「ただいま、香平」

 乗務員用の休憩ラウンジで、新人クルーからドイツ語の受け答えについて質問されていた香平に声を掛けてきた『金髪のキャプテン』の登場に、辺りがざわつく。

 スタンバイルームはパイロットとキャビンクルーで別れているが、休憩ラウンジはひとつなので、国内線乗務のインターバルをここで取るクルーもいて、いつも賑わっている。

『フランス人の超イケメンがやって来た。しかも独身』…と、すでに噂にはなっていて、来栖機長が事実上独身でない――そうは思っていない面々もまだ多いが――今、数多の独身女性クルーからターゲットロックオン状態になろうとしてところへ、『中原CPを追いかけて来たらしいよ』という話が香平の公休中に大々的に流れてしまい、残念がりつつもこれからの成り行きに興味津々という、香平にとっては一番ありがたくない方向へ話が転がっている最中なのだ。

 そこへ持ってきて、こんなに甘い声で『ただいま、香平』なんていわれた日には、この後の噂話がホラーレベルに恐ろしいことになりそうで、集中する視線に、香平はともかくも…と、ニコラの手首を掴んで『こっち!』と引っ張った。

 こんな衆人環視の下で話し合って晒し者になる気はさらさらない。追いかけてくる視線は痛いほどだ。
 きっとこの行動だけでも後で尾ひれがついた噂になっているだろう。

 今や、社内一ネタにされやすいのが雪哉で、その次が香平だと言われているくらいなのだから。
 
 ちなみに3番目は畏れ多くも都築クラウンチーフパーサーで、以前なら『ネタにするなんてとんでもない!』と思われていた『神聖にして冒すべからず』な来栖機長は、愛息とセットでランクインだが。



「キャプテン、いったいどういうつもりなんですか?」

 人目につかないところまで引っ張って行き、努めて静かに、けれど低い声で香平は言った。

 けれど、ニコラはそんな香平の様子に動じる様子もなく、嬉しげに両手を広げた。
 ここへおいでと言わんばかりに。

「つれないなあ香平は、ニコラって呼んでくれよ」

 抱き込まれそうになって、香平は慌てて両腕を突っ張って逃れる。

「あっちでも呼んだことないじゃないですか」

 ずっと職位で呼んできた。
 紛らわしい時だけ、ファミリーネームをつけて。

「だから〜、追っかけて来たご褒美に」
「追っかけてくれって言った覚えはないですけどっ」

 確かに強引なところのある男ではあったが、それは不快なものではなかった。今までは。

 だが、今は不快かと言われたら、実はそうでもない。
 人懐っこい笑顔のせいかもしれないが、そもそも悪い人間でないのは良くわかっているからだ。

 いや、むしろ信頼に値する人間だと知っている。
 そう、良い悪いよりも、今は『何故?』だ。

「ってか、ちょっと胸に手を当てて考えてくれません?」
「何を? 香平への思いを再確認?」

 いつからそんな話になっていたんだと、香平は脱力する。

「あのねえ…。そうじゃなくて、都築教官に嘘ついたでしょ」
「…え。」

 もうバレたんだ…と、顔面にありありと『いたずらが見つかったワンコ』のような表情を浮かべて、ニコラは派手に肩を竦めて見せた。

「あのさ、香平」
「なんですか?」
「どうしてバレたんだ?」

 あっという間だった。
 
 ニコラとしては、ライバルがかなり手強そうなので、少々強引な予防線を張って、これで時間稼ぎをしようと思っていたのに。


「どうしてって、そりゃ都築教官から聞かれたからですよ。キャプテンと恋人同士だったんだって? …って」

 香平の言葉に、ニコラは思わず頭を抱えた。

「…うひゃ〜、信隆ってやっぱり一筋縄ではいかなかったな〜。ちょっと見くびってたな。手強すぎるぞ、これは」

「何をブツブツ言ってんですか」

「いや、何でもないよ」

 立ち直りも早い。
 そもそも、一度の失敗ぐらいでめげてはいられない。
 こんなに遠くまで、香平を追って来たのだから。

「ってか、僕が好きって本当なんですか?」

「当たり前だろう? こんなこと、会社を変わってまでやる冗談じゃないだろう」

 住まいをパリから東京に移すだけでも大変だった。

 採用が決まってからは、在留資格のあれこれや、面倒な事は社が代行してくれたが、それでも相当な労力で、それもこれも香平の側に行けると思ったからこそ頑張れたのだ。ニコラとしては。


「じゃあ、なんで向こうにいるときに言わないんですか」

 言われてニコラが目を輝かせた。

「えっ、向こうで告白してたら、ハッピーエンドだった?」

「そうじゃなくて、どうして今さらって言いたいんですっ」

「無くして初めて気づいたんだよ。香平への思いに」

 突然真摯な眼差しで見つめられて、香平は次の言葉を飲み込んだ。

「それまでは、気の合う友達だと思っていた。でも、香平に会えない日々に直面してやっと気づいたんだ。僕の魂が君を求めていることに。君を愛しているんだ、香平」

 甘い声で告げられて、それでも香平は頭の何処か冷めた部分で、『やっぱりフランス人って臆面も無い愛の語り方するよなあ』…などと、世のフランス人が聞いたら怒りそうなことをつらつらと考えている。

