そしてまた、春は来る。

航平と悠人の、その後。





 開宴前だというのに、すでに賑わっているホテルの宴会場。 

 中庭に植えられた桜は、満開まであと一息といったところか。

「去年はこれ、満開だったよね」

吹き抜け一杯にはめられたガラス越しに、その桜を見上げて悠人が言った。

「ああ、そうだったな」

 航平もまた、長身をそっと悠人の背後に寄り添わせて、見上げる。

「不思議だな…。去年の俺って、桜を観賞してる余裕なんてなかったはずなのに、どうしてだかよく覚えてるんだ。満開の中、時折花びらが落ちてきたのを…」

 そして、転じた視線の先に、航平が、いた。
 それは、今も同じ。
 けれど、その距離は変わった。

 今は手の届くところにある。
 その身体も、そして、心も。




「悠人!航平!!」

 快活な声で名を呼ばれて振り返ってみれば、そこには10年来の親友の姿が。

「やっぱりお前らって、並んでるのがさまになるよな」

 しげしげと二人を眺めてから発した口調に、茶化した色はない。
 だから余計に…。

「おわっ、悠人、真っ赤じゃん。かわいーな、やっぱり〜」
「うわぁ」

 言葉と同時に抱きすくめられて、悠人が慌てる。
 そして、もちろん航平も…。

「おいっ、哲也、何するんだよっ」
 
 力一杯引き離そうとするその様子は、普段の落ち着いた航平からはなかなか想像しがたいものがある。

「いいじゃん、いっつも独り占めしてんだから、同窓会の日くらい俺に貸してくれよ」
「誰がっ」

 同窓会の日であろうとなかろうと、一分一秒だって、悠人を離す気なんてない。

「あ、おいっ、航平たちがじゃれてるぜ」

 航平と哲也が繰り広げる『悠人争奪戦』に、次々と旧友たちが参戦してくる。
 その姿はどうみても『いい大人』のものではない。
 今日だけは、皆、『あの頃』に帰る。

 無邪気と邪気の狭間、どこか不安定で、かなり敏感で、そしてもっとも輝いていた頃に。
 







 10年ぶりの再会から1年が経った。
 
 二人で歩み始めた道に立ちはだかった、あまりにも大きな壁は、それでも少しずつ小さくなっている。

 それは、本当に微々たる変化ではあるのだが、悠人と二人、決して目を逸らさずに見守って来た変化だから、間違いはない。

 二人で生きる毎日が、穏やかで暖かい限り、いつか、壁はすべてなくなり、身体いっぱいに陽が差し込んでくるはずなのだ。

 たとえ心塞ぐ夜があっても、寄り添うぬくもりが、それを溶かしてくれる。

 何よりも今、こうして並んで立てること、それだけで泣きたくなるほど幸せなのだから。







「それにしても酷い話だよな」
 
 哲也が言う。

「何が?」

 答える航平は視線を悠人から外さない。
 結局悠人は大勢の輪の中に引きずり込まれてしまった。

 けれど、声を上げて笑う姿が愛しくて、『今日一日くらい我慢してやってもいいか…』などと、らしくないことを考えてしまう。


「お前ってば、去年の同窓会で俺が骨を折ってやった事なんて、これっぽっちも覚えてねぇんだろ」

 うりうりと、肘で腹の辺りをくすぐられ、大げさに身を捩りながら航平はギブアップ…とばかりに両手を高くあげてみせる。

「まさか。哲也にはこれ以上ないほど感謝してるさ」
「嘘付け。悠人が戻ってきたこと、内緒にしてたじゃんか」

 ぷうっと頬を膨らませるさまは、とてもでないが、ガタイのいい大人の仕草ではない。
 だが、それすらなんだか嬉しくなるのは、やはり取り戻した『今』が幸せだからなのだろうか。

「内緒にしてたわけじゃないんだ。ただ、問題もいろいろあってさ」

 少ししんみりはするものの、暗さをまったく感じさせない航平の様子に、哲也も安心して軽口がたたける。

「だろーな。ま、二人が笑っててくれるのなら、俺としては文句はないわけだが」
「嘘付け、ついさっき、文句いったばっかりじゃないか」

 茶化す航平に、哲也は今度はかなりマジなひじ鉄をお見舞いする。

「…ってー」
「ふん、今日の4次会、覚悟しとけよ」

 そう言って、哲也は悠人がいる輪の中へ駆けていってしまう。

 4次会はいつもクラスの中でも特に親しかったものばかりが15〜6人集まるのだが…。

 きっと、潰されるな…。

 そう予感して、まあそれでも悪くはないなと内心で苦笑する。
 明日も休みだから、喜んで潰されてやろうか…などど思いつつ。
 そこは、何よりも、何処よりも、航平と悠人が自然体でいられる空間になるだろうから。

