雪舞、ひら、ひら

Crystals of snowさま、30万Hitsお祝い献上作品

「さっち、ほら、寝るなってば」
「う、うん…」

 夜にも朝にも弱いさっち。
 時計も午後11時を回ると、もう瞼が塞がりかかる。
 『寝る子は育つ』っていうけど、さっちの場合は残念ながら当てはまらないようだ。

 このまま寝かせてやりたいのはやまやまだけど…。

 受験生に正月はない。
 そう、俺たちの高校入試は、いよいよ最後の山にさしかかったってとこだ。
 相変わらず俺たちはお互いの部屋を屋根伝いに行ったり来たりしながら勉強を続けている。それは、去年の春から変わらない。

 ほんの一時期、マジで超名門の櫻稜学院を目指そうとしたさっちも、現実(特に学費の面だ)に目を向けてからは何にもいわなくなった。
 でも、そのおかげなのか何なのか、去年の春にはレベルで2ランクあいていた俺とさっちの志望校は、去年の年末に一緒になった。
 そう、さっちががんばって追いついたんだ。

 俺たちが目指すのは、県下で最もレベルの高い公立高校ってワケだ。
 ま、櫻稜に比べられたらちょっと…なんだけどな…。

「ね、たっくん。ここの答え、どうなった?」

 何度か俺に揺すられて、漸く目をパッチリ開けたさっちが、数式を指さして言った。

「え? あ、ああ、ここは…」

 偉そうに『寝るな』ってさっちに言った俺だけど、もっとたちの悪いことに、俺はさっちの可愛い横顔を眺めてぼんやりと物思いに耽っていた。

 一通りの答えを合わせてまた別の問題に取りかかると、とたんに静けさがのしかかってくる。
 やたらと時計の秒針がうるさくて、それ以上に自分の鼓動がやかましくて…。

 実は…。
 去年の秋以来、なんだか俺たちの仲はギクシャクしちまってるんだ。

 そう、さっちが『あの男前』と駅前接近遭遇して以来だ。
 あの時俺は、焦って暴挙に出た。
 さっちが憧れる男前の、超美少年な恋人…。そいつに横恋慕しちまったように見せかけたんだ。

 題して『さっちに嫉妬をさせよう大作戦』。

 今反省するに、ほんっと、浅はかな考えだったと思う。
 だって、さっちは嫉妬してくれるどころか、俺になんにも言わなくなっちまったんだ…。

 笑顔の代わりに、ため息と頬杖の毎日。
 ふと目が合うと、困ったような、もの言いたげな瞳が見えて…。

 こんなことだったら、あんなことしなけりゃよかったよ。
 まだ、前のようにいろいろ相談してくれる方がよかった。
 でもって、自分が嫉妬してる方が、まだ気が楽だった…。

 それに、気になることが一つ。
 さっちのやつ、最近その男前を目で追わなくなったんだ。

 その代わり、その瞳に映るのは…乙羽鈴矢…。
 どうしちまったんだよ、さっち…。


 たっくんが真剣な横顔を見せている。

 もともと成績のいいたっくんは、こんなに勉強しなくてもいいはずなんだ。
 でも、漸く追いついた僕のために、こうやって毎晩遅くまでつき合ってくれてる。
 さっきだって、ついうとうとしちゃった僕を起こしてくれて…。

 僕はここ数ヶ月の間にいろんなことを考えた。

 いつも当たり前のように側にいてくれたたっくん。
 僕はたっくんがいないと何にもできやしない。

 でも、僕の中のたっくんがいかに大きな存在か気がついたとき、もう、たっくんの目は僕じゃない人間を見つめていた…。

 その人の名は、乙羽鈴矢。
 とんでもない超名門校の、とんでもない美少年だ。

 そして、僕が憧れていた人の…きっと…恋人。

 それはたっくんもわかっているはずだけど、でも、そんなことどうでもよくなっちゃうくらいに乙羽さんは素敵な人だ。
 誰もが乙羽さんに憧れて、その心を奪われてしまう…。

 僕みたいに何の取り柄もない『ただのチビ』に太刀打ちできる相手じゃ…ない。

 …ああ、なんだかやたらと時計がうるさいや…。


「遅くまでがんばるわね」

 そう言って俺のお袋が温かいココアを入れてきてくれた。
 お袋にとって、さっちは親友の子で、生まれたときからの隣同士。
 我が子も同然だ。

 さっちもホッとしたような柔らかい表情をお袋に向けて、そしてさっち専用のクマ柄のマグカップを受け取る。

「隆嗣、お勉強すんだらちゃんと聡也くんを送っていくのよ」
「わかってるって」

 んなこと言われなくたってわかってる。
 あ、送ってくってのはもちろん屋根伝いの窓越しのことだ。

「じゃあ、がんばってね」

 そう言ってお袋はさっちの頭を撫でて出ていった。
 その時、さっちは『はい』ってそりゃあにこやかに返事をしたようだったんだけど…。

 俺が、もう一度さっちの表情に視線を戻したときには、もう、さっちはぼんやりとマグカップの湯気を見つめていた。
 そんな顔して…何考えてんだよ、さっち。

 あ? お前、そんな、猫舌のクセに、いきなり口つけたら…!

