僕を探して、そして抱きしめて
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俺がそいつに会ったのは、夏休みに入ったばかりの、暑い日の夕方だった。 俺は高校1年。サッカー部員。 部活の後片づけを終え、悪友どもとファストフードで一騒ぎして帰宅した。共働きの両親はまだ帰らない。 俺んちは16階建てのマンションの8階。 そのベランダに、あいつはいた。 うずくまっていた。 「あ、あんた誰?」 泥棒にしちゃ可愛らしすぎる。 明らかに俺より年下の少年だった。 「お帰り」 そいつは顔を上げるとにっこりと微笑んだ。 可愛い…。 「お前、こんなとこで何してんだ。部屋、間違えたのか?」 そんなはずはない。鍵はかかっていたんだ。 「ううん…。通りかかっただけ」 そいつは儚い表情で告げる。 「通りかかったって…。おい、ここ8階だぜ。しかも、ベランダ…」 その時俺は奇妙な違和感に気がついた。 立ち上がったそいつの向こう側。本当なら影になって見えないはずの植木鉢の紅い花が…見えている。うっすらと。 「ごめんね、人を捜していて…。ふらふらしていたら、この辺りでさまよってる人に呼び込まれちゃって」 疲れた様子で力無く、そいつは笑う。 「…」 俺は黙ってそいつに手を伸ばしてみた。…が、俺が掴むのは空気ばかり。 「あ、ごめんね、びっくりするよね。…僕、ちょっと前に死んでるんだ」 人間、驚きすぎると声が上がらないようだ。 俺は後ずさるしかない。 「逃げないで…。何にも悪いコト、しないから。ただ、…その…、ちょっと助けてもらえたらって…」 た、助ける?俺が、幽霊をっ!? 「僕、死ぬ前に一目会いたかった人を捜してるんだ」 実体のないそいつ。 けれど、俺の気持ちは少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。 それはきっと、目の前のこいつが、『透けてる』ってこと以外は、仕種も話し方も、全く自分たちと同じだからだろう。 「お前…なんて名前?」 幽霊は名前を聞いてもらえて嬉しかったのか、泣きそうだった笑顔をパッと輝かせた。 しかし…。 「…ごめんね。僕からは言えないんだ」 幽霊の掟か? 確か悪魔の掟にもそんなのあったっけかな? 名前を知られたら負けとか何とか…。 「君はなんて言うの?」 幽霊に名前を聞かれる日が来るなんて、思いもよらなかった。 「俺は雅樹だ。斉藤雅樹」 「雅樹…」 そいつは噛みしめるように呟いた。 「で、俺は何を手伝えばいいんだ?」 「ん…。僕が雅樹の傍にいてもいいと、言ってくれたらそれで…」 あいつは幽霊のクセに、子犬のように愛くるしい顔を向けてくる。 「はぁ?なんだそりゃ」 「雅樹の傍、すごく休まるんだ。だから、人捜しの合間に、雅樹の傍で休ませてくれたら…」 「ほんとにそれだけでいいのか?」 「うん」 そいつはまたしてもにっこりと微笑んだ。 やっぱ、可愛い…。 しかし、幽霊に安らぎを与えてしまう俺っていったいなんなんだ。 それからずっと、あいつは俺の傍にいた。 俺以外の人間には見えていないのは確かのようだ。 部活にもついてきて、グラウンドの隅でじっと練習を見ている。 おもしろいか?と聞くと、僕、ずっと入院してて、学校に行けなかったから、と言った。 思わず抱きしめてやろうとしたんだけど、やっぱりあいつは『透けて』いた。 そのまま、なんだかずるずると夏休みは過ぎていった。 夏の課題を手伝ってもらったとき、俺はあいつに聞いてみた。 「なぁ、お前いくつで死んじゃったの?」 「中学2年だよ」 こともなげに笑顔で答える。 「それで、高校の問題が解けるのか?!」 あいつはケラケラっと笑った。 「だって、ずっと病室でヒマだったから、勉強くらいしかする事なくって」 「何の病気だったんだ?」 「心臓だよ」 「…そっか」 俺との会話を楽しんでいるのか、そいつはニコニコと笑顔を絶やさない。 「ところでさ、お前、一目会いたかった人、見つかったのか」 どうも探しに行っている様子がない。 それとも俺が眠っている間に行ってるのか。 「うん…。まぁ…」 あいつは珍しく言葉を濁して曖昧に答える。 ほんの少しの沈黙の後、あいつはぼそっと言った。 「もう…時間切れなんだ」 「時間切れ?」 「うん。明日、僕が死んでから49日目が来る。僕はもう、帰らなくちゃいけない」 「帰るって、どこへだよ」 「あ、の、よ」 うそ…。行っちまうのか。 「お前、いなくなっちゃうのかよ」 俺はたまらなくなった。 こいつのこと、気に入ってたんだ。 「傍においてくれて、ありがとう」 あいつはまた微笑んだ。 「なぁ、帰らなくていい方法はないのか?」 「ない」 あっさり言うなよっ。 俺は焦った。こいつと別れたくない。 そうだ!おとぎ話でよくあるじゃないか! 『好きだ』と言えば、呪いが解ける…。 