 航平は、来るべき4次会に備えて、3次会まではアルコールを出来るだけ控えよう…などと計算しながら、哲也のあとを追った。



☆ .。.:*・゜
 


「え?」
「な…に、これ?」

 例年通り、最後に流れ着いたおなじみのバーは、今夜も貸し切りだ。
 もともと小さな店だから、15人も入ればかえって貸し切りの方がありがたい…とマスターも毎年歓迎してくれる。
 むろん、4次会のメンバーは通年でこの店を情報交換の場にしているのだが。

「稲葉さん、お久しぶりです」

 マスターがにこやかに声をかけてくれる。

「あ…どうも」

 いい大人なのだから、もっと気の利いた返事をしたいところなのだが、航平は目先のものに気を取られてしまっている。

 そんな航平の様子を、柔らかい視線で包み込んでから、それでもマスターはかまわずに言葉を続けた。

「去年のこの日以来、とんとお越しがなかったので寂しかったですよ」
「え、ああ、すみません。いろいろとあったもので…」

 今度はきちんと目を見て言葉を返す。
 すると…。

「でも、これからは垣内さんと一緒に来て下さるんでしょう?」

 ニコッと微笑まれて、航平は言葉を失う。
 悠人は1年前に初めて、しかもたった1回、この店を訪れただけだ。

 それは、カウンターの一番奥で、10年前を取り返したあの瞬間…。



「航平!」

 店の奥、いつもは貸し切りの時でも普段通りに並べられているテーブルが、今日は1カ所に集められて島を作っている。
 何か大きなものが置いてあるのだが…。

 そこから呼ばれて航平は、マスターにどうにか会釈を返し、歩を進める。
 そこにはすでに悠人がいて…。

「こ…これ」

 悠人も呆然とその物体を見つめている。

3段に積み上げられたそれは、真っ白に覆われ、ところどころに銀色の粒がちりばめられている。

 一番高いところには手のひらほどのプレートが…。

 これはどこかで見たことがある。
 …と、悠人も航平も思った。

 そう、子供の頃、誕生日に食卓を飾った、バースディケーキに乗っていたではないか。

『お誕生日おめでとう』と言うメッセージが、チョコレートで書かれていて…。

 もちろんバースディケーキは3段なんかではなかったが。
 
 そして、今目の前にあるプレートはメッセージが違った。




『Congratulations!』

 それは、祝賀の言葉。




「さ、これもって」

 呆然とそれを見つめる航平と悠人に、哲也が小振りの刃物を手渡した。
 柄の部分には、なぜか紅白のリボンが…。

「ほら、ちゃんと二人で握らないとだめじゃんか」

 よこから別の友人が手を出してくる。

「あ、あのっ、これ…」

 悠人が漸く声を出した。

 困惑しきった顔で見上げてくる悠人に、哲也はひょいと肩をすくめてこともなげに言う。

「ほんとはさ、『Happy Wedding』とか書きたかったんだけど、それすると、お前ら逃げていっちまいそうな気がしたんで、ありきたりな表現にしてみたわけだ」

「う…うぇ?」

 言葉に詰まる二人を、どうやら友人たちは楽しんでいるらしい。


 こんな新鮮なリアクションをしてくれるなんて、準備した甲斐があったぜ…と、哲也は内心でほくそ笑む。

 だいたい気に入らなかったのだ。
 いざというときに頼ってくれないと、友達やってる意味がないじゃないかと。
 二人っきりで苦しむことは何もないんだと言うことを、この際しっかりとわからせてやらなくてはいけない。


「ほれ、さっさとカットしろ。みんな早く食いたくて、ウズウズしてるんだからな」

 大の大人がよってたかってケーキを待ってるはずがないのだが、その言葉と強引な友人たちの動作に押されて、二人は心の整理がつかないまま、握らされたナイフに力を込める。

 つもりたての雪のようになめらかなクリームの表面をわずかに押し開き、吸い込まれるようにナイフが降りた瞬間…。

「おめでとー!!」

 全員の大歓声と、遠慮なく連発されるクラッカーの派手な音に、思わず悠人は首をすくめてしまう。
 航平はそんな悠人を思わず抱きしめそうになって、慌てて手を引っ込める。