「あちっ!」
「さっち!!」
「うわ……っ、あ!」

 ほら見ろっ。
 さっちは太股の辺り一面、盛大にココアをこぼしちまった。

「…たっくんっ」
「ほらっ」

 涙目のさっちを俺は力任せに引っ張り、そのまま俺のベッドの上に仰向けに転がした。

「ちょっと我慢しろっ」

 多分、皮膚にひっつくほどの火傷ではないだろうと判断して、俺はさっちのズボンをはぎ取った。

「た、たっくん…っ」
「じっとしてろって」

 俺は窓を開けて、屋根の隅っこに残っている正月の名残の雪をすくい取った。 
 そしてそれをさっちの赤くなった太股に押しつける。
 それを数回繰り返しているうちに…。

「たっくん…ありがと。なんだか痛くなくなってきたみたい…」

 かなり落ち着いたのか、さっちが穏やかな声で言った。
 よかった…。これなら水膨れなんかにもならないですみそうだ。

「うん。でも、そのままでちょっとまってろ」

 俺はそう言いおいて、タオルを濡らしに洗面所へ行った。
 残り雪って埃とかも混じってて、あんまりきれいじゃないからな。
 ちゃんと拭いてやんなきゃ…。

 俺が部屋へ戻ると、さっちはなんだかもぞもぞしてた。

「どうした、さっち」
「ん…と」

 さっちが上着のフリースを引っ張っている。
 濃いブルーのフリースから、白い足がすらっと………白い……。
 
 う…。

 白くて細っこい足を隠すように一生懸命上着を引っ張るさっちが、ふとあげた目元はなんだかほんのりピンク色で…。 

 うわぁっ!!
 さ、さっちのヤツ、ななな、なんてカッコしてるんだっ。

 ……って、俺がひっぺがしたんだっけ…。

「お、俺、着替え取ってきてやるっ」

 目眩を起こした俺は、慌ててさっちを自分のベッドに押し込んで布団で蓋をした。
 だって、これ以上見てしまったら、俺……どうにかなっちまうっ。

 俺は、とるものもとりあえず、そう、とにかくここにいてはヤバイので、さっちの部屋を目指して窓からでることに…。

 ん?
 この手は何だ…?
 出ていこうとした俺の左手を、何かが掴んでいる…。

 それはさっちの細い指…だった。

「な、なんだ…さっち…」

 ヤバ…。俺、声が震えてるじゃん…。
 どうか、どうか、さっちに気付かれませんように…!


「あちっ!」
「さっち!!」

 たっくんの声が僕を呼んだとき、もうマグカップは僕の手を離れていた。

「うわ……っ、あ!」

 熱いとか何だとか思うより先に、右足の膝から上に痛みが広がった。
 自覚より先に、涙が滲んだ…。

「…たっくんっ」
「ほらっ」

 思わず助けを求めた僕は、たっくんに思いっきり引っ張られてベッドの上に転がされた。

「ちょっと我慢しろっ」

 え…? 何…?!
 僕はいきなりズボンをはぎ取られた。

「た、たっくん…っ」

 それは、思わず痛みを忘れるくらい、恥ずかしいことで…。

「じっとしてろって」

 たっくんは窓を開けて屋根の方へ身体を伸ばした。
 戻ってきたたっくんの手にはお正月の名残の雪。 
 そしてそれを僕の赤くなった太股に押しつける。
 それを数回繰り返しているうちに…。

「たっくん…ありがと。なんだか痛くなくなってきたみたい…」

 冷たさを感じる頃には、ぴりぴりした感覚が残るだけで痛みは随分と引いていた。
 たっくんのおかげで、僕はこうして……。

「うん。でも、そのままでちょっとまってろ」

 たっくんはそう言うと部屋を出ていってしまった。

 どうしたのかな…と思ってから、ふと視線を落とした僕は、自分のとんでもないカッコに気がついた。
 ぶかぶかの青のフリースだけが僕の身体を覆っていて、そこから、情けないほど細くて生白い足が投げ出されている。

