番外編

パパ・キャプテンの食育クッキング





『久し振りに一杯やらないか?』

 3日連続の国内線乗務を終えて、明日から2日間の公休日という夜、機長専用のロッカールームで敬一郎を待っていたのは運航部長だった。

 雪哉は今パリへ飛んでいて、帰るのは明日の夕方だ。

 だから、今から出かけるには何の問題もなく、敬一郎は運航部長についていくことにしたのだが…。

 そう言えば…と思い出した。

 ここのところ、コックピットクルーの何人かに、運航部長がひとりずつ『久し振りに一杯やらないか?』と声を掛けて回っているとの噂が流れていた。

 何かの打診か…とか、色々憶測が飛んでいたのだが、結局差し向かいで何を話したかというと、『食べる話』がほとんどだった…という意見が多数で、その後、転勤だとか異動だとか機種が変わるだとか、そんな重要な話は出てこない。

 だが、そもそも運航部長はクルーたちに積極的に関わるタイプの人間なので、何かの情報収集とまでいかなくても、話を聞いて何かに繋げようとしているのかも知れないなと勝手に憶測して、結論づけていたのだが。



 連れて行かれたのは『運航部長は必ずここ』と言われている、銀座の目抜き通りから少し入った細い通りにある隠れ家的割烹。

 運航部長は相当飲めるクチで、敬一郎もそこそこはイケるのだけれど、普段からあまり飲まないようにしているので、今日もそれなりのペースだ。


「そう言えば、ベテランキャプテンたちが雪哉の食が細いと心配していたんだが」

 ここの耳にまで入るほど、雪哉の小食は『ベテラン機長たちの懸案』のようだ。

「はい。すぐに満腹感を覚えてしまうようで、一度にたくさん食べられないんです」


 敬一郎も最初は心配していたのだが、雪哉の好きなものを組み合わせて少しずつ食べさせるペースを掴んでからは、それなりにちゃんと食べられているので、ここのところ不安は感じていない。

「普段の食事はどうしてるんだ?」

「3時間おきに少しずつとか、そんなペースで食べさせたりしています」

「それは大変だな」

「都築には『授乳みたいですね』と笑われました」

 その言葉はツボを突いてしまったようで、運航部長の笑いは暫く止まらないくらいで。

「そう言えば、都築くんは君のことを『世界一幸せなシングルファーザー』だと言っていたな」

「教えられる事の方が多い父親ですよ」

 そう言ってまたひとしきり笑ったあと、運航部長はふと表情を引き締めて言った。

「しかし、フライト中はそうもいかんだろう? チョコレートやキャンディで誤魔化していると言う話を牛島くんから聞いた事もあるんだが」

 そう、問題はそこなのだ。
 フライト中の食事は基本的に『短時間でガッツリ』だ。

 勤務医の友人が『俺と同じだな』と言って笑ったことがあったが、これはもう『職業病』のようなものだ。

 そして、それは雪哉がもっとも苦手とする食べ方だ。


「そうなんです。フライト中は時間を分けて食べるわけにもいきませんし、仰るとおりチョコやキャンディではあくまでも『誤魔化し』ですから、もう少しきちんとしたものをと思いまして、最近ではグラノーラバーを作って持たせています」

 聞き慣れない単語の登場に、運航部長が食いついてくる。

「グラノーラバー? なんだそりゃ。食い物か?」

 オジサマにとっては意味不明のカタカナ――しかもなんだかちょっとお洒落っぽい――に、興味津々のようだ。

「はい、シリアルってご存じでしょう?」
「ああ、ホテルの朝食でしか見かけんがな」

 朝食は『納豆とご飯』が基本の、生粋の東京人なのだ。運航部長は。

「あのシリアルやオートミールにドライフルーツやナッツ類を混ぜて、マシュマロやはちみつなどで焼き固めてバーにするんですよ」

 これくらいの…と手で大きさを示してみせる。

「なるほど、小ぶりで携帯には便利だな。シリアルやドライフルーツがメインと言うことは軽そうだし」

「そうなんです。小さくて軽いのに、栄養価はかなり高くて腹持ちもいいんですよ。良質のバターを少量使えば脂質も補えますし、それに、オーガニックや無添加の素材を選べば安全で、手づくりだと甘さの調整もできます。市販のものは甘すぎるものが多いんですよ」

