしながら、また同じ事を囁いてきた。

 指が三本に増えた時も、そう言った。

 だがその指が陽日の中を緩くかき回し始めたとき、岳志は本音を吐いた。


「まさひ、ごめんな…辛い思いさせて」

 その言葉で、陽日は朦朧とする意識の中でもはっきりと悟る。
 岳志は自分の気を逸らそうとしてくれていたのだと。


「…ん、だいじょう…ぶ…」

 そう言って笑おうとしたけれど、ちゃんと笑えたかどうかわからない。

 けれど、岳志には伝わったようだった。
 とてもとても優しいキスが降ってきたから。

 それからどれくらいの間、岳志の指に翻弄されていたのか。

 最初の異物感が薄らいで、陽日が上げる声の色が変わるまで根気よくそれは続けられ、やがてもう一度、岳志が耳元で『ごめんな』と囁き、それが合図になった。

 指が引き抜かれた感触に、詰めていた息を吐き、呼吸を整えようと陽日が小さく口を開けようとしたとき、あっという間に仰向きにされて足を抱え込まれた。

「…た…」

 岳志の名を呼ぼうと思った。けれどそれは叶わなかった。
 指などとは比べものにならないほどの、壮絶な異物感。

 覚悟していたほどの痛みは感じない。 ただ、身体の中心に杭を打ち込まれているような感覚に、息が出来ない。


「陽日…まさひ…」

 耳朶を噛みながら、岳志が熱い吐息で陽日の名を呼び続ける。
 そして、ゆっくりと腰を揺する。

「…あ…あ…あ…」

 岳志の動きに合わせて、押し出されるように陽日の開いたままの口から息が漏れる。

 ほどなく岳志の動きに余裕がなくなり、最初の愛撫とは比べものにならないほどの激しさで陽日の中心に触れると、そのままの勢いで扱き立てた。

「…やあ…っ!」

 強すぎる刺激に陽日の口から悲鳴が上がる。

 後ろへの刺激だけでもう火傷をしてしまいそうなほどなのに、これ以上煽られては壊れてしまう。

「…一緒にいこう…まさひ…っ」

 低く呻いて岳志がその欲望のすべてを陽日の中に放った瞬間、岳志の手の中で陽日自身も弾けていた。
                  




「なあ、陽日…いい加減顔見せてくれよ…」

 弱り切った声でそう告げる岳志の胸元に顔を伏せたまま、だが陽日は一向に顔を上げようとしない。

 そんな陽日の様子に、小さくため息をつく。

「…ごめんな…。辛かったよな…」

 いくら慎重に事を運んだとは言え、無茶なことをしてしまったという自覚は十分にあるから、強引に顔を上げさせるなんて事は出来そうにない。

 だが、岳志の謝罪に陽日は漸く――それでも少しだけ――顔を上げた。

 見上げてくる目がまだ潤んでいる。


「…そうじゃなくて…」

 消え入りそうな声。

「陽日…」

「…なんか、キスから最後までいっぺんに行っちゃって、なんか…なんか恥ずかしくて…」

 漸くそれだけ告げると、陽日はまた先ほどまでと同じように岳志の胸に顔を埋めてしまった。


『キスから最後まで』

 陽日の言葉に岳志が目を泳がせた。

「…あー、それは…ええと…」

 その怪しげな様子に陽日がまたそうっと見上げてきた。

「…なあに?」

「いや、その、キスは今日が初めてじゃなくて…だな」

「………え?」

 目を見開きジッと見つめてくる陽日に、岳志は仕方なく告白する。
 かなり前、陽日の寝ている隙に奪ってしまったのだ…と。


「毎晩可愛い寝顔を晒してくれるお前を隣にして、こっちは天国なんだか地獄なんだかわかんない気分だったよ」

 その言葉に、陽日は小さく『バカ…』と呟いて、またしても岳志の胸に顔を埋めてしまった。





「君が欲しい」 END


2005年発行『キミコイ。』書き下ろし
2013年サイト転載


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