秋の風、さら、さら

Crystals of snowさま、20万Hitsお祝い【その1】





「さっち、何してる! 遅れるぞ!」
「は〜い、すぐ行くよ〜」

『さっち』こと、僕、聡也(さとや)の朝は相変わらずこんな風に始まる。
 
「置いてくぞっ!」
「たっくん、待ってよ〜」

 いつまでたっても、寝起きの悪い僕を迎えに来てくれるのは、『たっくん』こと、隆嗣(たかつぐ)なんだ。

 僕たちは同じ中学の3年生…14歳。
 隣同士に住む、生まれたときからの仲良しなんだ。

 ご近所でも評判のしっかり者であるたっくんは、なんだかんだといいながらも、僕の面倒を細々と見てくれて、そんなたっくんに僕はあまえっぱなしで…。

 この春からは、高校受験に備えて勉強まで見てもらってるんだ。

 そうそう、たっくんは、モテる。
 だって、背も高いし、かっこいいし、成績もいいし。 

 もちろんクラスの可愛い女の子連中はみんなたっくんに目を付けていて、『つき合って』ってコクったことも、一度や二度ではすまないみたいなんだ。
 たっくんはなぜかその事を僕にひた隠しにするんだけど。

 で、僕はと言うと、たっくんがモテるっていうのはとっても嬉しい。
 嬉しいんだけど、この前僕が熱を出して学校を休んだとき…。

 たっくんは隣のクラスのすごく可愛い子と二人で、家の真ん前まで一緒に帰ってきたんだ。
 僕はそれを偶然自分の部屋から見てしまって…。

 あの時はなんだか変な気分だったな。
 僕の知らないたっくんがそこにいるようで…。



☆ .。.:*・゜




「おい、こら、さっち。なにボーッとしてるんだよ」

 んあ?
 あ、しまった。

 今はちょうど夕ご飯前。
 僕はいつものようにたっくんに勉強を教えてもらっている。

 たっくんの成績だと、TOPレベルの公立は固い。
 でも、僕は……まだちょっと怪しい。

 この春からずっと勉強を見てもらっているおかげで、僕の成績は飛躍的に上がった。
 担任の先生も、このままがんばれば二人とも同じところへ行けるぞ……って励ましてくれたんだけど。

 ホント言うと、僕は行きたい高校がある。

 そこは、とんでもない名門校で、偏差値も半端じゃないけれど、学費の方も半端じゃない。

 だから、たとえ何かの奇跡が起こって僕がそこへ入れるだけの成績になったとしても、サラリーマン家庭の息子が敷居をまたげるようなところじゃないんだ。

 それはわかってるんだけど…。

「おい、さっち。どっか具合でも悪いのか?」

 たっくんが僕のおでこに手を当てる。

「熱はなさそうだよな」

 そりゃそうだよ。具合なんて悪くないもん。

「大丈夫だよ。僕、元気」

 元気のない声で言った僕に、たっくんはちょっと怪訝そうな顔をしたけれど、すぐにいつもの口調に戻った。

「もうすぐ晩飯だからさ、それまでにこの問題片付けちまおうぜ」
「うん…」

 返事はしたものの、僕のシャーペンは止まったままで…。

「ね、たっくん…」
「ん? 何だ?」

 たっくんはノートから顔を上げて僕をジッと見た。

「櫻稜学院って、どれくらいの成績がいるのかな?」

 自分でも無謀な発言だと思ったんだけど、案の定たっくんは目をまん丸にした。

「櫻稜って…。あの、櫻稜か?」
「あ、うん…」

 僕が曖昧に頷くと、たっくんは何故だか一つ、深いため息をついた。
 絶対笑われると思っていた僕は、意外なたっくんの反応にちょっとびっくり。  

「あのさ、無茶…言うなよ」

 たっくんの声は、かなり深刻な色で…。

「お前が櫻稜へ行きたいって気持ち、わかるけどさ」

 そうだった…。
 たっくんは僕が密かに恋している相手を知っているんだった…。

「あそこの偏差値は半端じゃない。うちの中学からじゃ、一番のヤツでも多分無理だと思うし、それに…」

 たっくんは、またしても深いため息をついた。

「学費なんて、年に何百万って単位なんだぜ」

 う…。高いとは聞いていたけど、実際中学生の僕らには、その単位はまるで天文学的数字に聞こえてしまう…。 

 俯いてしまった僕。

「か、可哀相だと思うけどさ。こればっかりは、諦めろよ…な? さっち…」

 たっくんは優しい声で言ってくれて、温かい手で背中を撫でてくれて…。



☆.。.:*・゜


 