 そう、雪哉の口に入れるものについては、敬一郎はうるさいのだ。
 とにかく安全安心なものを…と、食材選びはこだわり抜いている。

 それなのに雪哉本人が無頓着だというのがまた信隆にはウケているのだが。


「それと、雪哉はチョコレートが好きなので、必ずバーの半分はチョコ掛けにしています。全部にすると、手が汚れて持ちにくいですし。でもチョコ掛けだと必ず食べるので、今のところはそれで計算上のバランスは取れています」

 雪哉が喜ぶもので栄養が取れるのが1番だと、シリアルやナッツの種類や食感にもこだわり抜いた結果、口の肥えた信隆からも『これ、売れそうですよね』と言われるくらいのレベルに仕上がってしまったのだ。

「思った通り、来栖くんは親としても優秀だな。雪哉もいずれ君のような機長になってくれると期待してるよ」」

 満足そうに杯を空ける運航部長にまた注いで、敬一郎も満足そうに頷く。

「私が雪哉を超えられているのは飛行時間くらいのものですから」

 親バカ万歳な発言を臆面もなく繰り出す敬一郎に、運航部長は『こいつも雪哉と一緒になってから随分変わったな』と、内心で笑いを漏らす。
 もちろん、良い意味での変化だ。

 相変わらずクソ真面目だが、以前のようにどこか超然としたところがなりを潜めて、人間味が溢れて来たように思えてならない。

 つまり、一層魅力的な男になってしまったと言うわけで、それに比例して美人クルーたちからの熱い視線はさらに増えているようだが。

 戸籍上独身だから致し方ないと言えばそれまでだが、みんな多かれ少なかれ気付いているだろうにと、可笑しくなる。

 かく言う自分も、25歳になる娘の婿に雪哉を狙っていたのは事実だから、少し…いや大いに残念には違いないが。


「そう言えば、上のキャプテンたちから、雪哉が遠距離線に乗務する時にはチャイルドミールを搭載して欲しいという要望が上がってるんだが…」

「本当ですか?」

 それはまた、敬一郎にとっては有り難い話だ。

 チャイルドミールは栄養面でも量的にも、好み的にも雪哉にうってつけらしいと信隆からも聞いているのだが、敬一郎は実物を見たことがない。

 雪哉と国際線で一緒になった時に限って、チャイルドミールの予約がないから予備も積んでいないのだ。

 信隆情報によると、動物パンだとか果物ゼリーだとかミートボールだとか、お子様ランチ好きの雪哉が喜ぶようなメニューが満載で、時にはチョコレートムースなんて言う、雪哉が目を輝かせてしまうようなデザートまでついているらしい。

 おまけに食品添加物を極力排除してあると言う、願ったり適ったりのもののようだ。


「しかし、それを雪哉が聞いたらむくれるだろうな」

 ぷうっと可愛く膨れる雪哉を思い浮かべて運航部長が笑いを漏らす。

 もちろん雪哉が膨れるのは『成人男子のプライド』からであって、実際はチャイルドミール大歓迎なのだが。

「けれど、『ありますよ』と言われたら絶対に断らない…と、チーフパーサーたちからも聞いていますから、雪哉はやっぱり好きなんでしょう」

「と言うことは搭載決定だな」

 ククッ…と笑う運航部長に、それでも敬一郎は少し躊躇いを見せた。

「しかし、雪哉ひとりのためにクルーミールを変更するのは色々と問題があるのではないですか?」

 パイロット用のクルーミールは、必ずすべての内容物を変えたものが複数用意されている。
 同じものを食べないようにするのは、万一の食中毒を防ぐためだ。

 けれどベースはあくまでもビジネスクラスのミールだから、別にチャイルドミールを用意するのはコストや手間の面で問題が発生しないかと、敬一郎は考えたのだ。

 しかし、運航部長は『心配には及ばんよ』と笑った。

「ビジネスクラス仕様のクルーミールよりもコストは低いし、手間だって、チャイルドミールの予約が一件も無い日はほとんどないんだから同じ事だ。そもそも雪哉が遠距離に乗るのは多くて月2回だろう? 何より、優秀なコ・パイの健康を守るのは、安全運航のためのエアラインとしての義務だから…」

 その言葉に、敬一郎がうっかり感動しそうになったその時。

「な、パパ・キャプテン」

 ポンと肩を叩かれて、敬一郎はあからさまにその肩を落とした。

 『コ・パイのゆっきー』の『パパ・キャプテン』は、あくまでもキャラとしての設定のはずなのに、いつの間にか自分がしっかり『パパ・キャプテン』にリアル認定されている現状に、まったく追いつけていない今日この頃なのだ。

