『青年は紳士に出会う』
〜『そしてまた、春は来る』の一月前のこと。
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「対談だって?」 「うん、そう」 お互いに仕事での一山を超えた二人が、夜の七時という珍しくも早い時間に夕食を共にしている時に、その話は出た。 「『New Art Forcus』って言う雑誌の別冊企画なんだけど、同じ分野じゃなくて、美術と音楽とか、舞踏と工芸とか、異分野で活躍している人間を会わせて話をさせようってものなんだ」 「それに、悠人が?」 「うん」 「受けるのか?」 「うん」 「珍しいな。お前、そういうのってあんまり受けないじゃないか」 どういう風の吹き回しだ…と、航平は訝しむ。 もともと、どちらかというと引っ込み思案の質だった悠人だが、その後にも色々あった所為だろう、あまり人前に出ることを好まない。 だが、二十九歳になった今でもまだ『美少年』という表現がおかしくない彼には、雑誌などの取材だけではなく、テレビなどへの出演以来も絶えない。 しかし、有能なマネージャーが悠人のことを熟知してくれているおかげで、それらはことごとく――最低限必要なことを除いて――悠人を煩わせることなく綺麗に片づけられているのだ。 そして、それは航平にとってもとてもありがたいことなのだ。 誰もが心惹かれてしまう、悠人という人間は航平にとってかけがいのない恋人。 出来ることなら人目に晒すことなく、自分の腕の中だけに閉じこめておきたい。 それは、エゴだとは解っているが。 ただ、アトリエに籠もってばかりいては発想が枯渇する…と言う悠人は、都内の大学に請われて、この春から隔週ペースで講義を行うことになっている。 ポップアートという分野には、やはり若い世代とのコミュニケーションが欠かせないらしい。 十八の春に渡米してから去年帰国するまで十年もの間離れていた日本の『若者事情』を肌で感じたい…という思いもあるようで、それはそれでいいのだが…。 「そうなんだけど、この企画の担当さんにはこの前の個展で随分お世話になったんだ。それに…」 「それに?」 世話になった義理があるから…というのから仕方ないだろうし納得もいく。 悠人のそう言う生真面目なところもよくわかっているし、何よりそのきちんとした性格と生来の優しさが、『航平の母』という大きなわだかまりを少しずつ溶かしてもいるのだから。 だが。 「対談の相手がね、ちょっと気になってた人なんだ」 これは聞き捨てならない。 「…誰?」 聞いたところで多分知っている名ではないだろう。航平は芸術分野にはかなり疎い。 だが聞かずにいられない。悠人が『気になる』と言うのだから。 「ええとね、日本画家で佐上勲さんって人」 日本画家か…と、航平はほんの少し安堵する。 それなら多分、いい年をした爺さんだと勝手に決め付けたからだ。 「でも、本当は異分野の対談なんだろう? 日本画とポップアートじゃ異分野とまでは言えないじゃないか」 同じ土俵…とも言い難いが、絵画という分野であることには変わりない。 「うん。俺もそう思ったから、担当さんに言ったんだ。『もしかして、ネタ切れですか?』って」 ニコニコ笑いながら言う悠人に航平はこっそりため息をつく。 天然でこういう斬り込みが出来るのも、また悠人らしいのではあるのだが。 「で、担当さんは何て?」 ここで最初の爆弾が落ちた。 「うん。佐上さんのリクエストなんだって」 「リクエスト?」 「そう。最初に佐上さんに声を掛けて、どなたかリクエストありますか…って尋ねたら、俺の名前が出たって」 その言葉に、何だって爺さんが悠人をリクエストするんだ…と、航平の頭の中が沸騰したのだが。 (いや、待てよ…) 男というのはどうしようもない動物で、いくつになっても『その方面』に『ご活躍』なヤツはいる。 歳を取っているからといって、悠人が安全という訳では決してない。 いや、むしろ相手が年かさの方がまずいかも知れない。 悠人は祖父母を幼いうちに亡くしている所為なのか、『お年寄り』には無条件で懐いてしまう傾向があるからだ。 ところが悠人の次の言葉は、そんな航平の逡巡をばっさりと切り捨てた。 「すごいんだよ。