「キャプテン」
「なに?」

 蕩けそうな声色もお似合いだが、香平の心は揺さぶられなかった。

 一呼吸おいて、はっきり告げる。

「僕が好きなのは、雪哉ですから」

「えっ、なにそれ! 本当に?!」

「ええ、ずっとです。12の時からずっとです」

 失恋しましたと教える気はないけれど。

「…カワイコちゃん同士でどうするのって感じだけど」

「なんですか、それは」

「いや、雪哉は凄いね。あんなパイロットは初めて見たよ」

 ニコラの顔つきが、機長のそれになった。


「優秀な部分をそれぞれ上げればキリはないけれど、あの子はそれだけではない、『何か』を持っているよ」

「…何か?」

「そう。日本はたくさんの神様がいる国だから理解できると思うけれど、雪哉は空の女神に祝福されていると思わざるを得ないところがある。才能そのものも突き抜けているけれど、あれはもう、空を飛ぶために生まれてきたと言っても過言じゃないと僕は思う」

 技術的な事はまったく門外漢のキャビンクルーたちからしてみれば、天才的というのは『離着陸が上手い』とか、『瞬時の判断力に優れている』とか、そう言う分かり易い話しか想像がつかないのだが、今こうして、同じパイロットの立場を持ってしても語り尽くせないほどの才能だと聞かされて、香平は改めて、雪哉の今が健やかであることに感謝してしまう。

 誰に感謝するんだと言われたら、ニコラ曰くの『空の女神』くらいしか思いつかないが、ともかく『生まれてすぐ』と、『あの時』の二度、命の危険に晒された雪哉の今までを思うと、この瞬間でもまだ、胸が締め付けられるような苦しさを覚える。

 そして、生きていてくれてありがとう…と。


「香平?」

 つい想いに耽ってしまった香平の肩に、ニコラが優しく手を掛ける。

 その手には、今までと変わらない『親愛』しか感じられなかったから、香平は振り払うこともなく、少し見上げてから、また目を伏せた。

 こういう時、ニコラはいつも黙って優しく肩を抱いて見守ってくれていた。

 価値観の違う外国人ばかりの職場の中でずっと気を張って生きてきて、認めてもらうまでには随分の努力と時間が必要で、それでもどうにか、信頼できる何人かの友人と出会えて飛び続けることができた。

 ニコラはその信頼できる友人のひとりだったが、ちょっと年上でキャプテンと言う事もあり、同僚のような気やすさでは接して来なかった。

 どちらかと言うと、保護者や先生に近いような、そんな感覚だったのだ。

 だから、日本のエアラインに移ると報告した時も、『寂しくなるよ』と言いながらも、応援してくれていたはずなのに。


「ともかく僕は、ここへ来て素晴らしいキャプテンたちや才能あるコ・パイたちに出会えてとても喜んでいるし、キャビンクルーたちも、さすがにあの信隆が束ねているだけあって驚くべきチームワークでとてもいい仕事をしている。信隆にも言ったが、僕はここでラストフライトを迎えたいと思っているくらいだ」

「…キャプテン…」

「そして、香平を諦める気もないと、はっきり言っておくよ」

 その口調と眼差しに、これは確かに冗談でもなんでもなく本気なんだと認識して、香平は困惑を深くする。

「僕だって、またキャプテンに会えて、同じところで働ける事になって嬉しいんですよ。辛いときもいつも励ましてくれて、頼りにしてたし…」

 香平の言葉をニコラはいつものように笑顔で聞いてくれる。

 けれど、言うべき事は言っておかなくてはいけない。

「でも、他の誰に何を言ってもいいですけど、都築教官にはこれ以上絶対に僕の話はしないで下さい」

「どうして?」

「僕は、プライベートで都築教官の信用を無くしてるんです。乗務で取り返そうと思って必死なんですから、足引っ張らないで下さい」

「信用って?」

 穏やかじゃないねとニコラの表情が曇る。

 ニコラが知る限り、香平は信用を落とすような『何か』をやらかすような人間ではないし、信隆にそんな様子は微塵も感じられなかった。

 感じたのはただ、もしかしたらまだ本人が無自覚な部分さえあるのかも知れないと思うくらいの『執着』…そう『恋心』だけで。

 けれど香平は決意も固く、言い切った。

「それをキャプテンにお話するつもりはありませんし、今後も詮索しないで下さい。お願いします」

「香平…」

 相当思い詰めた様子の香平に、信隆との温度差とか、行き違いのようなものを感じるニコラだが、今のところ敵に塩を送る様なまねをする気はない。

 それに、嘘は一発でバレてしまったが、この思わぬ展開で、これはこれで時間稼ぎになるだろうと言うズルい考えもチラッと浮かんだ。

 雪哉は端から対象外だろうけれど――彼は香平を友人としてしか認識していないと、今回のフライトで確信している――信隆はハッキリ『ライバル』だとわかっている。この件に関してだけは。

「OK、わかったよ。今後、信隆に君の話はしないと誓うよ。ただし、職務に関してはその限りではないが」

「それは僕だって了解してます」

 公私混同などすれば、信隆の信用回復は一層遠のいてしまうに違いない。

「取りあえず、今すぐ同じ想いを返せと言われても、それは無理だと承知して下さい。僕の中にはまだ雪哉がいて、そう簡単には切り替えられないんです。割としつこい性格なんで」

 びしっと決めたつもりだったが、やっぱり相手は愛を語ることに長けた大人のフランス人らしく、一枚も二枚も上手だった。

「香平をしつこい性格だと思ったことはないけれど、まあ今日のところは香平の気持ちを尊重するよ。でも、僕の気持ちは僕のものだ。僕もそう簡単には切り替えられないよ。僕の中には香平がいるんだから」