「行くなよっ。俺、お前のこと好きだっ」 思いっきり叫んでいた。 あいつは見る見る涙を溜めていく。 もしかして、『好きだっ』の呪文は有効だったのか! 俺は期待した。 「雅樹…。ありがとう。…僕、雅樹を捜していたんだ」 え? 「俺…?俺を捜してた?」 あいつはコックリと頷いた。 「死ぬ前に、もう一度、一目でいいから会いたくて…。でも、僕はベッドから出られない。探しに行くことなんかできなくて…雅樹のこと考えながら、死んじゃった…」 俺、お前とどこで…。 ずっと病院で生きていたこいつ…。 ふっと俯いて、幼い表情を見せたこいつに、俺はふと現れた記憶の糸をたぐり寄せた。 「お前…もしかして…悠太…か?」 あいつの瞳から、涙が溢れだした。 「思い出して…くれた…」 「悠太…悠太、死んじまったのか…」 俺は中学1年の時に腎臓の病気をやって、少しばかり長い間入院していた。 その時、隣の病室にいたのが悠太だった。 心臓の病気だというのは知っていた。 でもその頃はまだ、ベッドから降りることもできた。 俺は二つ下の悠太を弟のように可愛がって、少し調子がよくなるとすぐ悠太の病室へ出かけて行った。 俺が退院する日、悠太は泣いた。 俺は見舞いに来ると約束して、2回実行した。 けれど、俺の父親が転勤になり、離れたこの土地へ移り、その後、悠太のところへ行くことはなかった。 「ごめんな、悠太」 俺も溢れるものを止められなくなった。 「ううん。いいんだ。最後にこんなに楽しい時が来たから」 「最後…って、お前、やっぱり行くのかっ?」 呪いが解けたんじゃないのか! 「『好きだ』と言ってくれたから、僕は本当のことが言えた。だから、雅樹も僕を思いだしてくれた」 悠太は晴れやかな顔をしていた。 どうしてだ。辛くないのかっ?悔しくないのかっ? 「雅樹が好き…。ずっとずっと好きだった」 「悠太…っ」 俺は思わず悠太に手を伸ばした。 そしてギュッと抱きしめる。…抱きしめる。 「悠太…」 俺の腕の中に、確かに悠太はいた。 暖かい。 死んだなんて、嘘だ。 「雅樹…」 悠太はゆっくりと唇を寄せてきた。 俺はもっと強く悠太を抱きしめ、大切に、大切に、唇を重ねた。 「ありがとう…雅樹…」 ふっと腕の中が軽くなった。 悠太が…いない! 『ありがとう、雅樹。…僕、幸せだった…』 悠太の声しか聞こえない。 「行くなっ!行かないでくれっ!…悠太!」 『大好き…雅樹』 それが悠太の最後の言葉だった。 一晩泣き明かした後、俺は悠太を捜す決意をした。 悠太が葬られているところへ行きたかった。 まず、病院へ問い合わせた。 俺のカルテはまだ残っていて、当時を知る看護婦さんもいてくれたから、『墓参りに行きたい』と言う俺の言葉はすんなりと受け入れられた。 そして俺は教えられた住所へ向かった。 病院からそう遠くない場所だった。 けれど、そこにはもう、悠太の家はなかった。 近所の人に聞くと、引っ越したと言われた。 悠太の両親の悲しみようは、それは胸をえぐられるようなものだったと、その人は教えてくれたが、結局引っ越し先はわからず、俺の探す道はそこで行き止まってしまった。 それから2度目の夏が来て、俺は高校3年生になった。 父親が本社に戻ることになり、俺は再び、あの病院が見える場所へ戻ってきた。 悠太がいないかと、病院へ行ってみたりもした。 けれど、悠太はどこにもいない。 せめて悠太の替わりにとでも思ったか、俺は病院の院内学級でボランティアまで始めた。 悠太のように、病気で学校へ行けない子供たちの相手をする。 時には話し相手になり、時には家庭教師になり…。 ふと、部屋のどこかに悠太がいるような気がしたりするときもあったんだけど…。 やっぱり悠太はどこにもいなかった。 俺は諦めつつあった。 いつか俺が死んだら、きっと逢えるに違いないと、自分自身に言い聞かせて。 夏の終わり、俺を可愛がってくれていた祖父が亡くなった。 四十九日の法要がすみ、家族で納骨に向かった。 小高い丘の上の墓地からは、市街地が一望できた。 遠くに病院も見える。俺の住むマンションも見える。 なんだかホッとする眺めだった。 納骨を終え、帰り道につく。 家族の一番後ろを歩いていた俺の耳を、何かが掠めた。 風にのって何かが聞こえたような気がしたんだ。 声のようだった。 俺は声が聞こえた方へ振り返った。 静かに風に揺れる百合の花。 最近供えられた物らしく、まだ生き生きと咲いている。 そこは比較的新しい墓石だった。 刻まれた墓碑銘に、俺は微笑んだ。 『中川悠太 享年14歳』 こにいたのか、悠太。 『ここにいるよ、雅樹』 会いたかったよ、悠太。 『僕はいつでも傍にいるよ、雅樹』 好きだよ、悠太。 『僕も大好きだよ、雅樹』 俺、幸せだよ。悠太…。 |
END |
2000.9.15 UP
数年後、斉藤少年は某私立男子校で保健の先生となり、寮長になっちゃったりするのでした。