 次の日、ちょっと涙で腫れちゃった目を擦りながら、僕とたっくんはいつもの通学路―駅前の道―を通りかかった。

 その時…。

「待てって!」

 張りのある声がすぐ側で聞こえたかと思うと、ぼんやりとたっくんのちょっと後ろを行く僕の目の前に大きな影がさしかかった。

「わっ」

 それはとっさのことで、でもたいしてぶつかったわけでもなく…。

「さっちっ!」

 ちょっとよろけた僕を、たっくんが背中からがっちりと支えてくれたんだけど。

「大丈夫か? さっち」

 僕が顔を上げると、目の前には…あの人が…。

「ごめんね、君。大丈夫? 怪我はない?」

 僕の右手を取るその人…それは…、僕の憧れの…。

「ひが…」

 思わず名前を口走りそうになったとき、もう一人誰かが駆け寄ってきた。

「ちょっとっ、研くん、何やってるんだよ」
「鈴…」

 それは、目を疑うほど綺麗な人。
 そう、いつも、東森さんの隣にいる…。

「大丈夫? 痛いところない?」

 …声まで綺麗なんだ…。

 怪我がないか確かめるためなのか、白くて細くて繊細な指先が、僕の身体のあっちこっちに触れて…。

「ごめんね。彼、カッとなったら周りが見えない困った人だから…」
「鈴っ」

 二人の会話は、僕に向けられているはずなのに、なのに、何故だかとても遠くて…。

「ほら、研くんも、ちゃんと謝って」
「あ…」

 僕の憧れの人は、その人に向けていた視線を、また僕に戻して心配そうな顔をした。

「本当にごめんね。怪我してない?」
「だ…」

 大丈夫です、って言おうとしたら、唐突に後ろから声がした。

「大丈夫ですっ。こいつの面倒は俺が見ますからっ」

 その声は確かにたっくんの声なんだけど、僕が聞いたこともないような『大人』の声で…。

 すると、奇跡のように綺麗な人は、たっくんに向けて花が開くような笑顔を向けたんだ。

 瞬き一つで長い睫が揺れて、それにあわせて瞳も揺れて…。

 周りの空気すら自分の香りに変えてしまいそうな彼の様子に、僕は、完全に見惚れてしまっていた。

「うん、じゃあ、もしも後で怪我とか見つかったら連絡してもらえるかな?僕たちは…」

「知ってます。櫻稜の東森研二さんと乙羽鈴矢さんでしょ」

 え?

 たっくんのその言葉に、僕だけでなく、お似合いの二人もまた、目を丸くした。

 確かに僕は東森さんのことを調べてって、たっくんに頼んだことがある。
 でも…。

「有名人ですから。お二人とも」
「そうなんだ」

 クスッと笑みを漏らす口元も、僕の目を釘付けにしてしまう…。

 でも、当然それは僕だけじゃなくて、そう、東森さんもその様子をジッと見ていて…そして…。

 たっくん…?
 たっくんも、やっぱり見惚れて…る、の?

 それに、どうして東森さんの『恋人』の名前まで知っているの…?

 たっくん、たっくんは、もしかして…。

「ともかく、本当にごめんね。痛いところとかでてきたら、必ず連絡してね」

 東森さんは僕の頭を撫でながら、まるで小さい子に言うような口調でそう言った。
 すると、僕の身体はすごい力でいきなりたっくんの背後に回された。

「電車、来ますよ」
 たっくんがぶっきらぼうに言う。

「あ!」

 どこから見てもお似合いの二人は、顔を見合わせた。

「じゃあ、悪いけど、お先に」

 ニコッと笑って踵を返し、二人は駅へと駆けていく。
 その姿を、僕はたっくんの背後から覗くようにしてみる。

 それは、乙羽さんが先に行ってしまう後ろを、東森さんが追いかけているみたいで…。

 …そっか、きっと東森さんは乙羽さんを追いかけていて、僕にぶつかったんだ…。  

 なんとなくそう思い、ふと目線を上げると、たっくんもジッと遠くなる二人を見ていた。

 その瞳はすごく熱くて、射抜くような厳しさすら…。

 もしかして、もしかして、たっくんは…。  

「たっくん…何見てるの…?」

 かけた声が震えていることに、僕はびっくりしてしまった。
 どうして僕の声が震えるの…?

「…何でもない」

 静かに一つだけ落とされた答えは、僕の胸にもズシンと落ちた。

「行くぞ、さっち」

 たっくんは僕の腕を乱暴につかんで、早足で歩き出す。

 その時さらっと通り過ぎた風に、僕の白いシャツが揺れて…。
 あの綺麗な人―鈴矢さん―が僕に触れた蹟…残り香が立ち上った。

 香りさえ美しいあの人…。

 ふと、たっくんが立ち止まった。

 僕のシャツに少し顔を近づけて…。

 たっくんも、この香りに気がついている…?

 そのことに気付いたとき、僕の胸はギュッと締め付けられた。



☆.。.:*・゜




 学校からの帰り道。朝からずっと爽やかだった秋晴れの空は、朱色の夕日が真っ赤に染めてすごく綺麗で…。

「な、さっち…。お、乙羽さんって綺麗だよな…」

 夕日なんて目に入ってない様子でたっくんが呟いた。
 たっくんの頭の中の『綺麗』は、この夕日ではなくて乙羽鈴矢さん…。 

「あ、うん…そう、だね…」

「あ、あんな恋人いたら、う、嬉しい、だろう、な」

 僕の返事が聞こえたのか聞こえていないのか、たっくんは照れたような恥ずかしそうな…そう、滅多に見せない顔をして…そう言った。

「そ、そりゃあ、そうだ、よね」

 そりゃそうだと思うよ。思うけど、たっくん…。
 たっくんも、あの人がいいの? 
 東森さんだけじゃなくて、たっくんも…。

 いつになく気まずい雰囲気の中、たっくんがふっ…と空を見上げた。
 その思い詰めた様子に、僕は思わず…。

「た、たっくん…。たっくんは、もしか、して…あの人の…こ、と…」

 たっくんの整った顔を夕日が染めて…。
 ううん、違う。
 たっくんはきっと、頬を染めてるんだ。 
 あの人の、綻ぶような笑顔を思いだして。

 そして、たっくんの口から漏れた、僕への答えは…。

「食っちまいたい…」

「………え…………っ?!」

 今度こそ、僕の心臓は音を立てて…痛んだ…。



続けて「鰯雲、ぷか、ぷか」へどうぞ(笑)