古都・香る
  
ー 春夏秋冬・花咲く都 ー

――*――*――*――

京都。
いくつもの歴史を彩る、美しい都。
かつてはこの国の中心であり、現世まで残る数々の寺社は、その失ってしまった栄華を嘆きもせず堂々とそびえ立つ。
観光名所として名高い地は、悲しくも美しい記憶の面影を残しているのだ。
忘れることの出来ない過去を背負いながら、現代に咲く都。
過去と現在を包み、変わらないだろう未来までも映し出すかのような、鏡。


時は流れ、西暦二千一年。
華々しく迎えた二十一世紀。
京の街は。
儚くも、美しく。
過ぎゆくも、強く。
古都で暮らす人々は、今も昔も、時間によって変えられないのである。


そんな京都で…。
…今から千年以上も昔のこと。
淡く切ない恋の物語が咲いていたことを知る者はいない…。

―――――*―――――

寝殿造りの屋敷。
その一室。

男は愛を知った。
彼に仕えた一人の少年が、二つの愛を教えてくれたから。

注ぐ、愛。
受け取る、愛。

短くも暖かかった日々。
…短くも。

最初から、結ばれるはずなどなかったのかもしれない。
違いすぎる身分。
同じ性別。

二人とも、恐れた。
相手を傷つけることを。

そんな愛を罪だと決めつけて。
…そして、選んだのだ。
別れを…。

―――――――

浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき


  

今でも、貴方を想うだけで、胸が痛くなるのです。

幸せになりたいと、何度も願っていたのに…結局は貴方を苦しめただけの恋心。
貴方を失って、今の私には何が残っているのでしょうね…。

私の胸には、今でも貴方の姿が輝いています。
眩しすぎて、迂闊に手を出せなかったほどの貴方。
衣の裾に絡みつく、細い指先。
愛を誓い、別れを囁いた、憎い唇。
私の全て。

想いは、あの頃のまま…。

忘れられません。
もう、忍ぶだけでは満たされないのです…。




「伸元殿…。」
「小夜…どうした?」
「まだお忘れになれないのですか…?」

忘れられるはずはないでしょう?
たった一人、私の犯した罪を被っていなくなったあの人を。

「伸元殿は、今でも後悔してらっしゃるのでしょう…?」
「…そうかもしれない。」

あれから、およそ二年が過ぎたのに。
あの人を引き止めなかったあの日の自分を、私は許しません。
消えない想いは、どこへ行けばいいのでしょう?
届けたいと願うあの人は、もうここにはいないのに…。

「…お忘れになってくださいまし。あの方のことなど…っ。」
「小夜…。」
「嫌です!言い訳など聞きたくありません!私は、私はっ、貴方を…。」
「…頼む。言わないでくれ…。」

その先を聞けば、苦しいだけ。
縋ってしまう。逃げてしまう。
小夜に。あの人から。

「…もう寝よう。ほら、屋敷に戻りなさい。」
「っ…はい…。」

去りゆく小夜の後ろ姿に、あの人が重なった。
壊れそうなほどに細く、小さかったあの体が…。

―――――――

もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし


今となっては、遠い過去の記憶。
ここに来る前まで、貴方は私に微笑みかけてくれた…。

私は、小夜殿を憎んでいます。
女であるだけで、貴方の側にいられる。
それに相応しい地位を持っている。
私もそうありたかった、と何度も…っ。

…そういえば、屋敷の庭にも桜が咲いていますね。
ここの桜と、どちらが美しいと思いますか…?

誰に問えばいいのでしょう。
あの桜を知る人は誰もいないのに。
ここには貴方がいないのに。

愛してます、今でも…。




「何を考えておいでですか?」
「……いいえ、何も。」
「俗世間は捨てなさい。ここは修行の場です。」
「ええ…わかっています。」

あの人に仕えていた一年余りの間。
甘すぎる、優しすぎる愛を知った。
でも、それが貴方にとって負担であると悟ったとき、私は貴方から逃げてきた…。

ここは、京にはあまりにも遠すぎる。
私は、自分が人間であって良かったと思います。
大空を舞う鳥でなくて、良かったと思います。
自分に羽根があったのなら、今すぐにでも飛んで行ってしまうだろうから。

忘れてください、私のことなど。
一緒に過ごした時間を、葬り去ってください。
そして、私の望む貴方の幸せを掴んでください。
それが、私の幸せでもあります。
どうか、どうか…。