「…それ、勘弁して下さい…」

 凹む敬一郎に、『やっぱり随分面白い男になったな』と、運航部長はまた、手にした杯をご機嫌で飲み干した。




 それはやはり、出社スタンバイ中にやってきた。

「来栖キャプテン、ちょっと宜しいですか?」

 乗務員の休憩ラウンジでコ・パイたちと話をしていた敬一郎を呼んだのは、ほのぼのとした見かけに似合わずやり手と評判の、広報部の企画課長だった。

 そう、雪哉をミニスカトナカイに仕立て上げ、『コ・パイのゆっきー』を社の看板キャラに育て上げ、ブログのためにスケチェンまで仕組んだ張本人だ。

 呼ばれて場所を変えてみれば、切り出されたのはあまりにも意外な話だった。


「レシピ本…ですか?」

「そうなんです。日々、空で活躍しているクルーのおすすめの一品を集めて本にして出版しようって企画なんですよ」

 ひとりで暮らしていた頃の敬一郎は、栄養バランスは考えつつも、結構好き勝手なレシピで食事を作っていたが、雪哉と暮らすようになってからは、きちんとしたものを…と思い、レシピ本と言うものも手に取ったことはある。
 ほとんどはWeb上で事が済んでいるけれど。


「そんなの、売れるんですか?」

 敬一郎的には、『レシピ本』=料理研究家の仕事…であって、素人が手を出す領域では無い。

 が、やり手課長はニタリと笑った。

「他社さんではすでに出てるんですよ、『現役CAのビューティーレシピ』とか、客室乗務員の本はね」

「じゃあ二番煎じじゃないですか」

 この『やり手』がそんなものに甘んじるとは…と、敬一郎は少しばかり呆れたのだが…。

「いえいえ、私たちが企画しているのは、『現役乗務員のレシピ』です。コックピットもキャビンもアリなんですよ。もちろんキャビンクルーのビューティーレシピも必須ですが、家庭と仕事を両立しているママさんクルーの時短レシピとか、キャプテンのオフの男の料理とか、世界を飛ぶキャプテンのワールドメニューとか、コ・パイの明日への活力メニューとか、そうそう、最近男性キャビンクルーが増えてきたので、イケメンをずらっと揃えて『機内食を10倍楽しむ方法』…なんて座談会をしてもらおうかって話も出てますよ」

 前言撤回。
 やっぱり相変わらず恐るべき企画力だなと敬一郎は思う。

『コ・パイのゆっきー』がまだまだ企画段階の時にも、凄い勢いでアイディアが炸裂していた。

 妄想力…とも言えないでも無いような気がするが。


「で、ぜひ来栖キャプテンにお願いしたいのは、『食が細い息子のための、栄養満点食育レシピ』です!」

「……」

 確かに、『食が細い』も『息子』も『栄養満点』も間違ってはいないし、自分的には雪哉の健康を保つための『食育』のような気持ちでやってもいる…が。

 その『息子』が聞いたら大暴れしそうだ。

「グラノーラバーとか、オーガニックで無添加のお手製って聞いてますよ?」

「…もしかして、スパイは運航部長ですか?」

「あ、バレてました?」

 そう、運航部長は広報に頼まれてパイロットたちに接触し、どの程度『食べ物にうるさくて』『自分でも腕を振るってしまうか』ということを内偵していたのだ。

 ちなみに女性キャビンクルーはノンノン、男性キャビンクルーへの諜報活動は信隆がやっていたらしい。
 
 壁ドン体勢で、『ね、今夜2人きりでご飯食べに行こうか』と囁かれて堕ちないクルーはいない…との、もっぱらの噂だが。


「バレるも何も、スケスケじゃないですか」

 今度こそ本格的に呆れ果てた敬一郎に、やり手課長は声を上げて笑った。

「あはは、そうですよね。でも、来栖キャプテンはそうでなくても料理上手だってのは、ノンノンCPからも聞いてるんですよ。本音を言いますと『現役機長の料理本』にしたかったのは山々なんですが、キャプテンはただでさえ日々のフライトで神経を使うお立場ですから、この上業務外の事にお時間を割いていただくのも申し訳無くてですね、百歩も千歩も万歩も譲った結果『食育レシピ』に絞ったというわけなんです」