 やだ…。こんなカッコ、なんだか女の子みたいで恥ずかしい…。

 僕は少しでも足を隠そうと、上着を何度も何度も引っ張る。
 着替えを取りに帰りたくても、寒い中、こんなカッコで屋根は越えられない。

 それに、屋根越えの時はいつもたっくんが手を握っていてくれるから…。

 ああ…。やっぱり僕は、たっくんがいないとダメなんだ。
 たっくんがいてくれるから、僕はどうにか自分の足で立っていられるんだ。

「どうした、さっち」

 戻ってきたたっくんが、挙動不審な僕を見て不思議そうな顔をした。

「ん…と」

 このカッコが恥ずかしい…なんて言えやしない。
 だって、僕たちは友達同士。チビの頃にはずっと一緒にお風呂にも入っていて、これくらいのことが今さら恥ずかしいだなんて、そんなこと…。

 …きっと、僕だけがこんなこと考えて、一人でオロオロしてるんだ…。

 情けなくてなんだか視界が潤んできたとき…。

「お、俺、着替え取ってきてやるっ」

 突然たっくんがそう言って、僕をベッドに押し込んだ。しかも、頭まで布団を掛けたんだ。

 僕は慌てて掛けられた布団から顔を出す。
 そして、立ち上がったたっくんの左手を、思わず掴んでしまった。

 たっくんが、まるでお化けでも遭遇したような顔をして、その部分を見る…。

 あ…。僕、どうしてこんな…。

「な、なんだ…さっち…」

 たっくん…?
 声、震えてる…?
 どうして…?

 掴んだ左手が熱いよ…。なんだか、よくわかんない。僕はどうしちゃったんだろう。

 まとまらない頭の中はわけのわからないもやもやだけが渦を巻いている。

「ぼ、僕はあの人みたいに可愛くないから」

 僕の口をついて出たのは、そんな、とんでもない言葉だった。


「ぼ、僕はあの人みたいに可愛くないから」

 潤んだ眼差しで俺を射抜いたさっちの、小さな口から漏れたのは、そんな、言葉だった。

 あの人って誰だ? 何でさっちがそんなこと気にするんだ?
 俺にとってさっちは…いつも、いつも…!

「バカ言うなっ、誰と比べてんだよっ」

 さっちより可愛いヤツがいるわけねーじゃねーかっ!

「え…ええっと」
「どーでもいいやっ、誰と比べても関係ねーよっ。俺にとってはさっちが一番可愛いんだ!」

 そう、うちの中学の一番カワイコちゃんだって敵わない。
 櫻稜のナンバー1美少年だって敵わないんだっ!
 俺の一番は、いつだって……。

 ん? 櫻稜の…美少年…?

 まさか…、まさか、さっち…?

「お前、まさか櫻稜の…」

 信じられないことだけれど、聞かずにはいられなかった。
 そして、さっちの答えは…。 

「お、乙羽さんは…誰よりも、可愛い…」

 消えてしまいそうな声でそう告げて、さっちは布団に潜り込んでしまった。

「ばか…」

 ばか、ばかばかばか。さっちのばか。

「ど、どうせ僕は…」

 布団の中から、くぐもった声がする。さっちはもう、泣いてるようだ。
 
「大バカだよ、さっちは」
「ば、ばかでいいもん…」

 …ごめん、さっち。

「バカは俺だよ…。さっちなんかと比べものにならないくらい、俺の方がずっとずっと大バカ野郎だ」

 俺はそう言いながら、布団の上からギュッとさっちを抱きしめた。

「た…たっくん…?」

 腕の中で、さっちが身体を固くしたのがわかった。

「さっちが…好きだ」

 固くなっている身体がビクッと震える。
 俺はまた、それをきつく抱きしめる。

「ずっとずっと、さっちだけが好きだ。さっちだけを見てきた」

 腕の中のさっちは何も答えずに震えている。

「さっち…」

 俺は、ずっとこのままさっちを抱きしめていようと思った。
 今は返事が聞けなくてもいい。
 でも俺は、俺の本当の気持ちを、今、伝えなきゃいけないと思ったから。

 でなきゃ、俺たちはここから一歩も進めなくなっちまう。
 ずっと同じところをグルグル回り続けて、出口のない迷路を彷徨うなんて、イヤだから。

 俺が思いを込めて、さっちを布団ごとまたギュッと抱きしめると、中身がもぞもぞと動き始めた。

 どうやら、向きを変えて…。
 俺の胸のあたりに何かがギュッと押し当てられた。

「たっくん…」

 それは耳を澄ましていなければ聞き漏らしてしまいそうなほど小さな声。

「僕も…たっくんが…」

 …さっち…。

「すき…」

 ああ……。

「さっち…さっち……。おれのさっち…」

 信じられない展開に、俺は更に腕に力を込めた。
 離さない…俺のさっち。俺だけのさっち…。

「うー」
 …うー?
「うーうー」
 …うーうー?
「うーうーうー」
 …うーうーうー?

