桜雪、ちら、ほら
Crystals of snowさま、10万Hitsお祝い献上作品
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「さっち、何してる! 遅れるぞ!」 「は〜い、すぐ行くよ〜」 『さっち』こと、聡也(さとや)の朝はいつもこんな風に始まる。 「置いてくぞっ!」 「たっくん、待ってよ〜」 毎度毎度、寝起きの悪いさっちを迎えに行くのは、『たっくん』と呼ばれている俺、隆嗣(たかつぐ)だ。 俺たちは同じ中学の2年生…14歳。 そして二人のつきあいは14年になる。 なにしろ生まれた落ちた家が隣同士。 父親同士は幼なじみ。 母親同士は高校の同級生。 ついでに言うなら、俺たちがこの世に出現した日はなんと、1日違い。 こんな風だから、生まれてこの方、離れていたためしがない。 同じ幼稚園、同じ小学校に通い、当然中学校も同じ所。 年に2回の『家族旅行』も2家族合同。 だから俺たちは、側にいて『当たり前』…なんだ。 「お前なぁ、明日から部屋の窓の鍵、開けておけよ」 「へ? どして?」 実を言うと俺たちは、部屋も二階のお向かい同士。 ただし窓から出入りしたことはないんだけど。 「明日から俺が部屋まで起こしに行ってやる」 「え? …ええっ?」 「俺たち来月には中学3年生だぞ。いつまでもお母さんに起こしてもらっててどうするよ」 ご近所でも評判のしっかり者である俺は、中学2年の最終日である今日、重大な決意をした。 それは、『さっち獲得大作戦』だ。 俺は、いつの間にやら、さっちしか目に入らなくなっていた。 もちろんクラスには可愛い女の子もいるし、『つき合って』ってコクられたことだってあるけれど、それでも、俺の目は無意識のうちにさっちを探し、さっちを追っている。 それがどんな意味を持つのかということに気がついたのは、つい数ヶ月前のことなんだけど…。 中学へ向かう俺たちの通学路。 途中にある大きな駅で、俺たちはいつも同じ光景を見ているんだけど、その中に、いつも同じ二人連れがいることに気づいたのは、さっちの視線からだった。 さっちが見ている先には、幼稚舎から大学まで取りそろえた名門私立の高等部のブレザーがイヤになるほどよく似合う、さわやかなハンサムがいたんだ。 最初は何となく…そう、何となくそいつを視界の端に捉えているだけだったようなんだけど、いつの頃からだったか、さっちはあいつをしっかりと、目で追うようになった。 そして、しばらくすると溜息をつくようになった。 彼の隣には、同じ制服の、それこそ少女のような美少年が必ずいることに気づいたから。 ハンサムの隣の美少年。 シャンプーのCMに使えそうなしなやかな黒髪、化粧品のCMに使えそうな白い肌、見つめる黒目がちの潤んだ瞳はコンタクトのCMに使えそうなそいつは、小さめのふっくらとした紅い唇で、隣のハンサムに微笑みかける。 俺もさっちも、彼らの名を知らない。 知っているのは制服が教えてくれる名門校の名前…それだけだ。 それでもさっちは、あのハンサムを追っている。 それが…我慢ならなかった。 最初は、ただ、いつも俺を追っていたさっちの視線が、他へ移ったことに対する嫉妬かと思ってたんだけど、それ以上の感情が、すでに俺の中には宿っていた。 さっちが好きだ。 他の男を見るなんて許せない。 それは一瞬ゾッとするような感覚だったけれど、俺は意外にもそれを事実としてすんなりと受け止めていた。 生まれたときから隣にいた、いわば『半身』であるさっちが、傍からいなくなるなんて考えられなかったんだ。 だから、俺はさっちを誰にも渡さないと決めた。 今まで以上に、俺はさっちの傍にいると。 そのためにはまず、『朝からさっちのベッドまで行こう大作戦』だ。 「これからは、お前の部屋に直接行くからな」 「それって窓から入ってくる…ってこと?」 「そうだ」 さっちは、目を丸くして俺を見つめた。 「そんなことしたら、危ないよ」 「大丈夫だ。俺、もうデカイから桜の木にも手が届くし」 そう、俺とさっちの部屋の間には、結構立派な桜の木が枝を延べている。 それに掴まっていれば、屋根と屋根の間に開いている20cmほどの隙間も何でもない。 「それにさ、これからは高校受験に向けて勉強も忙しくなる。遅くまで勉強するんだから、寝てる父さんや母さんを起こさないようにしなきゃな」 我ながらかなり苦しいいいわけだと思う。 けど、いいんだそんなこと。 「ふぅん」 さっちは小さな口を尖らせた。 「ってことは、たっくん、僕の勉強みてくれるってこと?」 「もちろんだ」 「やったっ」 俺は、自慢じゃないが結構成績はいい。 さっちは…中の上…くらいか。 「たっくんが勉強みてくれるんだったら、なんだかはかどりそうだな」 さっちは俺の邪な下心に気づかず、無邪気に喜んでいる。 若干良心が痛むけど…。 けど、いいんだそんなこと。 「さっち、起きろ」 静かに窓を開けて、小さく声をかける。 