 ドヤ顔で言われたが、どうせ万歩も譲ってくれるのならいっそのこと頭数に入れないでくれればいいのに…と、敬一郎は思う。

 雪哉がいつも喜んでくれるから、工夫を凝らすことも素材にこだわることも自然体でやっていて、レシピと言われたところでわざわざご披露するような『秘伝』があるわけではない。

 あるとすれば、『愛』だけだ。

『敬一郎さん、今日のも美味しい〜!』

 その言葉だけで何もかもが報われているのだから。

 もちろん、その代わり、敬一郎は雪哉を美味しくいただいているが。

 いやいや、今はそんなことを回想している場合ではなくて、この『無理難題』をどう切り抜けるか…だ。


「でも、私がやっていることは特に珍しくもないですし、ありきたりなものですよ?」

「いえいえ、都築CCPのお墨付きをもらってますよ。『あれはお店に出してもいいレベルですよ。めちゃくちゃ美味しいですから』ってね」

 信隆の言動は社内でも絶対の信頼を得ているから、その言葉には当然説得力がある。
 今はそれが、敬一郎にとってありがたくない方向へと発動しているけれど。


「…まあ、雪哉も美味しいとは言ってくれますけど…」

 シリアル系のものはともすれば飽きが来がちだが、少しずつ中身を変える工夫もしている所為か、雪哉は『いつも大好き。ずっと大好き』と言ってくれる。

 その言葉に、やり手課長が頷いた。

「ええ、できればその雪哉くんのコメントもレシピ本に載せたいんですけどねえ…」

 これ見よがしに残念そうに言われて、敬一郎は顔色を変えた。

「雪哉はダメですよ」
「そう、そこなんですよ、キャプテン」

 広報は少し渋い顔をする。

「私たちとしても、こんな時こそ雪哉くん…って思いは一杯あるんですが、『コ・パイ』で『ゆきや』で『あの顔』だと、絶対ばれちゃうと思うんですよね」

 そう、未だに雪哉は可愛いくて、やっぱりパイロットスーツはいまいち似合わなくて、『チビキャラ・ゆっきー』そのものなのだ。

 特に海外のエアポートでは雪哉の3本線を見た他社のパイロットたちが『Unbelievable!』と口を揃えるのだが、あと数年して機長になったら今度こそ『Captain? Really? Oh My God!』(機長? マジで? なんてこったい!)なんて言われるに違いないレベルだ。

 いや、そもそも『食育レベル』の『息子』がコ・パイなのはおかしいだろうと言うことを、敬一郎もやり手課長も綺麗にすっ飛ばしていることに全く気づいていないのが問題だろう。

「まあ、コメント以前に、雪哉くん自身にレシピ参加してもらうって話もチラッとは出たんですけどね、料理本となるとやはり『ご披露する腕前』ってのが必要になってくるわけですが、雪哉くんに念のため『料理ってどう?』って聞きましたらね…」