 告げたことをそのまま逆手に取られて、香平はまたがっくりと脱力したが、とにかく今日のところはこれくらいで勘弁してもらおうと、休憩ラウンジへ戻ることを提案した。

 消えたままでは、また余計な憶測を呼ぶに違いない。

 もうすでに、遅かったが。




「なかなかいい性格してるじゃないか、ニコラ」
「そう言う君だって、速攻潰しにかかるとは侮れないな、信隆」

 こういう時に限って帰着が同じ頃になって、ばったりと顔を合わせてしまうものだ。

 目が合った瞬間に、お互いに『話がある』と顔に書いてあるのがこれでもかというくらいわかってしまい、やってきたのはターミナルの展望デッキ。

 雪哉や香平が出社スタンバイ中の息抜きをしに来る事が多い、人目につかない隅っこだ。


「別に潰しにかかったわけじゃないさ。本人に確認してみようと思っただけだ」

「どうして? いくら香平の上司とは言え、彼のプライベートに踏み込む権利はないだろう?」

「確かに、ただの上司ならね」

「…違うっていうわけ?」

 ニコラが警戒心を滲ませる。
 だが、信隆は少し遠い目で穏やかに言った。

「…そうだな。ただの上司ではいたくないな」

「随分遠まわしだね」

「…そうかもな。でも、まだ彼の心は癒えていないから…」

「心…?」

 何のことだとニコラは訝しむ。
 香平がこちらへ移ってまだ1年半程度。
 その間にいったい何があったのか。

「…香平に、何かあったのか?」

 ニコラの疑問はもっともだが、信隆はやはり、少し言葉を濁した。

「…香平に…と言われれば、微妙なところだな」

 何かあったのは雪哉で、香平は実際のところ何もしていない。
 雪哉との再会を喜んだだけで。

 強いて何かと聞かれたなら、『失恋したこと』と『信隆が不用意な言葉で泣かせてしまったこと』…だろう。

 そして、香平自身の深い後悔と…。

 それきり黙り込んでしまった信隆に、ニコラは取りあえず、今思いつける事を口にした。

「香平は雪哉が好きだと言った」
「ああ、そうだな。その通りだ」

 あっさり認められて、ニコラが笑う。

「やっぱり知ってたか」
「そりゃあね」

 知っていて当然だろう…と、言葉の端に滲ませる。

「…けれど雪哉の気持ちは香平には向いていない」

「それも、その通りだな」

「ひとつ確認だが、雪哉と来栖機長は事実婚のカップルじゃないか?」

 ニコラの指摘に信隆が『やっぱりね』と小さく笑いを漏らす。

「…ニコラが気づかないはずはないと思っていたけれどね。さすがだ」

「それは、褒められてるのか?」

「もちろん」

 少し茶化した口調でいうと、ニコラが『やれやれ』と言わんばかりに肩を竦める。

「確かに来栖キャプテンと雪哉はそうだし、そのことを香平も知っている」
「…知ってる? 香平が?」

 それはすでに『失恋している』と言うことに他ならない。

「ああ」
「それでも香平は雪哉を思い切れていないというのか?」

 考えたくもないことだ。
 想い人はもう他の人のものなのに、それでもまだ香平が想いを残しているのかと思うと、堪らない。

「…いや、実際はもう、吹っ切れているとは思うけど…」

 またしても、らしくなく言葉を濁して黙ってしまった信隆に、ニコラはどこからアプローチしたものかと考え込む。

 展望デッキは考え事をするのには少々不向きだ。
 頻繁に離発着する航空機の騒音と、ジェット燃料の匂いが集中を妨げる。

 雪哉は普段からこの環境でリラックスしているが。

 やがてポツリと信隆が漏らした。

「私は、香平を傷つけてしまったことがあるんだ」
「香平を?」

 香平から聞いていた言葉から憶測するには真逆の話だ。

 香平は、自身に非があるような言い方をしていたし、今し方の信隆の言葉だと、非があるのは信隆だ。

「大切に大切に育てて行きたいと思っていたのに、ミスを犯した」

「で、そのミスに信隆自身はがんじがらめってわけか」

「…ニコラの日本語の語彙は凄いな」

「この流れで突っ込むのはそこか?」

 言われて、『確かに現実逃避だな』と、信隆はひっそりと自嘲する。

 そんな信隆に、『何があった』と聞いたところで口を割る訳はないだろうなと踏んで、ニコラはそれならば自分は誰に遠慮すること無く、香平に想いを伝え続けるまでだと開き直った。


「ともかく、嘘も一発でバレてしまったわけだし、香平はすでに失恋してるってことだし、信隆は自分で自分の罠にはまっているようだから、僕は遠慮無く香平にアタックするよ」