まだ三十二歳だっていうのに、あの難しい分野で確固たる地位を築いてる人なんだ。画壇のお歴々も佐上さんには一目置いてるって話だし、画集ももう六つも出てて…」 (三十二だとぉ〜?) 日本画という世界でどれだけ成功しているか…なんて、航平の耳にはこれっぽっちも届いていない。 聞こえてきたのは『三十二歳』という、この上なく『危ない年齢』だけだ。 「あ、ちょっと待ってて。佐上さんって二年前にもこの企画で対談やっててね。その時の雑誌を担当さんにもらったんだ。持ってくる」 万事に行儀の良い悠人が食事中に卓を離れるなど珍しいことだ。それだけ浮かれてるのだろうかと、航平の眉間に皺が刻まれる。 そして、悠人が持ってきた雑誌を見て、航平は今度こそ盛大に不機嫌になった。 芸術関係に疎い航平でさえその名前を知っている、ピアニストの花城岳志とにこやかに対談しているその写真に写っていた日本画家が、とてつもない男前だったからだ。 「それにね、佐上さんの弟さんって音楽評論家の佐上香さんなんだって。俺、そっちにも興味あるし…」 「…悠人」 「…何? 航平」 いつになく思い詰めた声を掛けられて、悠人がきょとんと首を傾げる。 「対談って、いつ?」 「ええと、来週の水曜日。夕方からだから、その日の晩ご飯は…」 「俺も行く」 唐突な申し出に、悠人の目が丸くなった。 「はあっ? な、なに? どうしたの?」 「俺もついて行く!」 「俺も…って、平日だよ? 航平、会社があるし」 「有休取る!」 明らかにおかしい航平の様子を見て取り、一瞬呆けた悠人だったが、何かに思い至ったのか、すぐにニコッと笑い返してきた。 「あ、もしかして航平も佐上さんに興味アリ?」 頼むから、ご機嫌な顔でそんなこと聞かないで欲しい。 「お前の事が心配なんだよっ」 「へ?」 「へ、じゃないっ。こっち来いっ、悠人!」 立ち上がった航平がいきなり食卓を回り込んできて悠人の腕を取った。 「こ、航平?」 お願いだからもう少し警戒心を持って欲しいと航平は切実に思う。 何年も、何回も、自分の意志とは関係なく蹂躙されてきた経験がある悠人。もう二度と、あんな目に会わせない。 「わっ、こうへい!」 いきなり抱き上げられて、悠人は慌てて航平にしがみつく。 ほぼ終わっているとはいえ、とりあえずまだ食事中だ。 「ちょ、ちょっと待ってっ、後かたづけ…」 言い募る唇をとりあえず熱いキスで塞ぎ、慌てる悠人にお構いなく、航平はその身体を楽々と抱き上げたまま、苛ついた足取りで寝室へと向かった。 「…や…っ、あ…んっ」 煌々と主照明が照らすベッドの上で、悠人は一糸纏わぬ姿を晒している。 だが航平はシャツのボタンすら外していない。 数日前に航平が付けた蹟がまだうっすらと残る白い肌。 それが、熱を帯びてほんのりと染まっていく様は、何度見ても航平の心を駆り立てる。 そんな航平の心中を思う余裕など悠人にはもちろんなくて、指先と唇で散々胸を弄られ、もうダメ…と腰を震わせたところで熱く育った欲望を航平に銜えられてしまい、あっと思う間もなく頂点に放り出された。 その後も延々と愛撫は続き、何度泣きを入れてもまったく聞き入れてもらえない。 いったい航平はどうしてしまったのか。 いつもなら、これ以上ないほど悠人の身体を考え、無茶や無理は絶対しないのに。 それは悠人にとって、もどかしさを感じる程でもあるのだが…。 もういい加減意識も切れ切れになったあたりで、航平はスラックスだけ脱ぎ捨てるとそのまま悠人に重なってきた。 待ち望んでいた確かな存在に悠人の身体は素直に開かれるのだが、いきなり激しく腰を使われて一瞬意識が飛んだ。 だが、続く力強い突き上げにすぐ引き戻されて、身体の全てが航平に翻弄される。 さらに弱いところを遠慮無く攻め立てられ、すぐにでも達してしまいそうになるのだが、航平の無慈悲な手は悠人をきつく握り込んだままそれを許さず、悠人は行き場のない快楽を身の内に溜め込んで悶えるばかりだ。 「…こ…へい…、も…っ、許し…て」 必死で言葉を紡ぐ悠人の耳に、航平が掠れた声で告げる。 「誰にも渡さないからな…悠人…」 その答えに、朦朧としながらも悠人が見つめてきた。 その瞳が『どうしたの?』と、問うている。 「俺のものだ…」 熱く囁かれて、悠人の身体が小さく震える。 