 しかし、そういう動作は、必ず見とがめているものがいるのだ。

「なんだよ、航平。遠慮なくやっちゃってくれ」
 
 哲也だ。

「ば、バカいうなっ…」
「あー!悠人泣いちゃったぜ」

 友人の声に慌てて振り返る。

「ゆ、悠人、ごめんな、驚いたか?」

 口々に、皆が悠人を慰め始める。

 それはまったく、かつて『制服』に身を包んでいた頃の様子で…。

「ご、ごめん…」

 悠人は、実年齢に似合わない…しかし、見かけにはとてもよく似合った幼い仕草で、ごしごしと目を擦ると、紅潮した顔を上げ、潤んだ瞳のまま微笑んだ。

「俺、嬉しくて…」

 航平だけでなく、その場にいた全員が、改めてノックアウトされた瞬間だった。







「ほんとに今日はすまなかったな」

 グラスを揺すって、氷のたてる涼やかな音を楽しみながら、ポツっと航平が言った。
 悠人はカウンター席の方で、別の数人に囲まれて笑っている。

「いや、もっと何かしてやりたかったんだけど、お前たちの負担になっても困ると思ってな。形でなく想い出だけ残ればいいかな…なんて、柄にもなく気障な事を考えた結果がこれだ」

 ははっ、…っと照れたように笑う哲也に、航平はもう一度『ありがとう』と、感謝を口にする。


「お前の事だから、指輪くらいしてるかと思ったんだがな」
 
 意外だな…という顔をする哲也に、航平は目を丸くしてみせる。

「バカ言うなって、俺の会社、お堅いゼネコンだぞ」

 法的に独身の自分に結婚指輪のできようはずがない。
 自分も悠人と同じように自由業であれば…と思ったことがないわけではなかったが。

「アホか。チェーンに通して首からぶら下げるとか、いろいろあるだろうが」

 確かにそれも考えた事はある。
 しかし、出来なかった。

「まぁな…。けど、些細なことでまた大きな波風を立てるわけにはいかなくてさ」

 それは、漸く吐露した航平の弱音の一端であった。

 出来るだけ静かに、出来るだけ目立たないように…。
 それが、今航平に出来る、唯一の親孝行だから。

「…なるほどね。さすがに稲葉航平にも弱点があるってわけか」
「なんだよ、それ」
 
 笑って言うから笑って返せる。
 哲也のそんな気遣いが、たまらなくありがたい。

「俺、今日さ、お前に言おうと思ってたんだ」
「何を」
「悠人を守ってやれよ…って」

 口調が急に変わる。

「でもさ、今日のお前たちを見てて、それって違うなって思った」

 向き直る表情は、いつもの哲也なのだが。

「悠人は強くなってる。もちろん、俺、あいつとお前の10年に何があったかなんて知らないけど、確かに強くなってる。もしかしたら、お前よりもあいつの方が芯が通ってるかもしれないな…ってくらい」

 そう指摘されて航平は何故か嬉しかった。
 そうなのだ、結局土俵際で踏ん張ったのは悠人。

『俺は、航平が見えるところにいたい』

 悠人がそう言ってくれたから、今が、ある。 

「だから、感受性の鋭い俺さまとしては、どっちがどっちを守る…ってのは違うと悟ったわけだ。お前たち、ホントに二人で支え合ってるんだなってわかった…」

「哲也…」

「ま、誰がなんと言おうが、俺は言わせて貰うぜ。でっかい声で『おめでとう』ってな」

 にやっと笑って片目をつぶると、哲也は航平の背を一発派手に叩いて悠人の方へ歩いていった。

 その背中に航平は、もう一度、小さく『ありがとう』と呟く。




『おめでとう』…実際、そんな言葉が欲しいわけではなかった。
 二人の関係は『結婚』という言葉では結ぶことの出来ないものだから。

『幸せに』…そんな言葉を期待していたわけでもない。
 誰からも祝福されなくとも、幸せは二人で積み上げて行くものだから。 

 けれど、今こうして友人たちの笑顔に囲まれて、航平はその思いを改める。

 そのたった一言が、こんなにも胸を熱くする。 
 自分たちは、二人ぼっちではないのだと……。




☆ .。.:*・゜



「あれ?ジェフ、まだ帰ってないみたいだ」

 思いの外、早く解放され、警戒していたせいかそれほどのアルコールも入らずに、二人は気分良く帰宅した。

 悠人はまっすぐベランダへ向かい、手すりから首だけ出して、確認する。

 就寝後もほんのりと間接照明が灯るジェフの部屋のリビングは、今はその不在を証明するかのように闇に沈んでいる。

 結局そのまま日本に居着いてしまったジェフは、相変わらず悠人の有能なマネージャーだ。
 ただ、しばらく続いたホテル住まいは半年ほどで切り上げた。
 今は、二人の部屋の斜め下に住んでいる。


