『Dream of your …』





 季節がいつになったのか、すでにわからない。

 だが陽は高く輝いて、外気はきっと爽やかなのだろう。
 窓辺の緑が鮮やかで、その葉を揺らす風が優しいから。

 だが、窓の内側…この部屋の中には撓んだ空気と絶え間ない喘ぎ、そして、一定のリズムを刻んでベッドの軋む音が満ちている。

 ここへ来て…いや、連れてこられていったい何日が過ぎたのだろう。

 主がいない間は、気力を振り絞ってキャンバスに向かう悠人だが、この部屋の主がいるときは、悠人はずっとベッドの上で過ごしている。
 いや、括られている。

 広く豪奢な部屋。

 扉も窓も遠く、足に繋がれた鎖の長さでは届かないところにある。

 食事は毎回贅を尽くしたものが取りそろえられ、部屋の至るところには途切れることなく生花が飾られて、まるで天国のようだ。

 そう、この足に絡みつく、重く冷たい、不快な金属さえなければ。


『腕を痛めて絵が描けなくなると困るから、これは足に填めておこうね』

 細い足首に枷を掛けた人間は、優しい笑顔でそう言った。
 絵筆を取る腕の心配はしてくれても、悠人の心の心配はしてくれないらしい。

 荒い息が絶え間なく耳朶を擽る。

 『私のものだ…ユウト』と告げる声が欲望に掠れている。

 とうの昔に逃れることを諦めたこの身体を、完成した大人の男の太い腕がきつく押さえ込む。

 この腕が、航平の腕だったらどんなによかっただろうか。

 でも、彼はここにいない。
 いや、永遠に悠人の前には現れない。

 逃げたのは自分…なのだから。

 向けられる『愛』という名の暴力に耐えながら、悠人の身体は挿し貫かれる痛みにだけ慣れていく。 

 男が満足してこの身を離すまでの長い時間を、目を固く閉じて、やり過ごしながら。

 …航平…、これも、君を裏切った罰なのかな…。

 そう思うと、ほんの少しだが心は軽くなる。

 …それならば、仕方がない。

 そう思えるから。




 食事が満足に喉を通らなくなってどれほど経っただろう。

 絵筆を握る気力も萎えて、ただ痩せた身体を裸のままベッドに投げ出していると、急に廊下が騒がしくなった。

 …ああ、また、だ。

 もう一人の蹂躙者が自分を奪いに来たのだ。

 そうして何度も何度も、悠人は二人の男の間で争奪を繰り返され、その度に違う屋敷に幽閉されてきた。

 更に遠く、更に奥深く。

 またそれが繰り返されるのだ。

 悠人は目を閉じた。このまま目が開かなければいいのに。

 そうしたら、この魂はこの疎ましい身体から解き放たれて、海を越え、航平の元へ飛んでいけるのに。

 そして、ずっと航平を見守るのだ。
 彼が幸せであるようにと願いながら、誰にも見つからないところで。

 …航平…。

 やせ衰えた腕を、悠人が空に向かって伸ばしたとき、大勢の人間が踏み込んできた。

 だが、それが何なのか、悠人は確かめることなく意識を閉じた。






 このまま覚めなければいいと願ったのに、この魂は海を越えることもなく、ぼんやりと覚醒してしまった。

 今までと明らかに違う色調…真っ白。
 そして、花や香水の香りではなく、消毒の匂い。

 病院だということに気がつくまで、少しかかった。


『大丈夫?』

 問われて頷けたのかどうかも朧気だ。

 病室内にはアカデミーの教授の姿。そして、警察官の姿もあった。


『ご両親ももうこちらに向かわれてるからね。もうすぐ会えるよ』

 見知らぬ金髪の青年が、優しい声で語りかけて来た。

 悠人の世話を買って出てくれたのは、ジェフリー・オーウェル(Jeffrey Orwell)。

 教授の元でアルバイトをしている十九歳の学生だった。

 その彼が、悠人に教えてくれたのはこんな話しだった。

 悠人が専属契約を結んだ社の社長が、『彼の面倒はうちで見させて欲しい』とアカデミーに申し出て、教授はその言葉を信じていたのだという。

 だが、半年も経つ頃、悠人に連絡を取ろうとしても取り次いでもらえない状態になり、心配しているうちに、社内で内紛が起こっているという噂が流れ始めた。

 これはまずいのでは…と、教授や悠人の両親が本格的に悠人の行方を探し始めたが、手がかりも証拠もなく、捜索願も出したのだが、その後何の進展も見られず、長らく行き詰まっていたのだと。

 そんな悠人の発見の手がかりになったのは、医者だった。

 長く続く幽閉生活に疲弊しきった悠人が食事を摂らなくなり、立ち上がることも出来ないほど衰弱してしまったところで、ついに監禁者が医者を呼んだのだという。

 そして、その医者に『警察を呼んでくれ』と言ったのだそうだ。



『あの人たちは…?』

 尋ねた悠人に、ジェフリーは首を横に振って見せた。

『あの会社はね、余所に吸収合併されたんだ。社長は行方をくらませたままだ。でも会長は…君を医者に診せたのは会長の方だったんだけど…彼は、監禁の罪で拘留されている。 君を道連れに死のうと思ったんだけど、できなかった…って言ってたそうだよ』


 優しく髪を梳いてくれるジェフリーの手の温かさに、ゆっくりと目を閉じながら、悠人は小さく呟いた。

『…連れていってくれても、よかったのに…』

 そうすれば、魂だけでも自由になって、航平の元へ……

『何をバカなことを!』

 だが、そんな悠人の思考は、ジェフリーの怒鳴り声で断ち切られた。

『頼むからそんなことを考えないで。ユウト、君は自由になったんだ。これからは、何でも出来る』


 自由に、たくさんの作品を描いて見せて。

 そう言って微笑んだジェフリーに、悠人はまだぼんやりとした瞳をむけるばかりだったが、やがて小さく微笑んだ。


『ユウトはもう何も心配しなくていいんだよ。僕がずっと側にいるからね』

 抱きしめてあやしてくれる腕は逞しくて、いつも暖かい。

 この腕が、航平の腕だったら……。

 悠人はまたゆっくりと瞳を閉じた。


 こうして自分は、永遠に航平の腕を夢見て生きていくのだ。
 許されない夢を。
 この命が尽きるまで。ずっと。
 

『Dream of your …』
END

同人誌用書き下ろし
2013.7.13 サイトUP


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