今日も朝から暖かい。 ここのところの急激な暖かさで、俺たちの部屋の間の桜も、綻び始めた。 この調子だと、あっと言う間に満開になりそうだとお袋が言ってたっけ。 「さっち…さっちってば」 続けて声をかけてみるけれど、さっちは背中を向けたまま、うんともすんとも言わない。 「しょーがねーな」 と、自分に言い訳して、さっちの部屋へ入る。 「ほれ、さっち、起きろ」 「ん〜」 軽く揺すられて、やっとさっちが声を出す。 「起きないと布団剥がすぞ」 それは…とてもやってみたい行為なのだが、実際はなかなかその勇気が出ない。 チビの頃は平気でやってたのにな。 「たっくん〜。今日から春休みだよ〜。もう少し寝かせてよぉ」 「だめだ」 布団に潜り込もうとしたさっちの肩を、掴んで引き留める。 それだけでもう、心臓はバクバク言ってるんだけど、そんなこと顔には絶対出せない。 「休みのうちから規則正しい生活してないと、受験は乗り切れないぞ」 って、俺、よく言うよ。 「おはよ。さっち」 ようやく顔を出してくれたさっちに声をかける。 「ん…おはよ、たっくん」 眠たげな目を擦りつつ、さっちがもそもそと起きる。 と、いきなりパジャマを脱ぎだした。 うわぁぁ…。 一つずつボタンを外すにつれて露わになる滑らかそうな肌。 俺は慌てて背中を向けた。 「どしたの?たっくん」 …どーしたもこーしたもあるかっ。 春休みに入って数日。 俺たちの部屋の間の桜はすでに、満開を越えた。 窓の外は一面の桜。 昼間も綺麗だけど、夕暮れから日が落ちるにつれて変わっていく色が、何とも言えずに鮮やかだ。 春休みになってから、毎日の夕食後、俺たちは一日交代で部屋を行き来して勉強を始めたんだけど、今夜はここしばらくの暖かさが嘘のような寒さの中、俺の部屋に二人でいる。 「おい、さっち。眠いのか?」 シャーペンを握りしめたまま、うつらうつらし始めたさっちの肩を、そっと揺すってみる。 そういえば、結構な時間になっている。 「ん〜。眠いよぉ」 「じゃ、ベッドで寝ろよ。何だか今夜は冷えるからさ、風邪ひいちまうぞ」 そう言って、俺はさっちを立たせる。 すでに小さな肩はひんやりとしていた。 ここのところやけに暖かかったから、さっちも油断して薄着になっていたんだ。 桜はもうすでに散り始めているというのに、今夜は本当に冷える。 「ん、僕、部屋に帰って寝るよ…」 眠い目を擦りつつ、小さな紅い口が可愛いあくびをした。 そのふっくらとした紅は、駅前の美少年なんかに負けていないと俺は思う。 「ばか、ふらふらしてたら屋根から落ちるぞ。俺のベッド貸してやるから」 何とか引き留めようとしても、さっちは帰ると言ってきかない。 「わかったよ」 俺は今夜のところは諦めることにした。また、明日会えるんだから。 二つ窓を隔てた向こうに、いつもさっちはいるんだから。 「送ってってやるから」 そう言って窓を開ける。 「ひゃぁ」 吹き込んできた冷たい風に、さっちが首を竦めた。 これでは一気に目が覚めただろう。 「たっくん〜、寒いよぉ」 そう言ってさっちは俺にギュッとしがみついてきた。 (うわっ) 俺の心拍数は一気に跳ね上がる。 「だ、大丈夫だって。俺に掴まってたら寒くないだろ?」 そう言うと、さっちは俺の胸に顔を埋めて、『うん』と頷いた。 そんなさっちの小さな身体をギュッと抱きしめて、窓を閉めようとふと顔をあげると…。 「さっち…雪だ…」 「え…?」 桜のピンクが一ひら…二ひらと散っていく中、雪の小さな結晶が一つ…二つと紛れ込む。 「きれー」 さっちは俺にしがみついたまま、窓の外をジッと見つめる。 春のさなかに、名残の雪。 「寒いね〜。たっくん、やっぱ、今晩泊めて」 窓二つ向こうにはさっちの部屋。 窓辺の小さな灯りが主の帰りを待ちわびているけれど。 「ああ、泊まってけよ。お前、こんな晩に一人で寝たら絶対風邪ひくからな」 「たっくん、僕たちがチビの時から、寒い夜はギュってしてくれたよね。あれがなかった次の朝って、僕、必ず風邪ひいてたんだ〜」 ああ、いいよ、さっち。 チビの頃と同じでいいよ。 ジッと二人で、ギュッとしがみついて暖かく眠ろう。 今はそれでいいから。 さっち…。俺の大事なさっち…。 触れているところすべてから、じんわりと伝わってくるさっちの温もり。 なぁ、さっち。 俺はさっちの身体を暖めているけれど、さっちは俺の心を暖めてくれてるって、気づいてるか? 気づいてないよな。 でも、いいよ、それでもいいよ、さっち。 今夜は寒いから、二人で眠ろう。 雪が降るほど寒いから、二人でギュって…。 雪…降ってくれて、ありがとう…。 END |
2001.7.21 UP
私の敬愛する氷川雪乃さまの「Crystals of snow」が
10万Hitsを迎えられたときに献上させていただいた作品です。
続編「夏時雨、しと、しと」はこちらから
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