『お前は俺のものだ』 この言葉を、意に染まぬ相手に組み敷かれたまま、何度言われたことだろう。 だが、同じ言葉なのに、航平が告げるとどうしてこんなにも身体が熱くなるのか。 「…航平のもの、だよ…。全部…」 喘ぎすぎて少し涸れてしまった声でそう告げて、悠人は航平の頭をそっと抱えた。 「…悠人…!」 そのあとのことはもう、ほとんど思い出せない。 最後に身体の中に航平の熱が溢れ、そこで漸く悠人は意識を手放した。 「…ごめんっ、悠人っ」 自分でも激情――嫉妬とも言うが――に任せて無茶をしたという自覚があるのだろう。 散々攻めて、漸く一緒に頂点を極めたところで、航平はいきなり慌て始めた。 だが、必死で謝ってみたところで肝心の悠人はすっきりと意識を手放してしまっている。 「…ほんとにごめんな…」 こんな風に愛したいわけではなかったのに、身体の暴走を心が止められなかった。 いや、心が暴走した結果なのだろう。これは。 とにかく悠人を綺麗にしてやろうと、航平はその軽い身体を抱え上げるとバスルームに向かった。 「で、どういうこと?」 穏やかではあるが、決して引く気はない…という口調で悠人が尋ねてくる。 身体を綺麗に清めて、仕上げのシャワーを浴びているところで悠人は目覚めた。 それでもしばらくは、ぼんやりと航平に全てを預けきっていたのだが、パジャマに着替えてベッドへ戻ったところで、一つ息を吐いて航平に尋ねてきたのだ。 航平のすることならば何でも無条件に受け入れられると言う気持ちに今も変わりはないのだが、それでも解らないことは聞いておかなくてはならない。 二人の間に隠し事はしたくないから。 「…心配、だったんだ」 「心配? なんの」 悠人にはさっぱり解らない。いつものように、楽しく着いていた食卓でのあの会話のどこに、そんな心配の種が落ちていたのか。 「だってさ、ほら、相手のヤツが悠人に邪な思いを抱かないとも限らないだろ?」 「…はい?」 一瞬呆けた悠人だが、すぐに『やれやれ』と言わんばかりにため息をついた。 もちろん自分の『過去』が、航平にそういう類の心配をさせているのだという自覚はある。 そして、今でも街中などで『舐め回すような視線』に出会うと気分が悪くなってしまうのも確かだ。 けれど、あの頃のように、抵抗する手段を何も持たない子供ではないのだ。 心配してくれるのは嬉しいが、もう少し信用して欲しい…とも思う。 「あのね、航平。対談には担当さんの他にカメラの人とかもいるんだよ? それにジェフが一緒だし…」 そもそも相手――佐上勲が、そう言う人だとは思えない。 雑誌の担当者を始め、彼を知る誰もが言うのだ、『彼は本物の紳士ですよ』…と。 「でも、航平がついてくる…っていうのなら、それは別に…」 構わないよ…と、言おうとしたところで、航平が悠人を優しく抱きしめてきた。 「…ん、ほんとにごめん。悠人のこともジェフのことも信頼してるから、それはもういいんだ。それによく考えたら、その日ってクライアントと約束があった…」 その言葉に、悠人は今度こそ盛大に呆れながら、それでもギュッと航平を抱き返し、『愛してる』と、甘く告げたのだった。 対談の日は、まだ肌寒さの残る日になった。 都内ではあるが、閑静な場所にある高級料亭がセッティングされ、対談者当人たちと、雑誌社の担当とカメラマン、そして悠人のマネージャーであるジェフリーが同席した。 芸術家と言うものは大概服装にも何がしかこだわりを持っていて、特に美術関係だと一般人とは少し違った風体で現れることが多いのだが、佐上勲と悠人はどちらもきちんとしたスーツで現れて、雑誌社の人間を妙に関心させた。 そんな二人の対談は、最初のうちこそ少しぎこちなかったものの、人当たりのいい勲の受け答えと悠人の素直な性格のおかげか、直にうち解けたものになって担当者を喜ばせることになった。 もちろん、そんな悠人の側にはジェフリーも控えていて、二人の話に興味深げに耳を傾けている。 勲は評判通りの穏やかな紳士ぶりで、年齢以上の懐の深さを感じさせるその物腰に、ジェフリーは航平の心配が取り越し苦労に終わったことをちゃんと伝えてやらないとな…と内心で笑いを漏らす。 