 それはもう、聞くまでもなく敬一郎にはもちろんわかっている。

 雪哉はそんなに料理は得意ではない。
 一通りはこなすが、今のところはそこまで…だ。

 掃除と洗濯のスキルは相当高いが、料理はする機会がほとんどなかった所為だろう。

 それでも公休の時には、乗務から戻ってくる敬一郎のために頑張ってくれていて嬉しい限りだ。
 元々覚えの良い子だから、だんだんと上手にもなって来ている。

 無理しなくていいよ…とは言ってあるのだが、『家族なら当たり前でしょ』と微笑まれて、食事より先に雪哉が食べたくなって、以下同文…だ。

 そうして頑張ってくれているが、でも、まだ得意とまではいかないはず…だが。


「『僕、生オムライスにはうるさいですよ』って返事でして」

『思い出し笑い』付きで言われて、敬一郎は首を捻った。

「『生オムライス』…ですか?」

 一緒に暮らし始めて1年を超えているけれど、そんな話は聞いたことがない。

 だいたい『生オムライス』という食べ物が初耳だ。

「何ですか、それは」
「ですよね〜、やっぱりキャプテンもご存じないですよねえ」

 やり手課長は笑いを堪えた様子で言葉を継いだ。

「いや、私も職業柄、いろんなトレンドは押さえてるつもりだったんですけど、『生オムライス』ってのは初めて聞いたものですから、ちょっと驚きでしたね」

「で、その『生オムライス』ってなんですか?」

 雪哉が『うるさい』というくらい好きなのに、今まで知らなかったのがショックだ。

 ところが、返ってきたのは余りと言えば余りな答えだった。

「TKGのことなんですよ、キャプテン」
「TKG…って、もしかして」
「そう、そのもしかして、ですよ」

 それなら雪哉が『うるさい』というのはよくわかる。

 食の細い雪哉だが、これなら茶碗一杯分の――飛行機柄の子供用茶碗だが――ご飯が食べられるのだ。専用の醤油まで数種類揃えてあるくらいで。

 そう、TKGとは『卵かけご飯』のことだ。

「……生オムライスって…」
「ね、脱力してしまいますでしょ?」

 がっくり来ている敬一郎に同調し、『私も腰が砕けましたよ』なんて、やり手課長は笑う。

「ま、いずれにしましても機内誌ならともかく、今回のは全国の書店に出る一般誌ですから、ただでさえ一部航空マニアの間ですでに『ゆっきーって呼ばれてるコ・パイがいる』ってのは有名な話になりつつあるんで、ちょっとマズいのかなあと言う思いも無きにしもあらずでして…」

 聞き捨てならない情報に、敬一郎の目が尖る。

「それ、本当ですかっ?」

「ええ、この前の機内誌インタビューの時にもかなり問い合わせはあったんですけどね、まあ社の方針として、『モデルはいない』を貫きますし、『乗務員の個人情報は教えない』ってのは元々の大原則ですから、ご安心下さい」

 にっこり微笑まれたが、むしろ隠されてしまう方が人は興味をそそられると言うものだ。

 噂が先行するのはよろしくないし、それこそオペレーションセンターの出入り口で待ち伏せでもされようものなら雪哉の身に危険が及ばないとも限らない。

 そんな敬一郎の内心を見透かしたかのように、課長はニタリと笑った。

「まあ、そうは言ってもご心配だろうとは思いますが、雪哉くんにはとっくにファンみたいなのがいますよ?」

「えっ?!」

 そんな話は聞いたことがない。まさに寝耳に水、青天の霹靂だ。

「そりゃ、あれだけ可愛い顔していて、コスプレみたいなパイロットスーツですからねえ、待合やゲートでも目立ちますって」

「…そう…なんですか…?」

 顔色を無くす敬一郎に気づかない振りで、課長は話を続ける。

「キャプテンと笑顔で話しながらシップに向かう姿を目で追うお客様、多いですよ。コ・パイになりたての頃からそうでしたけど、ゆっきーがキャラになったのと、機内誌のインタビューの合わせ技が一層拍車をかけてしまったのかも…な点は、まあ広報にも責任の一端は在るわけですから、今後の雪哉くんの安全の為に全力を尽くす所存ではありますが、ひた隠しと言うのもかえって興味を引いてしまうことですし…」

「…」

 何やら考え込んでしまった様子の敬一郎に、課長が辺りを憚る声で囁いた。

「で、キャプテン。その、雪哉くんの今後の安全について、少しばかりご提案が」

 雪哉の安全と聞いて、敬一郎の目が見開かれる。

「ここらで一発、若くてイケメンな『パパ』の存在をアピールしておく…ってのもアリじゃないかと思うんですよ」

 若くてイケメンのパパ…とはもしかして自分の事だろうか…と、久々に『自意識皆無』を発動して敬一郎がまた考え込む。

 40代に突入してしまって、雪哉との差を考えると若いとは言えない気がしているし、そもそも敬一郎は自分の容姿に興味がない。

 それに、戸籍上は確かに『パパ』だが、実態は『ダーリン』だし。
 いや、その点は一応ナイショだ。あくまでも『一応』だが。


「『コ・パイのゆっきー』の『パパ・キャプテン』がこんなに素敵なパパで、それがオフでも職場でも一緒だって解れば、胡乱な輩もそれなりに排除出来るんじゃないかと思うんですよ」

「…そんなもの…ですか?」

「ええ、大いに」

 すでにお家芸と化しているドヤ顔で言い切られ、『そうなんだろうか』と、敬一郎はまた真剣に考え込む。

『コ・パイのゆっきーにモデルはいない』という大前提が根底からひっくり返っていることにも気づかないほどに。

「ってわけで、来栖キャプテン」

「はい?」

「レシピ本へのご参加と、ついでに『顔出し無し』にしますから、雪哉くんの『レシピへのコメント掲載』の許可をお願いいたします」

 ぺこりと頭を下げられて、ついうっかり、言葉を漏らしてしまった。

「…はあ、まあ…」
「ありがとうございます!」

 言質を取ったも同然の、欲しかった返事をもぎ取って、『スタンバイ中にお邪魔しました〜!』…と、やり手課長は『すたこらさっさ』と走り去った。


 