「今日は個展の手伝いって言ってたっけ?」
「そう、随分張り切ってたよ」

 ジェフは、悠人の仕事を通して知り合った画家と親しくなった。先月のことだ。

「確か日本画家だったよな」
「うん。俺たちとそんなに変わらない歳なのに、あの画壇で成功してるなんて、ほんとに凄いよね」

 確かに、悠人のようなポップアートならまだしも、今時『売れっ子若手日本画家』というのはかなり珍しいだろう。

 しかし、ジャンル違いの悠人も、その画家の絵は大好きで、今回の個展にも必ず行こうと決めている。

「ね、航平も一緒に行こう」
「そうだな。悠人が行くって言うなら、俺はどこへでもついていくよ」
「やだな〜、そういう消極的発言は」

 そう言って頬を膨らませるものの、瞳は楽しそうに輝いている。

 航平は設計士だが、専門は『構造』の方だ。
 インテリアやデザインの方はまったくやらないので、美術関係にはかなり疎い。
 
 だが当然『Yuto Kakiuchi』だけは別だ。
 今や航平の身の回りには悠人のキャラクターが溢れている。

 それはもちろん、携帯電話の裏にこっそり貼られた小さなシールであったり、キーホルダーにぶら下がった小さなマスコットであったり、本当に、注意してみなくてはわからないようなものに限られているのだが、女子社員たちの反応は早かった。

『稲葉さんが、こんなに可愛い物好きだとは思いませんでした』…と、それは嬉しそうに指摘されたものだ。

 その時は、『もらいものだから』と適当に誤魔化したのだが、もちろんくれたのが作者本人だとは口が裂けても言わない。

 そんなこと、一言でも言おうものなら、やれサインが欲しいだの、原画が手に入らないかだの、大変な騒ぎになるに決まっているから。
 
 ただでさえ『Yuto Kakiuchi』は、その『見てくれ』のおかげでOLや女子高生の追っかけまでいるというのに。

 ついでに言うなら、むかつくことに、男性ファンもやたらと多い。

 そんな有象無象の一人一人に、自分がどれだけやきもきしているか、この愛しいパートナーはわかっているのだろうか。





 寒くも熱くもなく、湿っているわけでも乾いているわけでもない、曖昧な夜の空気の中、悠人がゆっくりと伸びをする。

「なんだか、春の匂いがする…」

 うっとりと深呼吸して、そう呟いた悠人を背後からしっかり抱き締めて、航平はその柔らかい耳朶を甘く噛む。

 そして、そのままの体勢で小さく漏らした笑いに、悠人はビクッと身体を竦ませてから上目遣いに振り向いた。

「何…何笑ってるの…」
「いや…お前って高校の頃から変わんないな…って」
「え?」
「昔も『春の匂いがする』…ってよく言ってたぞ」
「ホント?」
「ああ。…学校の帰り道、暗い道を二人で歩いてるとき、よく言ってた」


 その時はわからなかった『春の匂い』。
 今なら何となくわかるような気がする。
 

 ふと鼻先をくすぐる、いつもと違う風の匂いがそれだとするのなら、それはきっと、自分自身が春の訪れを待ち望んでいたからに違いなく…。 


「悠人…俺の…ゆうと……」

 後ろから抱きしめたまま顔だけ振り向かせ、無理な姿勢で唇を塞ぐと、悠人は小さく喉を鳴らす。

 そしてそのまま手のひらをシャツに潜り込ませ、なめらかな肌を優しく辿る。

「ん…っ、こうへ…い」
「ゆうと……」

 悪戯な指先が敏感な部分に触れると、悠人は小さく身体を竦ませた。

「航平…、こんなところ…で」
「暗くて何処からも見えやしない…って」
「ば、か…。風邪、ひいちゃ…」

 弱々しい抵抗を続ける悠人の体温は、それでも、ふわりと上昇を始めていて…。
 
「じゃあ…」

 航平は悠人をしっかりと抱きしめたまま、ベランダの窓を大きく開け放つ。

 室内にふわっと流れ込む春の微風。

 抱き上げた身体を、すぐにまたリビングの大きなソファーに横たえて、上から暖めるように抱きしめる。

「これなら風邪なんかひかないよ」
「も…航平ってば…」

 トンっと厚い胸を一つ叩き、悠人はゆっくり目を閉じた。
 すると、降ってくるのは優しい口づけと……春の匂い。

 部屋中に満ちてきた春の匂いに包まれて、二人はまた思いを確かめ合う。
 
 幾度も、熱く。
 繰り返し、熱く。
 
 求め合い、与え合い、支え合いながら季節を渡っていく。
 


 そしてまた、春は来る。

 耐えた、長い冬のあとに、春が巡って来たように。

 春は来て、また二人を暖かく包む。



END
☆ .。.:*・゜


航平と悠人の物語、これにて完結です。
 最後までおつき合いくださいまして、本当にありがとうございましたvv

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