「…アタックを止めろ…とは言えないな。恋愛は個人の自由だ」

「いいねえ、その、物わかりの良い振り」

「振り?」

「いや、前言撤回。物わかりが良いと言うのは、成熟した大人の必須条件だ。信隆は成熟した大人の男だよ。僕から見ても、クラクラするほど魅力的でね」

 あからさまな揶揄と挑発に、それでも信隆は乗ってこなかった。
 自分でもどうしたいのかわからないのだ。

 ただ、香平に会いたくて、話をしたくて、そしてあの、花が綻ぶような笑顔を見せて欲しい。

 それだけだ。

「ま、せいぜい香平にとって良い上司でいてくれ」

 香平は何かを誤解しているようだけれど…とは、もちろん言わずに、ニコラは信隆の肩をポンッとひとつ、軽く叩いて去って行った。

 その背中をチラッと見て、信隆は小さく頭を振る。 

『がんじがらめってわけか』

 不意にニコラの言葉が蘇った。

 自分が何に囚われているのか。

 考えれば考えるほど、答えは迷宮の奥深くに潜んでしまいそうな気がした。




 それから半月ほど経った頃。

 香平が乗務するフランクフルト行きの便で、アシスタントパーサーの『チーフパーサー昇格審査』が行われることになった。

 審査教官はよりによって信隆で、香平はプリ・ブリーフィングの時から、今までになかった緊張を強いられた。

 それもこれも、わざわざ呼び出されてまでニコラとの関係を問いただされた、あの不可解な一件の所為だ。

 とは言え、そんな風に信隆の信用を無くしてしまったのも元はと言えば自分の至らなさ故で、それほどまでに信隆は雪哉を大切に思っているのだろうと思うと、諦めもつこうものなのだが。


「都築教官、何かありましたら…」

 ブリーフィング中に声を掛けたが、いつもと同じように、信隆は『私は審査乗務だから、いないものと思っていてくれて構わないよ』と優しく言っただけだった。

 多くのクルーは、憧れの『都築CCP』との乗務に張り切っている様子で、チームに活気があるのは良い事だと思いつつも、自分だけに活気がない。

 いや、こんなことではダメだと気持ちを切り替えて、もう一度確認したファーストクラスの乗客には前島の名があった。

 あの、包み込むような穏やかさはとても心地よくて、少しだけ気持ちが浮上した。


                    ☆ .。.:*・゜


 フランクフルト行き711便は定刻に出発した。

 香平は、月に2回はこの便に乗務していて、前島はそのどちらにも大概搭乗している。

 大手の取引先がフランクフルトにあるようで、頻繁に行き来しているようだと、信隆はすでに調べ上げていた。

 今日も搭乗して上着を香平に預けながら、『中原くんの顔を見るとホッとするね』と、笑顔を見せ、香平も嬉しそうに何やら答えていて、張り切っている様子が見て取れる。

 昇格審査中のアシスタントパーサーも緊張した様子は見られず、いつもと同じように生き生きと動いている。

 もとより不合格の可能性は低いと信隆は思っていて、緊迫した審査では無い。

 むしろ、改善点をつぶさに上げて、今後の乗務の質をより高めていくことに重きを置いていると言っていいだろう。


 審査教官は、出来るだけ乗客の目に入らないように、ギャレーにいて審査を行うのが常だ。

 とはいえ、制服を着ている以上、乗客にとっては等しくクルーの一員であるから、知らん顔は出来ないし、するつもりももちろんない。

 むしろ、一緒に動きながら審査がしたいほどだが、乗客に気を取られて審査がおろそかになっては本末転倒なので、そこはグッと堪えて密かに審査をしていると言った状況だ。 

 ただし、アシスタントパーサーが休憩に入ったら、その代わりに香平のサポートに入ろうと決めている。


 香平と一緒に乗る機会は多くない。

 上級チーフパーサーなら、自分のチームを巡回する形で一緒に乗る機会は一定間隔で持てるのだが、今の信隆はそうはいかない。

 職権乱用で、昇格審査を香平の便に集中させてやろうかとも思ったが――そんな我が儘が許される程度には激務のはずだ――それで香平の邪魔になるのは本意ではないから、ある程度の操作で我慢するかと思っているところだ。

 ただし、チーム外のクルーの審査を持ち込むわけにはいかないから、香平が属する『藤木チーム』のクルーが昇格審査にまでたどり着いてくれないと困るわけだが。


 フランクフルトへは約12時間の飛行時間。

 パイロットは機長2人とコ・パイがひとりのマルチ編成で、3時間のサイクルでひとりが休憩に入る。休憩室は『クルーレスト』と呼ばれていて、パイロットのそれはコックピットの背後の上部にあり、コックピットから出ることなく直接移動出来て、内部はファーストクラス仕様のフルリクライニングシートがあり、その後ろの壁にはベッドが埋め込まれていて横になることもできる。

 複数が同時に使用することは絶対にないので、ゆったりとしたお一人様仕様だ。

 キャビンクルーはクラス毎に交代で休憩を取る。

 機体最後尾にかなりゆとりのある空間があり、いくつかのベッドが効率的に配されていて、簡易のドレッサーも設置されていて主に女性クルーが使用している。

 男性クルーはコックピットの出入り口付近にある秘密のドアから下部へ降りたところにコンパクトな空間があり、3段ベッドが備えられた少々手狭な感が否めないところで休憩をとる。

 今のところ、複数が同時に使用する事はあまりないので、休憩するには問題ない空間だが、休憩に入るときに『カタコンベ行って来ます』と言う隠語が発生するのは、やはりその閉塞感の所為だろう。

 ちなみに『カタコンベ』と言うのは、ヨーロッパなどの教会の古い時代に見られる『地下墓地』の事だ。


 フランクフルトへ向かう空の上で、信隆は審査に集中しながらも、前島の様子を覗っていた。

 思っていたよりもずっと紳士でマナーをわきまえた人間のようで、わざわざ香平を呼びつけるような真似をするでもなく、傍目には完璧な上得意だ。

 審査休憩中にそれとなく接触してみたが、第一印象の通り、見た目と中身のクラスの高さが一致している安定した人物だった。

 しかし、上手く香平を捕まえてさりげなくコミュニケーションを図る様子を自分の目で見て、信隆は確信した。

 前島の目的は香平そのものだと。


 そして、香平はと言えば、そんな信隆の思いになどこれっぽっちも気付くことなく、だだ純粋に、初めて接する顧客でもその懐に絶妙のタイミングでスルッと飛び込んで旧知の仲のようにコミュニケーションを取ってみせる信隆に、『やっぱりこの人は次元が違う』と感嘆するばかりだ。