しかしそんなジェフリーも、どんどん勲の話に引き込まれていき、特に彼が『日本人の原風景』についての思いを語った時には、悠人以上に目を輝かせ、隣にいた担当者から『何か質問してみれば?』と水を向けられるほどだった。 そうして終始和やかなうちに対談はお開きとなったのだが。 「ジェフ、もしかして話し足りない?」 ニコッと笑顔で聞いてくる悠人に、ジェフリーは何のことだと首を傾げる。 「もう少し、佐上さんと話したいんじゃない?」 直球でそう言われてしまうと、確かにこれで終わりは寂しいな…と思ってしまっている自分に気付く。 その時。悠人の携帯が震えた。 「ちょっとすみません」 周囲に断り、電話に出た悠人の顔が綻ぶ。 「うん。…大丈夫。一時間後だね、OK」 悠人にこんな顔をさせられるのは航平しかいない…とジェフリーは思っているのだが、予想通り電話の相手は航平で、まだ外にいるのなら食事をして帰ろう…というものだった。 「ジェフも一緒にどう?…って航平言ってるけど」 尋ねてくる悠人に、ジェフリーはゆるゆると首を振る。 もう、こうして笑顔で対応は出来るけれど、でも二人が幸せ一杯のオーラを出しまくっている側にいるのは、まだそれなりに辛いのだ。 「行っておいでよ、悠人。僕は買い物でもして帰るから」 「一緒に行かない?」 「うん、また今度ね」 できるだけ柔らかい声で告げたのだが、それでも悠人が少し…ほんの少し悲しそうな顔を見せるから、うっかり抱きしめてしまいそうになる腕にグッと力を込めて耐える。 そうして悠人が、勲や担当者などに丁寧に挨拶をし、ジェフリーにじゃあまた明日…と可愛らしい笑顔で告げて背を向けると、ジェフの視線は知らずそれを追い掛ける。 あの華奢な背中を抱きしめる腕は、他にあるというのに。 そんな風に、悠人の後ろ姿を見つめるジェフリーの、その後ろ姿を見つめる視線があった。 日本画家の佐上勲。 一人で静かに生きてきた彼が、ほんの二年とは言え、掌中の珠の如く慈しんできた子を手放した時のは二年ほど前のこと。 何よりも大切だったあの子が、愛する人と再会を果たしてこの懐から飛び立って行ったとき、もしかして自分はあんな瞳で見送っていたのではないだろうか。 華奢な背中に向けられるジェフリーの真っ直ぐな視線を見て、そう感じた。 「あの…」 だから、思わず声をかけてしまった。 「はい?」 振り返るジェフリーの瞳には、もう先ほどの色は見て取れないが。 「もしよろしければ、もう少しご一緒させてもらえませんか?」 自分から誰かを誘う。 こんなことは、一度もなかった。 少なくとも、引きこもるように軽井沢のアトリエへ移ってからは。 「え、僕、ですか?」 驚くジェフリーに、隣にいた担当が『チャンスですよ』と肩を叩く。 「さっきもほら、佐上先生の話、必死で聞いてたじゃないですか」 そう言われてジェフリーは、勲と悠人の間で熱心に交わされていた会話を思い起こす。 『日本人の原風景』 NYという大都会で生まれ、悠人と共に離れるまでそこで二十六年間を過ごしたジェフリーにとって、『原風景』という言葉そのものが馴染みがない。 『原風景』というものが、その通り、『思想形成以前の体験に基づくイメージで、風景の形をとっているもの』だとすれば、自分の原風景はあの『Big Apple』――人の英知が作り上げた摩天楼の世界以外にない。 だが佐上勲と言う人の原風景は、山であったり森であったり海であったり…。 彼が語る言葉の向こう側には、確かに自分の知らない風景が広がっているような気がした。 彼が描き出す、あの穏やかな風景のような…。 「いや、その、どこかで軽く」 考えを巡らせていた所為で返答の遅れたジェフリーに、勲は少し照れた様子を見せながら言った。 五つほど年上で、自分よりも背は高く、これでもかというくらい大人の男の魅力を備えた彼の、そんな様子がなんだか可愛らしく見えて、ジェフリーの口元が自然に綻ぶ。 「ありがとうございます。喜んでお供させていただきます」 ターニングポイント。 彼らにとって、この日がそうであった気付くのは、もう少し後のことになる。 |
『青年は紳士に出会う』 END |
同人誌用書き下ろし
2013.7.21 サイトUP
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