 数ヶ月後。

 発売されたレシピ本は異例の売れ行きを見せ、多数のイケメン・美人・ユニークなクルーたちが総動員された結果、『何だか自由で楽しそうなエアラインだな』…と、社のイメージアップに大いに貢献することとなった。

 敬一郎が料理上手と言うのは、『やっぱりイケメンは料理も上手よねえ』なんて偏見に満ちたキャビンクルーたちにすんなり受け入れられたのだが、オペセンに関わる人間全員の度肝を抜いたのは『社内一の堅物・浦沢機長のワールド・スイーツ・レシピ』だったりした。

 ステイ先で『楽しんだ』ご当地スイーツを、現地レシピで忠実に再現したものと、国内で手に入る材料でお手軽に楽しめるアレンジレシピの2種類を載せる画期的な方法も高い評価を得た。

 何よりも、あの浦沢機長が『スイーツを楽しんでいる』という事実に驚愕し、さらにその浦沢機長に『協力依頼』をしてOKをもぎ取ってしまう広報の手腕にも改めて『怖すぎる』との賞賛の声が上がる始末で。


 だが、広報の目論見はこれが終着点ではなかった。

 そう、彼らの『クルーのレシピ本プロジェクト』の最終目標は、新商品の開発・売り出しにあったのだ。


 発売から3ヶ月ほど後、レシピ本が増刷を重ねる中、とある新商品がお目見えした。

 キャビンクルーの頂点、都築クラウンチーフパーサーお墨付きの『コ・パイのゆっきー、グラノーラ・バー〜パパ・キャプテンのレシピで作りました』が完成してしまったのだ。

 ちなみにパッケージでは、『コ・パイのゆっきー』が『いつも大好き。ずっと大好き』と可愛い笑顔でアピールしている。


『いや〜、『コ・パイのゆっきーパイ』を凌ぐ勢いで売れてますよ。手始めに早朝便の朝食用に搭載しましたら、ビジネス客から『急ぎの時の栄養補給になってしかも美味しい』って評判が立って、一気に口コミに火がつきましたよ。しかもそれのおかげでまたレシピ本が売れるっていう好循環で、もうウハウハですよ』

 やり手課長はそう言って、『来栖キャプテンと雪哉くんには足を向けて寝られませんよ』なんて笑っていたが、敬一郎的には足でも何でも好きなだけ向けてくれて良いから、平和に雪哉と暮らしたい…だけだ。

 開発中には敬一郎と雪哉と信隆が何度か試食にかり出されて、確かにそれなりに忠実なものができあがったのだが、帰宅してからこっそり雪哉が、『でも、敬一郎さんのお手製には全然及ばなかったけど』と呟いて、もう、その一言で何もかもがどうでも良くなって、取りあえず雪哉を美味しく食べてしまおうと…以下略…だ。

 しかし、雪哉はそう言ったが、やはり広報の方が一枚も二枚も上手だった。

 雪哉が『飽きないように、季節によって中身を変えてくれるんですよ』と言ったのをちゃっかり拝借して、『期間限定〜秋はマロンのグラノーラ・バー』などの『限定もの』まで売り出す始末で。


 ちなみに、若くてイケメンなパパの存在が抑止力になったかと言うと…。


 来栖敬一郎と来栖雪哉はジャパン・スカイウェイズの名物親子になってしまい、親子セットで『追っかけ』が現れる始末になってしまったのだった。


おしまいv


注)『食育』は本来の意味からちょっと逸脱して使っています。
ご了承下さい。m(__)m


おまけ小咄

『ホラーより怖い広報について』



「キャプテンもゆっきーもすっかり人気者だねえ」

「キャラのはずが、いつの間にかリアル人気だよ。口コミって怖いわ〜」

「乗務スケジュールって絶対教えないじゃない?」

「ですよね」

「だからみんな、予測して乗ってるのよね」

「お金も暇もあるんだなあ、みんな」

「追っかけってさ、生活の全てをそれに賭けちゃうらしいからねえ」

「でさ、この前、来栖親子の那覇往復のシップに乗ったんだけどさ」

「うんうん」

「機長は来栖、副操縦士は来栖…ってアナウンス流れた途端、一部から歓声が上がってさ〜。他のお客さんが『何があったんだ』って騒然」

「ありゃ。そりゃ拙いね」

「うん。で、その時のチーパーが岡林さんだったんだけどね、お客様に『恐れ入りますが、クルーへのご声援は大変ありがたいですが、できれば静かに見守っていただけませんでしょうか。他のお客様のご迷惑になりますと、今後、親子での乗務が不可能になりますので』…ってにっこり釘さしてね」