 まだまだ教えて欲しいことは山ほどある。

 けれど、昇格前の時のように、口に出して尋ねるのは憚られた。

 一応チームを任されているチーフパーサーとしては、ちっぽけだが意地もプライドもあるし、乗務に関して頼りないと思われることは絶対に避けたいから、後はもう、この目で見て盗むしかない。

 思わずギャレーのカーテンの影から、前島と笑顔で会話を交わす信隆じっと見つめてしまい、その視線に気づいた信隆から『そんなに見つめられたら誤解しちゃうよ』…とからかわれてしまい、今度は別のベクトルで『やっぱりこの人は次元が違う』と、肩を落とす羽目になった。


 そして、フランクフルトに到着する少し前、香平は前島から尋ねられた。

『明日の夜、食事に誘ってもいいかな?』…と。

 断る理由もないし、そう言う行為が禁止されているわけでもないので、香平は請われるままに個人の連絡先を教えた。

 フリーアドレスだが。

 そして、香平が前島に呼ばれて何やら相談しているその様子を、信隆は視界の端にちらりと入れていた。




 翌日の夜、約束通り、香平は前島と食事に行き、会話を楽しんでいた。

 復路便の乗務まで12時間以上あるにも関わらずアルコールを口にしない香平に前島も合わせてくれようとするので、それは申し訳ないからと言ったのだが、『私も一応仕事で来ているのでね』と返されて、スマートな大人の対応だなあと思いつつ、『都築教官もこんな風に言いそうだな』と、ふと信隆を思い出した。

 すると。

「昨日、ファーストクラスに、長身でやたらと綺麗な男性クルーがいただろう?」

「はい」

 もちろんすぐに、今し方脳裏にいた人のことだとわかった。

「都築…と、あったが、彼は今まで見たことがないネームプレートを付けていたが、あれは特別なのかな」

「…虹色のウィングマークですか?」

 これ見よがしではなく、さり気なくあしらわれているのだが、一度目に留まればその優しく美しいデザインは記憶に残る。

「そう、まるで王冠のようだったが」 

「はい、王冠なんです。『クラウンチーフパーサー』と言う、たったひとりの『トップ・オブ・キャビンクルー』だけが付けられるマークなんです。今回のフライトでは審査のために乗務していました」

「中原くんの?」

「いえ、私ではなく、もうひとりファーストクラスにいた女性クルーが、チーフパーサー昇格審査中ですので」

 香平の説明に、チーフパーサークラスともなればさすがだな…と、前島は感心する。
 審査する方もされる方も、そのような様子は微塵も感じられず、いつものように穏やかで柔らかいもてなしの空間だった。


「しかし、審査をしながら接客も…とは、大変なんだな。そのクラウンチーフパーサーとやらは」

「いえ、審査中は通常業務には就かないんですが、審査対象者が休憩中には、その分をカバーしてくれるんです、いつも」

 そう、信隆が慕われる理由のひとつに、そう言う『気遣い』がある。

 信隆は決して先に休んだり楽をしようとしたりしない。
 責任者は誰よりも忙しいのが当たり前で、クルーたちを適切に休ませるのは、上司たる者の絶対的な務めだとチーフパーサーたちに説いている。


「彼は、すべてのクルーの憧れで、目標です」

 にこやかに言う香平に、前島は鷹揚に頷いて見せる。

「いや、さすがにトップ・オブ・クルーと言うのは伊達ではないな。わずかな時間だったが、対応と言い身のこなしと言い、申し分なかった。私も数多くのエアラインを経験しているが、あれほど完璧なクルーは見たことがない。しかも気持ちの温かさまで伝わってくるとはね」