けれど……私は、忘れません。
今でも、これからも、貴方だけを愛しています…。

―――――――

ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ


いつのまにか、庭の桜が散っていた…。
あの人がいないというだけで、時の流れがこんなにも変わる。

早すぎる。
貴方だけを想っていれば。
時は、こんなにも早く流れるのです。

幸せだった頃の記憶は、たくさんあります。
春。
夏。
秋。
冬。
そして、その次の春。
二度目の春だけは、短かった。




「…小夜…。」
腕の中に感じる温もり。
大切にしなければ、と思う。
それが、あの人を裏切ることであっても。

だって、貴方が望んだのですよ…?
『小夜殿は…貴方にとっての幸せです。』

もしも、あの時。
貴方が私を望んでくだされば。
…私は、貴方の永遠となったでしょう。
今の地位を全て失うことであっても、構わなかった。

簾の奥に見た桜が、月明かりを反射する。
太くしなやかな大木。
『…来年も、そのまた次の年も、こうして一緒に…』
囁いたくせに。
いなくなるのは早かった。
桜が散るように、呆気なく…。

散るからこそ美しいだなんて、言わないでください。
綺麗な思い出だけを残したつもりですか?
それは違います。
貴方が残したのは、苦しくて痛いこの気持ち。
貴方がいなければ、この愛は痛いだけなのです。

心の隙間は、どうやって埋めろと言うのですか?

…帰ってきてください。
私の元へ。

「これを宗之に届けてください。」
「仰せのままに。」

小夜…すまないとは思います。
けれど、私には、あの人が必要なのです。
たとえこの愛が罪だとしても、伝えなければいけないのです。
別れで罪を償うなんて、私には無理なのですから。

愛させてください。あの日のように。
いいえ、あの日よりもずっと、優しく。
貴方だけは傷つけない愛し方を、させてください…。

―――――――

陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
乱れそめにし われならなくに


何故今になって…っ!

貴方を忘れた『ふり』ぐらい、いつでも出来るのに。
どうして、私の心を掻き乱すのですか?
何故あんな文を…。

お元気でしょうか。

相変わらず、逢坂山の関は、人の流れが速いです。
それぞれに抱えた記憶を持って、人々は旅へと出ます。
もう一度京に戻ってくる者もいれば、二度と帰らぬ者もいる。
では、その人々はどのように思い出を扱うのでしょうね。
新しい土地に慣れれば、京のことを忘れられるのでしょうか。

京の街は、変わりない様を見せています。
綺麗に染まって間もなく、いたづらに散りゆく紅葉が悲しいですが。
私も、あの頃と何一つ変わっていません。
ずっと貴方の様子が気になっていたので、こうして文机に向かっています。
日差しは穏やかです。
いつの日か、再び京の街にいらしてください。
いつまでもお待ちしています。

伸元

忘れるわけはないでしょう?
貴方のことを忘れられるはずはないでしょう?

貴方のいない日々に狂いそうなほど、貴方を愛しています。
逢いたいと、何度願ったでしょう…!