「ぶはっ」

 いきなりさっちが布団から顔を出した。

「はーはーはー」

 散歩直後の犬みたいに息をつくさっち。
 …そっか、布団蒸しになってたんだ…。

「ご、ごめん、大丈夫か?さっち」
「ひ、ひどいよ、たっくん〜。僕、死んじゃうかと思った…」  

 そう言いながら、肩で息をしていたさっちがふと顔をあげた。
 いつになく間近で、しかも真っ正面からぶつかった俺たちの視線。
 そして、さっと朱の走ったさっちの表情に、俺の心臓がドクンと一つ、派手な音を立てた。

「さ、さっち…」

 思わず俺は、もう一度さっちを抱く腕に力を込めた。
 そして…夢にまで見たさっちの柔らかい唇に…。
 息がもつれそうなほど近くなる。

「ひゃぁ…」

 ……………………。

「さっちぃ…」

 色気のない声をあげて、さっちが俺の胸に顔を埋めた。
 そう、逃げられたってわけだ…。

「ご、ごめん、たっくん…。でも…でも…」

 そうだよな。いきなりこんなこと…な。

「ううん、こっちこそごめん、さっち」

 そういって俺がその身体を離そうとすると、今度がさっちがしがみついてきた。

「お、お願いっ、たっくん、嫌いにならないでっ」

 さっち…。お前…。

 俺はもう、言葉にならなくて、ただ、ただ、さっちの細い身体を抱きしめた。
 そして、飽くことなく、『好きだ』と囁き続けた……。






「あった…」

 まず落ちることはないだろうといわれていた俺の受験番号が張り出されているのを確認したあと、俺たちは『多分大丈夫だと思う』と先生からいわれているさっちの受験番号を探していたんだ。

「さっちっ! やったぜ!」

 春からもずっと俺たちは一緒だ!

「うん、うん…」

 さっちはもう、半ベソだ。

「たっくんのおかげだよ、ありがと、たっくん…」
「んなことねーよ。さっちががんばったからさ」

 季節はまだ春には遠いけど、寒さなんか気にならないほど、俺とさっちは体中ポカポカしてる。

 家でオロオロしてるだろう俺のお袋に電話をすると、隣にさっちのおばちゃんもいたらしく、盛大に二人分のうれし泣きの声が聞こえてきた。

 で、今夜は2軒合同のお祝い会だとかで、さっさと帰ってこいっていわれたんだけど、俺たちはなんだかのんびりとした足取りで並んでいる。

 そして、うちの近所の小さな神社の前を通りかかったとき、さっちが『あっ』って声をあげたんだ。

「どした? さっち」
「ねえ、僕たち今年、初詣してないよね」

 そう言えば…。

「そっか、今年は正月返上だとかいって、二人ではちまきまで巻いて勉強してたよな」
「今、していこうよ」

 さっちがくぃくぃ…っと俺のコートの袖を引っ張る。

「そうだな。その年最初のお参りだから、初詣…だな」

 ちょっとこじつけ臭いけど。

「うん!」

 さっちも明るい笑顔で応える。 



 こぢんまりした梅園に囲まれた古い社の賽銭箱に、俺とさっちはそれぞれ五円玉を放り込んで、派手に鈴を鳴らす。
 2回手を打つと、さっちは目を閉じて真剣に何かを祈りだした。 

 俺はほんの少し、その横顔に見惚れてたんだけど、しておかなくてはいけない願いごとを思いだして、本殿に向き直ってギュッと目を閉じた。

 どうしても聞いて欲しい俺の願いごとはただ一つ。

『さっちが幸せでありますように』

 そして、できることならもう一つ。

『ずっとずっと、一緒にいられますように』 

 ま、カミサマに見放されても、俺は俺の手でさっちを守ってみせるけどな。


 目を閉じている頬に何かが触れたような気がして顔をあげると、白い結晶が睫を掠めていった。

「さっち、雪だ…」

 俺の声に、さっちは顔をあげて『わあ、寒いと思ったら…』って呟く。

 見ている間に数が増えていくそれは、境内に咲いている梅の花びらよく似ていて、まるで花吹雪の中にいるようだ。

「綺麗だね、たっくん」
「ああ、綺麗だな、さっち」

 俺たちは白くなっていく視界の中をどちらともなく手を繋いで歩き始める。

「なあ、何の願い事してたんだ?」

 キュッと手を引っ張り、間近になったさっちの耳元にそう聞くと、さっちはニッコリ笑って言った。

「な・い・しょ」
「えーーーーー! なんだよ、それっ」

 思わず大きな声を出した俺。
 そんな俺の手をパッと振り解き、さっちは駆けだした。

「あ、おいっ、待てよっ、さっち!!」

 慌てて追いかける俺に、さっちは急に立ち止まり、そして振り返って満開の笑顔を見せた。

「今夜、教えてあげる!」

 今夜? 何だよ、それ。




 そして、その夜。
 俺は世界で一番幸せな男になったのだった…。
END