 見る目の肥えた前島に、信隆を手放しで誉められて、香平は嬉しさを隠せない。

「ありがとうございます。何しろ彼は『現場・命』で、本当は審査や査察よりも通常業務に就きたい人なので、お客様と接していると生き生きするんだと思います」

 嬉しさは恐らく、表情にも強く漏れていたのだろう。
 前島はふと、苦笑いになった。

「随分彼のことをわかっているようだね」

 言われて香平は、『そうではなくて』と恥ずかしげに目を伏せて、事実を告げた。

「私をジャパン・スカイウェイズに呼んでくれたのは、彼なんです」

 一瞬の沈黙が訪れる。

 そして、呟きのような言葉が香平の耳に届いた。

「…と言うことは、私は彼を恨むべきなんだな」
「…は?」

 何を言われたのか、わからなかった。

 誰が誰を恨むと言うのだろうか。この話の流れで。

 目を丸くしている香平の視線を少し避けて、前島がひとつため息をついてから静かに話し始めた。

「君が、他に移ると聞いて、自分でも可笑しくなるほど動揺したんだ。手紙一枚で別れを告げられて、目の前が真っ暗になった」

 以前のエアラインでは、クルーが常連顧客の降機時にメッセージを渡すことは珍しいことではなかった。

 搭乗の礼や、再会を望んでいるという、言わば『営業活動』の一環だ。

 そのメッセージをいつものように受け取って、迎えに来たリムジンの中でそれをみた前島は、手を震わせた。

 そこには、退職してエアラインを移ると言うことと、今まで見守り育ててもらった感謝と別れの言葉が綴られていたから。

 これからもお元気で、ますますのご活躍をお祈り申し上げます…との結びの言葉を見たときには、空港へ引き返そうと言う気になったほどだった。

 だが、それをせずに前島は、香平の移籍先を探し当てることに全力を挙げることにしたのだ。

 エアラインを移るとき、移籍先を教えて顧客引き抜きを図るクルーもいるが、香平はそれをしなかった。

 母国人以外のクルーが出世するのは厳しいと言われるところで、アシスタントパーサーにまでしてもらったことに感謝していたからだ。

 結局、香平の意図しない『VIP流出』が発生してしまったのだが、それについては前の職場でも『仕方がないよ、香平だから』と言われていると伝え聞いて、少し安心してはいるのだが。

 だが、当の顧客から『一方的に別れを告げた』と指摘されてしまい、香平は困惑していた。

「…それは…」

 他にもっと良い方法があったのだろうかと考えを巡らせるが、今すぐには答えが出せない。 

 そんな香平の様子を見て取り、前島は大きいが美しい手を伸ばして、香平の手を握った。

 咄嗟に手を引いたが、離してはもらえなくて。

「いや、すまない。君がしたことはクルーとして極めて正しいことだ。むしろ、ああやってきちんとけじめをつけて去って行くのは、君らしい思いやりだと思っている」

「…そう言っていただけると…」

 と、手を引こうとしたのだが、やはり許してはもらえなかった。

「その、なんだ、あまりこういう詮索は性に合わないんだが…」

 珍しく少し視線を泳がせて、前島は、らしくない戸惑いを含んだ声で言った。

「君と、あのクラウンチーフパーサーは、何か特別な関係なのか?」

 どういう意味で聞かれたのか、咄嗟にはわからなかった。

「特別…ですか?」

 特別と言えば特別だ。
 入りたいと願いつつも、採用がなかったために断念した国内エアラインに来られたのも信隆のおかげだし、雪哉とのことを救ってくれたのも彼だ。

 今は信頼回復に必死な状況だが。

「確かに、今私がここでこうしていられるのは、都築教官のおかげではあるんですが」

 首を傾げると、前島はふと、笑いを漏らした。

「まったく、可愛い人だな、君は」

 仕事での優秀さは以前からよく知っていたし、それなのにとても素直で可愛らしいところが同僚からも顧客からも愛されていたのだが、オフでのこんな『いとけない面』を見せられると、気持ちがますます香平へと傾いていくのを止められなくなっていく。


「そうではなくて、恋愛関係にあるのかな…ということだよ」

 ハッキリ告げると、香平は目を見開いた。

「え、私と、都築教官が…ですか?」

 その様子に、これは邪推だったかな…と、前島がホッとしたのもつかの間。

「私が好きな人は、パイロットです」

 少し口を尖らせて、香平は小さく言い、今度は前島が目を見開く番だった。

「…まさか、オーリック機長か?」
「…どうしてここにオーリック機長が出てくるんですか…」

 あまりにも意外な人物名に、香平の声が少し不機嫌になる。

「いや、彼も君を追って移籍したと聞いたから…」

 またしても外れたのかと思えば、香平もきっぱり言い切った。

「違います。私が好きな人は副操縦士なんです。彼がジャスカにいることはわかっていましたので、引き抜きの話を頂いた時には、少し…浮かれました」

 そう、雪哉に会えるのだと、とてもとても、浮かれていた。
 
 結果、また彼を傷つけることにもなってしまったし、すでに失恋しているとも、やっぱり言う気にはなれない。

 言えばまたややこしいことになりそうで、ならばこのまま『想い人』がいることにしておいた方が何かと良さそうだと咄嗟に判断した。

 雪哉にはきっと、『ダシにすんなよ』と怒られるだろうけれど。


「それは、以前からの知り合いだったと言うこと?」

「はい。中学の同級生で、その頃からずっと好きで…」

「気持ちは伝えたの?」

「…ええと、まだ…その、良くわからなくて」

 意味不明の言葉を並べてしまった。
 が、耳まで赤くなった香平の様子には随分と説得力があって、言い逃れには見えない。
 事実、言い逃れではなく、この想いは『真実』だけれど。


「あの、でも、凄いパイロットなんですよ。うちでは『天才』と呼ばれていて、最速記録で機長になるのは間違いないって言われてるんです」

 そう、雪哉はみんなの自慢のパイロット『コ・パイのゆっきー』なのだ。

 思わず力説してしまうと、前島は楽しそうに笑い、そしてまた、『やっぱり君は可愛いね』と甘く囁き、ついに言った。

「君の気持ちがそのパイロットの彼に在ることはわかったが、まだ成就していない様子だし、これからも、私が君を想うことは許されるだろうか」

 香平がこれでもかと言うくらいに大きく目を見開いた。

「あ、あのっ」

「もちろん、君の乗務の邪魔にならないようにするのは約束するよ。強引なこともしないと誓う。ただ、こうして時々付き合ってもらえたら嬉しいし、いつか私だけを見つめてくれるようになってくれればこんなに幸せなことはない。それだけ…なんだが」