卑怯です。このような文を寄こすなんて。
心に立った荒波は、決して消えない。
私は、貴方を恨みます。
一生涯、貴方を恨み続けます…。

…愛するが故に。




「ゴホ…ッ!」
嫌な咳が、ここしばらく続いている。
口元を覆った袖に、うっすらと血がつくような、咳。

私は、そう長くはないのだろう。

未練があるとすれば、まだ修行が途中であること、だけ。
他には、何もない。
いいや、なかった。
あの文を読むまでは。


信じていました。
今現在の貴方が、小夜殿と幸せになっている、と。
でも…どこかで期待していました。
今現在の貴方も、私を愛していてくださる、と。


私の余命がどれほどなのかは、神だけが知っています…。

…もしもこんな私を哀れだと思うならば。

他には何も望みません。

私の瞳が輝きを放つうちに。
世の光を受け止められるうちに。
あの人の姿形を、しっかりと瞼に焼き付けるために。

もう一度だけ、あの人に逢わせてください…。

―――――――

わびぬれば 今はた同じ 難波なる
みをつくしても あはむとぞ思ふ


文を送ったことを、小夜に気付かれてしまった。
でも、後悔はない。
私の腕の中に置いておける物なんて、ちっぽけなものだけだから。

そこは、貴方のためだけの場所。
貴方以外、いらない。誰も。

貴方への愛は、貴方も、貴方以外の人間も、傷つける。
それが、私の犯した罪の重さなのでしょうね。

神の裁きとして、幾千の星屑が我が身に降り注ごうとも。
私は恐れません。
貴方を愛することを。

伸元殿

変化は人の身に降り注ぐ必然なのでしょう。
けれども、私は必然に逆らいます。
変わりたくないのです。
これからもずっと。

ここの空気は澄んでいます。
綺麗すぎて、逆に息苦しいほどです。
雄大な自然は、時の流れを忘れさせます。

こちらでは、雪がちらつき始めました。
時々吹雪くような素振りさえも見せる北風が憎いです。
暖かな京の街が懐かしい…。

私は、京へは戻りません。
あの街の煌びやかさは、今の私を苦しめるだけなので。

だけど、逢いたい。貴方に。

いいえ、忘れてください。
私のことなど。

宗之

ああ、私はまだ貴方の中にいるのですね…!
私と同じように、苦しんでいたのですね…っ!

貴方を愛させてください。
もう一度、触れさせてください…。

ほら、もうすぐ春です。
短かったあの春を、二人でやり直しましょう?

愛しています。
宗之。




「どうして!?」
「許して欲しい。すまない、小夜。」
「嫌です!何故あの人に…っ!!」

裾を濡らした小夜の涙。
苦い罪。重い罰。
何があっても、もう逃げない。
愛しているから。あの人だけを。


貴方は、京に戻らないと言いましたね…?
ええ、わかりました。
私が貴方の元へ行きます。

貴方が気にしていた身分の差など、この愛の前では無意味なことです。
この世に貴方と同じ性を持って生まれたことにも、もうこだわらない。


全てをふるいに掛けたとき、そこに残るのは貴方だけだったから…。

―――――――

君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな


私は今、夢のまどろみの中にいるのでしょうか…?
もう二度と逢えないと思っていました。
でも…逢いたいと思っていました…っ。

先日文を送ったときに私の心にあったのは、貴方に逢いたいと望むことだけでした。
他には何も望んでいなかったはずなのに。

どうしてでしょう。
貴方と逢えて、私の心は変わってしまったようです。
惜しくないと思っていたこの命が、今になって惜しくてたまらないのです。

少しでも長く、貴方に触れていたい。
貴方の傍で、貴方を愛したい…。




「…宗之の言っていた通りですね。」
「え?」
「ここの空気は、とても澄んでいる…。」
「でも…京よりずいぶん寒いでしょう。」
「いいえ。」
「?」
「ここには貴方がいる…それだけで暖かい。」

初めてこの地へ来た私は、どうしてここまで寒いのか、わかっていなかったんですね。
北風の所為ではない。
伸元殿。
貴方の腕の中を出れば、どこへ行っても寒かったのですね…。



「伸元殿…私は、長くはないのです。」
「!」
「春を待てるかどうか…わからないぐらいに。私の体を病が蝕んでいます。」
「そんな…。」

神よ…有難う御座います。
この方に逢えたことを、運命に感謝いたします。

「…泣かないでください。」
「う、嘘です!!貴方はまだ若い!私よりも若く美しいのに…嘘です!!」
「伸元殿、落ち着いて下さい。」

御仏の意のままに、私は散りましょう。
貴方を愛し、そして、散りましょう。

「私を愛して下さるのなら、私のお願いを聞いてください。」
「…今の私に出来ることなら、何でも…っ。」
「最後に…契りを…。」

何も。
全て。
伸元殿。
愛しています…。

―――――――

忘れじの 行く末までは かたければ
今日をかぎりの 命ともがな


…遅すぎたというのですか?
それとも、これが私の犯した罪への罰なのですか?
愛する人を苦しめ、罪のない小夜を傷つけた私への罰なのですか…?

嘘です。
まもなく貴方がいなくなるなんて。
私は信じません。
だって、そこに貴方がいるのに。

嘘です。
嘘だと言ってください…。

どうしても、それが嘘でないと言うのなら。
私も連れて逝ってください。
この幸せな時間を、私の最後にしてください。

…私より一秒でも遅く逝って下さい…。




「宗之…無理です。それは無理ですよ。」
「…わかっています。貴方は私の負担になることをしたくないのでしょう?」
「わかっているなら何故!」
「……愛しているからです。今、この時を…永遠に…。」