「おおっ、岡林チーパー、ナイスフォロー!」

「さすがだね、岡林さん」

「確かに親子の乗務がなくなったら、私たちも寂しいじゃん」

「ってか、キャプテンとゆっきーが可哀相だよ」

「だよね。あれだけラブラブの親子なのに、一緒に乗れないなんて、そんなの無しだよね」

「ま、その後、機内では静かに盛り上がってるだけだったんだけど、降機してからゲートで出待ちしててね〜」

「うは」

「結局カンパニーからの指示で、ブリッジのサイドドアから地上へ降りて、グランドの出入り口からターミナルに入ったってわけ」

「大変だね、人気者は」

「でも、大丈夫かなあ、そんな騒ぎになっちゃって」

「キャプテンとゆっきーはちょっと困ってたけど、周りは『今だけだって』って、割と冷静かな」

「私もそう思うなあ。だって、コックピットクルーってお客様の目にはほとんど触れないじゃない? スケジュールもわからないし、そのうち下火になると思うけどな」

「ま、確かにパイロットはそうかもだけど、そうもいかないのがキャビンクルーだよね」

「それ言えてる」

「都築教官なんて、10年越しのストーカーとかいるじゃん」

「あ、その人知ってる。大企業の社長夫人だよ。ああなるともう、ライフワークだよね」

「有名デザイナーとか芸能人にもいるよね、都築教官の追っかけ」

「キャビンクルーはお客様と直接接するからある程度は仕方ないよね」

「そうそう、香平くんにも現れ始めたね、それっぽいの」

「しかも、レシピ本で更に火が付いたじゃん」

「あれに乗ってた香平くんのお手軽フレンチ、めっちゃ美味しかったよ〜」

「私も作ってみた! 簡単で美味しかったし、後からこっそり、別のレシピ教えてもらっちゃった〜」

「え〜! ずるい〜!」

「前のエアラインで仲が良かったフランス人キャプテンに教えてもらったって言ってたから、本場の味だよね」

「あと、やっぱり超意外だったのが、浦沢キャプテンのスイーツだよね」

「あれ、驚いたよねえ。しかも美味しいときてるし」

「確かに浦沢キャプテンって、顔怖いし、言うことぶっきらぼうだけど、実は優しいからね」

「冗談通じないけどね」

「いやいや、サムいオヤジギャグ連発されるよりよっぽど良いって」

「あ、なるほどね。そう思えばいいんだ」

「だよ。笑えない冗談飛ばされて対応に苦慮するくらいなら、最初から冗談ナシの方が気が楽だって」

「発想の転換だねー」

「ものは考えようってことか」

「その、ものは考えよう…じゃないけどさ、キャラのゆっきーとパパ・キャプテンって実の親子設定だけど、リアルの来栖親子って、今ネットの『エアライン板』とかで何て言われてるか知ってる?」

「え、知らない。なんか言われてるの?」

「来栖キャプテンと雪哉くんは実の親子の年齢差じゃないもんねえ」

「パパがあんなに若いって、レシピ本出るまで誰も思ってなかっただろうし」

「ってか、モデルはいないはずだったんだけどさ、ゆっきー」

「最初はね」

「もう『公然』よね、こうなったら」

「でさ、さっきの話、どうなのよ。キャプテンとゆっきー、なんて言われてるの?」

「キャプテンの『再婚した年上奥さんの連れ子』ってことになってるんだよ、ゆっきー」

「なんだそりゃ」

「どこからそんな話が」

「確かにそれだと上手いこと丸め込めちゃうけどさ」

「いや、それがね…これも広報の仕業って話がね…ちらっと…」

「…いないはずの奥さんまででっち上げたのか…広報…」

「…なにそれ、生半可なホラーより怖い…」

「同感…」

ちゃんちゃん。
キャビン・クルー編 『Rainbow Wing』へ

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