 それを『それだけ』とは言わないだろうと、香平は思わず内心で突っ込んでしまうのだが。

「…あの、どうお返事していいのか、戸惑っています」

 そう、少なくともここで拒絶するわけにはいかない。
 気持ちは多分、ついてはいけないと思うけれど。

「君はそのままでいればいい。私は、拒まれない限り、君を想っていたい」

 握った手を優しく撫でられて、香平はますます困惑を深くする。

「今は、拒まないでいてくれる?」

 少しズルいな…と思った。立場的に弱いのは当然香平の方だ。

 威圧的に迫られたら言い逃れもできるが、この状況では、今はうんと言うしかない。

「…は、い」

 言ってから少し唇を噛んだ。
 前島は小さく『ありがとう』と言った。


 その後、きちんとステイ先のホテルまで送り届けられ、去っていくリムジンを見送って、香平はため息をついた。


 ――どうしてキャプテンも前島様も僕のこと放っておいてくれないのかな…。僕は雪哉の側で働けるだけで幸せなのに。


 恋をするのももう面倒で、ニコラが言っていたように、ここでラストフライトを迎えられるまで無事に飛べたらそれでいい。

 それだけなのに。


                   ☆ .。.:*・゜


 2日目の夜、信隆は香平が外出したことを知った。

 どうやら前島に誘われて食事に行ったらしいと教えてくれたのは、審査中のアシスタントパーサーだ。

 もちろん、ステイ中は、連絡さえすぐにとれて空港から一定の距離内ならば、どこで何をしようが個人の自由だ。

 だが、どう見ても香平に特別な思いを抱いている前島との外出に、信隆はどうしようもなく嫌な気分に陥った。

 ニコラは開き直って香平に猛然とアタックすると宣言するし、香平を誘い出すような株主VIP客まで現れて、いったい何なんだと、何かに八つ当たりしたくて仕方がない。

 部屋にいたところでどうにもならないし、かと言って遊びに行く気分にも到底なれず、もしかしたら捕まえられるだろうかとホテルのロビーまで出てきたところで、リムジンに送り届けられる香平を見つけた。

 車を見送るその様子は何やらため息にまみれていて、少なくともあまり楽しそうではなくて、急に反対の意味で心配になった。

 何か嫌なことでも言われたのだろうかと。


「…教官」

 振り返った香平が驚きに目を見開く。

「お帰り、香平。楽しかった?」

 出来るだけ優しく聞いてみたが、香平は明らかに身体を強ばらせた。

「あ、あの…」

 どうしてここにいるのか…と、言いたげだが、それに対する明確な答えを残念ながら信隆は持ち合わせていない。

 ただ、苛々していた…それだけだ。

「…すみません。遅くまで出掛けていて」

「いや、まだまだ宵の口だし、外出は自由だ。乗務に差し支えない限りはね」 

「承知しています」

「だよね」

 それきり会話が途切れ、いたたまれなくなった香平が『失礼します』と通り過ぎようとした時、信隆の手が香平の二の腕を掴んで引き止めた。

『えっ?』…と、振り返った香平に、信隆が尋ねる。

「大丈夫? 何もされてない?」

 瞬間、掴まれている二の腕が強張った。

「香平? 何かあったのか?!」

 声が鋭くなった。

「な、何にもないですっ、ただ、食事をしただけですっ」

 信隆の手がほんの少し緩み、その隙に香平は腕を振り解いて駆けだした。

 信隆は少なからずショックを受け、追いかけられずにただ、見送るしかなかった。

 そう、香平は、プライベートは顔に出やすいのだ。

 何かされた…とまでは思えないが、多少なりとも口説かれたであろうことは、想像がつく。
 
 けれど、現在の信隆に、それを咎める権利はない。
 ただの上司であって、恋人でもないのだから。


 ――恋人?

 不意に思いついた。

 ――俺は、恋人でいたいのか?

 疑問を投げてきたのは紛れもなく自分の中の自分だ。


                   ☆ .。.:*・゜


 復路便で香平は、いつも以上に乗務に集中してしまった。
 そう、余裕がないほどに。

 信隆もまた、審査の最終便ということもあり、業務以外で香平に接触を図る間はなく、あっという間の11時間だった。

 そして、その分、降りた時の疲労感は倍増だった。

 香平は、自分は一層信用されない人間になったかも知れないと酷く落ち込み、このままだときっと乗務に障ると判断した。

 けれど、辞める気はもちろんなくて、ただ、自分の心と自分の仕事を守るために自己防衛に徹することにした。

 集中力を欠いた状況で、シップに乗るわけにはいかないから。


 取りあえず、自分の気持ちを信隆から引き離すために、出来るだけ出会わないようにしようと思った。

 会わなければきっと思い出すこともない。
 思い出さなければ平和に飛べる。集中して。

 だから、今までは見ようとしなかった信隆のスケジュールをこまめに確認して、ニアミスしそうな日は、どこかで時間を潰してやり過ごそうと決めて、実行に入った。


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☆ .。.:*・゜

おまけSS

『ちょっと一息。クルーのこだわり:時計編』



 みなさん、こんにちは。

 訓練生の頃はちょっぴりドジなカメだった、国際線アシスタントパーサーの太田遥花です。

 所属は『みんなの憧れ』ノンノン上級CPのチームで、同い年だけれど学年はひとつ下になる香平くん…いやいや、中原CPのAPを務める事が多いので、同期からは『遥花、羨ましすぎ』って、嫉まれていますv
 
 さて、今日は人気クルーの『腕時計』について潜入捜査です!


 まずはこの人。
 未だに人気ナンバーワン! 来栖キャプテンです!