逝く者の我が侭を、お許しください…。
…私を愛してくださるのなら。


卑怯です…っ。
…断れない言い方をするなんて。



はら…っ。
着物の合わせが、ゆっくりとはだけた…。

愛おしい肌。
麗しい唇。
心地よい体温。
感じる吐息。

忘れません。永遠に。
「伸元殿…っあ…愛しています…ぅっ。」
そう言ってくださる、貴方を…。



私の「時」は、まもなく止まるでしょう。
でも…貴方の「時」を、止めないでください。
私は、一生に値する幸せを手に入れたのです。
貴方の傍で、貴方から貰ったのです。
けれどそれは、老い先が短いとわかっているからこその幸せなのでしょう。
貴方の幸せは、まだ、見えていないはず…。
それを、見つけてください。

…泣かないで。
笑っている貴方の方が好きだから。
もう少し、私には時間があります。
その間、私の愛している笑顔を、たくさん見せてください…。
伸元殿…愛しています…。



今宵は綺麗な月です…。
…どうして、月を見ても涙が出るのでしょう…。

宗之。貴方を愛しています。
貴方に出逢えた偶然に、私はありったけの感謝を注ぎましょう…。

―――――――

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな


最後を、貴方と共に過ごせて、嬉しかった…。

なずな、咲く。
はこべ、揺れ。
たんぽぽ、歌う。

春の訪れを、貴方は待たなかった。
私をおいて、逝ってしまった…。

けれども、先に逝った貴方を恨んだりはしません。
この胸を満たす暖かい感情を教えてくれた最愛の人。

宗之。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ


将来…未来を、貴方に誓います…。

私は、老いが死を呼ぶまで、生き続けます。
そう貴方が望んだから。
永遠の愛を誓った、あの日に。

今はただ苦しいけれど。
せめてもう少しだけは…貴方の死を嘆きたいけれども。

いつまでも泣きはしません。
いつの日か、再び微笑みましょう。
貴方が言ってくれたから。
私の笑顔を愛している、と…。


死が二人を分かつとも。
再び、逢いましょう。

来世に。

愛してくれてありがとう。
愛させてくれてありがとう。

見えますか?
…美しい花が、京の街に咲きましたよ…。

―――――――

男は、その後、独り身を貫いた。
けれど、それは決して、恋人の死を悔やんでではない。


春。
美しい花を、ただ眺めた。
暖かな詩を詠んで、幸せを感じた…。

夏。
茂る緑を、ただ眺めた。
草々の息吹を見て、幸せを感じた…。

秋。
散りゆく紅葉を、ただ眺めた。
そこに芽吹くだろう新芽を思い、幸せを感じた…。

冬。
降り積もる雪を、ただ眺めた。
春の訪れを待ちながら、幸せを感じた…。


恋人が望んだのは、自分の死後の充実した生活。

貴方の幸せを見つけてください。



それを一般的に幸せと呼ぶかどうかは別として、少なくとも男は、自分なりの幸せを見つけたのだ。
約束は、守られた。
後は、ただ祈るばかり。

…願わくば、来世で…。



その物語の最後は、未だ空白のまま。
願った来世を迎えることは、もしかするとないのかもしれない。

けれども。

花は、咲き終われば、もの悲しく散るだけ。
最も美しいのは、これから咲こうとしている小さな蕾なのかもしれない。
満開に咲き誇っているときよりも香りは少ないが。
美しく咲くことを夢見るのは、蕾だからこそなのだ。

…まだ見ぬ未来に、可能性を夢見て。
未完成の物語は、今この時もほのかに香る…。

―――――*―――――

京の都が美しいのは何故なのだろう。

それは、そこに過去を残しているからではない。
過ぎ去った日々を惜しみたいわけでもない。

色濃く残す過去の上、強く存在する現在。
その歩みの先に見えるのは、それぞれの未来。

時を越えた街、京都。

千年以上昔の物語など、人々の記憶にはないだろうけれど。
過去から現在まで。
そして、未来永劫までも。
人は、幸せに、自分以外の誰かを愛するのだろう…。

――*――*――*――


【LOVE TOGETHER】の海さまから、77777Hitsお祝いにいただきました!

もも♪、切なさに、涙・・・涙・・・でございます。

「京都大好き同盟」を作りたいとおっしゃるくらいに京都を愛して下さる海さまの『京都』は、もも♪の書く『京都』よりも、もっともっと『京都』らしいと思いました。

それはきっと、海さまの『京の街への憧れ』というエッセンスの効果なのではないでしょうか。

ちなみに、間の百人一首は、元の主題と少々違った意味で使っておられるとのことです。

海さま、本当にありがとうございましたv  
ラブっ、海さまっっ!

ちなみに・・・(小声でこっそり)続編を海さまがお持ちですv
気になる貴女は、海さまにこっそりお願いしてみては・・・?

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