「え? 時計? ずっと『パイロットウォッチ』って言われてるものを使ってるけど、正確で見やすければあんまりこだわりはなかったよ。今使ってるのはコ・パイから数えて3つめ。一番のお気に入りだよ」

 って、キャプテン、妙にデレデレなんですけど。

「お気に入り…ですか?」

「そう、雪哉にもらったんだ」

 ……なるほどね。相変わらず分かり易すぎです、キャプテン。


 さて、大橋キャプテンにも聞いてみましょう。

 ざっくばらんな大橋キャプテンは、暴れると凄く面白い人なので、クルーはみんな、どうにかしてキャプテンを暴れさせようと、ステイ中の合同食事タイムはもう、ハチャメチャです。

「あ? 俺の時計は娘たちが誕生日に買ってくれたヤツなんだけどさ、いろんな機能がくっついてるぞ。メートルとフィートの換算が出来るとか、なんだかんだってな。でもさ、使ったことないんだ。俺、機械に弱くてなあ」

 …それで機長になれるんですか…? 
 コワすぎです、大橋キャプテン…。
 ってか、これ相当高そうですけど…お嬢さんたち、凄い財力だな…。


 さて、大橋キャプテンに聞いたとなったら、やっぱりこの人、うっしーにも聞かなくては…。

「愛用の腕時計? 俺の時計は愛する華ちゃんのプレゼントなんだ〜」

 …はいはい。聞いた私がバカでした。


 さあ、お待たせしました。我が社のアイドル、ゆっきーです!

 ちょうど1歳違いの私たちですが、お互いに性別を超えた『マブだち認定』で、以前は私に敬語で話していた彼も、今やすっかりタメ口ですv

 国際線に復帰してからはステイ先でも一緒に遊びに行ったりして、周囲からは『なんか双子っぽいよね』…なんて言われています。
 
 私の方が背は高いんですけど、雰囲気が似てるんだそうです。
 その割にゆっきーだけがモテて、私がモテないのは、性格が大ざっぱ過ぎるからだとか…。

 そんな私に都築教官は、『そのうち遥花の魅力に気づくヤツが現れるから焦ることないよ』って言ってくれます。
 説得力は皆無ですが、信じて待とうとおもいます。

 さて、ゆっきーはどんな時計を…。


「…ゆっきー、その時計、重くない?」

「え? 別に重くないよ?」

「でも、ゴツいよ?」

 細い手首に全然似合わないんだけど。

「そりゃだって男性用だもん」

「…えっと、もっとほら、ブレスレットタイプとか、華奢な方が似合うと…」

「え?」

「や、何でも。…って、ゆっきーのはシンプルだねえ。大橋キャプテンのはなんだかいっぱいついてたけど」

「うん、とにかく正確で、パッと見てすぐに時間が計算できればそれでいいから」

「あ、これ! もしかして!」

「え、なに?!」

「パパとお揃いだ!」

「ぎくっ」

 どうやら指輪の代わりに『ペア・ウォッチ』のようです。
 まったくこのカップルはいつもベタ甘です。

 ああ…私も早く良い人見つけたい…。


 さて、キャビンクルーの時計には、ある程度の決まりがあります。
 まず、一目でわかる海外高級ブランド物やキャラクターものはNG。


「都築教官は、ブランド物とか似合いそうですのにねえ」

「ん〜、時計に限らず、海外高級ブランドってあんまり興味ないんだなあ。 made in Japanがお気に入りだよ。フライト中は時間を見ることが多いからね。正確で見やすいのが一番。あと、丈夫なこと、邪魔にならないこと、メンテナンスができること…かな」

 うーん、見かけによらない質実剛健ぶりです。
 …でも、これ、『グランド・セ☆コー』の、限定モデルじゃ…。
 確か、車が買えるくらい……。


 
 さ、気を取り直して次に行きましょう。

 実はデジタル時計もダメなんです。
 秒針が必須だからです。

 理由を中原CPに聞いてみましょう!

「それは、お客様に万一の事があった場合、脈を取るためです」

「香平くんは、そんな場面に出くわしたことある?」

 職位は上の彼ですが、齢は10ヶ月ほど下なので、オフではファーストネームで呼んでます。

「前にいたエアラインは、結構機内で体調不良になるお客様が多くてね、190センチ120キロなんてお客様が倒れちゃった時はもう大変だったよ。通路に倒れ込まれて、動かせなくて」

「それ、どうなったの?」

「幸い、着陸直前でね。心臓マッサージしながら着陸して、そのまま救急搬送。助かられたそうだからホントに良かったけど」

「心臓マッサージしながら着陸…。怖すぎ…」

「後にも先にも、シートベルトなしで着陸したのはあれだけだなあ」

「それも怖い…ってか、そんな経験する人、滅多にいないと思う…」

「うん、都築教官にもそれ言われた。そんな経験せずに、無事にラストフライト迎えたいって」

「全く同感だよ〜。ほんと、エラい目にあったんだね、香平くん…」

「でも、あの時のキャプテンはもっと怖かったと思うよ。倒れてるお客様とクルーが2人、シートベルトしてないってわかってる状況での着陸だったから…」

「…身の毛もよだつ…」

「って、何の話してたっけ?」

「も、忘れた…。いいから飲みに行こ。せっかくの公休前夜だからさ」

「roger!」


 こうしてCPとAPは飲みに行ってしまったのでありました。
 結局香平くんはどんな時計をしてたんでしょうか(笑)


 遥花ちゃんは次回第5話で活躍です!


おしまい。

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